7・急展開
「クレア、まずいことになった! 逃げるぞ!」
「驚かせんでください!」
「斬りかかる所でしたよ!」
「今皆ピリピリしてるんだから!」
「知ったことか! 大体、お前ら何故まだここにいる!?」
扉を開けたのは、ヴィクター様だった。いつもの理知的で、どちらかといえば冷たい印象の彼には珍しく、部屋の中にいた騎士たちと大声で怒鳴り合っている。
「あ、あの、ヴィクター様、いったい何が?」
「昨日の事件は私や機密書類を狙ったものではなく、君を狙ったものだった!」
「え?」
「詳しい話は後でする! すぐに騎士団本部へ移動を――」
「隊長! 魔力場です!」
「この反応は、転移魔法!? 何で!?」
「っち、構えろ!」
「「「は!」」」
何が起こっているのか理解する間もなく、ヴィクター様に片腕で抱きしめられる。少し痛いくらいだったけれど、こんな時にも拘わらずヴィクター様に抱きしめられているという事実に心臓がばくばくと踊ってしまうので、逆に冷静になってしまった。
さっきまで座っていたソファの上に小さく竜巻が起こっている。私は魔法が使えないのでよく分からないが、あれは恐らく魔力場というものだ。魔法使いが大規模な魔法を発動する前に起こるもので、使う魔法によってその反応は様々なのだと本で読んだことがある。しかし、騎士の一人が叫んだ転移魔法は、最上位の魔法使いが使うような禁術に近い魔法の筈だ。どうしてこんな所に、そんな魔法を使って来ようとしているのだろう。
ヴィクター様も騎士たちも全員、レイピアを構えている。執事もどこから取り出したのか、短刀を構えていた。今更だが、思うにこの執事は一般人じゃない気がする。
「待ってください、待ってください。状況が分からんのですが、つまり今からここに出てくる奴を捕縛すれば万事解決でいいんですよね?」
「それでいい」
「つか、相手が魔法使いならこっちも魔法使い連れて来てくださいよ。何で一人で来てんですか、他の部下は?」
「無駄口を叩くな、後で説明する」
「……遅いからって置いてきたんでしょう。そういうとこ、本当どうかと思う」
「煩い! 来るぞ!」
ばちん! と、大きな音を立てて、竜巻の中に人影が現れた。
「……貴方は」
見知った人だった。名前はやはり思い出せなかったけれど、
「ええ! 俺です、フェネストラ上位司書、いいやクレア! 俺が来たからにはもう大丈夫ですよ、さあ、逃げましょう!」
同じ職場で働いていた下位司書だ。快活で賑やか、友人の多いタイプ。しかし何故だろう、少し目が濁っている。
「何言ってんだ、お前」
「勘違い君か? 気持ち悪いぞ」
「お前みたいな奴がいるから男全体が悪く言われんだよ、一生牢屋から出てくんじゃねえ」
「お前たちみたいなロマンを解さない上に、もやしに毛の生えたようなお飾りで騎士服着ている輩に何を言われようと全く響かないな! 王宮に帰って雑用でもしてろ、俺とクレアの邪魔をするな!」
「俺と、クレア?」
頭上からひどく低く、恐ろしい声がした。上を見る勇気は出なかった。
「聞き間違いか? 君は今、私の妻を呼び捨てにした挙句に、俺と、と言ったのか?」
「ひっ! お、脅しても無駄だ! 俺にはこの魔法石がある! 金にものを言わせて俺のクレアを攫ったお前に正義の鉄槌を下せと神が俺に授けてくださったのだ!」
「俺の?」
「ひ、ひぃ! く、クレアを放せえ!」
ヴィクター様の言葉に慄きながら、下位司書は魔法石とやらと突き出した。騎士たちと執事が私たちの前に出て身構える。けれど所々ひび割れている丸いガラス玉のようなそれは、魔法石とは似ても似つかなかった。
「それは魔法石ではありません」
「……え?」
「確かに魔力を多少帯びているようですが、私の長兄が有する鉱山でそんなちゃちなものは採れません。大体、魔法石というのは魔力が溢れて自分で発光しますし、そもそももっと大きい。加工することによって魔力まで削ってしまうから、基本的には原石のまま使うものです」
暫くの間、場に静寂が訪れた。……沈黙が重い。しかし、魔法石というものは、我がフェネストラ家が所有する鉱山でしか採れないものだ。昔はいくつかの鉱山で採れたらしいが、今でも変わらずに採掘できているのはあそこだけ。魔法は使えないが、自家のことであったのでよくよく学んだ。今は長兄が管理している鉱山で、あんなガラス玉は採れないし、採れた所で屑としてまた鉱山にまかれる。
「え、じゃ、じゃあ、これは? こ、これ、すごく高くて……」
「大昔に魔法石を採掘していた鉱山から屑を取ってきたか、基準が作られる前に流通していた粗悪品か。どちらにしても正規ルートでの購入じゃないんですよね。詐欺だと思います」
「え、え?」
正規ルート以外で魔法石を購入しようとする人は後を絶たないらしいが、基本的には全て詐欺だ。あのガラス玉は魔道具のように加工して、少しは魔力を込めたようだが魔法石ではない。魔法石とは、魔法使いに魔力を提供する石のことだ。丁寧に扱えば使い手の魔法使いが死ぬまで使えるとも言われている。ピンキリはあるので一概には言えないし、それこそ上位の魔法使いでなければ扱うこともできない代物なのだ。
そうだと言うのに、たまに魔法を少しだけ使える人が自分にいいように解釈をして、魔法石を欲しがる場合がある。魔法石さえあれば上位魔法使いになれるとでも思っているらしい。しかし魔法石は鉱山で採れた後、全てを国が買い上げ資格を持っている魔法使いにのみ販売するのだから、本来資格を持っていない人はどんなに金を積もうと買うことはできないのだ。
下位司書は手元のガラス玉をじっと見つめた。じりじりと騎士たちが彼に近寄っているが、気づいてはいない。
「そ、そんな、そんな筈は、あ、ああ!」
ガラス玉は下位司書の手の中でひび割れてそのまま崩れた。は、と下位司書が顔を上げた瞬間、騎士たちが三人がかりで彼を押さえつける。
「はい、確保!」
「何したかったの、お前」
「よくそんなんで転移魔法とか使ったな。腕とかねじ切れなくてよかったじゃないか、まあ、悪運もここまでみたいだが」
「うぐ、は、放せ! 人の恋路を邪魔しやがって! 地獄に落ちやがれ!」
ヴィクター様は私を放して、押さえつけられている下位司書の所まで行くと、レイピアを思い切り突き刺した。あまりのことに口を押さえたが、しかし下位司書を刺したのではなく、彼の顔面の床に突き刺したらしい。
「ひぎっ」
「地獄に、落ちるのは、お前だ」
「あーあー、一番怒らせちゃいけない人、怒らせちゃった」
「後さ、誤解のないように言っとくな、俺ら別にもやし君じゃないから。文官騎士ってそもそも書記試験と騎士試験両方受けて両方とも上位十位以内に入らないとなれない職業だから」
「まあ、四六時中、剣振ってる奴らと比べられるとあっちの方が強くなっていくのは仕方がないんだが。俺らにも鬼教官がいてさ、決して弱くはない訳だ」
「そうそう文武両道ってな」
「は、はあ? な、何で……!?」
顔を青くしながら困惑する下位司書と同様に、私も少し困惑してしまった。けれど不思議にも思っていたことだ。この屋敷には機密書類や重要書籍が多くあり過ぎる。あんなもの、上位の書記官たちだって管理しない。もしかすると文官騎士という役職は私が思っているよりも、ずっと地位の高い役職なのかもしれない。
「何でだろうなあ? ま、もうお前には関係のないことだ。これから一生牢屋か強制労働だし」
「な、なん」
「お前は下位であっても司書だ、こちらは何故か分かるだろう。最高機密書類を狙った犯罪の主犯にこの国は慈悲など与えない」
「え、司書なんですか? 余罪ありそう」
「ま、待ってくれ! 何かの間違いだ! 俺は騙されたんだ!」
「はいはい、詳しいことは騎士団本部で聞くから」
「これ馬で引きずっていいのかな」
「馬鹿、お前それ百年くらい前の刑罰ー」
「無駄口を叩かずにさっさと連れていけ!」
「「「は!」」」
騎士たちはヴィクター様の言葉に敬礼すると、手際よく下位司書を縄で縛りあげた。
「止めろ! 止めてくれ!」
「はいはい、静かにな。いい加減にしないと猿ぐつわ噛ませるぞ」
「あの!」
「クレア?」
私は、よせばいいのに声をあげてしまった。ヴィクター様も眉間に皺を寄せてらっしゃる。けれど、どうしても聞かなくてはならなかった。この機会を逃せばもう次はないだろうから。
「わたくしを狙ってのこととお聞きしました。どういうことなんです?」
「ど、どういうことも何も! 君がいきなり結婚をしたから、そいつに金で脅されて仕方なく結婚せざるを得ないって! だから君を助けに!」
「……わたくしの家は、お金には困っていません。確かに領地は田舎で小さいですし貴族としても下位の方です。しかし、魔法石を採掘できる技術と知識を持つのももう我々だけですので、欲をかかなければ不遇を受けることは基本的にはあり得ません。わたくしは、わたくしの意志でヴィクター様と結婚したのです」
「……そ、え?」
「誰が助けて欲しいなどと言いましたか? そもそも貴方とはきちんとお話したことも数回程度だったように思います」
「だ、だから、それは、君、俺と話すのを恥ずかしがってたんだろう? 本当は俺のことが好きで……」
「貴方のことは同僚として認識しておりましたが、申し訳ないのだけれど、お名前も存じ上げないの」
「ぇ」
「司書でありながら機密書類に手を出そうなんて、しかも我が家で働いている人を危険に晒して……。あんなにも卑劣な手段を使うような人、軽蔑こそすれ好意を寄せるなんて、万に一つもありません」
下位司書はぽかんと口を開けて、それ以上何も言わなくなってしまった。騎士の一人がぶは、と盛大に笑いだしてしまったのを、隣にいる騎士が諌めたけれど彼の肩も少し震えている。最後の一人が「ではこれで」と頭を下げて、全員が出て行った。
「……えっと」
何だったのだろう、今のは。理解したくはないが、要するに、あの下位司書が主犯でご令嬢たちを唆し昨日の事件を起こしたということなのだろうか。しかも、目的が、私?
「昨日の事件は、つまり、わたくしのせいで」
「そんな訳がないだろう。奴の身勝手な妄執だ」
「……ですが」
ヴィクター様は否定してくださっているが、確実に原因の一つは私だ。なんてことなのだろう。憧れの人と結婚ができたからといって浮かれて、周りの悪意に気が付かないなんて。自分が、こんなに不出来な人間だなんて知らなかった。
「クレア……」
「旦那様、奥様」
「っ、何だ」
「この部屋は片付けますので、お話は別のお部屋でして頂けますか」
いつの間にか短刀をどこかにやった執事は、いつも通りに淡々とものを言った。確かに、応接の為の部屋はもうぐちゃぐちゃだ。綺麗な調度品も、座り心地のよいクッションも酷いことになっている。転移魔法の時の魔力場のせいだろう。
「お前は、こんな時に」
「こんな時だからこそです。この散らかった部屋で何を話すと?」
「それは、そうかもしれませんが。ヴィクター様、お仕事があるのでは?」
「少しくらいなら問題はない」
「旦那様、奥様は離縁の件、考え直されるとのことですよ」
「な」
「あ、いえ、それは」
犯人の思惑通りにならないように、とそれだけだったのだから、今はもう必要のないことだ。こんなにも不出来な妻からは、一刻も早くヴィクター様を解放して差し上げねばならない。孤独も苦痛も不安も感じてはいけない。ただ事務的に慰謝料をお渡しして、非礼をお詫びして、それから、
「それは本当か、クレア!」
「え」
「ええ、そう仰っていました。私と彼らが、しかと聞きました。間違いございません」
「だ、だからそれは」
「ありがとう、クレア! ああ、何と言ったらいいのか……!」
「え? ええ、っと、え?」
「旦那様それはそうと、やはりそろそろ職場にお戻りなさいませんと」
「しかし」
「奴の事情聴取を部下の方にお任せになるので?」
「……行ってくる、後は任せた。クレア、話は帰ってからゆっくりと」
「え、あの」
「いってらっしゃいませ」
「い、いってらっしゃいませ……」
何だか、少しおかしかったかもしれないけれど、お帰りになってからきちんとお話ししよう。そうやって自分を勇気づけて、胸の前で握った両手に力を込めた。
読んで頂きありがとうございました。
クレアは思い込みが激しいタイプですが、下手に頭がよく冷静そうに見える(見せる)ので、周りからはあまりそうは思われていません。それを知っているのはクレアとかなり仲のいい人か家族だけ。