第二話:セレン先生の鬼訓練
──魔王城・西訓練場。
訓練場を包む空気が、光の粒で満たされていた。
ただ光っているのではない。精密な魔法演算によって構成された、高密度の光子結晶体。
無数の粒子が空間を流れ、わずかな光の揺らぎだけで場の魔力密度が変化する。空気そのものが光の刃となり得る、危険領域。
それを自在に操るのが、魔王軍第一将・セレン。
半人半龍の魔王軍最強戦士。
その両目は光子の流れすら視認し、空間ごと敵を切り裂く、神速の戦術を可能にする。
一方、相対するのは、掃除道具の似合う男・第四将ゲイル。
今はモップの代わりに木刀を手にしているが、気配は相変わらず“給仕係”そのもの。
しかし、その表情の奥には、常人では捉え得ない思考の旋律が走っていた。
「……構成完了。対局面展開式、術式起動まであと3秒」
セレンの淡々とした呟きと同時に、空間がバチバチと音を立てて輝き始めた。
三重展開魔法陣が空中に浮かび、空間そのものがレンズのように収束・拡散を繰り返す。
訓練用とはいえ、これは光速魔術の応用兵装。
“殺さないように”抑制しているだけで、地形が崩壊する程度の威力は容易にある。
(やばい、来る……)
ゲイルは、構えこそ緩いままだが、背筋に汗が流れていた。
頭の中でセレンの動き、光子の密度、魔法陣の演算軌道をフルスピードで読み解く。
(この術式……六手先でフォローが入る構造。右から三発、左から反射一。背面にも回る——!)
「《偏光散列・ラグナレーザー》」
セレンの指が、空中をなぞった瞬間——
七色の光線が、半円を描いてゲイルを包囲するように一斉照射された。
一本一本が対象追尾型。
光子の干渉と偏向制御により、反射角度を自在に変えながら襲いかかる。
ゲイルは飛び込むように地を転がり、瞬時に体をひねって竹刀を振る。
空を裂いた熱線の一条が、髪を焦がして通り過ぎる。
「これ、回避するより“当たらない位置”に立つ方が正解……!」
ゲイルは一歩だけ横に滑るように踏み出す。
その位置——すべてのレーザーが“ぎりぎり掠らない”奇跡のような空間。
「やはり避けたわね……」
セレンの目がわずかに見開く。
しかし驚愕ではない。これは“確認”。
彼の先読みは、反射の“意図”まで読んでいる。
「あなたの“読み”は、戦術パターン単位で反応できている」
「褒められてるけど、身体はもうボロボロなんすけどぉ……!」
ゲイルの肩口は焦げ、靴底は半分溶けていた。
だが、彼はまだ立っている。致命傷は避けている。
だが、セレンはさらに踏み込んだ。
「ここからは、“詰みの盤面”よ。あなたの予測を、“覆す”動きでいく」
「マジですか!? 今までが前座!? こっちモップで戦ってる気分なんですけど!?」
セレンの身体から放たれる光子が渦を巻く。
彼女の周囲に五重の魔法陣が展開され、空間に“軋み”が走る。
「《超臨界連結・光牙旋断》」
その名のとおり、超密度の光子刃を回転させる高速攻撃魔法。
空気ごと削り、地表を焼き尽くし、対象を分子単位で切断する殺しのための魔術。
今この場で彼女が“本気”になれば、訓練場ごと消し飛ぶ。
それをセレンは、限界ギリギリで制御していた。
しかしなお——空気は裂け、地面は焼け、魔法陣の周囲には焦げた大地が剥き出しになっていく。
「っ……やるしかねぇか……」
ゲイルは木刀を握り直し、意識を一点に集中させる。
予測ではない。視認でもない。
「——逆転の兆!」
その瞬間、ゲイルの体がふっと“線”になる。
一切の力みを感じさせない自然な踏み込み。
彼の木刀が、光子刃の旋断の“間隙”に吸い込まれるように滑り込む。
セレンの光子刃の内側に、わずかな“無風の空白域”があった。
それは戦術上、物理的制御の隙。
ゲイルはそこに——“先に入っていた”。
「……っ!」
竹刀が空間を切り裂き、旋断の流れをわずかにズラす。
反応ではなく、介入。
その一瞬の差異が、命を分けた。
セレンの攻撃は命中寸前で止まり、二人の間に風が通り抜けた。
距離が止まる。
ゲイルは膝をつき、息を切らしている。
肩からは焦げ煙が上がり、木刀も熱を持って赤く染まっていた。
「及第点ね。これを防げないようであれば四天王の座を下ろしていたわ」
「ゼェ……ゼェ……。もうちょっと手加減してもらっていいです……?」
セレンは少しだけ微笑んだ。
「あなたの“先読み”は、城内戦でこそ最も威力を発揮する。狭い空間、複雑な地形、味方を巻き込めない状況——そういう局面で、あなたは真価を発揮する。私はそこに価値を感じ、あなたを四天王として推したのよ」
「……恐縮です。実際、廊下での戦闘とか、床のワックスの反射率も加味して動きますし」
「……やっぱり、変な男」
セレンは、剣を収め、静かに背を向けた。
「三日後。次の訓練。内容は城内模擬戦。あなたの“本領”を磨いていく」
「床、傷つけないでくださいね」
「保証しないわ」
「ぐぬぬ……」