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僕は、重いカバンを肩にかけ夜の道を歩いている。時間は八時を回っている。市街地から住宅街に向かう道を隣を歩く結城ちえみとくだらない話をしながら自宅に向かっていた。
僕たちは、受験を控えた高校生三年生で、夏期補習でクラスも塾も同じ結城ちえみとは家も近く、途中まで一緒に帰っていた。結城は、美人ではなかった爽やかな笑い顔がなかなかに可愛くクラスでもファンは多かった。胸は豊かで制服が苦しそうだ。実のところ、僕は結城に惹かれていたが、受験生ということもあって勉強とくだらない話以上の話題はできないでいた。だから、このわずか十五分は僕にはとっても大切な時間だった。
小さな子供公園がありそこで別れるのだが、彼女の家はそこから50mほど。僕は更に五分ほど歩く。毎回公園で別れたあと、彼女の姿が見えなくなるまで、臆病な僕は見送ることしかできなかった。たまには話が盛り上がりしばらく立ち話もしたりして、その時は寝るまでご機嫌だったものだ。
なぜ、こんなことを思い出しているんだ。俺は、高校の頃のことはいくら思い出そうとしても靄がかかったかのように曖昧模糊としていたのに、これは夢なのだろうか。結城と歩いている自分と、離れたところから見ている自分と二人いるようだ。
いつもの公園まで歩いていくと、いつもこの時間は誰もいないのに、その日は不良らしい少年が三人ほどたむろしていた。
僕は、不良は苦手だ。今でいうならヤンキー、当時は不良と呼んでいた。得意な奴はいないだろうけど、臆病な僕は少しでも関わりを持たないようにしていた。
僕たちは目を合わせないようにしてそそくさと別れた。いつものように彼女の後ろ姿を見送っていると、それに気がついた不良の一人が声を上げた。
「おやー!かのじょおお、うちまで送ってもらえないのかーい。俺らみたいなイケメンが誘っちゃうよ」
大声でそう叫び大笑いしていた。
僕は、情けないことに顔を合わせないように慌ててその場を去ることしかできなった。
それ以来、そいつらはその時間はいつもそこにいて僕たちをからかっては大声で笑っていたものだ。帰宅路を変えられたら良かったんだが、その頃は住宅地にモザイクのように田畑が残り明かりもないためかなり遠回りしなければならなかった。
「なあ、今日は結城は?」
その日、補講の授業が始まっても結城ちえみが出席していないので隣のやつに聞いてみた。
「さあ、遅刻じゃね?」
「なんだか、具合が悪いらしくて休むって連絡あったそうだよ」
前の席の女子が振り向いて教えてくれた。
近所の公園の不良たちのことが頭にあった僕は何だか嫌な予感がしてきた。じりじりと焦る気持ちで授業が終わるのが待ち遠しい。授業内容は全く頭にはいらなかった。一時限目が終わるやいなや、その日の補講はふけて結城の家へ向かった。結城の家を知っていた理由は聞かないでくれ。
「結城ちえみさんのクラスメイトの千川寿之です。
ちえみさんが具合が悪いと聞いて、心配でお見舞いに来ました」
インターホーンのボタンを押して話すと、結城の母親が出てきた。
考えてみれば、いくらクラスメイトと名乗っていても、しかも走って来たせいで息の荒い会ったこともない男子が突然訪ねて来たのだ、普通なら警戒してインターホン越しで済ませようとするだろう。でも、僕はそのことに気がつかなかった。
「千川君だね。ちえみから名前聞いていますよ。
ごめんなさいね。ちえみ、具合が悪くてだれにも会いたくないって…」
母親は少し躊躇を見せたが、泣きそうな顔になり意を決したように話し始める。
「千川君、ごめんなさい。
あなたのせいじゃないのはわかっているんだけど。恨んでいるわけじゃないの。
いつも、途中まで一緒に帰ってくれて感謝はしているの。
でも、なぜ昨日は一緒に帰ってくれなかったの」
そこまで、聞いて僕の鼓動が一段と早くなった。
「結城さんは無事なんですか!」
母親の言葉を遮って飛びかかりそうな勢いで僕は思わず声を荒げていた。
「あ、ごめんなさい」
すぐに気がついて謝ったが気が気ではない。僕の勢いに面食らったのかそのあとは冷静に教えてくれた。
ショックだった。その場では、感情が白くなったように無感動でただ聞くだけだった。自動機械のように挨拶して帰り、自室に戻り自分の椅子に座ってボーとしているうちにやっと猛烈に腹が立って来た。
きっとあいつらだ。昨日、僕は夏期講習の小テストの結果が思わしくなく、塾で居残り相談してたため、結城は先に帰ったのだった。なぜ、一緒に帰らなかったのか、悔しくてたまらない。
犯人は、公園から一人歩きの結城の後をつけ街灯が切れたあたりで襲いかかったというのだ。引きずり倒されたあと、腹を殴られ服を破かれて裸にむかれた。身体中触られたところで違和感を覚えた近所の人が出て来てあわやで助かったらしい。本人は擦り傷と打撲で済んだが、ショックを受けていて、怖くて部屋からも出られないとのことだった。犯人は暗闇をねらって襲っており、顔は見えなかった、近所の人も逃げ去る後姿しか見えなかったそうである。
その話を咀嚼して怒りのあまり頭がグラグラする。証拠はないが、きっと奴らだと僕は信じ込んだ。なんとか復讐できないか妄想の海に沈む。しょせん、臆病者の妄想、何か具体案が浮かぶわけもなく、ただ怒りに任せて苦しがっているだけだった。
その時は、考えもしなかったが今思えば、彼女を心配することよりも復讐を考えるなど俺はなんて自分勝手な男だったんだろう。当時の俺は、若かったし自分が思っていた以上に結城が好きだったらしい。
しかし、なぜこんな衝撃的事件を俺は忘れていたんだ。こんなこと普通忘れられるわけない。とは言え、いま追体験していること以外あいかわらず靄の中だ。
気がつくともう夕方で何も食べてなかったが空腹を覚えなかった。何もやる気が起きない。気がつくとふらふらと外を歩いていて、何も考えずあの公園を向かっていた。公園に近づくと言い争っている声が聞こえてくる。
「なめんなよ。ここはみんなの公園だろ。
なんで、ここにいちゃいけねえんだよ!」
警官三人があの不良三人を相手に押し問答をしていた。
「お前たちは、いつもここでたむろしてるだろ。苦情が寄せらている。
子供達が怖がっているんだ。
それに昨夜は女の子が襲われてるんだ。お前たちじゃないだろうな」
「さーあ、知らねえなぁ。
僕たちは、品行方正な不良ですからねぇ」
そう言って、下卑た笑いを浮かべている。
「とにかくここは、お前たちのような不良の場所じゃない!
子供達の公園だ。さっさと立ち去りなさい」
「あんだと!」
食ってかかるが、二十歳くらいの少年が気の短そうな奴を押しとどめる。
「あきら。
よせ。相手が悪い」
それでも警官を睨みつける。
「わかったよ。
よそいけばいんだろ。
へっ、こんなしょぼい公園、こっちから願い下げだ」
捨て台詞を吐いてダラダラした歩きで駅のほうに向かって歩き出す。
途中で、呆然と立っていた僕とすれ違う。年長の不良と目が合った。
その時、僕は怖気を覚えた。さっきまで覚えていた怒りは、紙くずのように吹き飛ばされ跡形もなくなっていた。復讐心はなんだったのか。今は、恐怖が残るのみだった。それくらいそいつの瞳は怖かった。
底知れない狂気を感じる。
「お前かぁ、通報したのは。
舐められたもんだ。顔覚えてるからな。あいつらにチクっても無駄だからな」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で話しかけてきたあと、視線を警官に投げる。それが、一層恐怖をあおった。
「い、いい、いいえ。
僕じゃありません」
情けないことに、僕は身じろぎもせずに否定することしかできなかった。そいつはへっへっへっと聞こえる笑い声をあげて残りの二人を引き連れて立ち去って行った。
「きみ、どうした?
アイツらに何か言われたのか?」
僕がやっと我に帰ったのは、立ち尽くす僕に不信感を覚えた警官に声をかけられて、だった。
「いえ、なんでもありません」
そう言ってその場を、急ぎ足で離れた。早くその場を離れたかった。