4.賢者は新しい仲間を手に入れる
「――仕方ない。一応、やってみようか」
ユーティは、彼の愛馬である天龍号は何らかの魔法が掛けられた存在であり、解除のために彼がキスをしてみて欲しいと、シャテルからお願いされていたのだった。
彼はしばらく考えた末に、やむなく同意したのではあるが――
「そうか! 今なら他の人間は誰もおらん。動物性愛者に間違われる恐れはないぞ?」
「イヤな事言うなぁ……」
ともあれ、ユーティは天龍号の前に回り、頬を両手で掴んでその表情をのぞき見てみる。天龍号はユーティの方をじっとみて、特に抵抗する気配は見せない。
(色気の無いキスシーンだなぁ……はぁ)
ユーティは静かに口づけをした後に、手の甲で軽く口を拭ってシャテルの方を向き直った。
「これで、いいのかな?」
「うむ、上等じゃ!」
「ところで、キスに何らかの根拠はあったのかな?」
「いや?」
予想外の返事に、怪訝な顔をするユーティ。
「え……ないのか?」
「口で何らかの事を、までは分かったのじゃが、それ以上はの。ただ、こういうのは王子様のキスで魔法が解けると言うのがお約束じゃろ」
根拠無しと言う言葉を聞いて、がっくりと肩を落とす。
「それはこの辺のお伽噺だよ……東方の仙術だと関係ないんじゃないか?」
「かもしれんのう? ま、減るもんじゃなし。やってみる価値はあったじゃろ」
「ヒトとして大事な物を失った気がするんだが」
なんて話していた、その瞬間。
どくんっ!
と、いう巨大な気配の揺らめきをユーティとシャテルは感じた。その発信源は……天龍号だった。
「なに!?」
「お、どうやら当たりのようじゃの!」
口、目、耳……天龍号の穴と言う穴から、強烈な光が放たれ始めている。そしてその光は、その皮からも透けて漏れ出し、次第に天龍号そのものが強烈な光を放ち始めた。
「シャテル、後ろへ!」
光を直視しないよう、目の前に手をかざしながら、ユーティはシャテルをかばうように、彼女の目の前に立ちはだかる。
時間にして恐らく十数秒ほどか。強烈な光が収まっていくと、そこには一人の人影があるのが見えた。
「な……人間!?」
そこに立っていたのは、一人の東洋系の若い――二十代半ばくらいだろう――女性だった。僅かに蒼みがかったホワイトシルバーの美しい長髪を花飾りと共に頭の上でまとめ、後ろに流している。
その服装は、まるで東方の天女のような、裾の長い萌黄色の薄衣を身にまとい、更にその上から、輝くような白さの薄布を羽織っていた。
その顔は小ぶりの顔にそれぞれのパーツが品良く並んでおり、上品さを醸し出している。その眉は薄墨を塗ったかのように整っており、その唇は瑞々しい桃のような佇まいだ。
その目は当初閉じていたのだが、ゆっくりと開いていくにつれ、黒目がちな瞳が見えてきた。
突如現れた女性の可憐さにユーティが思わず息をのんだ次の瞬間、彼女はいきなり腕を大きく振り上げてユーティに向かって飛びついて来た。
「呼ばれて飛び出てパンパカパーン! やっと会えましたぁ!」
「うわっぷ!」
いきなりの行動にユーティは即座に反応できない。そして彼女はそのまま、ユーティを抱きしめてしまった。ユーティと同程度の身長を持つ彼女だが、更に力一杯飛び上がっていて、ユーティの顔面が彼女のたわわに実った双丘に挟まれてしまっている。
シャテルも一瞬反応が遅れたが、女性の行動を見て柳眉を逆立てた。
「おんし、何しとるんじゃあ!」
と、そこに、アマリエが凄い勢いで駆けつけてきた。
「ユーティ様、今のは何事ですか!?」
その声を背中に受けたユーティは、その女性を抱きしめたまま、ぎぎぎと言う擬音がつきそうな様子で、ぎこちなくアマリエの方を振り向く。
「アマリエくん。どうも宿泊一名追加のようだ」
そして次の瞬間、厩舎には乾いた打撃音が響き渡ったのだった。
◇ ◇ ◇
一行はフロントに立ち寄った後、まずは併設の酒場で夕食を取る事にした。本当なら人目に付かない客室で話を聞きたかったのだが、空腹に耐えかねていたと言う単純かつ切実な理由が存在していたからである。
酒場はそこで宿泊している商人や冒険者、街の住民などで賑わっていた。ただ、壁際の一つのテーブルを占めている、美女揃いかつ目立つ服装の一行は、否応なしに周囲の視線を集めてしまっていた。
ユーティは憮然とした表情でテーブルに片肘を突いて座っていた。その頬は手の平の形に紅く染まっている。その横にはアマリエが、小さくなって座っていた。
「申し訳ありません、ユーティ様、破廉恥な光景に、つい、かっとなってしまって」
「私にも隙があったからね、仕方ないよ」
頭を下げるアマリエに、ユーティは苦笑せざるを得ない。
ともあれ、給仕娘を呼んで適当に料理を注文し、その到着を待つことにした。
「さて、と」
まずは対面に座った、天龍号だった?女性に目を向ける。
「まず、お名前をお伺いできるだろうか」
「はぁい、天龍公主と申しますぅ。ティエン、とお呼びくださぁい」
「では、ティエン。色々聞きたい事はあるのだが……」
そこまで話したところで、ユーティは周囲を見回した。こちらの様子を伺っているらしく、目が合って慌てて背ける人が目に付いてしまう。単純に目立つ彼女たちを目で追っているだけだとは思うが、それでも、込み入った話をできる状態とは考えられなかった。
「――落ち着いて話せる環境ではない、かな?」
「そうですねぇ。では、こうしましょう~」
その女性はそう言うと、おもむろに両手を複雑に動かし、最後に印を結んでからなにやら呟いた。
「"隔音屏障"♪」
その瞬間、その術の効果なのか、周辺が全くの無音になってしまう。
「"無音"? いや、私たちまで無音になったわけではないな」
風の精霊による"無音"の魔法の場合、一定範囲内の音が完全になくなってしまう。しかし、彼女が使った術は、中と外は遮断しているが、中では普通に音が伝わっているように聞こえた。
「音だけを遮断する結界を張りましたぁ。音以外は妨害していないので、外から見ると私たちの音が聞こえないだけに見えると思いますよぉ?」
「これは、東方の仙術、なのかな?」
「はぁい、その通りですぅ」
その回答を聞いたシャテルがティエンに質問する。
「では、おんしは仙人……いや、仙女なのかの?」
「うーん、ちょっと違いますねぇ。私はぁ――」
ティエンの話によると、彼女は元々、極東の絹の国に住んでいた、龍の化身と言う事だった。
彼女曰く「ちょっとばかりぃ、やらかしちゃいましたぁ」の、結果、天帝の裁きにより、馬にその姿を変えられてしまったそうだ。
そしてまず、馬からの解除条件は、今日再現できた通り、馬としての彼女に口づけをする人間が出てくる事。
「お仕置きにはまだ、続きがあるんですぅ」
それは、彼女を解放した人間が天寿を全うするまで、その人間に仕える事。そして、その人間の魂を携えて初めて、天界への帰参が叶うとの事だった。
「何をやらかせば、それほど強烈な罰が与えられるのでしょう?」
「うふふ、乙女の秘密ですぅ」
「は、はぁ……」
ため息交じりに感想を述べたアマリエに対して、満面の笑みで誤魔化していた。
「そんな訳でぇ、私の唇を奪ったユーティ様を旦那様として、お仕えさせて頂きますねぇ?」
「え、ちょっ……」
「ユーティ様が、く、唇を、奪った……?」
アマリエの声に、ユーティはぎぎぎと言った感じで彼女の方に振り向いた。少しうつむき加減で前髪が邪魔をしていて、彼女の表情は見えないが、少しぷるぷるしているようだ。その姿を見たユーティは、狼狽えた声を上げる。
「ま、待て、アマリエくん。それはシャテルが提案した解除条件で……ティエン、詳しく説明してくれ!」
助けを求めたユーティは慌ててティエンの方を向いたのだが、彼女は完全に余所見をしていた。彼女の目に料理を持った給仕娘の姿が入ったのだろう。あっと言う間に結界を解除し、大声を上げて手をぶんぶん振りながら給仕娘に主張し始めていた。腕を振る度に彼女の胸までぶるんぶるんと揺れているが、流石にそれに気を取られるような状態ではないユーティである。
「あ、料理はぁ、こちらですぅ! 早く早くぅ」
「はぁい、お待たせしましたぁ。羊肉の串焼きに、子羊のシチュー、メスクランサラダにバゲットでぇす♪」
結界は解かれているし、給仕娘が配膳中なので、流石に騒ぎを起こすことはない。その代わり、アマリエはユーティの耳元で小さく低い声で囁いたのだった。
「後で、詳しく、聞かせてくださいね?」
「あ、あぁ」
ユーティは、小さくカクカクと肯くばかりだった。まずい、これは凄くまずい。
◇ ◇ ◇
「それでは、ごゆっくりぃ♪」
給仕が一礼して去って行くと、ユーティは慌ててティエンに助け船を求めた。
「ティ、ティエン。馬からの解除条件を、アマリエくんにもう少し詳しく説明して欲しいのだが……」
「えー、解除条件ですかぁ?」
と言いつつもティエンは、じ――――――――っと指をくわえて、串焼きを見詰めている。
「…………」
話し始めるのかと思ったら、ひたすら見詰めている。
「ティエン?」
「あ、はい? 何の話でしたっけぇ?」
(だめだこれは、話を聞いてない……)
先に説明してもらう事を諦めたユーティは、恐る恐る提案する。
「と、とりあえず、先にいただく事にしようか。冷めると勿体ない。あ、アマリエくんも、そういう事で良いかな?」
ユーティの声に、アマリエは少し考えたが、ティエンの様子を見て少し苦笑を漏らす。それと共に、彼女が身に纏っていた緊張感がほぐれ、和やかな気配に移り変わった。
「そうですね。せっかくの特産料理、美味しく頂きましょう」
どうやらとりあえず許して貰えたようだ。ユーティは内心胸をなで下ろすと、手を一つ叩いて食事の開始を宣言する。
「それでは、いただきます」
「うむ、いただきま「はぁい、いただきまぁすぅ!」
ティエンはシャテルの言葉を食う勢いで言ったかと思うと、すかさず羊肉の串焼きを手に取った。それはもううっとりとした表情で、まるで宝飾品を見るような目つきで肉を眺めている。
「うふふふふふ……お肉……お肉……何十年振りなんだろう……ずっとニンジンや牧草ばっかり……」
そして、ワイルドに串に刺さった羊肉に直接かぶりつき、口で咥えたまま串から抜いてしまう。もっきゅもっきゅと咀嚼した後にごくりと飲み込んで、目をつぶって頬に手をやり、官能的な声を上げる。
「あああああぁん……太くて大きくて、肉汁が口から溢れそうですぅ……感動の涙がこぼれ落ちますぅ」
色気たっぷりの食べ方は、周囲の視線を独り占めしているようだ。それに伴い、周囲のテーブルから串焼きを注文する声が上がり始めているようにも見えた。
一方、ユーティ達はと言うと――
「特産料理と言うだけに、なかなかの物ですね」
「この辺りは羊肉料理で有名じゃからのう」
「すまないシャテル、そこの塩を取ってくれないか?」
「うむ、これじゃな?」
ひたすら目立ちながら自分の世界に籠もって食べ続けるティエンを隠れ蓑に、目立つこと無く食事を取る事ができていた。
「さっきのキスの件じゃがな、あれはうちの提案でな、かくがくしかじか、と言う訳じゃ」
「まあ、そういう訳があったんですか。ユーティ様もおっしゃって頂ければ」
(私が説明しても、納得してくれていたかなぁ……?)
なお、シャテルの助けでアマリエの誤解も解けたようであり、ユーティは密かに胸をなで下ろしていたのだった。




