第3話 図書室での会話
突然の船乗り発言に、頭に?を浮かべながらオロオロしている彼女を宥める。
「ああすみません。何でもないんです。昨日、図書室でうたた寝してた人だなって思って」
「え…?あ、起こしてくれた人でしたか。いきなり逃げてごめんなさい。びっくりしちゃって…」
申し訳なさそうに頭を下げる。
「いえ、気にしないでください。初対面の人間が起きたら目の前にいたらビックリしますよね」
気にしてない、と態度で伝えると、頭をあげた。
そして、栞里の顔を見ると慌てて目を逸らした。
(いやまぁ、仕方ないか)
栞里は傷付いた様子も無くカウンター脇の鏡に顔を向けた。
目が隠れるほど伸ばした野暮ったい印象を与える黒髪。
隙間から覗く眼光は濁っているがその目付きは鋭い。
パッと見ただけなら不審者の様だ。
(怖がられるのも仕方なし)
「貸し出しをお願いします」
本と図書カード、学生証を差し出す。
すると、ハッとしてそれらを受け取った。
「す、すみません…失礼なことを…」
「気にしないでください。見た目が悪いのは自覚してますから」
彼女はおどけて見せる栞里をみて、ぺこりと軽く頭を下げて作業に入る。
「では、確かに。返却期限は一週間後で、図書委員に直接渡してくださいね」
「了解しました」
受け取った物をしまっていると、女子生徒から話しかけてきた。
「そ、その本、どうですか?」
「え?」
自分から目を逸らさず、真っ直ぐに見てくる。
まだ怖いのだろう。僅かにだが震えているのが分かる。
栞里は、出来るだけ優しい声を意識しながら返事をする。
「とても面白いですね。普段本を読まない自分が夢中になって読んでしまうくらいには」
すると、変化が起きた。
こちらを見る視線が一気に明るくなり、笑顔になっていたのだ。
「ですよね!主人公の成長もなんですけど、支える周りのキャラクターも豊かで!逆境だらけの状況でも立ち上がったシーンなんかもう感動モノで!」
さっきまでとは別人の様に捲し立てる彼女に、栞里はびっくりしながらも答える。
「ええ、特に親友が目の前で切られてしまった時に一度は恐怖から逃げ出したけど、勇気を振り絞って敵に蹴りをくれるシーンは胸が熱くなりましたね」
そう言うと、目の前の彼女は更に表情を明るくした。
「この本読んでる人少なくて、今まで出会ったこと無かったんです!」
「俺も昨日読み始めたばかりなんですけどね」
そんなにマイナーなのか、と栞里が思っていると下校時間を知らせるチャイムが鳴った。
「帰らないとですね」
そう言うと、笑顔が残念そうな表情に変わる。
そして意を決した様に話しかける。
「あの、それ読み終わったら、感想聞かせて貰えないですか…?
小さな声で、こちらを伺うように尋ねる。
少し考えて、栞里は答える。
「ええ。いいですよ」
目の前に一輪の華が咲いた。
そう錯覚する程の笑顔だった。
「約束ですからね?竜胆栞里さん」
いきなりフルネームで呼ばれ、あれなんで?と思ったが、そうださっき学生証渡したんだったと思い直す。
「読むペースはあまり早くないですから、直ぐには出来ないかもですが」
「大丈夫です。ゆっくり読んでください」
「そうですか。では…えっと」
どう呼ぼうか、と考えていると、彼女は思い出した様に鞄を漁りだして、髪とペンを取り出し何かを書き出した。
「睡蓮寺遥です。一年一組の図書委員です。よろしくお願いしますね」
差し出された紙には【睡蓮寺遥】と書かれていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。睡蓮寺さん。」
「あ、出来たら苗字で呼ばないで名前で呼んでください。お願いします。それと、敬語じゃなくて大丈夫ですよ」
前半を早口で、後半をゆっくり告げた。
【苗字で呼ぶな】
【敬語はなし】
(まぁ、敬語は苦手だしありがたいが…名前呼びか…)
「お願いします」
悩んでいると、睡蓮寺遥は重ねて告げる。
どうやら何かある様だ。
(本人がそこまで言うなら…)
栞里は折れることにした。
「分かったよ。遥さん」
そう告げると、遥は安心した様に息をついた。
「ありがとうございます。竜胆さん」
(あ、そっちは苗字で呼ぶのね)
帰宅した栞里は入浴と食事を済ましてから、リビングで早速読書を始めた。
借りてきたものだ。
(ゆっくり読みますか)
返却期限は一週間。それまでに読めばいい。
そう思って読み始めるも、頭にチラつく、遥の笑顔。
(綺麗だったな…いやいや何考えてる)
本から思考が逸れたのを頭を振って戻す。
(ちゃんと読まなきゃ楽しめないだろうが)
そう思いながらも、時折逸れてしまう思考と戦いながら読書を進めた。
「もう十二時か…寝ようかな」
夢中になると時間を忘れるものだ。
読み始めから四時間程、休憩無しで読み進めていた。
時間を意識すると睡魔が押し寄せて来る。
本を閉じようとすると、浮かぶ遥の顔。
帰らないとと告げた時の残念そうな顔。
感想を聞かせて欲しいと言ってきた時の不安そうな顔。
そして、
その後に見せた、花のような笑顔。
それらが栞里の頭を巡る。
(………もう少し、読むか)
第二ラウンド開始。
対戦相手は睡魔だ。
結果、栞里は徹夜で第二巻を読み切り、その日の授業は殆ど寝て過ごす事になった。
夢の中、何も無い暗闇に一輪の花が咲いていた。
それがなんなのか、栞里には分からなかった。