第543話 私よ。幼なじみくらい深い付き合いのコレットよ!
……なんだこれは。
さっきまであった訓練用の的やロッジのような見た目の更衣室、そして訓練場特有の荒涼とした大地が全て……消え失せちまった。パステリアの姿も見えない。
その代わりに出現したのは――――
砂浜と海。
……海?
いやいやいやいや! なんで急に海岸にいるんだよ俺! 意味わかんねーって!
まあそれはそれとして、この世界に来て海を見るのは初めてだな。海水の色は元いた世界と何も変わらない。水平線があって太陽に似た恒星が空に漂っているのも同じ。時折聞こえてくる波の音が耳に心地良い……けど今は浸れるような心境にない。
「ちょっと! ねぇこれ何なの!? 訳わからないんだけど!」
進行役のアメリーが困惑しているあたり、予定にはない出来事なんだろうな。他のソーサラーの面々も落ち着かない様子で周りをキョロキョロ見渡しているし。
「おい。この現象はなんだ? 何か聞いてるか?」
「いや……少なくとも我々は把握していないな」
ゴーギィとシェマルドも怪訝そうに状況の把握に努めている。彼らの仕業って訳でもなさそうだ。
となると――――
「考えられるのは五つ」
……我ながら多いな。でもこういう『一瞬で周囲の様相が一変』パターンはこれまで何度も経験してるからね。仕方ないね。
「その①。人間による魔法やスキルを用いた空間転移。かなり大規模だけど、この街の住民ならできる可能性はある。その②。精霊による空間転移。精霊の力なら問題なくやれる。その③、亜空間への転移。現実と似て非なる作り物の空間に飛ばされた可能性だな。その④、時間跳躍。これはまあないとは思うけど一応」
「何故そんなスラスラ出てくる?」
「この半年間で全部経験済みだからだよ」
「……そうか。苦労人だな」
シェマルドに若干引かれてしまった。どちらかというと彼の方がよっぽど苦労人顔なんだけど。中間管理職っぽいし。
「で、最後の⑤が本命なんだけど……【アソート】って魔法による精神世界への転移」
「アソート?」
「特定の対象を自分の精神世界に引きずり込む魔法、って本人が言ってたな。使い手はパステリアだ」
この状態は彼女が自分の作った魔法アイテムを紹介しようとした瞬間に生まれている。当然、パステリアが犯人の大本命だ。
そして俺は事前に世界中でパステリアだけしか使えないっていう魔法、アソートをこの身で体験した。今までコレーの亜空間転移や鉱山のトラップ、過去世界への転移など色んなタイプの強制転移を経験してきたけど、そのどれとも違う。三半規管やその他の感覚が刺激されることが一切ない。周囲の景色が変わっていくのも、テレビやスマホの画面が切り替わるのを眺めている感覚に近い。今起こった変化もそれと同じだった。
「だとしたら魔法アイテムの暴走か? ゴーギィ、お前はどう見る?」
「判断がつかんな。失敗は大して珍しくないが……この規模の暴走は記憶にねぇ。ある意味貴重な経験だが」
二人とも困惑はしているけど狼狽える様子はない。こいつらも相当場数を踏んでいそうだ。
ただ、魔法アイテムの暴走とは――――
「トモ!」
「ん……ぅわあああああああああああああああああああああ!!!!」
なんだなんだ!? なんかクソデカ蝿がめっちゃこっち来てるって! 来なくていいって!! こいつモンスターだろ! あんなデッカイ蝿いないって!
「あ、驚かせてゴメンね……私よ。幼なじみくらい深い付き合いのコレットよ!」
あっコレットだ。今俺の目は捉えました、身体を。
コレットでした。
そういや蝿のマスク被ってたんだった。山羊なら一発でピンと来るんだけど蝿だとダメだな。どうしても生理的嫌悪が先にきて思考が乱される。
「つーか脱げよそのマスク。怖いって」
「……なんかさ、引っ張っても脱げないんだよね。もしかして呪いの装備だったのかな」
またかよ。マスクに愛されすぎでしょコレットさんよー。
「コレット先輩、これってアレですよね。さっき紹介しようとした魔法アイテムの暴走ですよね。ソーサラーギルドに慰謝料請求しても文句出ませんよね? あとこれって労災下りますかね?」
そういやアヤメルもいたんだったな。つーかこんな状況下で最初に言うことかそれが。金の話しかしてないぞ。
「トモ先輩、ソーサラーの方々と話をしてきて下さいよ」
「なんで俺に頼むんだよ。自分で行けよ」
「そうしたいのは山々ですけど、ソーサラーって基本アヤメルキャンセル界隈なので建設的な会話にならないんですよ」
「あいつらトモキャンセル界隈でもあるぞ」
「トモは大丈夫だよ。だってティシエラさんと超仲いいじゃん。ねー?」
……ここでイリスの名前を出さない所にまだ闇を感じる。色々反論したいけど、この状態のコレットと言い争うのは分が悪いか。何しろ顔が怖い。クソデカ蝿にドアップで迫られるのってこんなに怖いのか……
「わかったよ。おーい、そっちの二人も何が起こってもいいよう警戒だけはしておいてくれな」
そうシェマルドたちにも伝えつつ、一番まともに話せそうなソーサラーに目星を付ける。
勿論、本当ならパステリア本人を問い詰めるのが一番だけどさっきから一向に姿を見せない。仮にこの海岸がパステリアの精神世界だとしても、彼女の姿はここにある筈だ。前にアソートを使われた時にも奴の姿は精神世界内にあったし。
この時点で嫌な予感はしている。単なる魔法アイテムの暴走って感じじゃない。意図的にこの状況を作り上げてる感アリアリだ。
だとしたら、話を聞くべきは――――身内か。
「エチュア。お姉さんから何か聞いてなかったか?」
「えっ誰? 何? 何処? いつ? 夢? わかんない。待って待って。わかんないもう全部わかんないわかんないわかんないわかんない」
……酷い狼狽えようだな。やっぱり精神的な脆さが課題だよなこいつは。
パステリアの実妹の彼女がダメとなると、次の候補は……
「どうやらパステリアのアソートですね。失敗作の暴走でしょうか」
お、シーマは冷静だな。これなら普通に話ができそうだ。
「さてはやらかしましたね? これは大きい。彼女は私とキャラが被ってますからね。そんなパステリアの失脚は私にとって非常に大きい! やった! ハハハあいつやっちゃったな! これで私の勝ちだ! やったーーーーーっ!!!」
……あいつのキャラどうなってんだよ。ブレブレじゃねーか。それくらい取り乱してるのか?
若しくはティシエラ像のプレッシャーが酷すぎてストレス溜まってんのかな。そもそもお前の出展作品二つとも不合格だったじゃん。少なくとも勝ってはいないだろ……
「ねえ。これどうなってんの?」
エチュアとシーマが取り付く島もない状況下で、アメリーは困惑しつつも割と落ち付いている。意外にも∇ヨミエレ∇の常識人枠は彼女らしい。
「アソートを使って開発したと思われるパステリアの出展候補作品が失敗作で、それが暴走した……って解釈が一番しっくり来ると思うけど」
「だったらパステリアさんが釈明とか解除とかしないの不自然じゃない?」
正論だな。もう結構時間経ってるのに、パステリアからのお気持ち表明がない。ここまで大規模な暴走を起こしているのに何もなしってことは、やっぱり意図的だよなあ。
「それに、なんかこの景色になった直後に変な声が聞こえなかった?」
「……聞こえた気がする。審査を始めましょうか、みたいなやつだろ?」
「そう。アレなんなの?」
俺に聞かれてもな。でも奇妙に感じたのは確かだ。既に審査は佳境を迎えているのに、審査員がわざわざあんな宣言しないよな。
まさか……
「これ私たち、ハメられてませんか?」
どうやら俺と同じことをアヤメルも感じていたらしい。イラついた様子で丸ノコ……デスパニックって名前だったか、それを掲げている。
「これさっきから一つも動かないですし、離せないんですよ」
「……離せない?」
「厳密には、無理をすれば離せますけどなんかそういう気になれないっていうか……装備しとかなきゃいけない、みたいな脅迫観念に駆られてるんですよね。呪われた装備の典型っぽくないですか?」
この世界の呪われた装備に詳しくない俺でも、妙に納得せざるを得ない。
それにさっきコレットも蝿マスクを外せないって言ってた。
ここがパステリアの精神世界なのは恐らく合ってる。タイミング的にも、アソートを使用して制作された魔法アイテムの影響でこうなっているのは間違いないだろう。
ただ……本当に暴発なのか?
「皆さん、落ち着いて下さい」
不意に、パステリアの声が脳に直接響いてきた。どうやら種明かしをしてくれるらしい。
これは一体、何の茶番だ……?
「ここは私の精神世界――――【ロスト・アイランド】です」
「……ロスト・アイランド?」
「端的に言えば無人島です。私のソーサラーギルドに対してのイメージが具現化した世界、と言えばおわかりですか?」
ソーサラーギルドのイメージなのか、この孤島は。俺に対してのイメージを具現化させた真っ白なだけの世界とは違って、こっちは随分と具体的だ。それだけ色々な思いがある、って訳か。
「私はとある御方の依頼を受け、私の世界に貴方がたを招待しました。このロスト・アイランドを見事に脱出してみせて下さい」
間違いない。これはパステリアが意図的に作り出したシチュエーションだ。
審査するのは自分の方、とでも言いたいのか?
何にしてもまず訴えたいことがある。
「俺はソーサラーギルドの関係者じゃないんだけど! 出してくんない?」
「私もだよ! しかもなんでこんなマスク被せられたまま巻き込まれてるの!?」
コレットの憤りはもっともだ。俺たちだけじゃない。コーギィやシェマルドも怒り心頭だろう。
それに対し、パステリアの弁明は……
「ゲストの方々は余暇だと思って無人島生活を適当に楽しんで下さい。ここは現実と時間の流れが異なりますので、何日いようと時間は殆ど進んでいません」
特になし! それどころか開き直りも甚だしい!
冗談じゃねーぞ! こっちはソーサラーギルドの一日体験入団をしに来たんだバカ野郎! 無人島体験ツアーに参加した訳じゃねーんだよ!
「おいトモ」
シェマルドとゴーギィがギラついた目で寄ってくる。こいつらもフザけんなと糾弾するつもりなんだろう。
よし、俺も一緒にシュプレヒコールを――――
「アソートを使われた経験があるんだろ? さっきパステリアが言っていたのは本当なのか? 時間は進まないのか?」
「え? ああ……確か解除後に経過してたのは数秒程度だったような」
「よし」
俺の回答を聞いた瞬間、シェマルドはゴーギィと握手を交わした。つーか2人して泣いていた。
「休めるのか……俺たちはついに休めるのかよ!」
「そうだ! あのクソ忙しい現実から暫く解放されるんだ! よっしゃあーーーーーッ!!」
……もしかして五大ギルドってブラック企業の集まりなのかな?




