盲目の姫と聖騎士
「聞いたか? ロベルトの奴、とうとう願いを叶えて領地に凱旋だってさ」
城内の兵舎の中で、最近まことしやかに流れている噂がある。
『城下の街外れに、盲目だがとても美しい姫がいて、会った者の願いを叶えてくれる。しかし、姫の機嫌を損ねると、命を奪われるらしい』
お陰で街外れが賑わう事態が起きているのだが、その姫に会えた者は、ほとんどいないに等しいのだ。
「じゃあ、ロベルトは姫に会えて、願いを叶えたのか。羨ましいな」
「ホントにな。…しかし不思議だよな。噂の場所に行っても、大抵の者は荒れ地にしか辿り着けないんだから…」
「そうだな。会える者は相当に運が強いのか…、しかし、運良く辿り着いても、姫の機嫌次第で命が無くなるってんだから、…俺は遠慮願いたいな」
「ハハ、お前は臆病だな」
…そんな同僚の話を、アベルは兵舎の隅の方で聞いていた。
アベルは自分に自信がない。
聖騎士見習いになったものの、それほど剣の腕があるわけでもなく、聖魔法も他の騎士に及ばない。訓練についていくのもやっとだ。
おまけに容姿は中の中だし、特別背が高い訳でもない。家柄だって、貴族でも下級に属する。
(願いが叶う、か…。そもそも会えるかどうかも分からないんだからな)
アベルは、会えたら儲け物、くらいの気持ちで行ってみる事にした。
◇ ◇ ◇
噂の場所は、雑草が繁っていて何も無い。
「…こんなところ、人が住む場所じゃないだろ」
そうボヤきながら、アベルは雑草を掻き分けて進む。
徒労だったかなぁ、と、夕陽が沈んで暗くなるのを感じながら、アベルはそろそろ引き返そうかな、と思っていると、急に場所が開けてきた。
「あれ?」
そこに、こじんまりとした家が建っていた。
家の前の小さなテーブルの上で、糸を紡いでいる女性がいた。
沈みかけた夕陽を浴びて、神秘的に輝く長い銀の髪。透けるような白い肌。
…何という、美しい女性だろう。アベルは一瞬で魅入られた。
ガサリ、と草を掻き分ける音が響いた。
女性の糸を紡ぐ手が止まり、
「………どなたか、いらっしゃるのですか?」
こちらを見ることもなく、女性が問いかけた。
アベルは慌てて女性に話しかける。
「あ、いや! 驚かせるつもりはなかったんだ。…すまない。まさか、こんなところに人が住んでいるとは…」
女性はアベルの方を見ずに、
「…最近、何故か貴方のように、こちらに迷い込む方がいらっしゃいます。何やら、噂になっているとか…」
「そ、そうなんです! 何でも、美しい姫が願いを叶えて下さるとか…。もしかして、貴女が…」
女性は少し恥ずかしそうに、
「さあ…。私は訪れた方のお話を聞いて、少しばかりの助言をしただけですわ。そもそも、姫、などと呼ばれているとは…」
そう言ったが、女性が身に付けているドレスや、その立ち振舞を見れば、充分高貴な身分だろうと感じ取れる。アベルは思わず、
「やはり、貴女が噂の姫で間違いないと思います。…それにしても美しい。私は今まで、こんなに美しい女性を見たことがありません」
「………」
女性は恥ずかしそうにしている。アベルは気になっていることを聞こうとした。が、まずは名乗らないと、と思い、
「私はアベル・ベルトランと申します。…あの、貴女の目が見えない、というのは本当ですか?」
「…ええ」
アベルは、相手に自分の姿が見えない、ということに、少しばかり安堵した。自信のない自分の姿を見られなくて済む、と思ったのだ。
「そうですか…」
ホッとしたように言うアベルに、女性が、
「あなたは今、私の目が見えないことに、安堵なさいましたか?」
アベルは自分の思いを見透かされ、ギクリ、とした。そしてすぐ、すまなそうに、
「申し訳ない…。お恥ずかしい話なのですが、私はあまり、自分の容姿に自信がなくて…」
まあ、と驚いた女性は、
「目の見える皆様は、相手の見た目に様々な思いを巡らせますものね。大変ですね…。貴方の容姿がどのようであれ、その心根はとてもお優しいのに…」
アベルは、え? と驚く。
「そ、そうですか? …貴女は、相手の心根がお分かりになるのですか?」
女性は微笑んで、
「私は目が見えない分、勘、というものが人より働きます。…貴方はもっと、御自分に自信を持たれて良いと思いますよ」
アベルが、そうですか? と聞くと、女性はにっこりと笑い、
「ええ。貴方はきっと、様々なことに遠慮されてしまうのでしょう。何事も、思い切り為されば、きっと周りの方々が貴方を認めて下さいますわ」
アベルは、目から鱗が落ちたような感覚になった。今までの自分は周りに遠慮して、知らずに萎縮してしまっていたのかも知れない。
「分かりました、何事も思い切りやってみます。…あ、あの…」
「?」
「貴女のお名前を教えて頂けませんか?」
「………ナルキス、と申します」
ナルキス姫…。名前を知れたことに、アベルは嬉しくなり、
「ナルキス姫…、またお会い出来ますか?」
ナルキスは少し考えて、
「…ご縁があれば、またお会いすることもあるかと…」
アベルは、必ずまた来ます、と、ナルキスのもとを去っていった。
辺りはすっかり日が落ちて、星が夜空に瞬いていた。
◇ ◇ ◇
翌日からアベルは、人が変わったように訓練に臨んだ。
(姫の言った通りだ…! 私は今まで、自分に自信がなかったばかりに、周りの顔色を窺って、実力を出し切れていなかったのだ!)
何事も全力で行う。ただそれだけのことで、こんなにも変わる。アベルは驚いた。
アベルの驚きは自分だけでなく、周りも驚いていた。
「お前、すごいじゃないか! 何で今まで実力を隠してたんだよ!」
同僚の騎士達も、アベルを賞賛した。
アベルの変貌は噂となり、
「…やはり、例の姫のお陰、か?」
「俺も行ってみるか。会えればアベルの奴みたいに、俺も変われるかもな」
そうして街外れは賑わうのだが、ナルキスに会える者はいなかった。
◇ ◇ ◇
―――数日後。
城内にて、剣術大会が行われるという。優勝すれば、見習いではなく、晴れて正式な聖騎士になれるのだ。
(…これで優勝出来るまでになったら、報告がてら、ナルキス姫に会いに行こう。そして…)
アベルはそう思いながら、剣術大会に参加を決めた。すると、
「…あ、あの、アベル様…」
アベルに声をかけてきた、一人の貴族の令嬢が現れた。赤毛でそばかすのある、可愛らしい令嬢だ。
しかし…。
アベルは比べてしまった。ナルキス姫の美しさには到底及ばない。
大して興味もない、という表情で、「何でしょうか?」と答える。
「私、ソフィアと申します。その…、実は、以前から私、アベル様をお慕い申しておりました。…それで、あの、剣術大会にお出になるとお聞きして、その…」
「………」
恥じらいながら言うソフィアに、アベルは一応にっこりと笑いかけながら、
「…ありがとうございます。頑張りますね」
ソフィアは顔を輝かせながら、
「…ええ! 応援しておりますわ!」
アベルはソフィアに背を向けて、行ってしまった。
(………慕っていたなどと、今さら何を。だったら私が変わる前に言えば良いものを…)
ソフィアは、アベルがそのようなことを考えているなど、思いもよらなかった。
◇ ◇ ◇
「―――それまで! 優勝は、アベル・ベルトラン!」
努力が実り、アベルは剣術大会で見事優勝した。
皆の祝福を受け、兵舎に戻る途中、
「おめでとうございます! アベル様!」
ソフィアが走り寄ってくる。
…しかし、アベルは、
「ありがとうございます。…申し訳ありませんが、私はこれから、思いを寄せる女性のもとへ、勝利の報告に赴きますので…」
え、とソフィアの表情が硬直する。
では、と踵を返すアベルの背に、
「…ア、アベル様! 私…」
アベルは振り返らず、兵舎にトロフィーを置くと、急いで街外れに向かっていった。
◇ ◇ ◇
雑草を掻き分けていくと、開けた場所に出た。
「ナルキス姫!」
あの時と同じ、夕陽が沈みかけた刻の中、ナルキス姫はあの時と同じように、糸を紡いでいた。
「………どなたですか?」
ナルキスの問いに、アベルは、
「私です! アベル・ベルトランです! …貴女の助言のお陰で、お城の剣術大会に優勝したんです!」
ナルキスは、少し考えて、
「…そう。それは良うございました。…ですが、アベル様、ですか? 以前とは随分、心根が変わられたようにお見受けしますが…」
アベルは慌てて、
「そ、そんなことはありません! ずっと、貴女を思って頑張ったのですよ! 私は貴女を迎えに来たのです!」
ナルキスは、少し顔を険しくし、
「………迎え、ですか?」
「ええ! 貴女はこんなところに居てはいけません! 私と一緒に、城に行きましょう! そして…、ぜひ私の、伴侶になって下さい!」
ナルキスは、この男は何を言っているのだろう、と訝しんで、
「…何故、私が、あなたと…?」
「私は、貴女を迎えるために、今日まで鍛えてきたのです! 剣術大会に優勝し、見習いではない聖騎士になると決まったその時に、貴女を迎えに行こうと決めていたのです! さあ!」
アベルは興奮しながら、ナルキスの腕を掴んだ。ナルキスは「痛い!」と叫びながら、
「私、そのようなこと、頼んだ覚えは…」
しかしアベルは、聞く耳を持たない。
「何を言ってるんです! さあ、行きましょう!」
ぐい、と無理矢理にナルキスを連れて行こうとする。
…が、そのアベルの目の前に、音も無く突然、頭の先から足下まで真っ黒なローブに包まれた、一人の男が現れた。
ローブから僅かに覗く目元は落ち窪んでいて、まるで骸が動いているようだ。
「うわっ!」
不気味なローブの男に、アベルは驚いて剣を取るが、身体が動かない。
ローブの男は、滑るようにアベルの顔面に寄って来た。その顔は…、顔と言うより、骸骨だった。
「ひ…、ひいっ!!」
骸骨から放たれた霊気は冷たく、アベルの心臓は凍てつき、呼吸も出来なくなった。
「ば…、化け、もの…」
微かにそう呻き、アベルは事切れた。
ローブの男は、静かにナルキスに向かって、
「………大丈夫か?」
ナルキスは男の声を聞いて、
「…はい。…まさか、殺したのですか?」
「仕方なかろう。お前は家に戻れ。私はこの者の魂を、冥府に連れて行く」
ナルキスは、はい、と返事をした。
男はこの国を含む、この辺りの地域周辺を司る、冥府の王だ。
そしてナルキスは、冥府に咲いた花の精霊であった。王はナルキスに、
「…また、お前に惑わされて、この男もおかしくなったのだな」
ナルキスはため息をつき、
「前回の方は、惑わされることなく、御自分のことと先のことを考え、領地に戻って行かれましたよ」
冥府の王は、ほう、と言ったが、
「まあ良いわ。…しかし、私が姿を見せるだけで、生ある者は皆このように死んでしまうのだから、冥府の王とは因果な存在よな」
そう言って王は、アベルの身体を手も触れずに、ふわり、と浮かべ、茂みの外に放り出すと、アベルの魂を連れて冥府に戻っていく。
…王の去りゆく気配を感じながら、ナルキスは、
(姿はどうあれ、我が王の心根は、誰よりも優しいのですけどね…)
そう思いながら、王の言いつけどおり家の中に戻っていった。
◇ ◇ ◇
―――噂は更新されていく。
「おい、例の姫に会うなら、夕刻…、逢魔が刻が狙い目らしいぞ」
「らしいな。…だけど、この間もあの辺りで死んじまった奴がいるじゃないか」
「いや、願いを叶えるなら、命がけじゃないと…」
………ナルキスは、相手に助言をしているだけだ。願いを叶えるのは結局、自分自身である。
しかし、噂はその事実を掻き消し、今日も城下町をかけていくのだった。
…全然怖くないですねぇ。残念無念。
ちなみにナルキスは、水仙のヘブライ読みです。