家族全員悪役令嬢
「マルティナ、今何と言ったのですか?」
「婚約が破棄されましたの、お姉さま」
「またですの?」
また、とお姉様は言うが、私が婚約破棄をされたのはこれが初めてだ。
しかし、この婚約破棄は紛れもなく“また”である。
お姉様も、もう一人のお姉様も、妹も、叔母様も、もう一人の叔母様も、さらにもう一人の叔母様も経験している。
ギャンビストン伯爵家は、何故か分からないが代々婚約破棄をされる家系だ。
苦言は小言、笑みは睨み、正当な抗議は恐ろしい恐喝になり変わる。何をしても悪くとられてしまう身の上は、あるいは呪いなのではないかとすら思えてしまう。
「お母様は『勘違いされやすいのよ』と言っていたけれど……」
「勘違いで不名誉を着せられるなんてごめんよ。一応聞くけれど、あなたに落ち度はないのよね?」
「あるわけがないわ! 誰にでも優しく、が私のモットーですもの!」
お姉様は満足そうにうなずく。昔から、私の事を殊更に可愛がってくれたお姉様は、人一倍私の婚約破棄に怒ってくれたらしい。
お母様もこれくらい熱心ならよかったと思うが、あの人のマイペースは今に始まった事ではないので仕方がない。
殿下と私は、いわゆる幼馴染に当たる。初めて出会ったのはまだ十を数える前であり、記憶が正しければ王城の庭を散歩している時だった。父の登城に連れ立っていた私は、大人が難しい話をするという事で庭に離された。王城の庭ともなれば圧巻で、幼心に感動したことを覚えている。
その時に出会ったのが、のちに婚約者となる殿下である。
私よりも二つ年上のお兄さんだった殿下に対し、正直に言えば心を奪われた。大変見目麗しかった事と、おそらく庭への感動が相まって、一目ぼれしてしまったのだ。
まさか、翌年には婚約する事になるなどとは思いもしなかった。
そして、それと同じくらいに五年程度で婚約破棄されるなどとも思っていなかった。
「お姉様方はこんな時どうされましたの?」
「そりゃあ、思い知らせましたわ。落ち度はあちらにあるんですもの」
「まあ、頼もしい」
婚約破棄の常連であるギャンビストン家ではあるが、それは悪い事ばかりではない。
このような事態に陥った場合の対処法は弁えている。むろん、そんな覚えはないに越した事はないのだが。
◆
この国の第一王子であるアルバート・ルーン・ヒュームベルは、十九年の人生で最も清々しい気分の最中にあった。煩わしかった婚約者を排除し、真なる自由を手にしたのだ。
婚約から約五年。彼の人生はそれはそれは窮屈なものだった。
どこへ行くにも、特に好きでもない女が付いて回る。そればかりか性格も最悪で、何かにつけて小言が絶えなかった。噂によれば、よその令嬢に嫌がらせをしているともいうではないか。とてもではないが、未来の国母足りうる器とは思えない。
もしかしたらこの婚約破棄で家名に傷が付き、彼女の未来が閉ざされてしまったかもしれないが、そんな事は知った事ではない。一貴族の未来なんかより、王族一人の未来の方がはるかに重要なはずだからだ。
そんなこんなが、つい昨日。
くだらない話を寝る前にしたのは失敗だったかとその日の寝つきを心配したが、どうやら杞憂だったらしい。
いつもより深く眠れたし、朝食がいつもより美味しい。産まれた日ですらここまで晴れ晴れとはしていなかったろう。
だというのに、そんな朝に水を差す相手がいた。
「殿下、国王陛下がお呼びです」
「なに? 父上が?」
アルバートの部屋を訪ねたのは、食堂支配人のレクスター・ヒュームベルである。かつては下働きが行なっていた仕事だが、アルバートが下々と話すのは不快だしだからといって手紙のやり取りなど煩わしいと要求してから彼が伝言係だ。
「一体なんだというのだ? 今日は公務で忙しいと聞いていたが」
「殿下の御為にお時間を都合されたのです」
「ほう、俺のために! 仕方ないな、そろそろ立太子の頃かと思っていたところだが、それだろうか?」
「私からはなんとも。ともあれ、お急ぎください」
一体何事か。
国王がこうも慌てるなどそうそうない事態だ。アルバートは気楽に呼び出しに応じる。国王と言えど、あくまで父親である。まさか自分に仇なすなど、ほんの僅かも思いはしないのだ。
しかし――
「貴様は我が王家の恥さらしだ! よくもそこまで我がままに育ってくれたものよ!!」
「え!? な、何がですか!?」
意味が分からない。怒られるどころか、むしろ褒められるほど頑張っていたはずだ。
煩わしい婚約者も排除したし。
「何故ギャンビストンの娘との話を反故にした!? 貴様にはほとほと愛想が尽きたわ!!」
「ええ??」
思いもよらない言葉に、アルバートは驚愕した。
婚約破棄については、むしろよくやったとすら思っていた。今思った事を口に出すまでもなく否定されてしまったアルバートは、口をあんぐりと開けて目を見開くしかなかった。
「な、な、何が……一体……」
「それすらも分からんのか戯けが!!」
烈火の如く。その言葉が大袈裟でないくらいに、国王は怒りを露わにする。
「あんな伯爵家風情に一体何を気遣う事がありましょう! 所詮は中堅貴族ではありませんか!」
「そうところがダメなのだ! これ見よがしに位を笠に着るなど品性の欠片もない行為だと知れ! それに、ギャンビストン家は貴様との婚姻に際して侯爵位を与える予定であった。さらに、貴様が国王になった暁には公爵である」
「な、なぜあんな者どもにそこまでの厚遇を……?」
「知らなかったのか!? 彼らは代々影を務めている家系なのだ!」
「か、影ぇ!?」
影。当然、日の当たらない場所の事ではない。ある程度大きな貴族ならば囲っていて当然の、汚れ仕事を生業とする者の事である。
そして、それは王家にもあると噂されていた。それが、まさかギャンビストン家であるとは。
「私は彼らの働きを非常に高く評価しているが、影の性質上それを表向きにはできないのだ。だから、父王の時代より少しずつ彼らの働きに報いていこうと取り決めたのだ。そして、貴様の代でそれは結実する予定であった! 長女は隣国の皇太后に! 次女は我が国の王妃に! それこそが正当な評価なのだ!」
「で、でもあんな性格の悪い女嫌ですよ!」
「貴様の好き嫌いなど知らんわ!!」
何かがおかしい。何かがおかしいと思えてならなかった。
なにせ、アルバートが婚約を破棄したのは昨日夜中の事だ。なぜ、国王はこの事を知っているのだろうか。たった一夜のうちに噂が立ち、国王の耳に入るとは到底思えない。
そして、アルバートは気が付いた。
「わ、罠ですよ!」
「はぁ?」
「これは罠です! 父上はそのお話を誰から聞いたのでしょう!? きっと、あの性悪女は俺が婚約を破棄すると知ってあらかじめ噂を立てていたに違いない! いいやそればかりか、婚約破棄自体あいつの所為だ! 俺を怒らせて婚約破棄するように仕向けたのだ!!」
「この戯けが!」
アルバートは確信している。
だって、説明がつかないではないか。こんなに早い対応ができるなど、まるで用意があったかのようだ。
でなければ、こんなこなれた対応ができるはずがない。
◆
結局、アルバートの申し開きは聞き届けられなかった。
あまりにも迅速な対応によって、アルバートは瞬く間に廃嫡。王位には、第二王子が就く事に決まった。
「罠だ! 罠なんだ! なぜ誰も聞いてくれない!?」
アルバートは最後までそう言っていたが、結局その一生を古ぼけた田舎の屋敷で終える事となる。
表向きの歴史に、彼の名前が記される事は決してない。
youtubeで配信しながら執筆したものになります