1 ー名もない子供ー
拙作へお立ち寄りいただきまして、ありがとうございます(*^人^*)
見切り発車ではございますが、何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m
今日も打たれた頬が痛む。
それでも、その子供は必死に歩を進める。
右、左、右、左。
自らを運ぶ右足と左足という名前すら知らぬまま 交互に出されるそれは、小さな体躯を目的の場所まで運んでゆく。
子供が握り締めるのは一欠片のパン。
店から盗み出し、逃げ切る前に捕まって、大きな手に打たれながらも千切り取った握り拳ほどの一欠片。最後まで離さなかった戦利品。
流れ出た鼻血や唇の血は拭われる事もなく 煤や土で黒ずんだ顔の上で赤から褐色へと変わりつつある。打たれた頬は熱をもって腫れ上がり、すれ違う人が嫌そうに顔を顰める。
程なくして、人気の無い町の外れ。ボロボロの外壁に開いた僅かな亀裂に身体を押し込み、子供は夕暮れの町から、すぐ近くの薄暗い森へと駆けてゆく。
細い細い獣道を辿り、茂みの隙間をくぐり抜け、行き着いた小川の畔を少し上流に登って。重なる大岩の 洞穴とも言えない程度の小さな窪みに潜り込む。
「ほぅ……」
子供の足で数歩分の距離を屈んで奥に進めば、立ち上がり、両手を広げられる程度の空間がある。今日も生きてこの場所に帰れた事、小さいながらも食べ物を得られた事に、自然と口から吐息が漏れる。
町のゴミ捨て場から見つけてきた粗末な布を敷いた寝床の上に座り、岩の比較的滑らかな部分に寄りかかる。そして、パンの欠片を指で更に小さく千切って口に入れる。まともな食べ物を 少しでも長く味わえるように、かぶりつきたい気持ちを抑えて 少しずつ、少しずつ 大切に口に運ぶ。
ゴサッ! ザザザリ……カラン。。。
パンを半分も食べようかという頃。子供以外には小動物しかいない筈の夕闇の森、大岩のすぐ側で。何かが落ちたような音がした。
「……」
リスやウサギ、鳥などではあり得ない大きさの音に、子供は恐怖と警戒心を抱きながら身を起こす。本当は逃げ出したいが、生憎 音がしたのは岩の窪みの唯一の出口側であった。
大切な食料は逃げる時に無くさないよう 握り締めたまま、そろり そろりと出口へと躙り寄る。
「ぅ……。誰か、いるのかい……? できれば、水と食べ物を……って、無理か……」
窪みの出口から10歩ほど離れた場所。そこには、真っ黒な布を纏った“大人”が倒れていた。人の気配に 水と食べ物を求め、小さなパンの欠片を握り締める子供と目が合って、諦めた。
「……」
「……」
ぐったりとして動かなくなった“大人”を見つめ、手の中の半分になったパンを見つめ……ゴクリと唾を飲み込んで、そろりと“大人”の傍らに寄ってしゃがみ込む。
自分が食べていた時のように、パンを小さく千切って“大人”の口に運び、入れてやる。
「げふっ! ゴッホ……ゴホ!!」
そして“大人”は盛大に噎せた。
「……」
暫しの思案の後。子供は窪みに戻り、寝床の傍らに置いておいた 酔っぱらいの足元から拾ってきた酒瓶を濯いで小川の清んだ水を入れたものから、これまた ゴミ捨て場から拾ってきた縁の欠けたカップに水を注ぎ、再び窪みから出て来る。
今度は 千切ったパンをカップの水に浸し、軟らかくなったら 少し涙目だが呼吸が落ち着いた様子の”大人“の口へと運ぶ。
幾らもせぬうちにパンは消え去り、もそりと気だるげに起き上がった“大人”へ手渡されたカップが、幾度か空になった頃。日の沈む前から顔を出した気の早い月が、煌々と辺りを照らす夜になった。
木々の隙間から降り注ぐ青い月光に、“大人”が纏う布の合間からサラリと流れ落ちる 長い銀髪が冴え冴えと煌めく。子供は、初めて目の当たりにする色合いに釘付けだった。
大切なパンを分け与えたのも、子供を打つ“大人達”とは全く違う喋り方と、全く違う色合いゆえに、なんとなく町の“大人”と同じだと思えなかったためである。知らず、町の人々と違う色の自分と少しだけ重ねて 親近感もあったのかもしれない。
「ふぅ。ありがとう、助かったよ。そこの町まで持つかと思ったけれど、途中で力尽きてしまった。あのままならきっと、干からびてしまうところだったかもしれないね。大切な命の糧を分け与えてくれたキミには、感謝してもしきれない」
そう言って、不意に片手を子供へ向かって伸ばして来た“大人”に やはり他と同じか と首を竦めて目をきつく瞑る子供。
そのまま 来るべき痛みに怯える子供に与えられたのは、柔らかく頬に触れるしなやかな指と、心地よい熱……そして、疼く痛みと腫れが一瞬で消え去る“奇跡”だった。
「これでもう大丈夫。女の子の顔にいつまでも傷を付けたままなのは落ち着かないしね」
おんなのこ? 子供は そんな言葉を知らない。
「キミの名前を教えてくれるかい?」
「……なま…え?」
そんなもの知らない。
「う~ん、いつも皆から なんと呼ばれているんだい?」
それならば、子供にもわかる。だから 素直に口にする。
「ごみ、がき、いみびと、くず、く…」
「はいはい、すとっぷー!! それは名前じゃないねー!! ……お兄さん、ちょっと びっくりしちゃったよ」
びっくりというならば、いきなり両手で口を塞がれた子供も かなりびっくりしている。この国では珍しく、闇を抱く色として忌まれる黒瞳を パチパチと瞬く。
けれど。
この手は痛くない。素早かったけれど 力任せに叩かない手はひんやりしていて温かくて、握り潰さんばかりに腕を掴むゴツゴツした手とも違って、心地の良い手だ。こんな風に、心地よい手に触れたのは……いつ以来なのか、そんな事があったのかさえ覚えていなかった。
「名前を持たないなら、私がキミに贈ろう。だから、今の言葉たちは もう自分に対して使ってはいけないよ」
今まで こんなにも静かな言葉で、こんなにも穏やかな微笑みで、子供に話しかける“人”はいなかった。こんなに透き通って 耳に心地よい声も知らない。
だから。言われるままに頷いて、今は月明かりで色はよく分からないけれど、目の前の高い位置にある深い青色の瞳を見上げる。
「うーん、慈悲深い子……闇色の瞳……そうだな、キミは今日から シャリテ だよ。シャリテ・プリュノワール。これが キミを表すもの、キミを呼ぶもの、キミを導くものだ」
「しゃりて……」
「そう。シャリテだ。私に施してくれた慈悲の心を、いつまでも忘れないでおくれ」
そう言って、その“大人”はシャリテの頭を優しく撫でる。
名前を与えられ、優しく触れられたこの一瞬は、シャリテの始まりとして心に焼き付いて いつまでも残る事となった。
口の中が ぱさぱさ な時の乾いたパンの威力(死)
あ、すみません。雰囲気と余韻 台無しでしたか? (  ̄v ̄)ニヤリ
だって、タイトルからして[想い月(正式な読みは“おもいづき”)=思い付き]なんていうふざけた作品ですもの(* ̄▽ ̄*)