8・それからのこと
今回、説明が長いのでさらっと流して頂ければと思います。
件の事件は、あの下位司書が全て企て実行したことだった。ヴィクター様を婿にと望んだ貴族やそのご令嬢方の中には、ヴィクター様や私を恨んだり更には未だ諦めていない者がいたりしたのは確かだったが、事件に関しては“下位司書に魔法で操られて従わされた”ということで落ち着いた。
下位司書が持っていた魔法石のまがい物は、他の多くのそれらとは違い少しは魔力増強の効果があったことが認められたのだ。でなければ、魔法使いの上位資格を持たない者が“たまたま”だったとはいえ、転移魔法を成功させるなどあり得てはいけなかった。下位司書はその魔法石のまがい物を使い、貴族たちを操って準備をさせ犯行を行った、ということになっている。
それでも直接に手を貸してしまったご令嬢方は、悪意の有無に関わらず自ら修道院に一年間の奉公に出た。さすがは王都のご貴族様である、やることが迅速で素晴らしい。実際の刑罰よりはいくらか優しいが、傅かれることに慣れているお嬢様に修道院での生活は厳しいだろう。しかしそうすることにより、彼女らの評判は回復するだろう。
下位司書は、流刑地で一生涯の強制労働刑が決定した。あの事件だけでも大ごとであったが、やはり余罪がいくつかあった。国立図書館の書籍や書類を売っては小銭稼ぎをしたり、金銭を受け取って許可のない人間を鍵付きの書庫に入れたりしていたらしい。下位司書の資格でできる範囲は限られているので、そこまで甚大な被害ではなかったがそういう問題でもない。
同僚ではあったけれど、あまり付き合いがなかった私は知らなかったが、下位司書はかなり思い込みの激しい人間だったようだ。少し話すだけなら悪い印象もなく、ムードメーカー的な存在として重宝されていたらしいが、自身が話題の中心でなくなるのを嫌い、意味のない嘘をよく吐く人だったらしい。
何事も自分にいいようにしか受け取らないから、注意されようとお構いなしだったそうだ。私への妄執もその一つだったらしい。仲間内ではよく「彼女は本当は俺に夢中で」「恥ずかしがって目も合わせない」などと嘯いていたそうだ。全くをもって迷惑な話である。館長から何故か謝罪を受けたが、館長のせいでは決してない。
彼女らや彼女らの家が何故そこまで伯爵家の次男であり、文官騎士であるヴィクター様にそこまで執着していたのか。それは“文官騎士”が本当はかなり地位の高い役職だったからだ。
昔、貴族でないので政には参加しないが、専門家として会議に出席する者や重要書類を多く管理していた文官たちが、相次いで襲われる事件があった。脅されたり拷問を受けて機密を喋ってしまうことも多く「では、騎士の中で頭の良い者を文官にすればいい」ということでできた役職が“文官騎士”だ。
彼らは重要書類を管理し政の手伝いを行う存在であり、書記官としてだけで雇われた人々よりも多くの国家機密を知っている上位の存在なのだ。仮にも騎士であるので、よっぽどのことがない限りには護衛もいらないし、我が国の騎士は団結力が強い。手を出してはいけない存在として他国にも知れ渡っているので、諸々の問題は解決をした、ように見えた。
けれど、文官騎士になるには書記試験と騎士試験の両方を受け、更には両試験とも十位以内に入らねばならないので、かなり狭き門だ。年によっては一人も合格者が出ないこともあるらしく、人員は常に足りない。認知度の低さも要因であったが、それはわざとだったらしい。
私も“王宮の警備を兼ねている書記官”という認識で、通常の書記官より地位が高いとは思っていなかった。わざとそういうイメージを付けて、狙われるのを避けていたそうだ。つまり知っている人は知っているが、知らない人は知らないままでいいという考えだったらしい。ただ、今回の事件があったこともあり、今年からはそのイメージ戦略は止めて大々的に募集をかけることにしたらしい。
そうして事件は後処理も含め全て終わった。私はと言えば、
「クラシカルデザインもいいけど、最近の流行りはフリルなのよ。でもクレアは可愛いフリルより繊細なレースの方が似合うかも」
「しかし流行の一切を無視するのも野暮というものです。奥様にはこちらのデザインのように、袖の部分にだけフリルを付けているものなどよろしいのでは?」
「あら、いいわね! ねえ、クレア、どう思う?」
「……ええ」
「ちょっと、ちゃんと見てる? クレアのドレスの話をしているのよ?」
「この中からお選びにならなくても結構ですが、どういう感じのものかは考えて頂きませんと」
どういう訳だか、ジゼルとドロシーと一緒に分厚いドレスのカタログを見ていた。私の結婚式用のドレスなのだが、何故か彼女らの方が熱心だ。
「こんなに沢山あると、何だか全部一緒に見えてこない?」
「こないわよ! 何言ってるの、全然違うじゃない!」
「では、逆にお嫌いなものなどございませんか。刺繍やレースは嫌だとか、この柄や色は好きじゃないとか」
「……恥ずかしい話なのだけれど、ドレスの類はいつも母や姉が用意してくれたものをただ着ていただけだったから、好きも嫌いも特にはなくて」
奇抜でなくてあまりにも動きにくくなければ、衣服など清潔であればそれでよかった。シンプルな装いが似合わない性質でなかったというのもあるだろうが、デザイン性よりも機能性の方が気になるくらいで、一応は貴族の子女であるのにドレスについてはあまり多くを知らない。逆に母と年の離れた姉たちはそういうことが好きだったから、よくよく甘やかされて今に至る。
「……じゃあもう、極端な話、何でもいいのね?」
「ヴィ、ヴィクター様が恥ずかしくないようなものなら」
「ドロシーちゃん、もう私と貴女で決めるわよ。この子に任せてたら一生決まらないか、目についたものを適当に選んじゃうかのどっちかだわ」
「それは責任重大ですね、お任せください」
二人はどうしてだか、熱く握手を交わした。そんな、そんなにも気合を入れるものなのか。確かにウェディングドレスは、こんな私にとっても少しは思い入れがある。けれど、結婚式を開くまでの色々な面倒ごとや最中の様々なアクシデントを考え出すと、やはりそこまで心躍らないのだ。その後も二人は私をおいて、ドレスについて一生懸命に話し合っていた。
事件の後、やっと慌ただしさが落ち着いたあたりでジゼルが屋敷に来てくれた。語彙の限りを尽くして叱りつけられ、もう二度とあんなことをしないと約束をさせられた。この話の流れは二度目だったが、それでもものすごく辛かった。しかし彼女にも多大な迷惑をかけた手前、ただひたすらに謝るしかなかった。けれど彼女は寛大で、こんな私を許してくれた。私は本当にいい友人を持った。もし彼女に何かがあれば、できうる限りの助けになりたいと思う。
―――
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
いつものように、お出迎えをする。このお屋敷に来てもう数か月程経つけれど、この瞬間はやはり嬉しい。それこそ数か月前の私には想像もできなかったことだろう。たまに見かけるくらいだった憧れの人に「お帰りなさい」と言って「ただいま」と言い返してもらえるなんて。
「クレア」
「う、はい……」
少し前からお出迎えの時にハグをするようになったのだけれど、これがまだ恥ずかしい。嬉しさを上回るくらいには恥ずかしい。腕を広げて待つヴィクター様の所に行くのさえも恥ずかしい。こんなのは挨拶だ、普通のことなのだ。毎回そう言い聞かせてのろのろと近づく私を、ヴィクター様は苦笑しながら優しく抱きしめてくれる。
「ふ、先が思いやられるな」
「も、申し訳ありません……」
「いや、いいんだ。君が私の妻でいてくれるなら」
そのまま、腰を抱かれてエスコートされる。結婚当初よりもずっと近づいてしまった距離には未だに慣れない。慣れないのだけれど、やっぱり嬉しくもある。何より、ヴィクター様が私を望んでくれているということが、どうにかなりそうなくらいには幸せだった。
何故、私とヴィクター様が未だに婚姻関係を継続しているのか、その理由は少し前に遡らなければならない。これも人に言えた話ではないので、できれば墓まで持っていくつもりだ。
事件の後すぐ、もう一度きちんと離縁について話し合うつもりでいた私に、ヴィクター様は花を買ってきてくださった。帰宅と同時に渡された可愛らしい花束に驚いていると、ヴィクター様が私の前で跪いてしまったので更に驚いた。
『クレア、君のことを愛している。どうかこれからも私と夫婦でいて欲しい』
『……。……。……え!?』
『順番がおかしくなったことは謝罪する、君を騙したことも。君が望むならこのまま白い結婚でも構わない、だから』
『わっ、わたくしもヴィクター様のことが大好きです!』
あの時の私は、頭がおかしかった。“離縁、謝罪、慰謝料”がずっと頭の中を占領していたのに、そんなもの全部飛んで行ってしまって、大声をあげてヴィクター様にとびかかってしまったのだ。そんなはしたなく、しかも危ない行為をした私をヴィクター様は軽々と抱きとめてくださったけれど、本当にあんなことを誰かに知られたらもう外も歩けなくなる。
玄関ホールでの出来事だったので、使用人たちにはしっかりと見られてしまったが、そこはもう諦めた。何故かその時、お祭りかと思う程に囃し立てられて羞恥が蘇ったが、主人の話を外で話すようなことはしない人々だと信じている。
夕食を摂り少し落ち着いた後、ヴィクター様の部屋に呼ばれて話をした。初めて入るヴィクター様の部屋に、心臓がひっくり返りそうで、もう表情は取り繕えなかった。エスコートされたのはソファで、ヴィクター様は私のすぐ隣に座った。
『……君に、一目惚れをしてしまったんだ。だがそれはとても軽薄なことに思えて、自分でも信用ができなかった。しかしどうしても君が気になってしまって、本来部下に行かせるような所用でも君目当てに国立図書館へ行っていた』
ヴィクター様は、そう話しだした。言葉の一つ一つが嬉しくてでもどうしてだか恥ずかしくて、泣きそうだった。
『君は、ずっと誰に対しても同じ笑顔で同じように接していて、だからずっと焦れていた。どうしたら、私を特別に見てくれるのだろうか、と。これはもう駄目だと思って、君のことを調べた。確かに名前が同じだとは思っていたが、まさか本当にかの鉱山を所有しているフェネストラ子爵家の末姫だったとは驚いた』
『ひ、姫だなんてそんな、わたくしはただの田舎者で』
『……君は少し、いや、かなり警戒心が足らない。君が王都に出てきていると知っている家も相当あったが、そこに兄君たちがストップをかけていたのも知らないのだろう』
『ストップを……?』
『フェネストラ子爵家とお近づきになりたい者は、かなり多いということだ。……そこに割り込んだ私が言えることでもないが』
ヴィクター様曰く、フェネストラ子爵家の末姫は兄姉たちから溺愛されており、下手に手を出せば恐ろしい報復が待っているという都市伝説まであるそうだ。……誰のことだろう。確かに兄姉たちとは私一人だけ年が離れているから、甘やかされた自覚はあるが、恐ろしい報復とは穏やかではない。むしろ四番目の兄なんかは「いい人見つけて来いよー」と呑気に送り出してくれたものだ。
『根回しは入念にした。上司と両親と兄に頭を下げて、他の家を蹴落として。……実は結婚前に君のご両親と一番目と三番目の兄君にはお会いしている』
『え』
このちょっと不思議な結婚が、あんなにもスムーズに運んだのはヴィクター様がしっかりと根回しをしてくれていたからだったらしい。戸籍の上だけの結婚でも、爵位を継がないとはいえ貴族の子ども同士の結婚なのにとほんの少し不思議に思っていたのだけれど、そういうことだったのかと今更ながらに納得した。……我ながらヴィクター様との結婚にはしゃぎすぎて、頭が回ってなかったにしても程がある。
『その間にも何かと理由を付けて君と接触を試みたが、一切の脈がないのは理解していた。だからこそ、君の優しさにつけ込んだんだ。実際、困っていたのは事実だったから助けて欲しいと言えば、首を縦に振ってくれるだろうと』
『え、と、だから結婚を、と?』
『そうだ、戸籍の上だけでも君を手に入れておかなければ、いつ横槍が入ってもおかしくなかったから。軽蔑しただろうか』
『まさか! ……あの、ずっと優しくて素敵な方だと思っていて』
『……下心だ』
緊張で舌が回らなくなった所だったのに、ヴィクター様が私の手を掴むから顔がゆだって仕方がなかった。ごつごつとした指が絡んできて、手汗をかいていないだろうかと心配になったけれど、もう感覚が変になっていて分からなかった。
『君に優しくしたのは、まぎれもなく下心からだ。私を、愛して欲しくて』
『あ……』
『君に出会うまでは、自分が愛だの恋だのにここまでのめり込むなんて思ってもみなかった。けれど、なんとしても君が欲しかった』
『……それは、光栄なことですが、わたくしは貴方にそこまで想って頂けるようなことは何も、それに特別に秀でた所もありませんし、あの……』
ヴィクター様が折角こんなにも言ってくださっているのに、私は自身の不出来を口走っていた。混乱が極まっていたのだと思う。
『クレア』
『……はい』
『確かに私たちは、お互いにまだ知らないことが多い。だが君は、特別に可愛い』
『か……?』
『可愛い。容姿だけでなく動きというか、にじみ出てくるものがあるというか、とにかく君は可愛い』
『……』
『……上手く、言えなくてすまない。こういったことは初めてなんだ。しかし、君はとにかく素晴らしい人だ』
ヴィクター様が真剣な目でそう言うので、私はもう何も言えなかった。何か言わないと、と思えば思う程に舌は重くなって。悲しい訳でも辛い訳でもましてや悔しい訳でもなく、ただ嬉しいだけなのに、表現しづらい何かが私の発言を邪魔した。
『私たちはきっと、お互いに見せていない部分も多くある。今後、衝突することもあるだろう。けれど私は君がいい。……君さえよければ、必ず大切にすると誓うから傍にいて欲しい』
『……はい』
ここまで言って頂けて、否やなどある筈がなかった。そういう事情で、私は今でもヴィクター様の妻なのである。
ただ、この辺りからヴィクター様は少し過保護になってしまった。事件のことをもう一度謝罪した時も「対応としては間違いではなかったが、危険すぎた」と叱られてしまった。皆を危険に晒したのだからそれは正論で、重ねて謝ると「そうではない」とも言われてしまった。……ちょっとよく分からないので、もう少し考えようと思う。ただ、屋敷の警備をいきなり倍にする必要があっただろうか。一人で出歩くのも禁じられてしまったので、国立図書館の仕事は結局辞めてしまった。後ろに警備をつけながら仕事をする訳にもいかないし、屋敷の資料や書籍の管理に専念したかったので、これはこれでいいのだけれど。
ああ、それと結婚式。ヴィクター様は元々、式を挙げる予定だったらしい。籍を入れることを優先したけれど、両家にも入籍から一年後には結婚式をすると言っていたそうだ。……これは、ちょっと、私にも教えておいてほしかった。知ってからの慌ただしさが尋常じゃない。結婚式って本当に大変、まだ何も始まってもないのに。でも、
「クレア」
憧れた人が、嬉しそうに私の手をとるから、もう何でもいいかなとも思ってしまうのだ。
読んで頂きありがとうございました。
ちなみにジゼルはヴィクターがクレア狙いだったことを知っていました。クレアがヴィクターのことを好きなのも知ってる。むしろ何で気づかないかな、と面白おかしく二人を観察して楽しんでました。
ヴィクターは貴族が嫌いという訳ではないけれど「爵位継がないし貴族的なやり方に慣れるのも駄目だろう」と根回しとか、貴族の人脈を使うとかそういうことを今までしてきませんでしたが、今回思いっきり使いました。兄大爆笑。父(伯爵)はフェネストラと繋がりが持てるならと喜んで手伝い、母(元侯爵令嬢)も息子の遅かった春を面白がって実家にもお願いしてくれました。描写していませんが、クレアはちゃんとご挨拶には行っています。(両家の顔合わせはまだ)
クレアは九人兄弟。男女の双子、男の三つ子、もう一回男女の双子、男の子一人、最後にクレア。クレアと一番上の兄姉は十六年が違い、すぐ上の兄も八歳上でかなり甘やかされて育ちました。ちゃんとしつけや教育は受けたけれど甘やかされた自覚はあるし、クレア自身も兄姉には無意識に甘えています。「いいよいいよ、守ってあげるよ」っていう兄姉も悪く、フェネストラ家がかなり特殊なお家柄であり思いっきり狙われる存在だという自覚もない。両親も末っ子が可愛いし兄弟の仲がいいならいっか☆というノリ。ヴィクターは今後少し苦労する。
フェネストラへ挨拶に行った時、初めは眼鏡をかけてるスタイリッシュ(笑)みたいなのが来たなと思われたヴィクターでしたが、隠れ筋肉を活かして鉱山で活躍し大人気に。貴族といっても鉱山経営と土木と農業が主な産業なので、単純に力がある人は尊敬しちゃう。溺愛している末っ子なのに「君ならいいよー」みたいなノリで許可しますが「あ、でも、クレアが嫌って言ったらこの話はなしで」と釘はさしました。
ヴィクターの告白のタイミングがあの時だったのは「心変わりをされない内にした方がいいぞー」と上司に言われたから。どちらにしろ、いつかはしなければいけないことだったし、それがあの日になっただけ。一見スマートそうに見えるのに、男女の機微に疎いヴィクターもいっぱいいっぱいでした。
……作者は両片思いが大好きです。本当は、クレアの幼馴染(外国人で本当は好きなのに素直になれないまま自国に帰っちゃった子)を当て馬に、と考えていたのですが途中でいなくなっちゃいました。いつか彼の話も書きたい。彼主人公で。名前もあるのに……。
大変恐縮ですが、よろしければブックマーク・評価などして頂けるととても嬉しく思います。よろしくお願い致します。
ここまで読んで頂きありがとうございました。