14.賢者はメイドから希望を伝えられる&15.賢者はメイドの希望を保留にする
出立に備えて、宿屋の一室で早めに就寝した一行。全員が寝静まった深夜、ティエンはふと目が覚めてしまった。
(お手洗い……馬の頃なら、その辺でできたんですけどねぇ)
ふわふわと寝間着のまま空を浮かび、廊下に出てお手洗いに移動し、用を足す。
(眠い……早くベッドに戻りましょ)
ティエンは半寝ぼけのまま、ふわふわと幽霊のように廊下を移動して客室に戻り、ベッド上段の布団に潜り込んだのだった。
(暖か~い……おやすみなさいぃ)
◇ ◇ ◇
明けて翌日。
メイドであるアマリエの朝は早い。いつも夜明け時には目覚めて身支度を済ませ、朝食の準備に入るのが日課であった。
その習慣から、旅の途中でも一番に目が覚めてしまっていた。宿屋なので朝食の準備を行う必要はないが、もう一度寝直すのは性に合わない。
他の人々を起こさぬようにそっとベッドから抜け出したアマリエは、普段の装備である革鎧と、その上に着込むメイド服に着替え、桶を下げて静かに部屋の外に出て行った。
井戸で顔を洗い、ついでに身体を軽くほぐした後に、アマリエは綺麗な水を桶に汲んで部屋に戻ってくる。そしてついに、二段ベッドの上で寝ているユーティの様子を見に行ったのであった。
ハシゴを鳴らさないように静かに上っていくアマリエ。
「――――ッ!?」
そこで彼女が見た物は、ティエンと同衾しているユーティの姿だった。
ゆったりとした寝間着がはだけられており、たわわに実った胸の谷間がはっきりと見えている。
そしてユーティの頭がその間に抱え込まれるようにして抱かれていた。
アマリエの心臓が一瞬大きく打ち、反射的に腰の短剣に右手を走らせる。そして強烈な怒りと共に、瞬間的に殺気を迸らせてしまっていた。
それに当てられたのか、宿屋の外に止まっていた鳩や鴉たちが一斉に飛び立っていく。
「くっ!!」
その音で一瞬のうちに正気に戻ったアマリエは、そのままハシゴを駆け下りて廊下の外に飛び出していった。立て付けの余りよくない木造の床であっても、殆ど軋ませること無くハシゴから飛び降り、駆けていく。しかし、部屋から飛び出して扉を閉めた時に、初めてバタンという大きな音を立てていたのだった。
「敵襲!?」「なんじゃ!?」
殺気に気付き、飛び起きるユーティとシャテル。
「うわわわわわっ!?」
「うう~~ん……」
ユーティは何か柔らかい物に手を掛けながら起き上がったが、右手の先を見るとそれがティエンの胸である事に気付き、慌てて手を引っ込め、シーツを上から掛けておく。
「アマリエくん?」
周囲を見渡し、室内にいる人間を確認する。ティエンはここ、そしてシャテルは、眼下の床の上に立っている。
「今、飛び出していったのがそうではないのかの?」
「一体何事なんだろう?」
「ふむ、ユウのベッドを覗き込んでいたようじゃが」
と、ユーティが座っているベッドの上段を覗き見ようとするシャテル。ユーティはベッドの上のティエンの姿を見て、アマリエが見た物に気がついてしまった。
「これか……」
そして頭を一つ掻くと、ひらりとベッドの上段から飛び降りた。意外にも身のこなしは軽く、それほど大きな音を立てること無く着地する。
「済まない、探しに行ってくる」
「まずは着替え、じゃな」
ベッドの下段に腰掛けて靴を履こうとしている寝間着姿のユーティ。外出着をハンガーから降ろしたシャテルは、それを彼に向かって放り投げたのだった。
◇ ◇ ◇
大都市であるフライブルクであれば、走り去った人を当てもなく見つけるのは不可能に近いだろう。ただ、それほど大きくも無いこのアヴェニオの街では、それはそれほど難しいものではなかった。
ユーティがまずは大通りで行けそうな所を探していると、先日の試験でも使った中央広場に辿り着いた。もう試験用の設備は総て取り払われ、そこに古代白竜が出現していたと言う名残は残っていない。そして、まだ朝早い広場に、人の姿は無いように見えた。
ただ、広場を囲うように幾つか置かれていたベンチに、頭を抱えるように俯いて座っているアマリエの姿がある事にユーティは気がつく。
「アマリエくん、隣りに座っていいだろうか?」
声を掛けたが、返事は無い。ただ、断りの言葉も無かったので、ユーティは彼女の隣りにそっと腰を下ろしたのだった。
「申し訳ありません、ユーティ様」
「――何がだね?」
か細い声で謝っているアマリエに、ユーティは敢えて気がつかないように答えた。
「動揺してしまいました」
「アマリエくんはもう暗殺者じゃない。常に冷静であらねばならない理由は無いよ」
そして小さい声で付け足す。
「――あと、誤解だからね?」
「分かっております。ユーティ様はあのような状況で手を出せる方ではありません」
そっと立ち上がったアマリエは、静かにユーティの背中側に回り込んだ。ユーティの後頭部に自分の胸を押し当て、ユーティを掻き抱くように両手を彼の胸に回す。
「あ、アマリエくん!?」
メイド服の下にソフトレザーを着込んでいるため、その膨らみを直接感じられるわけでは無い。ただ、ぎゅっと押しつけられているため、その中に十分な重量物が詰まっている事はよく感じられた。
「もし、そのような御用事がお有りでしたら、私をお使いいただけませんか?」
「だ、大丈夫だ!」
顔を赤くしながら立ち上がり、アマリエの方へ振り向いたユーティ。
「血に汚れた私では……お役に立てませんか」
ユーティは、アマリエの表情が悲しみに満ちている事に気付いたのだった。
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15.賢者はメイドの希望を保留にする
以前はペガサスとしていましたが、シャテルの召喚物を北欧神話縛りとするためにスキンファクシに差し替えました。
エースコンバットで出た「シンファクシ」の方がそれっぽいんですが、やっぱり発音を聞くとスキンファクシなんですよね。
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早朝の噴水広場。アマリエはユーティに対し、欲を満たしたいのであれば自分を使って欲しいと提案する。しかしユーティはそれを言下に拒否していた。
ユーティがアマリエの顔を見ると、それが悲しみに満ちている事に気付く。
「血に汚れた私では……お役に立てませんか」
「確かにアマリエ君のかつての職業は暗殺者だった。しかし、それは強いられてのこと。君に責任はない」
ユーティは首を振って言葉を続ける。
「人を殺した数で言えば、私はアマリエ君とは比べものにならないよ。一人殺せば犯罪者、百万人殺せば英雄とは、よく言ったものだがね」
「ユーティ様……」
アマリエの知識では、ユーティは二十五年前の戦争で、冒険者でありながら革新的な様々な作戦を提案し、王国の防衛に多大に貢献していた。確かに、彼が混沌の軍勢に与えた損害は、数百や数千では利かないだろう。
ただそれは、民を護るための戦いであって、自分のように、邪悪な教団の手先となってその敵を暗殺していたのとは訳が違う。
その"違い"を痛感し、気持ちが引けているアマリエの姿を見て、ユーティはなるべく優しい声に聞こえるように語りかけた。
「私は、君の気持ちは分かっている……と、思う。勝手な想像かも知れないが」
ユーティの声を聞いて、アマリエは微かに顔を上げた。その顔を見つめながら、ユーティは言葉を続ける。
「その気持ちは嬉しいし、私も、ぜひ応えたいと思っている」
「では……?」
アマリエは手を口にやり、目を見開く。
「この旅が終わったときに、総てのけりをつけたい。返事は、それまで待ってくれないか?」
「は、はい……はい! 分かりました」
目を潤ませながら肯くアマリエの肩を、ユーティは軽く叩いた。
「さ、皆が待っている。宿に戻ろうか」
「はい!」
そして踵を返して二、三歩歩いた所で、ユーティは背後からの声に足を止めた。
「一つだけ、お伝えしたい事があります」
「何かな?」
そして、静かに笑みを浮かべているアマリエの言葉を待つ。
「私達のうち、誰かを選ぶための保留なのでしたら、心配は無用です」
「つまり?」
アマリエの言いたいことが理解できず、首を傾げるユーティ。
彼に向かって、アマリエは満面の笑みを浮かべながら、自身の意志を伝えていた。
「私は、二人目でも三人目でも、別に気にしませんよ?」
それに対してユーティは、赤面しながら「いやいやいや……」と誤魔化すしか無かったのだった。
◇ ◇ ◇
その後、一行は街を出て目的地であるヴェルコール山地を目指していた。
アマリエの告白の後でも互いの関係は余り変わっていなかった。ただ、アマリエとシャテルが互いに牽制しているうちに、ティエンが美味しいところを持っていく、といった展開が頻発するようになっていた。
例えば、急流を渡らなければならなかった時の事。
「ユーティ様、川です」
「上流も下流も、しばらく橋は無さそうじゃの」
「じゃあ、どうにかして渡るしかないですねぇ」
「ふむ……」
と、考え込むユーティ。川幅は10m程で、人の脚で跳べる距離ではない。
「ユーティ様、私にお任せ下さい」
アマリエは、木に二本のロープを結びつけたかと思うと、ロープの束を抱えて川に向かって駆け始めた。
「はッ!」
軽く声を掛けて跳躍するが、やはり距離が足らず、川に墜ちていく。
「はああああっ!!!」
更に力の入った気合いの声と共に右足を蹴り出すと、何も無い空中で見えない足場があったかのように跳躍し、美しく一回転しながら向こう岸に降り立っていた。
「ほう、二段ジャンプか。面妖な術を使うのぉ」
「恐れ入ります。さあ、これでユーティ様もお渡り頂けます」
アマリエは抱えていた二本のロープを同様に木にくくりつけると、ユーティに向かって優雅に礼を示した。
渡したのが一本のロープであれば、それは曲芸並に難しい行為であっただろうが、足下と胸の辺りに二本渡されているため、これなら素人でも渡る事ができそうに見える。
「アマリエよ、ユウにそんな無様な格好で渡らせるつもりか。うちならば、こうじゃ!」
ロープに歩み寄ろうとしたユーティを止めたシャテルは、身振りと共に高らかに詠唱を開始した。
「"汝、輝く鬣を持つ者。ダグが馬車を牽き空を渡る者。父祖と汝が契約により、ここに現れ我が命に従うべし"――いでよ、スキンファクシ!」
言葉に応じて、シャテルの目の前の空間が輝きに満たされる。そしてそれが消えたときには、太陽のように輝くたてがみを持った馬の姿が現れていた。
「これは……噂に名高い、五英雄シャテル様の天翔る神馬ですね」
「うむ、まさしくその通りじゃ! ユウを渡らせるのにこれ以上の物はあるまい?」
「でも、なんだかご機嫌斜めなようですねぇ?」
「なんじゃとぉ!?」
ティエンの指摘にシャテルがスキンファクシを見ると、それは四つ足を踏ん張り、いかにも不機嫌そうに顔を背けていた。
「あああああ、いかん、機嫌を損ねたままじゃったわ! こりゃ、首を下ろさんか!」
慌てて宥めに入ったシャテルだったが、スキンファクシは頑としてシャテルを乗せようとしない。
ユーティはわちゃわちゃしているシャテルを苦笑しながら眺めていたのだが。
「あらあらぁ、これは時間が掛かりそうですねぇ。では、こうしましょう~!」
「え?」
真後ろでティエンの声がしたかと思うと、突然、ユーティは自分が持ち上げられるのを感じた。
「なっ!?」
「それじゃ、お運びしますねぇ~。暴れると落ちてしまいますよぉ?」
ティエンはユーティを軽々とお姫様抱っこし、浮遊した状態で急流を渡り始めていたのだ。
「ユーティ様!?」
「なっ、ズルいぞ!」
呆然と見送るアマリエとシャテルの前で、ふわふわと川を渡り、ユーティを地面に降ろすティエン。
「はぁい、到ちゃ~く! 良い子にしてましたねぇ」
ユーティは何と答えれば良いか困惑しつつも、まずはティエンに礼を言うしかなかった。
「と、ともあれ、渡る事はできた。ティエン、ありがとう」
「いえいえぇ、お安い御用ですよぉ」
そしてアマリエとシャテルは敗北に落胆しつつ、一刻も早く旅を再開できるように準備を急いだのだった。
「してやられました。ティエン様は、シャテル様より強敵かも知れません」
「ええい、スキンファクシよ! とりあえずうちだけでも運ばぬか! 置いてきぼりになってしまうぞ!」




