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モグトワールの遺跡  作者: 無依
第2章 土の大陸
15/24

1.男装少女と女装少年 【02】

...051


 土の大陸の神国・ドゥバドゥール。そこの首都である都市は三大王家にちなみ、王宮周辺以外が国の領土のように三大王家それぞれの支配力が強い地域がある特殊な街となっている。

 首都は形式上どこの領地でもないのだが、この国の成り立ちからそうなってしまうのだろう。人種的には何の変わりもないのに、ヴァンの民、エイローズの民、ルイーゼの民などと呼び分けられてしまう位で、己が何の民であるかを示すためにわざわざ砂岩に示して耳につける者もいる位だ。

 それくらい民は愛国心というよりかは自分の出生した領地の主を、王家を深く愛し、誇りに思っている。それが逆にこのドゥバドゥールの国民性ともいえるだろう。

 首都の一角では店や家の軒下にとある色の布がかかっている事が多い。その布の色で、この家は三大王家のどの家を主君と仰いでいるか示しているのである。耳に着ける砂岩と同じようなものだ。エイローズ家の色は臙脂色。ルイーゼ家ならば常盤色。ヴァン家なら瑠璃色の布が下がっているだろう。

 それだけ民に好かれるよう、誇りに思われるよう、民を失わないように各王家がそれぞれ民の為にいろいろ頑張って来たからである。それぞれが誇れる良き指導者であろうとしたがゆえに、民も離れて行かないのである。

 さて、首都の一角に脚を踏み入れると臙脂色が目立ってくる。当然、それはエイローズ家の支配が強い場所で、エイローズの領地から首都に移り住んだ民が多く暮らしている町並みでもある。その一等地に建つ一瞬城と間違う位立派で洒落た屋敷が見えれば、それはエイローズ家の首都での本家の家に他ならない。

 エイローズ家の領地から首都に政治をするために首都に造られた屋敷なのである。当然、その家の持ち主は現在のエイローズ家の当主に他ならない。その当主の元で他家に引けを取らぬ手腕を発揮する部下もまたこのエイローズの屋敷に多く出入りすることになるだろう。

 このような家を当然他家も所有しているが、ここではエイローズの話をしよう。広大かつ芸術的な庭。その屋敷を中心として繁栄する町並み。一つの首都がここに凝縮されたかのような町並み。そのエイローズの首都の屋敷の中でも特別な者しか出入りできない場所。奥まった当主の書斎の主は誰もいないのをいいことに書斎の机そのものに腰かけている女。気だるそうな様子でも、元から持ち合わせる高貴さがかき消して、妙に艶のある様子だ。

 そう、現在のエイローズ家の当主はれっきとした女性である。元々エイローズのはじまりであるリーダーが女性だったこともあり、エイローズでは他家より女性が強いというか活躍しやすい場所である。まだうら若き乙女と言える年齢の女性の美しい葡萄の様な赤紫色の髪は艶を持ち、高い鼻梁、緩やかに弧を描く唇と涼やかな淡い薄墨色の目をしていた。肌は白く、薄く引かれた赤い紅がいい意味で目立っている。

 広い書斎の広く高級な机に腰掛け、書類を遊びの様に目を通す女性。エイローズ家の現当主、名をアーリア=エイローズ。歳の頃はまだ二十歳をまたいだか否かという位。そのアーリアの元にふっと人影が舞い降りる。

「アーリア様」

「ユン。なぁに?」

 小柄の可愛らしい様子の黒い格好をした女の子と言える様子の少女、ユンと呼ばれた少女は、扉を開けることも無く突然現れたのに関わらず、アーリアは驚かない。

 それもそのはず。漆黒の出で立ち。軽装。それはこのドゥバドゥールにおいて一つの職業を推測させる。暗君キョセル――すなわち、諜報者のことだ。闇に潜み、相手にばれることなく情報をつかみ、主のためだけに行動する影に生きるもの。

 優れたキョセルを持つことはそれだけ自分のアドバンテージを上げさせる。時には要人の暗殺でさえこなすその職業は秘密裏に育成される。このユンもエイローズ家が手塩にかけて育てたキョセルの一人だ。

「届きました」

 そのキョセルであるユンが手渡したもの――黒い封書。

「ああ、やっと届いたの。『世界の中心に座す星占師』からの未来が」

「はい」

 少女からの黒い、ある意味不吉そうな封書を特に何も感じずに開く。目を通し、ふん、と鼻を鳴らした。

「どうせこの封書はあの聖女さまと腐れジジイも見てるんでしょ?」

「おそらくそうですねー」

「はっ。お二人のこれからの行動が軽く想像できるわねー」

 そしてひらりとその紙を手から離した。ひらひらと黒い紙が落ちる。

 黒い紙には白い字で何か書いてあるようだ。

「ふふん」

「どうしたんですかー?」

 ほくそ笑むアーリアと呼ばれる女性にユンと呼ばれた少女が声を掛ける。

「いやね、本当の意味をわかるかしらーって。表面上だけで騒がなきゃいいけどねー」

 このアーリア、実はエイローズ始まって以来の才女と名高い。始祖であるエイローズと肩を並べるほどだとも言われ、噂が絶えない。それほどにアーリアは政治的な手腕に長け、このエイローズを繁栄させるべくそれこそ幼女といえるような年齢から英才教育を施された上に、その教育以上の成果を発揮してきたのである。

 おかげでエイローズの民からその支持は絶対的であり、崇拝者が多いと言っても過言ではない。

「それとアーリア様」

「うーん?」

「“砂岩”を発見しました」

 ユンが真面目そうにそう言った刹那、アーリアが書類から目を離し、ユンを見つめ返した。

「どこ?」

「はい。神殿の街・ルンガで。おそらく間違いないかと思われます」

「ルンガ? 灯台元暗しとはこのことね。まさかエイローズの土地に居るとは……。ユン、他のキョセルは?」

「手配済みです」

「よろしい。……先に入っていなさい。私もすぐにルンガに行くわ。丁度今神殿にはヴァンの神子がいるんだったわね?」

 視線を鋭くさせ、何かを考えている表情のアーリアはよりいっそう美しく、それでいて冷たい印象を抱かせた。

「はい。ヴァン家直系一族の神子。キィ=ヴァン。神子として覚醒したのはわずか十歳にも満たず、それでいてたいそう頭の切れる少年との噂ですが」

「ヴァン家の後継と噂される双子の片割れ。そういえば、その神子に対抗してルイーゼも何か担ぎ込んだっけ? 誰だったかしら? あそこが新しく入れたのは」

「カナ=ルイーゼ。ルイーゼ家ではそこそこの血統です。ただルイーゼ直系一族と交流の深い分家の一家のようです。そこの嫡男ですね。どちらかというと神殿よりは軍事よりの少年で、大層剣に優れる様子」

 キョセルとして才能豊かなユンは主の求める情報を次々と述べていく。

「ふーん。うちが入れている神官パテトール神軍ナルマキアの中で使えそうな奴……」

「パテトールにはうちからマナを、ナルマキアにはテセとテデを入れて在ります。いつでもご命令を」

 キョセルの中から潜り込ませているということだ。この三大王家の一同が集まるような場所では情報こそが命。他家のキョセルが堂々と身分を偽って放たれている。

「よろしい。ユンは引き続きあのじじいを見張って頂戴」

「承知しました」

 ふっと視線を離すとユンはもうすでに部屋の中にいない。頭の回転の速いアーリアは今後どう動くかを考え始めていた。



 カナ=ルイーゼはやはくも後悔し始めていた。カナは幼馴染であり、自分にとって大切な少女がお願いをしてきたので、断るつもりは毛頭なかったのだが、さすがにこれはごねたくもなるというものだった。

 服装の規定があるのが気に入らない。神官パテトールたるもの、身は清潔にいつでも魔神様に見せて恥ずかしくないよう……云々。

 別に剣の稽古着は不衛生ではない。多少汚れてはいるが、小まめに洗濯している。

 なにより嫌なのが剣の稽古をしてはいけないことだ。それだけでではなく、身体を動かす(=鍛える)行為は禁じられてはいないが、あまり快く思われていないということだ。確かに神官が剣を振るうのは褒められた行為ではないだろう。神殿には神殿だけの兵・ナルマキアがいるのだから。

 そして、もう一つ嫌な事があった……。

「やぁ、カナ君? 今朝も清々しい空だ。どうだね? 一緒に潔斎でも」

「あー、いや、あのー」

 やって来たのはもう一団と言えるような集団だった。しかし口を開くのは一人だけ。真っ白な集団がゆったり歩いてくるのを見るだけでいらっとする。

 ――ここはドゥバドゥールの街でも歴史の古い街だ。なにせ建国当初いや、それより前から在る神殿を擁する街なのだから。

 広大な枯れる事のないオアシスが砂漠とは言わないまでも砂の多い大地で多くの人を支えている根源でもある。その街・ルンガの中心部に立つ白亜の宮殿と見まがう施設こそが土の大陸の神殿そのものだ。

 カナは三大王家ルイーゼ家から新たに送り込まれた神官見習いの一人である。神殿は信仰深い者が魔神に身を捧げ、仕えるためになる職業だ。そういう信仰深い人が神殿の門を叩き神官見習いとなってから神官となるわけだが、三大王家は神殿の運営を任されるセークエ・ジルサーデの元に運営される為、必ず神官となる血族を育てている。

 カナからすれば、努力している人を早く神官にしてあげろよ、と思うがそうは貴族が許さないらしい。

 そういうわけで三大王家の血族は将来神殿を牛耳るというと聞こえが悪いが確固たる地位を築き上げる為、小さい頃から神殿に王家血族の子を入らせる。カナは王が選らばれない昨今の事情で後に入るはめになったが、それも成人までだ。

 自分も神殿入りを命じた幼馴染も自分の祈りで魔神が新王を授けてくれるとは思ってもいない。他家に対抗するための人数合わせに過ぎないだけ。……なのだが。

「おや、これはルイーゼの? 潔斎はお済みか? まだならば早くした方がよろしいのでは?」

「エイローズの。御忠告痛み入る。カナ君、では後ほど」

 新しくまた白い集団がやってきた。しかし耳に付いている飾りの色で派閥がわかる。

 人数合わせのカナを神殿の将来の地位の争いに巻き込まないでほしいのだ。別にルイーゼ家として来たからといって前から神殿で地位を固めていたルイーゼのお偉いさんの一派に入ってごまをする気もなければ、他家と争おうとも思っていない。ただ、頼まれたから住処を変えてみただけなのだ。

「これは新しいルイーゼの……名はなんといったかな?」

 エイローズのお偉いさんがまだ歳もそう離れていなさそうなのに上から目線で問う。普段だったらぶっ飛ばしてやるところだが騒ぎや争いが御法度の神殿内ではそうもいかない。ここはさっと逃げよう。

「カナ=ルイーゼです」

 一礼をし、さっさとUターン。朝の潔斎? 知った事か。朝の稽古後の水浴びなら好きだが。誰が好き好んで黙ってオアシスの支流に浸かったりするものかよ。

「君ぃ!」

 背後から高々と声を掛けられる。振り返るまでもなく声で誰かわかってしまった。

「はぁ?」

 はいではなくはぁ? と言ってしまうのはくせだ。相手がわかっているからなおさら。

「またそんな服装をして! 規定の神服はどうした?」

「あー、いや、汚したらまずそうなんで着るのやめたんです」

「はぁ? なぜパテトールたるものが汚すなどという行為に? そもそもなぜ帯刀しているのかね?」

「いや、自分は武君(セビエト―ル)を目指しているんで、剣が側にないと落ちつかないんすよ」

「それは神兵ナルマキアの仕事だ! そもそもパテトールたるもの……」

 と長々と説教が始まってしまう。朝から嫌な奴に捕まった。

 こいつはティズ=ヴァン。今のところ神殿で一番の地位を築き上げているヴァン家の嫡子だ。他家を毛嫌いし、己以外の派閥に対しいつも説教臭い。カナはこいつが嫌いで意地でも神官服という純白の女がきるような身にぴちっとしてひらひらした服を着るものかと思っている。

 そうあくまでカナに未来の神殿の地位など関係ないのだ。だれが従うか。

「ティズ様、そんなとこでご高説は有難いけれど、潔斎が終わらないとまずいんじゃないですか?」

ティズの集団の背後から新しい声が響き渡った。まるで操られたように一行が振り返る。

「キィ……そういうお前は」

 ざざっと一行がティズに闖入者を見せる為に割れる。おかげでカナにもその人物が見えた。

 薄い金髪に薄い金の目。小柄で華奢なその姿は神官服がよく似合い、薄幸そうな印象を与える。耳に着いた色は瑠璃。すなわちヴァン家だ。

「とっくに済ませましたよ」

 しれっと言って歩み去ろうとする少年の腕には分厚い本が三冊乗っている。

「待て、キィ」

「はい? なんか用ですか?」

「朝の祈りの儀式には我々と共に行こう」

「やですよ」

 ばっさりと誘いを蹴るともういいですか、と平然と言って少年は歩み去る。

 誰しもぽかーんとして少年を見つめ、いち早く立ち直ったカナだけが少年を追いかけた。

「待ってくれ!」

 振り返った少年はきょとんとして曲がり度で待っていた。

「お前って、あーっと、その」

「何か用かい? カナ=ルイーゼさん」

「え? 俺の名を?」

「知らないわけないさ。君有名だもの、ルイーゼの新星」

「そうなのか? 俺は有名なのか? そういうお前は?」

 少年は肩をすくめるに留めた。

「君、それくらい知るようにしないとここでは暮らしていけないよ? 俺のことが知りたくばうまいことして聞きだしなよ。この格好していることから俺が神官見習いってことはわかるだろう? 探してご覧」

 くすりと笑って少年は去っていった。ぼぅっとそれを見送ってしまったが、カナはふっと我に返って怒りより先に当惑に唸ったのだった。幸い、優秀なカナの幼馴染の配慮でカナの付人も一緒に神殿に入っている。

 カナは頭脳派ではないので、この神殿の人間関係の構築も付人であるファンランにまかせっきりである。

 そのファンランによれば、少年はやはりヴァン家の人間だった。しかも神子だという。ルイーゼ家であるカナにとっては目から鱗な話だった。

 キィ=ヴァンは神子であるというその存在を隠して育てられた。しかし王が選出されない事態に危機を感じたヴァン家によって神官に担ぎ出された。タイムリーに神子を選出したことからその存在を疑われたそうだが、古来より神子の条件であるという『土を自在に操る』という事を見せたことから誰も疑えなくなったらしい。

 その能力を見せたのは二回。ヴァン家から神殿に入る前にヴァン家の当主や現ヴァン家が擁する王・ガルバ・ジルサーデと多くのヴァンの民の前で堂々と土を操り、ヴァン家、ヴァンの民から拍手喝さい、大きな声援を受けて神殿入りした時。

 そして神殿の神官たちの前で己を神子と認めさせるための神殿内での一回。

 たったの二回で万民に神子を認められたという。ヴァン家も他家も神子が本格的に神殿に神子が入ったことから当時大きく話題になったそうだ。これで未来は明るく、王が選ばれるのも時間の問題だと。

 それに反発したのは元々ヴァン家の神官候補として神殿に入っていたヴァン家直系のティズ=ヴァンだ。キィは神官見習いという立場だがいざとなれば神殿を作ったルイーゼの星の遺言に倣い、キィつまり神子が神殿のトップに君臨する事になる。それゆえ、誰よりもキィは神殿に波乱を起こしたと言える。

 己の立ち位置を下げない為に、ヴァン家内での血統の高さにものを言わせ、ティズはキィを神殿の地下に軟禁した。キィが文句を言わないのをいい事にティズは神殿の地位を動かぬものにした。

 そこで危機を抱いたのが他家だ。現在のセークエ・ジルサーデといっても今は退位を表明しているが、セークエ・ジルサーデを擁するエイローズ家は現在の地位を護るのに必死であり、立ち位置が危ういルイーゼ家は新しく神殿に人員を送り込む事にした。それがカナである。

 カナはルイーゼ家ではそこまで地位が高い家の生まれではない。分家の生まれだが本家に仕える家と言った方がいい。本家の幼馴染であり当主であるアイリス=ルイーゼの命により遣わされたのがカナというわけだった。

 何も考えずにただ神殿に居てくれればいいという幼馴染の思惑はルイーゼ家でそこそこの血統を持てばそれでよかったのである。現在の神殿のトップであるセークエ・ジルサーデはエイローズ家出身。元々神殿を作った初代のセークエ・ジルサーデはヴァン家が輩出した。それに加え神子を持ちだしたヴァン家。今ルイーゼ家が神殿で争うには部が悪いので、人数調整だけできれば他家に引けを取らなければ良いということなのだ。

 ようやく事情を飲み込めたカナはキィの元を訪ねたのだった。

 最初はルイーゼ家のいざこざを持ちこんだのかと、キィの付人に丁重にお断りをされていたカナだったが、その熱意にキィの方が先に折れてカナと会う事を了承した。

 今思えばなぜそんなにもキィに会いたかったのかよくわからない。しかしあの場でティズを退けたこの少年に興味を覚えたのは確かなのだ。

「へぇ……本当にルイーゼは神殿の争いに興味がないというか、今はそこに力を割く暇がないか……」

 しばらく会ううちにキィはそう言ってカナをまじまじと見た。キィの方もカナについて調べたらしい。偉い身分であるにも関わらずキィは驕らないし、偉そうにしない所が気にいった。これでキィの方が年上だというから驚きだ。

 きっとアイリスも好きな性格と人柄だと思う。カナの方はキィについて最初の情報以外は調べたりはしなかった。そう、直観だけれどカナは初対面でかなりキィを気にいったのだ。おそらく友達になりたいと思ったのだろう。

 キィもカナに似て神殿内で派閥に組していなかった。それは己の神子という特別な立場を考えて事なのか、カナの様に面倒だからか。……数回会っておそらく後者だと思うが、独りが多くそこも気に入った。気軽に訪ねられるからだ。

 初めはおざなりな態度で本を読みながら会話をしていたが、そのうちカナに興味が出たらしく、一月も通ううちに友達の様な間柄に変わっていっていた。カナは退屈な神殿生活でキィという友人を持てたことに感謝した。

 いずれ自分はアイリスの補佐をするためにきっと軍に入り、アイリスの武官セビエトールになるだろうが、できればキィとは争いたくないなとも思ったし、アイリスの次にセビエト―ルになってもいいかなとさえ思った。



 ……というような成れ染め? でキィとカナはかなり親密な仲になっていた。

「……さっきから黙ってどうかした?」

 相変わらず本を読みながら会話をするのは変わらないが、急に黙り込んだのを不審に思ったらしく本から目を上げたキィがカナを見ていた。

「いんや。にしてもまた本変わったな。……ファズト経済理論? また難しそうな……」

「うん。頭が足りないカナには無理だと思うよ」

 そしてキィは口が悪い。毒舌だ。キィ曰く、カナはできない姉に少し似ているらしい。

「そんなん読んで面白いか?」

「うーん、面白くはないかな。ただ勉強になるのは確か。俺はいろんな面でミィを補佐してあげようと思っているから、知識はあって困る事はない。カナがアイリス様の為に剣の腕を磨くのと一緒」

「ほー、成程。そう言われると納得だわ。ほんとお前頭いいな」

 カナは神官パテトールではなく、武官(セビエト―ル)になる事が目標だ。ちなみにキィもパテトールではなく、双子の姉であるミィを補佐するのが目標と言っている。

 神殿なんか興味ない所も二人は意気投合していた。

「そういや、カナ聞いたかい?」

「ん?」

「俺ら急に仲良くなってそれからずっと一緒だからルイーゼの新星が孤高の神子を落としたって噂になっているってさ」

 笑いながら言われるとカナの方がきょとんとしてしまう。落とした? 不思議そうな顔をしているとカナの付人であるファンランに溜息と共に言われる。

「カナ様。カナ様はキィ様の恋人になられたと噂を立てられているのですよ? もう少し深くお考えに……」

「えぇええ??!」

 そう言われた瞬間にカナは叫んだ。それを見てキィはからから人ごとのように笑っている。

「恋人って、キィも俺も男じゃんか!!」

「そうでもねーんだぜぇ? 神殿は女人禁制。うっ屈したその想いは同性へと向けられて……ってのが冗談抜きでたまに神殿であるんだってさ。面白いよな、そんなこと考えつくのがさー」

「面白いって、お前! 俺嫌だ! ぜってー嫌だぞ!! なんで、そんなことに!」

 アイリスのことだ、その噂はもう耳に入っていて次に会った時に何を言われるか……。

 キィは笑いながら言う。

「いやがらせに決まってんだろ」

「ええ? いやがらせぇ?!」

「気にすることはないさ。だって普通に考えてみな? 付人がいないと何もできない様な王族のお坊ちゃんがさ、暗君キョセルの一人や二人引き連れていないわけないだろ? 俺とお前が何もしてないことくらいわかるし、そんな関係じゃないのもわかるはずさ」

 そういうキィを見てファンランは別の意味で溜息をついた。

「本当にキィ様は頭の回転がお早いですねぇ。カナ様とは大違いだ。叶うならアイリス様と有意義な時間が過ごせそうですね、キィ様なら」

「ありがと。あ! そうか嫌がっているカナに良い事思いついたよ」

「え……?」

 カナがひきつってキィを見るとまるで悪戯を思いついたようににっこりと笑っていた。



 ――後日、カナとキィは同室になっていただけでなく、ちゃっかり同じ行動を取っても咎められないようにスケジュールが変わっていた。

 どうやったら一晩でそんな強権が発動できるのか。実はキィが一番神殿の神官見習いの中で権力を持っているのではないかと思うほどだ。

 おかげで恋人説が濃厚になってしまったが、見とがめられる剣の稽古を広くなった部屋で好きなだけ出来るようになったのでそれはそれでまぁいいかと考えるようになっていた。

 そう、カナは単純なのでキィが言ったように気にしなくなったのだった。人の噂は七十五日。カナの頭の中身は……わずか一週間だった。


...052


 ミィは計画を二、三日で立てると、己の仕事を見事に配下の者に振り分け、一行を引き連れて神殿が在るという街・ルンガへと馬車を走らせた。

 馬車なんて上等な物に乗り合わせる機会が少ない一行は単純に旅路を楽しんでいた。

 楓や光は馬車に乗った事がないので興味津々だ。

 数日宿に泊まり、馬車を走らせるうちに景色は砂が多い地域に変わっていった。これがセダ達は初めて見る砂の海とよく似た砂漠というものだった。

 ルンガは砂漠の中のオアシスの中に建てられた街だが、栄えていることも在り、近隣の街と石畳の街道が整備されている。馬車で行き来できるようになっているのだった。

 おかげで砂漠は辛い道のりのはずだがそこまで時間をかけることなくルンガに到着した。

 当然神殿を治めるヴァン家の出なだけあり、ルンガに大きな屋敷を持っているらしく白い宮殿のようで真っ青な屋根が付いた建物に案内された。門には瑠璃色の旗が、よくみるとあちらこちらに瑠璃色の布地がはためいている。

 ドゥバドゥールにおいて青はヴァン家を示すのだそうだ。その中でも瑠璃色は禁色と呼ばれ、王家しか使用を許されていない。

 禁色は三色在り、ヴァンを示す瑠璃色、エイローズを示す臙脂色、ルイーゼを示す常盤色となっている。

 禁色といっても使用を禁じているわけではなく、旗など公用のものの使用を禁じられているだけだ。そしてドゥバドゥールの色が土のエレメントを示す黄色。これを貴色という。

 三大王家のそれぞれの家紋は貴色の文字色に下地の色をそれぞれの三大王家の禁色で描く、と決まっているのだそうだ。つまりそれぞれの王がジルサーデと云う形で各王家の頂点に君臨し、国の仕事の一角を担う。そのための分かりやすい旗印を決める事で分かり易く建物や公的なものの手続きをしやすくする目的があるのだ。

「おかえりなさいませ、ミィ様」

 ミィの馬車が到着し、一行が馬車から降り立った時には、ずらーっと使用人が並んでミィを迎え出ていた。こういう風景を見るとミィが王家の、しかも良家の一員なのだと実感する。

「うん、ただいま。こちら私のお客様。丁重におもてなししてくれ」

「かしこまりました」

 ミィはいつでもヴァン家の流儀らしいが人をもてなす事を忘れない。馬車の旅で疲れてもいない一行を癒すために一日の休暇を取り、二日目はルンガの街を案内してくれた。

 ミィが案内できるほどにミィはこの町に慣れ、治安が良いということなのだろう。そこで観光客に紛れて神殿の一般公開されている場所に入った。宗教的な事で土の魔神がいかに国民の信仰の対象になっているかがわかり、ヌグファ等は感心してメモを取ったりと忙しかった。

 そしてミィが静かに囁き、視線を走らせる事で一般公開されていない場所への入り口を密かに確認した。その神殿からの帰り道テラが歓声を上げた。

「わぁ~きれい!!」

 神殿から伸びる参道の商店街の一角で立ち止まっている。

「どうしたんだ?」

 セダが立ち止まるがグッカスはくだらないとばっさり切り捨てている。

「見てよ、すっごい綺麗」

 お店のショウウィンドウ前で動かないテラの前には置物? と言っては違うような彫刻のようなものがある。おそらく形からして、彫刻の像だろう。しかし一つの材質からつくられたとは思えないカラフルさと内側から光るようなその色相でセダも脚を止めた。

「わ、ほんと綺麗。これは砂岩の彫刻ね」

 ミィが覗き込んで言う。グッカスはそれを聞いて眉の形を変えた。

(……彫刻ね、だと?)

「これは土の魔神様。一般的な姿だ。それにしても腕がいい、ここまで色合いが美しく、魔神様のお姿を表現できるなんて」

 グッカスはミィの口調が一瞬変わったのをいぶかしげに眺めていたが、他の者は砂岩の彫刻に夢中で気付かなかったようだ。

 グッカスが見てもその彫刻は美しかった。女神が両腕を掲げ、その両腕から砂がまるで生きているかのような動きを見せる場面を形にしたものだ。己の操る砂を見上げ、微笑むその表情は慈愛に満ちており、砂が虹色に見る角度で変わるように彩色されているようだ。

 大きさとしてはそこまで大きくない。20cmくらいだろうか。しかし、その細かい部分までの精巧さや色遣い。これは芸術品と言ってもいいレベルだった。

「お客様、お目が高いですな。こちらの彫刻でしょう?」

「ええ」

 ミィが治めている土地とは違い、ここでは誰もがミィを知っているというわけではないようだ。お金持ちの貴族とその一行とでも思っているのだろう。でなければこのような美しい彫刻を買うような一行には見られないだろう。

「専属の砂岩加工師を雇っているのか?」

「いえ、こちらは“作品”ですよ。もちろん、飾って見るだけでこちらとしても眼福なのですがね」

 店主と思わしき男性の話を聞いてミィは目を丸くした。

「卵の作品なのか? すごいじゃないか!」

「……卵?」

 テラが問う。

「お客様はもしや外からですか?」

 土の大陸はほぼドゥバドゥールが統一しているが、そうではない人も多くいる。しかし魔神信仰は根付いており、神殿に参拝へ来る外国の者は多いのだ。そう言う意味で慣れているのだろう。

「こちらは砂岩加工師を目指すその職人の卵の作品なのです。砂岩加工師になる為の武者修行中の作品ですよ。つまりまだプロではないのです」

「アマでこのレベル? プロはどれだけすごいのかな?」

 テラが興奮してヌグファに言う。

「いえ、彼女……この作品の作者のレベルはプロとそん色ないですよ。なぜ今も卵なのかこちらが聞きたいくらいです。彼女の作品は人気で展示して数日で無くなってしまうのです」

「わかるかも。だって目が合っちゃったらもう、動けないもの。吸い込まれそうな、ずっと見ていたいような」

 テラがほぅっと溜息をつく。ヌグファや光も見入っている。セダは芸術関係にはあまり興味がないが、確かに引き込まれるような美しさを持っている像だった。

「ご店主、こちらおいくら?」

 ミィが言う。

「え?買ってくれるの? ミィ」

 テラと光が飛びあがって喜ぶ。

「何言っている。これは俺のだぞ。みんなが見える場所に飾るがな」

 ウインクと共に告げられた言葉に女性陣が喜んでいた。

「いえ、大変申し訳ないのですが……こちらの作品は……」

 店主が申し訳なさそうに頭を軽く下げる。

「店主、約束通り引き取らせていただきに来たぞ」

 店の前で集まっていた一行を割るように高らかに声が響いた。事情を知らない皆が目を丸くして声の主を眺めている。

 はっとする美人だった。艶を持った赤紫の髪にきめ細かい白い肌。艶を持った唇に涼やかな目元。黒い詰襟のドレスはシンプルで在りつつ職人芸を思わせる刺繍に彩られている。

「これはこれはエイローズ様」

 その名を聞いた瞬間、ミィが身を固くする。しかしエイローズと呼ばれた女性に共は一人しかいなかった。

「ん? この作品に目を惹かれたかしら?それは目が高い。しかし申し訳ないわ。これは私が買い取り、神殿に奉納する予定でね。神殿に参拝していただければいつでもご覧にいれる場所に安置しよう」

 にっこり微笑まれ、セダが自分に言われたわけでもないのにドキッとした。そして一行の中から女性がミィの方へ眼を向ける。

「おや、挨拶が遅れて申し訳ないわ。ヴァンのミィ様、弟君へのお見舞ですの?」

「いえ、こちらこそ、エイローズのアーリア様」

 女性は耳に臙脂色の房のついた耳飾りをつけていた。三大王家の偉い人なのだろう。

「もう神殿へは参拝されたの?」

「いえ。本日はお客人らを案内しておりましたので」

「……お客人。中には宝人の方も混じっておいでですね。申し遅れました。わたくし、アーリア=エイローズと申します。このルンガを治めてもおります。不自由などございましたら遠慮なく仰って下さいな。といってもヴァン家のお客人ならその心配は無用ですわね」

「いえ、お構いなく」

 テラが微笑みつつ、アーリアの美しさに驚きつつも応える。

「参拝がまだでしたらミィ様はあのお噂はご存じないのですね?」

「噂とは?」

 小首を傾げて悩む様子も美しい。

「弟君のですわ」

「……え」

 ミィが顔色を陰らせる。それに気付いてアーリアは微笑んだ。

「わたくしとしたことが、こんな往来で立ち話など。もしお時間がお有りでしたらわたくしの家に居らっしゃいませんか? お客様共々御もてなしさせていただきますわ」

「え、それは……」

 ミィが言い淀む。よくよく考えればエイローズとは仲が良くないはずだ。親しげにしてくれるこの女性とて裏では何を考えているかわかったものではない。現にミィが後に引けない弟の話を持ち出しているではないか。

「ご心配なさらずとも日が暮れる前にはお開きにしますわ」

 畳みかけるように言うアーリアにミィは困ったように微笑んで精一杯言い返した。

「大変ありがたいお誘いですが、急な事ですし日を改めて……ということに致しませんか?」

「あら、残念ですわ。ではまた後日、お待ちしておりますわ」

 アーリアはにっこり笑うと、砂岩の彫刻を包んでもらって一礼すると颯爽と返っていった。

「すんげー綺麗な人だったな。ミィ、知り合いか?」

 セダが問うとミィは困った感じで肩を竦めた。

「知り合いと云うほどではないんだよね。まぁ顔見知りというか、何度も会ってはいるんだけれど。あちらさん、気さくな方で、嫌いじゃないんだけどね……。ああ見えてエイローズのご当主さまでもあって、警戒せずにはいられないというか……」

「ええ!? あの若さで当主? エイローズって王家の一番偉い人?」

 テラが驚いて叫ぶ。

「まぁエイローズで一番偉いのはセークエ・ジルサーデであるアルカン=エイローズ様だけれど……事実上エイローズを動かしているのはさっきのアーリア様だから」

「うへー。すげーな」

「それじゃ、ヴァン家のミィとしては気をつけないければいけないわけだね」

「そうそう。他家と話す時は気をつけろってキィにも言われてるし……。あんまりそういうやり取り? みたいなの得意じゃないんだよなぁ。個人的にはアーリア様好きなんだけど」

 ミィはそう言って一行を促した。

「確かに裏では何考えてるかわからないような女だったな」

「グッカスはキィと同じこと言うなぁ」

「っていうかお前が裏表なさすぎなんだろう。それは人として信頼できるが、お前の場合生まれた家が家なだけにまずいんじゃないのか?」

 ミィがそう言われ舌を出した。

「そうそう。叔父様にもキィにもよく言われる。だからこそキィが必要なのさ。キィと私は二人で一つ。ずっと一緒って、そう二人で決めてたんだ。対外交渉ごとはキィ任せな私も悪かったけど」

 苦笑するミィ。キィという双子の弟に会ったことはないが、ミィとキィでずっと一緒に全ての事にあたって二人で解決してきたのだろう。だからこそ、それ以上にミィにとってキィがかけがえのない存在なのだ。ミィにとってなくてはならないのだろう。

「俺ら、力になるからな!」

 セダがそう言うとミィがやっと笑顔になって頷いた。


...053


 キィと同室になって一カ月が過ぎた。その間に分かったことと言えばキィがずぼらであるという事だった。

 キィは神子という権限を最大限に利用して神殿のお偉いさんにうまく取り入り、自分の私生活に口を挟ませないようにしている事がよくわかった。

 キィは神官必須の朝の潔斎ですらまともに行っていなかった。カナも面倒とは思っていたが対外的にまずい気がして果てしなく短い時間ではあるものの行っていた。

 しかしキィはその時間に合わせて神殿内の書庫に出入りし、さも潔斎は一番に済ませましたと嘘をついていたのである。

 そして食事すら集団で食べる神殿の習慣が気に食わないらしく、食が細いという事にし、軽食を常に持ちこみ己の好きな時間に好きなように食べている。

 しかも食料の確保は自分の付人に任せるなど徹底した個人主義ぶりだ。よくそんなんでいままで生きてきたな、と言えば今までは双子の姉がそこ辺りをしっかり管理していたのだそうでカナは双子のまだ見ぬ姉に、お疲れと肩を叩いてあげたい気分になった。

 と思えば付人をしょっちゅう神殿内に放ち、情報収集は密にやっている。この一カ月の間にカナがキィに抱いた印象といえばその位か。

 カナはカナで自分の腕や間力を落とさないように自己鍛錬に余念がない(室内だが)。キィは情報収集と読書に忙しい。同室の割には話すことも特にない。

 しかし互いに互いが気にならず、かといって邪魔にもならない現状最高の日々を過ごしていた。



 と、そんな日常を送っていた二人だが、その日の晩はなにか騒がしかった。

「ファンラン」

 カナが呼ぶと従者である青年が続きの部屋(キィの従者と同室)から現れた。それに合わせてキィの従者であるファゴも出てきた。

「なんか騒がしいな。いつも自分の会話すら響きそうなくらい静かなのによ」

「そうですね。調べて参りましょうか」

「いや、いい。どうせ明日にも原因は知れる。ここで出てく方が面倒そう」

 キィが何故かファンランにそう告げる。するとなぜかファンランもカナの従者であるはずなのに、まるで主人に言われたかのように頷いた。

 最初は疑問に思ったり、憤ったりしたものだが、今では慣れた。

 それにファンランをうまく使う事が出来るのも断然キィだ。カナは所詮暮らしやすく己のしたいことができれば満足なのだ。

「まさか賊の侵入だったりしてな」

「まさか」

「だってここらで最近砂賊が出没してるんだろ? やっぱりジルサーデが立たないとそういう輩が多いよな」

 カナがそう言うと、キィも頷いた。

「俺らが任されている港町も海賊に悩まされているんだよ」

「そうなのか? じゃ、アイリスが許してくれたら俺、キィの街の自警団にでもなろっか?」

 キィがそれを聞いて噴き出した。

「おいおい、ありがたいけど、もうちょっと現実的に考えろよ。ルイーゼのカナがヴァン家の領地を守れるわけないだろ?」

「そうかぁ? 面倒だよなぁ。この三大王家って派閥も。俺個人的にキィは好きだし、仲良くしてもいいと思うんだけどなぁ。キィの話を聞く限り、キィの双子の姉さんもいい人っぽいじゃん。アイリスも確かに頭はいいけど、基本的に悪いやつじゃねーし……仲良くできると思うのに」

 キィが少し寂しそうな顔をして苦笑する。

「だなぁ。そうできたらいいよな。こればっかは先人達のこともあるしな……。だけどいがみ合うのは悪いことばかりじゃないぜ? 競い合うからここまでこの国は豊かになったんだ」

「そっかぁ。そういう面もあるかぁ」

「そーそ」

 二人がそう話し合っている最中、ノックがされた。ファンランが出る。何か知らせにきたであろう使用人がファンランに何かを言う。ファンランが頷いた。

「なんだったー?」

「……その、図星でした。カナ様」

「へ?」

「賊が侵入したようです。東殿の方角らしく、部屋から出るなとのお達しです」

 それを聞いてキィが笑いだす。冗談だったカナも笑うしかない。しかし神殿には多くのナルマキア(神兵)がいる。ナルマキアとはパテトール(神官)に仕える神殿に勤務する兵のことだ。自分達が手を出すまでもなくすぐに騒ぎは収まるだろう。

「ファンラン。おれ少し興味あるから見てきてよ」

 神殿に入りこむ賊というのにちょっと興味があったのだ。ファンランは溜息をついて頷いた。

「承知いたしました、カナ様」

 ファンランが帯刀して出て行こうとした時キィがファゴに声を掛けた。

「ファゴも話の種に見てきて息抜きをしてくるといい」

「はい。ありがとうございます」

 ファゴがそう言って一応帯刀し、ファンランを連れだって部屋から出て行った。

 二人の付人は一応カナとキィのナルマキアとして神殿に入っているのだ。帯刀も許され、いざという時に顔が効く。

「にしても神殿に狙うって、何が狙いなんだろな、逆に」

 と話していたらまたノック音がした。

「なんだよ、ファンラン。忘れ物か? ……って、あれ?」

 カナが扉に向かって言い放ち、近場にいたキィが扉を開けたままの様子で固まっている。

「どーしたぁ? キィ」

「キィ!!」

 扉を開けて固まっていたキィに誰かが抱きついた。

「ミィ! なんでここに?!」

 キィの驚いた声がする。抱きついている少年のような姿はよく見えない。しかしキィからよく話を聞いていた双子の姉の名がミィではなかったか? ヴァン家のご息女・ミィ=ヴァン。キィの双子の姉。

「来て!」

 抱きついた何ものかがキィの手を引いて勢いよく部屋の外へキィを連れて掛けて行く。

「キィ!」

 カナが叫んで追いかけようとした際、長い衣をかぶった何者かがカナの行く手を阻んだ。

「どけ!」

 カナが言っても相手はどこうとしない。カナは帯刀していた獲物を相手の目前に翳し、同じ事を言った。しかし相手の反応は変わらない。

「悪く思うなよ」

 振りかぶった刃が相手のナイフと激突する。どうやらこの人物を倒さないとキィの後は追えないようだ。

 相手はナイフの扱いが相当巧く、カナの動きに合わせているかのように滑らかに動く。長い衣の下から程よい殺気が漏れ、久々の感覚にカナは思わず笑みが漏れた。

 どちらかといえばキョセルに動きが似ている。背後から狙うような動きが多いのもよく似ている。しかし、ただ単純にキョセルというわけでもなさそうだ。動きが甘いし、どことなく違和感がある。

 カナが己の生家がもつ権力を利用した点と言えば、様々な猛者と討ち合い、仕合を行ったことだろう。カナは見かけによらず腕を磨くことには果てしなく真面目で、己の鍛錬を怠らないのだ。

 ゆえに、カナは自分では気付いていない、というのも正式な軍に所属できる年齢ではないからだが、かなりの腕を持っている強者であった。そのため討ち合いがしばらく続いたが、獲物の差が出たのか、相手がじりじりと押され始めた。

「もう後がないぜ」

 カナは相手を窓際まで追い詰めた。ここは四階だ。窓から逃げるという手はない。その衣をまず剥いでやろうとカナが裾を握った瞬間、逃げるように相手は窓際に飛び上がる。

 その時に繰り出された蹴りを仰け反る事でぎりぎり避ける。しかし相手が追い詰められているのは同じ。カナが一歩踏み出すと相手はそのまま後ろに倒れ込む。

「おい!!」

 そこは窓際。まさか、失敗の暁には死をという暗君だったのだろうか。殺すつもりはなかったのに。相手はそのまま後ろ向きに身を空に躍らせた。

 カナは急いで窓枠に駆け寄り腕を伸ばした。

「え?!」

 手を伸ばした先には何もなかった。そう“何”も。

 在るべきはずの身を躍らせているであろう身体も、あまり見たくない身を散らしたその姿も。何もない。空に溶けるように相手は消え去っていた。

「消えた……?」

 いくら優秀な暗君でもあんな無理な体勢から無事でいるのものだろうか。カナは呆然として窓の外を見つめていた。

 そんなカナの視界に鮮やかなあまり見ないオレンジ色の小鳥が横切っていった。

「っと、そんな場合じゃない! キィ!!」

 カナは慌てて部屋を駆けだして行った。

「予想外に足止めにならなかったが……セダがなんとかするだろう」

 オレンジ色の小鳥、グッカスは誰もいない部屋の窓枠に止まって呟いた。そして状況を確認するために再び空に身を躍らせたのだった。



 あらかじめ用意していた馬までミィはキィの手を引いて走る。そのすぐ後ろをセダが追う足音もする。陽動のヌグファたちは大丈夫だろうか。いざとなったらリュミィという女性が逃がすと言っていたが。

 ミィはそれよりも手の中にあるこの確かな熱さに幸せを覚えていた。やっと、やっとだ。己の半身を取り戻した。キィ。私の弟。

 馬にキィを乗せようとしたところでキィがミィを見つめる。

「どうして? ミィ!」

「助けにきたんだよ! キィ。早く乗って!」

 キィは驚きより愕然とした顔をした。

「……なんて事を……」

 キィが呟く。その時高い馬の嘶きが聞こえた。

「キィ!」

「もう追手が! 行け! ミィ」

 セダが叫ぶ。ミィが頷いてキィを馬に引っ張り上げ、手綱を取った。

「説明してよ、ミィ!」

 キィがミィに捕まりながら叫ぶ。ミィはキィに応えず馬を走らせる。背後で甲高い刃の音。あの声はカナだ。カナが心配して追ってきてくれている。でも、相手がミィなら、この人たちはミィの知り合いか、ミィに頼まれた人だ。ミィが巻きこんだのだ。

 頭を抱えたくなるほど破天荒の行動をする姉を、神殿の平和な場所で忘れていた。

「ミィ!!」

「もうちょっとだから!」

 馬の足音と風の音で声が届きにくいのだろうか。いつも破天荒な事ばかりして、その後始末を自分がいつもしてきて……だけどここまでは予想外だよ。とキィはとりあえずどうやって馬を止めようかと考えていた。



 いつもの両刃刀を振り回し、追手の少年と戦っているセダだが、内心かなり焦っていた。

 足元が砂というのを抜きにしても相手が悪いと感じた。セヴンスクールではセダより強いものは居なかった。だってセダが主席なのだから。しかしこの目の前の少年は強い。

 全身を覆い隠していた衣は等に動きの邪魔になるので捨ててしまった。一瞬の気の持って行きかたで勝敗が決する。武器の差というのはもちろんあるだろう。それを抜きにしても速い。動きについて行くのが精一杯だ。それに加え、一撃が重い。

 ――くそ、世界は広いな!

 自分と同じような年齢の少年でさえ、ここまで強い。世界は広い! 自分の実力を出せずにいた学校内とは違う。本気を出せる相手が少ないあの場所での物足りなさがここでは命取りだ。しかし、セダが逆にそれが嬉しかった。それが楽しかった。本気を出せる相手がいること、本気を出しても敵わないかもしれない相手がいること。

「あー、強い! お前強いよ!」

 話しかけられた相手は一瞬驚いた顔をしたが、にやりと笑った。

「お前もな!」

 こりゃ本気をもう出しているけれど、奥の手しかない。セダはそう考え、両刃刀の柄をにぎりこみ、ひねった。すると音も立てずに両刃刀が折れたように真っ二つになり、二本の剣となる。

「なにそれ! 面白い得物だな!」

 相手が喜んだ声を上げる。セダは自ら壊したように見える剣を構えなおした。セダの武器が特注なのはこの点だ。柄を回すことで接続されている両刃刀の形式と、柄を離す事によって二刀になる武器。

 セヴンスクールでは武器の大まかな分け方で専攻を決めていた。しかし多くの生徒は専攻の中から己に合う武器を一つだけ選ぶ。セダはそれをしなかった。全ての武器を多少の得手不得手はありつつ見事に使いこなしたからだ。

 好きな武器を決めかねたセダは今回の旅に効率を重視し、この両刃刀を選んだのである。

 大多数、猛獣などの群れに遭遇した時などを想定して対多数戦がこなしやすい大型かつ動かしやすい武器。それが両刃刀だ。だが対人ともあれば両刃刀では速さに劣る。両刃刀はその性質ゆえに回転させて斬りこむ。人ではその大ぶりな動きでは対応できない。かといって旅の装備は増やしたくない。

 そのために両刃刀を分解するとこで二刀にすることを思いついたのだ。

「特注でね!」

 セダはいつの間にか戦う事自体が楽しく思え、名も知らぬこの少年とのう討ち合いをずっと続けていた。互いに相手の隙をつき、斬り込むこの単純なやりとりのなんと心地よい事か!

「カナ!」

 しかしそのやり取りは馬のいななきと遠くからの呼び声で中断された。弟を連れだしたと思われたミィがその弟に馬の手綱を奪われた形で舞戻り、遠くから馬の一団が見える。

「キィ!」

 少年が刃を収める。セダもそれに倣った。そして遠くに落ちていた己の衣をかぶり直す。

「ミィ、どうして!」

「セダ! 武装の一団が向かっている。急げ!!」

 グッカスが滑空しつつセダに囁いた。砂ぼこりが舞う辺りに馬の一団が見える。

「ミィ! 引くぞ」

 弟が馬から飛び降り、カナに向かって走り去る。

「なんで、どうしてよ! キィ!」

「ミィはまだ気付かないの?! どうしてこんな愚かな事をしたんだ!!」

 弟が怒る。キィというミィの双子の弟はミィとあまり似ていない。ミィが元気で溌剌とした雰囲気を纏っているのに対し、キィは静かな印象が強い。文学少年といった感じだ。

 その静かな弟がミィに向かって怒っているようだ。どうやらミィと違って弟であるキィは今回の救出劇が予想外だっただけではなく、迷惑に思っているようでセダ達も当惑している。まさか自殺願望があるわけでもなし。

「それはねーだろ? ミィはお前のこと心配して……」

 セダが思わず言う。するとキィがセダを見て、溜息と共に早口で言った。

「旅人、国外の人を巻き込むなんてどうかしてるよ、ミィ。だから、ああ、もう! 俺がいないとどうしてそう暴走するんだ! どうせ事情を知らない人を巻き込んだんだろ! ならなんで旅人の証、しかもヴァン家のを隠す位の配慮ができないのさ!」

 事は兄弟げんかに発展している。

「何でよ! キィこのままじゃ死んじゃうかもしれないんだよ! どうして一緒に逃げてくれないの!」

「どうしてじゃないだろ! なんでそう考えなしなんだ。じゃ、聞くけど、一緒に逃げるってどこに? まさかヴァンの家とは言わないよな! 二人きりでヴァン家の後ろ盾もなくして暮らしていけるのか? 無理に決まってるだろ」

「どうしてそう決めつけるの! なんで自分にリミットを儲けるのよ!」

「そういうこと言ってるんじゃない! ミィと一緒ならどこだって逃げてやるさ! だけど、分かってない。ミィは根本的なことがまったくわかってない!!」

「何よ!?」

 キィだけではなくミィも怒鳴り合いに発展している。呆然とするセダと、あわあわしているカナ。セダの肩の上で近づく一団をどうしようか思案するグッカス。

「俺が逃げて、神殿は神子を失って。それでも王が選出されなければ、ヴァン家も他の王家も、もっと神殿に直系の人間を入れるだろう。それで、その後は? ミィ、よく考えろよ。王が選出されない、いや、王がたたないのはどうしてか。少し考えればわかるだろう? 俺がどうして神殿に入っているか考えてみてくれよ」

 グッカスはこの双子の弟の発言に耳を傾けていた。

 ――選出ではなく、王がたたない、理由? 神子が神殿に入った理由?

「キィが犠牲になるのは嫌なの、キィはなんでわかってくれないのよ!」

「なんではこっちだよ! ミィはミィの価値をもっとわかれよ! こんなことして……ああ、もう目茶苦茶だ」

「セダ!」

 グッカスが言う。セダも頷いた。カナも後ろを振り返っている。キィがはっとした。

「ミィ!!」

 セダがミィの連れてきた馬に乗り、ミィに手を差し出す。その直前に背後の一団が追いついた。

「これはこれは……神殿から神子を連れ出すとは……いくら身内とは言え、ただではすまないぜ? ミィ」

 一団の先頭にいたチャラ付いた印象の青年が馬から降りて、ミィとキィを眺めた。

「いえ、これは違います。ティズ様」

 キィが慌ててミィの間に入った。カナは嫌そうな顔で後ろに控えていた。

「ちょっとした手違いで……」

 キィがフォローしようとしている最中、ティズと呼ばれた男はミィに近づいた。

「ミィ、まさかこんな格好をしているとはね。そこまでして神殿に入りこまずとも俺に言えばいつでもキィに会わせてやったものを……」

 ミィの頬に触れたその手をミィが勢いよくはたき落とした。

「あんたには関係ないでしょ!」

「っと。ったく、もっと大人しくしおらしくしてりゃ可愛げがあるのになぁ?」

 ミィが青年を睨みあげる。キィも不愉快そうな顔で青年を見た。

「キィがいなけりゃ何もできないんだから大人しくこんな格好をせず、女を磨け。そうだな、もっと髪を伸ばせ。女らしさがきっと増す。そうすりゃ俺がお前を貰ってやるよ」

 にやっと笑った青年にミィがカッとして手を振り上げた。しかし、青年が容易くその手を止める。

「ったく、ヴァン家の恥が。次こんな真似をしてみろ。今回のことは父上にも叔父上にも報告するからな」

 キィが無言でカナの馬に相乗りする。

「ルイーゼの。ここは麗しい姉弟愛に免じて、見なかった事にしてくれ。どこからか入りこんだ賊が神子を奪取したが我々と君で賊を取り逃がすも神子は救出したということだ。そうだな?」

「もちろんですよ、ティズ様」

 カナはそう言って、必死に涙をこらえているミィを一瞥すると神殿に向けて馬を向ける。

「とりあえず、お転婆は封印して家で大人しくしていろ」

 青年はミィにそう吐き捨てると砂埃をもうもうと上げて神殿へ引き返して行った。

 ミィはその一団が去りゆく姿を歯を食いしばって見ていた。涙があふれ、手は拳を握りしめたまま震えている。

 セダは一団が去ってから泣き始めたミィを静かに待っていた。グッカスは鳥の姿のまま溜息を押し殺していた。グッカスもさすがに泣きやめ、はやく移動しろとは言えなかったのである。

 なにせ、今回のことでセダもわかってしまった。

 ……どうやらミィは男装した少女であるということが。

 それに加えて一行が作戦に失敗し、キィを取り戻せなかったという事実だけがそこには残った。


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