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夏の日の整備工房


セミの声が響く夏の昼下がり

空はどこまでも青く

白い雲がゆっくりと流れていた


当時小学5年生だった僕は

汗ばむシャツを扇ぎながら

病院の敷地内にある

面会スペースへと向かっていた


父は病室のベッドではなく

外のベンチに腰掛けていた

点滴のチューブが腕に繋がれたまま

それでも穏やかに微笑んでいた


「おう、来たか」


弱々しくも、いつもの優しい声だった

僕は片手に握った

自転車の錆びたチェーンを見せる


「これ、動かなくなっちゃった」


父は少し考えるように目を細めると

ゆっくりと手を伸ばした


「貸してみな」


工具なんて何もなかったけれど

父は素手でチェーンを外し

指先で錆を落としながら動きを確かめる

まるで魔法のように父の手の中で

自転車の部品が息を吹き返していくのを

僕はじっと見つめていた


「……ほら、もう大丈夫だ」


試しにペダルを回すと

チェーンはスムーズに回り始めた

僕は思わず顔を輝かせた


「すごい! ありがとう!」


父は小さく笑うと

ベンチの背にもたれかかった

その横顔が

どこか遠くを見つめているように感じて

僕は少し胸がざわついた


「なあ、お前、最近絵を描いてるか?」


不意に聞かれて、僕は驚いたように父を見た


「うん……学校の宿題で描いたよ」


「そうか。お前の絵、俺は好きだな」


父は昔から絵が上手かった

子どものころ

よく僕のリクエストに応えては

ノートの端に小さな動物や風景を描いてくれた

その絵を見るのが大好きだった


「また今度、何か描いて見せてくれよ」


父の声はどこか寂しげで

僕は「うん」と力強く頷いた


それから数週間後、父の病状は悪化し

もう病院の外には出られなくなった

けれど、僕は約束を果たすために

一枚の絵を描いた

青い夏空と、父の修理した自転車


病室でその絵を見た父は

少し目を細め、微笑んだ


「……いい絵だな」


その言葉が

今でも僕の胸の奥に残っている



父の病室を出た帰り道

僕は自転車を押しながら

ゆっくりと家へ向かっていた

整備されたチェーンはスムーズに回り

ペダルを踏めばすぐにでも

走り出せそうだった

でも、なぜか僕は乗る気になれず

ただ夕焼けに染まるアスファルトの上を歩いた


それからの日々

僕は学校の宿題そっちのけで絵を描き続けた

父に褒められたのが嬉しかったのもあるし

病室で過ごす父に

少しでも楽しんでもらいたかったからだ

病院へ行くたびに新しい絵を持っていくと

父は嬉しそうに目を細めて眺めてくれた


「お前、本当に上手くなったな」


そう言われるたびに胸の奥がくすぐったくて

誇らしくてそれでいて少しだけ寂しかった


つづく

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