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6・不穏再び……?

 気が付くと、私はベッドの中にいた。目を開けたのに真っ暗で、自分がどこにいるのか理解するのに時間がかかったが、温かい布団にくるまれていることだけは分かった。何となく現実味がなくて、もしかすると今までのことは全て夢で、このベッドは寮で使っていたそれなのだろうかとも考えたが、寮で使っていたベッドよりも数段グレードが高い温かな布団は、このお屋敷に嫁いで来てから初めて使ったものに違いなかった。



「……」



 何故か右手が温かいので、そちらを向くと人が倒れていた。いや、倒れているだと語弊がある。私の手を握りながら、ベッドに突っ伏しているのだ。ぼんやりとその人を眺めていると、目が慣れてくる。



「ヴィ……っ!」



 大声を出さなかった私を誰か褒めて欲しい。この瞬間に私は覚醒して飛び起きた。ヴィクター様は眠っているのか、私の手を握りながら静かに息を繰り返している。……どうして。


 あの後、どうなったのだろう。いや、記憶が途中で途切れているから、きっと私はあの時に気絶をしたのだ。か弱い王都の貴族令嬢のごとく! 田舎育ちだからこそ、ああいった手合いには耐性があると信じ切って、この体たらくである。なんて情けないのだろう。すぐ上の兄に知られたら笑われてしまう。


 ……。勝手なことをして屋敷の者を危険に晒して、ヴィクター様のお名前に傷をつけてしまった。きっと離縁を言い渡されるのだろう。謝罪した所で、許されるべきことではない。いっそ今すぐ田舎に逃げ帰りたいが、そんな無責任なことができる筈もない。誠心誠意、謝罪をして、それから。


 ああ、いやその前に、とりあえず起きて頂かなければ。屋敷の主をこんな所で寝かせておく訳にはいかない。体を痛めてしまったり風邪を引いてしまったりしたらことだ。



「ヴィクター様……。ヴィクター様、あの、起きてください。ヴィクター様」

「……、う……。あ、ああ。……クレア、起きたのか」

「はい、あの」

「痛む所はないか、魔法使いも医師も外傷はないと言っていたが本当か?」

「え、ええ……。乱暴はされなかったので、何も」

「本当なのか、いくら君が優しいといえども奴らは犯罪者だ。庇う必要などないんだぞ」

「庇ってなどおりません。本当に大丈夫です、あの」

「偽りないな」

「は、はい……」

「……よかった」



 ヴィクター様は長く息を吐きながらまた項垂れてしまった。そういえば手を握られたままだ。そろ、と動かそうとしたけれど、そんな些細な力ではぴくりともしなかった。



「あの、ヴィクター様、今回は」

「ああ、奴らは雇われて犯行に及んだそうだ。……目星はついている、雇い主殿も必ず牢屋にご招待しよう。君に危害を加えようとしたことは決して許しはしない」



 てっきり今回の件の叱責を受けるものだとばかり思っていたので、少し拍子抜けてしまう。すぐに謝罪しなければならないと思うのだけれど、ヴィクター様のお話を遮る訳にもいかないので、とりあえずは黙って聞いてみることにした。



「……使用人たちの中には軽傷の者もいるが、皆無事だ。メイド……ドロシー、だったか。彼女が特に君のことを心配していた」

「ドロシーが?」

「ああ、明日安心させてやってほしい」

「それは、はい、もちろんですが、あの……」

「どうした」

「怒って、いらっしゃらないのですか?」



 聞いてしまった後に、なんて愚かな質問をしてしまったのだろうと口を塞いだ。怒っていないなどあり得はしないのに。ヴィクター様はきっと体調が万全でない私に気を遣ってくださっているだけだ。その程度は少し考えれば分かるだろうに、自分に都合のいいような発言をするなんて。


 しかしヴィクター様はやはり怒りはせずに、一拍置いてから口を開いた。



「……怒っては、いや、そうだな。確かに怒りはあるが、今はそれよりも後悔が強い」

「後悔……?」

「この屋敷に押し入る愚者がいるとは想定していなかった。それを指示するような者がいることも。……この事態を引き起こしたのは確実に私の判断ミスだ。警備が足りていなかった、申し訳ない」

「そんなこと、ヴィクター様が悪いなんてことは絶対にありません」



 屋敷の有事の責任は確かに屋敷の主人にある。けれど、我が国で騎士の家に強盗に入ろうとする愚か者など、本来ならばいる筈もなかったのだ。そもそも自衛は大切であるが、被害を受けた者が責められるなんてこれ程おかしなこともない。害を加えた者が全て悪いのである。



「いや、事実だ。二度と同じことは繰り返させん。見せしめにも手を抜くつもりはない。今まで下手に出過ぎていたのだ……!」

「ヴィ、ヴィクター様……」

「クレア、まだ暗い。もう少し休みなさい」

「ですが」

「明日は、ああ、もう今日だな。昼頃から事情聴取をさせてもらうから、朝までゆっくり休んでいて欲しいんだ。ああ、それと、通報をしてくれた君の友人の上位司書の……」

「ジゼルですか?」

「恐らくそうだろう。彼女が怒っていたそうだ」

「あっ……」



 ……忘れていた。ジゼルにも謝罪をしないといけない。


 カフェにやってきた者たちに声をかける前、ジゼルには上位司書だけが解読できる文字で書いたメモを渡しておいた。そこには「すぐに治安部隊の騎士様へ助けを求めて欲しい、デスティーノ文官騎士邸が襲われている」とだけ書いた。聡明な彼女であればすぐに状況を把握して、助けを求めてくれると思ったからだ。思えば私は、彼女をも危険に晒したのだ。……きっと私は友人を一人なくすのだろう。残念だなんて思ってはいけない、これは当然の報いだ。



「……君の行動は、この屋敷の女主人としては間違っていなかったかもしれない。けれど、あまりに危険だった。それについては私も話したいことがある」

「はい、あの、ヴィクター様。ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした。近日中に荷物をまとめますので、どうか後少しだけこのお屋敷にいることをお許しください」

「ま、待ってくれ、何の話だ」

「できるだけ急いで田舎に帰ります。今までの生活費や慰謝料もきちんとお支払い致しますので」

「ここを出て私と離縁したい、ということか」



 ヴィクター様の声がかすれているように聞こえて、私は咄嗟に目を逸らしてしまった。心なしか握られている手が痛んだ気がしたけれど、これ以上の怒りが怖くて何も言えない。



「……いや、私に君を引き留める資格などないのだろうな。どちらにしろ、休んでくれ。すまないが、私も少し休む」

「……はい」



 ヴィクター様はやっぱりお優しくて、身勝手に怯える私を責めないでそのまま静かに出て行ってくれた。ずっと握ってもらえていたのであろう手が、すぐにじわりと冷えていって泣きたくなったが、泣くべきでないことくらいは知っている。


 時計を見ると、夜明けまでにはまだ数時間ありそうだった。けれど、このまま横になっても眠れるはずもない。それに先程までゆっくりと休ませてもらった体は眠たくもなんともないのだ。今の内にできることをしておこう。幸いに私は物を沢山持ってはいない。見かねたヴィクター様がいくつか揃えてくださったけれど、頂いたものは全て置いていってお金に換えて頂こう。この部屋には手頃な箱はないから、とりあえずの仕分けをしてしまって、それで、後は夜が明けてから……。


 情けなくて恐ろしくて、これからどうなってしまうのだろうと、そんな保身ばかりが頭をよぎる。王都で一人立ちすれば、もっと洗練された大人の女性になれるとばかり思っていたのに、私はいつまで経っても甘やかされた子どものままだ。


 いきなり帰ったら両親や兄弟は怒るだろうか、それとも悲しむだろうか。しかし私の貯金程度では慰謝料なんてきっと払いきれない。今まで出して頂いていた生活費だって賄えるかも怪しい。両親に頭を下げてお金を借りて、それで、どんな仕事をしようか。田舎には上位司書の資格が必要な仕事もそうそうないから。……ああ、駄目、何だか考えが纏まらない。片付けもそこそこに私はもう一度ベッドに戻り目を閉じた。ついさっき、眠れる筈もないと思っていたのに慣れないことをして疲れたのか、意識はすぐに溶けていった。


―――


 起きてからは、少し大変だった。朝の身支度に来てくれたドロシーや他のメイドたちが泣き出し、執事や警備、その他の使用人たちが次々と謝りにくるのだ。メイドたちを慰め、使用人たちにも謝る必要なんてないと伝えたのだけれど、彼らの表情は曇ったままだった。どうにかせねばと気が焦るが、時間はただ過ぎていく。そうこうしている内に夜、ヴィクター様が言っていた“事情聴取”をしに文官騎士の方が三名やって来られた。



「奥様はまだお疲れです。できれば早く切り上げて頂きたいのですが」

「承知しております。そのように」

「わたくしは大丈夫です、お気になさらず」

「奥様」

「夫人、我々もその程度の配慮は致します。質問もそう多くありませんので」

「そうですか、ありがとうございます」



 私の後ろに立つ執事が少しばかり険のある口調で物を言うので焦ってしまったが、さすがは騎士様である。気を悪くした様子もなく、いくつかの質問をされそれに答えると事情聴取はすぐに終わってしまった。しかし、ではお帰りになるのかと思えばそうではないらしい。三人の騎士たちはお互いに目配せをした後、意を決したように中央の一人が口を開いた。



「それで、その、夫人。今回の件と隊長、ああいえ、ヴィクター・デスティーノ第三部隊隊長のことなのですが」

「黙れジャクソン、何を話すつもりだ」

「お前こそ黙れ、ダニエル。お前だってこのままでいいだなんて思ってないだろう」

「っ、しかし」



 どうやら執事と騎士は顔見知りらしい。置いてけぼりにされた感もあるが、かと言って事件の顛末やヴィクター様のことと言われて聞かない訳にもいかない。もうすぐ離縁される予定ではあるが、この家の女主人はまだ私なのだ。さも落ち着いているかのように茶器に口をつけ、ゆっくりと降ろした。



「聞きたいわ、お話になって。いいですよね、ダニエル」

「……奥様がそう仰るのであれば」

「感謝致します、夫人。では、まず今回の事件のことですが」



 騎士は、今回の事件についての説明をしてくれた。


 まず、今回の事件は機密書類を狙ったものではなく、ヴィクター様と私を狙った犯行だったそうだ。しかも複数の貴族令嬢が関わっており、犯行理由はヴィクター様がどの家にも婿入りをせずに田舎貴族の、しかも爵位を持たない私を娶ったことを逆恨みしてのことだったという。私はそこで既に考えることを放棄したかったのだが、話はここで終わらなかった。


 複数の貴族令嬢は関わりを持ってはしまったが、こんな大ごとになるとは思っていなかったらしい。確かに少しばかりの嫌がらせができれば、とは考えていたらしいが“主犯”に、ほんの少しの憂さ晴らしをしようと持ち掛けられたのだそうだ。捜査をしていけば、一人一人の令嬢たちがやったことは本当に小さなことばかりで、例えば「職に困っていそうな力自慢を探す」や「夫人の仕事に行く日を調べる」などだった。それが重なって昨日の事件になったらしい。



「ではその主犯も、貴族の方なのですね」

「はい、目星はついております。何分、相手が高位貴族なのもので、時間はかかるかもしれませんが必ず罪を償って頂きます」

「ええ、お任せします。よろしくお願い致します」

「それは勿論! ですが、主犯の目的は貴方たちを別れさせることにあります。このまま離縁などなさっては主犯の思うつぼ! どうか、考え直してくださいませんか!?」

「え」

「隊長は、男の自分が言うのもなんですが、すごくいい男なんです。強いし格好いいし頭もいいし、後、えっと」

「優しいです! 残業のある日は必ず何か差し入れてくれます!」

「訓練時は地獄かってくらい鬼教官ですけど、全隊長抑えられるのあの人くらいで」

「馬鹿お前、それは言わんでいい!」

「え、どれ!?」

「だから!」

「おい、お前たちいい加減に」



 わいわい、がやがや。先程までの理性的な姿はそこにはなく、執事まで加わって何やらとっても賑やかだ。思わず笑みがこぼれてしまう。なるほど、ヴィクター様は部下の方にとても慕われているようだ。



「ふふ、ご心配ありがとう。確かに犯人の思惑通りになるのは、よくはありませんね。……ヴィクター様とお話をしてみます」

「そう! それがいい! それがいいですよ、夫人!」



 騎士たちは何故か肩を抱き合い喜び合った。私たち夫婦が離縁することを知ってしまって、どうにかしようとしてくれたのだろうか。けれど、彼らの喜びはきっとすぐに無駄になってしまう。私たちは契約の上の夫婦で、しかも今回のような失態を侵す女をヴィクター様が傍に置き続ける理由などないのだから。


 ……卑しい心の内が、もしかすると犯人が逮捕されるまでの間だけでもこの夫婦生活が延長されるのかと思って色めき立ってしまったのは、墓場まで持っていきたい。



「よかったよかった、本当によかった。では、我々はこれで」



 と、騎士たちは席を立ったが、すぐにぴたりと止まった。どうしたのだろうと、執事を見ると彼も私を何かから隠すように一歩前に出る。状況が飲み込めないまま、皆が見つめる扉の方を見てみると何かが走ってくる音が聞こえた。昨日の今日で襲撃などある筈もないだろうが、使用人の足音にしては大きすぎるし彼らは廊下など走らない。


 思わず胸の前で手を握ってしまった私に、執事が「問題ございません。我々がお守りします」と言ってくれた。怯えや恐怖を悟られるなんて本当なら恥ずべきことだが、もう仕方がない。騎士たちもレイピアに手をかけていつでも抜けるようにしてくれている。大丈夫、昨日のようにはならない。


 せめて視線を外さないようにと扉を見つめる。足音はどんどん大きくなり、そうかと思うと扉が不作法に開けられた。


読んで頂きありがとうございました。


ちなみに執事ダニエルは実はヴィクターの元部下だったりします。事件当日はお休みの日でした。後悔がすごい。

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