第4話 遭遇
(眠い…寝足りない…徹夜はもうやめよう睡眠が一番だ…)
グダッと、机に突っ伏した栞里はそう心に誓った。
借りてきた本を一晩で読んだ結果、登校から終業までほとんどの時間を寝て過ごしてしまった。
元々栞里は、早起きは出来るが夜更かしが苦手だった。
それを知っている有志は不思議そうに理由を聞いてきたが、眠ることで無視した。
現在は昼休み。
授業は残り三時間ある。
「栞里。学食行くけどどうする?」
財布を片手に近寄って来る有志の声に、怠そうに顔を上げる。
有志を見た後、その後ろを一瞥して再び突っ伏す。
有志の後ろには複数の女子が集まっていた。
「眠いからパス…それに俺が居たら邪魔だろう…」
「そんな事はないと思うけど…眠いなら仕方ないね。じゃあ俺は行くよ」
「へーへーいってらっしゃいまし」
ヒラヒラと手を振る栞里。
そんな栞里を蔑む様に睨む、複数の視線。
その視線に気付きながらも、有志は何も言わないで女子を引き連れて教室から出た。
有志が教室を出て十分ほどしてから、栞里起きて教室を出た。
寝起きで覚束無い足取りで廊下を歩きながら、さっきのやり取りを思い出す。
(邪魔だろうさ…あの女子達は有志狙いなんだから)
有志はモテる。
成績は良くはないが、顔良し性格良し運動も出来るとくれば充分優良物件だ。
しかし有志の近くには栞里が居る。
それだけならまだしも、幼馴染としての距離感の近さが女子生徒からしたら不満らしい。
前にチラッと耳に挟んだのは、【柏原君は竜胆に弱みを握られていて良いように扱われている】という内容だった。
(弱みがない訳では無いが…いやそれは別として)
噂はあながちハズレでもないようだった。
(まぁでも、アイツにも気を使わせてるのは分かってるからなぁ…)
申し訳なさと感謝、半々の表情で歩いていると、トン、となにかにぶつかった。
目線を下げると、胸元に頭をぶつけたらしい女子が見えた。
二人は慌てて後ろに下がり、同時に声を発した。
「悪い、ぼーっとしてた…ん?」
「ごごごごめんなさい前を見てませんでした!!って…あら?」
お互いに謝罪を済ませた後、相手の顔を見て力を抜いた。
「竜胆さんでしたか…ふぅ」
「遥さんか…いや、すまん。頭をぶつけたよな?痛かったリしないか?」
こちらが知っている人間だと分かると安心した様に息を抜く遥。
栞里は力を抜きつつ、遥に怪我は無いかを確認する。
「大丈夫ですよ。気にしないで下さい?」
柔らかく微笑む遥を、まだ若干寝惚けながら見る。
(うん…そういえば明るいトコでちゃんと見たのは初めてだったか…)
何の気なしに遥を見つめる栞里。
(なんて言うか、美人さんだったんだな…)
どちらかと言えば小柄な体躯。
陶器の様に滑らかな肌は透き通るように白く、対照的に艶やかな黒髪がお互いを引き立てている。
細いシルバーフレームの眼鏡も相まって、可愛いよりかは美人といった印象を受ける。
「あの…?」
どうかしたのか、といった様子で遥が声を掛けてきた。
ハッとした栞里は、慌てて視線を逸らす。
「ああいや悪い。怪我がないなら良いんだ。じゃあこれで」
「あ、待ってください」
歩きだそうとする栞里の袖口を掴み引き止める。
「あの、昨日の本どこまで読みましたか?」
「ああ。それか…二巻は全部読んだよ」
「もう読み終わったんですか!?」
「いや、徹夜で読んじゃって…くぁ…」
驚く遥と、欠伸を噛み殺す栞里。
そんな栞里を、心配そうに見上げる遥。
「ゆっくり読んで下さいって言ったのに…」
「いやまぁ…面白くてつい、さ」
頭を掻きつつ答える。
本当は、何となくではあるが、またあの笑顔がみたい、という下心がなくもなかった。
だが、
(恐らくこの人は男が苦手、もしくは怖いんだろう)
最初に起こした時のあの逃げ方。
昨日の栞里に対する窺うような態度。
さっきぶつかった時の反応。
(それに今も、男子や男の教師が近くを通る度に小さくだが身体をビクつかせてる。そんな人に変な意識を持たせるのは可哀想だ)
「いやでも本当、あの本は面白いよ。今日の放課後にでも続きを借りに行こうかな」
そう言うと遥は、心配そうな顔から柔らかい微笑へと表情を変えた。
僅かだが、目を奪われる。
「今日は一気に読まないでくださいね?ちゃんと寝て、ご飯も食べて、授業もちゃんと受けると約束してくれるなら、続きの貸し出しを許可します」
「おかんか」
微笑のまま人差し指を立てて注意してくる様は、子供に対する母、若しくは弟の面倒を見る姉の様だった。
「分かりましたよ。今日はちゃんと寝るから」
「宜しい。では放課後、図書室で」
栞里の返答に対して満足気に頷くと、踵を返して歩き出す。
その後ろ姿を見送り、栞里は御手洗へ向かった。
個室に入り、壁にもたれ掛かる。
呼吸は荒い。
自らを抱くように両手で身体を包んだ。
僅かだが、震えている。
(まだ、駄目か…)
意識していた深呼吸。
個室を出て手洗い場へ向かい、水を掬い顔を洗う。
(人の事言えないよな。このザマじゃ)
もう一度、深呼吸。
震えは止まっている。
「大丈夫だ」
自らに言い聞かせるように呟き、栞里は教室へと戻った。