2 ーシャリテと魔術師ー
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「しゃりて……なまえ、しゃりて……」
名前を貰ったシャリテは、自分だけの しゃりて という響きと、優しく頭に触れる手の感触を目を閉じて噛み締めていた。
「ところで。ひとつ聞きたい事があるんだけれど、良いかい?」
暫し シャリテの様子を微笑みながら眺め、柔らかに問いかける“大人”の声に、シャリテはパチリと目を開けて頷く。
「キミは先程からその穴を出入りしているけれど、此処に住んでいるのかい?」
すんでいる とは何だろうか? と シャリテは
思ったが、この窪みが気になるのなら見せるくらいは構わなかった。窪みを指差す手とは反対の手を……綺麗な手を遠慮なく触るのは気が引けて、指し示す指と同じ指の先を軽く握って引っ張る。
「きち」
「基地? ああ、見せてくれるんだね。少し お邪魔させていただくよ」
そう一言断って、シャリテが屈んで通った穴へ、這いずるように上半身だけ潜り込ませる。窪みの中は出入り口や岩の隙間から洩れる月光のみが光源なため、かなり暗い。
「【スヴィエート】」
聞き慣れない言葉が響くとともに中空に顕れたのは、夜空の星のように小さな幾つもの煌めく光。それが次第に集まって“大人”の長い指の先に灯る。暗かった窪みの奥が、ほんのりと照らし出された。
「これは……」
シャリテが再び目の当たりにした“奇跡”におどろいている間に、“大人”は くすりと笑ってから 指先に灯る光で窪みの内部を見回していた。
ボロボロの布ながら、何枚も重ねられて 少しでも寝心地を良くした寝床。水の入った数本の酒瓶。ヒビの入った皿と木の実のカスが付いた手のひら大の丸みのある石。シャリテがこの場所で寝起きするようになってから、少しずつ使える物を集めて 整えた場所だった。
「キミは……シャリテは、とても利発な子のようだね」
そう言って また微笑まれ、りはつの意味は分からないけれど、褒められた事をなんとなく察したシャリテは、何故か口許が むずむずするような心地がした。
「うん。やっと笑ったね。おいで、少し外で話そうか。流石にこのままの体勢だと辛いからね」
言うが早いか、指先の光を消してズリズリと外へ戻ってゆく。あっという間に消えてしまった“奇跡”を名残惜しく思いながら、シャリテは光に慣れた目が また暗さに慣れるのを待って外に出た。
「やぁ、来たね。……シャリテ、もし良かったら 私と一緒に来ないかい?」
「……いっしょに……?」
コテリと首を傾げるシャリテに、“大人”はゆっくりと語りかける。
「ああ、そうだよ。この岩場を離れて、私の住んでいる所へ来ないかい? キミは此処に1人で居るようだし、食べ物を手に入れるのも大変そうだ。……まあ、私も出掛け先で食べ物を切らせて この有り様なのだけれど、普通に暮らす分には キミ1人を食べさせるくらいは十分にできる。どうだろう?」
シャリテには少し分からない言葉もあったけれど、この“大人”はシャリテの同行を望んでいるようだ。食べ物を食べさせくれると言う。
「……食べ物、ついていくと、売られる? どれい?」
町の孤児達の常識だ。シャリテも少し前までは 彼らに混じって生活していた。殆ど言葉を交わすことは無かったけれど、稀にある炊き出しや配給以外で 食べ物を食べさせくれると言う大人に付いて行くと、 人買いに売られて奴隷にされてしまうらしいということは知っていた。時には 自ら進んでなる者も皆無では無かった。
「へ? ……いやいや、シャリテを売ったりも奴隷にしたりもしないよ。私の恩人だからね。恩返しに、まだ幼いキミが大人になるくらいまで、必要な庇護と知識を与えたいんだ」
シャリテの言葉に一瞬、知的で落ち着いた“大人”の超然とした雰囲気が消え去り、無防備な表情を見せる。すぐに気を取り直したようだが、この“大人”は町の孤児たちを纏める“にーちゃん”くらいなのかもしれない と、シャリテは ぼんやりと思った。
「ひご? ちしき?」
「ああ、すまない。キミが叩かれたりしないようにしたり、色々な事を教えてあげる ということだよ。暖かい服を着て、沢山の言葉や楽しい事、不思議な事を知りたくはないかい?」
叩かれないことは嬉しい事。暖かい服を着られるのも嬉しい事。けれど、シャリテが真っ先に反応したのはそれらではなく。
「きらきら、できる?!」
「はははっ! そうだね、少し素質と努力が必要だけど、シャリテが望むなら“きらきら”だけじゃなく、もっと凄い事も教えてあげられるよ。私はこれでも、そこそこ位の高い魔術師だからね」
シャリテが勢い込んで 先ほどの“奇跡”について尋ねれば、声を上げて笑ってから“大人”は自信ありげに片手を自らの胸に当てた。そして、つと踵を返して 葉の生い茂る低木の根元をガサガサと漁り……。
「ええと、確か此方に飛んで行ったような。……ああ、見つけた」
両端が緩く反り上がる 楕円形の細長い板を拾い上げて戻って来た。近くで見れば、その板には月光にも負けるまいと煌めく 金色の模様が沢山描かれていた。
しばし その板を検分して、問題の無いことを確認した“大人”は、板を地面に置いて シャリテへと手を差し出した。
「おいで、シャリテ。キミに魔術を見せてあげよう。……そして、とりあえず食べ物と雨露の心配の無い寝場所を確保しようか」
もう すっかり“大人”に付いて行く気持ちになっていたシャリテは、ほてほてとそちらへ歩み寄り、差し出された手を取る前に はたと止まる。
「……どうしたんだい?」
「なまえ……。わからない」
そういえば、名前を聞いていない。シャリテに名前をくれた“大人”が、名前を持っていないとは思えない。今まではあまり不便では無かったが、確かに呼びかけるための名前というものはあった方がいいように感じた。町の人々も、互いに名前のようなもので呼び合っていた。
「ああ! すまない、すっかり忘れていたよ。私の名は……私の事は“師匠”と呼んでおくれ。私の名前は少しばかりややこしいからね」
「ししょう?」
「そう、師匠。何かを教える人、導く人の事を呼ぶための言葉だよ。似たような意味合いの“先生”でも良いけれど、どちらかといえば 私は師匠の方が好みだね」
目の前の“大人”……師匠は、ほんの少し茶目っ気のある微笑みで説明してくれた。
「ししょう……ししょう!」
「はい、はい、師匠だよ。これから沢山 呼んでおくれ。さ、おいで 店が閉まる前に町まで行かないとね」
なんとなく嬉しくなって呼んでいたら、笑み混じりに手を引かれて 板の上に乗せられた。
この時から、シャリテにとって“大人”は“師匠”になり、師匠という呼び名は彼女にとって特別なものとなった。
師匠の名前が出てくるのはもう少し先です。
……け、決して名前が決まらないからではなく、もともと師匠呼びの予定だったんです(;¬_¬)
孤児たちは寝る場所を“基地”あるいは“アジト”と呼んでいたので、シャリテも寝る場所を“きち”と呼んでいます。