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4・不穏な馬車

 最近、幸せ過ぎてまずい。いえ、いいことなんですよ。幸せなのはいいことなんです。ただ、勘違いをしてしまいそうで、それが少し怖い。



「クレア、散歩に行かないか」



 あの日から、ヴィクター様はよくお散歩に誘ってくださるようになった。毎回嬉しくて、口元がだらしなくなりそうなのを一生懸命に我慢しているのだけれど、もう自信がない。



「上の棚のものは危ないから私が降ろす」



 いつものように書庫の整理をしている際、梯子に上っているのを見られて、そう言われてしまった。確かに貴族令嬢としては、はしたないかもしれなかったが司書としては仕事の範囲内なのだと説明しても聞いてはくれなかった。気にかけてもらえたのが嬉しくて、あまり強く言えなかったのも敗因だろう。



「君はこういったものは好きだろうか」



 こう言っては、最近王都で流行りのお菓子や花などを買ってきてくださることもある。……。幸せだ。憧れた人が、私のことを気にかけてくれて、こんなにも優しくしてくれている。けれど、幸せな反面ほんの少しの惨めさも感じてしまっていた。


 大前提としてヴィクター様は、優しい方だ。それは顔見知りとしか言えなかった頃でさえも知っていた。たまたまお会いした時に、私が重たい書物を抱えていると何も言わずに手伝ってくれたり、突然の雨で傘を持っていなかった私が寮まで走っていこうか迷っていた時にはわざわざ辻馬車を呼んでくれたりもした。もちろん、当時の私たちは友人ですらなかったので、そもそも会う機会も少なかった。親切にして頂いたことだって、数えてみれば数回程度のこと。あの方は自然とそういうことをやってのけてしまうので、私だけが特別だという訳ではない。ただただ優しい人なのだ。


 きっと私は、不満なのだ。ヴィクター様が、私に対して特別な感情を持たないことが。私たちがしたのは、政略的で計画的な結婚である。ヴィクター様は私という妻を得ることで、誇りある仕事を続けられる。私は密かに憧れていた方の妻として振舞えるし、爵位は持たずとも貴族子息の夫人だという立場が得られる。それがお互いのメリットであり、むしろそれ以外に私たちを結びつけるものなんてない。そうであるのに、不満をもつなんて。私は私が思っている以上に欲張りな人間だったらしい。


 ……いい、大丈夫。隠し事は貴族の嗜みである。末端の田舎貴族であれど、それでも私は貴族の娘だ。愚かで欲深な醜い心くらい、いくらでも隠してみせよう。勘違いなどせず、できる仕事をきちんとこなして。そうしたら、この楽しいひと時がもう少しは続くだろうから。



「クレア、少しいいだろうか」

「はい、もちろん。何なりと」



 微笑みは武器だと、いつか母が言っていた。大丈夫、私にはこの武器がある。これまで通り、今を思い切り楽しもう。そう決意し直し、私はヴィクター様の手をとった。


―――


「だからね、ジゼル。ヴィクター様は本当に素晴らしい方で」

「分かった、分かったからもういい、ちょっと待って。クレアが旦那様のことすごく好きっていうのは分かったから」

「あら、そうですか?」

「そうですよ。……まあ、結構心配しちゃったけど、結婚っていろんな形があるものね」

「ええ、でも、心配をしてくれたのは嬉しかったわ」



 国立図書館の仕事が珍しく早く切り上げられたので、久しぶりにジゼルとカフェに寄った。屋敷の馬車はいつも通りの時間にならなければ迎えには来ないので、問題ない。



「ねえ、クレア。今、幸せ?」

「ええ、もちろん」

「うーん、半分嘘で、半分本当って感じ?」

「嫌だわ、ジゼル。……その特技があれば、きっと社交界で花開くのに」

「結構よ。ドレスやジュエリーには人並みに興味あるけど、人の顔色ばっかり窺わないと生きていけないような世界はまっぴらだわ」

「ふふ、ジゼルらしい」



 ジゼルは人の感情を読むのが得意だ。だからこそ先んじて様々なことに気が付くし、助け舟を出すのも早い。王都に来てから何度、彼女に助けられたことか。華やかで賢いジゼルであれば社交界での成功など容易そうだけれど、彼女の快活さは確かにあの世界にはもったいないかもしれない。



「でもね、ジゼル。この結婚生活は楽しくて嬉しくて幸せなの、それは本当よ」

「そうみたいね。……まあ、あのデスティーノ文官騎士だし、大丈夫だとは思うんだけど」

「ええ、そうよ。大丈夫」

「ううん、そうじゃなくて、うん、まあいいか。あ、あれって、クレアのお迎えじゃない? ……何か、いつもと人が違うようだけど」



 ジゼルにそう言われ、振り向くと確かに家の使用人の服を着た男性が二人、カフェに入って来ていた。きょろきょろと不作法に店内を見回し、誰かを探しているようだ。



「……クレア?」

「ジゼル、ごめんなさい。迎えが来てしまったようだけれど、図書館に忘れ物をしてしまって。とても大切なものだから、私の代わりに探してきてくれないかしら」

「え?」

「この紙に書いてあるから、よろしくね」



 急いで紙ナプキンに殴り書きした文字は、上位司書にしか読めない文字だ。試験に受かった後に覚えさせられるもので、一年以内に覚えられなければ上位司書の資格をはく奪される。同年に試験に受かったジゼルと一緒によく徹夜をしたのも、今となってはいい思い出だ。


 財布とその紙ナプキンをジゼルに押し付け、少し青い顔をした彼女を置いて席を立った。



「貴方たち、こんな所で何をしているのです」

「あ、ああ。デスティーノ夫人ですか? 迎えが遅れてすいませんでした。何分、今日が初めてなもので」

「ええ、わたくしがクレア・デスティーノです。時間に問題はありません、ご苦労様。ですが、このようなカフェの中にその衣装で今後立ち入らないように。他のお客様にご迷惑でしょう」

「へへ、分かりました」

「では、行きましょう」



 二人の男性を伴い、カフェの外へ出るとやはり家の馬車が置かれていた。馬たちは多少興奮しているようだったが、御者の腕がいいのか何とか暴れださずに大人しくしている。私は黙って、馬車に乗り込んだ。主人が乗るというのに誰も手を貸さず、更には同じように乗り込むとは。あまりにも杜撰すぎて笑えて来てしまう。



「それでね、夫人。帰ったらまずやって貰いたいことがあってですね」

「不慣れな言葉使いは結構。貴方の敬語は逆に耳障りです」

「……かあーっ。お貴族様ってのは本っ当に、偉そうなこった。じゃあお望みの通り粗野なお言葉で失礼しますがね」

「どの書類をお望み? それとも資料かしら?」

「……」

「おい、あんた。いつから分かってた」



 男性二人は腰に下げていた太い短刀をちらつかせながら、そうすごんだ。むしろ分かっていないと思われていたというなら心外である。ふう、と少し息を吐いてじっと彼らを見つめた。



「始めから。わたくしは女主人です。大貴族ならいざ知らず、あの規模の家でわたくしの知らない使用人がいる筈がないでしょう。新たに雇うにしてもわたくしが面談をしないなんてことはあり得ません。そもそも我が家の者は貴方たちのような不作法も無礼もしません」



 少しばかり、彼らは頭が足りないらしい。その上に恐らく、こういったことをするのは初めてなのだろう。でなければわざわざ顔を出した状態で、あんなに人の多い場所に乗り込んでは来ない。カフェにいた人々を人質にしたつもりなのかと思ったが、そうでもなかったらしい。



「分かってたのに乗り込んだってか? ますます訳分かんねえな。で? 俺らに協力してくれるってのか」

「わたくしとわたくしの家の者に手を出さなければ」

「そいつは約束できねえな。あんたや他の奴らを殴って言うことをきかせることだってできる」

「わたくしの留守中に強盗に入ったけれど、指示されたものが上手く盗めなかったのでしょう」

「……そうだ」



 やはり彼らは主犯ではなく、誰かから指示を受けただけのようだ。それにしては犯行が杜撰なのが気になる。主犯は犯行内容まで指示をせずに、必要なものだけを指定した。それがプロテクトのかかっている筈の重要書類だと分かった上での指示であるならば、主犯の思惑は――。



「その筈です。あの家にある資料や書籍は国家機密に準ずるものが多い。もちろん魔法でプロテクトをかけられています。そして、そのプロテクトを外すことができるのは上位司書か、プロテクトをかけた魔法使いの許可を得た者だけ。手順を踏めば上位司書はプロテクトを一時解除することもできますが――」

「ああ、もういい! 俺らは学がないんでね、もっと分かりやすく言え!」

「わたくしが解除しなければ、貴方たちが目当てのものを持ち去ることはできないということです。そして解除の手順は中々にややこしい。わたくし自身や家の者が、殴られたり脅されたり耳元で大声を出されたりしたら気絶をしてしまうかも。わたくし、か弱いので」



 嘘を吐く時には、本当のことを交えて話すことによって真実味を付け加えることができる。これも嗜みだ。言い切って、にこり、とわざとらしく微笑んでみる。男性らもこれまた分かりやすく口元をひくつかせた。感情を素直に表現できる環境で生きているのだろう、羨ましい限りだ。



「よく言うぜ、随分と肝が据わってる」

「過大評価ですわ。今も足の震えと手汗が酷い」

「……まあいい、別に痛めつけて来いとは言われてねえ。あんたがいい子にしてれば言うことをきいてやるよ」

「助かります、どうもありがとう」



 す、と笑みを止めて窓の外を眺める。この馬車に乗ってあの屋敷に帰るのももう何度目になるか、けれどあまりにも非日常過ぎて初めてのことみたいだ。鼓動が早まるのが普通なのだろうけれど、何故かそんなことはなかった。



読んで頂きありがとうございました。

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