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支離滅裂⭐︎惡靈ゴルフ俱楽部

作者: 花谷馨

第一章    夏休み


 鬱蒼と茂るケヤキの大樹からアブラゼミの声がシュワシュワと鳴り響いている。照りつける太陽は厳しく、早朝とはいえすでに蒸し暑い。永楽聡さとしは、クヌギの樹を上下に見渡して、カブトムシを探していた。背後から、自転車の音が近づいてきて、キッという不快なブレーキ音が響いた。

「夏休みの初日からカブトムシ採りかよ。あいかわらずガキだなあ、聡は!」

 幼馴染の錦織譲ゆずるだ。キツネ目と顎のシャクレが特徴的で、中学三年生のくせに詐欺師のような風貌をしていた。成績優秀で、聡は学力では遠く及ばない。いや、体育で敵うこともなく、敢えて勝てるといえば「平凡」に分類される容姿くらいのものだ。譲は、背中に伸縮式のリール竿を背負っている。

「池かりるぜ、聡!」

「またブラックバス釣りかよ、ジョー。お前こそガキじゃないか」

 聡は、小学生のころから譲をあだ名でジョーと呼んでいる。ジョーは聡の家の敷地内にある灌漑用の池によく釣りに来ていた。聡の家は「福聚院」という曹洞宗の寺を営んでいる。江戸時代初期建立の歴史ある本殿、広大な境内、戦後に開発した大型霊園からなっていて、およそ山一つが敷地といったところだ。

「殺生は禁止だからな」

 聡は決まり文句のようにそう言った。

「分かってるさ。クドイなあ」

 そう大声を出しながら、ジョーはクヌギとケヤキの林を駆け上がっていく。まるで自分の家のような振る舞いだ。聡は、いったん自宅に戻って釣り竿とルアーの準備を整えた。カブトムシはあきらめて、ジョーと一緒に釣りをしようと思った。


 池に到着してみると、ジョーはすでにルアーを引いてアクションをつけている。

「聡、今朝は野球部の練習に行かなくていいのか?」

「朝練面倒くさいから、先週退部届出した。中学三年生だぜ、そろそろ受験勉強もしなくちゃな」

「なに言っちゃってんのさ。お前、今までまともに勉強したことなんかないくせに」

「バカにすんな。勉強はしてるけど、ジョーと違ってやっても出来ないんだよ」

 聡は、気にする様子もなくそう言って、淡々とルアーを引いている、太陽が水面に反射している。首のまわりから、ダラダラと汗が流れ落ちる。

「来た!」

 ジョーはそう言ってロッドを立てた。猛烈な格闘の後に上がってきたのは、三十センチを優に超えるブラックバスだ。この池は聡の家の私有地だから、二人以外に入る太公望はなく、魚影が著しく濃い。

 釣りあげたバスを聡に見せびらかして満足すると、ジョーは魚を池にリリースした。聡は、「先を越されたな」とだけ言って、またルアーを投げ込んでいる。

「聡、お前はどうするんだ? こないだ、進路相談があったろ?」

「ああ、一応、松山高校の理数科に行きたいと言っておいた。アニキが、大学で理工学部行ってるしな」

「理数科は無理だろう、お前には」

「先生にも言われたよ。普通科でさえ、難しいってさ。ジョーはどうする?」

「オレか? オレは、早稲田大学本庄高校が第一志望。川越高校も受験するけどな」

「エリートコース進んで、将来は有望な詐欺師になるってわけか」

 聡は、意地悪そうに笑ってみせた。

「うるせい、顔のことは言うな。それより聡、お前もそろそろ少し考えないと……」


 釣りは終わりにして、二人はそのまま母屋にあがりこんだ。早朝釣りに来るたびに、永楽家で朝食を馳走にあずかるのがジョーの常だった。聡は仏壇に手を合わせ、亡き祖父の位牌に手を合わせた。

「爺ちゃん、松山高校合格させてくれ。頼んだわ」

 ジョーは、聡に諭すように言った。

「他力本願じゃあどうにもならないぜ。今年の夏休みは、一緒に勉強してやろうか?」

すると、それを聞いていた母親の大きな声が、台所から響いてきた。

「そうして、ジョーくん。助かるわあ。聡ったら、一人だとずっとダラダラしてるだけだからさあ」

「かあちゃん、黙ってろよ。勉強できないのは、かあちゃんからの遺伝だ」

「また、人のせいにして。ジョーくんを少しは見習ってほしいわよねえ。いいから、こっちでご飯食べなさい」

 言われて食卓に座ると、大学一年生の兄、すぐるが既に箸を握っていた。

「アニキ、帰って来てたのか」

「ああ、夏休みだしな。昨日の夜中に帰ってきたよ。悪いか?」

 卓は、小太りで鬱陶しい長髪を蓄え、黒縁の冴えない眼鏡をかけている。美少女アニメと写真が趣味の、いわゆる典型的なオタクだった。

「アニキ、しばらく見ないうちに気色悪さがパワーアップしたな」

 卓は、不敵な笑みを浮かべて勝ち誇ったように言い返した。

「兄ちゃんにそんなこと言っていいのかな? 僕はお前のために、急いで帰って来てやったと言うのに……」

「なんだよ、もったいつけんなよアニキ。どうせ関東三流大学の考えることだ、ロクなことじゃないんだろうけどさ」

「三流大学じゃない。関東産業大学だ!」

 聡は、卓がムキになって怒るのが面白かった。

「お前にはもう、教えない。ジョーくんだけに教えようかな」

「くだらないこと言ってないで、早く食べなさい!」

 母親にそう叱責されて、三人はまず静かに食事を済ませ、母屋からお寺の本殿に場所を移してから会話を始めた。


「聡、お前はいまのままではおそらくまともに高校さえ行けない。どうしていいか、兄として僕も大いに悩んだ。それで、思い出したんだよ。爺ちゃんの話しを……」

「爺ちゃんの話ってまさか、あの陸軍四式降靈試作機のことか?」

 天上の高い本殿が、静寂に包まれる。

「おい聡、その陸軍なんちゃらって、何なんだよ?」

 ジョーが、身を乗り出して尋ねた。

「見てみるか? ジョー」 

 聡は、ジョーの目をしっかりと見据えながら尋ねた。

「本当にあるのか、そんなものが?」

 これには、兄の卓が応えた。

「ジョーくん、本当なんだ。わが永楽家秘蔵の機械なのだが、爺ちゃんはその使い方を言い伝えずに死んでしまった。いままで、その使い方はもちろん、使用目的さえ分からなかったんだ」

聡が、卓の両肩を掴んで訊いた。

「いままで……ってことは、アニキ。使い方が分かったのか?」

「無論だ。こないだ帰宅したときに、偶然裏の蔵から古い書物を見つけたんだ」

 そう言って、卓は埃をかぶって変色した一冊の分厚い本を、懐から取り出した。その本の表紙には、「降靈秘傳書」と旧漢字で書かれてあった。

「なんて読むんだ? アニキ?」

 聡がそう聞くと、卓は声を出して読み上げた。

「コウレイヒ……、ヒ、セン? ヒセンショ?」

 戸惑う卓を余所に、ジョーが言った。

「コウレイヒデンショ、つまりは降霊の方法が書き記されている書物だと思います」

「そうだ、そのコウレイヒデンショを、僕は解読したんだ」

 聡は、目を細めて疑いの目を向けた。

「タイトルが読めないヤツに、内容が理解できるのか?」

 卓は、胸を張って堂々と応じた。

「大丈夫だ、安心しろ聡。多少旧漢字を読み飛ばしても、問題のない内容だった」

「マジかよ?」

 聡とジョーは、声を合わせて驚いた。だが、その降靈秘傳書を開いてみて、二人はまたもや揃って声をあげていた。

「旧漢字だらけじゃないか!」

「まあ、細かいことは気にするな。とにかく、機械のある屋根裏倉庫に行ってみるぞ」

 卓はそうとだけ言って、屋根裏部屋につながる梯子を登り始めた。

 本殿の屋根裏は広大な倉庫になっていて、そこに「陸軍四式降靈試作機」がデンと居座っている。大東亜戦争後にこの機械が作動したことはなく、父親からは決して触らないように言い含められていた。

 黒光りするその機械の側面には、大きな文字で「陸軍四式降靈試作機」と刻まれてある。非常に仰々しい機械で、屋根が抜け落ちるのではないかというほどの巨大な金属塊である。

 卓は、解説をはじめた。

「降靈秘傳書によれば、この陸軍四式降靈試作機を稼働させると、『上級霊』が降りてくるらしい。『上級霊』は、過去・現在・未来にわたるあらゆる事柄を見通していて、陸軍はその上級霊に米軍の作戦行動を尋ね、対処方法まで啓示されていたという」

「なるほど、すごい機械だなアニキ」

 感心する聡の横にあって、ジョーのキツネ目がさらに細くなった。

「卓さん、日本軍は米軍に敗れています。その機械、本当に役に立ったのでしょうか?」

「さあなあ? 試作機ってデカデカと書いてあるくらいだから。けれど、この降靈秘傳書にはハッキリそう明記されている」

「アニキ、それは旧漢字でか?」

「ああ、旧漢字でだ」

 広い本殿が、再び静寂に包まれる。

「聡、迷っている場合じゃないぞ。お前の将来がかかっているんだ。『上級霊』に導いてもらえば、お前だってジョーくんと同じ高校に行けるかもしれないんだぞ」

「本当か? アニキ! ものは試しだよな」

 一転して、聡は乗り気である。

「学問に王道なし、と言うんだけど……」

 ジョーは、ぼそっとそう呟いた。

「現代科学は、不可能を可能にする!」

 卓は胸を張ってそう言い放った。およそ七十年前の技術が果たして「現代科学」といえるかどうか、ジョーは甚だ怪しいものだと思った。













第二章    降霊


 卓は、降靈秘傳書を片手に大きな機械の正面で機具を調整し、裏に回り、時には上に乗っかってなにやらギーギーとキシミ音をたてながら作業を続けている。

「大丈夫かアニキ?」

 聡が大声で尋ねると、卓は自信に満ちた返事をした。

「問題ない、もう少しだ!」

 言いながら、時折一眼レフカメラで陸軍四式降靈試作機を撮影している。一時間ほど経過しただろうか、ようやく作業が終了した。

「待たせたな、聡。さあ、ここに座れ」

 卓はそう言うと、巨大な機械の正面に座蒲団を敷いた。座った正面は、楕円形の大きな鏡になっている。鏡面は、霞んでところどころにヒビが入っている。聡は、渋々その座蒲団に座ってみた。

「いよいよ、歴史的瞬間だ。およそ七十年ぶりに、『陸軍四式降靈試作機』が稼働するんだ。聡の未来が、いやひょっとすると、日本の明るい未来がこれで開ける!」

 薄暗い屋根裏に、喜々とした卓の声だけが響き渡る。

「風貌が、マッド・サイエンティストだな」

 ジョーが小声でそう言うと、聡も声の調子を落として言い返した。

「ただの、美少女アニメオタクだ」

「なにか、言いましたか?」

 卓がそう言って二人の方を見ると、揃って首を振って否定した。その様子を、卓はシャッターを切って撮影した。

 極太の古い電源コードをコンセントに差し込むと、低くて鈍い作動音がして、続いて排気音とともに蒸気が噴き出した。

「大丈夫なんですか?」

 ジョーが不安そうに訊くと、卓は神経質そうに言い返した。

「シャクレている場合じゃない。黙って見ていろ」

「シャクレているのは、生まれつきです」

 聡はアニキとジョーの奇妙な応酬を横目に見ながら、座蒲団の上に正座した。曇った鏡面に、自分の姿は映っていなかった。次に、卓が鏡面下のパネルにある文字ダイヤルを回し始めた。

 左から順に、五つの漢字を並べていく。

「靈」「降」「學」「來」「佛」

「さあ、セッティングは完了した。聡、あとはその右側のレバーをお前が下に引くだけだ。降靈秘傳書によれば、きっかり三十秒後には『上級霊』がその鏡の前に降りてくる」

 聡の額からは汗が流れ落ちる。蒸し暑さのせいなのか冷や汗なのか、極度の緊張感が襲ってきた。不気味な機械の作動音が、恐怖感を煽る。

「いくよ、アニキ!」

 そう言って、厳ついレバーに全体重をかけて下に引いた。次の瞬間、鏡の上方にカウンターが現れ「30」と表示された。それはデジタル表示ではなく、数字の札が一枚一枚めくれていく非常に旧式なものであった。

「29」「28」……

 およそ三秒が経過したあたりで、鏡面全体が青白く光り輝き始めた。そしてその青白い光はやがて集まって球体になり、空間に浮かびあがると稲妻のような光を放射し始めた。

「25」「24」

 ジョーはとっくに後ずさりして、遥か後方に退避している。聡はしばらく我慢して座っていたが、さすがに怖くなってきて腰が浮いた。逃げようと思ったのだが、間に合わなかった。

 青白い球体は、そのまま聡の頭上に落下してきて、今度は聡自身から青い稲妻が放射されはじめていた。

「22」「21」

 カウンターは、無情にカウントダウンを進めて行く。

「ああっ!」

 ジョーは思わず大声をあげた。

「卓さん、見てください。聡の身体がっ!」

 見ると、光を放ちながら、聡の身体は少しずつ縮まり、丸みを帯び始めている。そして何よりも顕著なことに、髪の毛が伸び始めていた。

「まずい……。降靈秘傳書にはこんなこと書いてなかったぞ」

 卓はそう声を漏らしたが、対応策はなにひとつ用意されていない。黙って観察し続けることしか出来なかった。開き直ったのか、変化していく聡の姿をカメラで撮影した。

「そんなことしている場合ですか!」

 そう言ったものの、ジョーはこの事態にどう対処して良いのかさっぱりわからない。目の前で、機械のカウントダウンは続いて行く。

「14」「13」

 光の放射は収まってきて、硬直した聡の身体が大きく変化を始めた。顕著に、胸が膨らんできた。そして、顔の骨格さえも大きく変化し始め、表情から面影が消えて行く。

「9」「8」「7」

 身体変化は緩やかになり、座っている人間はすっかりと若い女性になっている。ジョーは呆気にとられながらも、少しずつ聡に近付いて行った。卓は、やたら一眼レフのシャッターを切っている。もはや、聡を助ける手立てはなかった。

「3」「2」「1」

 けたたましい機械の作動音が急速に静まり、やがて屋根裏全体が静寂に包まれた。

「0」

 機械の前には、聡とは全く別の顔つきをした美少女が座っていた。とびきりに、かわいかった。

 卓は、弟が消えたことを忘れたかのように、必死になって色々な角度から美少女を写真に収めている。

「写真を撮影している場合ですか!」

 ジョーに言われてようやく卓は手を止めた。


「うわーん!」

 唐突に、少女は大声をあげて泣きはじめた。二人は呆気にとられたが、先に卓が声をかけた。

「どうしたんだ?」

 だが、少女はより声を荒げて泣きわめく。

「オタク、嫌い!」

 むっとして、卓はジョーの方を見た。次は、ジョーが恐る恐る少女に声をかけた。

「どうしたんだ? 聡、だよな?」

 少女は、さらに激しく泣く。

「わたし、聡じゃない。美羅みらだもん」

「美羅?」

 卓とジョーは声を合わせて聞き返した。美羅はしばらく泣き続けていたが、次第に落ちついてきて、ゆっくりと話し始めた。

「わたし、せっかくプロテストに合格したのに、その日に死んじゃったの……」

 美羅は、身の上を語り始めた。彼女は女子ゴルファーで、一年ほど前に十七歳でプロテストに合格したという。しかし、その合格を知った日に、父親が運転する自動車の助手席に乗っていて交通事故に遭い、即死してしまったのだと言う。

 それを聞いていた卓の目からは、同情の涙が溢れて来ていた。

「卓さん、泣いている場合ではありません。聡は、どこに消えたんですか?」

 ジョーが、心配そうに訊いた。

「そうだった……」

 それを聞いていた美羅は言った。

「聡って、座っていた男の子? 彼だったら、消えてないよ。ここにる」

 そう言って、自分自身の胸のあたりを指差した。そして、美羅の口調が急に変って、叫ぶような大声をあげた。

【なんとかしろよ、アニキ!】

 声色は美羅そのものだが、表情や言い方が聡に近かった。

「聡か?」

 卓がそう言うと、美羅が急に穏やかな表情に戻って言った。

「この肉体はいま、わたしの霊魂が支配してる。肉体は宿る霊魂に影響されるから、女性化したの。けど、彼の霊魂もまだ、この肉体の奥に封じられてる。強い感情が沸き起こると、私は彼の意識が表面に溢れだすのを止められない……」

 卓は、冷静になって話した。

「つまり君は、肉体的には美羅さんでありながら、聡の魂も抱えているわけか?」

「いや、肉体は聡さんのだよ。いまはわたしの霊魂が乗っ取ったから、女性に変形してるだけ」

 ジョーが、たまらずに声をあげた。

「卓さん、オレは気味が悪いです。成仏できずにさ迷っていた『低級霊』が聡に憑依したということでしょう? なんか、祟られそうじゃないですか?」

 ジョーの顔色からは、すっかり血の気が引いている。

「オレ、帰ります……」

【おい、ジョー! 薄情すぎじゃないか!】

 再び、聡の意識が声を発する。しかし、ジョーは振り向きもせずに言った。

「とにかく、オレは気味が悪い。卓さんに、なんとかしてもらってくれ」

 そして、逃げるように本殿から出て行ってしまった。

 

 美羅は、立ちあがると屋根裏を嬉しそうにスキップして走り始めた。卓はその姿を見ながら、思わず声を出した。

「美羅ちゃん、かわいい」

 そして、またしても一眼レフカメラで彼女を撮影し始めた。その瞬間、美羅の動きが止まった。

【アニキ、写真撮ってる場合じゃないだろ! ちゃんと『降靈秘傳書』を読み直して、なんとかしてくれよ!】

「ちょっと聡、おとなしくしててよ。ひさびさにゲットした肉体を楽しんでるのに!」

 美羅が聡の魂に向かって言った。

【これは、オレの身体だ!】

 一人で、会話をしている。卓は傍目にそれを見て珍妙だと思った。そして、二人の魂が一つの身体をめぐって騒がしく問答し始めたので、その隙にじっくりと降靈秘傳書を読み直してみた。

「どうやら、五つの漢字の並べ順を間違えたようだ。昔は、横書きの場合、右から左に文字を並べたようだな。秘伝書の横書き箇所が、そうなっている……」

 つまり、左から「佛」「來」「學」「降」「靈」と文字を逆順に並べるべきだった。

【いまさら、それはどうでもいい。アニキ、この美羅ってやつをおれの身体から、一刻も早く追い出せ!】

 十七歳の美少女の姿をした聡が、卓ににじり寄って、眼前ですごんでみせた。聡の意図に反し、卓は頬を赤らめた。

「緊張するなあ。かわいい……」

「キモい!」

 はじめて、聡と美羅の精神が同調して声を出した。卓は、もじもじと下を向いて降靈秘傳書のページを繰りながら、小さな声で言った。

「『惡靈憑依セル時ノ法』という説明があった。おそらく、これで美羅ちゃんの霊を聡の肉体から追い出せるだろう」

【よっしゃ、アニキ早速やってくれ】

「いや、やだ! もうちょっと、現世にいさせて」

 美羅は、その場に崩れ落ちて大粒の涙を流し始めた。

 卓は、その美羅に向かってやさしく尋ねた。

「どうして、まだ聡の肉体に憑依していたいんだい?」

 美羅は、鼻をすすりながら、目を大きく開いて懇願するように訴えた。

「わたし、もう一度ゴルフクラブを握りたい。未練が強くて、まったく成仏できないの」

 卓は、涙に潤む美羅の目をしっかりと見据えながら、優しく言った。

「分かったよ、美羅ちゃん」

【何を言ってんだアニキ、早く追い出してくれ!】

 そう叫びながら、美羅の身体は一歩ずつゆっくりと、陸軍四式降靈試作機正面の座蒲団に近付いて行った。

「やめて! 追い出さないで」

【アニキ、早く! どうすれば追い出せるんだ?】

 そうまくしたてながら、なんとか聡は身体を座蒲団に着座させることができた。卓の眼鏡がキラリと光り、そして低い声で言った。

「まあ落ちつけ、聡。不慮の事故で亡くなった十七歳の少女が成仏できないで苦しんでいるんだ。それを救うのが、僕たち寺に生まれた者の務めだろう」

 そうとだけ言うと、卓は梯子で屋根裏から本殿に降りていった。美羅は、その後に続く。卓はゆっくりと観音像の裏側へと回っていき、その周囲の床板数枚を剥ぎとって、床下に隠した小さな衣装ケースを取り出した。

「美羅ちゃん、取引しよう。このゴルフウェアを着て、撮影会のモデルをやってくれないか?」

 言いながら、衣装ケースから取り出した女子用ゴルフウェアを、床に綺麗に並べはじめた。

【アニキ、なんでそんなもの持ってるんだよ! 気色悪い】

「これだけじゃないぞ。ビーチ・バレー、テニス・ウエア、弓道着、この本殿の床下にはいろいろなコスチュームを潜ませてある」

【何が寺に生まれた者の務めだ、変態! いいから、美羅を追い出してくれ】

「そうムキになるな、聡。いいじゃないか、美羅ちゃんはかわいいんだから」

 聡の感情が激しく動いているために、なかなか美羅の言葉が出てこない。が、ほんの少し聡が気を許した隙に、美羅の霊魂が口を開いた。

「卓、その取引乗った。これ着て撮影会のモデルすれば、しばらく除霊しないでくれるんだろ?」

【バカ言うな! アニキ、はやくコイツを追い出してよ!】

卓は、もはや弟の言うことになど耳を貸していない。

「聡、美羅ちゃんの我儘を少しきいてやろうじゃないか。可哀想だとは思わないのか?」

 しばらく沈黙が続いた。聡が美羅の身の上を考えて少し同情したために、肉体の支配権を完全に美羅に取り戻されたからだ。

 美羅は、卓に本殿の外で待つように言うと、着ていた服を脱ぎ去った。そして、自分の身体をまじまじと見つめている。

「久しぶりの肉体だ。嬉しいなぁ」

【キレイなカラダしてるな……】

「ジロジロみないでよ、イヤらしい」

【見ているのは、美羅じゃないか!】

 一人で言い争いながら、ゴルフウェアに着替えていった。上はホワイトをベースとした半袖、下はピンクのチェック柄の入った超ミニスカートで、どちらも身体にピチっとフィットするタイプだった。ご丁寧に、ピンクのサンバイザーも用意してある。

「かわいい」

 美羅は、とても嬉しそうだった。

 着替え終わると、美羅と卓は本殿を出て、境内をロケ地として撮影を始めた。池のほとり、本殿の前、林の中……。夏の太陽と樹木の影が生み出すコントラストが、美羅の美しさをより引きたてた。卓は無言でシャッターを切り続ける。

 聡は、アニキに撮影されるのは気味悪かったが、美羅があまりに嬉しそうにしているので、しばらくは好きにさせておくことにした。





第三章   レッスンプロ


 昼食は、卓がコンビニで弁当を買って屋根裏にまで運んできた。見ず知らずの女の子を家にあげたら、母親が不審がって大騒ぎになるからだ。そこに、ジョーが性懲りもなく戻ってきた。

「なんだ、まだ元に戻ってないのか……」

 そう言って気味悪そうにしているジョーに、卓は判明している状況を詳細に説明した。すると、ジョーは少女化した聡の方を見てニヤリとし、悪知恵をポロっとこぼした。

「なあ聡、お前は今日から永楽聡子になる。どうだ?」

「わたしの名前は、美羅だって」

 そう言う美羅に対し、ジョーはさらにいやらしい笑みを浮かべて言った。

「わかっているさ。しかし美羅、その身体は女性化しているとはいえ飽くまで聡の肉体なのだろう?」

「そうだけど」

「であれば、今日から聡子として生きるんだ」

【なにバカ言ってんだ、ジョー! オレはオレとして生きるぞ】

 聡の感情が再び激してきて、肉体の支配権を得ている。

「まあ、待て。よくよく考えて見ろ。美羅は十七歳でプロテストに合格したプロゴルファーだ。おまけに、ヴィジュアルがすこぶるいい。スタイルも、抜群だ。わかるな?」

【だから、何だってんだ!】

「つまりだ、何をやっても中途半端な聡と違って、美羅にはスター性があるってことだ。永楽聡が将来兄と同じ三流大学に行くより、永楽聡子としていますぐプロ・デビューした方がよっぽど稼げるんじゃないか?」

 ジョーは、真顔でそう言った。

「僕が行ってるのは、産業大学だ。三流大学じゃない!」

 卓は、不貞腐れて言った。

「卓さん、そんな話はしていません。どうです、お兄さんとしては? 聡にしばらく、聡子として生きてもらうというのは?」

 卓は、少し難しい顔をして、俯いて声を落として言った。

「どんなに出来が悪くても、聡は僕の弟だ」

 そして、一瞬だけ間をおいて卓はそのまま話を続けた。

「そして、どんなにかわいらしい女の子の姿になっても、やっぱり僕の弟だ。どうせ同じ弟ならば、アイドル・ゴルファーの方がいいに決まっているだろう!」

「それでは、卓さん……」

 ジョーは、真剣な面持ちで卓に確認した。

「ああ、今日から我が家には聡子と言う妹ができた。両親には、僕から説明をしてみよう」

【ちょっと待て! おれは美羅を追い出すぞ。こうなれば自分でなんとかする。アニキ、降靈秘傳書をよこせ!】

 再び、聡の意識が暴れはじめていたが、次の瞬間には美羅の意識が噴出した。

「待って、聡! わたし、ちゃんと出て行くから。お願い、一回でいいからゴルフクラブでボールを打たせてほしい。わたし、それだけでいい。いつまでも、聡の身体に居座ったりしないよ。お願い、練習場でいいから……」

 そう言いながら、再び大粒の涙をこぼし始めた。美羅のせつない感情は、そのままダイレクトに聡の精神に伝播している。本殿の屋根裏が再び沈黙に支配され、すすり泣く美羅の声だけが静かに響きわたっている。

【打ったら、本当に出て行ってくれるんだな?】

 美羅は、力なく答えた。

「うん、約束する」


 卓、ジョー、そして美羅に支配された聡、つまり聡子となった三人は、それぞれ自転車に乗って、二十分ほど離れたところにあるゴルフ練習場に向かった。聡子は、さっき撮影会の時に着用したゴルフウェアで決めている。七月午後の強い陽射しが照りつけ、ペダルを踏む三人からは汗が吹き出し続けている。受付でレディースのクラブセットを借りて、一階ほぼ中央の打席を確保した。平日なので、他の客は数名の年配女性だけだった。

 卓とジョーは、準備運動する聡子に見とれている。美羅が本当に喜んでいるようで、聡子の表情は自然と笑顔になっている。そして、クラブセットからドライバーを取り出して、素振りをはじめた。

「うれしいな。本当に、うれしいな」

 そう言いながら打席に入って行ったので、卓とジョーは後方の休憩席まで下がって見学することにした。聡子は、リズムある動きで綺麗なアドレスをとった。そして、お手本のようなスイングでクラブを振りおろした。

 キーン、という快音をたてて、ゴルフボールは低い弾道で真っすぐ打ち出されていった。

「ナイスショ~ット!」

 後方で見ていた男性係員が大声でそう叫んだ。つられるように、ジョーと卓も「ナイスショット」と叫んでいた。

 球は曲がることなくグングンと伸び、二八○ヤード表示あたりに着弾した。聡子は、クラブを振り切ったままの姿勢で止まっている。

「す、すごい……。信じられない」

 聡子は、自分の打球に驚いていた。美羅が記録した生前の最長飛距離は二四○ヤードほどだったからだ。しかも、女子としてはそれでも飛距離が長い方だった。二八○ヤードと言えば、男子プロ並みの飛距離だ。まぐれかもしれないと思い、聡子はもう一度ドライバーを振ってみた。係員の「ナイスショ~ット!」という掛け声とともに、球は先ほどと同じラインを描いて、二八○ヤード表示の向こうに落ちた。呆然と立ち尽くす聡子に向かって、係員が足早に近づいてきた。卓とジョーは、黙って休憩席に座ったままだ。彼らには、聡子のショットがどれほど素晴らしいものであるのか、全く判断できなかった。係員は、聡子に向かって興奮気味に話しかけた。

「おネエさん、すごいじゃな~い!」

 口調が、完全にオカマ的だったので、聡子は拍子抜けした。

 中年の男が聡子に話しかけるのに気付いて、卓とジョーは慌てて打席に近付いて行く。聡子は、男に対して素直に答えた。

「ありがとう……。でも、自分でも信じらんない」

 そこに卓が近付いてきて言った。

「おじさん、妹に何か用ですか?」

 係員は、大きな声で言った。

「妹さん、アマチュア・トーナメントに出場させるべきよ! ワタシ、こんなに素晴らしいドライバーショット見たことないわ!」

 聡子は、そのオカマっぽい中年男に尋ねてみた。

「おじさん、何者?」

「ワタシ? ワタシはこの練習場でレッスンプロをしている横山竜。リュウちゃん、て呼んでいいわよ!」

 観察すると、リュウちゃんは内股で、動きもしなっとして女性っぽい。そのくせ、顔つきは中年オヤジそのものだ。

 ジョーは薄気味悪かったが、リュウちゃんに質問をした。

「聡子は、そんなにすごいのですか?」

 リュウちゃんは、両手を合わせ、身体をくねらせながら返事をした。

「あら、そちらの少年は聡子ちゃんの弟さんかしら? おネエさん、すごいなんてものじゃないわよ。女の子でこんなに飛ばせる人、そうはいないわ。いまならまだ出願間に合うの。日本ジュニアゴルフ選手権にエントリーさせてあげて!」

「オレは、聡子の友人のジョーって言います。その選手権て、勝てば賞金はもらえるのですか?」

「アマチュアの大会だから、賞金は出ないわよ。けどね、優勝すればプロテストの一次審査が免除になるから、早ければ来年の春にはプロ・デビューできるわ! そしたらこの子、きっと勝てるもの。賞金なんて、獲得し放題! わたしは、有名プロのインストラクターになるのよ!」

 リュウちゃんは、すっかり自分がインストラクターになると決めていた。それに対して、卓が意見をした。

「リュウちゃん。うちにはあなたに支払うスクール費用なんてないし、聡子はゴルフクラブだって持ってないんだ」

「何言ってるのよ! スクール代金なんて必要ないわ。クラブだって、ワタシが立派なものを買ってあげる!」

 卓は、リュウちゃんに向かって言った。

「うますぎる話しじゃないですか。あなたには、全くメリットがない。もしかして、妹に下心があるのか?」

 これには、聡子、いや聡子の中の美羅が答えた。

「大丈夫よ。私が有名なプロになれば、リュウちゃんのところにはたくさん生徒が集まってくる。それで儲けよって腹でしょ?」

「まあ、かわいいお顔して、かわいくないこと言う子ね。でも、その通りよ。どうかしら、お兄さん?」

 卓は、一瞬考え込んでから真面目な表情で返事をした。

「悪いお話じゃあないですね。どうだい聡子、ジュニアゴルフ選手権にエントリーしてみるか?」

 さすがに、聡の感情が溢れ出した。

【一球打てば出て行く約束だろ、美羅! 断るぞ】

 聡子がそう叫ぶのを見てリュウちゃんは言った。

「やっぱり、変わった子ね」

 ジョーは、「ははは」と笑いながら誤魔化した。続いて、聡子の中の美羅が話した。

「わたし、一球で出ていく約束をした。選手権には出場したいけど、キリがないよね」

 そして、俯いて一滴の涙を流した。

「あーあ、お前が泣かしたんだぞ」

 そう言ってジョーは聡を責めた。聡は、言った。

【バカヤロウ! おれが家に戻らなかったら、両親が心配するだろう。美羅には、出ていってもらうしかないだろう……】

「大丈夫よ、聡。わたし、約束は守るから。本殿に帰りましょう」


 リュウちゃんは、一人で会話する聡子を奇妙な目で観察している。そして、言った。

「出場しないの? 聡子ちゃん、勿体ないわよ。あなたほどのパワーとバランスがあれば、あの山野葵にでさえ勝てるかもしれないのに……」

 山野葵というのはアマチュア界でもっとも将来を期待されている美少女ゴルファーで、昨年度の日本ジュニアゴルフ選手権で優勝をしていた。その名前を聞いて、聡子の表情が一変した。

「リュウちゃん、山野葵が今年も出場するの?」

「当たり前じゃない。十七歳になった彼女にとっては、これが最後のジュニア選手権。気合い入れてくるわよ」

 美羅は、聡に向かって言った。

「お願い、聡。八月の選手権だけ、出場させてくれないかしら? わたし、もう一度だけ山野葵と戦ってみたい。お願い」

 聡の魂には、ダイレクトで美羅の感情が伝わっていく。その切なる思いに動かされ、聡は頭ごなしに否定することができなかった。しばらく、沈黙が続く。すると、卓が口を開いてリュウちゃんに向かって言った。

「まずは、家に帰って両親に相談してみます」

「そうだ、それが一番だ」

 ジョーがそれに続いた。

 こうして三人は、あとで連絡するとリュウちゃんに約束して福聚院に帰って行った。


夕刻帰宅した三人は、永楽家の自宅で聡の母親に本当のことを打ち明けた。陸軍四式降靈試作機を誤作動させたこと、聡が亡くなった女子プロゴルファーの霊に憑かれたこと、そしてゴルフ練習場で起きた全てのこと。だが予想に反して、母親は落ち着いていた。

【かあちゃん、よく平然としていられるな!】

 さすがに、聡が怒りをあらわにした。

「聡、プロゴルファーになって、たくさん稼いできなさい。これも、仏のお導きです」

 母親は、息子を諭すように話した。

【なんだよ、かあちゃん。お金目当てか?】

 聡は、声を荒げた。

「流れに逆らってはいけません。その美羅というお方があなたに宿ったのも、仏さまのご意志あってのことです。その子を無事に成仏させてあげなさい」

 そして、その晩父親に話した時も、まったく同じ反応が返ってきた。こうしてあっさりと、聡は聡子としてジュニアゴルフ選手権に出場することが決まった。













第四章   ライバル、山野葵


 それから三週間が経過、あっという間に選手権初日が訪れた。リュウちゃんが運転する車に乗って、聡子、卓、ジョーの四人が会場の「かすみ野カンツリー倶楽部」へと向かっている。

 クラブハウスに到着すると、すでにテレビカメラが一人の選手を追っていた。

「わたくしは、今回も優勝して差し上げます。調子は上々、アマチュア最後の大会を最高記録で飾りますわ」

 カメラに向かってそう豪語する山野葵の横を、四人はそっと通り過ぎようとした。しかし、山野葵は聡子の姿を見つけて大声をあげた。

「あなた、美羅じゃない! その下品なミニスカート、品のない歩き方、間違いないわ」

 立ち止まって、聡子は応じた。

「下品とはなによ、このブリブリ御嬢様! 時代錯誤のファッションでよく恥ずかしくないわね! わたしは、永楽聡子! 美羅じゃないわ!」

 ヨーロッパの貴族のようなウェアに身を包んだ山野葵は、眉を吊り上げて言った。

「そうよね。美羅は、死んでしまったものね……。それにしてもあなた、美羅にそっくりだわ。お下品なところもね。まあ、実力も美羅と同じで大したことないんでしょうね」

 嘲笑うかのように、そう言った。

「バカにしないで、今年は、あんたなんかに負けない!」

 テレビカメラは一斉に、山野葵を挑発する聡子の方に向いた。それに混じって、卓は山野葵の姿をいつもの一眼レフで激写していた。

「こんな近くで、山野葵ちゃんを撮影できるなんて……」

 卓は、そう呟いた。そして驚いたことに、リュウちゃんはサイン色紙を出して山野葵にサインをせがみ出した。山野葵は、それにこころよく応じている。

「いい加減にして!」

 聡子は叫んだ。テレビカメラが再び聡子に向く。だが、次の聡子の一言に周囲は驚愕した。

【山野葵ちゃん、かわいいなあ。最高に、かわいい。ゴルフやって、良かった!】

「バカじゃないの? 私の方がかわいいのに!」

 またしても、聡子の中の聡と美羅が喧嘩を始めた。山野葵は、呆気にとられて眺めていたが、しばらくして口を開いた。

「わたくしは、美しいのです。かわいいのではありません。まあ、どちらでもいいですけれど。お時間の無駄ですので、失礼いたします」

 そう言って、その場から去ってしまった。聡子は、舌を出してイーっとしかめ面をした。テレビカメラは、その表情を逃さずにオンエアしている。


 山野葵は、歩きながらいま一度永楽聡子という女のことを考えた。顔や身なりは、一年前に死んだライバルの美羅に非常によく似ていた。しかしながら、よく見ると体格が一回り大きかった。それに、一瞬ではあるが「かわいい」と言って葵に好意を示していた。美羅が葵に好意を持つことなど考えられなかった。

旧華族出身で御嬢様育ちの山野葵と、一般家庭出身の美羅とでは、ゴルフに向かう姿勢が全く異なっている。美羅は露出の高いチャラチャラしたファッションと、明るく元気な性格で、マスコミ受けが良かった。山野葵は、貴族のような重厚なファッションで、優雅であることを何よりも重んじていた。したがって、それは近づきにくい雰囲気につながっていた。プライドの高い葵にとって、実力に劣る美羅の方がメディア受け良いことは非常に不快だった。

しかし、憎しみ合ったライバル美羅がいなくなってからというもの、ゴルフをしていても張り合いがなくなっていた。先ほど聡子を見て、久々に闘志が湧き起こってくるのを感じていた。

「あんな下品な女には、絶対に負けられませんわ」

 そう呟いて、ロッカールームで着替えるのだった。


 日本ジュニアゴルフ選手権、女子十五歳から十七歳の部。競技日程は三日間。初日十八ホール、二日目十八ホールの合計三十六ホールで上位四十位タイの者までが三日目の第三ラウンド十八ホールに参加でき、三日間五十四ホール合計のスコアで優勝者が決定する。

 山野葵と永楽聡子は、初日、同じ組になっていた。


 天気、快晴。一番ホールには、山野葵と聡子、それに他二名の選手、計四名が立っている。ピンまでほぼ真っすぐのパー4、ミドルコース。打順は山野葵が一番目、聡子が四番目だった。

 山野葵が華麗な身のこなしでティーに近付きアドレスをとると、ギャラリーは一斉に沈黙した。ジョー、卓、リュウちゃんが固唾を飲んで見守っている。八月の太陽が容赦なく照りつけ、蝉の声がシュワシュワと響き渡っている。

 山野葵がスイングすると、キーンという高音とともに打球はやや左にむかって打ちだされ、わずかに右に曲がってほぼ正面に着弾した。ギャラリーからは拍手が沸き起こる。

 飛距離十分、フェアウェイ真中のベストな位置だった。

 そして、聡子がティーグラウンドに立つ。背が高く、すらりと伸びた四肢が露出していて、まるでモデルが立っているかの様な美しい絵だった。

 山野葵は、その聡子のアドレスを凝視している。そして、そのスイングに茫然とした。ビュンという音とともに振りおろされたクラブが美しい孤を描きながら、完全に振り切られた。その瞬間に、ボールは低い弾道で一直線に飛んでいく。方角、ど真ん中。そして、ボールが落ちたのは、山野葵の遥か五十ヤードくらい先だった。

 ギャラリーから、割れんばかりの歓声が起こる。ギャラリーの視線は、永楽聡子ひとりに集中し、テレビ映像には聡子の顔が画面いっぱいに映し出されている。二百八十ヤード越えのショットだった。

 山野葵は、悔し紛れに言った。

「まぐれ当たりよ」

 聡子は、山野葵の方を向いて、笑顔を見せた。

「褒めてくれて、ありがとう」

 心理作戦だった。山野葵は、余裕を見せられたことでさらに感情を乱した。

山野葵の二打目。ピンまでの残距離百八十ヤード。ユーティリティを使って打ったが、わずかに距離が足らず、グリーン手前にボールが落ちた。

 対して、聡子は百三十ヤード足らずの残距離。短めのアイアンで軽く当てていけばよかった。だが、聡子が打ち上げた瞬間、強いアゲインストの風が吹いた。ボールは流され、グリーン手前右手のバンカーに吸い込まれていった。

「あらあら、お上手ですこと。ナイスバンカー!」

 すかさず、山野葵が嫌味を言った。聡子は、黙って歩きはじめた。

 三打目、聡子のバンカーショットだ。リキんだのかボール手前の砂を強く叩き過ぎて、球はピンを越えて着弾してしまった。そして、下り坂に従ってボールは転がって、ピンからどんどん遠ざかっていく。

 続いて、山野葵のアプローチショット。これは見事決まって、ボールはピンそば二十センチのあたりに止まった。

【ナイス、アプローチ!】

 聡子は大声で喜んだ。

「あんた、なに山野葵を応援してるのよ」

【いいじゃないか、オレは葵ちゃんのファンになったんだから】

「わたしを応援しなさいよ!」

【うるさい、人の身体に居候しやがって! 頑張れ、葵ちゃん!】

 聡子の中で、また美羅と聡が口論を始めた。

「静かにしてください」

 同じ組の他のメンバーにそう怒られて、聡子はようやく口をつぐんだ。

 第四打、聡子のパーパットは十二メートル以上のロングパットになった。転がった球は距離感こそ良かったもののわずかに右に切れてしまった。

 山野葵は、きっちりと沈めてパー・スタート。聡子はボギーで、1オーバーでのスタートとなってしまった。

「飛ばせばいいってものじゃないようですね」

 再び、山野葵が嫌味を言った。

【葵ちゃんは、美しいだけでなく本当にゴルフもうまいなぁ】

 聡子はそう言った。心を沈めて気分を切り替えなければいけないと思い、美羅は黙って聡の好きなように言わせておいた。山野葵は、時折聡子が心から応援してくれるので、少し不気味さを感じ始めていた。

「変な子ね」

 山野葵は聡子の背中を見ながらそう呟いた。


 二番ホール、三番ホールはお互いにパーをセーブして、一打差のままショートホールの四番ホールを迎えた。ギャラリーは、白熱する山野葵と永楽聡子の勝負に注目し、一方でさらに過激さを増す舌戦にも気を奪われた。

 オナーは、山野葵。第一打、わずかに飛距離が足りない。一方の聡子、二百二十ヤードの距離をユーティリティで難なくワンオンさせ、ボールはピンそば五十センチに寄った。ギャラリーの大歓声が包む。

第二打、葵はグリーンエッジに乗せた。聡子は、二打目を冷静に沈めてバーディー。

葵もまた、三打目を冷静に沈めた。トータルスコアはパーで並んだ。

「なかなか、お上手ですこと」

 山野葵は、笑顔でそう言った。聡子と戦うことが、楽しくなっていた。聡子は、言い返した。

「山野葵、あなたも一年前よりずっと安定してるわ。本当、ぶっ倒し甲斐がありそうで楽しい!」

「まあ、お下品な言葉遣い」

 舌戦が続いた。多少の浮沈がありながらも前半九ホールはお互いにトータルスコア、パーで終了。勝負は後半九ホールへと持ちこされた。

 

 選手とその取り巻きは、前半が終わってクラブハウスに集まってきている。

「山野葵ちゃんといい勝負できるなんて、やっぱりワタシが見込んだだけあるわね。けどね、聡子ちゃん。後半は、もっと落ちついていかなきゃだめよ。時々、リキんだショットが出てるもの。平常心、平常心だからね」

 リュウちゃんは、聡子にそうアドバイスをした。

「だってさ、リュウちゃん。聡のヤツが、山野葵の応援ばかりするんだもん。頭に来るじゃない」

【いいじゃないか、ゴルフは紳士淑女のスポーツなんだろ? 応援して何が悪い?】

「なにが応援よ。あんた、山野葵が好きなだけじゃない。中学生のくせに、年上が好きだなんてマセたガキよね」

【美羅と違って品があるからな! この身体泥棒!】

「泥棒とは何よ、泥棒とは。わたしだって好きで入ったわけじゃないわ。あんた達が奇妙な機械を使ったからでしょ?」

【文句があるなら、早く出て行けよ!】

「うるさいなあ。頼まれなくたって、今日の試合が終わったら、あんたの身体なんかからすぐ出て行ってやるわよ!」

 リュウちゃんも卓もジョーも、いい加減聡子のひとり喧嘩には飽き飽きしていたので、会話に加わらずに放っておいた。

 そこに、山野葵が通りがかった。

「聡子さん、後半戦も楽しみにしていますわ」

 山野葵がそう言うと、聡子はニコリと笑って元気に言った。

【山野葵さん、後半も頑張ってスコア伸ばしてください!】

「あんた、いい加減にしろよ! 山野葵じゃなくて、わたしの応援しなよ!」

 聡と美羅が、再び喧嘩を始めている。

 訳が分からず、さすがの山野葵も茫然と聡子を眺めるだけだった。そして、横にいたジョーに丁寧に尋ねた。

「この方、大丈夫なのですか?」

 ジョーは、咄嗟に誤魔化した。

「いや、前半戦はあまりに暑かったから、熱中症でちょっと脳をやられたんだと思います。気にしないでください」

 山野葵は、訝しげな顔をしながらその場を立ち去って行った。


 いよいよ、後半戦がスタート。第十番ホール、十一番ホールは双方無難にパーセーブで終わった。ドラマは、およそ三百八十ヤードの十二番ホールで起こった。パー4のミドルホールは途中から右に曲がっている。いわゆる右ドッグレッグだ。そして、ピンまでの直線方向には大きな池が広がっている。

 山野葵のティーショットは、池を嫌ってピン方向に対して左側、フェアウェイ中央に打ちだされた。刻んで進む安全策だ。

 対する聡子は、ドライバーの飛距離を活かして、ピンに向かって一気に池越えを狙った。これが、裏目に出る。

 ボールは、一直線に池をめがけて進み、そして水辺に没していった。OBだ。

「あら、残念ですこと」

 山野葵は、すかさず嫌味を忘れない。美羅の心は、大きくとり乱してきた。それが、聡に伝わった。そして、はじめて美羅に励ましの言葉をかけた。

【平常心だよ、美羅。リュウちゃんが言ってたじゃないか!】

「そうだけど……」

 打ち直しの第三打、聡子はユーティリティで刻み、山野葵の少し手前にボールを落とした。

 山野葵の二打目、思い切り振りきって打ったボールはグリーンに乗った。ツーオン、バーディーチャンスだ。

 一方の聡子は、池を怖がってしまったためか第四打をダフってしまい、ボールはグリーンの遥か手前に落ちた。アプローチでもう一打を必要とし、グリーンにファイブオンという大崩れを喫してしまった。

 山野葵はバーディーパットを見事に沈めて、トータルスコアで1アンダー。一方の聡子はさらにツーパットを必要として、トータルスコアで3オーバー。十二番のたった一ホールで、四打差を開けられてしまった。

 

「悔しい、また山野葵に負けるのかしら」

 美羅が、心の中でそう言った。聡には、その悲しみが直に伝わって来る。

【なに諦めてんだよ。あと六ホールも残ってるんだ。一ホールの失敗なんて、すぐ取り返せるよ】

「そうよね、ありがとう聡」

【美羅、今日が終わったら現世とはお別れだぞ。心おきなく勝負を楽しんで、成仏してくれよ】

「そうだよね。最後に思いっきり楽しんでみる!」

 聡子の顔に、笑顔が戻った。


 十三番ホール、パー5のロングコース。肩の力が抜けた聡子のショットは見事に飛距離を伸ばしてツーオン、さらにロングパットを決めてイーグルが記録された。湧きあがるギャラリー。トータルスコアは1オーバーに戻した。一方で、山野葵も見事にバーディーパットを沈めてトータルで2アンダー。依然として三打差が残った。

 十四番ホールはお互いにパーセーブで終えた。十五番のパー5は聡子がバーディー、山野葵がパーで終えて、ようやく二打差にまで縮まった。山野葵は全く乱れることなく、安定したゴルフを続けている。

「山野葵、さすがね。前よりも、強くなってる」

「前よりも?」

 山野葵は、怪訝な顔をして訊いた。

「なんでもない。今日はさ、山野葵と勝負出来てすごい楽しいよ」

そう言って笑う聡子に対し、山野葵も笑顔を見せて言った。

「聡子さんのファッションや発言は下品で好きになれませんけど、昔のライバルを思い出して久々に闘志が湧き立ってきました。わたくしも、とても楽しんでいますわ」

 テレビカメラは、二人の様子を集中的に追い始めている。「千年に一度の美女対決」、アナウンサーと解説者はしきりにその言葉を使って視聴者を煽りたてていた。

 いよいよ残り三ホール。二打差のまま池越えのショート、十六番ホールを迎えた。聡子も山野葵も見事にワンオンを決めたが、聡子の球はピタリとピンそばに寄った。

 聡子はスコアを一つ縮めてトータルで1アンダー、山野葵はきっちりパーでまとめて2アンダーをキープ、1打差の接戦となっていた。


 続く十七番ホールは、パー4のミドル。山野葵の打ったティーショットはわずかに左にそれて、バンカーに直接入ってしまった。山野葵は平常心を乱したのか、その後のショットもわずかにキレに欠けてしまった。葵は二打目でバンカーから出せたものの、三打目はグリーンに届かず、フォーオンを喫してしまう。そして、五打目は二メートルのパット。普段であれば難なく沈めるものを、わずかに距離が足らずに逃してしまう。結果は、ダブルボギー。トータルでパーとなる。

 一方の聡子はきっちりと無難にボールを運び、十七番をパーセーブ。トータルスコアは、聡子が1アンダー、葵がパーと、ここにきて形勢が逆転して最終ホールを迎えることになった。

 

 十八番ホールは、ピンまで一直線のパー4ミドル。いよいよ、最後の勝負を迎えた。ティーグラウンドに立った時、聡子は青空を見上げ、そして涙を流した。それを見ていた山野葵がすかさず声をかけた。

「喜ぶのは、まだお早くてよ」

「ちがうの、悲しくて。これが、人生最後のホールだもの……」

 山野葵は、聡子が何を言っているのかよく理解出来なかったが、その瞳があまりにも哀しげで美しすぎたため、それ以上何も言うことが出来なくなっていた。

「さあ、最終ホールですよ。聡子さん!」

 山野葵にそう言われて、聡子はようやく涙を拭ってアドレスに移行した。

 山野葵は、変わらず堅実なゴルフをして結局、パーセーブ。

 聡子は豪快なティーショットを決め、十八番ホールでも一打スコアを縮め、トータルスコアは2アンダーを記録した。

 ホールアウトして、聡子は山野葵に優しく話しかけた。

「わたし、はじめてあなたに勝てたわ。本当に、嬉しい。もう、思い残すことはない。今日は、本当にありがとう」

 山野葵は、振り向きざまに言った。

「あなた、やっぱり美羅じゃないかしら? 今日一日まわってみて、わたくしにはそう思えましたの。そんなことは、ありえないのですけれど……」

「山野葵。もしよかったら、このあとわたしの家まで一緒に来てくれない? あなたには話しておきたいの。わたしが、明日の二日目に出場できなくなる理由を」

 山野葵は、驚いて声を大きくして言った。

「聡子さん、あなたは二日目に出場しないつもりなのですか? 勝ち逃げは、美しくありませんよ。明日は、絶対に負けはしませんから」

 聡子は、山野葵に静かに言った。

「このあと家まで来てくれたら、全てを話す。家までは、車で三十分もかからないから……」

「分かりましたわ」

 山野葵は、聡子の尋常ではない様子を見て、福聚院まで一緒について行くことに決めた。

 



 

 


 





 





 第五章   成仏


本殿屋根裏に陸軍四式降靈試作機がでんと坐している。その正面の座蒲団には、永楽聡子が座っている。それを囲むように、卓、ジョー、リュウちゃん、山野葵の四人が正座をしている。薄暗い屋根裏に、蝉の鳴き声と試作機の作動音が響き渡っている。

聡子は、山野葵に向き合って、目を見てゆっくりと話し始めた。

「山野葵、わたしは美羅よ。聡と言う男の子の身体にとり憑いているけれど、本当は成仏できない霊魂。あなたと勝負出来て、良かった」

 山野葵は、言った。

「美羅、死んでいた割には強くなったのね」

「それは、聡の身体を借りたからよ。女性化しても、肉体は男性ですもの。本当のわたしだったら、山野葵には勝てなかった筈よ」

 山野葵は、語気を荒げて言った。

「男性の身体をお使いになっていたとしても、美羅に敗れたとあってはわたくしのプライドが許しませんわ。明日の二日目、そして三日目の決勝で勝負をつけますわよ」

 山野葵は、少し涙ぐんでいるようだった。

「いいの、山野葵。わたし、聡と約束してたの。山野葵と勝負出来たら、身体から出て行くって。きりがないもの。あなたに勝ったまま、気分よく成仏させて」

 そういう聡子の目からも涙が零れ落ちてきていた。

【いいんだな、美羅?】

「もちろん、約束は守るよ。聡、本当にありがとう。わたし、聡のこと好きだよ」

【年下に、告白するなよ……】

 そう一人で語っている間にも、卓は機械を調整し始め、文字盤を左側から順に並べはじめた。

「佛」「往」「軀」「戾」「靈」

「さようなら、美羅ちゃん」

 卓とジョーがそう言った。リュウちゃんは、声をあげてただただ大泣きしている。


「みんな、ありがとう。さようなら……」

 そう言って、聡子は右手で力いっぱいレバーを引いた。

「30」

 カウンターが鏡面の上に現れ、カウントダウンが始まった。すぐに聡子の身体から、青白いスパークが散り始めた。

「25」「24」

 青白い光の放射はやがて球体となっていき、聡子の髪が短くなり始めた。カウントダウンが進むと、青白い球体は聡子の身体から抜け出し、ふたたび光を放射し始める。身体はみるみる男性化し、顔つきが聡らしく変わって行く。

 兄の卓は、今度は写真を撮影していない。ただ、聡の身体をみつめて言った。

「さよなら、美羅ちゃん」

 それに釣られるように、泣きじゃくるリュウちゃんが叫んだ。

「聡子ちゃん、いかないで~」

 そして、カウンターは「0」を表示した。試作機の作動音は停止し、再び蝉の声だけが響き渡る。

 完全に元の姿に戻った聡は、言った。

「さよなら、美羅。一緒にゴルフをした三週間、本当に楽しかったよ」

 その時、空間から声が響いてきた。

「さよなら、聡。本当にありがとう」

「どこにいるんだ、美羅?」

 聡がそう叫ぶと、弱々しい声が空間に響く。

「わからない、暗い……。もうダメみたい、意識がどんどん弱くなっていくの。消えるのね。ありがとう、みんな。ありがと……」

 そして、音声はピタリとやんで、再び蝉の声だけが響き渡った。やがて屋根裏は、聡、卓、ジョー、リュウちゃん、そして山野葵のすすり泣く声で満たされていった。


 しばらく時間が経過してから、聡は山野葵に向かって言った。

「葵さんのゴルフ、ほんとに惚れ惚れしました。それに、上品でお美しい。今度、アニキと一緒にプレーを見に行ってもいいですか?」

 山野葵は、涙に濡れる目を聡に向けて言った。

「ありがとう。でもわたくし、中学生には興味ありませんわよ」

 すると次に、卓が自分自身を指差して、「僕はどうですか?」と尋ねた。

「お兄様、ごめんなさい。年上ならいいというわけでもありませんの」

 次に、リュウちゃんが自分自身を指差した。山野葵は、黙って首を横に振った。

「ねえ、葵ちゃん。このあと、写真を撮らせてくれないかい?」

 卓は、様子を窺うように山野葵に向かって相談した。山野葵は、少し考えてから、小さな声で言った。

「わたくし、美羅に負けたまま終わるなんてイヤです。お兄様、もう一度そちらの機械を動かしたら、美羅は戻ってくるのでしょう? もし美羅を戻して頂けたら、私は撮影会にご協力させていただきますわ。この日本ジュニアゴルフ選手権の勝負がつくまでのあと二日間でかまいません。聡さん、ご協力いただけないかしら?」

 聡は、大好きな山野葵に頼まれると、悪い気分はしなかった。いや、それ以上に美羅の気持を反芻して考え込んでいた。美羅は、決勝ラウンドまで勝負したがっていた。その気持ちは、ビシビシと聡には伝わって来ていた。

 にもかかわらず、聡との約束を守って出て行ったのだ。それを考えると、聡はいたたまれなくなるのだった。

「わかりました、葵さん。オレ、この勝負に決着がつくまで、美羅に身体を貸しますよ。正直、美羅がいないとおれも寂しいんです」

 しかし、卓は非常に厳しい顔をしながら言った。

「聡、美羅ちゃんはすでに成仏してしまったかもしれない。次に陸軍四式降靈試作機を作動させた場合には、他の下級霊に取り憑かれるかもしれないんだぜ」

「いいさ。そん時は、アニキ。ちゃんとすぐに追い出してくれよ」


 翌日、大会二日目。この日も空は晴れ渡っている。

 一番ホール、ティーグラウンドには永楽聡子が立っていた。

 青い空を見上げて、言った。

「ありがとう、聡」

【美羅、とっとと成仏してりゃあいいものを……。さ迷いやがって!】

「うるさいな! 山野葵との勝負、邪魔しないでよ!」。


風が吹いて、聡子の長い髪が流された。




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