表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

3・緩む口元

「それで、結婚式はいつなのよ」

「ヴィクター様のお仕事が落ち着かれてからですね」



 週に一、二度しか出勤しなくなったが、王立図書館の館長は『それでもいいから出勤できる日は来て欲しい』と言ってくれた。ありがたい話である。職場ではジゼル以外に深く付き合いのあった同僚はいなかったが、それでも慣れた環境がいきなりに遠ざかるのは寂しいものだ。上位司書の資格をとって本当に良かった。



「ずっとそう言ってるけど、文官騎士って延々仕事してるような人たちでしょ。落ち着くことなんてあるの? しかもクレアの旦那様って上級職だった筈よね。むしろ、この日って決めないとできないんじゃないの?」

「どうでしょうね」

「クレア、私、真面目に聞いてるのよ」



 上位司書しか入ることを許されない特別資料室。重要な資料や書籍が多く、魔術的にも価値のある魔導書などもある為、日々の点検が不可欠だ。けれど最近では管理用魔道具なども多く開発されているので、人がやらなければならない作業はそうそうない。我々がやることと言えば、魔道具が誤作動を起こさないか目視するくらいだ。だからこそ、こうしてお話をする時間くらいはある。



「ありがとう、ジゼル。でも正直、結婚式はなくてもいいかとも思っているんです」

「嘘でしょ、正気!? デスティーノ文官騎士ってそんな甲斐性なしなの!?」

「ジゼル、声が大きいわ」

「だって、だってクレア、貴女」



 ジゼルが言葉を詰まらせながらこちらを見つめている。罪悪感でどうなかなりそうだ。けれど“憧れの人と一緒にいたかったから、契約結婚をした”などと馬鹿正直には言えない。ジゼルのことは大切な友人だと思っているが、それとこれとは別でなのである。彼女は平民であり、昨今の王都で平民は恋愛結婚が主流なのだそうだ。色々な意味で、きっとショックを受けてしまう。



「ジゼル、結婚式っていいことばかりではないのよ。準備期間は長いし、あっちにもこっちにも招待状を出して、出していない人はいないかとか、当日の出席人数の確認にも時間がかかるし、料理や衣装や会場や司祭様や……。とにかく面倒ごとも多いんです。わたくしは兄弟が多いので、もう、お腹いっぱいと言うか」



 ちなみにこれは本音である。三番目の兄は結婚式に呼ばなければならない人を呼び損ねて、現在は解決しているが当時はかなりこじれてしまった。二番目の姉は注文したドレスに不備があって、当日の朝まで皆で縫い直しをした。それ以外にもいくつものトラブルを近くで見てきていたので、正直な話、結婚式というものがとても良いものだとは思えなくなっていた。やらないといけないもの、と思っていたものでもあったので、確かにほんの少しの寂しさはあれど悲しみにくれるという程ではない。



「でも……」

「そうね、結婚式ってもちろん素敵なことでもありますよね。心配してくれてありがとう、ジゼル。でも今は仕事中です、その話はまた今度。それに本当に大丈夫だから」



 これ以上はもう言えない、許してほしい。いつか落ち着いて、今が笑い話になるくらいになれば話すから。そう心の中で叫びつつ、私は逃げるように別の仕事にとりかかった。


 毎日出勤しない私であっても、仕事は多くある。国立図書館には多くの人が訪れるし、新しい書籍も毎日入ってくる。古い書籍は処分するものと修理するものとを分けて、必要な資料を出して。そうこうしている内にもう退勤時間になるのだ。



「お先に失礼します」

「あ! 待って待って、フェネストラ上位司書!」

「はい?」



 声をかけてきたのはよく飲み会に誘ってきていた人だった。司書にしては声が大きく快活な人で、友人の多いタイプの人だ。下位司書で名前は……まずい、ど忘れをしてしまった。……。こんなことを思ってはいけないが、あまり得意な人ではない。早く帰りたい。早く帰ってヴィクター様のお出迎えの準備をしたい。けれど、私も貴族の子どもだ。表情を崩すようなことはしない。



「今日こそちょっとお話しましょう! 結婚が唐突過ぎて俺ら皆、納得ができてなくて!」

「……結婚後にも仕事は続けてよいと館長に言われておりますので、そちらにご意見ございましたら館長に」

「そうじゃなくて!」

「クレア」

「! ヴィクター様」



 まずい、声が高くなってしまった。ん、と咳払いをし、もう一度振り返る。ヴィクター様は退勤の時間が被るとこうやって迎えに来てくださるのだ。本当にお優しい。私が犬であったなら、ちぎれる程に尻尾を振っただろう。本当に結婚してよかった!



「もう終わりだろうか」

「はい、丁度」

「では行こう」

「ええ。では、ごきげんよう」

「ぇ、ぁ、はぃ……」



 ああ、ごきげんよう、なんて挨拶は職場ではしないようにしていたのに、動揺して使ってしまった。あちらは戸惑っているが、出てしまった言葉は戻せないので仕方がない。押し通そう。


 未だ戸惑っているらしい同僚を置いて、ヴィクター様のもとへ駆け寄る。実際には走ってなどいないが、気持ちとしては全力疾走だ。嬉しくてどうにかなりそうだけれど、この程度を隠せないでは契約上の妻など務められない。そっと手を取られ馬車まで連れて行ってもらうことも嬉しくてしょうがないが、何とか堪えて静かに乗り込んだ。偉い、私、偉い。



「彼とは親しいのか」



 馬車の中で、ヴィクター様はこう呟いた。



「彼? ……ああ、先程の。ご心配になるようなことは何もございません。ヴィクター様のお名前を汚すようなことは、何も」



 身の潔白の証明ならいくらでもできる、と言いたいところだけれど悪魔の証明は難しいものだ。高位貴族のご令嬢であるならば、警護や監視がつくこともあるだろうが私にはそれがない。帰省以外では毎日門限前に寮に帰っていたけれど、それだけでは証拠として不十分だろう。いくら契約結婚であっても、結婚後すぐの不貞疑惑など醜聞以外のなにものでもない、どうしたものか。



「……いや」

「その、同僚ではあるのですが……。申し訳ないことに、名前も思い出せないような間柄でして」



 本当に、あまり知らない人なんです。と、気持ちを込めてヴィクター様を見つめる。しかし、何とも微妙な空気が流れた。……。いや、同僚の名前も思い出せない人というのも問題かもしれない。



「彼も、不憫なことだ」

「え?」



 ヴィクター様のお声を聞き逃すことなんて、あってはならないのに先程よりも小さく呟かれた言葉は聞き取ることができなかった。



「何でもない。それよりも、今日の夕食は君の好きなシェパーズパイだとダニエルが言っていた」

「まあ、嬉しいです」



 不名誉な形ではあったが、嫌疑は晴れたようだった。よかった、本当によかった。結婚してまだ一か月過ぎであるのに離縁など申しつけられては、いろんな意味でたまったものではない。けれど、そうか。そういう未来もあるのだろうな。


 しかし、とにかく今日はシェパーズパイ。お屋敷のシェフは腕がよく、彼らの作る料理は何でも美味しいが、シェパーズパイは別格だ。美味しいものを食べて、ゆっくり眠れば大抵のことはどうにでもなる。これは我がフェネストラ子爵家の家訓だ。実際に私もそう思う。未来を恐れて不安に過ごすより、今しか味わえない幸福をかみしめる方が好きだ。隣に座るヴィクター様をこっそりと見つめながら、自然ともれてしまう笑みをかみ殺した。


―――


 お屋敷にはヴィクター様が仕事で使用する書類も多い。むしろ今までどうやって探していたのだろうと不思議だったのだが、使用頻度の高い近年のものであれば手前に置いていたので何とかなっていたそうだ。重要書類も多く、使用人にそこまでの管理を任せるのは負担になるとのことで、今では私に一任してくださっている。本当に上位司書の資格とっててよかった。


 もちろん使用人を信頼していない訳でもないので、手伝いをしてもらう分にはいいそうだ。彼らは年若いけれど、皆自身の仕事に誇りを持っている玄人だ。情報漏洩の危険性は薄いし、昨今の重要書類には魔法でプロテクトがかけられているのでその心配は少ない。



「クレア、昨年度の治水に関する書類はどこにある?」

「南の端から二番目の部屋に整理しております。お持ちしましょうか」

「助かる。……ああ、いや、私も一緒に行こう」

「はい」



 ヴィクター様は基本的に王宮に出向かれて仕事をなさっている。けれど、稀に屋敷で仕事されることもあり、その時はよくこうやって呼んで頂けるのだ。嬉しくてニマニマと不審な笑顔を作りそうになる頬に力を入れるのは大変だけれど、頑張るだけの価値はある。



「こちらの棚全てが、昨年度の治水に関する書類です。必要資料などございましたら、探して参りますが」

「ありがとう、大丈夫だ。これだけあればいい」

「さようですか」



 ああ、お役に立てたのは嬉しかったけれど、今日はこれまでか。まだまだ片づけは終わらないが、使用頻度の高い近年のものから整理していたので昨年度分くらいならすぐに見つかる。いや、残念になど思ってはいけない。これは私の功績であり、評価にもつながるだろう。欲を言えばもう少し一緒にいたかったけれど、仕事の妨げになるなど言語道断である。



「でしたら、わたくしはこれで」

「クレア」

「はい」

「その、今日は天気がいい」

「そうですね、とても気持ちのよい天気です」



 呼び止められたことは単純に嬉しかったが、ヴィクター様は窓を見ながら何やら口に指をあてて話しづらそうにしている。そこまでは分かるのだが、会話が得意な友人のように、気の利いた言葉は咄嗟に出てはこない。仕方なく私も窓の外を眺めて、天気の話をするしかなかった。



「一日中座り仕事をしているのも、体に悪いと聞いたことがある。よければ、散歩に付き合ってくれないか」

「よろしいのですか、あっ、いえあの、ですが……」

「どうした」

「お邪魔ではないでしょうか」

「私が誘ったのだから邪魔になどなる筈がない。……君がよければ、是非」

「でしたら、喜んでお供致します」



 いけないいけない、口元が緩む。私の夫(契約上のそれではあるが)は本当になんてお優しい方なのだろう。恐らく一緒に住む以上はと、私とコミュニケーションをとろうとしてくださっているのだ。その優しさにつけ込んでいるようで少しばかり心苦しいが、ここはもう甘えてしまおう。だって、二人でお散歩なんて魅力的過ぎる。


 差し出された手をとって、二人で歩いた庭はいつも手入れの行き届いた素晴らしい場所であったけれど、いつも以上に美しく輝いて見えた。分不相応なくらいの幸せに酔いながら、できるだけ長くこの時が続けばいいのにと、心の中でこっそり子どものように願ってしまったことは、それこそいくら時が経ってもジゼルにだって言えないだろう。


読んで頂きありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ