捨てられ鉄拳メスゴリラ聖女はわからない
「故にスカーレット・クロムハーツ、お前のような可愛げのない女とは婚約破棄をさせてもらう!」
全てが虚しくなった時、どうすればいいかは自分自身が一番わかっている。だから私は泣くでもなく弁明するでもなく、ただしっかりと拳を握った。
「左様なら……殿下、お覚悟を」
一歩踏み出す。どれだけの距離があろうと、どんなドレスを着ていようとも関係ない。だって鍛え上げた筋肉だけは自分を裏切らないから。
「破ッ!」
顔面狙いのワンパンチ。ボキッという鈍い音と一緒に、私をブスや悪女と蔑んできた元婚約者殿は空の星となった。あっ、あまりの勢いに服に火がついた。まったく汚ぇ花火だ。
◇ ◇ ◇
「……で、それの何が面白いんだ?」
そんな事件も早数年前。齢二十五になった私、スカーレット・クロムハーツは執務室で書類にサインしながら目の前で大爆笑しているそろそろ三十路になる年上の副官、ネイトを白い目で見ていた。
元王太子コルテスご乱心事件と呼ばれるようになった婚約破棄騒動は他国が内密に持ち込んだ魔法具により、元王太子殿下が洗脳されたことが原因ということが後々判明した。つまり元王太子殿下は正常な状態ではなかったということである。
とはいえ、昔から可愛げがない脳筋などと言われ続ければ、いい加減に愛想も尽きてよりを戻すつもりもないし、何より当時の次期国王に危害を与えたということで、そのまま私は有無を言わさず紛争調停官への任命という形で最前線送りとなった。
なお、あまりの顔面崩壊具合にコルテスが勝手に踏み切った婚約破棄は撤回されることがなかったし、その上新しい婚約者候補にあがった令息達にも皆丁重に辞退された。いくら実家が太くても素手で人の顔面を破壊する嫁なんて願い下げのことである。そんな私を実家の家族も流石に庇いきれんわ、と見捨てた。仕方なし。貴族とはドライなものなのだ。
「だっていつ聞いてもスカーレット様がかっこいいんですもん。下手な貴族令息より男前ですよね」
「貴族令嬢としては完全に落第だがな」
というより自衛のために貴族令嬢であることを私は捨てた。だって戦場に普通、貴族令嬢なんて来ないぞ。男しかいない女に飢えた空間で貞操の危機と引き換えにお洒落をするなんて自殺行為だ。すぐに一般的な兵士と同じ服に着替えて、話し方を他の奴らに合わせて、それでも舐めてくる馬鹿共を徹底的にぶちのめし続ければ、いつしかメスゴリラ、姐さんなどと不名誉な称号と共に私は磐石な地位を手に入れた。やはり力は正義である。筋肉は裏切らない。
「でも皆見る目が無さすぎますよねぇ。スカーレット様みたいな魅力的でかっこいい聖女をゴリラ呼ばわりするなんて」
「いや、こんな行き遅れメスゴリラ、嫁にしたくないぞ私なら」
生まれつき聖女である私の拳には破邪と浄化の力が宿る。だから回復する時も攻撃する時も殴る、ひたすら殴る。昔魔道具で呪われた兵士を治療する時に馬乗りになって聖歌をふんふん歌いながら胸部をタコ殴りしてたら、私を見た他の聖女は化け物を見る目をしていた。普通の聖女はまぁ、祈ったり歌ったりとお淑やかだからな。私の場合、それも出来なくも無いが、効果が激減するので結局殴った方が早い。だから下町でずっと修練に明け暮れていたわけだし。うん、我ながらどこに出しても恥ずかしいメスゴリラ。するとネイトは普段は穏やかに垂れている眦を吊り上げた。
「何を言いますかっ! スカーレット様はもう少しご自身の価値をご認識ください!例えばその燃えるような赤い髪! 手入れ無しでそこまでの美しさをキープできるのは天性の肉体だからこそ!」
あまりの勢いに気圧され、私は思わず自らの括った髪を触る。伸ばしっぱなしの赤毛は貴族らしく編み上げることも無くただ括っただけ。短くしないのは掴まれた時に切り落として返り討ちにするためだが、まぁ、その前に殴り飛ばしてるから出番がないともいう。だが、確かに枝毛は無いしツヤツヤしている。石鹸で適当に洗ってるだけなのに。聖女だからか。
「……まぁおかげで、相手方からは赤い死神とか呼ばれてるがな」
「一応半殺しに留めて殺してないでしょうが。次にしなやかな細い手足! 運動と適正な食事によって健康的に鍛えられてるのに魅惑的な白さ!」
「……おい、待て。なんでそれを知ってる」
一応責任者である私は軍服を規則通り着ているから肌の露出は最低限のはず。着替えや風呂場も徹底的に分けているから知る機会などないはず。追及するとネイトはわざとらしく視線を逸らした。
「……まぁいい。それは今度の飲み会の時にゲロらせるとして、それでも私はお前が言うほど素敵なレディでは無いと思うがな」
高位貴族の娘だから顔形は悪くは無いと思うがそれでも化粧はしてないし、目付きとかはそれだけで何人か気絶させられると言われるぐらいにはキツいとよく言われる。すると不服そうにネイトは唇を尖らせた。
「だから世の中の野郎共は見る目がないって言うんですよー」
「……そうか、そういえばお前貧乳好きだったもんな。可哀想に」
「別に貧乳好きじゃないです。スレンダー系のかっこいい人が好きなだけです」
部下や同僚の性癖は飲み会でよく話題になるから把握している。えっ、そんなの聞きたくない?馬鹿言え、弱味を握り放題なのに勿体ないこと言うな。下戸ならともかく私は酒豪だったので普通に飲み会は楽しい。ちなみにネイトは仕事ができるし容赦もないのだが顔だけは男にしては可愛い系方向に整っているし小柄な方であるため、不本意ながらも野郎からも大層モテている。なお本人は野郎は嫌いだ。可哀想に。
「ガリガリや膨れてるだけはダメです。筋肉を感じられるハリのある胸だからこそ! 推せる!」
「……それ、お前のファン共の前で言うなよ。ガチムチ共に掘られるぞ」
というより一応女性である私の前でもまぁアウトな発言ではあるが。
「あっ、そうでした。スカーレット様にご報告でした。スカーレット様の武勇伝が楽しすぎてつい」
「……報告遅滞の罰に後でグラウンド十周な」
笑顔で宣告すればネイトの顔が引き攣る。頭は切れるのだが、この副官、運動神経はあまりよくない。
◇ ◇ ◇
数年ぶりに王宮から私への帰還命令が出た。この地域の紛争の終戦処理が完全に終わったからだが。
「寂しくなるな……そっちの国の酒は美味いのにな」
今私の前で昼間から酒を飲んでいるのはつい先程まで敵国だった国の将軍ジン・クラフト。飲兵衛になるために生まれてきたかのような名前だが、この御仁、最前線で年単位粘れるあたり、とんだ狸爺である。見た目は普通の枯れた渋い老戦士なのだが、笑顔で挨拶代わりに暗殺してこようとしたのは未だに記憶に残っている。それを聞いた副官として同席していたネイトの表情が苦々しいものになる。
「まさか酒のために八百長してたわけじゃないですよね……?」
「半分は酒だな。残り半分は我が国に対する嫌がらせ」
なんとこの翁、戦争ばっかりしてる母国をあえて疲弊させるため八百長戦争しようや、と持ちかけてきたのだ。だからほぼ私達の国には被害は無いし、あちらも組織ぐるみで上層部に虚偽報告しまくり。おかげで翁の国は他の国に喧嘩を仕掛ける体力が無くなったので、この機会に正式に終戦となった訳だ。
「それにしてもここに派遣されたのが肝が据わった嬢ちゃんでよかった。さもなくば本当にこの辺りをちょちょいと火の海にしてお茶を濁さないといけなかったな」
「はっはっはっ……それ、実行してたら私が貴方の首を晒しあげる羽目になってたのでよかったよかった」
本当に食えないジジイだ。
「ところで……鉄の心の嬢ちゃんや、あんた、婚約破棄されてここに飛ばされてきたんだったか? 」
「おっと今からでも殺し合いするか? ……うん、まぁそうさ。花を愛でるより殴り合いしてきたようなメスゴリラだからな。政略結婚と言えどとことん合わんかっただろうな」
「それはそれは……ネイト殿、頑張るがいいぞ。達者でな。まぁ近いうちに再会するだろうが」
なんだ、その含みのある笑みは。自分が紛争調停官であるのも忘れて殴り飛ばしたくなったぞ。だが、そんな私に反し、ネイトは、げっ、という表情を浮かべていた。
◇ ◇ ◇
ジン・クラフト将軍と最後の対談を終えた私は何故かネイトに連れられ、王都に戻ってきた。
「あっ、スカーレット様。折角なので久しぶりに軍服以外着ませんか?」
「私みたいなメスゴリラに似合うようなドレスあるか」
若さでどうにか誤魔化せた小娘時代ならともかく、あの頃より太ってはいないものの、代わりに全体的に筋肉がついた。腕とか出したらゴリゴリだ。あと、何よりフリフリは年齢的に辛い。それなら一応制服である軍服のままでいい、と思っていたら、ネイトはとてもいい笑顔で指を立てた。
「母に頼んでちゃんとスカーレット様用のオーダーメイドドレス、発注済みです。十着ぐらい」
「……待て、どうしてお前が私の服のサイズ把握してるんだ。おい、こっちを見ろ。ちゃんと答えろ。すぐその顔の良さで誤魔化そうとするな」
私は衣服の手入れや発注をネイトに任せたことは無い。副官はあくまでビジネスパートナー、召使いではないのだから。だから彼が私のドレスのサイズを知っているのはおかしい。というか今のサイズは私自身ですら分からん。
ネイトは私の問いに答えることなく、代わりに中心街にある豪奢な屋敷へと歩みを進めていく。
「おい、あの屋敷って」
「エアリアル公爵家の屋敷ですねぇ。相変わらず無駄にデカい」
私の実家は侯爵。つまり相手の方が格上。迂闊に近寄っては行けない場所とも言う。
「あっ、スカーレット様、そういえばお伝えしておかないと。俺、軍隊にはネイトで登録してますが、本名はネイサン・エアリアルと申します。父の命令で武者修行のため密かに軍隊入ってました。まぁ、三男なんで死んでも大丈夫ですし」
なんてこった。私は顔を覆い天を仰ぐ。年上の副官はとんでもない高位貴族のご子息様だった。確かに平民っぽくない線の細い顔だとは思ったが、完全に兵士名簿を鵜呑みにしてた。だってまさか高位貴族のご子息様が仲間の雑兵に酔い潰されて、気持ちよさそうに鼻ちょうちん作ってゴロ寝しても平然としてるなんて普通は考えないだろう。
「あー……ネイサン様、でよろしいですわ?」
「スカーレット様、敬語が変になってます。いつものままでいいので堂々としていてください。誰もスカーレット様に淑やかさは求めてないので。俺のこともネイトのままでいいです」
おかしいな、昔はちゃんと王太子殿下の婚約者の聖女として振舞っていたのだが。合格スレスレラインだったけど。やはり周りに染められてしまうな、と反省するように髪を振れば、ネイトは何故か嬉しそうに笑う。
「その髪はサイドの高めの位置で風に靡くように結いましょうか。スカーレット様の凛とした雰囲気が際立ちます。あぁ、早くあの薔薇色のマーメイドドレスを着たかっこいいスカーレット様を見せびらかしたい……!!」
「……ひょっとしてネイトは私をパートナーとして王宮に向かうつもりか? それはその、お前のためにならないような気がするのだが」
未婚の彼がそんなことをしたら、まるで私が彼の婚約者であるかのように誤解されてしまうのではないか。そんな懸念を口にするとネイトは一瞬虚をつかれたように目を丸くし、そして狡い大人の男の顔になった。
「それ以外に何が? まさか男が好きな女性にドレスを送る理由も分からないほどに初だとは思ってませんでした」
「……は?」
今、好きな女性、と言ったか?
予想もしていなかった言葉に唖然としていると急にネイトが私を近くの壁に押し付けてきた。不覚。こんな体たらくでは、戦場にいたらすぐ死んでしまう。
「ひょっとして、スカーレット様、俺がずっと、かっこいい、好きだ、って言ってたの、恋愛的な方の意味だって分かってなかったんですか?」
「顔が、近いのだがっ」
下手に動けば鼻同士がぶつかってしまいそうなほどの距離で見つめられる。下手な令嬢より可憐な年上美男子は今や獲物を前に舌なめずりをする色気ダダ漏れな顔をしている。これが大人の本気というやつか。色恋より筋肉で生きてきた恋愛偏差値最下層の私にはちゃっと強烈すぎる。
「顔真っ赤ですよ、スカーレット様。かわいい」
「お前が言うなっ。これだからスケコマシは……」
いや、今少しだけ普通にイラッとした。自分より可愛い相手に可愛いと言われるのは、なんか馬鹿にされてるみたいで。だが、そんな私の言い分に対し、ネイトといえば。
「嘘じゃないですよ。だって俺は戦場で血みどろになっても一切を諦めない貴女のかっこよさに惚れたんですから。で、その時々見せる反則じみた可愛さに完全に落ちたわけで」
「……恥ずかしいやつだな」
普通大人ならもっとスマートに告白するものでは無いのだろうか。少なくともこんな往来で口説くものでは無い。とはいえ今更か。散々飲み会でお互いの醜態を見てきているのだから。
だからここまで口説かれれば流石に少しは心を開いてみようかな、となるわけだ。それぐらいには私はネイトと長い時間を過ごしてきてるのだ。
◇ ◇ ◇
正式に大使として国外に派遣されるようになったネイサン・エアリアルの傍らにはいつも赤髪の凛々しい妻がいたという。聖女として、時には軍人として活躍し鉄の女と称された彼女は各国の令嬢から独立したかっこいい女性として憧れられたが、彼女の乙女としての可憐な顔を知るのはネイサン・エアリアルだけだったという。