第485話 それからそれから
――――それからそれから。
「はーぁ。なんかどっと疲れたー」
二泊三日の温泉旅行は予定を若干後ろ倒しにして、午後になってから帰りの馬車に乗り込む事となった。怪盗メアロの保証もあって、聖噴水が問題なく機能しているのを確信した上での堂々たる帰還だ。
ただしパトリシエさんは暫く滞在して調査を続けるらしい。ミーナに関しては彼女にお任せするとしよう。俺達には城下町に戻ってやらなきゃいけない事がある。
ジスケッドが明確に街を襲った事実がある以上、この件を野放しにはできない。まずは五大ギルドと情報を共有して、奴を指名手配する必要がある。
そしてもう一つ、重要な案件がある。
温泉漬けにされている王族の回復だ。
あのトランス状態の原因が聖水のエネルギー変化によって生じた特性に由来するのなら、恐らく体内のマギに何らかの形で作用している可能性が高い。聖噴水自体が聖水に含まれているマギを利用した施設だからだ。
聖水に温泉を混ぜた事で聖水の温度が変化し、それによるエネルギー変化で聖水内の成分であるマギが変質。温泉に混ざった聖水の効果によって漬かった人々の体内のマギが分離し、それによって麻薬のような効能が生じていると強く推察される。
って事は、マギさえ弄る事が出来れば回復は見込める。
現在、俺が把握しているマギに作用する手段は二つ。マギヴィートとネシスクェヴィリーテだ。
マイザーが使えるマギヴィートは、外部からのマギを受け付けなくする古の魔法。ネシスクェヴィリーテはマギを刈り取る剣。今回有効なのは恐らく後者だろう。
だけど、実際にネシスクェヴィリーテで王族のマギを刈り取るのは怖すぎる。もしそれで万が一死亡したら王族殺しになっちゃうし、死にはしないまでも廃人化は十分あり得る。もっと安全に正常に戻る方法を模索するべきだ。
更にもう一つ。
以前、サタナキアは邪怨霧を晴らす為には『聖噴水に遣われている水の湯気を立ちこめさせる』という方法が有効だと教えてくれた。
これって、まんま温めた聖水の事だ。熱気を帯びた聖水を邪怨霧に当てる事で、霧の毒が中和されて無効化できる訳だ。
って事は、邪怨霧の毒はただの毒じゃない。マギが関連している毒だ。恐らく中和というよりはマギを分離させて毒性をなくすんだろう。
邪怨霧は魔王城周辺のかなり広い範囲に立ちこめている。この全てに熱した聖水をブチ撒けるってのはどう考えても現実的じゃない。
でも、マギをコントロールできる方法があれば、それを用いて邪怨霧を無効化できる筈。原理は一緒なんだから。
ネシスクェヴィリーテでマギを分離させる事ができそうだけど、剣で霧を無効化ってのもピンと来ない。そもそも剣を持って霧の中に突っ込めば死ぬだけだ。別の方法を模索するしかない。
いずれにしても、人間の体内にあるマギや物質に含まれているナノマギを操作できる方法が必須。それさえあれば、温泉漬けの連中も元に戻せるし、邪怨霧も晴らせる。
今回の慰安旅行で得た最大の収穫がこれ。ディノーたち調査隊が旅立つ前に知る事ができて良かった。
「ふぁー。甘い物が身体に染みますね」
そんな俺の満足とは別の満足を、対面のアヤメルはもしゃもしゃ食しながら得ている。
奴が食しているのはシキさんがコレットへのお礼代わりにあげたパン。俺が選んだパンでもある。
「よく味わって食べろよ。そのメドリージェは城下町のどのパン屋のより美味いんだから」
「不思議ですよね。パン屋専門店よりもデキが良いって」
確かに不思議だけど、意外とそういう事は良くある。副業的な方が発想が豊かになりがちなのかもしれない。気負う必要もないし。
行きと同じくシレクス家が手配した馬車とあって、中はかなり広く乗り心地も抜群。その所為か、ギルド員の大半は既に眠りこけている。みんな遊び疲れたらしい。
俺は……殆ど遊べなかったけどな。まあ最後にシキさんとデートっぽい事ができたのは嬉しかった。
そのシキさんはヤメに連れられて別の馬車で移動中。コレットもフレンデリアに連れられて別の席で並んで寝ている。本当は今後について話し合いたかったんだけど、まあ仕方ない。
イリスは暫くこのミーナに留まってパトリシエさんの手伝いをしながら温泉を満喫するらしい。元々調査の為に来ていたんだし、どうせ一年はソーサラーギルドに復帰できないんだから自由を謳歌するんだろう。
イリスの正体が判明したのも今回の大きな収穫の一つ。でも、だからといって何かが変わる訳でもない。人間じゃないからといって今更不気味に思う事もないし、敬遠する必要もない。
今まで抱いていた不信感のお詫びも兼ねて、今度ソーサラーギルドに土産の品でも持っていくとしようか。結構多めに買った事だし。
「そういやアヤメル、土産って買ったの?」
「愚問ですね。冒険者ギルドで成り上がるには、そういう細かいポイント稼ぎを怠るなってヤメ先輩にも言われていますし。大きい仕事をこっちにも回して貰えるよう、依頼の審査や書類整理をしている職員の皆さんに美味しいお菓子をたっぷり買ってます」
何それ。地味に賄賂案件じゃねーのか? まあ余所のギルドの事なんて気にしても仕方ないけどさ。
ウチはウチで、帰ったら人員補充とか色々やらないといけないからな。ディノーの穴はしっかり埋めないと。それにアヤメルも冒険者ギルドに帰るんだし。
「あっそうそう。私もう暫く城下町ギルドでお世話になる事にしましたんで。今後とも宜しくお願いします」
……は?
「いや全く聞いてないんだけど……何がどうしてそうなった?」
「私考えたんですよ。最短で冒険者ギルドを牛耳るにはどうすれば良いか。で、結論出したんです。ヤメ先輩のもとで色々学ぶのが一番かなって」
「そうかなあ。もっと他に学ぶべき人いるんじゃないか?」
「何ですか。私が残るのがそんなに不満なんですか?」
「そりゃ大きな声じゃ言えないけどさあ……不満がないとは言い切れないよね」
「なんでですか! っていうか本人の前で大きな声じゃ言えないとか言わないで下さいなんか傷付きますそれ!」
傷付けてしまったらしい。でもこっちだってギルマスを完全スルーしてそんな大事なことを決められたんじゃ傷付くってなもんですよ。
アヤメル自体はそこまで変人度が高い訳じゃないし、多少の毒にしかならないから居てくれても別に問題はないんだよ。ただ、なんかヤメと結託してそうなのがな……
「一応聞いておくけど、ヤメから何か頼まれ事とかしてないよな? 俺を監視しろとか、特定の人物との接触を妨害しろとか」
「まー大きな声では言えませんけど、されていないとは言えませんね」
やってんじゃねーか!
あいつ……シキさんと二人きりだったのに全然邪魔して来ないから妙だとは思ってたけど、そんな画策してやがったのか。
「私としても、サブマスターの事だけじゃなく覇王への道について御教示頂く手前、何かしらのご恩返しがしたかったのでウィンウィンな関係なんです。そういう訳なんで、嫌って言っても居着きますから。最悪あの棺桶の中で寝泊まりしても良いです」
「俺の棺桶だろお前それ! なんで妥協案で人の寝具を占領すんだよ!」
「だって棺桶での寝心地ってちょっと興味あるじゃないですか。最初はボロクソ言いましたけど一回寝てみたいんです」
こいつホント良い性格してやがるよな……生きてて楽しいだろうよ全く。
「はぁ……まあ良いや。その代わり、ギルド総出で何かやる時は手伝えよな」
「それはもうお任せあれです。冒険者ギルドの看板を背負う予定ですからね。それくらいの度量はあるつもりですよ」
鼻息荒く自分の胸をドーンと叩くアヤメルに全幅の信頼を置くのは難しい。でもこれで図らずもティノーの穴が少しは埋まった訳だ。
後は……そうだな。実力者枠と常識人枠とイケメン枠を埋めれば良いか。あれ、最初と何一つ変わってないな。全然埋まってなかったわ。
「ところで、ずーっと気になってるんですけど。トモ先輩ってずっと似合わないペンダントしてるじゃないですか」
「おう失礼な事言うなやギルド出禁にすんぞ」
「確かに失礼でした。すみません。でも冗談じゃないので譲る気はないですよ」
嫌な頑なさ! そりゃ似合ってはいないけどさあ……そもそもファッションじゃないんだよこのペンダントは。
「これはアルテラのペンダントっつってな。精霊喚び出す為の魔力を供給するアイテムなの」
「あ、そうだったんですか。じゃあ関係ないですね」
「何がだよ」
「シキ先輩が先程、ちょっと似ているペンダントをしていたものですから」
「へぇ」
「不思議なんですよね。昨日まではそんなのしてなかったのに。場合によってはヤメ先輩への報告案件かなと」
「……知らねーよ」
殆ど揺れを感じない馬車に運ばれながら、ミーナでの数日間を思い返す。
ロクな事がなかった。慰安旅行とは名ばかりの珍道中。特に宿は酷かった。主に従業員が。
この馬車に乗り込む直前、メオンさんとは固い固い握手を交わしたなあ……小声で『次にお越しの際に他の宿を選んだら一生恨みますからね』とか言われたっけ。そりゃ無理な相談だよ。だってそれまでに潰れてるに決まってるんだから。
まあ最後まで色々とあったけど、思い出に残る印象的な出来事には事欠かなかった。イリスとのアレとか、ヤメのアレとか、少女時代のティシエラやコレットとか。
……シキさんとのアレとか。
収穫もあったし、最終的には悪くない旅行だったかもしれない。
「わっかりました! それじゃヤメ先輩には『私がペンダントの事を聞いたらトモ先輩は視線を逸らして意味ありげに『知らねーよ』って答えたって報告しておきますね!」
「……土産どれでも一つ持っていって良いんで勘弁してください」
数々の難敵を退けた慰安旅行の最後、俺は目の前の邪悪な笑みに屈した。
第五部完! ここまでお読み頂きありがとうございました。
第六部『記録子はいつでも見てるぞ ~婚約破棄した元スパダリ近衛兵が暗黒な宿命を背負ったお姫様を連れて逃避行、特に何の知識もなく武器屋になり破滅エンドを回避したが人生設計グダグダで諸々ヤバい事になりました~【書籍化】』に続きます!