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世界の余白に転生した俺は、物語に存在してはいけない  作者: Sui
第一章「忘れられる転生者」
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2/22

第2話 死んだはずの男

書き溜めている分は早いスパンで投稿します。

ストックが無くなったらとりあえず1~2日に1回のペースになります。

死んだ瞬間のことを、俺は覚えていない。

正確に言えば、死んだと思われる瞬間の前後だけが、奇妙なほど曖昧だった。


雨の匂い。

濡れたアスファルト。

信号機の赤い光。

そして、視界を埋め尽くした白。


そこまでは覚えている。

だが、肝心なものが欠けていた。

俺を轢いたはずの車だ。

タイヤの音も、エンジンの唸りも、思い出せない。

それなのに俺は、自分が交通事故で死んだものだと、疑いもしなかった。


なぜだろう。


その疑問が浮かんだのは、異世界に来て四度目の朝だった。


薄い毛布を払いのけ、寝台から身体を起こす。

宿の窓から差し込む朝日が、床板に細長い光を落としていた。


机の上には、昨日までに書き溜めた日記がある。

俺はそれを手に取り、最初のページを開いた。


『久瀬玲司。二十四歳。日本から来た』


見慣れた名前だった。

だが、その文字を見つめていると、どうにも落ち着かない気分になる。


俺は久瀬玲司だ。

そのはずだ。


日本で生まれ、育ち、大学を卒業して会社に勤めていた。

朝は満員電車に揺られ、昼には職場の近くで安い定食を食べ、夜は疲れた身体を引きずって帰宅する。

そんな日常を送っていた。

それなのに、今ではその記憶が、ひどく遠いものに感じられる。

まるで、自分ではない誰かの人生を思い出しているようだった。


「……本当に、死んだのか」


声に出してみる。

答える者はいない。


窓の外では、村人たちがいつもと変わらない朝を迎えていた。

この世界に来てから、俺は何度も自分の状況を考えた。


異世界転生。


日本にいた頃なら、物語の中でしか使わなかった言葉だ。

死んだ人間が、別の世界で新しい人生を始める。

その設定自体は理解できる。


だが、実際に自分の身に起きてみると、理解できないことばかりだった。

俺はなぜ、この世界へ来たのか。

誰が、何のために。

そして何より、なぜこの世界の人間は俺を覚えていられないのか。


いくら考えても正解に辿りつけるはずもなく、ため息をつきながら日記を閉じた。


昨日の夜、村を出ようと決めた。

しかし、その前に確かめたいことがあった。

俺がこの世界へ来た、あの場所。


森の中にあった、文字のない石碑。

あそこに、もう一度行ってみようと思った。


     *


宿の一階へ降りると、主人が朝食の準備をしていた。


「おや、お客さん。泊まりかい?」


昨日も聞いた言葉だった。


「……昨日から泊まってる」

「そうだったかね?」


主人は首を傾げた。


もう、驚きはしなかった。

ただ、胸の奥が少しだけ冷たくなる。


「部屋は二階の奥だ。荷物も置いてある」

「ああ、そうかい。悪いねえ。最近、どうも物忘れがひどくて」


主人は困ったように笑った。

俺も曖昧に笑い返す。


彼は昨日の宿泊代を受け取ったことを覚えている。

部屋を貸したことも、帳簿を見れば分かる。


だが、俺の顔は覚えていない。

昨日、何を話したかも覚えていない。

まるで、出来事の中から俺だけが切り取られているようだった。


「……ひとつ、聞いてもいいか」

「何だい?」

「この村の北にある森について、何か知ってるか?」


主人は鍋をかき混ぜる手を止めた。


「北の森?」

「ああ。古い石碑がある場所なんだけど」


その瞬間、主人の表情が変わった。

ほんのわずかだった。

だが、確かに笑顔が消えた。


「……石碑?」

「人の背丈くらいの高さで、何も書かれていない石碑だ」


主人はしばらく黙っていた。

やがて、ゆっくりと首を振る。


「知らないねえ」

「本当に?」

「少なくとも、そんなものがあるとは聞いたことがないよ」


そう言って、再び鍋に向き直った。

だが、その手つきは先ほどよりもぎこちなかった。


主人の横顔を見つめた。

何かを隠しているのだろうか。

それとも、ただの思い過ごしなのか。

今の俺には判断できなかった。


「森には近づかない方がいいよ」


主人が言った。


「最近、魔物が増えているらしいからね」

「……分かった」


それ以上は尋ねなかった。

朝食を済ませ、部屋に戻る。

日記を懐にしまい、少しばかりの食料と水を持った。

村を出る準備は、それだけだった。


この世界に来たとき、俺は何も持っていなかった。

今も、大して変わらない。

ただ一冊の日記だけが、俺の存在を証明してくれていた。


     *


村を出ると、空気の匂いが変わった。

畑の土と家畜の匂いが薄れ、代わりに湿った草木の香りが強くなる。

遠くに広がる森は、朝日を受けてもなお薄暗かった。

木々が密集し、奥へ進むほど光が届かなくなっている。


歩きながら、転生した日のことを思い返していた。

あの日、目を覚ました時、俺は仰向けに倒れていた。

背中には湿った土の感触があり、頭上には見知らぬ木々が広がっていた。

身体に痛みはなかった。

骨折も、出血もない。

交通事故に遭った人間とは思えないほど、健康な状態だった。

それどころか、身体が妙に軽かった。

長年の肩こりも、仕事で疲れた腰の重さも消えていた。

まるで、誰かが身体を新しく作り直したようだった。


「……作り直した、か」


自分で口にして、嫌な気分になった。

そんなことが、本当に可能なのだろうか。

魔法が存在する世界なら、あり得るのかもしれない。

だが、仮にそうだとして。

誰が、俺を作り直したのだろう。

そして、何のために。

考えているうちに、森の入り口へ辿り着いた。

木々の間には、細い獣道が続いている。

三日前、俺が村へ向かうために歩いた道だった。

少なくとも、そのはずだった。


だが、今になって見てみると、奇妙なことに気づいた。

道の両脇にある木々の形が、まるで記憶と違っていたのだ。


最初に通ったときには、大きく曲がった木があった。

根元に青い花が咲いていたので、その木を目印にして歩いたことをはっきり覚えている。

しかし、今はどこにも見当たらない。

代わりに、まっすぐ伸びた細い木々が並んでいる。


「……道を間違えたか?」


周囲を見渡した。

森の入り口は一つではない。

三日前とは違う場所から入ろうとしている可能性もある。


そう考え、少し離れた場所まで歩いてみた。

だが、どこにも見覚えのある景色はなかった。

やがて、諦めて森へ足を踏み入れた。

あの石碑を見つけるまでは、帰るつもりはなかった。


     *


森の中は、ひどく静かだった。

風が吹くたび、葉が擦れ合う音がする。

時折、遠くで鳥が鳴く。

それ以外には、ほとんど音がなかった。


慎重に歩いた。

魔物が出るという話を聞いていたからだ。

武器らしい武器は持っていない。

腰に下げているのは、村で買った小さな作業用の短刀だけだった。


もし本当に魔物と遭遇すれば、逃げるしかない。

そんなことを考えながら進んでいると、ふと足元に違和感を覚えた。

地面が、妙に平らだった。

森の中なのに、そこだけ石畳のように滑らかになっている。

苔に覆われてはいるが、明らかに自然の地面とは違う。


しゃがみ込み、表面を指でなぞった。

冷たい石の感触。

その下に、細い線が刻まれていた。

文字のようにも見える。

だが、読み取ることはできなかった。


「……遺跡か?」


顔を上げる。

周囲には、同じような石がいくつも埋まっていた。

三日前には気づかなかったものだ。

いや、気づかなかったのではない。

あの日は、ここを通っていないのかもしれない。


そう思った瞬間。

耳の奥で、微かな音がした。

紙をめくるような音だった。


音のする方へ振り返った。

誰もいない。

風も吹いていなかった。

それなのに、確かに聞こえた。


ぱらり。


もう一度聞こえた。

今度は、すぐ耳元で。


「……誰かいるのか?」


声をかける。

返事はなかった。


しばらく待ってみたが、何も起こらない。

短刀の柄に手を添えた。

心臓が早鐘を打っていた。

やがて、音は聞こえなくなった。

深く息を吐いた。

疲れているのかもしれない。


この世界へ来てから、まともに眠れた夜は少なかった。

幻聴の一つくらい、聞こえても不思議ではない。


そう自分に言い聞かせ、再び歩き始めた。

だが、どうしてもあの音が気になった。

どこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。


     *


石碑を見つけたのは、それから一時間ほど歩いた頃だった。

いや、正確には石碑があったはずの場所を見つけた。


そこは、小さな円形の空き地だった。

周囲を木々に囲まれ、中央だけがぽっかりと開けている。

地面には草が生えていない。

土は黒く、まるで長い間何かに覆われていたようだった。


立ち止まった。

間違いないくこの場所だ。


三日前、俺が目を覚まし石碑を見つけた場所。

だが石碑はどこにも見当たらない。


「……嘘だろ」


思わず呟いた。

人の背丈ほどもある、大きな石碑だった。

簡単に動かせるようなものではない。

それなのに、影も形もなかった。


空き地の中央へ歩き確認をした。

石碑があったはずの場所には、何も残っていない。

掘り返された跡もない。

砕けた石の破片すら見当たらない。

ただ、黒い土が広がっているだけだった。


「……どういうことだ」


地面に手を触れた。

冷たかった。

だが、その奥に妙な温かさがあるような気がした。

地面の下で、何かが静かに動いている。

そんな錯覚を覚えた。


俺は手を引っ込めた。

その瞬、頭の奥に鋭い痛みが走った。


「っ……!」


視界が揺れた。

膝をつき、額を押さえる。

痛みは一瞬だった。


だが、そのわずかな時間に、奇妙な光景が見えた。

白い部屋。

壁も、床も、天井もない。

ただ、果てしなく広がる白。

その中央に、一人の人間が立っていた。


後ろ姿だった。


顔は見えない。

だが、その人物は、確かにこちらを向こうとしていた。


そして、


「――まだ、駄目だ」


声が聞こえた。

夢の中で聞いた、あの声だった。

俺は息を呑んだ。


「……誰だ」


返事はなかった。

白い景色が揺らぐ。

人影が、ゆっくりと振り返る。

その顔を見ようとしたその瞬間に、視界が暗転した。


     *


気づけば、地面に倒れていた。

頬に湿った土が触れている。

木々の隙間から、午後の光が差し込んでいた。

どれほど時間が経ったのか分からない。


ゆっくりと身体を起こした。

頭痛は消えていた。

だが、胸の奥に嫌な感覚が残っている。


あの白い場所。

あの人影。

そして、声。


『まだ、駄目だ』


俺はその言葉を知っている。

夢の中でも聞いた。

だが、それだけではない気がした。


もっと前に、ずっと昔に、同じ言葉を聞いたことがある。

そんな確信めいた感覚が、胸の奥に広がっていた。


「……何なんだよ」


声が震えた。

何を忘れているのだろう。

いや、本当に忘れているのだろうか。


もしかすると、最初から知らされていないのではないか。

俺がこの世界へ来た理由。

死んだはずの瞬間。

そして、あの石碑の正体。


そのすべてが、誰かによって隠されているのだとしたら。

俺は、何を信じればいいのだろう。

懐から日記を取り出した。

震える手でページを開く。

そして、今日見たものを書き記した。


石碑が消えていたこと。

地面に触れた瞬間、頭痛が起きたこと。

白い空間と、人影。

そして、あの声。


『まだ、駄目だ』


書き終えたところで、筆が止まった。

しばらく、その文字を見つめていた。

そして、ふと気づいた。


三日前、俺が初めて石碑を見つけた時も、同じような感覚があった。

触れようとした瞬間、忘れていた何かを思い出しそうになった。

だが、思い出せなかった。


今回も同じだ。

違うのは、石碑が消えていたことだけ。

いや、本当にそうだろうか。


日記の最初のページを開いた。

転生した日の記録。

そこには、こう書かれていた。


『森の中に古い石碑を発見。中央に細長い窪み。文字はない』


その文章を見つめた。

そして、あることに気づいた。

俺は、石碑の中央にあった窪みを覚えている。


だが、その形を、正確に思い出せない。

縦に細長かったのは確かだ。

しかし、ただの線だったのか。


何かの記号だったのか。

それとも、文字の一部だったのか。

どうしても、思い出せなかった。

まるで、記憶の一部分だけが削り取られているようだった。


「……俺まで、忘れてるのか」


思わず呟いた。

この世界の人間は、俺を忘れる。

だが、もしもだ、俺自身も、何かを忘れさせられているのだとしたら。

その可能性に思い至った瞬間、全身に寒気が走った。


     *


村へ戻る頃には、空が赤く染まり始めていた。

森を抜けると、遠くに家々の屋根が見えた。

煙突からは夕食の煙が立ち上り、畑仕事を終えた人々が家路についている。

平和な光景だった。


俺が森で見たものなど、誰も知らない。

この世界は、何事もなかったように続いている。

そのことが、ひどく不気味だった。

村の入り口まで来たとき、見覚えのある少女が歩いてくるのが見えた。

リシアだった。


背中には薬草の籠を背負っている。

彼女は俺に気づくと、軽く会釈した。


「こんばんは」

「……こんばんは」


また忘れられている、と力なく返事をした。

リシアは少し首を傾げた。


「どこかへ行かれていたんですか?」

「ああ。森へ」


その瞬間、彼女の表情が変わった。


「森へ?」

「ちょっと調べたいことがあって」

「……危ないですよ」


リシアは真剣な顔をした。


「最近、森の奥で魔物が増えているんです。村の人たちも、なるべく近づかないようにしていて」

「そうらしいな」

「本当に、気をつけてくださいね」


その言葉に、少し驚いた。

彼女は俺を覚えていない。

少なくとも、今の反応からはそう見える。

それでも、見知らぬ旅人の身を案じてくれる。

嬉しくなり小さく笑った。


「ありがとう」


リシアも微笑んだ。

そして、ふと何かを思い出したように口を開いた。


「あの……」

「ん?」

「変なことを聞いてもいいですか?」


その問いに頷いた。

彼女は少し迷ってから、言った。


「私たち、前にどこかで会ったことがありますか?」


胸の奥が、静かに震えた。

昨日も、似たようなことを聞かれた。

だが、彼女はその会話を覚えていない。

それでも、また同じ疑問を抱いている。


「……どうしてそう思う?」


俺が尋ねると、リシアは困ったように笑った。


「分からないんです。ただ、何となく……」


そこで言葉を止める。


「あなたを見ていると、懐かしい気がして」


何も言えなかった。

記憶は消える。

だが、何かが残っている。

その事実が、今の俺には救いだった。


「……レイだ」

「俺の名前は、レイ」


リシアはその名前を、ゆっくりと繰り返した。


「レイさん……」


そして、柔らかく微笑んだ。


「素敵な名前ですね」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に温かいものが広がった。

だが同時に、ひどく切なくもなった。

明日になれば、彼女はまた俺を忘れる。


それでも、今日、この瞬間だけは。


――俺の名前を呼んでくれた。


それだけで、十分だと思いたかった。


     *


宿へ戻った俺は、日記を開いた。

今日の出来事を整理する。


事故の記憶。

森の石碑。

白い空間。

謎の声。

そして、リシアの言葉。


書き終えたところで、俺はしばらく考え込んだ。

この世界に来てから、俺はずっと、自分が忘れられることばかり考えていた。

誰も俺を覚えていない。

誰も俺の名前を呼んでくれない。

俺が何をしても、翌日にはなかったことになる。


だが今日、森で見た光景が、別の可能性を示していた。

もしかすると、俺はこの世界に来る前から、何かを忘れているのかもしれない。

そして、その忘れた何かこそが。

俺がここにいる理由なのかもしれない。

日記の最後に、一文を書き加えた。


『俺は、本当に死んだのか?』


筆を置く。

その文字を見つめる。

答えはない。


だが少なくとも、俺は今生きている。

心臓は動いている。

息をしている。

腹も減るし、眠くもなる。

痛みも感じる。

誰かの言葉に、嬉しくなることもある。

それが、今の俺にとって唯一の現実だった。


窓の外を見た。

夜の闇が、村を包み込んでいる。

遠くの森は、黒い塊のように沈んでいた。

あの森のどこかに、答えがあるのだろうか。

それとも、答えそのものが、すでに消されているのだろうか。


俺には分からなかった。

ただ、一つだけ。

どうしても頭から離れない言葉があった。


『今度こそ』


夢の中で聞いた、あの言葉。

今度こそ。

それは、以前にも何かがあったことを意味している。

ならば俺は、初めてこの世界へ来たのではないのかもしれない。


その考えが浮かんだ瞬間。

背筋に、冷たいものが走った。


俺は、死んだはずだった。

だがもし、死んだはずの人間が、もう一度現れたのだとしたら。

この世界は、それをどう扱うのだろう。

答える者はいなかった。


ただ、窓の外で風が吹いた。

まるで、見えない誰かが、静かにページをめくるような音を立てながら。


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