4.水の魔神 【01】
...037
この世を、この世界に流れた時間はいくつかの時で区切る事が出来、それを人は時代と呼ぶ。
創世記――それは神がこの世を創った時代。この世を形創り、神が見守り、そして人によって世界が一度滅ぶまでの期間を、人はそう呼んだ。
次が神代――。しんだい、ともかみよ、とも呼ばれる。神に代わって魔神が再びエレメントをもたらし、それによって世界が息を吹き返し、魔神に見守られた時代。人が二度の罪を犯し、世界が半壊したまでの期間。
――時は神代。
各魔神が宝人を世界に送り出して、双方の人々が手を取り合って暮らすことを魔神は宝人を通して見ていた。世界の在り様に、大変安堵し、また嬉しく思ったという。そこで、魔神は直に神の創った世界というのを体感したくなったという。
そこで、魔神は己の創った人、宝人の身に宿ることで、仮の肉体を得、己の治める大地に降り立ったと言われている。
時に魔神は人々と同じように暮らし、時に宝人としてエレメントの恩恵を与えたとも言われている。その最中で盟約の国を創ったとも言われているし、魔神として、人に崇められるようになった奇跡を多数起こしたとも言われる。
確実に言えるのは、魔神が昔は人にも宝人にも身近な存在であり、祈ればその願いが魔神に届くほどに大切な存在であったということだ。
しかし、人間はいつしか驕り、世界は半壊するほどに失われかけた。
――それ以降、魔神は人の地に降り立たなくなったという。
魔神が人の地で過ごした名残、人の地に降り立って生活した証。それは各大陸のどこかに必ずあって、その中には魔神が宝人を介すことなく、直接話すことが出来る場所だと言う。宝人すらその場所を知らず、宝人すらその場所の意味と意義を知らない。魔神は神と同じように人々や暮らす生き物達にとって等しく遠い存在となってしまった。
しかし、思い出して欲しい。魔神は本来人と暮らしたことがあるように、好奇心が強く己の神が創った世界を知りたがった。そうしなければエレメントを与えることなどできないと思っていたかのように。
今は姿を見せぬ魔神は、暮らす生き物たちを見限って、神と同じように触れ合わぬようになったのか、それとももう、世界を知り、己が神から分かたれたときに決めたようにただエレメントを管理する存在だけになってしまったのか。誰も知ることはない。
そうして、世界から世界を創った神の名と、宝人をつくり、そのエレメントを生み出す魔神という存在は、さもそこにあることが当たり前のようになり、神としての威厳と尊厳が失われつつあるのだという。
それを魔神はどう思っているのか。それともそれを思うことすらなく、遠き存在になってしまったのか――誰も知らない。
...038
ラトリア王を目指して一直線に王の捕縛を目指したのがジルであれば、ビスの役目は城のかく乱と、それに伴い戦況が終了した部下を迎えつつ、城の制圧をすることだ。
剣戟の音もほぼ止み、ビスは周囲にいる自分の部下を引き連れて城の者を捕縛していく。
シャイデのジルの部下を拾いつつ、ラトリアの高官を引き連れてラトリア王の執務室へ向かった。王や高官らを集めて、一気にこの度の思惑を暴こうと言うのがジルとビスの考えていたことだったからだ。
城を制圧したビスが、あらかじめ決めていた王の執務室に部下やジルの連れた兵士と共に入ったとき、幼い女の子の嗚咽と鳴き声だけがむなしく響いていた。
静かなその場所には、赤い血を流す人物が二人。
一人は一目でわかるほどに、すでに命が失われている。ラトリア王である。
もう一人は今なお、赤い血を流し続けている。特徴的な頭に巻かれた白い布も背中に触れる部分からすでに元の色を失うほどに真っ赤だった。
「陛下!!」
状況を理解したシャイデの兵が真っ青になって駆け寄っていくのを一瞬呆然として見ていたが、すぐに我に返ってビスも近寄る。ヘリーは我を無くした様子で泣き続け、倒れ伏したジルの周囲には赤い血溜まりが広がっている。
「しっかりしないか!」
ヘリーの肩をビスは揺さぶり、その嗚咽を止める。
「なにがあったのだ?」
宝人の兵士は皆置いてきたために、この場所には人間しかいない。ヘリーが鳴いたことを知らず、だから状況を知っている人間がいないのだ。
ジルの向こうで男が絶命している、身なりからラトリア王はなぜ死んでいる? ジルはラトリア王にやられたのか? ジルほどの腕の者が?
「ビス様……ジルを、ジルを助けて下さい!!」
ヘリーが泣き顔のまま言う。シャイデの兵士が傷を見る。その兵が絶句するほどひどい有様だ。
「……!」
背中が真っ赤だった。無数の傷口から今もなお血が止まっていない。
シャイデの兵士が応急措置を取るべく血を止める為に、頭の布を取り、背中にぐるぐるきつく巻くが、瞬時に白い布が赤く染まる。止血帯を巻き、縛るが、その布さえすぐに真っ赤に染まる。出血が止まらない。
傷口が多く、深いという一番血を流してしまう嫌な傷をいくつも追っている。部屋の隅に転がっているおそらくラトリア王の武器とは、傷口が合わない。第三者がいたことがわかる。
ヘリーに説明を求めようとすると、己から訴え始めた。
「あたしのせいで、ジルが……」
「……陛下を殺したのは、そこの少年なのですか?」
捕虜にしているラトリア兵やラトリアの高官がビスの後ろから叫ぶように言う。ラトリア王と面会させようと連れて来たのが仇になった。ラトリア王が愛されていた王ならば、ジルは間違いなく犯人にされる。
「違う! ジルじゃない! 宝人の悪いやつらが殺したんだよ!!」
ヘリーの言葉に誰もがわからない顔をしている。入り口付近の近衛はジルが倒したとして、宝人の悪いやつら?
「すぐに手当てをしなければ……しかし本格的な治療ができない。自陣まで運ぶか」
ビスが呟く。この襲撃舞台に治療ができる兵士や魔法使いはいない。自陣に運び、応急処置を施して血をいち早く止めなければ。そう考えていると、ラトリアの高官の一人が叫んだ。
「そいつは陛下を殺したんだ! 今すぐ死ぬべきじゃないのか!!」
「そうだ、ラトリアから逃がすわけにはいかない!!」
何を勝手な、とビスはラトリア兵を黙らせようとしたがヘリーが前に進み出る。
「お願いです。ジルは何も悪くないんです。ラトリア王を殺してもいない。逆に助けようとさえしたんです。お願いです。ジルを治療させてください」
ヘリーの言葉に不信そうな顔を浮かべるラトリア兵。ラトリアの王が国民や部下に慕われていたかは知らない。ただ王を殺した犯人を誰も知らない以上、状況を疑っていることだけは確かだ。
王を失った国はこれから指導者を探すと同時に、大国であるジルタリアやシャイデと対等な付き合いをするために、否、シャイデとジルタリアに攻め入ったことを不利に取られないように王殺しをどうしてもこちらのせいにしたいのだ。そのためにはジルとヘリーの身柄を確保しなければならない。ここで逃がせば攻め入った国としてラトリアは不利となり、王殺しの犯人でさえ闇に包まれたままとなってしまう。
だが、ヘリーが正直に語ったとして、子供の発言など王といえ信じられるものではない。おそらく狙いはジルとヘリーにラトリア王殺害の罪を着せ、少しでも戦争における事後の地位を上げるのが目的。そのために時間を稼ぎ、ジルを助けてやったという大義が欲しい。もしくは――。
「待て、手当てが先だろう? それとも死人に口無し。そのまま死んでもらった方が有難いか?」
ビスがそう言ってラトリアをけん制する。図星か、うるさく騒いでいた高官らが一瞬黙る。ジルがここで死んでしまえば、全ての悪事を死んだラトリア王とそれを聞いた可能性のあるジルを口封じでき、都合いいと考えているのだ。生きているヘリーはあまりに幼いからどうとでもなると思っているのだろう。おそらく彼女がシャイデの最後の王と知らないのだ。
ジルも本来ならば王であるということは考えられないが、この歳で兵士になる者は少なくないし、彼が先陣を切った姿は多くのラトリア兵に見られており、それだけの武力と階級を持っていると考えられているのだ。
「ヘリー様、ジルのこの模様はなんです?」
シャイデの兵がラトリアの高官を睨みつけ、少し黙らせるとジルの右腕を広がっていく青い模様について聞いた。
「っ! 『呪い』なの。水の宝人がジルに掛けた呪い。誰か解く方法を知らない?」
「呪いですと? 手短にお話ください。話が見えません」
ビスはヘリーに言った。ヘリーはラトリア王を捕らえ、話を聞こうとしたときに水の宝人の男が現れたこと。そしてその男がラトリア王を殺し、ジルを呪ったこと。宝人の男は別の光の宝人の仲間と共に逃げたことを伝えた。
「では、ジルは今夜呪いで死ぬ?!」
「陛下!!」
シャイデの兵が真っ青になってジルの名を呼ぶ。ビスから見てもジルは失ってはならない存在だった。王だというだけではなく、子供ということも関係ないほどにジルはこれから国を背負う定めを負い、しかしそれに負けない強さを持っている。こんなところで失っていい命ではない。
「正直、宝人の能力については無知としか言い様がありません。ただ……シャイデの神殿ならそういう知識も持ち合わせている可能性があります。巫女には癒し手なる魔法使いがいるとも聞いています」
ビスの言葉にヘリーは希望を持つ。
「シャイデに帰れば助かるかもしれないんだね!」
「しかし、ヘリー様。どうやってシャイデに運ぶのですか? 応急処置もできないこの場では、今陛下の御身を動かすと命に関わります」
「あたしが、運ぶ」
「無茶な!」
ビスも誰もがそう思った。正直言って、こんな状態のジルを動かすことも無謀だ。自陣から時間がかかるものの応急処置ができる人間を呼んだ方がいい位だ。しかし、応急処置だけではジルは助からない。いずれ、本格的に治療できる魔法使いなり、医師を呼ばなければ。ラトリアにもそういう者がいるだろう。特にここは城なのだかた、常任している可能性も高い。
しかし、先程の高官の発言で、ラトリアの者など信じられるだろうか?
ジルの身を預けて、そのまま殺害される可能性は?
「ううん。光の転移を続けて運ぶ。それならジルには負担がかからないもの」
「ヘリー様が、ですか?」
シャイデの王は半人の王。エレメントの恩恵を受ける唯一の人間だ。現実宝人の誰もが我を失った状態のままだった。もしかすると自陣で今は立ち直ったかもしれないが、運ぶ宝人もいない。ヘリーしかその行為はできないだろう。
「しかし、ラトリアからシャイデでは距離がありすぎます。今晩までには……」
「やってみせる! だから、お願い、誰か! ジルの手当てを……!」
ヘリーがそう言ってジルの腕を握った。ラトリアの人間は目線を逸らせている。助けていいか迷っている。迷うような人間のにジルを任せられないとビスが考えていると、かすかだがジルが反応した。驚いてそれを見ると、ヘリーの手をジルが握り返していた。
「ジル?」
「ヘリー……」
「ジル!!」
ジルは視線だけをヘリーに向け、力なく言った。息は荒く、意識が戻ったのも一瞬に思われた。
「連続転移なんて、無理だ。無茶するな」
夢うつつに会話を聞いていたらしい。ジルはそう言って部下の名を呼んだ。こんな状況なのに、この少年は妹を心配している。
「はい、陛下」
ジルが無理をしないよう、呼ばれた部下は耳を口元に近づける。
「腕を……切り落とせ」
「っ!!」
部下が目を見開いて、すぐさま続ける。
「馬鹿なことを仰らないでください!!」
思わずその部下が叫ぶ。それはヘリーがジルに怒られたときにスープを持ってきてくれたあの部下だった。
「腕は切っても生えてこないんですよ!」
動転したのか部下がそう怒鳴る。それを聞いた瞬間にヘリーが眼を見開いた。かすかな声が届かなかった者にとって、ジルが願ったことはありえないことだ。そんな周囲の空気を感じてかジルは力なく笑った。
「知ってるよ」
「では! なぜ……」
「きいた、だろ? 心臓に、届く前に切れば、いいんだ。ヘリーに無理は、させられない」
「そんなこと! ……そんなことをしてしまえば、死んでしまいます!!」
部 下はもう泣くかのような声で悲痛な叫びを上げた。
「呪いが解けなければ、死ぬ。腕を切れ。そしたら、万が一生き残れる」
「そんな!」
ヘリーが怒ったように声を荒げる。そんな風に死を覚悟しないで欲しいのに、だから助けたいのに!
「それ、に……王を失った、ラトリアの民に、誰が弁明……する。ラトリアの感情は、どこに向かえばいい? ラトリアの民が、俺を疑っている以上、ラトリアからは出れないだろう?」
ビスは戦慄した。なんという子供だ! この状況で己の国民でない者まで気に掛けるとは? 気でも違ったとしか思えないくらいに。それだけ、ジルはラトリア王を護れなかったことを悔いているのだ。
「無茶ですよ。血を流しすぎです。こんな状況で腕をなくしたら、それこそ呪いの前に死んでしまいます!!」
別の部下も言った。血を流しすぎた怪我を押して腕を切り落とすなんて真似をしたら、本当に死んでしまう。
「いやだ! 絶対嫌だもん。信じてよ、ジル。私が今度は助けるよ、できるよ! ねぇ、信じてよ」
ヘリーが泣きながら言った。腕なんか何でもないと思っている事くらいわかる。でも、その腕は大事なんだよ。ジルはこれからまだ長く生きなきゃいけない。それに腕が一本ないのは、ヘリーがいやだ。
「責任が持てない発言はよせ、ヘリー。お前が俺を助けて……ラトリアは、どうする?」
知らないよ、とは叫べない。己の行動が何を犠牲にして成り立つか、考えろと言われたばかりだった。
「いいか、俺が意識を失ったら……腕を切れ。わかったな」
ジルはそう言って目を閉じた。陛下、と何人もが叫ぶ。
ジルは己がラトリア王を殺して、そしてその責任をどう取るか考えていたのだろうか。手当さえままならない状況なのに。考える事が違うだろう、と言ってやりたい。キアもハーキも王になって、王だった。自分だけがまだ子供。自分だけが責任を持てない。自分だけが先を見通せない。
でも、それでもわからなくてもそれはジルの命を落としてまですることなのか? ジルが信じて貫いた道なのに、その結果ジルは腕を失わなければいけないのか? そして命を危機にさらすの?
「止血帯を」
部下がそう言ってジルの右腕をきつく縛った。もう一人が剣を掲げる。彼らは部下なのだ。ジルの命を救う可能性に掛けて、ジルの右腕を切り落とす覚悟を持ったのだ。ヘリーが悩む間に。
「待って!」
ジルの身体に覆いかぶさるようにヘリーは叫んだ。
「お願い。切り落とすならぎりぎりまで待ってよ! 私が救ってみせる。だからお願い、シャイデに行かせて」
「ヘリー陛下。しかしシャイデに行けば、呪いを説く方法が確実とは決まっていません。ジル陛下のお体にこれ以上無理は……。移動に耐えられるとは思えないのです。ご決断を」
「それにこの呪いは胸まで達するのでしょう? 時間がたつほどにジル陛下の切り落とさなければならない部位が増えます。いざと言うときにそれでは……義手などのことを考えても……」
問題が二つ。今夜には確実に命を散らせる水の呪いをどう解くか。そして重症の傷を急いで治療しなければいけない。どちらも急ぐ、どちらを優先すればいいかわからない。どちらも確実にジルの命を削る。
呪いの方は、今はまだ肘より先を切ればいい。だが時間と共に斬る部位がどんどん上に上がる。それだけ危険度が増す。
だから、部下も決断した。方法がわからないリスクを冒すより、腕を斬り、治療を優先させる事を。
「……シャイデに逃げる口実ではないのか?」
ラトリアの高官が呟いた。ヘリーが愕然としてその人を見つめる。どうして、そんなことを今の会話で思えるの?
「黙っていろ」
ビスがさすがに威圧を掛けると、しぶしぶ黙った。だが、ヘリーは思う。責任を取るってこういうことなのだろうか。
きっとこの人たちはわかっているのだ。ジルがラトリア王を殺していないことくらい。だけど、ジルをラトリア城から出してしまったら、責める人がいなくなってしまうから、ジルが言い返せないうちに責め立ててしまおうという考えなのだ。そうして、あわよくば死んでしまえばいいと思っている。
ジルの死をそんな曖昧な、漠然とした理由で望まれるとは。命を命と感じていない証拠だ。そんな人に、負けたくはない!
――絶対、ジルを助けて見せる!
「聴け!!」
ヘリーはキアを、ハーキを、ジルのその背を見てその背を追いかけて育ってきた。上の兄弟達に負けないような威圧を持って、ヘリーがこの場を、その声で、その意志で、威圧する。支配する!
「私は! 私の名は『ヘリオドール=アーマティー=オリビン』! シャイデの第四の王にして、巫女王!!」
魂名を叫んだ女の子に誰もが唖然として見入る。この少女は何をしようと?
「我が兄・ジルを疑い、私の言うことが信じられないなら私の名を使って、私を責めたらいい! だけど、ジルは、ジルは頑張ったんだよ。だからジルを助けたいの」
信じてもらえないなら、私を代わりに殺せばいい。魂名を公言したということはそういうことだ。己の行動に嘘はないと、命をヘリーも懸ける。だから、兄を救わせてほしいと!
「私はジルを連れてシャイデに戻るけれど、王様を殺した犯人は私達じゃないけれど、どうしても逃ると信じてくれないなら、ラトリアの王様を殺したのは私たちだと疑うなら! ここに私の魂を残すから、行かせて!!」
まっすぐラトリアの人々を見据え、ヘリーが言い放った。ジルを疑う、その時間でジルの命を無駄に疲弊させないで。そこまで疑うなら、私がジルの代わりになる。私がジルの代わりに貴方達の責め苦を受けるよ。
「シャイデの王の『宣誓』は絶対だよ。ジルをシャイデに連れてったら私は必ずラトリアに戻るよ。ラトリアのみんなが納得してくれるまでずっと本当のことを話すよ。私は、命を懸けて誓うよ!!」
ビスが唖然とする。文句を吹っかけているのはラトリアだ。正当性があるのはシャイデとジルタリアだ。なのに、この少女はラトリアの為に命を掛けた! 魂名を明かしたら、魔法でも何でもその魂を害すことができると知っているのだろうか。いや、知っているのだろう。だからこそ、兄の代わりに己の命を懸けたのだ。
「お願い、行かせて」
ラトリアのものは誰もが顔を見合わせ、ヘリーと視線を合わせない。ヘリーのその意気込みに負けているのだ。
「……あんな、子供が『王』だと?」
「巫女、王?」
ざわつくラトリアの高官や兵たち。その中でそのざわめきを割るように女性の声が響く。
「結構。お行きなさいませ、ヘリー女王。そこまでされて送り出さねばラトリアの恥です」
堂々と一歩踏み出した女性がヘリーに告げる。ヘリーははっとその女性を見上げた。
「貴様、勝手に!!」
「『宣誓』などといった御伽噺を信じよというのか?!」
ヘリーに行けといったのは今まで一言も発しなかった女性だった。その女性に言い募る高官や兵を冷たく一瞥して、女性が言う。
「こんな小さな女の子ですら命を掛けて兄を救うことを願うだけなのに、それを許可できないとは、ラトリアの懐の大きさを示すようなものです。行かせて差し上げるのが人でしょう」
「しかし!」
「みっともない真似は止すべきですね。貴方は同じように命を掛けて彼らを疑うことができますか? シャイデの王の『宣誓』は魔神に誓うもの。違えれば王は命を失います。そこの少年王の命を握っていることと同義なのですから、一時的に国を出る事は問題ではありますまい」
押し黙るラトリアの人々。宣誓を信じてもいいのか、と今度は疑っている。
「では、こちらから一人ラトリアの兵を一人つけるのがよろしいでしょう。そうすれば、万が一逃げるつもりでも逃げられません。一人は幼い女の子。もう一人は重体の少年です。……ヘリー女王、その小さな身体では転移とはいえ兄王の身体を背負えないでしょう? 大人に負ぶってもらい、その大人ごと転移することをおすすめします」
「はい!」
ヘリーが女性に頭を下げた。女性はそのままジルの元に座りこみ、ビスを見た。ビスは彼女が望む事を知り、その拘束を解く。女性は祈るようなポーズをとった。おそらく魔力を練り込んでいるのだ。彼女は古代魔法を習得しているのだろう。手をかざすと淡い光が漏れ、ジルの背中に優しく降り注ぐ。
「一時的にですが、血を止めました。パイニー、そなたがヘリー女王のお供を勤めなさい」
返事をした兵の拘束をビスが解く。ラトリア兵はぐったりした様子のジルを背に負ぶった。
「ありがとうございます! 必ず戻りますから」
ヘリーはそう言ってラトリア兵を掴んで、顔に白い紋様を浮かべたと思った瞬間、一瞬で光と化した。
「貴様! 勝手に……どうなるか」
「全てのことは私が責任を取りましょう。ですが、そう仰るからには、ヘリー女王を疑った皆様はヘリー女王が帰って来た暁には命を絶つ覚悟なのでしょうね? ヘリー女王はそういう御覚悟でしたよ、あのお歳で」
「う……」
女性が高官を黙らせてくれたことにビスやシャイデの兵らが一安心する。ラトリアにも光はある。
「……助かってくれよ」
ビスは小さく呟いた。此度のことは、おそらくシャイデの新しい王がいなければ解決しなかった。これからの大国間にはシャイデの王が必要だ。柔軟な若い力が。
ジルは死んではいけない。ジルが死ねば残った王も皆退位を迫られる。それでは意味がないのだ。
「……楓」
セダも光も力なく呟いた。楓がこの光景を見て、理解してショックを受けないとは思っていなかった。きっと楓のことだからまた自分が悪いように思うとも考えた。だが、楓のショックは予想以上だったようだ。
「そうだよな」
セダは楓が消えてしまった場所を見つめる。
「楓だけが炎を使えるんだ。自分のせいにしてしまうよな……」
たとえそれが自分の意思ではなかったとしても。たとえこんな状況を望んでいなかったとしても。
「とりあえず、テラを休ませませんか?」
ヌグファが呟く。グッカスも頷いた。視界が晴れたことで、人の姿に戻っているが、彼の腕も火傷を負ったままだ。皆が疲れている。
「それに、楓がこの場にいないことは、逆にいいかもしれない」
グッカスの呟きにセダは視線を向ける。
「この場所にあの炎を制御できない楓がいたら、宝人はみな楓のせいにするするだろう。そうしたら楓はきっともう自由には暮らせない。テラとの契約はきっと無理やり破棄させられる。楓が責任を感じていることを逆手にとって楓は言いなりになる」
光ははっとしてグッカスを見た。確かにそうだ。楓がこの場所にいなければどうとでもごまかせる。
「楓……」
里では光しか触れ合う者がおらず、そしてほぼ軟禁状態のまま暮らしていたという楓。
炎の脅威を見せ付けた後で、ただでさえその可能性が高まるのに、これ以上恐怖を植えつければ、最悪殺されてしまうかもしれない。
「そうだな。なんとか宝人たちに見つかる前に俺らが楓を見つける必要があるな」
転移先は誰も知らない。だが、楓を先に見つけ、事情を説明し、楓は悪くないと自覚してもらわなければこの後楓の立場が不利になる。あれは暴走といっていい状況だった。楓が悪いとは思えない。
それに異常な状態だったのは楓だけではない。宝人誰もが皆異常だった。
「ああ」
光がいるので発言は控えたが、グッカスはテラに視線を向ける。もし楓が追い詰められた立場になったとき、契約者であるテラは契約者というその肩書きがどれだけテラの身を護ってくれるかわからない。逆に危うい立場に立たされることになる可能性の方が高い。
そう、契約を無理やり破棄させるため、テラを殺そうと考えるかもしれないのだから。
人は恐怖心を掲げると、何をしでかすかわからない種族だ。そう、宝人だって人間と同じだとグッカスは思っている。
信用ならないのは宝人だって一緒だ。人と名がつく、自分も。
...039
パイニーという名のラトリア兵はエレメントの転移というものを初めて経験した。城の中にいたはずなのに、城の窓の外の風景が見えいえた場所まで瞬く間に移動していた。
驚きに周囲を眺めている間にヘリーの体が光っていき、また見える景色の最も遠いところまで移動している。最初は慣れなかったが、次第にこういうものなのだということがわかってきた。
ヘリーの体が白く輝きだすと転移が始まる。そして見える範囲で一番遠い場所まで一直線に瞬間移動をしているようだ。その際にヘリーは必ずパイニーの腕を取っていた。己の身体に触れるものは同じように転移できるようだ。おそらく服のように己の延長線と捉えることが出来るのだろう。
あまりに幼く、あまりに小さいこの女の子のどこにこんな力が眠っているのだろうかと思うくらいヘリーは必死に転移を繰り返していた。そして背に背負った少年の体が熱い。彼の身体を支える腕が時折滑る。それは彼の血がまだ止まっていないからだ。シャイデまで持つだろうか。頑張るヘリーのためになんとか持ってもらいたいものだ。
一瞬止まる間に景色がころころ変わるが、だいたいどの辺りかは辺りをつけることができる。ラトリア領を抜けようかという頃から、ヘリーの息が上がり、苦しげな表情が晒され始めた。まるでずっと走り続けたかのように、額には汗が流れ、口が半開きのまま閉じられなくなる。
しかし、彼女は前だけを見据えて転移を続けていた。
「ヘリー様、一息入れては?」
見かねて声を掛けるが、返事を返す余裕もないようだ。首をかすかに振ったのだけがわかる。しかし、限界がきているのか、最初の頃より転移の距離が短くなっているようだ。
「ヘリー様」
苦しげな呼吸は喘ぐような調子になり、視線がさ迷いだしている。やはり国を二つ越えるような長距離の転移の連続は無理だったのではないだろうか。パイニーは何も出来ないまま、ヘリーを案じることしか出来ない。
「大丈夫」
ヘリーは自分に言い聞かせるように、もう一度転移しようと身体を光らせた。が、次の瞬間、すぐ近くの場所で転移が急に終了し、ヘリーの身が投げ出される。
「ヘリー様!!」
「もう一回!」
ヘリーは立ち上がることも出来ない様子だが、それでも立とうと腕に力を込めている。限界だとわかった。
「ヘリー様。一回休みましょう。少しだけです」
せめて呼吸を戻すくらいは。しかしヘリーは首を振る。そうだ、彼女にとってはこの移動は兄の命が掛かっている。それに、あそこまで自分の意思を通したのだ、やりきって見せなければとヘリーを急ぐ道に駆り立てる。
「大丈夫! 絶対、助けて見せる」
ヘリーはそう言って身体を光らせようとする。すると、無理がたたったのか、喉がきれるように痛く、呼吸さえままならないことに気付いた。だけど、呼吸なんかを気にする間にも、移動出来たら!
――なんで、なんでできないの!? 絶対助けるって、決めたはずなのに。私が頑張らなければジルは死んでしまうのに! なんで、なんで、出来ないの。なぜ今転移できないの!
唇を噛みしめ、定まらない視線や痛い胸を押さえて、ヘリーはパイニーを掴む。今度こそ! しかし、一瞬身体が光っただけで、動くことはなかった。
「ヘリー様」
「なんで!どうして!!」
悔しい! ジルを助けたいのに、なぜ身体が苦しいの! どうなってもいいのに! ジルが死んでしまうのに!!
「『転移』の乱用は、命を縮めるぞ」
声がした、と思った瞬間に目の前に男が立っていた。今まで気配さえなかった。それどころか転移を続けていたヘリーの前に姿を現すとは! 浅黒い肌には白い紋様が見える。白髪に白い目。
「何奴!?」
パイニーはヘリーを庇って前に出た。
「それの知り合い」
男はそう言って背のジルを指差した。
「おれは光の宝人。光の転移のプロが見たところ、あんた光の転移は慣れてないな? それなのにラトリアからシャイデの長距離。加えて成人の男と子供、自分の体重の倍以上の重さを抱えての転移。これ以上の転移は無理だ」
光の転移は直接転移で一番早く移動できる。光は重さを無視できるが、それは自分の体重だけだ。自分が光のエレメントを使えるから己の身体を光のエレメントに変えて移動が可能なのだ。しかし、他のものの一緒に転移するとなれば別だ。他のものを光のエレメントに乗せるその作業に力を使う。
ヘリー一人の転移ならもっと距離を稼げただろうが、他者を巻き込んでの転移は初めてに加え、これだけの重さを転移させ続けるとなれば、無理がたたる。
「いいの。ジルは私のせいでこうなったんだから」
ヘリーはそう苦しげな呼吸の合間にそう答えた。男は肩をすくめた。少女の本気に気付いたからだ。
「俺はさっきあんたの『鳴き声』を聞いた。だから俺は俺の正義に基づいてあんたを助けることにした。ジルは知り合いでもあるし、今死なせるには惜しいからな。……信じるか?」
男はヘリーの目をまっすぐ見て問うた。ヘリーも真っすぐ男を見返した。
「何を、信じられるわけ……」
パイニーはそう言うが、ヘリーの言葉は即答だった。
「うん」
「よし、いい子だ」
男はそう言ってヘリーの頭を撫でた。
「いいか。このままシャイデまで運んでもいいが、ジルにかかる負担が大きすぎる。ジルを無駄に疲労させる。それにまだ血が止まっていないんだろう? このままじゃ死ぬ。お前、一端ここに寝かせろ」
男はそう言って草の上にジルを寝かせるよう言った。パイニーは不信に思いつつ従う。男は止血帯を一旦解き、ジルの傷の様子を見て、未だに血が止まらないことを確認した。
「ここと、ここ。この貫通している傷はこのままじゃ命を縮める」
男はそう言うとその場所の衣服を剥いだ。
「何をする?」
パイニーが問いかけた。男は平然と言った。
「傷を焼くんだよ。これ以上血を流させない為に。今出来る最大の治療だ」
男の手が一瞬白く染まったと思った瞬間に、ジュッという音と血の臭い、そして焼ける臭いが鼻を突いた。
「っ!」
ジルが呻くが男は休むことなく次の傷口を焼いてふさぐ。
光を一点に集中させることによって、強力な熱源とし、傷を焼くのだ。その後、ポケットから水晶石を出し、ジルの首に繋いだ。何かを呟くと、流れ出ていた血の勢いが失せ、止まったかのように見えた。水晶石によって血液を液体と捕らえ、流れを一時的に支配したのである。宝人ならではの傷の手当てと言えるだろう。
「血の流れを抑制した。これで持つ。今からジルをジルタリアに運ぶ」
「それでは呪いが……!」
「今からシャイデに運んだら助かる命も助からない。あそこは炎が暴れた。とても治療できる状況じゃない。ジルタリアの城に運ぶ。あそこには腕のいい医師がいる。ビス=ジルタリアがルル=ミナに受けた瀕死の重傷を治したほどの腕のいい医師がな。その医者にジルをすぐ治療してもらえ」
男はそうヘリーに言い聞かせた。ヘリーが頷く。幸い、ジルもヘリーもフィスと知り合いだ。おそらく願いは聞き届けられるだろう。ヘリーはようやく呼吸が戻り、落ち付いてきた。
「だが、呪いは……」
パイニーはそう心配する。
「ああ、だからその代わりお前がシャイデに向かえ、ラトリア兵」
「私が?!」
「呪いの解き方を知っているの?」
ヘリーがすがるような思いで尋ねる。
「シャイデに行って、お前は炎の宝人を連れて来い」
ヘリーもパイニーも驚いて男を見た。男は平然と言う。
「『呪い』は陰属性の宝人が放つ最大攻撃だ。解くには呪いを掛けた宝人以上のエレメントの扱いに長けた同じエレメントを守護する宝人に解かせるか、対極のエレメントを持つ宝人に破壊させるしか方法はない」
エレメントは二種類の属性に分けられる。陽属性と陰属性の二つだ。光、風、火は陽属性、逆に闇、土、水は陰属性となる。光と闇、土と風、水と火はそれぞれ対極に位置する関係になっている。この関係性は大陸間の配置でもそうなっているのだ。つまり水の呪いに打ち勝つことができるのは炎のみ。
「あれだけの炎を出したんだ。シャイデには炎の宝人が必ずいる。探し出せ」
パイニーは頷いた。やはり宝人のことは宝人が一番知っている。
「そして、ジルタリア城のどこかで炎を燃やせ。そうしたら炎の宝人に感知させて転移させるんだ。間接転移は直接転移より移動距離に縛られない分、移動が早い。うまく行けば今夜までに余裕で間に合う」
男はそう言って懐から今度は風晶石を取り出した。パイニーに向かって言う。
「お前をこれから風に乗せて運ばせる。動転したりせず、己の目的だけを思って正気を保て。それからシャイデにはラトリアがことの原因だと知れている。お前が上手く立ち回らなければ、ジルの命は助からない。お前の誠意をシャイデに示せ。わかったな」
パイニーは頷いた。男はパイニーの手に風晶石を握らせて、何かを呟いた。するとパイニーの体がふわりと浮き上がった。驚き、手足をばたつかせるが、男の厳しい視線を見て、なんとか姿勢を保つと、ジルを助けることだけを考えるようにした。
すると準備が整ったと知れたのか、パイニ―の身体が天高く浮かび上がり、そのまま風に乗ってシャイデの方角へ一直線に飛んでいく。
「お願い! キアかハーキを頼って。そしたら、きっとわかってくれる」
ヘリーが必死に言うので、身を上空に運ばれながらもパイニーは強く頷いた。
「では、行くぞ。俺は連れて行ってやるが、そこまでだ。ジルタリアの人間への説明はおまえがするんだぞ」
「うん。お願いします」
ヘリーは力強く頷いた。男は笑う。そしてジルを背負い、ヘリーの手を取って、ヘリーよりはるかに長く一息でジルタリア領まで転移した。
本物の光の宝人は違うとヘリーはようやく己の呼吸を整えながら感じていた。男はたった三回の転移でジルタリア城の手前まで移動してくれた。
「こっからはおまえだけでがんばりな」
「ありがとう。助けてくれて、本当に……」
「なに、命掛けてまで兄を護ってやるのに感動したんだよ。俺が手伝ったのはついで、あんたにほだされただけ」
「ううん。ありがとう。本当に、絶対助けてみせるから」
ヘリーはそう言って、ジルを抱きかかえた。そしてはっとする。
「そうだ! 貴方の名前は?」
男は転移する寸前で全身を光らせながらヘリーに向き直った。
「ん? 俺? 俺はランタン。そう言えばジルはわかるよ」
「ありがとう! ランタン」
男、ランタンはにっと笑うと光と共に消えて行った。ヘリーも残る力を振り絞って城の前まで転移する。ぎょっとしたジルタリア兵にフィスを呼んでもらうよう、叫んだ。
兵が集まり、ヘリーの姿を認めると慌てて城の中に駆け出していく。フィスの姿が見えたとき、ヘリーは安堵で泣いてしまったが、ジルの傷を治してくれるように頼むことは出来た。
老人と言うような歳の人がフィスの要請を受け、素早くジルの身を受け取ったところでヘリーは力尽きて倒れてしまったのだった。
避難先、ということで開放されたシャイデの城の一室に一行が移動して二時間が経とうとしていた。炎による被害は幸い均等区域のみで、そのすぐそばにある城や城下町は燃えることはなかった。混乱していた民も戻りはじめ、活気が町に戻ってきていた。
「楓……」
光が呟く。楓はあれから姿を現すことはなかった。
「テラがいる以上、そこまで遠くへは離れられないはずですわ」
リュミィがそういう。テラはあれから熱を出していた。おそらく極度の環境下にいたせいで体が疲労しているのだろう。シャイデの医師も疲労が原因だからしばらく休ませ、目が覚めたら滋養のあるものを食べさせ、休養をしっかりとらせれば良くなると言ってくれた。
グッカスは楓を探そうとしたようだが、火傷を完全に治すまでは鳥になるのを止めた方がいいとヌグファが言っていたおかげで誰も楓の居場所を知らないままだった。
「そうか」
一時的に、というかあの場に楓がいないのはいいが、姿を見せないのはそれはそれで問題だ。今度はいないことであらぬ疑いを掛けられるかもしれない。そこを皆心配していた。
その時、部屋が慌しくノックされた。返事をすると煤を被ったままのくたびれた青年が、急いだ様子で入ってきた。その後ろには兵士が何人かついてきている。シャイデの偉い人か? とセダは考えた。そして驚いたのは青年のすぐ後ろにラトリアの兵士が一人いたことだ。しかし捕まっているような様子は無く、捕虜ではないようだ。
「失礼する」
青年がそう言った。セダたちは迎え入れる為に立ち上がった。
「挨拶もそこそこで申し訳ない。私はキア=オリビン。折り入ってお願いしたいことがあって……」
「キア=オリビンって……シャイデの王様?!」
ヌグファが目を丸くして驚いている。え、王様? そういえばどことなくジルと似ている部分がある。王様にしては格好は薄汚れているし、来ているものも庶民とほとんど変わらない。騒ぎあがった直後だからか、もともと着飾らない人なのか。
「君たちと行動を共にしているという、炎の宝人を探しているのだが……」
その瞬間にグッカスの目が鋭くなり、セダと光が警戒する。楓を犯人にしたいということだろうか。
「なんで?」
セダが問う。
「君たちと一緒ではないのか?」
焦った様子で聞くキアにグッカスが警戒を解かずに言った。
「貴方には関係のないことでは?」
キアはそれを聞いて、そのまま頭を下げる。周囲の兵が慌てた。
「陛下!」
「キア陛下! お止めください!」
しかしキアはやめることなく、頭を下げたまま、搾り出すような声で言った。
「弟を、ジルを助けてもらいたいんだ! お願いだ、炎の宝人に取り次いでくれないだろうか」
キアの取った行動にあっけに取られていた一行だったが、その言葉に目を見開いた。
「え? ジル?!」
「どういうこと……?」
一行は忘れていたが、ジルはシャイデの王。すなわちキアの弟である。キアは知らないが、ジルとセダたちは一緒に戦った仲で、知り合いである。楓とも面識があるのだ。
「私がご説明します。ジル陛下はラトリアの地で水の宝人にその身を呪われました。呪いを解くためには炎の宝人の力が必要なのです。ジル陛下は今夜呪いで命を落とされます。その前にどうか、ジル陛下をお助け下さい」
「ジルが、呪われた?」
「今夜?」
ラトリア兵が頷く。セダとグッカス、ヌグファと光は目を合わせた。
「相克のエレメント。そうですわね、呪いを解く可能性が唯一あるならなら炎ですわね」
少しの情報でリュミィが納得する。
「呪いって?」
「陰属性のエレメントを持つ宝人が放つ最大攻撃ですわ。そのものに触れるだけで、その者の身体的な自由を奪いますのよ。死ぬ死なないのレベルなら相当の力量の宝人か……ジルは魂名を奪われた可能性が高いですわね。今夜と仰いましたわね? ということは相手にとって相当ジルが厄介だったのですわね」
「こん、や? ……今夜ジルが死ぬって言うのかよ!?」
セダが叫ぶと、リュミィもキアもラトリア兵も頷いた。
「それが呪いですの」
セダは返す言葉を失った。代わりにグッカスが目線を逸らせて言う。
「……ここにはいないんだ。あの騒乱の最中に行方不明になってる。俺たちも探しているんだ」
キアがそれを聞いて絶望的な目をする。
「生きてるよ! でもどこにいるか……」
光がキアを励ますように言った。
「……っ」
キアが歯を食いしばっている。握り締めた拳が震えていた。
「陛下、兵を使って全方向に捜索を……」
兵士が言うがキアは首を振った。
「だめだ。兵は混乱した民を助けるためにまだまだ働いてもらわなければならない。ジルにやる人手はない。それより、今の話は絶対ハーキの耳に入れるなよ。やっと休ませたのに、飛び出していきかねない」
セダやグッカスはキアの言葉を聞いて驚いた。ジルが、弟が死ぬかもしれない。弟を救う唯一の希望なのに、この王は民を優先している!
「邪魔をしたね。ゆっくり休んでくれ」
「待てよ!」
セダが思わずキアを呼び止めた。くたびれている様子なのはなにも外見だけではない。この王はジル、弟の命を心配しながらも、王としてしなければならないことを優先しているのだ。
「あんたが王なのはわかってる! だけど、弟だろ! 生きるか死ぬかなんだぞ。諦めるなよ。俺たちに命令すればいいじゃないか。楓を探せって、楓に助けろって」
誰だって短い時間だがジルのことを知っている。飄々としているが、本質を見極めることに長けた少年王。
「……そうだな」
キアはセダを見てふっと微笑んだ。だが疲れた笑みにしか見えない。
「命令して解決させるのが王かもな。ありがとう。命令して解決するなら誰にでも言うけれどね」
「いいえ、陛下! 彼らの言うとおりです。ジル陛下を失ってはなりません!」
「シャイデにはあなた方が必要なのです」
高官たちは己の屋敷に引っ込んでしまい、代わりに若手や次官がキアの指示の元動き始めた。誰もがあの騒動の中、キアとハーキの行動を知っている。そしてジルとヘリーがしたことも理解した。
すでに民意はキアたちにむけられたのだ。ジルを失うだけでも痛手なのに、兄弟王に退位されては、困るのだ。
「私だってジルを死なせたくない。けれど、ジルの身を案じる間に救えるシャイデの民はいくらいるだろう? 街や家、怪我や病。恐れに痛み。全て取り払うことはできなくても、軽くする努力を今はすべきだ。そのための国。そのための軍。そのための王だ」
グッカスが目を見開いた。セダもリュミィでさえ返す言葉を失ってしまう。
「ありがとう。聞けば君たちはセヴンスクールの学生なんだろう? 関係ないシャイデの事に協力してくれてありがとう。もし学校側から何か言われたら便宜を計らうつもりだから、安心して欲しい」
キアはそう言って兵を促して静かに退出した。シャイデ兵が続く中、ラトリア兵が戸惑ったようにキアの後姿とセダたちを交互に見て、決心したかのように言った。
「どうか、炎の宝人を探してください。そして見つかったらジルタリア城へ転移して欲しいと伝えてください。ジルタリア城で炎を燃やしてもらっています。今夜、本当に呪いが解けなければジル陛下は死んでしまうのです!」
お願いしますと頭を下げるラトリア兵。
「なぁ、どういうことなんだ? 俺たちジルとは知り合いなんだ。この前まで元気だっただろう? どうしてジルはシャイデに戻ってきていないんだ?」
宝人に呪われたというのも眉唾物だ。だってジルはあんなに強かったのに。
「詳しいことは私もわかりませんが……ヘリー陛下を庇って現在、瀕死の重体なのです。呪いが無事解けても助かるかどうかの瀬戸際なのです。それなのに、あのお方はラトリアの為に……!」
感極まって言葉が続かないようだ。ジルが急いで出かけた先はラトリアだったのか! ということはこの度の原因はラトリアと辺りをつけてジルは行動を起こしたことになる。そのジルが、重体?!
「……ジル」
ヘリーと仲良くなった光が唖然として呟く。
「あんなにひどい状態なのに、呪われた部位を切り落とせと、さも平然と仰るのです。ヘリー陛下が無理やり助けようとジルタリアまでお運びになったのですが、途中で力尽きてしまわれ……」
「で、どうしたんだ?」
「見知らぬ宝人が助けてくれたのです。そして私に呪いを解くために炎の宝人を必ずつれて来いと」
セダは思わずもう姿が見えないキアが去っていた扉を見つめた。是が非でも弟を助けたいだろう。今すぐにでも楓を探して無理やりでも連れて行きたいに違いないのに。それなのに……。
「あの、キアって人は……」
セダが呆然と呟いた。ラトリア兵が続ける。
「キア陛下は敵国である私の言葉を真摯に受け止めてくださいました。私の体調すら案じてくれたのです。ハーキ陛下はご自身で動こうとなさいましたが、先ほどの炎で全身に火傷を負われ、キア陛下が無理やり寝所に押し込まれました。キア陛下はジル陛下のご様子も存じているご様子でした。それなのに、一心に民のことを思い、指示を出し続けていらっしゃいます」
「お待ちになって。ジルがもし、今晩で命を落とせば……確か王は交代するのではなくて?」
リュミィがそう言った。ラトリア兵が頷く。ラトリア兵であるにも関わらずキアは近くにいることを許してくれた。だからキアの取っている行動がわかる。
「それを見越してキア陛下は退位を匂わせるような行動を取っておいでです。必死に周りの者がなだめている様子でしたが……」
「ジルが死ぬかもしれないってわかってるのにか……?!」
グッカスも思わず呟いた。普通じゃない。ジルが死ぬかもしれないなら今晩までの王位なら全てを放り出してでもジルの元に向かうのが家族だろう。
「そういうやつなんだよ。氷のように冷たいのに、内心後悔の炎を燃やしてんだよ」
扉にいつの間にか凭れ掛かっていた女性がいる。グッカスは驚いて闖入者をにらみつけた。
「誰だ?」
「あたし? ルル=ミナっての。悪いね、会話が聞こえちゃったもんだからさ」
「……ルル=ミナだと!!」
グッカスが驚くが、セダは女性に言った。
「あんた、キアって人と知り合いなのか?」
「親族さね。まぁ、あいつらが王になってから血縁関係を感じなくなったけれども。ジルはあたしの愛弟子だよ」
「ジルの言ったことは本当だったのか……」
グッカスは呟いた。セダたちはわかっていないようだったが、リュミィもおそらく驚いたことから理解しただろう。目の前のこの女性こそ、水の大陸で有名な『世界傭兵』の一人。そしてジルの師でもある。
「あの兄弟はね、みんなてんでばらばらなのに、心の芯はみんな一緒なんだよ。だからシャイデの王に選ばれたときから最後まで王であろうと決めたんだろうさ。王なら一番に何を優先すべきか特にキアはわかっているからね。ジルを内心助けたくて、会いたくてたまらないだろうに、無理してんだよ」
ルル=ミナはそう言って笑った。
「だからさ、本当に頼むよ、っても肝心の宝人がいないんじゃ、話にならないね。ジルはこれからが楽しみなやつだったのにさ。本当にいいやつほど早く死ぬよ」
寂しそうに言うとルル=ミナはラトリア兵を伴って出て行った。扉が今度こそ小さな音をたてて閉まる。
「ジル」
誰もが思わず呟いてしまうほど、ジルが死ぬと予告されたことが信じられない。
「今夜って……あと数時間しかないぞ」
誰もがジルを死なせたくないのは痛いほどわかる。
「楓を探すしかないだろう」
セダが言うが、グッカスが言い募る。
「しかし、どこに転移したかわからないんだぞ?シャイデは広い。今夜までって、到底探しきれない!」
光がジルタリアの城下町で行方不明になったのとは訳が違う。楓は均等区域で消えた。均等区域だけなら探すことも可能だが、シャイデの城下町や均等区域周囲の森、城の付近の河周辺、考えれば範囲が広いのだ。
「……わか、る……よ」
セダたちが言い合う背後でかすかな声が響いた。
「テラ!!」
テラが薄目を開けて身を起こそうとしていた。ヌグファが慌てて支える。
「大丈夫。あたしなら楓がどこいるか、わかるわ。繋がってるもの」
テラはふらつく頭をかるく押さえた。
「大丈夫か? テラ」
セダの言葉にテラは頷く。ヌグファに支えられながら身を起こしたテラは言う。
「聞こえてた。だから楓に会いに行こう」
セダはテラの目を見て、決心が変わらないことを理解すると、テラに背を向けてしゃがんだ。テラはくすっと笑ってその背に負ぶさる。
「楓は、どうして消えたのかな?」
光が寂しそうに言う。テラはかすかに微笑んだ。
「怖いからよ。自分が、炎が。傷つけることを恐れて逃げたんだよ。だから、ひっぱたいてやんなきゃだめ」
「え?」
光が聞き返す。するとテラは言った。
「セダも私も、もちろん光だって楓を恐れたことはない。もし炎で怪我しちゃっても、それで楓を恨んだり、怖がったりはしない。少なくとも私達はそう思って一緒にいた。でも、楓はそれを信じられないから逃げたのよ。だから怒ってやるの。もうちょっと信頼してくれてもいいでしょって」
口先だけの約束じゃないのだと。本当に楓と一緒にいるために炎を恐れないと誓ったのだ。
「そうだな。それに、自分から逃げちゃだめだ」
セダが続けるように言う。
「逃げても何も始まらない」
「……そうだな。起こったことは消せないし、戻らない」
グッカスが言う。光は納得したように頷いた。そうか、楓だって間違えることもあるんだ。楓を怒ることもできるのか。人間はそうやって絆を深めていくんだ。
...040
一行はテラの感覚による道案内で均等区域から少し離れた森の奥に脚を進めていた。炎が飛び火することがなく、森に被害がなかったのは風向きのせいだろう。
「水の音……川が近くにあるのかしら?」
テラの言葉にグッカスが視線を遠くへ向ける。
「そのようだな。川を伝っていくか?」
「うん。そんな感じがする」
テラはそう言って指差した。そこまで川幅も広くなく、大幅で飛べば越えられそうな川を伝うと、開けた場所に出た。森の中にある泉が水源のようだ。その泉に、森の風景に溶け込まない、目立つ赤色。
「楓!」
光がまず叫んだ。楓はびくっと肩を揺らして、一行を振り返る。楓はそれを見て、一歩、一歩と後退していく。
「逃げるな!」
テラが疲れを吹っ飛ばしたような大声で怒鳴った。楓はそれを聞いて、脚を止める。
テラはセダに促し、背から降りるとつかつかと大またで楓に近づいていった。一切、身体的な疲労は見せない。その様子が余計楓を苦しめると知っているからだ。そして、濡れることも気にせず泉の中に入っていく。
「テ、テラ……」
楓が思わず言うが、気にしない。そして楓に触れるまでそばにいくと、パンと乾いた音が響いた。
「まじではたいたよ」
セダが小さい声で呟いた。頬を張られた楓は驚いてテラを見つめる。
「なんで逃げたのよ」
詰問口調でテラが言う。
「だって、火を制御できなかったから、みんなを怪我させると、思って」
「じゃ、今は? 制御できるの? 見たところ目は黒に戻ったみたいね」
「……うん。髪の色は戻らないけど、もう大丈夫」
「いつから? いつから制御できるようになったの? あの転移は制御できなかったから?」
矢継ぎ早の質問に圧倒されるように楓が答える。あのお怒りモードのテラは下手に口答えすると大変なことになることを知っているセダたちは黙って二人を眺めていた。
「違う。ここに来て、ちょっとしたら制御はできるようになってた。一時的だったみたい」
「じゃ、なんですぐ私達の元に戻らなかったの?」
「……え?」
楓が何を言ってるかわからない、と言いたげにテラを見る。
「私達が心配してるとは思わなかったの? 勝手に消えて」
「そ、それは……」
楓が目線をずらす。光は黙って二人のやり取りを見ていた。
「どうして迎えに来たとき、私達から逃げようとしたの?」
「……怖かったから。みんなをまた傷つけたらって、思って」
テラはふーっと息を吐き出して、そして楓の目を真っ向から覗き込んで言った。
「セダが、私が楓と一緒にいるのは、炎を利用したいからじゃないってことはわかってたと思っていたのよ」
テラが言うが、楓は急いで言う。
「違うよ、そんな人たちだと思ってないよ!」
「じゃ、どうして逃げたの? 楓、貴方がやったことは私達を信頼してないってことなのよ。確かに炎のエレメントを制御できなくて、一時的に私達から距離を取ったのは、安全策としては正解だったかもしれない。でもね、私達は貴方が消えたから心配したわ。炎の魔神が現れた後ですもの、余計だわ。だけど、あなたはそう思わなかったのよね? 炎の魔神が現れて、一面焼け野原になって、その一端を担った。だから私達があなたを恐れると? あなたを嫌うと? 貴方に怪我させられるかもしれないから近づかないでと言うとでも思ったの?」
「そんなこと!!」
「思ってる。思ってるからそうやって逃げるのよ。ねぇ、わかってる?」
テラは楓の胸に手を当てて言った。
「楓、あなたが一番炎が怖くて、貴方が一番自分を信じられない。だから人と対等に付き合えないと思うのよ」
楓は里でも一人きり。自分の待遇を仕方ないと感じて諦めている。それに怒りさえ覚えない。それは、自分が災厄を起こした炎を操れるから。結局楓自身が一番炎を恐れている。
だから周囲の反応を当然と思い、自分は他人と一緒には過ごせないのだと諦めている。
――泣けないんじゃない。泣くことができる生き物だと自分を認識していない。
「それって、私達にとってはとっても寂しいこと。私達には哀しいこと」
炎は怖くて、それを操る自分が怖くて当然で、周囲が怖がるのも当たり前で。
「ねぇ、それって私達を信じていないってことでしょう?」
楓が目を見開いた。
「そして、それは自分を一番大切に守っているってことなのよ。結局この心の中には、楓しかいないの。楓しかいることが出来ないってことなの。今までそうやらないと生きてこれなかったんだと思う。だけどこれからは私達が一緒じゃない。じゃ、ここに私もセダも、グッカスもヌグファも入れてくれなくっちゃ」
別の見方をすれば誰も理解できないと線を引いて。それは己を守っているだけだ。寂しさから、不安から。
「一緒にいるって、信じあうって、そうやって初めてできるの」
一歩、踏み出す勇気を。他人と関わりあって、自分をさらけ出して、相手を理解する。
「炎を持つ貴方のこと、誰もわからない。だから怖がられても自分を、炎を理解してもらうには、それを表さなきゃ誰も理解できないの。時には衝突する。時には嫌な思いもする。だけどそれを乗り越えないと信頼って得られない。だから、逃げないで『自分は悪くない。自分は巻き込まれただけだ』って主張してもいいの。それが違うと思えば皆言うわ。貴方の主張を炎だからって理由だけで私たちは否定しない」
テラはそう言って微笑んだ。自分が炎だから、他人に恐れられて当然だから楓は魔神のことを否定しなかった。
「少なくとも炎の中から私だけは見ていたから知ってるのよ。何のために契約したの? 炎を得るためだけじゃないんだから、もっと心を開いてくれてもいいんじゃない?」
あれは一種の気に当てられたようなものだ。宝人全体の怒りに触れて、それに触発された怒った状態にされた楓の身に降りた魔神。楓は自分で魔神を呼んだわけではない。楓が炎を出したわけではないのだ。
その証拠にその場にいた怒りに支配された他の宝人は魔神が降りた事も、楓を中心に炎が暴れたことも覚えていない。
「そうだぜ。俺、炎を恐れないって言ったの、嘘じゃねーもん」
セダもそう言って泉の中に入り、楓に近づく。
「あとな、自分から逃げちゃだめだ」
楓はセダの方を見る。
「炎が怖い。自分の力を過信しない。それはいい。だけど、自分の力と向き合わなくちゃ前に進めないんだぞ」
セダも楓の胸に手を当てる。
「お前がお前と向き合わなければ、お前は他人とも向き合えないんだ」
楓が自分の力と正面から向き合わなければ、自分の力を把握しなければ他人に向けることさえできない。
「だから、お前はお前と闘え。そしたら一緒にいる不安なんて吹き飛ぶぞ!」
そしてテラとセダ、二人して胸においていた手を楓に向かって差し出す。
「俺たちはお前と一緒にいたいんだ。炎とじゃない。炎も含めて『楓』、お前と」
「そして私たちと一緒にいたいと思って欲しいの」
楓は呆然とテラとセダを見て、いつの間にかグッカスやヌグファ、光も周囲にいることに気づいた。差し出された手をおずおずと触れ、感触を確かめるようにして、その後握る。
「……気づいたら、溶け合っていたんだ」
楓がぽつり、と漏らす。
「僕は夢の中のような気分で、炎が、巨人が何をしているかとか、皆がどうなってるかとか、まったくわからなくて……ただ炎に囲まれて幸せな気分が続いているような感じだったんだ」
楓は下を向いた。でも、セダとテラの手を握っている。
「目が覚めたら今まで何をしてたのかすぐにわかって。燃えた大地が見えて……それで、怖くて。僕がしたのかと思うと僕自身が怖くて……。どうしたらいいのか……わかんなんくて」
「うん」
「それで、皆が僕をまた責めるのかって。怖がるんだって思ったらどうしようもなくて。セダもテラもみんな僕をきっと怖がると思って」
楓の肩が震えている。支えるようにセダとテラがその肩を支えた。
「僕は……炎の宝人であることをいやだと思ったことは一度もないけど……自分が怖くてたまらないんだ」
安易に傷つけてしまうかもしれない自分が。だから自分を出さないように、感情に支配されないように気をつけて生きてきた。
「だから、だから! 一緒にいたら……いけないんだと思ってきたんだ」
光がそれを聞いた瞬間に駆け出して、楓に抱きついた。楓を覗き込む。楓は唇を震わせた。笑おうとして、上手く笑えない。光だけがその様子を見つめている。
「……いいの?」
皆を見た楓の目から一筋の涙が流れ落ちる。
「楓……」
「一緒に、いても……いいんだね? 本当に僕と一緒で、いいんだよね?」
「当たり前だろ!」
セダが力強く言った。テラも頷く。それを聞いて楓は一瞬目をぎゅっと瞑ったあと、まるで堰を切ったように、涙を流し始めた。
泣けない炎が、初めて、泣いた。楓はまるで子供に戻ったように声を上げてしばらく泣いていた。
セダがテラが、光がそんな楓を抱きしめる。ヌグファとグッカスがその様子を見て、安心したように微笑む。リュミィはわずかに涙をぬぐっていた。
楓が泣き止んだ後、一行は森を抜けながら、日の高さを確認する。テラは楓が泣き止んだ後に疲れがたたったのか、再び倒れてしまった。
楓は申し訳なさそうな顔をしたが、避けることはもうしなかった。森を抜けながら、時間が押しているのを否応がなしに自覚する。日が沈もうとしているのを見て、焦る。
楓は魔神をその身に宿らせてから力が安定していないそうだ。赤い髪が戻らないのもその影響らしい。そんな楓に頼むのは少し不安が残るが、ジルの身は一刻を争うのも事実だ。
「楓、ジルを助けてほしいんだ」
「……ジルがどうかしたの?」
グッカスが楓にキアから伝えられたことをそのまま伝える。楓は目を見開いた。そして頷いた。
「もう時間がないね」
楓はそう言うと森を抜けたとたんに立ち止まった。どうした? と目線でセダが聞く。
「テラには休息が必要だ。たぶん、ジルタリアまでなら離れていても大丈夫だと思う。テラについていてあげてくれる? 僕はこれからこの場所に紋を作って、ジルタリアへ転移する」
楓はそう言って片手に炎を燃やす。あまりにも自然な動作だった。炎を出すことをためらっていた楓とは思えない。楓の中でふっきれたのだと光は思った。きっとセダたちの前なら炎を恐れずに済むのだろう。
楓は炎を宿したまま一回転し、脚で独特のリズムを踏む。自然と楓の目の前に赤い石が形成される。そのまま、楓は火晶石を土へと落とした。
すると地面が一瞬、楓の契約紋をそのまま写したようなマークで燃えた。
「これが『紋』?」
セダが言う。炎が、紋様が消えた事を確認して、楓は頷いた。
「これですぐにシャイデに戻ってこれるから」
光が楓の服を掴んだ。楓はなに? と優しく尋ねる。
「一緒に行きたい。一緒に転移できる?」
炎の転移は光にも初めてだ。その宝人以外の転移はそれだけ己の力を使うが、楓は構わないといった。
「じゃ、光行こうか。だれかキア王にも伝えてくれるかな?」
「わたくしが」
リュミィが答える。光はセダの服も引っ張った。
「楓。セダと契約したの。だからセダも一緒にお願い」
楓は一瞬驚いた顔をしたが、頷いた。グッカスがセダからテラを受け取り、背に背負う。
「じゃ、テラのことお願い」
楓はそう言うと、右手に光、左手にセダの手を取って、特に何の動作もせずに転移した。 グッカスらは突然炎が一瞬燃えたと思った時には三人の姿が包まれ、炎が消えると同時に三人の姿も消えていた。
セダたちは目の前が炎に包まれた、と思った次の瞬間には景色がまったく違っていた。そう、ここは楓がジルタリアを離れる前に楓が紋を作った場所だった。
「離れないで。このままジルタリア城の炎まで転移する」
楓がそう言ったその次の瞬間には三人はジルタリア城の応接間の暖炉の中にいた。楓の手を握っている間は燃え盛る炎の中でも特に異常はなかった。楓は手を引きながら暖炉から出る。炎の外に出て初めて手を離してくれた。
一方、ジルタリア城の暖炉の前にいた人らはいきなり炎の中から人が現れてものすごく驚いていた。仕方のないことだとセダも思う。リュミィの光の転移はそのまま距離を縮めるような印象があり、ああ、移動したと思うのだが、炎の転移はまさしく瞬間移動だった。
したセダや光はちょっとついていけずに目を回している。
そう、炎の転移とは炎が点火して消えるその一瞬で移動する間接転移。間接転移で炎こそ一番の速さと驚くべき移動距離を実現する。
「ジルの元に案内してください」
楓がそう言った。驚いていた火番の係りもフィスに言われていたのか、慌てて頷いた。
「こちらです」
案内された部屋にはヘリーだけではなく、フィスまでいて一つのベッドを囲んでいた。
「ジル!」
思わずセダが叫んだ。そして楓の赤い髪を見て、一瞬誰もが沈黙した。が、その沈黙を破るように、ひどく疲労した様子のヘリーが駆け寄る。
「お願い、ジルを助けて!!」
楓は頷いてジルの元に寄った。うつぶせに寝かされているジルの背中には止血帯と包帯が幾重にも巻かれ、苦しげな呼吸が続いていた。頭に氷嚢を当てられてはいるが、怪我のせいで相当の高熱を出しているようだ。確かにこの状況で腕を切り落としでもしたら、死んでしまう。
そして、その当の呪われた腕は異様なほどに青い模様で埋め尽くされていた。青い模様はすでに肩まで届いている。
「ひどい……」
同じ宝人として呪いの仕組みがわかる光は思わず口を押さえた。
「光、ジルには炎に親しい色があるって言ってたよね?」
光に楓が問う。
「うん。ジルは半人の魂の形に、闇と火のエレメントの加護を受けているよ」
瞬時に魂見をし、楓に教える。魂に青い茨が絡まっている。あれが呪いだ。
「魂を呪ったなんて……」
「うん。ひどいね」
楓はそう言って呪われた右腕を両手で頂くように握った。そしてセダに言う。
「呪いを破壊するから、呪いが暴れる。たぶん、苦しいと思うんだ。暴れないように押さえていて」
セダが頷いてジルの両肩を押さえる。フィスが無言で脚を抑え、そばに立っている者が残りの部位を抑える。
「炎を出します。でも呪い以外は燃やしません。決して怖がらず、驚かないで」
楓はセダと光以外に言い聞かせるようにそれぞれの目を見て言った。フィスを筆頭に皆が頷いた。
「では、いきます!」
楓はそう言って右手でジルの右手と握手するように握りこみ、左手でそれを抑えるように握った。楓はそのまま顔を腕に近づけ、ふっと息を吹きかけた。その途端、青い模様全てに火が燃え移る。ジルの肌の上を正確に青い模様の上だけを、否、青い模様を燃やしている。
「ううっ!!」
ジルが呻いた。そしてビクっと動く。楓は逃げようとする腕を逃がさないように握り締め続ける。
「ああ! いっ!!」
ジルが叫ぶ。体が抵抗するように動くが、皆がそれを押さえた。もしは激しく動いて傷が開いたら大変だ。ジルの右腕が燃え盛る。その様子は異様だが、誰もが真剣に楓を見ていた。楓は燃える刺青を見続け、その後、右腕を離し、ベッドの上に乗り上げた。膝でジルの右手を踏みつけ、そのまま刺青が伸びた先、肩を両手で押さえる。部位を両手で押さえ、顔を近づける。
「もっと強く押さえつけて!」
楓がそう言った。そして楓は両手の間、肩の辺りになんと炎を吐きかけたのだ。人の姿である楓の口から炎が吐き出される光景にも目を奪われるが、その炎が触れた瞬間に、ジルが目を見開いた。意識は無い様だが、あまりの苦痛に呻きというよりは叫びに変わっている。暴れる力が桁違いに違う。
炙るように楓が炎を吐きかける。その行為は肩から始まり、そして徐々に腕を伝って下がっていく。
「すごい……」
魂見できる光は魂に絡みつく青い茨が棘を落としていく様が見えていた。落とすと言うよりかは燃えているのだが。そうして再び右手を握り、手の甲呪いを受けた場所に楓が炎を吐きかける。
それと同時に左手で背中の一点、ちょうど心臓の真上に触れ、その場所を燃やす。
炎に炙られて呪いの茨が粉々になり、燃え始める。燃やし尽くし、消すまで楓は炎を強くジルの魂に注ぎ込む。その様子を光は見ていた。
「うぁあああ!!」
ジルの絶叫が響き渡る。しかし、その叫びが収まると同時に疲れきったジルが目を再び閉じ、楓が手を離したと同時に炎が消える。
「もう、大丈夫なはず」
安堵のため息が全員から漏れ、その証拠にジルの腕に青い模様は一切なかった。
「ありがとう! ありがとう!!」
ヘリーは楓に抱きついて泣きじゃくった。フィスも安心した様子で微笑む。
「彼に炎の耐性があってよかった。怪我がひどいみたいだからちょっと耐えられるか不安だったんだ」
楓が一仕事を終えて、それでもこの場の誰もが炎を怖がらなかったことに安心して笑う。
ジルの安静の為、医師以外が部屋の退出を命じられ、途中で安心したヘリーが気を失った。
フィスはセダたちを別の部屋に案内した頃にはすっかり夜になっていた。それでもジルの命は失われていない。楓は呪いを破壊したのだった。
「セダたちも泊まるだろう? 部屋を用意させるが……」
「いや、シャイデに帰るよ」
セダの言葉に楓も光も頷いた。
「え? でもう夜だし……」
フィスが驚いて引きとめようとする。
「だってキア王がきっと心配してる。はやくもう大丈夫だって伝えてあげたいんだ」
「それもそうだけど……」
「大丈夫です。シャイデには炎の転移で戻ります」
楓はそう言った。フィスは三人の意思が固いとわかるや、頷いてくれた。
「ヘリーによろしく。ゆっくりやすませてやってくれ」
「キア王によろしく。ジルとヘリーは傷がいえるまでこっちの医師の下で完治させますって伝えてくれ」
セダとフィスはそう挨拶を交わすと、来たとき同様に一瞬で姿を消した。
その後、ジルタリアでジルは無事に目を覚まし、怪我を治すためにヘリーと共にジルタリア城で腕のいい医師と共に休息を取った。キアとハーキは急いで帰ってきたセダたちに呪いが無事に解けた事とフィスの伝言を聞いて緊張の糸が切れたのだろう、その晩は倒れるように眠った。
テラは無理に動いたことがたたったのか、しばらくはベッドから抜け出させなかった。しかし楓を心配させないよう、しっかりやすんで、しっかり食べ、予定より早く復帰できた。
グッカスはテラが休んでいる間、セダと共同の部屋に誰も入れるな、と釘を刺して鳥の姿を取った。何をするのかと思えば、火傷を癒す為に短時間の休眠に入ると宣言してそれ以来動かなくなった。
鳥の姿で受けた傷は鳥の方が傷が癒えるのが早いらしい。しかしその間警戒もできなくなるので、同室のセダ以外入れるなと事前に言ったようだった。
獣人にも宝人と同じだけ神秘があるようにセダには思えた。楓は周りを刺激しないよう、テラのそばに行く以外は自室でおとなしくしていた。髪の色が戻るのを待っていたようでもある。
楓は自分の姿が元に戻り、エレメントの扱いも平常に戻った際、一行と共に楓は宝人の老人達にあの炎の巨人は自分とはまったく関係ないと言い通した。
宝人達はその主張を疑っているようだったが、リュミィと水の魔神を呼んだと思われているキアが傍で見ていた者の代表として、楓を弁護したおかげで事なきを得た。
楓はその際にテラと一緒に世界を見たいと申し出た。炎がなぜこうなる運命を歩んだか、自分で見たいのだと。しぶっていた老人達だったが炎の脅威に恐れをなしたせいか、それとも若い意思に折れたのか、結局定期的に連絡をいれ、リュミィが成人まで監視役になることで合意した。
そして光もセダと契約し、セダとともにありたいと申し出た。予想外すぎる光の行動に老人達はため息しか出なかったようだが、楓と行動を共にすると知って、またしてもリュミィに保護観察の役目が与えられて事なきを得た。
というか事態が事態でてんやわんや、疲労している宝人の老人達を半ば勢いと混乱に乗じて言いくるめた形になったが、結果オーライである。
こうして一行はようやく、本来の任務であるモグトワールの遺跡調査という任務に向けて改めて出発したのであった。




