零話 悪徳令嬢と侍の邂逅
零
ぼたりぼたりと、手のひらからこぼれた臓物が腐った葉の上に落ちる。我ながら何故生きているのか不思議なくらい深手を負っていた。
「……死ぬのか」
こんなところで。何も分からないまま、ただ己の非力さだけを呪って。
「……ぐ」
もはや足すら動かせず、そのまま倒れ込む。衝撃で意識が吹き飛びかけるがなんとか堪えた。
堪えて、どうして耐えてしまったのかと自問する。今意識を失えば楽になれたのだ。だというのに何故耐えてしまったのか。
「……武士道、とは……死ぬ事と、見つけたり……」
それは祖父が好きだった言葉の一つである。「葉隠聞書」という、言わば侍の教科書なる書物、その中でも有名な一文だ。
こんな死が武士道なのか。そう問われれば否としか言いようがない。思えば、だから耐えたのかも知れない。しかしそうは言っても、もはや絶命は必然。
「こんな、ところで……!」
死んでたまるか、と目前に生えている草を掴んで無理やり前へと進む。ぶちぶちと音を立てて掴んだ雑草が千切れた。それでも他の草を掴み、前へと進む。進んだ先に何があるのか、進んだところで何になるのか……そんなものは分からなかった。
ただ「死」という運命から逃れるように、俺は前へと進む。
「……?」
どのくらい進んだだろうか。きっと一メートルも進んでいないだろうが、そこで俺に影が差した。
不思議に思ってわずかに首を上へ向けると――――俺を見下ろすようにして、女が立っていた。
全身真っ黒な……いや、真っ暗な女。
俺の目の前、つまり足元まで伸びる真っ黒な黒髪、それに負けないほど暗い純黒のドレス。フリルもリボンも、装飾は全て黒い。
しかし肌は雪のように真っ白で、唇は鮮血のように真っ赤だった。
「……っ」
あんたは誰だ、そう問いたかったが、既に言葉を話すような体力はない。気を抜けばいつでも意識がブラックアウトしてしまいそうだ。
……ああ、もしかしたら目の前の女が黒いのではなくて、俺の意識が闇に塗り潰されようとしているだけなのかも知れない。
「……の?」
薄れゆく意識の中、女が俺に向かって何かを言った。厚い官能的な唇が小さく動いている。しかし俺はその言葉を聞き取ることができなかった。
反応を示さなかった俺に多少のいらつきを見せながら、女は再び言葉を発する。
「あなた、死ぬの?」
そりゃあ、死ぬだろう。出血多量どころか、生命の維持に必要な臓器すらないのだから。
だけど俺は、だからこそ俺は。
嘘偽りのない自分の想いを、目の前の女に吐露した。
「死にたく……ない」
こんなところで。
「死ぬわけには……いかな――――」
俺の意識は、そこで途切れた。