第527話 俺の尊厳は死に至った
細かい事情はわからないし知りたくもないけど、要するにこのパステリアってソーサラーはヤメにクソデカ感情を抱いているらしい。けどその感情の正体は決して恋愛感情じゃないと本人は訴えている。
じゃあそれでいいじゃん知ったこっちゃねーよ!
……と言いたくもなるところだけど、これは『恋愛感情とは何か』っていう俺が今悩んでいるテーマと合致しちゃってるから無視もできないんだよな。まあ百合だから俺とは事情が違うけども。
「私の友人は皆、ヤメに悪感情を抱いているので先入観が強すぎて正しいジャッジができません。きっと私に忖度して、私の言うことをそのまま肯定して適当にやり過ごすに決まってます」
「ありそうな話だな」
「私は正しく客観的に私の心を判断して欲しいんです。お願いします。貴方ならできると思います」
何その謎の信頼。加えて神経質そうな目付きでじっと睨まれると率直に怖いんだって……けど具体的に懇願されてるから無碍にもできない。
……仕方ない。このまま妙な精神世界に閉じ込められても困るし。やっぱりアウェイの環境って嫌でも妥協ばっかになっちゃうな。
「具体的にはどうやってジャッジすりゃいいんだ?」
「このアソートは精神を調和する魔法です。調和とは『二つ以上のものがまとまりを持ち自然な状態にあること』を指します。つまり、二人以上の精神を同一の世界へ誘い込むことが可能です」
「ってことは、あんたの精神世界にヤメと俺を同時に連れ込める訳か」
「そうです。その場合、私の貴方への感情はゼロなので反映されません。ヤメへの感情のみが反映された世界になります。なので、その世界の在りようを見て判断して頂ければ」
成程。じゃあ明らかに恋愛感情ありきで構築された精神世界だったらアウト。例えばピンク一色……はなんか違うな。それだと性欲しかなさそうだ。
「恋愛感情が強く出た精神世界の外観ってどんな感じなんだ?」
「わかりません。だから貴方に頼んでいるんです。チャラ男と名高い貴方なら恋愛に詳しいでしょう?」
……ん? 今なんつった?
「アインシュレイル城下町ギルドを設立したギルドマスター、トモと言えばチャラ男で有名ではないですか。この街に来てから既に何人もの女性を誑かしているとの噂が絶えませんし。娼館のトップとも懇意にしているとの話も聞きます」
「誤認にも程がある!!」
とうとうそんな所まで行き着いちゃったのかよ俺の悪評は! どんだけ実態をかけ離れりゃ気が済むんだよ!
いや、流石におかしいって。これは度が過ぎてる。誰かが悪意をもってそういう噂を流しているとしか思えない。正直恨みを買ってる自覚もあるし。
それにしても最悪の悪評だ。チャラ男? 俺が? 恋愛経験ほぼゼロで恋愛感情すら理解できてない俺が?
これだけ多くの女性が周囲にいながら性的な良い思いをしたことがほとんどないこの俺が?
「あの、俺ってソーサラーギルド内ではどう思われてるんですかね」
「敵、若しくは標的です」
分ける必要ありませんね。どっちも同じです。
「ただ、ティシエラ様を狙って乗り込んで来たと見なしている派と、寧ろティシエラ様やイリスを諦めて他のソーサラーを口説きに来たと身構えている派とで分かれています」
ソーサラーってなんでそんな頻繁に派閥作りたがるん……?
「私が貴方と二人きりになったのはアソートを使って貴方を現世から隔離し、狙いがどっちなのかを聞き出すためでもありました」
「……ティシエラに言われて案内役になったんじゃないの?」
「違います。ティシエラ様が誰を指名しようと、私がこの役を務めることはティシエラ様を除くソーサラー全員の総意でした」
教祖がハブられてるやんけ! なんで俺に対してだけティシエラのカリスマが通じてないんだよ! おかしいぞ君たち……
「ですが、私にとってはついでの用事、この機会を得るための口実に過ぎません。本命はさっき話したヤメについてのジャッジメントを頼むことです。私の依頼を引き受けてくれれば悪いようにはしません。引き受けて頂けますね?」
つまり、この話を受ければソーサラー連中からの疑惑を多少は晴らしてくれるって訳か。立派な脅迫じゃねーか。そもそもこのアソートって魔法で閉じ込められてる時点で俺に拒否権はない。
「罠に力入れ過ぎだろ……どんだけ必死なんだよ」
「必死ですよ。私、余裕ありません。私がヤメに抱いている感情が健常の範疇だと証明するためなら何でもします。そうしなければ、ティシエラ様への忠誠が嘘になってしまいますから」
そうはならないと思うんだけどな……神様を信仰している奴が人間と恋愛しちゃいけない決まりなんてないだろ? まあティシエラは神じゃないけど。
でも、他のソーサラーはそう見なしてはくれないか。ヤメへの感情が特別なものだと周囲にバレたら、このパステリアに向けられる目は自ずと厳しいものになる。裏切り者とさえ言われるかもしれない。それを恐れているんだろうか。
……ま、そこは正直どうでもいいか。俺がこの人の心配をする義理なんてない。
「わかった。ただし俺はチャラ男じゃないから、恋愛感情の有無を正しくジャッジはできないからな」
「ならば正しくジャッジできる人を連れてきて下さい。私とは無関係の」
他力本願にも程がある。そんな知り合い心当たりねーよ。
……いや、待てよ。つーか同ジャンルの恋愛で絶賛お悩み中の貴族令嬢がいるな。スペシャリストいるじゃん。
「どんな結果が出ても文句言わないな?」
「言いません。仮に私のこの気持ちがヤメへの恋だというのなら、きっぱりソーサラーギルドを辞めます!」
そんな軽いノリで重いこと言うな!
今日初めて会った人物にこんなこと思いたくないけどさあ……なんとか出会わなかったことにできねーかな。今すぐにでも無関係を装いたい。
「約束してくれるのなら、私に向かって投げキッスして下さい。それでアソートは解除されます」
「嫌に決まってるだろ! どんな解除方法だよ!」
「この魔法は複雑なので、安全に解除するためには正式な作法が必要なんです。私が一番胡散臭い愛情表現だと感じるその所作こそが、解除の条件となります」
要はわかりやすく拒絶できるような所作をしろってことか。理に適っているのか適ってないのか絶妙にわからん説明だけど、断ったところで意味ないしな……
「……人に見られる心配はないよな?」
「当然です。ここには貴方と私しかいませんから」
それでも抵抗あるけど、仕方ない。まさか異世界まで来て投げキッスすることになるとは。余りにも恥ずかしい。
「ちゃんと音を立てて下さいね。私の嫌悪感が一定以上発生しなければ無意味なので」
「なんでこんな嫌な魔法が存在するんだ……」
そりゃ思ったよ。魔法について詳しく知りたいって。知らなきゃギルドの発展はないとすら思ったさ。その結果がこれかい。『複雑な魔法の解除には正式な作法が必要』って知識を得たことは収穫だけど、果たしてこれからする恥ずかしい行為と釣り合い取れてんのか?
「早くして下さい。私も暇ではないので」
「投げキッス急かされる経験なんて初めてだよ」
「恐らく世界初です」
こんな嬉しくない世界初、死因『宝石店での猪の突撃』以来だ……
「じゃあ……チュッ」
「それではダメです」
ダメ出し!? 今俺投げキッスにダメ出し食らったの!? そんな奴いる!?
「もっとこう、語尾にハートマークが付くような甘い感じでお願いします」
「それで強烈な嫌悪感を抱くんだな?」
「抱きますね。世界中の誰もが抱くと思います」
うるせーよ。凄いことみたく言うな。
「はあ……甘い感じってどんなだよ……あーもー……」
要は舌打ちみたいな音じゃダメってことだよな。もっと唇を尖らせてまーるい感じの音で……チュッ。
「ダメです。もっと湿り気のあるチュッをお願いします」
「嫌な注文だな!」
つーかこの時間なんなんだよ! もっと言えばソーサラーギルドに来て以降の時間ずっと何なの。俺はさっきからずーーっと何やってんだ?
「さっさとテイク3お願いします。時間勿体ないです」
「あーそーだね! 俺もそう思うよ!」
実際こんなことに時間かけてられない。さっさと元の世界に戻ってパンを買ってソーサラーギルドに戻らないと。
ハートマークが語尾に付くようなチュッ、だったか。もう技術的なことは何もわからん。参考になるような経験もな……――――……――――…………――――………………いこともない。正直ずっと思い出したくなかったけど思い出してしまった。
あーそうだ。俺、マイザーから投げキッスされたことあったわ。あれを真似すりゃいいのか。しなきゃならないのか。おい嘘だろ? 俺はアレを見本にしてこの先の未来を繋ぐのか?
何なんだよこの一連の出来事は。ミーナでずーーーっとフリーズ状態になってた時よりキツいぞ。油断したら一瞬で発狂しそうだ。
でも、もう後には引けない。屈辱だよもう。最悪の気分だ。ホントにもう、許されるなら全力で全身を掻き毟りたい気分だ。
………………………………………………やるか。
「チュッ(はぁと)」
「あ、言い忘れましたがアソートが解除されると――――」
パステリアが何か言おうとした瞬間、真っ白な精神世界は一瞬で消滅し、大通りで人が賑わう元の世界に戻った。
「……」
その中に、通行中のアヤメルの姿があった。
「……」
あ、真顔のまま去ってった。明らかに目が合ってたのに!
俺は今、アヤメルに無関係を装われたのか……? ちょっとでも隙を見せれば必要以上にウザ絡みしてくるあのアヤメルに……?
「使用前よりちょっとだけ時間が過ぎています」
「解除される前に……言って欲しかった……」
結果、投げキッス顔を知り合いの後輩に目撃されるという事案が発生し、俺の尊厳は死に至った。




