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伍話 小間使いの少女


「しっ、失礼致しましたッ!」


 耳まで真っ赤に染めて――――というのは漫画でよくある描写だが、彼女は血の気の失せた……真っ青な顔で頭を地面に擦り付けると、低頭したまま動かなくなった。


 少し肌寒い風が開かれた障子の隙間から俺の肌を撫で、困惑しながらも寒さに負けて身を整える。


「……頭を上げてください」


 だが声をかけてもびくりと震えるだけで動かない。


 状況は分からないが、彼女は小間使いのようなものなのだろう。だとすれば客人である俺への無礼、それに対して頭を下げているわけだ。この世界がどうかは知らないが、江戸時代なら場合によっちゃ斬り捨てられる可能性もある。


 俺にそんな権限はないしあってもたかが胸を見られた程度で斬り捨てたりはしないが、目の前の少女は当然そのことを知らない。だから俺はひとまず彼女は安心させてやることにした。


「その盆とタオルは?」


「ご、ご客人様の身を清めるためのものでございます」


「そう、ですか。わざわざありがとうございます」


「そんな! 礼を言われるようなことでは――――」


「それでも、ありがとうございます」


 ぶんぶんと首を振る少女に、このままでは埒が明かないと思った俺は彼女の言葉を遮ってもう一度礼を言う。


「もったいなきお言葉……!」


 その態度に一体誰と間違っているのかと問い詰めたくなったが、可哀想なのでその疑問は飲み込んでおく。


 それに、そんなことよりもまずは現状の把握が先だ。


「名前をお聞きしても?」


「――――っ」


 答えはなかった。わずかに躊躇うようなそんな気配だけがしてくる。もしかして名前を知られたら告げ口をされるとか、そんなことを考えているのかも知れない。少し軽率だったか。


「ああ、別に嫌なら答えなくていいですよ」


「そ、そんな、嫌ということなど……」


 っと、嫌味に聞こえてしまったか……。難しいな、身分の違う会話ってやつは。


 まあ身分は変わらないというか身寄りのない俺は、目前の少女よりも低い身分とも言えるわけだが。


「気にしないでください。それよりもここはどちらで……?」


「は、はい。ここは殿の……白雪様のお屋敷、その客間にございます」


「…………白雪様」


 死の間際に出会った少女のことを思い出す。もしかしてあの時の娘が白雪様なのだろうか。


 仮にそうだとしたら、この屋敷の主が救った人間を小間使いである少女が軽視できるわけがない。だから先ほどの態度だったわけか。


「白雪様って、地面に擦れるほど長い髪の女性であってるか?」


「……はい。白雪様は大変美しい黒髪を御御足まで伸ばされております」


 やはり当たっていたらしい。


「俺は何日寝ていました?」


「当主様に運ばれてから、本日で三日目です」


「三日……」


 丸々二日とちょっと寝ていたようだ。もちろん自分の身体を見下ろしてもそのような形跡はない。


「もしかして寝ている間、身を清めてくれたのはあなたが?」


「は、はい! 僭越ながら私が……」


 道理で二日寝ていたのにもかかわらず身体のべた付きといった不愉快さが感じられないわけだ。


 それに言われてみれば、随分と腹が減っている気がする。悪いとは思うが彼女がしている勘違いを利用させていただくことにした。


「……そうでしたか。それは重ね重ね……礼を言わせてください」


「え、いや、その……!」


「それで、……無礼を重ねる形となりますが、何か腹に詰めるものをいただけないでしょうか?」


 丁寧に言ったところで意味は「腹が減ったから飯を寄越せ」である。しかし彼女は嫌がる素振りも見せず、それどころか逆に申し訳なさそうな顔をして盆とタオルを畳に置いた。


「すみません、気が利かず……! すぐに粥をお持ち致しますねっ。……あっ、タオルとお水、お使いください。それでは失礼致します」


 俺が何か口を挟むような間すらなく言葉を紡ぐと、丁寧に頭を下げて戸を閉める。急いでくれているのか、すぐにぱたぱたと廊下を走る音が聞こえた。


「……ふぅ」


 せっかく用意してくれているのだから、お言葉に甘えてタオルを濡らして軽く肌を拭う。そんなに汗を掻いている自覚はなかったが、蒸れていたらしく身体を拭くとどことなく開放感があった。


 ……それにしても三日、か。


 それだけ重傷だったのだろう。事実あの時、俺の腹からはぼたぼたと腸が落ちていた。


 あんな傷で三日。まるで魔法のようだ、としか言いようがない……というか、きっとそのまんま魔法なのだろう。こうやって和室で和服に身を包んだ自分を見下ろすと不思議な感覚だが、ここは現代でも江戸時代でもなく、異世界なのだから。


 うっすら残る傷を指でなぞっていると、こちらに近付いてくる足音が一つ。先ほどの彼女だろうか。


 同じ過ちは繰り返さぬとばかりに身支度を整え、俺は布団の上に正座して待った。


「……んんっ」


 障子越しに女性の影が浮かんでいる。その影は戸の前で正座をすると軽く咳払いをした。きっと今から開けるという合図なのだろう。


「……失礼致します」


 す、とわずかに戸が開く。それから一秒に満たない間を置いたあと、彼女の全身が見える程度に戸が開けられた。


「すみません、お客人様。お食事の前に、気が付いたなら顔を出せと白雪様から言付かりました。こちらで粥の準備はしておきますので、その間は白雪様の御所へお願い致します」


「白雪様から……」


 乗り気か乗り気じゃないかで言えば、考えるまでもなく後者だ。


 彼女は白雪様のことを当主様だけではなく殿と呼んだ。どの程度の規模かは不明だが、少なくとも一城の主。


 何故そんな人が俺を救ったかは甚だ疑問ではあるが、助けられたからといって無礼を働いてしまえば生きて帰れる保証はない。


 それでもまあ、嫌だからといってお会いしないという選択肢は初めから存在しないわけだが。


「白雪様の居場所は?」


「大広間です。……私が案内させていただきますので、どうぞこちらへ」


「それは助かります――――っと」


 三日振りに立ち上がった身体はすっかり主人を忘れてしまったのか、俺からの命令を聞かずにふらりとよろけた。


「っ、大丈夫ですか?」


 しかしそのまま倒れることはなく、俺の身体は咄嗟に支えてくれた彼女のおかげでしっかりと地を踏みしめている。


 少女は華奢な外見にそぐわない膂力の持ち主で、俺の体重を苦もなく支えた。


 何か武道をやっているようには見えないが、現代のように便利な道具のないこの世界で生きるということは、俺が思っている以上に大変なことなのかも知れない。


 しかしかといって筋肉の硬さがあるわけではなく、女性らしい柔らかな肌が――――


「お客人様?」


「あ、っ、すみません。少し立ち眩みを起こしたみたいで……」


「大広間までお支え致しましょうか?」


 その提案は非常に魅力的なものではあったが、俺にも男の意地というものがある。


 若干後ろ髪を引かれる思いをしながらも丁重にお断りさせていただいた。


「……そうですか。無理はなさらないでくださいね?」


 虚勢を張って力強く頷くと、彼女は少し心配そうな顔をしながらも大広間へ歩いていく。俺も戸を閉めてあとに続いた。


「屋敷の中は多少入り組んでおりますので、きちんと付いてきてください。苦しくなった時は早めにお願いします」


「はい」


 着物に浮かぶ影を見ながら俺は頷いた。その影とはもちろん尻の影である。形の良い丸い尻が足の動きに合わせて交互に――――って、俺は何を見ているのか。


 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている人の尻を視姦するとは、武士どころか普通に人としてどうかしている。


 洒落にならない話だが、あの時そのまま死んだ方が良かったんじゃないか、なんて自分で思ってしまった。

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