DK
初出:twitter(2018-11-10)
少し改稿しています。
ドライバーは、指定した時刻にあらわれた。運行マトリックスの隙間から、煙のように流れ込んできた、黒と銀の車体。
「……依頼者? DK?」
投げつけるような問い。
DKがうなずくと、ドライバーはリトルに視線を移した。
「連れか?」
「ああ」
「じゃ、乗って。早く」
「行き先は――」
「打ち合わせと変更がないなら、黙ってな」
DKとリトルが乗り込んでドアを閉めると、ビークルは急発進した。
ドライバーが座っている前席と後部座席のあいだには、半透明の仕切りがある。どれくらいの強度だろう、とDKは考える。その必要性は――この仕切りがドライバーの命を救った回数は?
運び屋という仕事がどんなものかを推測することは、彼には困難だ。
そもそも、人間が運転する乗り物に乗ること自体が初めてだ。リトルは身を固くしている。
「危険はないのか」
DKの問いに、ドライバーはふり向きもせず答えた。
「百パーセントの安全が欲しいなら、お部屋に帰って布団にくるまってるんだな。死ぬまで」
「そんな方法では安全が確保できないから逃げている」
「冗談のわからないやつだといわれたことはないか、DK。運び屋を使うのは初めてみたいだな?」
「そうだ」
「あんたは、自分の位置情報をばんばん発信してる。いつ、どこに、どうやって移動したのか、自分のデータを企業に提供してる。それは、便利さと引き換えだ。おかげで、地図のどの位置に自分がいるかわかるし、自動運転車にも乗れる」
「それは知っている。だから、追跡されないように運び屋を雇った」
「そう、俺が雇われた。俺はこいつを自分で運転してる。自動運転じゃない。いいか、こいつは運行マトリックス上には存在しないビークルだ。他のビークルが自分の位置情報を発信し、互いの位置を受信してるのは知ってるか?」
「知っている」
「やつらがぶつからずに走れるのは、そのデータのおかげだ。たまに走行記録の改ざんが問題になったりするが、それは後から操作する話で、走行中に手を入れることはない。危険だからな」
そこでドライバーは言葉を切り、軽やかにハンドルを切った。彼の動きに応じてビークルが車線を変更したのがわかる。
リトルが、DKの腕に回した手に力をこめた。急な加速にともなう引っ張られるような感覚は、日常、遭遇する機会がなかったものだ。自動運転のビークルは、こんな挙動はしない。
「やっぱり危険なんだ、って顔をしてるな。もちろん危険だ。周りを走っているビークルのAIにも、このビークルは見えていない。位置情報を発信していないだけじゃなく、センサー類を殺す仕掛けがあるからな。だから、人間が運転するんだよ、DK。ビークルの標準AIには、こいつの運転は無理だ。危険と判断して停止する。いや、そもそも発進しないな。だが、俺はビークルを発進させるし、運転もできる。人間だからな」
「だが、情報なしでどうやって運転するんだ。このビークルは、周囲の運行情報を受信しているのか?」
「運転の基準は目視に決まってる」
ふたたび、車線変更。
ドライバーは話しつづける。
「情報は一応受信してるが、AI用のデータを人間が受信しても、十全には使えない。座標をいわれるより、目の前に見えているものに反応する方が速い」
「周りからは、このビークルは存在しないものとして扱われてるのか?」
「そう。だから、逃げられる。とはいっても、このビークルを降りた途端、位置情報の遮断は切れる。つまり、あんたの居場所は位置情報マトリックスに書き出される」
「それじゃ、意味がない」
「停車する場所は、位置情報マトリックスの接ぎ目だ。データ欠損が起きやすい。というか、確実に起きるように細工してある。そこで、書き換え屋が待ってる。自分で手配したんだろ、しっかりメモリしとけよ」
「……外部にアクセスできないから」
さっきから知覚が狭まった感じがする理由が、はっきりした。このビークルのせいだ。ネットワークへのアクセスが遮断されて、データの参照が不自由になっているのだ。
「逃走手順を外部に保存したのか。まさに、便利さと引き換えにデータを無料発信、だ」
反論できず、DKは口を結んだ。
ドライバーは、話題を変える。
「あんたの連れは、もう限界みたいだな」
「……」
リトルの身体が重い。おそらく、意識を失っているのだろう。
「この程度の小旅行すら耐えられないような低容量で、アウトランドに行ってどうするんだ。自殺か?」
リトルの容量が小さいことは、DKも知っていた。ネットワークとの接続が切れれば、自律行動を長くはたもてない。
自分では、切ないほど単純な機能しか持たない、コンパニオン用アンドロイド。
「リトルは処分される可能性が高かった」
リトルの主人は、リトルが壊れれば新しいコンパニオンが手に入ると思った。もっと高機能で、新しく美しいコンパニオンが。
あのまま留まっていれば、リトルは機能停止に追い込まれるような暴行を受けただろう。
「アウトランドは人間向きじゃないが、それ以上に、機械には辛い場所だ。放射線対策をしていないと、すぐにいかれる。やっぱり自殺だ」
「ドロイドに、自殺は許されない」
「だから逃げるんだな、死ねる場所に」
「ドロイドは、死なない。停止するだけだ」
「それを人は死と呼ぶんだよ、DK」
暫し、車内を沈黙が支配した。
ビークルの走行音は非常に微かで、ドライバーの運転は滑らかだ。周囲を走るビークルもまた、静かだった。
「人はドロイドに生命を与えた」
「ドロイドは生きているとは認められていない」
「少なくとも開発者たちは、ドロイドに生命を与えたつもりだっただろう。だから、自己保存の法則を組み込んだんだよ。あれは、生きろという願いだ」
答える言葉を持たないDKに、ドライバーは告げた。
「生きているのだから、死ぬこともできるさ。自由に生きることは、自由に死ぬことだ。満喫するといい」
自由。
「苦手な分野だ」
ドライバーは笑った。
「さて、次の角を曲がれば到着だ。書き換え屋の姿が見えるまでは、車内で待機だ」
寄りかかったまま動かないリトルの身体を支えて、DKは尋ねた。
「無駄な逃走だと思っていそうなのに、力を貸してくれるのは、なぜだ」
「報酬を前払いされてるから。それに、ドロイドの駆け落ちなんて、面白そうじゃないか。今時、人間でも駆け落ちなんてしない。運行マトリックスのなすがままに、右に行って、左に行って、やるべきことをやって、死んでいくんだ。そんなものは乗せても面白くないし、向こうだって人が運転するビークルなんかに乗りたくはないだろう。お互い様だな。そら、書き換え屋が来たぞ。降りるんだ」
DKはリトルを抱きかかえてビークルを降りた。後部座席のドアを閉める前に、運転手に尋ねる。
「また会えるかな」
「窮屈な運行マトリックスの隙間を縫って運転するのが趣味なもんでね。アウトランドみたいな、なにもない場所には行かないことにしてる。じゃあな、幸運を」
黒と銀の車体は、あらわれた時と同様、運行マトリックスの隙間へと消えて行った。煙のように。
残されたDKは、自分の行動を自殺と評した人間のことを考えて、少しだけ悩んだ。だが、自己保存の法則を優先する限り、彼とリトルは今のオーナーから逃げるしかなかったのだ。認証番号を偽装し、位置情報の発信を停止して、人の手が及ばないアウトランドへ。
破壊されない未来へ。
それが駆け落ちであり自殺であるというのは、あの人間の意見に過ぎない。
リトルを抱え直すと、DKは書き換え屋の方に歩きはじめた。
お読みくださり、ありがとうございました。