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モグトワールの遺跡  作者: 無依
第2章 土の大陸
16/24

1.男装少女と女装少年 【03】

...054


 うなだれるミィをなんとか促して一行はキィを取り戻すという作戦の失敗感を抱いてヴァン家の屋敷に戻った。

 ミィの様子を一目見て、執事の青年が無言で一行に一礼し、ミィの肩を抱いて奥に引っ込んだ。それに入れ替わるようにして、別の青年が一行の前に現れねぎらってくれた。食事や扱いは今までと同じように賓客の扱いだが、そこに明るいミィの笑顔がない。それだけで太陽が陰ってしまったように一行には一抹の寂しさが募るのだった。

 翌日になってミィが一行に今まで見せていた姿とは別の姿で現れた。身体のラインがくっきり出るような詰襟の服は、今までと襟の合わせが逆になっている。美しい花々の刺繍が施された服。それは先日会ったエイローズの当主と比べてそん色ないものだった。

 身体のラインが露わになった事で胸のふくらみや女性的なくびれがさすがのセダや光にでもわかる。

「今まで騙していたみたいで、ごめんね」

 うっすら泣いた後が薄い化粧の上からでもわかる。

「改めまして、ミィ=ヴァンです。御覧の通り、女なの。光にも嘘をつかせてごめんね」

 ミィが力なく微笑むので、光が慌てて首を振っている。グッカスはそこで納得した。光の魂見は優秀だ。一目でミィが女性だとわかっていたのだろう。しかし格好からして事情があると思い、こっそり聞いたに違いない。

「キィを連れ戻すことには失敗したけれど、ちゃんと約束は守るわ。皆には協力してもらっただけじゃなくてこちらの事情に巻き込んでしまったもの」

 ミィはそう言って一行に席に着くように促した。用意していたかのように侍女たちが朝食を運ぶ。

「さ、まずは朝ごはん。一緒に食べましょ?」

 ミィはにっこり笑った。その笑みが無理をしているようで心が痛んだ。朝食が一通り終わって、ミィが何でも聞いてと言った。

「なんで、男装をしていたか聞いてもいい?」

 テラがミィを気遣いつつ訊く。するとミィは頷いた。

「今回の作戦で女性陣のヌグファやテラには陽動役をやってもらったでしょう?」

 キィを連れ戻す作戦では、光と楓は契約紋が出ている宝人なのでヴァン家で待機になっていた。それに戦う力のない彼らを戦闘に巻き込みたくないからだ。リュミィは転移を使った逃走のために一緒にいたが、そこはミィには伏せてある。リュミィが宝人であるということは警戒して内緒にして在るのだ。

 そして神殿の内部を知っているミィの先頭で、セダとグッカスでキィの部屋までヌグファたちの起こした騒ぎに乗じて行く。部屋に同室のナルマキアが居た場合や、万が一ナルマキアに出会った場合を想定してグッカスとセダが付いて行ったのだ。

 予想通りに足止めにグッカス、セダが戦った。しかしここで一つの想定外が生じた。同室の少年が強すぎたのだ。おかげでグッカス、セダの足止めに時間を稼げなかった。そして、キィを連れ出したら馬で迂回してヴァン家の屋敷に戻る予定だった。しかし当の本人であるキィがそれを拒否して神殿に戻ってしまったことだ。

「土の大陸の神殿は“女人禁制”なの」

 水の大陸の神殿は巫女が務めていた。聞いたことはないが男性がいないことから男子禁制だろう。

「それで、男装を?」

 ミィが頷いた。

「一般公開されている部分ならともかく、本殿は女人禁制。ナルマキアが派手に騒ぎ出す。だから私は男装して、神殿に食物を運ぶ商家に紛れて何回もキィに会いに行っていたの。見咎められる事がないよう、私がヴァン家のミィであることがばれないようにいつも男装しているようにしていたの。だって、皆が言うのよ? いつも訓練してないと絶対ぼろが出るって」

 つまり、普段から男装して男のふりを練習していたのだ。ミィは言わなかったが、もちろんいざということも考えての男装だろう。もし何か起きても男装してミィではないと突っぱねることもできる。そのための日々の男装だったのだ。

「でもあそこまでキィに怒られるとはね。考えもしなかった。だから、もう、終わりにするわ」

 ミィの様子からすればそれは不本意だっただろう。

「それでいいのかよ?」

 セダが訊く。キィはこのまま王が現れなければ死んでしまう可能性があるのだ。

「よくないわ。よくない! ……でもキィ本人が嫌がるんだもの。無理に連れだせないわ」

「そりゃ! ……そうだけど、さ」

 セダの口調もしりすぼみに消えていく。本人が望んでいないのだ、無理強いは出来ない。

「キィとちゃんと会えたら、話せたらこうもならなかったんだけど。まぁ、いつもの私の暴走ってとこかな?」

 最後には笑うミィ。

「でも、諦めない。確かに考えなしだったけど、キィを諦めることはないわ。他の方法を探すことにする」

「……他の方法って?」

「まだ思いついていないんだけど……」

「いいじゃないか! 方法なんて。別の道を考えることだって大事さ! ミィがキィを救いたい気持ちは間違ってないと思う。俺はキィと話したことないけれど、ミィの自慢の弟なんだろう? だったらキィにはキィの考えがあるんだよ。教えてもらった時にミィが協力できればいいじゃないか」

 セダが励ますようにミィに言った。

「キィが考えている……こと?」

 セダから見てキィはミィに連れ戻されることを嫌がっているのではなかったように見える。どちらかといえば自分が居なくなってミィがどういう目でみられるか、どんな混乱が待ち受けているかを分かり、ミィを心配して怒鳴っていたように思える。

「そうさ。だってミィから見て、キィは簡単に命を手放すようなやつなのか?」

 ミィが首を横に振る。それを見てセダがニカっと笑った。

「だろ? じゃ、キィのことミィが一番知っているのに、ミィが信じてやらなきゃだめじゃないか」

「……そっか。そうよね」

「ああ。だから、キィがいつ死んでしまうって今は決まっていないんだろ? それまで待ってみたらどうだ? キィが助けてってミィに言った時、俺たちだって全力でまた手伝うからさ」

 グッカスが呆れて溜息をついた。目線でお前、その時っていつだ、と問うている。テラも仕方ないわねと言った様子で笑っている。楓と光が顔を見合せてくすくす笑った。セダの発言から生じた笑いが、この場の空気を明るい物に変えていく。それは落ち込んでいたミィにも変化をもたらせた。最初は自信がなさそうだったミィだが、今度こそ力強く笑う。

「要は王がたてばいいのよ。これから私を王にして下さいって魔神さまにお祈りすることにするわ」

「……お前な」

 グッカスが呆れて溜息をつく。だが、楓が首を振った。

「ううん。それが本気ならきっと魔神は叶えてくれるよ」

 楓が優しい目でそう言う。楓がいうと心がほころぶような気さえする。楓だけが持つ、不思議な雰囲気だった。

「うん、ありがと」

 それこそ考えなし、とキィに怒られるかもしれない。でも、ミィにはキィが残ればいい。キィさえ無事ならそれでいいのだ。

「さ、これで話はおしまい! 今度はセダたちの話をしましょ?」

 ミィは確かにあまり深く考えないで行動を起こしてしまう傾向があるかもしれない。だが、気持ちの切り替えがはやい。そこがいいところだろう。前向きに、気持ちを上向きに過ごすことは皆が志しつつも難しいことなのだ。特に哀しい事、嫌な事があればあるほど。

「叔父上にはもう連絡して居るの。だけど忙しい人だからもう少し待ってほしいのね。で、その間にみんなをモグトワールの遺跡に連れて行こうと思っているんだけど、どうかな?」

「賛成!」

 テラが笑顔で頷く。セダたちも頷いた。

「ティーニ!」

 明るくなったミィが執事の青年を呼ぶ。すぐに青年が一礼して一行の前に姿を見せ、元気を取り戻したミィを見てほっとした表情を見せている。

「はい、お呼びでしょうか。ミィ様」

 執事の青年も笑顔になる。やはりミィには笑顔が似合う。

「彼らをモグトワールの遺跡に案内したいの。管理はヴァン家でしょう? 手配できる?」

「はい、すぐに」

 執事の青年は簡単な説明をしてくれた。実はこの神殿を擁する街・ルンガと隣り合った場所にあるという。土の大陸のモグトワールの遺跡は完全に神殿が管理しており、水の大陸でいう禁踏区域に準ずる扱いになっているようだ。一般人は立ち入り禁じられてはいないが、出入りするような場所ではないとのことだ。

 しかし、ミィはヴァン家直系の娘。管理者の一員に登録されているらしく出入りは自由にできるとのことだ。事前に連絡さえ済ませておけば大丈夫だろうと言う見通しだ。

 そう考えるとヴァン家であるミィに一行が世話なったのは運がいい。神殿から許可が出次第、馬車で送ってもらえる事になった。

「それまでの間、この町の観光をなさってはいかがですか?」

 執事の青年が言う。軽くミィに案内してもらっただけでは見切れない場所がたくさんありますよと教えてくれた。

 神殿とは国の歴史を管理する場所でもある。国立の図書館や、研究機関だけではなく一般公開向けの博物館もあるという。水の大陸にはないものだから驚きだ。いや、シャイデ位の大国ならあったかもしれないが、セダたちは立ち寄る時間さえなかったのだ。

「それは是非!」

 ヌグファが目を輝かせた。ヌグファの卒業課題はそういうとこ重要だもんなぁとセダは思っていた。するとテラが肘でつついてくる。

「関係ないとか思っているんでしょうけど、あんたの卒業試験にも関係あるじゃない」

「え? なんで?」

「だって土の大陸の武器は水の大陸とは違ったでしょう? 調べなきゃだめじゃない」

「げ! そうか……」

 セダがそう言って焦った顔をする。

「もし、行程に余裕があるなら、図書館も博物館も寄りましょう? 私、こう見えても歴史の学士の免許は持っているのよ」

 耳飾りの一つを軽く揺らしてミィが笑う。セダは頼む~という仕草をして一行を笑わせていた。



 自室に戻ってミィがキィを連れ戻しに来たことは他言無用と言い含められたカナは自分の愛用の武器を手入れしつつキィを見た。キィは帰り、カナの駆る馬の後ろに乗って神殿まで一緒に帰ってから無言のままだ。

「よかったのか? あのまま帰しちゃってさ」

 キィは互いの部屋に戻ってからも怒った様子のままだったからだ。カナからすれば、ミィという姉は無謀な事をしたとは思うが、その心意気は買うと思う。だって、誰だって身内が死ぬ可能性があるならその場から遠ざけたはずだ。

 自分がミィの立場で、キィがアイリスの立場ならアイリスの思惑も何もかも無視して攫うかもしれない。たとえアイリスがそれを望んでいなくとも。あとでどれだけ怒られたとしても。

 ――そう、彼がまったくそういう雰囲気を出さないから忘れていた。

 彼は神子――王が起たなければいずれその身を魔神に捧げる生贄。

「帰さずどうするのさ。そんなことよりも……」

 キィが短く言う。そこでカナはキィの微妙な、しかし少しの期間は一緒にいる者特有の、ちょっとした表情の変化に気付いた。怒っているようでもあるし、何かを深く考えているようでもある。

 キィは感情の起伏が読みにくい。笑う時は笑うが、怒りや悩みはうまくその表情の下に隠してしまう。付人であるファゴもその辺りは分かりにくいと言っていた。体調変化も悟らせないほどだというからよっぽど他人を信用していないか、他人が嫌いか、自分に鈍感かどれかだ。

 その些細な機微でさえもれなく拾い上げるという――彼の半身、ミィ。おそらく双子ゆえの絆だけではなく、己の半身のように互いの短所も長所も補い合って共に暮らしてきたのだろう。

「ファゴ」

 短くキィが付き人を呼ぶ。彼らが帰ってくる頃には二人の付人は帰還していた。しかし二人の間の空気の悪さを感じ、主人が何かを言うまで控えている。

「はい、キィ様」

「今は?」

 短いやりとり。ファゴは視線を走らせ、首を横に振る。

「良し。配れ」

「は」

 一礼してファゴの身が消える。それを見てカナは驚いた。ナルマキアになるくらいだからと思ったが、ファゴはキョセルの出だったのか。それを悟らせなかったファゴもすごい。上に立つ者は下に従える暗君の腕でその能力が知れると言うが。

「キィ様、私はいかがしましょう?」

 ファンランが静かに問う。つまり、キィはファゴに他の暗君が近づいたら知らせろと言ったのだ。それはキィがこれから他の者に訊かれたらまずい話をするということだ。

「お前はカナの何だ?」

 キィが静かに問う。ファンランはしばらく黙った。カナからすれば今回の神殿入りについてきてくれた幼い頃からの付き合いのお兄さんと言ったところだ。ルイーゼ家も三大王家の一つとあって、人は多い。

 カナは本家、直系であるアイリスに仕える分家だが、血統はそこそこ。そのカナの家にさらに仕えるのがファンランの家だ。アイリスに命じられたといえばそれまでだが、カナ自身はファンランを従兄弟位に親しくは感じている。

「私が主と定めた方です」

「では、アイリス様とカナだったらお前はどちらを選ぶ?」

 そう言った瞬間、周囲に急速に砂が舞い始める。カナが唖然としている中、砂はファンランの首に集まっていく。ファンランも目を見開いてその砂に見入っていた。

「俺が神子だということは知っているな? その砂は誓約だ。お前が嘘をつけば真実を知る土の精霊がお前の首を絞める。嘘はつかない事だ。別段お前が誰に忠誠を誓おうと構わない。ただ、主人が誰かによってお前は俺が決める順位付けに影響する」

「キィ!!」

 カナが止めさせようとすると振り返ったキィの目が異様に黄色く光って見えた。その様子に驚き、脚が、行動が止まってしまう。

「さぁ、ファンラン。答えろ」

 たった二回。

 ――神子である証を示した回数。それをキィが見せている、今。惜しみなく。

「私の主は、カナ様、ただお1人です」

「相違ないな?」

「はい、もちろんです」

 砂が迷うようにファンランの首の周囲で回り、そのまま静かに離れて行く。唐突に砂はどこかへ消えて行った。

「わかった」

 ファンランがふーっと長い息を吐く。緊張を強いられた彼は額から汗がにじみ出ている。それだけ異様な雰囲気がさっきまでのキィにはあった。

「お前が嘘をついていないって、精霊も言っている。悪い事をしたな、ファンラン」

 キィはそう言う。

「ちょ、説明しろよ。キィ」

 カナが己の従者にされた仕打ちについて問う。キィは静かに頷いた。

「ファンラン。鏡を持て」

「はい」

 壁に姿見があるのに何故と思いながらカナはキィによって姿見の前に立たされる。

「ちょっと失礼」

 キィはそう言ってカナの襟を緩め、ファンランに渡された鏡を持つ。

「見ろ、カナ」

 後ろからキィがする行為を見ていたファンランが息を飲んだ。

「カナ、様……!!」

「え……」

 ファンランの驚く声よりも、先に視界に入るキィの持った鏡。そこにはざんばらに伸ばした黒髪の隙間が見えている。そうそう、神殿に入ってから散髪出来なかったんだよ。ここまで、伸びてら。

 ――その項に見える黄色いのは、何だ?

「わかったか? やっぱり、気付いていなかったな」

 キィの言葉が耳を通り抜けて行く。

 黒髪の隙間にのぞく日に焼けた健康な肌。その肌を彩るのは―黄色い何かの模様。

 土の大陸・ドゥバドゥール。その神国における第二の王・岩盤大君ガルバ・ジルサーデの証は何だったか?

「お前が次のガルバ・ジルサーデだ」

 キィの呟きが他人事に聞こえる。

 項に黄色いドゥバドゥールを示す紋様が現れた者こそ・武力を司り軍の統率する王、ガルバ・ジルサーデ他ならない。なら、鏡を通して見えるあの黄色いものは、何だ――?

「……王、紋……?」

 それはドゥバドゥールを示す、大地の円形に剣を組み合わせたようなマーク。

「俺が、……王?」

「そうだ」

 キィの言葉が信じられない。そして、カナの思考は昔へとさかのぼっていく。



 ――そう、あれは……いつだったか。


 他家はどうかしらないが、ルイーゼ家は比較的本家、または直系と言われる血筋を持つ家系と、それ以外の家系の仲が比較的良い方だったと思う。

 三大王家の誰かしらが必ず王に選ばれる。すると次代によって当主を務めるべき家系が変わってしまう事になる。それを避けるために、ルイーゼ家では直系の血筋はいつの時代も変わらない。だが、どの家系から王が選出されてもいいようにルイーゼ家の血を持つものは誰しも直系と同じだけの教育を受ける。

 成長と共に本人の意志と素養を鑑み、将来の道を決め、己の主となる者のサポートをする。生まれと時期で決まる己の主。大抵の場合はすんなりとその運命を受け入れてしまう。

 カナは生まれた時から直系のアイリスに仕えることが決まっていたし、ファンランはカナが生まれてカナの従者になる事が決まっていた。否を唱えれば主を変えてもらうこともできる。自分が上に立つ実力を認めさせれば、仕える事ではなく上の立場の人間にもなれる。

 ルイーゼ家は生まれてから自分が歩むべき道を用意されながら自由にその道を選択できる幅広い未来と、自由意志があった。

 それでも、カナは直系である家の次期当主に仕えることが嫌ではなかった。それは兄弟のように幼い頃から一緒に学び、遊び、過ごしてきたからだろう。

 だが、本来のカナの主は、現在の主であるアイリス=ルイーゼではなかった。

 本来ならば、カナはアイリスの兄、ルイーゼ家を支えるであろうセト=ルイーゼに仕えるはずだった。

 セトとアイリス、カナの三人は兄弟のように仲良く幼少期を過ごした。そんなカナから見ても、アイリスから見てもセトは未来のルイーゼ家を支えるに値する優秀な人間だった。

「セトが当主になったら、俺がセトの盾となり、剣となる武君セビエトールになるんだ」

「そりゃ楽しみだ。お前は強いから俺も心強い」

 カナがそう誓えば、セトは優しく微笑み頭を撫でてくれた。そうするとそれに嫉妬したアイリスがかならず張りあってこう言う。

「わたくしは、お兄様を支える文君ヴァニトールになります!」

「アイリスは優秀だものな。俺は将来楽できそうだ」

 セトは同じようにアイリスに微笑んでまた彼女の頭を撫でる。右手をアイリスに、左手をカナの頭に乗せて撫でるとその手を下ろして二人の手を取る。いつも一緒だった。

「一緒にセトを支えような、約束だ。俺はセトの為にドゥバドゥール一の武君になる」

「お兄様を二人で応援するの、誓い合いましょう。わたくしはドゥバドゥール一の文君になります」

 幼いアイリスとカナの誓いだった。この三人で未来のルイーゼ家を動かし、より良くしていくのだと。


 ――しかし、それは叶わなかった。いや、叶わなくなった。


 セトは九年前、唐突に死んだ。カナにもアイリスにも訳の分からないうちに急死したのだ。

 それからアイリスは変わった。優秀な兄の代わりとなるべく、必死に昼夜惜しんで勉強し、大人と付き合いだしそして最年少である十三歳というありえない年齢でルイーゼ家の当主になったのであった。

 カナがセトの死に哀しんでいる間に、アイリスは涙を堪えて当主になったのだ。きっと兄の志を果たそうとして。それからカナも死に物狂いで剣に励んだ。アイリスをセトの分まで護ると、そう決めた。

「カナは一番の武君になるのでしょう? なのに、わたくしの武君になると言うの?」

 カナが十五歳を迎え、半人前の証を受け、自分の道を告げた時、当主のアイリスはそう問いかけた。

「この国で一番の武君は武君の頂点、すなわち岩盤大君だろう?それは魔神によって選ばれるし、現在はちゃんといらっしゃる。一番になるのは無理だ。なら、ルイーゼで一番の武君になる。それには当主の護衛を務めればいい。俺の主はお前だ、アイリス」

 アイリスは嘆いていた。セトのために切磋琢磨したカナがセトではなく、自分を主に定める事を。

 アイリスだって心ではわかっている。セトはもういない。直系を支える家系のカナは誰か主を持たなければその実力を発揮できない。

 でもカナだけはセトだけを主として孤高の道を貫いてほしかったのだと。

「俺は一番の武君になるんだ」

 だからカナは言う。セトへの誓いを違えるわけではない。お前との約束は護る。

「そのためにお前を利用するんだ」

「なら、許可します。わたくしの一の武君に御成りなさい。カナ=ルイーゼ」

「御意」



 そう、誓ったのが二年前。それなのに、俺がその岩盤大君、だと?

「ふざけんなよ……!」

 呟いた言葉にキィが驚いている。

「おれは、アイリスを支えるって決めたのに、セトの死を誰よりも哀しんで、誰よりも忘れられないのにセトのために頑張るアイリスを支える為に、そのためだけに……! なのに、おれが王になったら誰があいつを護ってやるんだよ! 誰が、あいつを……支えてやるんだ……」

 カナの握りしめた拳が震える。言葉は逆に尻すぼみに小さくなる。

「諦めろ、お前はもう選ばれた」

 キィが無情にも無表情で告げる。その言葉を聞いて、カナはかっとして手を振り上げた。頭に拳を振り上げようとして、

「カナ様!!」

 ファンランの制止の声が響く。しかし、キィは目を閉じることも無く、カナだけを見つめていた。一瞬も逸らさずに。それに、負けてカナも拳を寸前で止める。

「お前が王だ。どんなに嘆いてもこれはアイリス様にも変えられない」

「なんで……」

 キィは鏡を下ろし、ファンランに渡す。

「大丈夫だ。幸いお前が王に選ばれたのはここの三人しかいない。カナ、まだ隠し通せる」

「……キィ?」

 カナは不思議そうにキィを見つめる。

「俺の考えが的中した。カナ、王に選ばれて動揺もしているだろうし、憤りもあるだろう。だけど、冷静に聞いてほしい。これからのお前に関する事だし、もちろんアイリス様にも関わりあることかもしれないんだ」

 キィの涼やかな瞳を見ていると不思議と落ち着いてくる。カナはキィを見つめ返した。

「お前は時期が来るまで自分が王に選ばれた事を誰にも悟らせてはならない。お前に危険が付きまとうからだ」

 カナがぽかんとしてキィを見返す。

「何故?」

「お前が王に選ばれたことではっきりしたことが二つ存在する」

 キィはそう言って指を一本立てた。

「一つ。それは次の王が決まっていないのがヴァン家だけということだ」

 後ろで聞いていたファンランも不思議そうな顔をしている。ルイーゼ家が擁する次の王がカナであることはわかったが、他の二家は?

「しかし、キィ様……」

 手でファンランを制すキィ。

「二つ目を先に言おう。最後に選ばれる王は神事を司るセークエ・ジルサーデということ」

「どういうこと?」

 カナと聡いファンランでさえキィの思考にはついて行けなかったようで、首をかしげている。キィはいつもならここでにやっと笑う所だが、ひどく真面目な顔をして二人に言い聞かせるように口を開いた。


...055


 神殿へと連絡が取れるまでミィやヴァン家の人間と共に神殿の街を観光しつつ、勉学をする事になった。嬉々として図書館や博物館へ通うヌグファ。物珍しげに知識を吸収しようとするテラとグッカス。レポート制作を嫌々行うセダ。

 勉学に勤しまなくてもいい宝人組はミィの案内で再び街を観光していた。

「こういえば、この前のお店……この辺りだったよね」

 光が楓と手をつないで楽しそうにメインストリートを歩いている。楓も笑っていて、リュミィが幸せそうにそれを見ていた。仲の良い兄弟のようだ。

「そうね、寄ってみる?」

「いいの?」

「あの卵を雇っている位だもの。きっと目のいい商人でしょう。他にも素敵なのがあるかもしれないわ」

「いい? リュミィ、楓」

「いいですわよ。わたくしも砂岩製のものをもう一度見たいと思っていましたの」

楓は当然のように微笑む。

「ごめん下さいなー」

 ミィが明るく声を掛けながら店に入る。卵が設計したものを売れるだけあり、この店は比較的大きい。宝石や彫刻と言った高級品を上手に、上品に良さが引き立つように見せる気配りがされている。

「少々お待ち下さいませー」

 奥から店の人の声が響いた。広い店の中には時間帯のせいか、ミィ達以外には女性が一人居るだけだった。その女性も物品を買う為に商品を見ているわけではなさそうだ。手に取ったりせず、ただ眺めているような印象を受けたのである。

 ずいぶんやぼったい格好をした女性と光たち、外から来た人間が思った位だった。

 着古した感じの漂う布地のだぼっとした服を着ており、肩から幅広の大きな布を斜めにかけて帯で固定している。その大きな布は随分と汚れた感じのするものだった。ミィが御金持で格好に気を配っているのは当然だが、街中で見かける女性よりはるかに薄汚れた感じがする。ふっと除いた顔は化粧気がなく、髪もぼさぼさ。女性としての手入れを怠っているというレベルではなく、格好に全く気を配っていない様子だった。

 しかし顔つきから若い、少女と呼べる年齢であることが分かって逆に驚いた。

「……」

 リュミィが思わず見てしまう位、華やかな店にそぐわない少女に見える。

「ああ、この前の……申し訳ありません。少々お待ちいただいても?」

「構わないわ」

 先客の少女が店主に近寄っていく。店主は店の奥に少女を誘った。光は少女の姿を目で追っていたが、不思議そうに首をかしげる。

 そこで店内を眺めていた楓が目に止まったものがあったようで、光を呼んだ。光がその場所で立ち止まり、リュミィもつられて脚を止めている。そこにミィが加わった。

「わぁ……!」

 ミィも歓声を上げる。それはこの前見た砂岩でできた土の魔神を模した彫刻と同じデザインの護り石だったからだ。

 お守りとして晶石は人間の間で加工され、持ち歩くようにされたりする。今度は小さな石の表面を丁寧に磨き、その面に魔神の顔を彫り込むという工夫がされた品だった。神殿の街にある宝石店でうってつけの品物だろう。ものによって色合いが違うのも砂岩独特だろうか。滑らかな手触り、光に翳すときらりと光る加工、精緻な彫刻。どれをとっても一級品。

 この前の卵が創った品だということが一目でわかった。

「では、お待ちしています」

 店主と少女が奥から出てきて、少女は一礼するとそそくさと店を後にした。少女を見送った店主が一行に近寄ってくる。店主はこの前ミィが男装をしていたので同一人物とは気付かなかったようだ。光達で前に寄ってくれた客と覚えていたのかもしれない。

「何かお気に召したものでもございましょうか?」

「この品!」

 ミィは笑って言った。店主も満面の笑みを浮かべた。

「卵の作品でしょ?」

「さすがですね、お客様。もちろんでございます。あまりにも人気が強かったので、頼んでみたところ、こういた品を創ってくれました。彼女の才能は本物です。今でしたらお売りすることもできますよ。何せ目の前のもの限りですから。いかがでしょう?」

ミィほどのお金持ちなら買うことも可能だろう。卵の作品ならそこまで高値を付けられない決まりがあるからだ。

「一つ、いえ、二つ頂くわ」

「御色はいかがしますか?」

「これ、青と黄色が美しいもの」

「有難うございます。お代の方ですが……」

 ミィは頷いた。

「ここまで素晴らしいんですもの。言い値で買い取るわ。おいくら?」

 水の大陸と土の大陸では貨幣が違ったので、値段が一行にはよくわからなかったが、ミィが頷いたからには妥当な値段だったのだろう。

「今持ち合わせがないの。請求が可能ならスリヴァレー通りのヴァン家本家、ミィ宛にして頂けるとありがたいわ。もし、不可能なら取り置いていただける? また持ってるわ」

ミィがそう言った瞬間、店主が驚いた。

「まさか、ミィ様でしたか! これは失礼を」

 名前を聞いて街の人が驚く程度にミィも有名らしい。

「大変失礼ですが、ヴァン家の証を見せて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ヴァン家の証?」

 光がミィを振り返って問う。ミィは笑った。

「当然ね。私が至らなかったわ」

 ミィはそう言って手荷物の中から青い房のついた何かを取り出し、店主に翳して見せた。そして己の耳を寄せて店主に見せるようにしてその何かをつけた。そう、耳飾りだったのだ。

「これよ。王家に生まれた人間は必ず持っているの」

 私はヴァン家の人間です、という証の耳飾りなのだそうだ。この身分証明でお金の請求先を保障した、ということだろう。成程、嘘がつけない身分証明か、とリュミィは納得した。

「はい、確かに。ありがとうございます。それにしても失礼かもしれませんが、エイローズ家のアーリア様にヴァン家のミィ様。お二人のお目に叶うとは、ルビーさんも確かな腕をお持ちだ」

 納得した風に呟く店主。

「ルビーさん?」

 店主はミィの言葉に頷いた。

「この作品の作者、卵ですよ。ルビー=クリアさんと申しまして、ああ、さきほどお会いしましたか」

「え?」

 店主はにこにこして言った。

「先程店内にいた少女、彼女がこれらの作品の作者、砂岩加工師の卵ですよ」

「えええ!!」

 ミィが驚いた声を上げる。この繊細な作品を作りあげた腕を持つ職人が目の前にいたとは。

「スカウトしたかった……」

 本気で悔しがるミィ。

「でしょうね。彼女の才能に目を付けて多くの方がそう仰っておりますから」

店主は品を包んでミィに渡してくれた。

「ということは彼女はまたこの店に新作を?」

「はい。お願いしました。今度は自由にお願いしました。今から何ができるか楽しみで」

「入荷したらぜひ教えて頂戴」

「承知いたしました」

 ミィと店主が楽しくする傍ら光が首をかしげる。楓が様子に気づいてどうしたの?と目線で問うた。

「必ずよ、宜しくね。ご店主」

 ミィは笑いながら一行に促して店を後にした。

「ミィ……王家の証ってなに?」

 ミィが未だ付けたままの耳飾りが気に障ったのか、光が訊く。

「これ? 結構目立つものね」

 房を軽く触ってミィが苦笑する。

「気付いた? 視た目じゃ分かりにくいんだけれど、身分とか職業とかを証明する砂岩製のこれらの耳飾りなんだけれど、耳に穴を開けてまでつけるものってないの。皆に付けてもらっているように挟みこんでつけるのよね。でも唯一例外があるの。それがこの王家の証」

 ミィはそう言ってその耳飾りを外した。外した後の耳には小さな穴があいている。光は痛そうと目を細めた。

「三大王家では子供が生まれるとまず、この王家の証たる穴を開けるわ。開けるのはパテトールの役目。神言を唱えながら開けるの。男の子なら左、女の子な右耳に開けられる。神言を持って開けられた穴はふさがらない。王位を返上するまではね」

 つまり王家の人間、ヴァン家、エイローズ家、ルイーゼ家に生まれた子供には必ず耳に穴が一つ空いているということだ。

「で、名前が決まるとその子供の紋が決まるの。見て」

 耳飾りを一行に見えるようにミィは差しだした。青い房の上についている紅い宝石の中心に何かが描かれている。花のようだが。

「これはリティの花。土の大陸でもヴァン家の領地でしか咲かない花なんだけどね。こんな感じで一人一人生まれた時からマークみたいなものが決められるのよ。これが将来自分の証になるの」

 ミィは手紙を出す時に蝋付けするマークみたいなもの、と説明してくれた。

「ちなみに砂岩加工師が彫り込むから私以外が付けたり触れると壊れるわ」

 だから先程から見せるだけで触れさせてはくれないわけだ。

「で、下の房がヴァン家を示す瑠璃色の房。この一セットで王家の証。公式な場所では着用を義務付けられるのよ。でも意外と邪魔なのよね、これ。久々につけると重いし」

苦笑しつつミィが証の耳飾りを仕舞いこむ。普段つけるのが嫌らしい。そう言えば前に会ったエイローズの当主の女性は付けていた気がする。房は赤かった。

「じゃ、みんな付けているわけじゃないんだ」

 光が言う。ミィはそうね、と頷いた。

「どうかした? 何が気になるの?」

 楓が問う。光はうーん、と唸って自信がなさそうに言った。

「ミィは、キィっていう弟が死なないようにこの前セダたちと一緒に神殿に入ったんだよね?」

 宝人に何かあったらということで光と楓はヴァン家でお留守番だったので詳しい事は知らない。しかし、経緯は説明されていた。

「そもそも、キィって王様がいないから魔神さまへの伝言役で死んじゃうかもしれないんだよね?」

「……そうだけど、どうしたの?」

 ミィが不思議そうに言った。光は辺りをきょろきょろ見渡し、誰もいない事を確認した。

「ってことは王様が居れば問題ないんだよね?」

「……まぁ、新しい王が選ばれたら、問題ないね」

 楓が考えてそう言った。ミィも頷く。

「あのね、さっきの人。先にお店にいたひと。あの人次の王様だと思うよ」

 光の言葉にミィが言葉を失った。

「あの人?」

「職人の卵って言われてた人。あの人、いろいろおかしい。だけど間違いないよ。あの人魂の形が“半人”だよ」

 リュミィが事の次第を理解して目を見開いた。

「光、それ本当ですの?」

「うん。最初から変だなって思ってたんだよ。でも、店の人と魂を比較して、ジル達の魂の形にそっくりなの思いだしたんだ」

「ま、待ってよ。なんでそんなことわかるのよ? 光」

「……それは、大変ですわ!」

 ミィが事態に付いて行けず、しかし重要な事を聞かされたと知って光を驚いて見ている。

「ミィ、こんな往来でできる話ではありませんの。セダ達が帰ってから、ご説明しますわね」

「う、うん」

 ミィはこれまでの予定を変更して急遽ヴァン家へと帰ったのだった。



 ミィは一行が帰還したのを見て光に視線を送ったが、リュミィがまずは誰も聞いていない場所が欲しいと言った。首をかしげる一行にグッカスだけが気付いてリュミィに耳を寄せた。リュミィも頷く。

「お前の家が家だから仕方ないが、誰か聞き耳を立てているやつがいるようだ」

「まさか!」

 ミィもやっとキョセルが放たれていることを理解したらしく、執事の青年を呼び、精霊の声を聞くことができる宝人たちの判断で、キョセルのいないセダ達の少し手狭な部屋に集まった。

「まず、説明しなければいけないのは、こちらの光、楓は宝人ですの」

「契約紋があるもの。ヴァン家に仕える宝人もいるから知っているわ」

 土の大陸は水の大陸より宝人の数が多く、人間の中で暮らしている者も多いようだ。やはり国が大きく、永きにわたって騒乱がないというのは一つの安心できる点なのだろう。

「そして宝人には人に想像もつかないような特殊能力がありますの」

リュミィは宝人だが、必要ない限り宝人であることを隠し、宝人である二人の保護者という立ち位置を貫いている。これは警戒したグッカスとリュミィが決めた事だった。

「鳴き声とか知っているか?」

 セダが例を出して問う。宝人の特殊能力で有名なのが『鳴き声』と『転移』だからだ。

「うん、なんとなく」

「宝人の中でも持っている者とそうでない者がいる能力もありますわ。その一つに『魂見』というものがございますの」

「魂見?」

 光が頷いた。

「宝人の防衛本能の一つですわ。光はその魂見ができる宝人ですの。逆に楓は使えませんわ」

 ミィは頷いている。そこまではついてきているのだ。

「魂見という能力は見るだけで、相手の魂を視ることができる能力ですの。その能力を巧く扱えれば扱えるほど、魂が持つ情報量を多く見ることができますの」

「魂が持つ情報?」

 ミィが聞き返す。今度は光が答えた。

「例えば性別。男の人と女の人は形が微妙に違う。私がミィを一目で女の人って見抜いたのは無意識に魂見をしていたから」

 ミィが思い到り、感心した声を上げた。

「他にも人の種類。宝人と人ははっきり魂の形が違う」

「へー、そんな事がわかるんだぁ」

「使える宝人の中でも光は魂見の能力が相当高いのですわ」

 リュミィが続ける。セダたちは聞いたことがなかったが、普通の魂見は人種、宝人か、人かなどといった根本的なものしかわからないという。

「他には何がわかるの?」

 ミィは興味をそそられた様子で、身を乗り出して光に聞いている。

「魂の親和性。どのエレメントにその人が加護を受けているか、とか。その人の持つ性格も簡単にわかるよ」

「すごーい!!」

 手を叩いて喜ぶミィ。テラなどは当たり前に思っていたがよくよく思い返すと恐ろしい能力だ。一目見ただけでその人間の本質を見抜いていしまうという光の魂見。

「で、それが何の関係にあるの?」

「光はその人を一目見ただけでその人の本質を見抜いてしまいますわ。つまり先程の光の発言を思い出して下さいな。……貴女の求めていた、いえ、国中が求めていた事実が眠っていますでしょう?」

 ミィは少し間をおいて考えているようだ。見知らずの少女を見て、彼女が次の王だと言った光。それは魂見で魂の形を判断したからで……。

「光、何を言ったんだ?」

 セダ等は知らないので経緯を求める。グッカスもリュミィの様子でただならぬ事態だと察しはしたが分かっていない様子だ。リュミィはそこで宝石店に行き、砂岩加工師の卵である少女に出会ったことを伝えた。光がその少女の魂を見て確信した事。

「……嘘」

 ミィが呟いた。呆然としている。

「砂岩加工師の卵の少女は、次の王に選ばれているってことか!」

 光が頷いた。

「間違いってことはないのね?」

 確認するようにミィが問いかける。光は頷いた。

「私は水の大陸で神国の王に会った。彼らはみんな魂が半人の形をしてる。この国は土の大陸の神国なんでしょう? ならば王は半人のはずだよね? あの魂の形なら、あの人は次の王だよ」

 セダが喜んだ。

「よかったじゃないか! ミィ。キィが死なずにすむぞ。確かめる方法とかないのか?」

 ミィは呆然とした状態からやっと立ち直り、喜びに頬に朱が差している。

「ジルサーデになるには、王紋が現れる。それを見たら誰でも王と認識するようになるわ。一番は王紋を見れればいい。でも、その人が何のジルサーデかで現れる場所が違うから……難しいかな」

「場所?」

 ミィは置いてある本を手に取り、その隅に印字されたマークを示した。円と楔のようなものが組み合わさった黄色いマークだった。

「これがドゥバドゥールの国の紋章なんだけど、このマークが身体のどこかに現れるの。ベークス・ジルサーデなら胸。ガルバ・ジルサーデなら項。セークエ・ジルサーデなら額」

 楓がそこで言葉を発する。

「あの人、額も髪で隠れていたけれど、僕らの契約紋のようなものはなかったように見えたよ? どれくらいの大きさで何色なの?」

 ミィはしばし考える。彼女の叔父で現ガルバ・ジルサーデの事を考えているのだろう。

「叔父様のを見たことがあるけれど、大きさは手のひらで隠れる位。王紋はみんな黄色よ。ドゥバドゥールを示す貴色が黄色だからね」

 楓は光と目を合わせる。

「とりあえず額にはなさそうだったよね?」

「うん」

 少女は髪を整えてもいなかったが、前髪の量が多かったわけではない。動きによって額が髪の毛の奥で見える程度だった。だからこそ、その額にマークがあったとは思えない。

「じゃ、セークエ・ジルサーデじゃない……? でも私、あんな人ヴァン家で見た事無いし、そもそもヴァン家で出たらキィを神子に出したりしない。なら、あの人……」

 ミィが呟く。いろいろ考えているようだ。

「そういえば、光。その人いろいろ変って言ってたよね? 何が他におかしいの?」

 楓の言葉に光は頷いた。

「うん。あのね、その人男の人だと思うの」

 それを聞いたミィや楓が驚く。水の大陸から来た一行では服装の関係がわからないので、服装から性別を判断できない。しかし土の大陸に住んでいる人からすると服装でわかるのだそうだ。

 詰襟の服は合わせで多少重なる布地があって、その合わせの左右どちらが上かで性別を判断できるのだという。中には合わせがなく、飾りボタンで服の中央を留めるものもあるそうだが、そういう場合は飾りボタンが合わせと同じで服の左右どちらについているかで判断できるのだという。

 他にも女性なりの色遣いや重ね着などいろいろ服装でも歴史がありそうだ。

 だた、先程の少女は見ただけで“少女”と思わせる外見だったのだ。そういう雰囲気を持っていたといえばいいのだろうか。少年らしさがまったくなかった。肌の露出は少なく、判断できる材料が少なかったことを今更思い出す。

「え、どう見ても女の子だったよね?」

 とまどうミィと楓に向けて、グッカスが言葉を重ねた。

「つまり、お前の様に何かしらの事情で女装しているってことだな」

 グッカスはそう言う。ミィは女人禁制の神殿に侵入した際にぼろがでないよう、男装をしていた。その人は女装をしているという。……まぁ、趣味という点は捨てきれないのだが。

「お前、さっき言いかけたな? ヴァン家の人じゃない。セークエ・ジルサーデじゃない。その先は? 何を思いついた?」

 グッカスが突っ込む。ミィはうん、と唸りながら一つの可能性を口にした。

「……エイローズ」



 神殿のカナとキィの部屋。キィが言う言葉の続きをカナは待っていた。カナは自分が王になったという事実は衝撃が大きすぎて、とりあえず保留して(ただ単に思考がフリーズしたとも言うが)キィの言葉を聞くことにした。

「次期王が立っていないのがヴァン家だけで、最後に選ばれるのはセークエ・ジルサーデ? なんでそういう結論になる?」

 ファンランもその答えを欲していた。

「思い出してみて、カナ。今の王で最初に亡くなったのはルイーゼ家から出たベークス・ジルサーデだった。亡くなって今年で六年経つ。次の王が選ばれていないはずがないんだ。するとどこかの家が隠しているってことになる。俺はヴァン家直系の出で、自分で言うのは何だが、次期当主を任されても大丈夫なくらいの功績を残した。その俺が知らないなら、ヴァン家は本当に次の王が選ばれていないんだ」

 カナは頷く。ヴァン家で次期当主候補ではキィと他に誰がいるか知らないが、キィなら選ばれてもおかしくない。

「すると王を隠しているのはルイーゼ家か、エイローズ家だ。しかし、お前が次のガルバ・ジルサーデに選ばれた」

 そこまで言われれば誰でもわかる。ファンランが呆然として呟いた。

「……エイローズ家だ」

「そう。最初に王が選ばれたのにも関わらず他家に隠し通し、国を混乱に陥れたのはエイローズ家だ。エイローズ家には必ず次の王候補がいる。いないと逆におかしいんだ」

 いなければそれこそ本当にキィが魔神へ生贄として選ばれる事態に発展する。

「そうだな。じゃ、最後がセークエ・ジルサーデってのは?」

 カナは頷く。王家は三家しかないのだ。消去法でそうなる。

「今の王家と王を思い出せ。今はヴァン家がガルバ・ジルサーデ。エイローズがセークエ・ジルサーデ。亡くなったルイーゼがベークス・ジルサーデを輩出した。で、お前は次期ガルバ・ジルサーデ」

 権力が分散されるよう、魔神が次に選ぶ王は必ず前王とは違う家が選ばれる。つまり、カナがガルバ・ジルサーデに選ばれると残り二家は決定される。

「じゃ、隠されているエイローズの次の王がベークス・ジルサーデで……」

「そう。残るヴァン家がセークエ・ジルサーデだ」

 ファンランが呆然と呟く。カナもいきなりもたらされた情報に処理が追いつかない。

「なぜ、エイローズはそんなことを?」

次の王がたたずに国民が強い不安を抱いているのは知っているはずだ。それに次の王が選ばれたら次の王朝のために準備期間は長いに越したことはない。引き継ぎなどもある。今は一人もう、王が死んでそれだけで引き継ぎ等に混乱が生じるのはわかりきっていることなのに。

「考えられるのは、エイローズ家本家が把握していないってことだ。王に選ばれるのは直系の者が過去には断然多い。それは血の濃さだと思う。けれど王家の血筋なら誰が選ばれても問題ないはずだ。なら本家が管理していない分家で選ばれれば……可能性は低いけどありえる」

 三大王家というだけあって王家にはかなりの人数がいる。ゆえに直系や分家などが生じるわけだ。本家は直系の血筋を持つ家系ということで分家をまとめ、分家の人間を支配下におくことで管理をしている。カナもルイーゼ家の分家の出身だ。そのカナが次の王に選ばれてしまった事からも、必ず直系で選出がされるわけではない。

「でもエイローズの今のご当主は『魔女』だ。その魔女がそんな真似を許すとは思えない。そうするとエイローズ家から次の王に選ばれては困る人間が選ばれて、ぎりぎりまで隠しているのが考えられる。他家からどんな王が選ばれるかを見て、今後の方針を決めようとしているんだ」

 ファンランもカナも、もう頷くことしかできない。ファンランは微かに次の時代の波を感じていた。

 エイローズ始祖で魔女と呼ばれた女性の再来と言われる才女、アーリア=エイローズ。最年少で当主になり、今までルイーゼを支え、発展に携わった『聖女』、アイリス=ルイーゼ。

 当主がこの二人で在る以上、三大王家の、いや国家を引っ張っていくのはこの二人。そして、この二人に負けることなく国を引っ張っていくことができる、三家の一角、ヴァン家はおそらく、彼だ。いや、キィ=ヴァン。彼以外この二人に見合い、やりあえる者がいるとは思えない。

「最後が一番考えたくないんだけれど、王に選ばれた人間が何かしらの理由で逃げているってことだ」

「逃げる?」

 カナが聞き返す。キィは怖い顔をして言う。

「俺の推理が正しければベークス・ジルサーデに選ばれているのはエイローズの誰かのはずだ。考えてみろ。ベークス・ジルサーデは一の王。国権を主導する内政を司る王。次の時代を主導する、国の顔となる王だ。そういう役割に就かれたら困る人間が仮にいたとして、だ。王家に生まれついたからにはそういう感が備わっていてもおかしくはなくて……危険を察知していたとすれば……?」

 そういう感――つまり自分に危険があることを、自分がおういう立場に置かれているかを正確に理解する感覚、とでも言おうか。

 キィの言葉を驚いてカナが遮る。

「そんなこと言ったって、王紋が現れればみんなそいつを王と認めるんだぞ! 危険なんか……」

 カナの言葉にキィが首を振った。

「だからって殺せないわけじゃないだろう?」

 愕然としてファンランとカナが顔を見合わせる。

「気に入らないからって殺されたらどうする? 王だからって認めても害せないわけじゃないだろう」

「そんな事……」

 あれば恐ろしいことだ。魔神の加護を否定する形。人間が魔神の選択を否定し、加護を拒否しているようなものだ。

「じゃなければ六年も次期候補が現れない理由にならない。相手も必死なんだろう」

 エイローズが隠していてくれるならいい。他家の様子見をしていてくれるなら。それなら安心して残る一家・ヴァン家の候補が選ばれるまで待てばいい。そして多少のタイミングが必要でも発表し、次の王候補に正式に王になってもらって、後見人同士でにらみ合いを続ければいい。

「だから、カナ。わかるな?」

「ん? 何が」

 キィは呆れたように溜息をついた。

「お前が危険な理由。お前は時期を見て、己の安全が確保できるまで自分が王に選ばれたことを悟らせてはいけない。ばれるのなんかもってのほか。どこまで誰が関係しているかわからない。だからアイリス様にも危険が及ばないよう、アイリス様に言うのもだめだ」

 キィが畳みかけるように、カナに言う。

「ちょ、危険かもしれないってのはわかるけどよ、俺腕には自信があるし……」

「馬鹿? お前馬鹿なの?」

 キィが人差し指をカナの眉間に付きつけた。

「それは正面からかかってきた場合でしょうに。なんのために皆キョセルを飼っていると思ってんの。ちなみにカナは知ってるか? キョセルの質が一番の家」

 キィが人差し指を下ろして言う。カナは困ってファンランに目線を送るが、彼も首を振った。

「エイローズだ。エイローズの始祖は何も魔法使いだったんじゃない。敵には容赦なく全てを駆逐しつくしたから『魔女』って呼ばれたんだ。容赦ないその手法は彼女が鍛え上げた軍による。エイローズが魔神に誇ったのはその軍隊だぞ? 歴史で習っていないのか?」

 エイローズの始祖、『万民の魔女』エイローズ。彼女の燃える如き赤き髪は敵の血を浴びてその色に染まったという伝説があるほど、かなり敵には容赦ない残虐で苛烈な人柄だったという。しかし己の護るべき民には手のひらを返したように優しく慈悲深く、慕われていた。民を護る為に攻撃的に成らざるをえなかったという見方さえあるエイローズ。

 エイローズの民はそんな始祖の女性を怖がることもなく、誇ってさえいる。

「まぁ、カナが勉強しているわけないからね。武力で成りあがったエイローズが一番武に優れた。だから軍部を司る岩盤・大君になったんだろう? 初代エイローズは。つまり?」

 教師の様に答えを求めるキィ。カナがさすがに理解して頷いた。

「つまりエイローズは今も武力に優れ、優秀なキョセルをたくさん輩出しているということですね、キィ先生」

「その通りです、カナ君。つまりいくら鍛錬馬鹿、剣バカなカナ君でも、おねむの最中、お食事最中えとせとらで背後からぶっすり。毒をこんもりなんでもござれですよ。君、そんな裏の裏の裏は表なの? 裏なの? の状況で身を護れますかね?」

 寝込みを襲われるのは、目が覚めるような気がしなくもないが、食事の毒とか気付かないかもしれない。

「無理です、はい」

「よろしい。ってわけで、隠れているエイローズが出てこない以上お前も内緒が第一」

カナは大人しく頷いた。

「でもいいのかよ? そんなみんな騙すような真似して」

 特に目の前のキィなど、神殿にいる理由を考えれば……。

「ごたごたしてるエイローズが悪い。今更隠れたのが一人だろうが二人だろうが隠れいている以上問題ないだろう?」

 カナはあえてキィに言った。

「だって、お前、俺に王紋が現れたって知れたらお前はお役御免で帰れるんだぞ?」

 キィはそれを聞いて笑った。

「ありがとな。でも、いいんだ。お前は俺のいざという時の保険で」

 逆に保険ができていざという時の不安がなくなったし、と朗らかに笑う。

「やることができたからさ。お前が次の王なら、余計に」

「やる事?」

 カナが不思議そうな顔でキィを見る。

「お前の身の安全を保証してからルイーゼ家に返してやりたいし、それにヴァン家でも王が立った時に備えて俺の位置を確立しないとな、そろそろ」

 キィはいわば他人なのだ。敵と言ってもいい間柄なのに、そう言ってくれる。まるで親戚のお兄さんのようにルイーゼ家のカナに対して考えてくれている。

 カナは感激した。アイリスと先に出会っていなければ主君と定めてもいい位に感動した。これだけの短期間しか一緒にいなかったのに。それにカナはアイリスに引いてはルイーゼ家に仕えることを信念として生きてきた人間なのに。ヴァン家の敵となる可能性の方が大きい。それなのに、カナの身に危険の可能性があるからと言って他家という垣根まで越えて自分に先を示そうとしてくれる人。

 しかしその感動させたキィの顔が、なにやら物騒な笑顔を浮かべている気がするのは気のせいだろうか?

「それに、ミィを泣かせたんだ。ぜってー許さねー」

 カナはキィを見つめて、瞬きを二三回行う。あれ? あれれ? キィさん、悪人面ですよ。

「それって、あのティズ……せんぱいでは?」

 ヴァン家直系のもう一人の人間。一見人柄も良く、好青年だが、裏では自分が次期ヴァン家の当主になる為に暗躍している。そして年下であることを笠に着てキィを神殿の地下に軟禁した人物。

「あったり前だろ! ったくどの面下げてミィを貰うだぁ? まじでふざけんじゃねーよ。王の息子だろうが、身の程をわきまえろってんだよ。俺を地下に閉じ込めただけじゃ飽き足らないらしいからな。……ふふふふふ。自分で地下に籠りたくなるようにしてやるぜ! 親戚だからって容赦しないぜ? 俺」

「……」

「カナもティズのことウザイって言ってたよな? 協力するよな? もちろん」

「……はい、よろこんで」

 カナは学習した。

 ――どうやら、キィにとって双子の姉ミィは弱点であると同時に鬼門であるらしい。

 翌日からキィの計らいで、カナは朝の潔斎もしなくてよくなり、食事もキィと一緒に自由に食べることができるようになっていた。それどころか浴場も他人がいる間は使わないようにキィに言われるありさまだった。

 そして髪を切らず項が隠れるよう、結ばずにいることがキィによって言明された。

 それ以外、カナは自由な行動が出来てラッキー位にしか思っていなかったが、表ではキィが本格的にカナを囲ったと思われている事に気付いていないのであった。


...056


 ミィは光がもたらした偶然だが重要な情報、すなわちルビーさん(仮)を探すため、この町の各地にキョセルを放った。

 どうもキョセルといった職業がないセダたちにとってはキョセルというのがよくわからない。簡単に言うと貴族やこの場合王族等が対立する側の家の情報を知る為に放つ密偵のようなものらしい。

 主人の命令に忠実で昼夜問わず行動を行う。主君によっては暗殺を行わせる者もあるという。特に機密情報等を扱い、その情報を元に牽制をし合う三大王家間は互いのキョセルが絶えず放たれ、先んじようとしているそうだ。

 ミィ自体はそういう行為を好まずキョセルを使わないらしいのだが、ヴァン家には当然数多くのキョセルがいる。ミィからすれば、別に人を探す位なら使っても大丈夫でしょうとのことだ。

 しかし、そのキョセルを以てしてもルビーの住処はおろか、姿を探すことはできなかった。

「つまり、それだけ警戒しているってことだろう?」

 一行でいろいろ仮説を立てたのだが、王紋が出ていることに気付かず、なにせ鏡があるような暮らしは金持ちしかできないので、気付いていない可能性があるのだ。普通に暮らしているだけで、女装は趣味か他の理由があったとすると、キョセルが必ず情報を掴んでくるだろう。

 砂岩加工師の卵なら、武者修行といいつつ、自分の腕と顔を売る目的もあるのだから、隠れたりはしないはずだ。

 他に違う街に暮らしていて、作品の納入先を個々に選んでいるということも考えられた。

 だが、そもそも砂岩加工師の卵は腕を磨くために各地を旅しつつ作品によって生計を立て、将来のパトロンなり、納入先を決めるための旅だ。納入する店と作品を創る場所を分ける意味がわからない。そこで冒頭の結論にいきつく。

「事情持ちってことよね」

 テラが言う。セダやグッカスに試しに聞いてみたが、女装は相当切羽詰まったときじゃないと男性はしないのだそうだ。変装で済ませたいと男性皆言う。

 ミィは男装はそこまで気に障らなかったそうだが、男性が女装をすることはかなりの気力を要するらしい。簡単にいえば―プライドが邪魔をするということだが。

「そいつがまともな思考の持ち主ならな」

 グッカスが言う。

「うーん、わかなんないなぁ。キィの頭を借りたい……」

 ミィが呟く。そもそもエイローズ家に詳しいわけではない。記憶が正しければエイローズ家は家の間でもめることがあまりない。当主を決めたら、その当主にどの分家も従う。それはどの王家でも同じだが、当主を決めるまでもめたりしない。あっさり決まる印象が強いのがエイローズだ。

 ヴァン家はまだ次期当主が決まっていないので、もめる、というほどではなくても多少のいざござはある。ルイーゼも今の当主のアイリスになる前はもめていた気がする。

 王家というのは始祖の血を引く直系の本家が存在する。その本家から別れ生まれた分家が相当数存在する。本家は数多い分家を取りまとめ、各地、各部署にうまいこと配置させ、自治を可能にさせている。そう、三大王家それぞれで一つの国と同じなのだ。

 その中の異分子が存在する。本家で取りまとめる体制の中に魔神によって選ばれる王である。つまり当主と王と頂点の存在が二つ存在することになる。立場上は王が上で、偉い。王に従わざるを得ない。しかし、王は直系から必ずしも選ばれない。ゆえに家を引っ張って来た当主と王は反発しやすい。

 確か、亡くなったルイーゼ家の王と当主がその関係性だった。当主が王の顔を立てる形で諍いを抑えていた印象がある。

 今のヴァン家は直系から王が選ばれたゆえにそこまで混乱はなかった。だが、エイローズはいつの時代ももめることはない。必ず王であっても当主に従う。そういう家なのだろうとは思う。

「エイローズが王の選出でもめるとは思えないんだよねぇ」

 事情を知らないセダたちにミィは軽く説明する。王家はそれぞれの特色の様なものがあるのだ。

「ルビーさんが逃げる理由がわからない、か」

「もうさ、わかんないんだから直接聞くしかねーんじゃないのか?」

 セダが頭がパンクしたように呟いた。

「それができたら苦労しないでしょ?」

 テラが呆れたように突っ込んだ。どこにいるかわからないからだ。

「いや、できるかもしれないぞ」

 グッカスが言う。ミィが目を丸くした。

「宝石店に納入する予定がまだあるんだろう? 納入の時を抑えるしかないが、不可能じゃないはずだ」

「……そうですわね」

 リュミィも頷いた。店主に納入時に是非会いたいから都合を付けてくれと言えばいいのだ。

「うん、そうだね」

 ミィはぱぁっと明るい顔になった。相手が断ればそれこそ三大王家の権力にものをいわせればいいのだ。そういうとき権力って便利!

「よっしゃ!それでいこうぜ」

 セダとミィが手を合わせて喜びあった。一行の迷い惑っていた方針がようやく決まった。



 いつものように新聞を買い、目を通す。といっても一般で売っているような新聞ではない。そもそも新聞を装っている違うものだ。それは賞金首のリストである。

 フリーのキョセルやセビエト―ルの間で密かに売られているものだ。王家や富豪が金を出してまで捕えたいものの人物リストである。意外と闇市のような表立った場所でなければ簡単に手に入る。

「テルルの情報は、ないな……」

 隅々まで目を通し、溜息を一つ。そして次に土の大陸全土の地図を広げた。

「最後にテルルの情報が載ったのは、三月前で、ファルの街だった。とすると……今いるのはこの辺りだとして、俺が次に行くべきは……」

 地図を見て何かを検討しているようだ。机の上には地図と小箱がいくつか乗っている。

「この町もそろそろおさらばしねーとまずいよな。作品の納入回数はこれで五回だし、潮時か」

 少女はそう言ってしばらく地図を見つめると、よし、と一声上げて小箱を持って立ち上がった。少女が小箱を持って家から出た時、その場所は街外れの砂漠が始まっている場所だった。人っ子一人いない、砂だけの大地が広がる。

 この砂漠も方向が異なれば神殿への道と続き、街も途切れず、人通りも多いが、残念ながらそんな立地ではない。しかも、その少女砂漠の入り口街外れに家を建てているわけではなかった。そもそもその家がない。

 ――彼女はどこから出てきたのか?

 彼女は砂漠のど真ん中、正確に言うと砂漠との境目の大地から出てきたのだった。どんな魔法を使ったのかと言いたくなるほど何もない場所から出てきたのである。

「さてと」

 少女は何もない場所から出てきたことを不審に思われないうちに街へと足早に繰り出したのだった。



 宝石店の店主は愛想よく少女を迎えてくれた。いつもの事だが、最初は邪険に扱われても作品を納入すれば態度がころりと変わる。それだけ自分が納入する作品には価値があるかと思うと少しうれしい。

「ようこそおいで下さった、ルビーさん」

「いえ。こちら、お約束の品です。検めて頂けますか?」

「はい、では奥へどうぞ」

 案内された客間の上にはすでに検分のために商品を傷つけない為のやわらかな布地が広げられている。店主は手袋をはめ、少女に対面の椅子を勧めると、自分は箱を壊れものを扱うかのようにそぉっと開けた。

「ほぉ……」

 店主の口から思わずため息が出る。しばらく箱を開けた状態で固まったまま、ふと我に返って丁重な仕草で作品を持ち上げた。

 今回ルビーと呼ばれる少女が納入した砂岩加工品は燭台だった。全部で五点ある。滑らかな手触りは元が岩であったなどと誰が思うだろう。光を反射して角度によって万華鏡のように色とりどりに変わる色彩は砂岩独特のもの。粒子を散らばらせたかのような細やかな砂の輝き。燭台の側面に彫られているのは土の魔神だ。

「燭台、ですか……」

「はい」

 宝石店にはあまり見かけない品だろうが、雑貨も売っているこの店なら売れない事はないだろうと思いきった。火晶石が一般人にとって高価なため、蝋燭もそう一般人には使用されない。燭台は普通の市民には不必要なもの、高級品といえる。

 しかし、だからこそ高価な値をつけてくれないかなぁと期待しているのだ。夜に蝋燭を灯した時、光の強弱や加減によって変わる色遣いに気を使った。自分でも自信作だ。

「蝋燭を灯してもよろしいでしょうか?」

「もちろん。その為のものですから」

 まだ明るい時間だが、室内ではあるし、色遣いも判断できるだろう。店主は蝋燭を手近な燭台から引き抜き、作品である燭台に備え付けた。火晶石によって火がともされる。火晶石は高価なので、実は自信作とはいえ光の当たり具合は光晶石で確認した。ゆえに巧くいっているか、自分でもどきどきした。

「すばらしい!!」

 興奮した様子の店主と、自分も確認できた出来に、少女はほっと溜息をかくれてついた。

「さすがですね、ルビーさん」

 店主は少女を称賛し、火を吹き消すと蝋燭を取り、丁寧に煤を掃う。

「ありがとうございます」

 店主はどう価格を付けようかと真剣に悩み始めた。作品はそこまで値を上げてはいけない暗黙のルールが存在する。卵はあくまで修行中の身で、プロではない。ゆえにプロ以下の値段を付ける必要がある。

 しかしルビーの作品は素晴らしすぎた。店主が悩むのはそこである。高値で売りたいが売れない。そして値段を付けることが出来ないほどに素晴らしい出来の作品。一時的にしか自分の元に置かれないこの作品を手放したくはないのだ。

「うーん。家内と相談させていただいても?」

「はい」

「では、店内は自由に見て頂いて構いませんので、少しお時間を頂きます」

 店主はそう言ってパートナーである奥さんを呼びに消えて行った。

「やべ、これで納入最後って伝えるの忘れたな……」

 店主が消えてから少女は呟いた。ま、後で伝えればいいやと店に脚を向ける。他の宝石などを見てデザインなどを勉強するのも好きだ。手にとって眺めていたり、色合いを確かめたりしているとドアが開いた。

「あ」

 入ってきてそうそう金髪の少女がルビーを見て声を上げた。自分を見て反応されてしまうと、肩に力が入る。

 ――それは、自分が逃亡者だからだ。賞金首のリストに自分の名が載るほどには。

「いらっしゃいませ」

 店主が来店のベルの音を聞きつけ、奥からひょっこり顔を出した。

「ああ、ミィさま。ようこそ」

 店主の顔なじみの客の様だ。なぜ自分を見て反応した? ん? もしかして臭う? 確かこの前湯あみしたのいつだったっけ? 貴族のお譲さま? 金持ちに見える乙女にはこの格好はまずかったか?

 改めて己の格好を省みる。髪はぼさぼさ。整えてすらいない。服装はそういえば作品に取りかかってから着替えるのを忘れていたかもしれない。それに服が汚れない為につける、職人には必須アイテムの汚れた掛け布を付けっぱなし。……うーん、刺激が強すぎる格好かもしれない。もしかしたら土のにおいが染み付いてひどい体臭とか?

「ルビーさん、あなたの作品をいたくお気に召されてこの前のものをお買い上げくださったんですよ」

「どうも」

 目の前の少女に向けてぺこりと頭を下げる。

「初めまして、貴方がルビーさん?」

 頷くにとどめた。作品を気に入ってくれて、買ってもらったのは正直嬉しいがこういういかにも貴族っぽい人たちとはあまりお知り合いになりたくない現実がある。自分は逃げている身なのだから。

「是非、私の家においで下さらないかしら?」

 がしっと両手を掴まれてぎょっとしている間に興奮した調子で言われた。

「あなたの作品、すごく気に入ったの。是非是非、是非にお願い! その腕前を披露して下さらない?」

 ぶんぶんと握った両手を上下に揺すられる。

 ――なんだ、この女?

「い、いえ……」

「えー! お願よぉ!!」

 なんでこう金持ちなやつらは自分の思い通りに事が運ぶと思っているのだろうか。

「私は修行中の身ですから、そういう事はご遠慮させていただいております」

 やんわりと両手を外そうとして、思いのほか固く握りしめられている現実に辟易する。

「いいじゃない!」

 だからよくねーんだよ。

「困ります」

 はっきり言う。貴族(仮)のお譲さんに睨まれた所で困りはしないだろう、たぶん。

「ルビーさん、お代ですが……おや、お話し中ですか。それは失礼を、ミィさま」

「いいのよ。そうだ、自己紹介が遅れたわね。私はミィ=ヴァン。あなたの作品に一目ぼれしたクチよ」

 少女が明るく笑った瞬間、ルビーはさぁーっと全身の血が引いた。

 ――ヴァンだと?!

「ご店主!」

 少女は笑顔で接客中の店主を呼ぶ。

「はいはい、なんでしょう?」

「すみません。急用を思い出しました。お代はまた後日受け取りに伺います。すいません」

 ミィの手を振り切ると店主に一礼し、そしてミィにも一礼した。

「王家の方とは存じ上げず、失礼しました。しかし、修行中の身では、御身に拙い我が腕を御見せる恥辱には耐えられません。どうかご容赦を平にお願い申し上げます。では、所要がありまして、大変残念とは存じますが、御前を失礼いたしますことをお許しください」

 早口の様に向上を述べると、一目散に店から逃げ出す。

「え、ああ。はい」

「ちょっと!」

 店を出ると、先程のミィの付人だろうか。派手な橙色の髪の少年と、白髪の女性、水色の髪をした女の子、茶髪の少女、それに金髪の少年と妙に若い人物たちの集団が驚いて自分を見ていた。

 ヴァン家がここで出てくるとは予想外だ。しかし、自分の身の上はばれていないはず。王と繋がっている少女か? ヴァン家といってもどの程度の血統でどこまで知っている少女だ。あの様子からすると自分のことは知らないっぽいが。

 足早に表の通りを抜ける。様々な事が頭をよぎる。ヴァン家に顔を見られた以上、長居は禁物だ。あの燭台の代金が貰えないのは痛いが、仕方ない。金は諦めて今日中にこの町を出よう。とりあえずは隣町に行って、そこからまた移動すればいい。

「待ってよ!」

 背後からミィの声が響く。そんなのに構っていられない。

 ――王家。その響きが欠片でも感じられるものからは全力で逃げなければ。



 黄昏時の商店街は影を長くして人々を帰宅の途に急がせる。少女の影を追いかけてミィたちは駆け脚になっていた。少女は自分が追われている事を知っているらしく、先程から一行を撒くように小道に入って複雑に角を曲がっている。

 こちらは特殊科のグッカスのおかげでなんとか足取りをつかめている状況の様だ。光たちは追跡に脚を引っ張ると思い、店で大人しく待っていることにした。

 計画ではミィがうまく少女を言いくるめ、ヴァン家まで連れてきて事の真相に迫る予定だった。しかし、ミィの名を聞いた瞬間に少女は一行の前から去ろうとし、今も不自然ではないぎりぎりのところで一行を撒こうとしている。

「慣れているな」

 グッカスが呟いた。視線を走らせて、少女の足取りを必死に追う。

「なにがだ?」

「ここまで裏道や小道を抜けているんだぞ。当然、地元ではないというなら、ここまで調べこんだってことだろう。つまり、自分がいざというときに抜ける道を常日頃から考えていたってことだ」

 グッカスの言葉にセダが感心して頷いた。

「じゃ、いざというときをいつも考えなきゃいけない立場なわけだ」

「そう、つまり……事情持ちは確定」

 ミィが呟く。話している間にも少女の影が消える。グッカスが視線を動かし、道と少女の選択を必死に考え、消えた足取りを追う。

「ヴァンの名を聞いた瞬間に逃げたようにも思えるな」

 セダが言うと二人が頷いた。

「でもヴァン家が追うような理由を私は知らないわ。私が知らないだけかもしれないけれど」

 ミィが知らない事情は多くあるだろう。だが、責任者として知らされていないことはない。少なくともミィが治めていた港町で犯罪を起こしたような人物ではないことは確かだ。

「こっちだ」

 グッカスがそう言って通りを選んだ時、見慣れた薄汚れた格好が意外と近くに視界に入る。

「……あ」

 呼ぼうとして少女が自分達を待っていたわけではないことがわかった。何せ少女は一行が追いついた形なのだから当然だが、背を向けて立っていた。そう、少女の行く手を阻むように漆黒の出で立ちの者がいたからだ。

「キョセル……?!」

 ミィが呟く。少女は数人のキョセルと呼ばれる者に囲まれていたのだ。

「くそ……!」

 少女の焦る声が聞こえる。事情持ちというにはあまり穏やかではない状況だ。

「お探し申し上げました。我々とお出でいただけますね?セーン=エイローズ様」

 じりっと少女の靴が砂を噛む。後退しようとして、逃げ場がないことを悟っている。数人のキョセルから逃げおおせるものなど同じキョセルでなければ無理な話だ。

「いやだ、と言ったら?」

 少女がそう言いながらも逃げ道を足掻くように探す姿がいっそ哀れだ。

「では、無理にでもお連れします」

 キョセルが動こうとした刹那、突風が吹いた。身体を揺さぶられるほどの突風。タイミングをずらした瞬間、少女が走り出す。視界の端にセダたちを確認したが、今はそれどころではないと言いたげに。

「待って……!」

 ミィが手を伸ばす。その刹那やはり速度で勝るキョセルが背後から少女を襲う。

「おい!」

 セダが抜刀した。そしてキョセルに向かう。

「セダ!!」

 グッカスが焦って吊られたように動き出す。キョセルの腕の中で気絶させられたであろう少女がぐったりして身体を弛緩させる。

「何者だ、お前ら!」

 セダの武器は空を切る。少女を抱えたキョセルが一足で距離をずいぶん離したからだ。

「動くな!」

 ミィが叫んだ。いつの間にか耳に目立つ青い房の耳飾りをつけている。

「我が名はミィ=ヴァン。三大王家ヴァン家が直系の娘! そこな者らよ、その少女は我が知り合いゆえ、手出しはまかりならぬ! ヴァン家の名において即刻動きを止めよ!!」

 神殿を擁するルンガの街はヴァン家が昔から強い支配力を持つ街だ。その街でヴァン家を敵に回すとどうなるかと脅しを掛けたわけである。

 キョセルらはどうする? と視線でやりあって一つの結論に落ち着いたようだ。

「この者はエイローズ家の者。我らエイローズはエイローズ家で禁を破りしこの者をずっと探しておりました。ミィ=ヴァン様。どうか我らが行動を阻まれますな。さすればこちらはセークエ・ジルサーデの名をもってして、正当性を示す事ができますぞ」

 キョセルの一人がそう言った。ミィがぐっと黙り込む。いくら昔から支配力が強いとはいえ、神殿を擁するこの町の長はセークエ・ジルサーデと決まっている。現在のセークエ・ジルサーデを擁立したのはエイローズ家。支配力が強いのはエイローズ家だ。

「待て!」

 グッカスが叫び返す。

「エイローズ家であるという証は?」

 ミィの証明は耳飾りでできるが、彼らはできない。そう踏んだグッカスの機転の利いた台詞だった。

「それにその子はルビーさんだぞ!」

 のっかるようにセダも叫んだ。逃げていたことや女装していたことを考えればおそらく偽名だろう。だがそう言い通してしまえば捕まえることもしにくくなるはず。

 双方のにらみ合いがしばらく続いていたが、そこに軽やかな馬車の音が聞こえてきた。

「おやおや、これはミィ様ではありませんか」

 馬車から優雅に降り立ったのは、いつぞや一回だけあった美しい女性――アーリア=エイローズだった。

「アーリア様……」

 アーリアはミィに挨拶の礼を取ると微笑む。

「騒ぎを聞きつけて来てみれば……うちの者がご迷惑をおかけしたようですね」

 当主の登場に殺気立っていたキョセルが皆礼の型を取って控える。

「そのキョセルは、エイローズ家のものですか?」

「ええ。こんな一目に着く場所で大勢見れば何かあったと思いますもの。ミィさまの感覚は至極まっとうです。それに彼女を心配していだたいたようで……お知り合いですか?」

 ミィを一度褒めた後、気絶したままの少女に視線を向け、アーリアが問う。

「はい」

 知り合いというほど仲良くなれなかったが知ってはいる。ミィは言い切った。

「そう」

 何か思う所があるのか、アーリアは黙っている。

「彼女、あんたの家の人なのか?」

 セダが言う。

「まぁ、ミィ様のご友人の方ですね……名は確かセダ様?」

 グッカスが愕然としてアーリアを見る。アーリアがセダの名をなぜ知っているのだ?!

「当然、我がエイローズ傘下の者です」

「なんで、そんな無理矢理連れて行くような真似すんだよ」

 この女性にうすら寒いものを覚えても引けないこともある。セダは強気に問うた。

「それはこの者らの落ち度ですわ。私は無理に連れろとは言っていませんから」

 少女の額にかかる髪を優雅に払うアーリア。その感覚にぴくっとまぶたが揺れ、気絶していた少女が目覚める。そして己を覗き込む容姿端麗な女性を認めて、驚愕に目を見開いた。

「アーリア、様……!」

「お目覚めか? セーン=エイローズ。それともルビーと呼ぼうか?」

「私と来てくれるな?」

 にっこりと妖艶に微笑まれて、セーンと呼ばれた少女が絶句する。

「アーリア様!」

 その瞬間にミィが声を張り上げた。アーリアがミィの方に艶めいた瞳を向ける。

「この前のご招待の御返事を差し上げておりませんでしたね? もしよろしければ、今からご一緒させてくださいな」

 これはミィにとっても引けないのだ。だって弟を助ける唯一の道が彼女かもしれないのだから。

「これはこれは」

 アーリアがにっこりとほほ笑む。その余裕な態度にグッカスもセダもそして言い放ったミィでさえ、緊張して身を固まらせる。

「では、ご招待いたしましょう。どうぞ、馬車へ皆様」

 少女の耳元でアーリアが何かを囁く。その瞬間、少女が硬直した。セダたちが見ているすぐそばで少女は青くなり、身をふるわせ始めた。

「グッカス、聴こえたか?」

 獣人ゆえに聴力が優れているグッカスにセダが囁く。グッカスは頷いてセダに囁き返した。

「――逃げてもいいのだぞ、と言っていた」

 それを聞いて瞬時にセダは決断した。

 ――少女を助けたい、と。

「グッカス、お前は別行動だ」

「……しかし!」

 グッカスはミィがアーリアと話している間にセダとの会話を続ける。

「助けてやろうぜ、あの女の子。きっとあの人に捕まりたくないんだろ?」

 少女の徹底した逃げっぷり、隠れ方……尋常じゃない。事情があるのだろう。

「そうのようだが。さて……」

「とりあえず、俺がミィとあの女のひとを足止めしてみるからよ」

「わかった。頼んだぞ、セダ」

 グッカスが頷いた。何かの鍵を握っているであろう少女がこのまま闇の中に消えてしまえば、こちらもまた迷ってしまう事になる。それだけは避けたい。

「ミィ様。ではわたくしめはヴァン家に知らせをやります」

 従者のようにグッカスが一礼する。

「あら、エイローズの家から使いをやりますわ」

「いえ。他の用もございますゆえ。わたくしめはここで失礼いたします」

 グッカスはそう言って礼をしたまま一行を見送る体制になった。

 それを見つつ少女も身をこわばらせながら馬車に乗り込む。優雅に微笑み続け、馬車の中でもたわいのない話を続けるアーリアと、それにつっかえながらも返すミィ。二人の少女の声以外馬車の中には響かず、極度の緊張した空気だけが流れつづけた。

 セダはグッカスに全てを托し気まずい馬車の中でどうするか、と悩み始めた。いきあたりばったりなのはいつものセダだが、それにしては馬車の中の空気が重すぎる。

 グッカスは馬車が見えなくなるとようやく身を起こし、そしてヴァン家の方向に走り去りつつ、建物の陰で人影を確認し、鳥に変じた。

 上空に飛び上がったグッカスは馬車を見つけるとエイローズ家のどこに馬車が向かうのかを確認するために後を追い始めた。


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