2.地竜咆哮 【01】
...065
一つは魔女と呼ばれた才女、エイローズが率いた国。
一つは希望の星と皆に慕われた、ルイーゼが率いた国。
一つは神子と名高く自在に土を操った、ヴァンが率いた国。
それぞれは互いに争う事をやめ、三国を統一する事で広大な土の大陸のほぼ全土を治める事に成功し、この先の未来を魔神に約束した。土の神国・ドゥバドゥールの誕生である。
しかし、その建国から国がスムーズな流れに乗るまでに歴史では決して語られない壮大かつかなりの苦労があり、紆余曲折を経て、国をスタートさせたのだろう。一つの大国としてそれぞれ機能していた国を一つにまとめることは、計り知れない難しさがあり、何度も三国間で諍いがあったに違いない。
国の初めの主導者となった上記の三人は、国の綱紀を定める際に一つの書物を作りあげた。
――『ドゥバドゥール大綱集』。
その名の通り、至って造られた目的はシンプルで、国を動かすに際しての約束事を記したものだ。
国を作る、多くの人が国に従い、生活する。国は法を定め、国事を成す。そのための法を創る為の法を記したものといってもいい。そこに憲法とはまた別にこの書物が造られた理由がある。
初代の大君は後世の大君らにこの書物に従って国を治めよ、と大君用の教本のようなものをご親切にも作ってくれたというわけだ。この国約集に従って細やかな法が整備され、国を円滑に進める為の国事が行われてきた。今となっても重宝されており、実際に参考にされるのだから、相当初代の大君は優秀だったのだろう。今もなお、建国当時から変わらない大綱によって定められた法を使用し、国は進められている。
しかし、時代は移ろいゆく。
その時代と国約集の定めたことが合わなくなった場合はどうしたらいいのか。過去のものばかりがいつでも正しいとは限らなかろう。ゆえに、初代の大君はこうも定めている。
『大綱集に定めし決定に異を唱え、改変を求む場合は以下の場合に限り、改変を許す。
一つ、大君三名、三大王家の当主六名全員一致の場合。
一つ、大君、もしくは三大王家当主半数の一致、且、国民の2/3以上の賛成の場合。
尚、改変における大綱集の筆記には公正なる『書記君』(大綱集巻の一第四章三項-五参照のこと)が行うこと。改定における書記官の定めし改定方法については大綱集巻の六第二章一項参照のこと。』
このドゥバドゥールの骨子ともいうべき大綱集の原本は神殿が所持し、この国約集の管理をまかされた特別な文君は書記君という。この書記君は国の会議の議事録などを取るなど、公式な文書を残すためだけに存在する文君の中でも特殊な職種の人間である。
書記君は文君の中でも数多くの特殊な技能が必要になる為、限られた優秀者しか成る事は出来ず、どの場所でも重宝された。この書記君が書く文書はそれだけで国の文書として効力を発揮するからである。ゆえに、国は書記君の管理だけは、それこそ大綱集に定められた通りに管理も行っており、ドゥバドゥールの中でかなり特殊な役職であることは間違いない。
書記君は文君の知識だけではなく、神官の知識も必要とされ、当然のことながら字の美しさ、読みやすさは必須。他にも書き記す仕事故に、本や紙質、果てには記す媒体や記す物に対する深い知識も必要となり、なろうとしてもなかなか基準を通り抜けて書記君になれる者がいない現状が合った。書記君は当然、平均年齢がおのずと高くなり、砂岩加工師と同じように通念を修行のような勉強に費やす事で有名な職種でもある。
当然、大綱集の写本は書記君の手によって成される。この写本は各王家や重要な施設に閲覧用として保管されている。この写本を元に、ようやく一般の国民が閲覧する事の出来る複写本ができるのである。普通、大綱集を購入、または閲覧しようとすれば、当然写本の複写版を使用する事になる。
ドゥバドゥールの子供達は誰でもこの大綱集の前文の一部を暗記させられるはめになり、辟易するのだが、この大綱集のおかげで三国間同士が大きな諍いを起こさず、かつ、平等に暮らしてこれたのである。
...066
うす暗かった部屋にさーっと日の光が差し込む。それだけで、周囲の様子が様変わりする様だ。部屋の中が明るくなる事で、互いの姿が認識される。イェンリーと彼を囲む子供達。樹の中に住居を持つ、イェンリー達独特の樹の中の部屋だ。やわらかい布に皆がイェンリーを中心にして直に座っている。
「さて、『自動書記』を読みあげてくれー」
イェンリーが言った。
「はーい。ええっと……」
幼い声が狭い室内に行き渡る。子供のうちの一人が読みあげる間、イェンリーは紙を広げ、筆を用意した。
「おう。いいぞー。じゃ、次、さっきの『星図』を記せるやつ、いるか?」
イェンリーの声に誰も返事をしない。なので、イェンリーは目のあった子供に筆を向ける。
「えー!」
指された子供は嫌そうに不満な声を上げた。イェンリーは笑って筆をずいっと押しつけた。
「間違ってもいい。ものは試しだ。そら」
「はぁい」
子供が時々唸ったり、悩んだりしながら紙に点をいくつか記していく。他の子供はそれを見て声を上げたり、悩んだりしていた。
「こんなものかなぁ?」
「ん。よく出来た。誰か訂正をしたいやつは?」
イェンが子供から筆を受け取って視線を巡らせる。するとおずおずと手を上げ少女に筆を渡した。
「ここの星は、こうじゃなかったかな?」
「それを言うならここは、こうだったよ」
子供が口ぐちに言い、星座を見取ったような図面が出来上がる。単純な点をちりばめただけの、傍から見たら落書きにも見える様なものだ。
「おーし、それまで。皆よく覚えていたなぁ。星図は自分が動かさないとどうも覚えにくいから、覚えていないことはあまり気にするな。ちなみに、正解は、こう」
子供達の書き記した点を素早く訂正すると、その素早さと正確さに歓声が上がる。
「さぁて、こっからが本番。さっきの自動書記と合わせて、この星図から依頼主の求める事を占ってみな」
イェンリーが言うと子供たちが持ち寄っていたメモ紙に向かって唸り始める。イェンリーはその間、依頼主宛に返信である占いの内容を正式な書面で子供達に見えないように記していく。
これはイェンリーによる闇のエレメントを持つ子供達への占いの授業だった。イェンリーが教導師を務める里にはイェンリーとランタン以外大人はいない。他は皆子供から成り立っている。すなわち、様々な事を教えるのは主にイェンリーとランタンの仕事になる。
「さぁて、俺はできたぞー? そろそろ答え合わせといこうじゃないか」
イェンリーの掛け声に数人の子供が猶予を叫び、イェンリーは苦笑しながらそれを待つ。しばらくして全員分の回答が出来上がった。
「さぁ、我先に! って、自信があるやつはいるか?」
イェンリーの声に二、三人が手を上げた。イェンリーは頷いてそれぞれに回答を発表するよう言う。
「『陰の土月、難事在り。隣人を疑う事無かれ。そなたの最も近き右隣の者こそが真の理解者なり』」
「『陰の土月、難事在り。隣人を疑うはそなたへの天罰である。最も親しき者を傍におけ』」
「『陰の土月に差し掛かりし頃、難事が訪れる。しかし、隣人を信ずればおのずと道は開けり』」
イェンリーはそれぞれの回答を聞いて頷く。
「残りのやつらはどうするー?」
他の人の回答を聞いて安心したのか全員が一通り発表した。イェンリーはそれを聞いて、頷いた。
「みんなだいぶ時期を読むのが巧くなってきたな。皆が予期した陰の土月。この時期はどの星から見られる?」
星図を指差してイェンリーが尋ねれば即座に回答が返ってくる。
「ここにあるのが今の陰の水月。交差軸にあるのが次の星。だから陰の土月」
「ふむ。時巡りは大陸順。創生順と考えない理由は?」
「水月の隣が光だから」
「正解」
イェンリーは回答と同時に解説を皆の考えを導きだしながら述べていく。
「とすると、まとめて俺の出した答えはこう。『陰の土月にまたがりし時にそなたに転機が訪れる。そなたの最も親しい人物を疑えば、そなたの転機は難事へと変じ、信ずればそれは好機へと転ずるだろう』」
おおむね正解した子供が万歳して喜んでいる。若干の間違いをした子供は唸りつつ悔しそうだ。
「お前らの答えが間違っているわけじゃない。占いはフィーリングでやるものだからな。ただ占いを求める相手は占い師じゃない。あいまいな表現を出すと結果を間違えて読み解かれる。なるべく具体的に回答してやることだ」
「はーい」
「じゃ、今日はここまで。俺は残りの依頼をするから。解散」
イェンリーはそう言って自分の身長ほどもある長い黒い杖を出した。本気で占いの仕事をするようだ。しかし子供達は誰も去っていかない。
「ん? どうした、お前ら。授業はもう終わりだぞ」
「ねー、ここで見てていいでしょ? イェン様」
「見学したい」
イェンリーはふーっと溜息をついて、そして言った。
「別にいいけど、俺の集中を乱すなよ。ランみたいに息を殺してずっと微動だにしないんだぞ。できるのか?」
「うん」
「はー」
溜息をつくと、子供たちが残念そうにイェンリーを見上げる。その視線はイェンリーの拒否を心底嫌がっている。その様子を見ると、否とは言い難い。
「まぁ、いいや。好きにしな」
イェンリーはそう言うと杖を構えた。そのとたんに部屋が再び漆黒の闇に包まれる。静かにすると言った手前、声を出さない無言の歓声の表情を見ると、イェンリーは苦笑せざるを得ない。
そして、何も見通せない暗闇が降り注ぎ、その闇の中でぽつり、ぽつりと灯りがともる。それは星。瞬時に満天の星空が描き出され、その星が高速で巡り始める。東から西へ。何日にもわたり、同じような夜の空模様が描き出されては巡り、動いては消えていく。イェンリーはそれを見、動きを追ってこの世の未来を予測し、見通す。
――世界の中心に座す占い師。
イェンリーはこれまで占いを外したことがないという評判の占い師だ。この世界各地で依頼される占いの結果を返すことでこの里の子供達を養っているといってもいい。時間さえ待てば誰の依頼でも受けてくれる。
イェンリーの視線が次々に移り、口からは言葉が漏れる。この言葉を己の支配するエレメントに共有させて書きとめる行為を『自動書記』と呼んでいる。闇のエレメント独特の技で、イェンリーはその自動書記すら自分で行えるほどに芸に秀でている。この自動書記で記した言葉と見た星図で内容を考え未来を占い、返事を記すのだ。
「……やっぱり、育ったか」
イェンリーが星のある一点を見て呟く。
「方角と引きの強さ。……これはもしかすると『竜』を呼ぶか……」
イェンリーはそう呟いて、杖を床に叩きつけた。暗闇が杖の中に消えていき、イェンリーの占いが終了する。それと同時に子供達の溜息が洩れた。
「おー、悪かったな。気を使わせて」
イェンリーはそう言って子供達と共に部屋を出る。
「イェン様、最後の星を見てなんで竜って言ったの?」
読み解けない星図を子供が尋ねる。
「んー? じゃ次回の授業で説明するか」
イェンリーはそう言うと、闇晶石を取り出した。ふっと息をかけるとその晶石が姿を変える。それは一羽の黒々としたカラスに変じた。ジルのように闇の晶石に命令を与えて、形を成す技の一つだ。
「イェン様? どうするの、それ?」
「ん?」
疑問に思った子供が駆け寄ってくる。イェンはカラスに何かを囁いた。
「ランへのお手紙」
そう言って腕を上げる。カラスは羽ばたいてイェンリーの腕から飛び立っていった。緊急性を要し、且距離が離れている時の連絡手段の一つだ。そのカラスが羽ばたいていく先は、――遠く。
それは大陸を越えて、目指すは――土。
今までは他の神官に会うことを避けてきた。神官専用の服の規定も嫌だし、神兵でもないのに帯刀するなと小言を言われるのが目に見えていたからだ。朝晩の礼拝も面倒だし、食事の度に祈りだのなんだのと、とにかくこまごましていてうっとおしく面倒この上ない。
それが、なんだこの様は?
「カナ様。ご機嫌麗しゅう」
「カナ様。相変わらずたくましいお身体ですね。日々鍛錬を重ね、魔神にそうやって祈りを捧げておられるのですね」
「カナ様、今度わたくしめにもその剣技を披露してくださいませんか?」
「カナさま」
だー!! うっとおしい!!
「あはははは」
腹を抱えて笑い転げているのは同室のキィだ。
「笑いごとじゃねーんだぞ! っていうか、お前のせいだろう?」
「いいじゃない。これからは狭い部屋の中で素振りや筋トレに励まなくてもいいじゃないか。中庭で大立ち回りしたって誰もお前を責めないよー?」
キィはにやにやしながらそうカナに言う。
「そういう問題じゃねーっての!」
憤慨してカナは言う。
「あはは、悪かったな」
「まったくだぜ」
カナは武君(セビエト―ル)を目指す剣に生きる少年だ。神官の真似事をし、神殿にその身を置くのは一時的な措置。自分の親友であり、将来の主君となる三大王家・ルイーゼ家の現当主であるアイリスに命じられてきただけだ。ルイーゼ家と三大王家同士の神殿内のバランスをとる為のほんの一時的な身の上なのだ。
しかし、神官は日々魔神に祈りを捧げ、敬遠なる魔神の僕が鏡の世界。つまり、帯刀も稽古もカナの日常に欠かせないものがすべて御法度ではなくとも、白い目で見られる。実際そのせいでカナは同じ派閥であるはずのルイーゼ家から神殿に先に入っている神官見習いや神官から疎んじられている。
それをこれ幸いと利用したのが、ヴァン家のティズという神官見習いだ。ヴァン家直系の人間で、次の神殿を牛耳るのを目的に幅を利かせている嫌な奴だ。次の王が魔神によって選ばれていない今、神殿内は三大王家の血を引く貴族が次世代の権力を握ろうと暗躍する戦場だ
ティズはヴァン家内で神子という神殿内で絶対的な存在価値を持つキィを邪魔に思っており、キィの神殿入りを心底嫌がっていたのだろう。カナが入る前、キィは同じヴァン家の直系という肩書もティズにとっては気に入らなかったのだろうが、己の方が力があると誇示するため、キィを神殿内の地下に閉じ込めていた。
しかし、同じヴァン家の直系かつ、伝説の神子という肩書を持ち、神殿内での位づけが高くならざるを得ないその存在は同じヴァン家から疎まれた。だが、キィをいつまでもそのような待遇にはできない。だからこそ、白い目で見られているカナと同室にして、キィを追いだすか、己の下に位置づけようと画策したのである。
その案を利用した者こそカナの目の前にいる、いやがらせを受けていた張本人、キィである。つまり、疎まれたもの同士で押しつけ合われたのだが、互いを干渉しないその性質で意気投合した二人はティズの思惑に乗って楽しく日々を過ごしている。……のだったが、
「言ったろ? 俺が本気を出せばこんなのちょろいのよ」
「本当にお前の本気を垣間見て俺はこえーよ」
だが、先日キィの双子の姉がキィの預かり知らぬところで暴走し、それを咎めたティズに激怒したキィは同族ながらティズを追い落とすと宣言し、現在はキィの予想通り、ティズが自ら地下室に籠っている始末。一月もかからずその身を真実神殿の神官見習いとしては最上位にまで上り詰めた。おかげでキィと同室なだけのカナも偉い人認識されてしまったのである。
「いざというときのためにいろいろ準備しておくのが王族の務めですから~」
ひらひらと手を振ってキィが悪い人の笑みを浮かべている。
「この出不精。いつの間にそんな怖い情報集めてたんだっつの」
二人して笑い合う。それを見て二人の付人であるファゴらもくすくす笑っていた。ファゴが持ってきた飲み物を飲むため、キィが手にしていた本を一度机に置く。それを見てカナが問いかけた。
「おろ? また本変わったな。経済系は読破したのか?」
読書が趣味のキィは神殿内の蔵書を貪るように読みふけっている。生活リズムが崩れているのはこの本にはまり過ぎているせいだと思う。本好きにはたまらない垂涎ものの希少本が埃をかぶっているのはもったいないというのがキィの主張だ。
「そうだぜ。すごいだろー? 俺、経済系の本二カ月で読破した。実践してみたいのがいっぱいあるんだぜ」
キィがそう言う。カナからすれば何冊あったかは知らないが、書棚を三台くらい占領していた量の本をそれだけで読み切ることがまず異常だと思う。
「すご過ぎてなんも言えねーよ。で? 今度は何?」
「これはお前でも知ってるよ。『ドゥバドゥール大綱集』」
カナは逆に驚いて瞬きを繰り返した。
「なんでまた?」
カナが知っていると言われたように、ドゥバドゥールに生まれたら必ず知っている書物だ。この国の治め方を記した初代大君のありがたいブツだ。前文を覚えるのに苦労したタチのカナは名前を訊くだけで辟易する。
「いやさ、貴重だから俺が目に入るような場所にあるとは思っていないかったんだけど、これがまたさ禁書棚に普通にあったからさー。かっぱらってきちゃったよ。『原本』」
「……」
カナはキィが禁書棚の持ち出し厳禁というレベルではなく、専門の管理人が決められているような希少本を勝手に読んでいることを知っているからまたか、と溜息をついた。
しかし、ファゴが目玉が飛び出るかという位驚いていた。驚き過ぎて表情が固まり声が出ていなかった。
「キィさまぁああ! さすがにそれはいけませんよ!」
ファゴが珍しく主人であるキィをいさめているくらい持ち出し厳禁らしい。
「というか、管理は書記官管轄のはずでしょう? 一体何を?」
キィは寝転がりながらぺらぺらとその一部の人間しか触れられない様な本をめくっている。
「あー無理無理。今のラウダ、適当な権力を追い求める狗だから。こいつの前の人はさ、結構真面目だったらしくて、ちゃんとしてたみたいなんだけどな。まぁ、それで俺も読めるんだからラウダさまさまだろ」
キィはそうやって本をめくり続ける。
「最初から最後まで読んだ事無かったからいい機会だと思ってな。にしても、気になるんだよね、この大綱集」
キィはそう言う。その顔には珍しく本を読んでいる満足そうな顔が浮かんでいない。
「何が?」
「なんかヴァン家にあったやつと違う気がすんだよなー。ファゴ。以前頼んだよな? ヴァン家とそれから公共図書館から大綱集を借りてきてって」
「かしこまりました。今お持ちしますね」
ファゴはそう言う。カナは珍しく不機嫌そうな顔で本をめくるキィが気になった。
「何が変なんだ?」
寝転がるキィの視線の元を覗き込む。
「まず変ってほどじゃないんだけどな。ほら、見ろよ」
キィはそう言って大綱の一巻を二冊カナに見せる。一冊は一巻で、もう一冊は二巻だ。カナにはその差がさっぱりわからない。なにがしたいのかもわからない。
「な? わからないだろ?」
カナは素直に頷いた。
「一巻とそれ以外の巻の紙質が違うんだ」
「本当ですね」
ファンランが初めて気付いたと言いたげに驚いて手に取っている。言われてみれば一巻の方がさらさらしていて、白い。……白い?
「変じゃね?」
「だろ?」
キィが頷いて言う。
「一巻の方が紙が新しいんだよ」
カナもファゴやファンランまで初めて気が付いた様で、第一巻とそれ以外を見比べている。
「ヴァン家のも言われてみれば目立ちますね。他の複写本に関しては、そこまで確かに紙質が異なるとはいえ、そこまで目立ちません」
ファンランがそう言う。そう、原本と写本だけがはっきり目立つほどだ。
ちなみに大綱集は初代大君が直に記したという原本がある。その原本を決められた書記君が一字一句漏らさず書きうつした、公式の複写本のことを写本という。一般的に流通しているのはこの写本を複写したもので、複写本と呼ばれる。内容はすべて同じだが、扱う人間と機関、保存法と冊数が異なると言う話だ。
今この場には原本と写本、複写本の全てがそろっている。
「つまり? どういうことなんだ?」
キィが黙っている。ファンランとファゴは気付いたようにキィに視線を送っている。
「第一巻だけ、近年新しくなったんだろう」
カナが手を叩いた。成程と納得したのである。
国が出来た時に、各王家の始祖によって制作されたという国の指針を示した大綱集。それは全二十五巻からなる壮大な国の骨子とも呼べるものだ。多少の前後はあるだろうが、第一巻から創られているはずだ。カナが苦労して覚えた前文も第一巻に記載されている。
「そのような通達が来た覚えはありませんね」
ファンランが首をひねっている。優秀な文君であるファンランが覚えていないくらいだから知らないうちに新たに作り直されたのだ。
「第一巻だけなんかあったのか? 汚したとか破ったとか?」
「原本にそんな扱いをすれば大罪ですけれどね。カナ様、一応この大綱集の原本は現在も改定されれば、書記君によって書き直されますが、一応国宝ですよ」
「ええ!?」
思わず取り落としそうになり、あわててキャッチする。ファゴが珍しく怒っていたのはそういう理由があったのだ。現在も使用されている国宝の書物である。国の始まりから国の在り方を示し続けてきた文書だ。貴重なものであるから、一般人にも触れさせず、扱う者を定め、神殿の禁書棚の普通なら触れられないような場所に保管されているのである。
まず、キィが手に取れることからして異常事態だ。おそらく普通では手を出せないが、何かしらして手に入れてきたのだろう。この御坊ちゃんならやりそうだとカナはキィを見る。ただ、その何かかしらで貸し出されるのが問題と言うことだろう。
「な? 変だろ。それにもしそういう粗相があったとしても、原本だけ造り直せばいい話だ。なのに、複写本も全て作り直されている」
カナも初めてその違和感に気付いた。
「なんでだ?」
「一巻は確か……国の原点ともいえる魔神や王、王家について定めた巻でしたね」
ファンランが呟いてはっとした。
「それにもう一個、見逃しそうな変な点があるのさ。……とある箇所から改正にあたってなんか不自然だ」
キィはそう言って二つのページを交互に見せた。カナが見ても小難しい文章が並んでいるだけで何も感じない。
「? どこが変なんだよ」
「気付かないのか?」
呆れたようにキィは溜息をついてその箇所を指差した。
「改正印が若干違うと思わないか?」
キィが指差したページを交互に見る。ページの初めの部分、つまりより古い箇所の改正印と後ろ、つまり新しい部分の改正印を見比べる。特に何も違わない。違うのは年代の違いによるインクの変色くらいだろうか。
「……よく気付かれましたね。これでは改正印というか、公式文書とは言えませんね」
ファンランが感心してそう呟く。カナはファンランに向かって説明を求める視線を送る。
「カナ様。よくご覧ください。この箇所、ここが欠けているでしょう?」
「……わかんねーぜ」
「そうでしょう。これをこちら側からご覧になって下さい」
ファンランはそう言って本を上下逆さにする。
「! ああ!」
カナもようやく気付く。上下を逆転してみると、一部が欠けているだけなのに、その改正印は違う文字を書いていることになるのだ。ただの欠けと言ってしまえばそれまでだが、確かに一回わかると違和感しか覚えない。
「んー。何か引っかかる……。もしもだぞ? これが意図されていたことなら、この年以降の改定はすべて無効になることになる」
キィはそう言いながら後味が悪そうに大綱集を閉じた。カナもキィが珍しく納得できなかったことなのでなにか後味が悪かった。付人の二人は、改正印が変わった年以降の改定が無効と聞いて絶句していた。
「もしかしたら俺達神官見習いたちが触れられない事項なのかもな」
「触れられない?」
カナが尋ねるとキィが不愉快そうな顔をして言った。
「大君さ。砂礫大君周辺は神殿でも特別に上位だろう? 俺達三大王家の派閥に関係なく。つまり、何か知っているとしたらここらへんじゃないか?」
ファゴが厳しい顔をして珍しく、諌める口調でキィに言う。
「なりません、キィ様。今の砂礫大君は退位を表明されたとはいえ、エイローズですよ? キィ様は元々魔神への贄として神殿に上られたことをお忘れですか? そこにまで食い込めば命を縮めかねません」
カナもファンランも青い顔をしてキィを見る。そう、彼が漂々として気にしてもいないから忘れがちだが、彼は魔神への贄なのだ。もし、大君のところで大綱集に関する暗部があったとして、それを調査していることが知れれば、すぐさま贄の儀式が行われる手はずに決まっている。
ファゴは従者としてキィが気になったことを調べてしまう性格ということを熟知している。ゆえに、その危険度を言っているのだ。
「調べてみる価値があるなどと仰いませんよね?」
「……」
キィが反論を述べる前にファゴが畳みこむ。
「他家にちょっかいを出すのとはわけが違います。それに下手に手を出して神殿の外のミィ様やジルドレ様にご迷惑を掛けないとどうして知れますか?」
納得できない子供の様な顔をしながらキィが呟く。
「……そうだな」
ほっとファゴが息をはく。キィも渋りながら諦めた様子だ。キィは双子の姉であるミィの名を出されると弱い。そのことも熟知してファゴは言ったのだろう。自分だけならどうでもしてしまいそうだが、ミィがいればキィは引きとどまるところもはっきりする。
「わかったよ」
キィはそう言って大綱を投げた。それを慌ててファンランがキャッチする。カナも苦笑いをファゴとした。
...067
王宮中の広い部屋の窓際に凛と立つ女性がいる。水色の髪をきっちり結い上げ、格好も清楚できっちりしている。どこかしら厳しさも漂うその視線は窓の外に向けられている。
「ご機嫌麗しゅう、アイリス様」
「ごきげんよう、アーリア様」
戸口で深く頭を下げるのはエイローズの当主であるアーリアだ。返事をしたのはルイーゼ家の当主であるアイリスである。アーリアと同い年で在りながらその印象は異なる。アーリアが魔女と呼ばれているのに対し、アイリスは聖女と呼ばれていることからもそれはわかるだろう。
「そろそろ刻限ですね」
運ばれてきたお茶に口を付けながらアーリアと共に席につくアイリス。
「遅くなったか」
最後に姿を見せたのは、もう初老といっていい男性だ。白髪は頭髪の大半をしめ、顔にも年齢にふさわしい威厳のある皺が寄った顔になっている。しかしまだまだ眼光は鋭く、現役であることを表していた。
「ごきげんよう、ジルドレ様」
アイリスが軽く頭を下げ、挨拶をする。
「ごきげんよう、ジルドレ様」
アーリアもそう言った。
「お久しゅう、御二方」
対するジルドレと呼ばれた男性も挨拶を交わし、着席した。
「これは三大王家当主の集まりですわ。なぜ、毎度ながらジルドレ様がいらっしゃいます?」
アーリアが微笑みながら問いかける。
「毎度毎度同じ事をきいてくれるな、小娘。私がヴァン家の当主だからだと何度言えば納得する」
アーリアは顎を両手で支えるような姿勢をとり、上目づかいでジルドレを挑発するように問いかけを重ねる。
「ジルドレ様は岩盤大君。王であらせられましょう? 二重権力を避けるためにも、当主は別の者がなるのが常。 ヴァン家の現当主は弟君のジルガラ様でいらっしゃるのでは?」
「我が弟は病の身の上ゆえ、私が当分代わりを務めている。先の会合でもそう説明したはずだが?」
「ええ、おうかがい致しましたわ。だからといって易々とその位に就く神経を疑っておりますのよ。そのご説明を頂いてからもう半月ですわ。そろそろ代行を立ててもよろしいし、次期当主をお決めになられてもよろしいのでは?」
アーリアはそう言ってジルドレの反応を見る。
「我らヴァンの陣営はまだ後継を選出する時期ではないのだ。それを言うならお前たちエイローズの陣営も同じようなものだろう?」
アーリアは余裕の笑みを持って応じる。
「さて? どのあたりでございましょう?」
「アルカン様はまだお元気なお歳と認識しておったがな?」
「アルカン様は責任感の人一倍強いお方でしたから、多少の不調は御隠しになってしまわれますの。それではお命がいくつあっても足りませんわ。ですから、大事を取って頂いたまで。なにもおかしい事などございませんわ。わたくし共エイローズはルイーゼと同じく今は時期大君を待っているに過ぎません」
「ふん、小娘が」
「まあまあ、お二人とも。それでは議題がちっとも進みませんわ。お戯れもその辺りに」
アイリスがそう言う事によってジルドレは視線を緩め、アーリアは姿勢を正した。
「そうですわね。ただ、お隣さんというのは気になってしまうのが人の性ですの。失礼を申し上げましたわね、ジルドレ様」
アーリアがそう言って微笑むと、何事も許してしまいそうになる。たが、ジルドレはそれに頷いただけだった。
これは月に一度の開かれている三大王家の当主による会議である。ドゥバドゥールでは国を治めるのは大君である王が務めるが、その王の決めた事に従って実際に国を動かすのは三大王家である当主の務めである。
人々の暮らしによって日々法は変わり、予算を決め、己が統治する街を運営するのが王家の務めなのだ。ゆえに、王家に生まれた人間はその能力に合った仕事を割り振られ、民のため働くのが責務とされる。
その様々な事を話し合い、王家同士で差が生じないように話し合う場がこの場である。各王家の当主同士が直に顔を合わせ、話し合うこの場は古くから貴重な場として活用されてきた。
アーリアはエイローズの当主としてこの場にいる。アイリスもルイーゼ家の当主ゆえにここにいるのだ。しかしヴァン家の当主はこの場にいない。ヴァン家の当主はジルガラ=ヴァン。キィとミィの父親であり、ジルドレ=ヴァンの弟である。このジルガラ数年前から体調を崩し、公式の場に顔を見せくなって久しい。故に、名代として兄で在り、現在の岩盤大君を務めるジルドレが出席しているというわけである。
アーリアは権力をジルドレが全て独占していると釘を刺している。
それに対しジルドレはアーリアが当主についてから砂礫大君を務めていたアルカン=エイローズが体調不良を理由に大君の座を退いたことから、アーリアこそが権力の独占をしていると言い返しているのだ。
こういう理由で現在エイローズとヴァンはかなり仲が悪い。ジルドレは本来対等な立場であるはずのアーリアを小娘と呼び、アーリアも表立っては言っていないがジルドレを老害やくそじじいなどと蔑んでいる。
「では、この懸案は先月話し合った通りで。……本日はこの辺りでしょうか」
アイリスがそう言い、アーリアが頷いた。
「わかりましたわ。では、これでお開きと致しましょうか」
各家の書記官がやっと筆を置く。この書記官が記した議事録は公式記録として保管され、複写は一般公開され、民の誰もが見て、意見を述べる事ができる仕組みになっている。
「そういえば、ジルドレ様」
アーリアが声を掛け、ジルドレが不愉快そうに顔を向ける。
「お耳に入れておこうと思いまして。王宮所属の暗君を名乗る不逞の輩が居りますのよ。この前堂々と我が屋敷に侵入したのを捕えましたの。お気をつけあそばせ」
ジルドレも顔色を変えず平然と返した。
「そうか。そのような輩が出現か。気をつけねばならんな。アイリス様もお気をつけられよ」
「はい。ご心配ありがとうございます」
アーリアも微笑んでアイリスの方を見た。
「そう言えば、ジルドレ様。わたくしからもお聞きしたい事が一つ、よろしいでしょうか?」
アイリスがそう言ってジルドレの歩みを止める。
「なんだ?」
「ヴァン家の神子であられるキィ様が神殿に御上りになり、ずいぶん経ちますが我が国ではまだ次期大君が現れません。ヴァン家では今後どのように動かれますか」
アーリアもそれは関係ない事ではないので、退出しようとした脚を止める。
「それは魔神への生贄の儀式を行えと?」
アイリスは首を振って申し訳なさそうに言う。
「いえ、そのようなことは。ジルドレ様にとっても大切な甥御様でしょうから、苦渋の決断に変わりないとは存じます。しかし……そろそろ国民の不安も鎮めておけないかと」
三大王家だけで百人以上の人間が新たに新しい王を魔神に祈る為の神殿に入っていることは当然国民も知っている。ルイーゼの全大地大君が亡くなり、六年と言う月日が経った。国民もそろそろ不安視する。当然、神子であるキィが神殿に入っても現状は変わっていないのだ。
「そうですな。ルイーゼもエイローズも次の王は?」
二人とも否の態度をとる。
「そうだな。今年一杯が限度だろう」
ジルドレはそう言う。そう言って足早に去って行った。詳しい返答を避けたのだ。
「ヴァン家の当主候補として第一位がキィ様との御噂が高いのですから、次の当主をお決めになれないのも当然なのでしょうね……」
アイリスがもういないジルドレの方を向いて呟く。
「そうですわね」
ヴァン家の当主候補は今のところ、ジルドレの息子であるティズとジルガラの子供であるミィとキィの双子。この三人の身がヴァン家の直系である当主候補だ。その中で優秀なのがキィである。しかし彼は神子でもある。神子としての務めを果たすなら候補はティズかミィになる。
ジルドレとしても決めかねているのだろう。能力の優秀さならティズが勝るだろうが、いかんせん、彼は我が強く、権力に固執する傾向が在る。その面ミィは周囲に好かれる良い主になるが、短慮が過ぎる。
「その面、わたくしたちはもう当主です。次期を心配せずともよろしいかと」
「ええ」
アイリスの返事にアーリアが微笑む。
「他家のことは嫌でも気になってしまう性質でして。ジルドレ様にもつつかれてしまいましたわね。その面ルイーゼは暗い部分がなくて羨ましいですわ。まさに聖女に相応しいアイリス様のおかげですわね」
アイリスは力なく微笑み、謙遜しつつ、アーリアの前を辞す。アーリアはその後ろ姿を注意深く見詰めた。
「アーリア様?」
アーリアの配下でエイローズの書記君を務めた青年がアーリアに声を掛ける。アーリアは振り返って微笑んだ。唇を釣り上げたその姿は艶やかでありながら悪いことを考えていそうな顔でもある。
「さて、皆忘れているけれど、はたしてアイリス様は本当に聖女であらせられるのかしらね」
アーリアはそのまま歩きだし、事情を呑み込めない書記君が慌てて後を追う。
「アーリア様?」
「ふふ。なんでもないわ」
アーリアが当主になって、アーリアは現砂礫大君であるアルカン=エイローズに退位を勧めた。アルカンはその進めに従い、退位を表明し、表舞台に出てくることはめったになくなった。
ジルドレは前大地大君であるルイーゼのグラファイ=ルイーゼが亡くなった前後に、体調不良の弟であるジルガラ=ヴァンの代わりに当主を勤め始めた。
二家は一人がその権力を一手に担う形になって、互いにけん制し合っている。ルイーゼ家のみ、王を無くし、そのままの状態が続いている。アイリスは全大地大君のグラファイが亡くなる前から当主になっており、表面上問題なく当主を務め続けている。
しかし。
誰もが気付かない。誰もが忘れている。
――アイリス=ルイーゼが最年少で当主になってしばらくして、当時国権を担った大地大君であるグラファイ=ルイーゼが事故死したことを。
権力を一手に担っているのは、ルイーゼ家も同じだ。
「つつけば何が出てくるかわからないのはどの家も同じことよ」
アーリアはそう言って人知れず静かに笑った。
王宮の執務室に戻ったジルドレは一息つきながら溜息をついた。
「ジルドレ様、お疲れ様です。当主会議でなにか?」
付人が不安そうにお茶を差し出しながら問うた。
「神官長から連絡や占いはないか?」
「はい。ございません。予兆もないとの事ですが……」
「そうか」
ジルドレはそう言って椅子に深く腰掛けた。鍵の掛かっている引き出しから黒い封書をとりだした。その中身をしばらく眺め、眉間に手を当てる。
「何故、他国の占い師が予言し、我が国の神官が見通せぬのか……。魔神様のお告げは一体我々にいつ降りるのだ?」
その黒い封書はお世話になっている人間には有名すぎるものだ。闇の大陸に住んでいる『世界の中心に座す星占師』との異名を持つ、一度も占いを外さない占い師からの返答だ。
ドゥバドゥールは定期的に災厄が国に降りかからないか、かの占い師に占ってもらっている。国事を占うのに自国の神官では事足りないのは恥ずかしい限りだが、闇の大陸の占い師の腕が良すぎるという点もある。
黒い封書は三部用意され、各王家の当主に届けられる。それによって大きなもめごとを近年は起こしていない。実績のある占い師だ。
その占い師にジルドレは王として個人的に依頼をした。
――ドゥバドゥールの次期王はいつたつのか、と。
その返答はこうだった。
『一人はすでに居る。二人目はすぐに。三人目も待たせることなく。三人の次期王は遅くとも今年中にそろう――』
「本当に?」
ジルドレはそうして、背後にそろう大綱集の背表紙を見つめた。まぎれもない大綱集の写本である。
「決断せねばならぬ」
今年中に王がそろうという予言。今年は残り半年しかない。そして、キィ、ミィの誕生月を再来月に控えている。
「神官長に命令を出せ。来月の吉日を選べとな」
ジルドレはそう言って重い溜息と共に、立ち上がった。控えていた付人もその言葉ではっとする。
「では、ついに……」
ジルドレは頷く。
「我ら神事を司ったヴァンに生まれし、使命よ。このままではなるまいて」
ジルドレはそう言って窓際に立ち、神殿のある方角を眺めて言った。
「来月の吉日、キィを魔神への生贄として儀式を執り行うよう、命令を出す。時間を見繕ってキィにも会いに行かねばなるまいな」
「……! では、キィ様は……」
「当主の候補からは外す。次期ヴァンの当主は我が愚息のティズかミィになろうな」
あまりにもどちらも心もとない。しかし、キィは神子なのだ。これ以外の選択はない。ジルドレとて苦渋の決断だ。
「それが神子に生まれたものの定めよ。キィも思えばこの時代に生まれついたのが……否、これこそが魔神様の思し召しと思わねば。神子を授けてくれたことこそ、我らヴァンの幸いと、な」
本人の預かり知らない所で運命が一つ、一つと決まっていく――。
ヴァン家のミィとキィの隠れ家にセーンが居ついてはや一週間が過ぎた。久々に湯あみも行え、衣服も改めたセーンはかなり小奇麗になり、年相応に見えた。血色も良くなっている。栄養状態が格段に良くなったのだ。
「次はこれ、これをお願い!」
明るい声が響き、セーンが渋っている声もする。
「あら、元気そうね」
ミィが楓に手を引かれて現れた。
「よーぅ、ミィ」
セダが手を上げる。実はやる事がないセーンはここで砂岩加工に精を出していた。そこで暇つぶしを兼ねて、水の大陸御一行様に、お守り石を創っていたというころなのだ。
ミィがやってきた時は光がセーンにもう一つお願いしているところだった。
「やあ、ミィ様」
セーンが声を掛ける。
「ねぇ、同じ王家同士様付けはどうなの?」
セーンが肩を竦める。
「そうは言っても、俺は一般市民と同じ立場だからな。どうしてもヴァン家の直系のあなたにはねー」
敬語だってやっと取れてきたくらいなのだ。
「まぁいいけれど」
ミィはそう言ってセーンが元気そうかを確認すると頷いて楓を見た。楓も頷いてミィの手をとった。ミィはこれでも直系の人間として仕事をたくさん抱えている。セーンに不自由を掛けていないかを確認しつつ、あいさつがてら様子を見ている。
セダたちもいつまでも小屋に隠れているわけにはいかない。セーンと仲良くなった光と、目くらましを維持するためのリュミィを除いて、ヴァン家の屋敷に戻っている。他に一人か二人ずつ様子見に戻る位だ。
セーンは久々に落ち着けたらしく、深く眠れたと言っていた。食事もまともなものに在りつけたのは久々だと言っている位で、いつもどんな生活をしていたのかとこちらが心配してしまったほどだ。
「じゃ、またね」
ミィはそう言って屋敷に帰っていった。セーンはその背を見つめ、少し考えている風だった。
その晩、セーンはなかなか寝付けなかった。下の階では光とリュミィが健やかな寝息を立てているはずだ。小さな窓から仄かな赤い月明かりが漏れている。今は陰の炎月ゆえに、夜にぼぉっと赤い月が浮かんでいる。
この世界には六種類の月が約三十日ほどの周期で巡る。各魔神が守護する月が代わる代わる夜空を照らし、その月が出ている間を陽歴と言う。陽歴は昼間に月が出ている暦。三十日ほどで一つの月が満ち欠けを行い、次の月が顔を出す。
陽歴の光月が朝日と共に出始めると新年とする。光月、闇月、風月、土月、水月、火月で六カ月だ。それぞれ光月が白、闇が光を放つ不思議なうす暗い黒い色、風が緑、土が黄色、水が青、火が赤い光を放つ月だ。
陽歴が終わると、暦は陰暦に替わる。陰暦は夜に月が満ち欠けを繰り返しながら出ている期間だ。陰暦は陽歴と逆の順番でそれぞれの月が姿を現す。
つまり、一年は陽歴の光月から始まり、闇、風、土、水、火となり、陰暦に変わって火月、水、風、土、闇、光月で一年が終了する。一月は月が朔日から満月へと至り、再び朔日までの一周を一月とする。
魔神が守護する大陸に生まれたことが魔神からの祝福となり、そのエレメントの主色と従属色の髪や瞳の色を持つ場合が多いが、それ以外にも生まれた時期、どの月が出ている時期に生まれたかによっても作用すると言われている。
セーンが生まれたのは陰の風月だから緑の目を持っているということもある。
その夜闇にうす暗く光る赤い月は妙に心をざわつかせた。
「……」
セーンは己の胸元を抑えて考えている。
そこに窓から届く月明かりがふっと途切れた。雲が隠したかとセーンが視線を上げると、そこには人影が映っている。
「っ!!?」
驚いて窓から身を離すが、そこから覗いた顔を見て、セーンは安心して窓を開け放った。
「テルル!」
「よ!」
軽い挨拶と共に身軽な動作で入って来たのはセーンと同い年くらいの少女にしか見えない。金髪は赤い月光を跳ね返してわずかに赤く見える。淡い光の中で紫色の眼が悪戯に笑っていた。
「いやさ、お前がエイローズに捕まったって聞いたから心配してたんだけどな。まさかヴァンに匿われているとは」
セーンはテルルが入室したので窓を素早く閉めた。ここは二階だとか、どこからその情報をとかそういう事はこのテルルの前では問題外だ。
「いや、こっちも成り行きで。エイローズから助けてくれたのがミィ様でさ」
「よかったな。王家では一番と言っていいほど、裏表のない御仁だぞ」
テルルはそう言って笑う。
「で? お前どうするつもり? いつまでもここで匿われているわけにはいかねーだろ」
「迎えにきてくれたの?」
テルルは答えずに笑っている。
「……なんだ? 言ってみな。お前の親友にしてこのお兄さんに」
テルルのこういう態度に何度救われてきたことか。十四で王紋が出現し、十五を数える前から逃亡生活を始めた。この二、三年は両親には一度も会っていない。サルンの山並みや村が懐かしかった。
「悩んでいるんだ。王として立つべきか」
テルルは驚いた顔をする。今までわけもわからず逃げてきたセーンが、逃げるかこのままヴァン家で匿われるかで悩んでいるのではなく、物事の根本で悩んでいるとは。
だが、テルルも考え直す。もともとこういう実直で素直な性格のセーンだ。王紋が出た瞬間から考えないように、テルルや両親が逸らし続けてきたから逃げていたともいえる。王と言うことに向き合ってみたのだろう。
「俺が王になって、何が一番問題だろう。俺を殺そうとする相手は何を思って俺を狙うのか。テルルと別れて考えていた」
セーンとテルルは襲撃にあってから半年は一緒に逃亡生活を続けていた。それはセーンに逃げ方と変装の仕方を教える為だ。簡単な護身術も半年でセーンに叩き込んだ。その後テルルはセーンに変装し、少しでもセーンの危機を減らすよう、二手に別れて暮らしていた。
穏やかな争いから最も遠い場所で育った少年にとって、身を偽り、人をだまし、隠れて生活する事は苦労よりも苦痛の方があっただろう。自分のせいで祖父と慕った人物が殺害され、両親は危機にさらされている。なによりも自分の命が狙われている。
それなのに、彼はちゃんと真っ直ぐなままだ。運命を恨まず、憎まず、前に進む事を考えている。
「で? 答えは出たのか?」
テルルの問いかけにセーンは首を横に振るのみだ。
「わからない。情報がなさ過ぎて。俺は何も知らないうちに村を出て逃げたから」
セーンの顔が月明かりに照らされたまま、真剣味を帯びている。
「まだ時間があるだろ。悩めばいいじゃねーか」
「そういうわけにもいかないんだよなぁ……」
セーンが呟いた。その声があまりにも真面目だったので、テルルは意外に思った。
「どうした? お前」
「うん。ここまでやっかいになっているのに、ミィ様に何も返すことができないのがちょっとね」
「どういう事情?」
テルルの問いに答えようとした時、扉をノックする音がした。
「セーン? どうかした?」
扉の外から聞こえる声は幼い女の子、光のセーンを案ずる声だ。夜中に声が聞こえるから目覚めてしまったのだろうか。セーンがびくっとして扉の方を振り返る。
「あ、光!」
セーンが慌てるのに対するし、テルルは余裕で笑いながら扉の方を見ている。
「どうしたの? 声がしたけど。開けるよ?」
「あ、ちょっ……!!」
がちゃり、と扉が開かれる。光の背後にはリュミィもいた。リュミィはほっと一息つく。
「ティーニさん? こんな晩にいかがなさいましたの?」
セーンが振り返るとそこにはテルルの可憐な少女の姿はない。ミィの付人であるティーニの姿になっていた。さすが千変との名が付くだけあって早技の変身だった。少し驚いたものの知っていたから、セーンも隠れてほっと溜息をついた。
「……違う。あなた、誰?」
光はテルルを見て、疑わしそうに尋ねた。
「え?」
光に向かって困惑な表情をするテルル。テルルの変身を見破った人物はいないからだ。
「あなたティーニさんと魂の形が違う。あなた、誰なの?」
「そういえば、こんな真夜中に楓を伴わないであなただけでいらっしゃることもおかしいですわ」
リュミィが警戒して光を庇うように前に出た。
「あ、違うんだ! 彼は俺の知り合いで!!」
セーンが慌ててテルルの前に出る。
「どういうことですの?」
「テルルは俺を心配して来てくれたんだ」
「テルル? あなたを助けたと言う世界傭兵ですの? まさか?」
セーンの言い分にリュミィが怪訝そうな顔を向ける。
「はーん。その子は魂見が出来る宝人か」
テルルがそう言ってゆっくり立ち上がるとそのまま皆から背を向ける。
「じゃ、ばれちゃうのも無理ないな」
そういって振り返った瞬間、テルルの姿はもとの可憐な少女に戻っていた。そのあまりの変わり身の早さと見事さに光とリュミィが驚いてぽかんとしている。
「くしし、これだから変装は止められないな」
少女は朗らかに笑う。
「驚かせたね、お譲さん方。俺はテルル=ドゥペー。趣味は変装の18歳乙女でっす! お仕事は世界傭兵、よろしく!」
ブイサインと共に自己紹介するテルル。あまりの軽さに二人とも呆気にとられており、セーンは慣れているのか軽く苦笑している。そして軽く突っ込んだ。
「誰が18歳乙女だよ。大うそつき」
「おいおい、世界傭兵千変様だよ? 個人情報はシークレットに決まっているでしょう!」
「はいはい」
そのやり取りに光の笑い声が弾ける。そしてリュミィもくすくすと笑う。
「信じるよ。あなた魂がきれい」
光が笑いながら部屋に入ってくる。リュミィも安心したようだ。
「ちょっとやっかいになるよ。これでもセーンは俺の命の恩人かつ親友だからさー。心配でね、様子見」
手を上げながら言うテルルはあっけらかんとした様子で逃げも隠れもしない。
「っつーわけで俺もしばらくここでやっかいになっていいかな?」
「はぁ……わたくし共は構いませんが、一応ミィに確認いたしませんと。明日をお待ちいただけます?」
「うんうん。こちらもこんな夜分にごめんねー。いや、俺も逃げている身だからね。夜中しか移動ができないわけで。迷惑掛けたね」
テルルは始終笑顔のままセーンに視線を送った。セーンはリュミィと光に頭を下げた。
「わかりましたわ。では」
二人はそう言って静かに扉を閉める。セーンは肩の力を抜いた。
「よくそううまく事を運ばせるな」
テルルはセーンに言われて笑う。
「お前とは人生経験が違いますから」
「はいはい」
テルルはうーんと伸びをするとセーンの横に寝転がった。
「ま、俺も疲れているし。今日はもう寝ようぜ。お前も寝れる時に寝ておけ」
「ああ」
セーンも頷いて横になった。ただ眼を閉じても、一つの悩みが尽きない。
――王になるべきか、という物事の根本への答えを。
...068
いつもの様な日常を過ごしていたキィとカナの元に顔色を変えたファゴがキィを呼びに来た。カナは素振りをする手を一端止め、深刻そうな顔をしているファゴに、どうしたと聞こうとした。
「キィ様」
キィは本を閉じて立ち上がる。
「……ジルドレ様、いえ、岩盤大君陛下が、お見えです」
「そうか」
キィは頷くに留め、着崩していた神官服をきっちり着こむとファゴを伴って素早くキィは部屋を出て行った。
「どうしたんだろうな、二人とも」
カナがそう言うと、ファンランが不安そうに二人が出て行った扉を見つめる。
「もしや、カナ様」
「ん?」
「いえ、お二人をお待ちしましょう」
「……? ああ」
付人であるファゴは部屋の外で待機の体制を取る。同室はできないのだ。キィはファゴの肩を軽く叩いて部屋に入る。
「おはようございます。キィ、まかり越してございます」
入室して正式な拝礼を取るその姿は、厳粛な神官見習いそのものだった。
「よく来ましたね。キィ様。さぁ、こちらへお掛け下さい。陛下も御待ちでございます」
神官長が告げ、キィは頭を上げると立ち上がって示された席に着いた。
「お久しぶりにございます、岩盤大君陛下」
席について、一番の上座に座っている初老の男性に頭を下げる。
「よしてくれ。久々に顔を見せるのだ。そうかしこまらずともよい。いつもの様に叔父様とでも呼んでくれ」
「はい。ジルドレ叔父様」
「神官長よ、うちのものがいつも世話をかける。どうだ? キィやティズの様子は?」
「それはもう……」
「よして下さいよ、叔父様。そんな本人を目の前にしたら、神官長もお答えしづらいでしょう。私のいない時になさって下さいよ」
キィが笑ってたしなめた。
「それもそうか。すまないな、神官長」
神官長は居づらそうだ。外見からして強面のジルドレを苦手に思っているのかもしれない。
「お二人で積るお話もおありでしょう。陛下、わたくしは隣室に居りますので、何かございましたらお呼び下さいませ。では、こちらを」
神官長はそう言って畳まれた封書をジルドレに手渡し、足早に去っていった。
「なにもそう邪険にせずともよいのになあ、キィ?」
「ははは。お気を使われてしまわれたようですね」
キィも二人きりになった事でようやく本音で話せる。ジルドレに向かい合った。
「で、突然のお越し。一体何をたくらんでいらっしゃいます?」
「相変わらず身内には核心をついてくる。まぁ、時間がないのを気遣ってくれているのか」
ジルドレはに苦笑いしつつ、封書を開いた。そしてそれをキィに差し出す。キィはそれを見て、しばらく黙った。
「これは? と聞くのは、愚かな事でしょうか?」
キィは静かにそう言って封書を伏せた。
「さすがよの。わかっているか」
「さすがに、わが身がこの場所にある事を考えれば」
キィは黙る。ジルドレも無言だ。
「神官長に占わせた。そこに記される来月の吉日、生贄の儀式を行う」
「我が身も残り二十日程度ですか」
キィはさすがに堪えたのか、上を向いて溜息をついた。
「済まない。我らヴァンの責務ゆえ、神子として使命を全うしてくれるか」
キィは眼を伏せて答えない。
「もう少し先だと思っておりましたが、ずいぶん早急にお決めになられましたね。もっと前に事前のお話くらい頂けるものと思っておりました」
ふぅっと少しも隠す様子もなく溜息をつく。
「急なこととなって済まないが、他家や国民を押さえておくのももう限界なのだ。現在の大君も私一人だしな」
「御一人で国を支えてこられた御苦労は私では察することもできませんが……」
キィも言葉がなかなか続かない。
「お前には次世代のヴァンを支えてほしかったのだが……私としても残念だ」
「それは私が次代の当主に、ということですか?」
ジルドレは重く頷いた。だが、キィは神子だ。現在も次期王が立たない。ゆえに生贄として魔神に捧げられる。
――今のままであれば、キィに未来はない。
「これからお前は残り少ない時間をできるだけお前の自由取り計らうつもりだ。何か望みはあるか?」
呆然としてキィが言う。
「のぞみ……?」
「そうだな。もう神殿に居らずとも良い。ヴァン家に戻るか? 久々にミィにも会いたかろう」
キィはしばらく額を抑えながら黙っていたが、ふっと窓の外を眺め、口を開いた。
「いえ。神子として選ばれたからには最後までこの身は神殿にあるのが良いでしょう」
ジルドレがさすがに驚いてキィを見返す。
「ただ私の自由にして頂けるなら、ミィを、ミィのことをお願いしたいのです」
「ミィのことか?」
キィは頷いた。
「ご覧の通り、ミィは王家には不向きです。しかし生まれついた家は、運命は誰も選べません。私が神子に選ばれた事も。だからこそ、ミィの将来の自由を私は望みます」
それだけは意志を通しておきたい。キィの目線がジルドレを射抜くように見つめる。
「ミィの自由? それはどういう意味だ?」
「ミィは王家の直系の人間です。責任も重い位に将来就かねばならないでしょう。結婚も自由にはできないと思います。でも、私はミィにいつでも笑っていて欲しい。ミィの笑顔が、その素直でまっすぐなその性質こそがヴァン家で最も必要で、人に好かれるところだと思います。ミィの自由を家が縛ってはいけない。それではミィの良さを殺してしまう。私は私が将来、ミィが自由にあれるよう支えるつもりでした。しかしそれが叶わないなら、ミィが自由であるよう、それだけを私は望みます」
ジルドレは驚き、キィを見返す。
「お前はミィの事をそんなに考えておるのか」
キィはそこで朗らかに笑う。
「先程、叔父様は私が次の当主に相応しいと仰いました。私の考えは違います。ミィこそが、次代のヴァンを担うに相応しいと思っています」
「ミィが、だと……?」
思いもよらない名前にジルドレがキィに訊き返す。
「はい。私の様に少し頭の回転がよい人間はどこにでも居ります。小手先で何事もできるような小物はいつの時代でも居るものです。しかし、ミィは違います。たとえ知識が足りずとも、ミィは誰もがミィのために動こうと思わせる力があります。力が足りずともそれを補うだけの味方を、部下をそろえる事ができます。何より、敵を作らないその行動こそ、誰にでもできるものではありません」
ジルドレは半ばあきれつつ、驚きながら呟く。
「お前はミィに次期当主を推すか」
「いいえ。それはミィ次第です。私が決められる事ではありません」
キィはそう言って首を横に振る。
「私の望みはただ一つ、ミィが自由である事です」
「なぜ、そこまでミィを気遣う? 双子とはそこまで情が深いものか?」
キィはそれこそ笑いながら言いきった。
「それができるからこそミィの力です。俺がいない未来、ミィの事を頼めるのは父様か叔父様しかおりません。ミィの事を頼む為、残りの一カ月私は神殿で力を尽くします。次世代の砂礫大君はヴァンから出るでしょう。誰がなっても万事事が運ぶよう、神殿の把握はほぼ済んでいます。今はルイーゼ家の当主、アイリス様の付人である青年に取り入っております。ルイーゼとのパイプはそれで成りましょう。些事はすべて私が片付けると約束します。ですからミィの事だけはどうか……。死人とはいえ約束を破らねば、神子という特殊ゆえ、どうなるかはわかりませんよ?」
少し早口になりながらキィが告げる。
「そなた、大君であり、実の身内であるこの私を脅すか」
くくくと笑うジルドレに慌てて手を振って否定するキィ。
「いえ、そのようなつもりは」
「わかった。お前がミィのことをどれだけ本気かはわかった。しかし、神殿内の把握は愚息に命じたはずだが、まさか入って浅いお前が成し遂げようとは」
キィは肩を竦める。
「そこまでの大事ではありません。今は砂礫大君がおりませんから」
キィはそう言う。カナが驚いた位、キィはあっという間に神殿を自由に動かした。
「大事ではないと抜かすか。まったくその才、本当に惜しい。お前ならあの魔女の小娘とやりあえるのにな」
キィは少し思案する顔をした。
「アーリア様、そこまでの者ですか?」
「小憎たらしい位にはな。人の痛いところを遠隔に突くのが巧い小娘だ。口先の達者なエイローズらしいといえばそうだな」
「さすが聡明なお譲さまですね。では後の憂いをなくすべく、少しの自由を許して頂ければエイローズへも手を打ちましょうか。私が生きているうちに」
「それには及ばぬ。お前には残りを自由にヴァンも関係なく己のしたい事だけを思っておればよい。それにエイローズはミィの方が手を出しておるようだしな。少しそれを見守ろうかと思う」
「ミィが?!」
笑いながらお茶を掲げ、ジルドレが言う。
「あの小娘とお茶などをしたようだ。口車では負けようが、意地だけは通しそうだろう?」
ジルドレの笑みに本気でミィを見守る気があるのか、見極めようとするキィだが、それよりもアーリアに接触したミィがまた暴走していないか、そちらの方が心配だ。
「気になるか?」
「いえ。ご迷惑をおかけしていないなら良いのですが」
「そうだな。迷惑を掛けるようなことがあれば、エイローズに借りを作る事になろう。その前に止めるが。それよりは私はあの小娘が何を思ってミィに近づいたか、その方が気になるがな」
キィはお茶を飲みながら瞬時に思考する。
「そこまでお気になさらずともよいのでは? おおむね次期ヴァンの当主候補に辺りを付けておこうと考えた程度だと思いますよ」
キィはそう言う。各家はそれぞれ次期当主を考えていろいろ各策を始める時期だ。自分に何も来ないのは神殿に入っているせいだ。そう考えるとカナの性格さえ利用してキィに接触してきたアイリスはアーリアよりわかりにくい。ちらりと時間を確認し、ジルドレが言う。
「そうか。話が動いたが、生贄の儀式の件は了承してくれたと思ってよいな?」
「はい。謹んでお受けいたします。ヴァンの当代の神子として、勤めを果たして参る所存」
「そうか。この事は触れを出す。よいな?」
「……はい」
キィはそれで少し思いついたように言った。
「触れを出すということはいろいろありそうです。面会は謝絶にしていただけますか。神殿にて儀式まで祈りを捧げるということで」
キィが生贄の儀式を行うと分かれば各家だけではなく様々な貴族など何からかにまで、様々な者が面会に訪れ、心ない言葉を落として行くだろう。それはキィにとってかなり不愉快だ。それ以上に面倒そうである。
誰もが行われる事無い初めてといっていい生贄の儀式を表面上は同情しつつ、内心は好奇心でいっぱいなはずだ。そんなのは反吐が出る。
「そうだな。お前の心情を考えるとそれは当然か。神官長にも言っておく」
「ありがたき御心遣いです」
「ジルガラは後で伝え、ここに呼ぶとして、女であるミィはどうする? 落ちついて話すにはやはり一度位ヴァン家に戻ってはどうだ? お前も生まれ育った場所をもう一度見たいだろう?」
それまで微笑みながらも会話をつづけていたキィだったが、その言葉が出た瞬間、動きを止めた。表情も固まっている。
「……ミィへの別れを言わぬとはさすがになかろう? さすがにそんなことをすれば私がミィに恨まれる」
「ティズ様から伝わっていると思いますが、ミィは一度私を神殿から攫おうと致しました」
「聞いている」
キィは初めて辛く、苦しい表情を浮かべる。
「現実味が帯びた今、もう一度ミィにその手を差し伸べられたら、私はその手を取らない自信が……ありません」
ぐっとテーブルの下でキィは拳を握りしめる。
「お願いします。儀式のその当日まで絶対私とミィを会わせないで下さい」
「何故だ! ミィを一番に思っているのだろう」
ジルドレの感情を込めた声に、キィも押し殺した声で返す。
「だからです! ミィと会って話し、もし、ミィに泣かれたら……俺は!! 俺はっ! ……死ぬ覚悟が揺らぎます。儀式から逃げ出してしまう。きっと! 俺は投げ出してしまいます。決意がきっと揺らぐ。だから、ミィと会うのは、もう逃げられない状況の最後の最後でいいのです」
キィはつらそうにそう言って視線を下に向けた。慌ててジルドレが肩を叩く。
「いえ、取り乱しまして、申し訳ありません」
キィはそう言って頭を下げる。ジルドレは鷹揚に頷くと席を立った。キィも続いて立ち上がる。
「では、もう少しお前と語っていたいが……残り、自由に達者にな。望みは出来る限り叶える。いつでも言うと良い。また、来る」
「ありがとうございます」
扉の側で控えるファゴに気付くとジルドレは一声かける。
「キィにしっかりと仕えよ、ファゴ」
「はい」
ファゴは拝礼したまま、ジルドレを見送る。
その後キィと共にジルドレを見送るとカナの待つ自室へ無言で戻った。扉を開けるとカナとファンランが心配そうな顔を向ける。キィは仕方ない時に見せる独特の笑みを見せると襟元を緩めた。
「あのさ、何だったんだ?」
カナは口火を切る。キィは定位置に戻って寝転がると、読みかけの大綱を開いた。
「んー。俺、来月の吉日に生贄の儀式受ける事にしたから」
さらりと言う。ページをめくる音が部屋の中に響き渡った。
「はぁあああ!!?」
カナが叫んだ。ファンランも眼を丸くして、ファゴを見つめる。
「おい! お前、それって!!」
「ん? 聞いた通り。俺、来月死ぬから」
カナはキィに駆け寄って読んでいる大綱を手から叩き落とし、胸倉をつかんだ。
「本気で言ってんのか?!」
キィはやれやれと溜息をついて、カナの手をゆっくり外させた。
「乱暴だな。本気だよ。俺が神殿に入っているのは元々その為だぞ? 当然のことだ。まぁ、そろそろとは思ってたんだよ。俺、再来月誕生月だしさ」
カナが信じられない目でキィを見る。
「誕生日……お前、いくつになる?」
「十九になる。王に選ばれる可能性が消える日だ。まぁ、本当は誕生日を迎えてから儀式の話が来ると踏んでたんだが、きっと何かあったんだろうな」
キィは平然とそう言う。
「お前、なんでそうなんだよ! お前、死んじゃうんだぞ?!」
「そうです。キィ様! 何故ですか?」
ファンランも心配そうにそう言った。対するキィはジルドレの前でつらそうにしていたのが嘘の様に平然としている。
「いやさ、さっきまで俺も死んじゃうのかー。短い人生だったなぁとか考えてたんだけど。お前の顔見て思い出したんだわ」
キィはそう言ってカナを指差した。指差されたカナは当惑している。
「ああ、俺には『保険』があった、ってね」
キィはカナに向けていた人差し指を己の項に持って行ってとんとんと叩きながら示す。
「あ、そうか」
カナも思いだして少しほっとした顔をする。
「じゃ、俺今すぐにでも、王紋を見せて宣言すれば……!」
キィは落とされた大綱を拾ってそれをカナの頭に落とした。鈍い音がしてカナが瞬時に呻く。
「はい、却下ー」
「ってぇな! なんでだよ!!」
キィが呆れて口を開いた。
「お前、なんでここにいる面子以外に王になったことを教えるなっつったか忘れた?」
「そりゃ、俺が危険だからだろ?! でもさ、お前が死ぬってのに、そんなこと……!」
キィは苦笑する。神殿に来ていいことがあったとすれば、カナと友達になれた事だろう。
「言っただろ? お前は俺の保険。俺も早々死ぬつもりはない。お前は最後の最後に俺を助けてくれればいいんだ。お前が安全に王になる為に、残り一カ月死力を尽くしてやるから。まぁ、見てな」
キィはそう言う。カナは信じられない。残り一カ月しかない人生を、カナのために使うと言う。いや、本人は死ぬ気はないようだが。
「なんでだよ? お前、何をするつもりなんだ? 俺が王と言えば何がそんなに危険なんだよ?」
キィはそう言われ、身を起こし、カナに言った。
「俺は以前エイローズの次期王が逃げているかもしれないからお前も危険と言った。その理由はわからない。だけど、たぶん、この謎を解くと全てが一気に解決する、そんな気がするんだ」
広げられた大綱を見つめ、キィは呟いた。
「それにさ、もしもだけど。もしも、本当にエイローズで王が立っていないなら、おれが神子として役目を全うしなければいけないんだ。本当に」
「え」
カナもファンランもキィを見つめ返した。
「だってさ、絶対いるとは思うんだけどみんな俺の思い込みで、本当にエイローズに次の王がいないとしたら? 魔神に請うのは神子である俺の役目だろ?」
ファンランは呆然としてキィに言う。
「それは……それでわざわざ儀式を執り行うのですか?」
「まぁね。形だけでも国民には必要だろう。民の憂いを晴らすが、王家の責務ってね」
キィはそう言ってへらっと笑う。
「それにせっかく選ばれた新しい大君を暗殺なんて残らない形で失う訳にはいかない。お前には本当に次の岩盤大君として立ってもらわないといけないんだ。その為にはこのしこりを払う。まだまだ可能性と選択肢が多すぎて絞り込めないのが現状なんだが、残り一カ月でどこまで詰むかが勝負だな」
キィはそう言う。カナからすればキィが何を思い描いているかさっぱり分からない。
だが、一つだけ分かった事が在る。その証拠にファゴも諦めた様子で溜息しかついていない。
――キィは神殿の暗部に踏み込もうとしている。
その証拠に今、集められるだけの大綱の複写本を手元に取り寄せている。
この神子、ラストダッシュで何をやらかすつもりだ??
...069
テルルがセーンを匿っている小屋に居候して二日経った頃、ミィとテルルは初めて出会った。ミィは有名なテルルと出会って感激し、興奮した様子だったが、テルルの存在を知らない水の大陸一行にとってはすごいらしい少女が来た、という印象しかなかった。
それを見て当のテルル本人ががっくりしていた。千変という二つ名を持つ姿を隠すのが十八番のくせに、目立ちたがりというか。セーンが呆れていた。
という調子で、すこぶる明るい調子で毎日が続いていたのだが、ミィが次にセーンの前に姿を現した時は、それは皆が気遣うのを通し越して、心配するような消沈ぶりだった。突然の豹変に誰もがミィを案じた。
「ミィ? どうしたんだ? さっきから溜息ばかりだぞ」
セダがそう問いかけると、慌てて笑顔を取りつくろって何でもないと言う。セダたちにはさっぱり事情が呑み込めないが、ミィに何かあったことだけは確かだった。
その原因は久々に街に出たグッカスとテラによって判明した。
「おい、まずい事になりそうだぞ」
グッカスが帰宅早々セダやヌグファを集めたことからもそれはわかる。
「どうしたんだ?」
セダたちは自室にこもってグッカスの話を聞く体制になる。
「超大変! どうやら、キィが生贄になるらしいの! 街中その話題でもちきり。来月にヴァンの神子が次代の大君を願って祈りを捧げるって……そういうことでしょ?」
テラもそう言う。その瞬間ここ数日でげっそり痩せたミィの姿に得心がいく。
「なんだって?!」
セダは信じられない顔をして二人を見るが、二人は至って真面目な様子だ。
「じゃ、ミィは……」
「お元気がない様子はそういうことですか」
ヌグファは口に手を当てて、驚いていいやら心配していいやらという顔をしている。
「どうすんだよ?」
「どうするも、こうするも……ミィが何も言ってこないってことはよ、私たちには秘密にしようとしてるんじゃない?」
テラがそう言う。確かに、前に救出作戦を失敗したセダ達を気遣っているのだろうか。
「いえ、違うんじゃないでしょうか」
ヌグファが考えながら言うと、テラとセダが答えを求めて視線を向ける。
「私たちではなく、セーンさんを気遣っていらっしゃるのでは? 私たちに伝われば、きっとセーンさんにも気付かれてしまうと思っての事じゃないかと思うんですけれど……」
ヌグファがそう言った瞬間、皆が納得して大きく頷く。
「そうかも!!」
「だな!」
「そうか。よく考えればミィなら俺たちに今度こそって頼ってきてもいいくらいだ」
ミィの双子の弟キィが生贄の儀式を執り行うと知れれば、王に選ばれているセーンはヴァン家にいることはセーンの性格からきっとできなくなる。今でさえ先行きのわからないまま、セーンも悩みながらヴァン家にいる状態なのに、そんなことが知れたらセーンはきっとヴァン家からは姿を消すだろう。
「じゃ、どうする?」
そうとなれば、セーンの前でキィの事を聞いたりは出来ない。
「どうするってもね、何かできるわけ? 私たち」
テラが一行を見渡す。互いに目を会わせる。
「でもさ、何かできるはずだろ?」
キィが拒否したとはいえ、ミィの願いを叶えることができなかったのに、ミィは一行をもてなしてくれた。それどころか巻き込んで悪いと謝ってさえくれたのだ。
「何かしてあげたいわよね」
「はい!」
「……今度こそキィを連れてくるか? おい、今度こそ誘拐犯にでもなるつもりか?」
グッカスがそう言う。そこでセダはうなだれる。確かに、一学生の自分達がもしできたとしても、誘拐まがいのことをして無事とは思えない。キィの傍には凄腕の剣士の少年もいたことだ。
「難しいよねー」
テラもそう言って頭を悩ませる。
「俺たちに出来る事などないに等しい」
グッカスも悩みながら言う。ミィに何かしてあげたい。ただ黙ってキィを死なせたくはない。
「楓の転移みたいにぱっと連れてこれたらいいのにねー」
テラが呟く。その瞬間、セダが言った。
「それだ!」
「え?」
テラがセダをうろん気な視線で見た。
「儀式ってことはさ、処刑じゃないんだから隙くらいはありそうだろ? その瞬間さ、楓に転移してもらえばいいんじゃねーの?」
「え? 結局誘拐するってこと?」
テラが笑いながら言う。セダらしく単純すぎる考えだから笑えてしまう。セダは何故か自信満々に言う。
「だって、そしたらキィは助かるだろ? ミィも泣かなくてすむじゃねーか」
「いやいやいや!! ちょっと待て! お前、本気か?!」
グッカスが額に手を当てて、このバカどうしようと言いたげに言う。
「なら、グッカス他にいい案あるのかよ?」
「いや、いい案と言うかだな……」
「テラにはセーンがいる小屋でも遠く離れた場所でもとりあえず離れた場所にいてもらってさ、楓にぱっ、ぱっ、って転移してもらえばいいんだよ」
グッカスが呆れて返って深い溜息をついた後、わざわざ大きく息を吸い込んで怒鳴った。
「馬鹿か! この国は魔神が王を選ぶ。その王が選ばれないから国民の悲願を背負って神子が生贄になるんだぞ! その国の一大イベントでその主人公をかっさらうだと?! できるわけないだろ! そもそもどう責任を取るんだ! それで王が選ばれなくなったらどうする?」
セダは怒るグッカスに慣れているので、あっけらかんとして言った。
「だってセーンは選ばれてるじゃねーか。魔神が選ばないってことがまず間違いだろ。キィは知らないから死にに行くようなもんじゃねーか」
「……確かに」
テラが頷いた。その点は正しいのでグッカスも言葉に詰まった。
「だろだろ」
うきうきとしてセダが言う。
「あ、でもいけるかもしれませんよ?」
「ヌグファまで!!」
グッカスが最後の砦が落ちたと言わんばかりに絶望的にヌグファを見る。その様子を視界に入れ、ヌグファが済まなさそうに肩をすくめつつ、言った。
「話を聞く限り、生贄の儀式は近年行われていない、いわば伝説的な儀式みたいです。なら、国民の皆さんが儀式の詳細を知る筈がありません。と、言う事はですよ? セダが言ったように転移で瞬間移動したように見せかけてキィさんの姿が消えれば、魔神の生贄に選ばれて姿を消した、と見せる事が可能じゃないかと思うんです」
「さっすがー!」
テラが手を叩く。セダも頷いて手を叩いた。
「いや、だが……」
つまり誰も知らないのだからキィの姿が掻き消えても、魔神に選ばれて姿を消したと思わせればキィは死なずに儀式を終えたことにできる、とヌグファは言ったわけである。
「な! 俺達にもできそうじゃねーか」
グッカスを三者の目が見つめる。グッカスは頭痛がする頭を押さえ考えた。
……お前ら勇者にでもなったつもりか? どう考えても学生団体が実行する事じゃない。確かに、ミィを思えばキィを助けてやりたい気持ちはグッカスにもある。だが、だが! 国の次期王を選ぶための儀式とやらに参入して、無事で済むのか? ……とかいうことをこのバカ共は絶対考えていない。そうだ、絶対。
――絶対そうなんだが、上手く反論できない……。
「土の魔神の生贄なのに炎が攫うのはおかしくないか?」
現実的に計画の穴を突く辺り、もう実行は半ば決定されたようなものだ。グッカスも内心はキィを助けられたらと考えていたに違いない。
「そうですね……」
楓の転移は炎を使う。炎が一瞬点る。土の魔神への生贄にそれは確かにそぐわないだろう。
「ヌグファどうにかならねーか?」
「魔法で、ですか?」
うーんと思考を始めるヌグファ。
「時間を頂ければ仕込みという形でできなくもないです。でも、炎を隠す事ができないでしょうね」
「うーん。悩みどころね」
テラが悩む。グッカスが仕方なさそうに口を開いた。
「炎を隠すよりは砂で目くらましと考えればいけるんじゃないか。派手な見た目の土魔法だ」
「ああ、そうですね。それならできそうですね」
わーいと喜ぶテラとセダ。
「待て待て待て!」
グッカスが慌てる。
「なんだよ?」
「本気でやるんだな? リスクも考えずに」
「もちろん。お前ももう、わかっているんだろ?」
セダがにやっと笑って言うとグッカスが溜息を長めについた。否、つかざるを得なかった。
「…………わかった」
「やったー!!」
三人がハイタッチを交わす。その様子をぐったりした様子でグッカスが眺めた。
「ただし! だ!!」
念を推すグッカスに良い生徒の様に手を上げて返事をするテラとセダ。
「まずは儀式を詳しく調べないと。ティーニさんやミィに訊くことも視野に入れて行動するぞ。計画が実行できそうだという事が判明してから楓や光、リュミィに話を通す。わかったな?」
「おう!」
なんだかんだ言ってセダはテラとハイタッチを交わし、グッカスが疲れた様子なのをヌグファがなだめると言ういつもの日常に落ち付いてしまった。
ミィは久々に楓に頼んでセーンの顔を見に来ていた。ミィにとって新しい弟ができたような気分でセーンは世話を焼きたくなるのだ。セーンはヴァン家の世話になって少しストレスが減ったようだ。その様子を見て安心する。
だが、キィがついに生贄の儀式を行うと言う。わかっていたとはいえ、ミィは心が張り裂けそうだ。皆、同じヴァン家で育ったのに誰ひとり異を唱えない。誰もキィを殺すことをおかしいとは思わない。ミィにはそれが信じられない。
なによりショックだったのは、キィが生贄の日のその当日までミィには会わないと言った事だ。残り一カ月しかないのに、ヴァン家にも戻らないと言う。
ここにきて、正直ミィにはキィが何を考えているかさっぱりわからなかった。そんなキィを無理矢理連れだすような真似をしても、キィは自ら生贄の儀式に脚を運んで終わりだ。
――もう、どうしたらいいかわからない。
「ずいぶんと暗い顔だな。あんたは笑っている顔がいいよ?」
ふっと気付くとテルルが隣に来ていた。先程までいたセーンは二階で光と遊んでいるらしい。
「テルルさま」
「おいおい。様はないだろって前もいったじゃん。わたしこう見えても心は永遠の15歳よ? あなたより年下なんだから」
「あ、はい。すいません」
素直に謝るとテルルが困ったように肩をすくめた。
「相当だな。今のは突っ込みどころだが。で? 何があったよ? お譲さま」
テルルがふわりと微笑んで尋ねる。確かにお姉さんみたいだなぁとミィは思った。実際は年上でなおかつ男であるテルルなのだが。
「どうしたらいいか、もう、わかんなくて」
ぽつりとつぶやく。誰にも言っていなかったのに、自然と口から言葉が漏れた。
「それはあんたの弟さんのこと?」
ばっとテルルの顔を見上げて驚く。目が久々に大きく見開かれた。
「知ってるの?」
「知ってるも何も、おれ、セーンの側にずっといるわけじゃないからね。嫌でも耳に入る」
テルルがしれっと外出していることをにおわせると、ミィはその事にはなにも言わず、違う事を焦って言った。
「あの! セーンには言わないで! お願い!!」
テルルは穏やかに尋ねる。
「なんで? セーンに王になってって頼めばいいじゃん」
ミィは力なくうなだれて言った。
「言えないわ。セーンは次期大君に選ばれたことでこんなにつらい日々を送っているのに」
「そうか、あんた優しいね」
テルルはそう言ってミィの頭をあやすように撫でる。ぽんぽん、と優しく撫でられるとその胸に縋ってしまいたい気分になった。
「もし、いえ。キィは望んでいないかもしれない」
ミィは首を振って己の考えを否定した。
「言ってみな? 誰も聞いていないから」
テルルはあくまで穏やかに優しく言う。
「セダ達に一回、キィを連れ戻してもらったことがあるの。その時は私が勝手に計画したわ。だからセダ達を巻き込んでまでやったのに、キィに拒否されて……失敗しちゃった」
悔しげに手のひらを握りしめてミィが俯いたまま告げる。
「セダたちはまた言えば力になってくれると思うの。でも、キィは私の手を取ってくれるかしら? また、私、独りよがりで……キィを助けられなかったら……!!」
テルルはそっとミィのかたく握りしめられた手を包み込んだ。はっとしてミィは顔を上げる。テルルは悪戯っ子のように笑ってミィに言った。
「ストップ、ストップ」
ミィの暗く落ち込んでいってしまう思考をその言葉で絶つとテルルは重ねた。
「あんな、誰だって親しい人間が死ぬとなれば、普通ではいられないもんよ。前に拒否られたとはいえ、前は前。今は今。状況も違うしな。あんたはあんたの思うようにしたら? 人の命がかかっているんだろ? しないで後悔するよりはよっぽどましってもんだ」
テルルは年齢不詳と冗談かどうかわからないが言っている。でもこういうアドバイスをできるあたり、テルルの人生経験が豊富と言える点だろう。その経験で今までセーンを何回も励ましてきたのかもしれない。
ミィはそのまましばらく黙りこんで悩んでいたようだが、何かを決意すると顔をばっと上げた。
「お願いがあるのっ!」
「はいな~。俺は変装名人『千変』のテルル。言ってごらんなさいませ? お金があれば、どこにでも潜り込みましょう? 依頼はいつでも受付中ですよっと」
テルルも気軽なノリで笑いながら答える。
「私が願えば、あなたならキィを攫ってこられる?」
「俺を誰だと思ってんの?」
テルルのその自信満々な態度は今のミィにとってとても心強い。
「じゃ、お願い。どうかキィが生贄になる前にキィを攫ってここに連れてきて」
「承りました。ヴァンの姫」
テルルがかしこまって答える。ミィの顔にようやく笑顔が戻った。
「あ、でも! その前にもう一つお願い。テルルはどこでも忍びこめるのよね?」
「まぁね」
それは今のところ誰にも知られていない秘密のセーンを匿っているこの場所でさえ、いつの間にか入り込んでいたテルルだ。どこでも潜り込めるのは実証済み。
「キィに手紙を届けてほしいの。今度は私の独りよがりにならないように、私の想いを先に伝えておきたいの」
テルルは頷いた。
「余裕余裕。任せなさい。追加料金を取るまでもない、楽な頼みだ」
テルルはそう言って胸を拳でどんと一回叩いた。ミィが笑って頷いた。
「あんたにはセーンが御世話になっている事だ。料金は特別にうんと安くしておくよ」
「うん。ありがとう」
ミィはそう言ってテルルの手を取った。




