第090話 魔が差しちゃった
被り物に表情なんて勿論ないんだけど……心なしかバフォメットさんは酷く疲れ切っているように見えた。若干猫背気味になっているからかもしれない。最初にこの悪魔を目撃した時は、ここまで背中を丸めてなかった。
それと、前々から気にはなっていたけど、毎日同じ服着てるんだよね。俺も服には無頓着だからよくわかるんだけど、同じ服を着続けていると萎びる速度が尋常じゃない。だから、余計にくたびれて見えるのかも。
あとはオーラとか? いや、オーラ見える系の人じゃないんだけど、醸し出す雰囲気がどうにもお疲れモードというか、弱っているように見えなくもない。
……と、色々理由を模索してはみたけれど。
実のところ、もっと有力な説がある。というかその理由が大本命。この推測が当たっていれば、バフォメットさんが疲れているのは当然だ。精神的に参ってる筈だから。
でも、もしそれが真相だったら……俺はどんな感情を抱くんだろう。自分でも制御出来ないくらい暴発してしまうかもしれない。それが怖いから、つい違う理由を探してしまっている。
その後も熟考を続けてみたけど――――残念ながら、本命の理由は変わらなかった。
ヒントは、さっき記録子さんから聞いた三人娘の惨状の中にあった。ミッチャの聖星石の話だ。
この世界の武具やアイテムには、マギが宿っている。そのマギに乱れが生じると呪われた状態になり、まるでバグが生じるかのように異常な誤作動を起こす……って解釈で良いんじゃないかと思う。話を聞く限りでは。
だとしたら、この見た目から既に呪いのアイテムっぽい山羊の悪魔の被り物が、何らかの理由で内在するマギが乱れ、本当に呪われてしまっている可能性は十分ある。
その結果――――
「間違ってたらごめん。その被り物、もしかして呪われてて外せなかったりする?」
生前に好んでプレイしていたゲームの呪いの装備がそうだった。うっかり装備すると、呪われて外せなくなる。そして解呪するまでは色んな行動が制限されてしまう。
もし、同じ事がバフォメットさんに起こっているとしたら、答えは自ずと出て来る。どうしてこの人が、ギルドに加入したのか。そして今もこうして不意に俺の前に現れるのか。
「……! ……!」
物凄い勢いでバフォメットさんは首を縦に振っている。
ああ……間違いない。この挙動というか動きのキレというか、常に切羽詰まって生きてる感じがひどく懐かしい。
疲れ切っているこのバフォメットさんの正体は――――
「コレット、なんだな?」
今度は暫く動きが止まり、やがて何かを観念したように、若しくは万感の思いを噛みしめるかのように、首をカクンと折って一つ首肯。どうやら間違いないらしい。喋れないのは呪いによる制約なんだろう。
「はぁ……」
思わず漏れた溜息と同時に、いろんな感情が混ざり合って雪崩のように流れてきた。
その中には呆れや怒りもあった。苛立ちもあったかもしれない。
けれど、一度も先頭を譲らず駆け抜けてきたのは――――
「……無事で良かった。本当に良かった」
圧倒的安堵。
最終的には、他のどの感情も霞むくらい大差を付けての圧勝だった。
そして俺は、コレットが無事だった事だけじゃなく、自分自身に安堵していた。安堵した自分に安堵するという、よくわからない感情。でも事実だ。
長らく孤独だったとはいえ、学生時代に友達はいた。でも大半は学校内だけの付き合いだったし、お互いの欠点や弱点を見せるほど深い関係性でもなかった。だから、友達がやらかした時に自分がどんな感情を抱くのか、自分でも予想が付かなかった。もしかしたら俺は異常なくらい心が狭くて、しでかした友達から振り回された事に辟易して、もう友達なんて要らないと思ってしまうんじゃないか……なんて不安が脳裏を過ぎったりもした。
けど杞憂だった。徒労に終わったここ数日の行動も、心配して胃の調子が悪くなっていた事も、今はもうどうでも良いと思える。心の底からホッとした。
「……」
そんな俺とは対照的に、バフォメットさん改めコレット(呪)は被り物していてもわかるくらい、申し訳なさそうにショボンとしている。自分のやらかしを十分承知している証だ。
「ギルドに加入したのは、俺に助けを求める為だよな? 実際、面接以外の機会にその姿で近付いて来られても怖くて逃げてただろうし、その判断は間違ってない。でも、だったらどうして何も伝えて来なかったんだ? 喋れないのなら筆談でも何でも知らせる方法はあっただろ」
「……」
今度は凄い勢いで首を横に振っている。これ以外に思惑を伝える手段がないと言わんばかりに。
一旦待つように言って、ギルドの受付で紙とペンを取ってきて、書かせてみる。
すると――――
「マジか……」
『私はコレットです』と書こうとすると、コレットの文字だけ一切書けなかった。恐ろしい事に、ペンの筆圧で生じる筈の文字の跡すらない。インクが消えた訳じゃなく、文字を書いた事実そのものが消失している感じだ。
これが、この世界の呪いか……魔法とかスキルみたいな超常的な力が存在するだけあって、呪いも本格的らしい。興奮してきたな。
「自分の正体を他人に打ち明ける事が出来ない呪い……か?」
普通に考えたらそれが妥当だ。でも、どうもそれだけじゃない気がする。
ミッチャの聖星石が呪われた際の誤作動は、本来出現する筈の召喚獣とは違う化け物が召喚された。つまり、召喚というアイテム本来の用途は保たれたまま、禍々しい誤作動を起こした訳だ。
同じ事がこのバフォメットマスクに起こっているとしたら……『悪魔のように見せかける』というマスク本来の用途を奇妙な形で実現している、と解釈出来る。
それはつまり――――人間性の消失。
あくまで仮説だけど、今のコレットは自分の名前どころか自分が人間だって事さえ伝えられない状態かもしれない。
「コレット。自分が人間だって証明出来る?」
「……?」
コレットはピンと来ていないらしく、山羊の悪魔の外見でキョトンと首を傾げていた。
何かカワイイ。スゴクだ 何か違うな。仕草がすごくいい。何かカワイイな。
さっきから同じ事しか言わないと思わないでくれ…今日のコレットの表情は…好奇心いっぱいの少女が異形の者になってしまったけど心はそのままで故郷の村に帰って母親に抱きしめられているみたいにとてもカワイイ。
……そんな事思ってる場合じゃないな。
「あー、やっぱいい。今の質問は忘れて」
取り敢えず、調整スキルで呪いを解除出来ないか試してみよう。
バフォメットマスクか装備品かどうかは微妙なライン。生前の世界では動物の被り物って言ったらパーティグッズだったしな……
「製造直後の状態に戻れ」
何時呪われたのかは不明だけど、これで恐らく大丈夫な筈。流石に完成間もない時期に呪われたって事はないだろう。
後は、スキルが利くかどうか。
恐る恐るバフォメットマスクを両手で掴んで、脱げるかどうかの確認を……確認を……確……認……かっ、くっ、にんっ、をおおおおおおおっ……!
「痛い痛い痛い痛い! 首がもげる! もげるってば!」
「仕方ないだろ、全っ然脱げないんだから……って、喋れるようになってんじゃん!」
「あ」
どうやら調整スキルは成功していたらしい。久々に聞いたコレットの声は、マスク越しだったから別人のように声がこもっていた。
「ホントだ! 喋れる! 喋れるよお! 何で!? トモが呪い解いてくれたの!?」
「……ま、一応。例のスキルで」
「ううっ……ぐずっ……あ、ありがど……、トモ、あ、ありがどうね……っ! うわああああああああああんっ…………!」
まるで超巨大生物に飲み込まれ死にかけてたのを救出されたかのように、コレットは泣きじゃくっていた。にしても山羊の悪魔が号泣する姿はシュールだ。涙とか全然流れてないのに完璧涙声だし。
「でも妙だな。呪いは解けた筈なんだけど、肝心のマスクが全然脱げないってどういう事?」
「サイズが合ってなかったのかも……被る時もキツキツだったから」
「……一応聞くけど、なんでそんなの被ったん?」
余りにも謎過ぎる根本的な問題点にいよいよメスを入れる時が来た。幾ら呪われたマスクといっても、自ら人間に飛びついて顔を覆うって事はないだろう。コレットが自分で被ったのは明白だ。
「えっと……笑わない?」
「ああ、大丈夫。大爆笑だけはなんとか阻止するから」
「笑うの前提じゃん! なんでそんな意地悪言うの!?」
いや、こんなの笑い要素なしの理由を見つける方が難しいだろ……
「冗談だよ。極力笑わないようにするから」
「……笑ったら絶交だからね」
子供か。でも絶交って何気に重い言葉だよな。子供の頃は全然気にも留めないで使ってたけど。
ま、なんとなく予想は付いてるんだけどな。フレンデリア嬢の『コレットが怪しげな悪魔の装備を身に付けていた』って証言から察するに、どうせ興味本位で暗黒系の装備品を試しに身に付けてみたんだろ。ベリアルザ武器商会の二人に感化されたとかで。んで、最後にネタ装備のバフォメットマスクを付けたら脱げなくなった、と。
好きな漫画の主人公の服装を真似る、みたいな中二病的ノリ。誰だって思春期に一度は通る道だよね。だから決して俺は笑わないよ。昔似たような事をした経験があるからって訳じゃないんだからね! 額当てを自作しようとした過去とか全然ないんだから――――
「トモが……その、ギルド作ったって聞いたから、正体バレないように顔隠して……こっそり入会してみようかなって」
……は?
「後で正体バラして、『実はコレットちゃんでした!』って驚かそうって思って……」
え? こいつ今なんつった?
「……魔が差しちゃった」
「可愛く言ってもダメに決まってるだろ!! 何やらかしてくれてんの!? 自分の立場わかってんの!?」
「だ、だって! 選挙のプレッシャーで押し潰されそうだったし、マルガリータにも『思い詰め過ぎてるから気分転換しなさい』って言われてたから……!」
プレッシャーの件は同情するけど、その気分転換の方法!
要するに、『ギルマス候補がネタ装備で身分隠して新米ギルドのギルド員になってみた』って事だろ……? アホの子が過ぎる。
「そもそもトモが悪いんじゃん! 私にギルドマスターの要領とか心得を指南をする為にギルド作ったって話だったのに、全然教えに来ないし!」
「いや、それは勝手に現職のドMギルマスが言っただけで、俺は――――」
「しかもイリスさんにデレデレし過ぎ! あんな綺麗な人を手伝わせて……」
確かに『デレデレ』も『綺麗な人』も『手伝わせて』も全部間違ってないから反論はできないけど……何これ嫉妬? 俺嫉妬されてる? もしそうなら人生初の大快挙なんだけど。
「トモ、裏で男のギルド員から何て言われてるか知ってる? あのギルドマスターは立場を利用してイリスさんを束縛してるクズとか、家族を人質にとってデートに誘ってる外道に違いないとか、陰口叩かれまくってるよ?」
嫉妬してるのはコレットじゃなくてオヤジ共だった!
フ……男のジェラシーは見苦しいぜ。
なんつってる場合じゃない。新米ギルドのギルマスが嫌われ者じゃ空中分解待ったなしだ。何か手を打たないと。
「その件はあとで詳しく聞くとして……あんま選挙に協力出来てなかったのは悪かったって思ってるよ。借金抱えた身でどう力になればいいのか、距離感を図りかねてるとこもあってさ」
「……私も言い過ぎたかも。ゴメン」
相変わらず素直な奴。山羊の悪魔がショボンとしている姿はそれはそれで可愛くもあり反応に困る。
「何にしても、まずはそのマスクを外さないとな。力ずくでは無理ってんなら、ティシエラに頼んで魔法でどうにかして貰うしかないか」
「うう、恥ずかしいよう……」
コレット(呪)は身を捩りながら悶えている。でも背に腹は代えられないらしく、やがて観念した。
ティシエラにはコレットが無事だった事を伝えないといけないし、こっちとしては都合が良い。ギルマスのお仕事を一通り終えたら、一緒にソーサラーギルドに向かおう。それで全て解決だ。めでたしめでたし。
――――なんて甘い事を考えていた翌日の事。
「これより、臨時の五大ギルド会議を開催します。尚、今回は特別に、新設されたばかりのアインシュレイル城下町ギルドのギルドマスターに来て貰いました。拍手で迎えてあげて下さい」
……何故か、そんな事態になってしまっていた。