後編
胸がどくん、と鳴った。
「貧乏だとか、リボンが古いとか、そんなこと、どうでもよかった。……言い方がわからなかった」
「……公爵令息が?」
「君は、正しいことしか許さない顔をするだろう。だから——」
雨音が、二人の間だけ遠くなる。
「からかう形でしか、近づけなかった」
私は唇を噛んだ。
そんなの、卑怯だ。
今までの憎たらしさが、別の形に見え始める。
「じゃあ、あの告白も?」
「嘘だと思われてもいいから、言った」
アシュトンは私の頬に触れそうで触れない距離で、言葉を落とす。
「君の隣にいる口実が欲しかった」
——ずるい。
そんなの、私が一番弱いところを狙ってる。
私は、最後の抵抗をした。
「……じゃあ、私が本気になったら、笑うのですか」
「笑わない」
「……本当に?」
「本当に」
その目が、逃げない。
そのせいで、逆に怖くなる。
「……証明して」
「何を」
「あなたが、私を遊びにしないって」
アシュトンは一瞬だけ息を詰めた。
それから、苦しそうに、でもまっすぐ言った。
「僕は、君が本気になってくれるのが怖かった」
その言葉で、私の中の『罰ゲーム』が、音を立てて崩れた。
雨が少しだけ弱まる。
濡れた睫毛の向こうで、アシュトンが私を見ている。
「ユリア」
「……何ですの」
「君のリボン、くたびれてるなんて、本当は思ってない」
彼の指が、結び目を軽く押さえる。
「君がそれを大事にしてるのが、……好きなんだ」
胸の奥が熱くなる。
涙が出そうになるのが悔しくて、私は意地悪に言った。
「……好きって言えば、許されると思って?」
「許されたい」
「簡単ですわね」
「簡単じゃない。ずっと言えなかった」
その声が、雨よりも柔らかかった。
私は、決定的に負けた。
負けたのに、嫌じゃなかった。
「……では、条件変更ですわ」
「条件?」
「捨てるのは延期します」
「延期?」
私が言うと、アシュトンの瞳が揺れた。
嬉しそうで、苦しそうで、どうしようもなく本気の顔。
「その代わり——」
私は、少し背伸びをして、彼の襟元を掴んだ。
濡れた布が指に貼りつく。心臓がうるさい。
「嘘だったら、あなたの方が後悔するようにして差し上げますわ」
「……嘘じゃない」
言い終わる前に、アシュトンが私の手を包み、引き寄せた。
そして、唇が重なる。
雨の冷たさとは逆の、熱。
触れた瞬間、彼の指が私の背を支える力が増す。
逃がさない、みたいに。
一度離れて、もう一度。
今度は少しだけ、確かめるように。
私は息が続かなくなって、彼の胸に額を押し当てた。
「……最低ですわ」
「知ってる」
「私の計画、全部台無しですわ」
「よかった」
その一言が、またずるい。
「……『よかった』って何ですの」
「君が僕を捨てないでくれそうだから」
私の頬が、雨とは別の熱を持つ。
「……捨てませんなんて言っていませんわよ」
「じゃあ、延期の間、僕は何をすればいい?」
「……私を安心させてくださいませ」
「一生かけて?」
冗談みたいに言うのに、目が冗談じゃない。
私は、もう一度だけ彼を見上げて——小さく頷いた。
「……そのくらいで、ようやく釣り合いますわ」
雨はまだ降っている。
でも、さっきまでの冷たさはどこかへ消えていた。
「公爵令息が?」
「君の前だと、どうしても余裕がなくなる」
その声が少しだけ震えていて、私はようやく確信した。
これ、罰ゲームじゃない。
「……仕返しは?」
「したいなら、していい」
「しますわ。覚悟なさいませ」
「喜んで」
私の逆襲は、失敗した。
でも——たぶん、これはこれで勝ちだ。
私はリボンに触れて、少しだけ顔を背けた。
「惚れさせてから捨てるつもりでしたのに」
「捨てないでくれ」
「……今のは、照れてました?」
「……黙れ」
やっと悔しがった。
それが、たまらなく可笑しかった。
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