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3.賢者はキスをするよう頼まれる

 ユーティとアマリエ、そしてシャテルを加えた一行は、国境の街から、次の街に向かって歩みを進めていた。


 シャテルが隠棲してから20余年。ユーティ自身も王都を離れていたとはいえ、それまで一度も訪ねてくる事がなかったシャテルが、突如来訪してきた理由。ユーティにはそれが全く想像つかなかった。


「それはそうと、シャテルは何故私を探していたんだい?」


「そう、それじゃ!」


 何気なくユーティがシャテルに質問したところ、彼女はブロンドのツインテールを激しく揺らしながら振り向いてきた。


「さっきも言うた通り、アニー・フェイなる者がうちの(いおり)を訪ねてきてな。聞けばユウが保護者で、しかも、まるで歳を食っとらんと言うではないか! それを聞いたら、またユウと旅をしたくて居ても立ってもいられなくなっての。追いかけて来たと言うわけじゃ」


「ユーティ様がお年を召さない事が、何か関係あったのですか?」


 アマリエの素朴な疑問に、シャテルは肩を落としながら説明する。


「うむ。実はの……以前、ユウに告白した事があったのじゃが、見事にフラれてしまったのじゃ」


「あら……まあ」


 断った主であるユーティを、なんとなく批判の目で見てしまうアマリエ。その視線に気づいたのか、ユーティはアマリエに対して言い訳を始めている。


「念のため言っておくが、ハイエルフである彼女は、成人するまでに人間のおよそ10倍の時間が掛かる。その頃の見た目は10歳程度だったんだ。友人として、パーティメンバーとして、長く家族のように接してきたが、さすがに恋人関係については、ね。断らざるを得なかった」


「恋人関係になるのであれば、見た目の歳の差がもっと小さくないと、と言いおったからな。人間であるユウが相手では、時間が経過するたびにその差が開いてしまう一方じゃ。その時は、人間と比べて緩やかに流れる時間を呪ったものじゃよ。それで傷心のうちに田舎の庵に籠もったわけじゃが……」


 そこまでしんみりした表情になっていたシャテルだが、そこまで喋ったところで一転して満面の笑みを浮かべる。見た目の年齢相応に、ころころ表情が変わる女性のようだ。


「ユウの歳が変わってないと言う事であれば、逆に時間の経過で見た目の差は近づくばかり。今度は逆に、時間が味方になったわけじゃな!」


「まだ人間換算で12歳くらいだよ? 流石にまだ、人としてどうかと思える年齢差じゃないかな」


 抱きつかれたときに、一瞬動揺した事は隠しておく。


「なんじゃと!? もう子供も産めるようになったのじゃぞ!?」


 シャテルの明け透けな表現に、ユーティはちょっと赤くなりながら苦笑した。


「シャテル、それはちょっと生々しいよ……」


「ま、今はまだ無理でも仕方ないわ。あと50年待っておれ、ユウの方から乞うてくるような美女になってやるのじゃ」


「あらあら、50年後の予約が入ったようで。良かったですね。ユーティ様?」


 和やかな表情を見せているアマリエを見て、ユーティは彼女が当初シャテルに対して抱いていた警戒心が薄れているように感じた。


(やれやれ……なんとか受け入れてくれたようだ。アマリエくんも普段は優しいんだが、女性が私に近づいてくると、何故か冷たくなる事が多かったからなぁ)


 人知れず冷や汗を拭いながら、ユーティは二人と共に隣の町、アヴェニオへの旅路を続けるのであった。



              ◇   ◇   ◇



 その後は何事も無く昼を迎え、一行は休憩がてらに昼食を取ることにしていた。


 街道から少しだけ外れた草地に踏み込み、敷物を敷いてそれぞれ腰を下ろす。流石に奇襲を警戒して、靴を脱ぐことは無いが、敷物の上に腰を下ろせるだけ、十分な休憩になる。

 春のぽかぽかした陽気が心地よい。川沿いのためか、時折涼しい風がアクセントのように吹き抜けていた。


 アマリエが腰に着けた大きめのポーチから、二人分の弁当――宿屋で作って貰った、パンにハムやチーズを挟んだもの――を取り出して、一包みをユーティに渡す。シャテルも同様の物を、自身のポーチから取り出していた。

 そして「いただきます」の声と共に、一行はもぎゅもぎゅと食べ始めたのだった。


 なお、ユーティの愛馬である天龍号には、既にニンジンを与えて木陰で休ませている。シャテルは天龍号を眺めながら、何気ない質問を口にした。


「そういえばその馬、うちのスレイプニルを見て、よく暴れなかったものじゃな」


 何しろ通常の3倍ほどの大きさの神馬だ。盗賊共の馬は、盗賊を振り落として逃げ去ったり、周りの盗賊を蹴り飛ばしたり、完全にパニック状態に陥っていた。それに引き替えユーティの馬は、スレイプニルが至近距離に近づいても、全く動ずることが無かったのだ。


「覚えてないかな? この馬の前で何回か見せたことあったじゃないか。だから慣れているんじゃないかな」


 ユーティの答えを聞いたシャテルは、目を大きく見開いて、驚きの余り一瞬、固まってしまう。


「なん……じゃと!? あの頃と同じ馬なのか? いったい何歳なのじゃ、普通の馬はそんなに長生きせんぞ!?」


「初めて出会った頃は既に大人の馬だったし、それから乗り換えていないから……30歳、以上、かな?」


「確かに、普通の馬でも30歳くらいまでは生きることがありますが……ユーティ様、この馬は4、5歳くらいにしか見えません」


 考え込んでいたシャテルだったが、アマリエの言葉を聞いて、ユーティに迫っていく。


「ユウよ、さては不老不死の妙薬でも作ったか?」


「いくら錬金術師を標榜(ひょうぼう)してたからと言って、それは無理な話だよ。私は何もしていないよ?」


 もっとも、自分がなぜ老けないのかは、ユーティ自身でも分かっていないのではあるが。


「う~~~~む。ちょっと待つのじゃ」


 また腕を組んで(うな)ったシャテルは、唐突に魔法の詠唱を開始した。


「"マナよ、魔力を視る目を我に与えよ"――魔力探知(ディテクトマジック)


 魔法が発動すると、その空色の瞳を中心に小さな魔法陣が現れ、そして消えていった。これは、魔法の痕跡を可視化するための魔法である。

 そしてシャテルは、天龍号に近づいてみたり遠ざかってみたり、様々な角度からしげしげと観察を行い始めた。


「魔法でも掛かってるかと思ったが、何も見えんのう……む?」


 ふと何かに気がついたようで、シャテルは天龍号の口から喉の奥の方を覗き見た。そして今度は、懐からメモ帳を取り出し、目をつむって、右手で天龍号の身体をさするように当てては、メモ帳になにやら描き込むと言う作業を繰り返しはじめた。

 天龍号の頭からお尻まで、まんべんなくなで回した後、シャテルはパタンとメモ帳を閉じると、誰に言うでも無く独りごちた。


「よし、とりあえず、こんなところかの」


「何か見つけたのかな?」


 ユーティの声に、シャテルは初めて彼が覗き込んでいた事に気がついたかのように、彼に顔を向ける。


「む? なに、まだ書き写しただけじゃ。これから精査するから、少し待っとくれ」


 と言ったかと思うと、シャテルはさっさと天龍号によじ登り「早く出発するのじゃ~」と、催促しはじめる。


「シャテル様、どうしたんでしょう?」


「天龍号に何か見つけたようだが、うーん、彼女の結論を待つしかないね」


 ユーティはアマリエと顔を見合わせたが、ともあれ休憩を終えて次の街への旅路を再開する事にしたのだった。



              ◇   ◇   ◇



 道中、シャテルは、メモ帳を眺めながらぶつぶつ小声で言ってみたり考え込んでみたり、ひたすらそれらの行動を繰り返していた。


「ユーティ様、かなり難産のようですね」


「ああ、ただ、彼女の集中はそう簡単には破れないよ。こうなったら、どんな難問も時間の問題だね」


 事実、彼女の集中はその後3時間にも及んだのだった。

 すでにアヴェニオの城門にたどり着いてしまい、これから衛兵の簡単な聴取を行わなければならないのに、この有様ではどうしようかとユーティが考え始めた所で、彼女はメモ帳をパタンと閉じた。


「うむ、間違いないな」


「シャテル、結論は出たのかな?」


「うむ。路上で話すのもなんじゃし、まずは街の中に入ってしまうのじゃ。さあ、早ぅ早ぅ」


 シャテルは鞍に横座りになった脚をぶんぶん振って前に進む事を催促する。子供っぽい仕草ではあるが、見た目だけ考えると、年相応とも言える行動に見えた。


(これで100歳越えているんだからなぁ……)


 城門では、特に商売の荷物を持っていると言うわけでもないため、規定の通行料を払うだけで問題無く中に入る事ができた。美女と美少女を連れた黒ずくめの青年と言った奇妙な取り合わせに、中年の衛兵は一行を奇異の目では見ていたものの、余計なことを聞かない自制心はあったようで、それに関して特に何か口にする事はなかった。


 一行は市中に入り、宿屋を探す。最高級には届かないが、女性が泊まっても、まあ問題は無さそうなレベルの宿を見つけ、そこに足を踏み入れていった。


「アマリエくん、チェックインを頼む。私は天龍号を(うまや)に入れておくことにするよ」


「はい、かしこまりました」


 アマリエは独り離れてフロントの方へ向かっていった。

 ユーティは、天龍号を()いて宿泊客用の馬房に連れて行く。シャテルもその後ろをぴょこぴょこ付いて行ったのだった。



              ◇   ◇   ◇



「それで、天龍号に何か見つかったのかな?」


「何らかの強力な魔法の類が掛かっておるわ。しかも、ご丁寧に検知で外から分からぬよう、肌の僅かに内側までだけ効果を及ぼすようになっとる。外から見えるのは口とかだけじゃの」


 自らの愛馬に、何らかの魔法が掛かっていると言う事を聞いて、ユーティは驚きの表情を見せた。


「そんな事になっていたのか……それにしても、解読には酷く難航したようだね」


「我々が使う術式魔法では無かったからの。文字の意味から考える所から始めねばならんかったのじゃ。おそらく、東方の仙術の類いじゃと思う」


 と言いながら、メモ帳を開いてユーティにその内容を見せる。

 それはユーティが詳しい術式魔法ではないが、式を構成する文字は東方の漢字が中心であり、言葉の意味だけはユーティにとってもなんとか読み取る事ができた。


「なるほど、勅命なにやらとか書いてあるね。確かに絹の国(セリカ)の仙術のようだ」


「なんじゃ、ユウはこの文字を読めるのか? であれば、ユウに解読を頼めば良かったのう。――ともあれ、恐らく何らかの条件下で解除できる魔法じゃが、恐ろしく強力そうでな。正しい手順を踏まねば"魔法解除(ディスペル)"などで外せる気がまったくせん」


 シャテルは肩をすくめて二、三度首を振ってから、言葉を続けた。天龍号はその仕草を小首を傾げながら眺めている。


「ただ、唯一、術式が露出している口に対して何か行う事が解除条件のようじゃ……と思う」


「口……に、か。なるほど」


「そこで、じゃ。ユウよ、こやつにキスをしたことはあるかの?」


「キスだって!?」


 唐突な質問に、ユーティは一瞬、驚きの表情を見せた。そして、質問に回答すべく頭の中で記憶を巡らせる。


「ふーむ、せいぜい頬を寄せるくらいしかしていないかな。もしかすると、この子の首筋などに口をつけた事があったかもしれないが……」


「いや、口と口でじゃ」


「流石にそれはないな」


 首を振って否定する。


「では今、やってみてくれんか?」


「え、キスを? 本気かい?」


 流石に眉をひそめてシャテルの顔を見たが、ユーティには彼女がどうも本気で言っているように見えた。


「本気も本気、大本気じゃ」


「う~~~~~~ん」


 ユーティは腕を組んでしばらく考え込んだ末、最終的に肩をすくめて同意したのだった。


「仕方ない。一応、やってみようか」

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