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1・フェネストラ女史、折り入って君に頼みが

「フェネストラ女史、折り入って君に頼みが」

「わたくしでよければ何なりと」

「助かる」



 国立図書館の奥の奥。国家機密に関わるような書物をも管理する隠し書庫で、憧れの人にそんなことを言われた私は内心舞い上がっていた。しかし今は仕事中である。いつもの何を考えているのか分からないと好評の笑顔で、淡々と接するしかないのだ。そもそも私の憧れの君は、仕事を言いつけようとした人間にきゃあきゃあ騒がれて喜ぶような人ではない。そこも好き。眼鏡の位置を直す様も素晴らしく似合っている。素敵すぎる。


 貴方の為ならば、例えば見つからない本があるなら徹夜してでも探しますし、必要な資料があるなら読みやすいように纏めるところまでやりますとも。依怙贔屓とかではないんですよ、これはひとえにこの方の人徳ですとも、ええ。



「私と結婚をして欲しい」

「は?」



 は?



「詳しい話は今夜、私の屋敷で」

「え?」



 え?



「君の終業時間に迎えにくる、では」

「……え?」



 何て?


 私は、彼が去った後もしばらくそこに立ち尽くしていた。心配をして探しに来てくれた同僚が「フェネストラ上位司書? クレア・フェネストラ上位司書! どうしたんですか!」と叫ぶまで、気を失ったかのようにぼんやりとしていたらしい。


 聞き間違え、聞き間違えかな? そうか、そうだろう。私と私の憧れの君、ヴィクター・デスティーノ様は、仕事での接点しかない。間違っても、結婚を申し込まれるような間柄ではないのだから。好きすぎて幻聴が聞こえたのか、末期だな。いけないいけない。ぐにぐにと頬を揉み、いつも通りの笑みを浮かべ、同僚に謝罪をし仕事に戻った。


 クレア・フェネストラ、私の名前だ。一応子爵家の娘ではあるが、家の領地が田舎なので洗練されたご令嬢たちと同一のことはできない。特殊な鉱山が領地にあるおかげで財政難になったことがない、ということだけが最大にして唯一の自慢である家の娘だ。


 そんな我が家は兄弟が多く、あらかたの政略的な婚姻は結びきってしまったので、末の私が今すぐに結婚をする必要はなかった。それならば結婚前に一度働いてみようと王都に出て来た所、運よく国立図書館の司書の職を得ることができたのだ。働き出してしまえばこの仕事は私に合っていたようで、気が付けば重要な書籍の取り扱いを許される上位司書にまでなっていた。


 そんな時に出会ったのが、彼、ヴィクター・デスティーノ文官騎士様である。騎士は騎士でも文官。文官騎士はレイピアという細い剣を下げてはいるものの、討伐や警邏などには積極的に出ずに書記官として王宮で働かれている方々のことを指す。通常の書記官が多く勤める王宮内での緊急事態に備えてのことであるらしい。書記をしながら警備もしているようなものなのだそうだ。国立図書館にある資料をお使いになることも多く、仕事の関係で顔見知りになった。


 知的な顔立ち、細い銀縁の眼鏡、涼やかな目元。田舎娘が憧れる、都会的な魅力を全て兼ね備えている彼を見かけた日は、いつだって心が躍って仕事どころではなかった。実際はそれらは全て心の中だけで終わらせてしまうので、業務に支障をきたしたことはない。しかし彼に出会えただけで、王都に来た甲斐はあったというものだ。我が家の領地には絶対にいないタイプだった。領地の人々が嫌いだとかそういう話ではない。物語に出てくるような美男に密かに憧れるくらいは許されてしかるべきだ。



「フェネストラ上位司書、業務は終了されましたか?」

「ええ、この資料を片付ければ」



 考え事をしながら作業をするのは慣れているので、憧れの人を思い描きながらでも仕事はできる。集中力が必要な作業の時はさすがにできないが、国立図書館の司書というのは決められた作業を繰り返し行うことの方が多いので助かっていた。しかしそうか、もうそんな時間か。同僚に言われて初めて気が付いた。



「俺たち今夜皆で呑みに行こうと話していたのですが、いかがです?」



 吞み、か。職場での円滑なコミュニケーションの為に一定の付き合いが必要なことは理解しているが、私は一応子爵令嬢でもある。ここが自家の領地であればまだ考えるのだが、王都でしかも複数の人が参加する会にはあまり出席したいとは思わない。


 田舎では未婚の男女のそういった集まりは風紀を乱すとして、あまりよく思われてもいなかった。さすがにその考えが古いことは知っていたし、ここは王都だ。常識が違う。しかしそれでも、これが田舎の知り合いの耳に入れば面倒なことこの上ないのだ。更に、そもそも私は大勢で呑むのが嫌いだ。酒は嫌いではないが、どうせ呑むのなら気を許した友人とゆっくり静かに呑みたい。



「申し訳ないのですが」

「ええ! 今回も駄目ですか? 顔出すだけ、顔出すだけでも!」



 それ私に一つもメリットないよね。と言いたいのをぐっと堪える。同僚は善意なのだ、ここでそう切り返すのは大人げがなさすぎる。この世は全てコミュニケーションで成り立っている。それを諦めてはいけない。


 職場において仕事ができる者とできない者では、できる者の方が必要だと思われがちだが、そうでない場合もある。十の処理能力を持っているが話の通じない人と、六の処理能力しか持っていないが話が通じる人では後々必要になってくるのは後者だ。仕事なんて時間さえかければ、覚えるし慣れる。一人で働いているような職人ではないのだから、一緒に働きたいと思える人でなければ職場で孤立するしいらない者として扱われる。私はそうはなりたくない。でも行きたくない。



「家の者にきつく言われておりまして」

「フェネストラ上位司書のお家って遠くなんですよね? バレませんって!」

「こら、しつこくしない!」

「あ、ジゼルさん! 一緒に説得してくださいよー!」

「しません。ついでに私も行かないから」

「嘘でしょ!?」

「彼が『行かないで』って」

「そういうのどうかと思う! そういうのどうかと思うー!」



 助け舟を出してくれたのは、友人のジゼルだった。彼女も上位司書で、平民だが王都の生まれの美しい人だ。初めての都会と仕事に戸惑っている私をよく助けてくれた。本当の美人って優しいのだと知った。


 ジゼルが同僚の相手をしながら後ろ手を振り、さっさと行けと促してくれたのでありがたく退散した。来週にでも彼女が好きなチョコレート菓子を買って献上しようと心に決め、そそくさと職場を後にする。つもりだった。



「フェネストラ女史」

「ひゃっ……!」



 出て行った所に憧れの人さえいなければ。



「すまない、驚かせてしまったか」

「え、い、いいえ?」

「そうか、では行こう」

「え」



 デスティーノ様は私の荷物を当たり前のように持つと、さくさくと歩き出してしまった。文官であっても、さすが騎士様である。一連の動作がスムーズだ。スムーズ過ぎて、私の方が動けない。



「フェネストラ女史?」

「え、ああ、はい。今、参ります……?」



 私が来ていないことに気づいたデスティーノ様が、数歩先の所で私を待っている。何が起きたのかは分からないが、とりあえずついて行くしかなさそうだ。これこそバレたら飲み会の比でないくらいに怒られそうであるが、仕方がない。


 それにまあ、眉目秀麗なデスティーノ様である。女性に不自由はしていらっしゃらないだろうから間違いもないだろうし、私の家は傾いてはいないがさほど裕福という訳でもないから融資の話でもないだろう。何より、デスティーノ様のお宅拝見なんて特別なイベント、今後一生ありえはしない。私は足早に憧れの人の後をついて行った。


―――


 馬車に乗せられ連れて来られた屋敷は、郊外ではあったけれど王都にしては非常に大きく立派なものだった。緊張を見せないように震えを押し殺して、通された部屋を見回すような不作法をしないように努力する必要があった。



「――と、いう訳で、私との結婚を考えて欲しい」

「……お答えするまでに、時間を頂くことは可能でしょうか」

「いや、申し訳ないがここで決めてもらいたい」

「時は一刻を争うのですね」

「そうだ」



 ああ、はいはいはいはい。承知しました。全て理解しました、してないけど。ですね、今時そんなうまい話なんてないんですよ、知ってました。かなり不遜なことを考えながらも、私は表情筋を仕事場と同じように扱える。きっとポーカーは強くなっただろう。田舎に帰ったら兄弟とやってみよう。


 デスティーノ様は伯爵家の次男である。家は長兄殿が継ぐので彼は爵位を賜らないが、そうであるなら婿に来て欲しいといくつかの家から打診があるらしい。けれどデスティーノ様は今の仕事が気に入っていらっしゃるし、順当にいけば文官騎士の全隊長になることも夢ではない。


 しかし婿に入り貴族位を賜ることがあれば、今の職は辞さねばならない上に貴族として政治に関わっていかねばならなくなる。元々、次男であったが故に爵位を賜らないと割り切って打ち込んでいた勉学や職業を、長兄殿がご病気やお怪我をされたならいざ知らず、丁度いいから結婚して貴族位を持てなどと言われても納得ができないそうだ。それも昔からそういう話があった訳ではなく、彼が文官騎士となり、出世しだしたあたりからその手の話が増えたことも気に入らないらしい。


 そこで、私である。貴族の娘ではあるが爵位の継承権を持たず、更には田舎の出身で王都のごたごたにも関わりを持たない。職を持ち自立しており特に決まった婚約者もいない私ならば、彼の理想の結婚相手となるのだ。頭に“契約”がつくが。


 出された上質な紅茶を一口含み、ふむ、と考える。ヴィクター・デスティーノ様。私の憧れの君。そんな人との契約結婚、むしろ良いのでは? どうせいつかは結婚しなけばならないのだ。知らない誰かと一から崩壊するかもしれない家庭を育むより、白い結婚であっても目の保養になる人の傍で暮らす方が楽しいかもしれない。更にそれが彼の助けになるというのだ。例え一時であっても、そうであることには意味があるかもしれない。



「畏まりました。わたくしでよろしければ、謹んでお受けいたします」

「っ、そうか。感謝する」

「しかし、我が家も末端であれど貴族。家の者に申し伝えませんと」

「問題はない。こちらで全て行おう」



 まあ私から話を通すより、そちらの方が良いかもしれない。王都の伯爵家の子息から望まれたとあれば、実家も否やはないだろう。王都に出る時にも「いい人を見つけてきたら?」などと冗談めかして言われたのだし、これで未婚の子どもがいなくなるとあれば両親もきっと一安心だ。



「では、お任せ致します。あの、デスティーノ様」

「ヴィクターと」

「え」

「君が私と結婚をしてくれるのであれば、君も私の家名を名乗ってもらうことになる。私のことはヴィクターと呼んでくれ。すまないが、私も君のことをクレアと呼ばせてもらう」

「は、はい。ではヴィクター様」

「何だ」



 興奮で荒くなりそうな息をどうにか静めて、ヴィ、ヴィクター様に向き直す。



「わたくしの仕事のことですが、続けてもよろしいのでしょうか」

「君が続けたいのならそうすればいい。辞めたいのであればそうしてもいい。贅の限りを尽くすような生活は難しいかもしれないが、生きていくのに困らせることはないだろう」

「では、このまま続けさせて頂きます。わたくしがこの家ですべき仕事などあれば後日お伝えくださいますか。不要でしたら、それはそれで。出張るようなことは致しません」

「分かった、纏めておこう」



 今の仕事は気に入っているので、それを許してもらえるのならよかった。しかし、そうか。これ、本当に結婚するのか。……緊張と興奮でどうにかなってしまいそうだ。とにかく今日は早く帰って今後のことを考えないと。



「では、詳しいことはまた後日ということで、本日はこれで」

「いや」

「?」

「このままこの家に住んで欲しい」

「……は?」


 は?



 読んで頂きありがとうございました!


 大変恐縮ですが、よろしければブックマーク・評価などして頂けるととても嬉しく思います。よろしくお願い致します。


 ここまで読んで頂き、ありがとうございました!

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