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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
序章 旅立ち
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夜を照らす月



「アキヨ?」


 外から帰って来たローアルは、リビングに入ってくるなり、戸惑った様子でアキヨの名を呼んだ。






 ローアルは騎士の仕事があるため、毎日朝早くに出かけて行き、夕方近くに帰って来る。


 つまり、普段の通常勤務に加えて、アキヨの面倒を見ると言う追加業務もこなしているわけだ。



 日本で言う警察のような役割を騎士が担っているのなら、ローアルと初めて会った時に言っていた『御身をお守りする』発言も、過保護に世話を焼いてくるのも、業務として被害者の心身ケアを請け負っているのだと考えれば納得がいく。


 しかし、朝から晩まで仕事漬けとは、騎士という職業も大変である。


 ローアルの休むべき時間を奪っている。早く体調を治して独り立ちし、ローアルを一刻も早く解放しなければ……。



 ヘルの家で目覚めてから、すでに5日が経っていた。今では、起き上がり普通に生活できる位まで回復してきている。


 後は――。






「おかえりなさい」


「はい!ただいま戻りました。……って、そうではなく!」


 リビングの入り口に突っ立ったまま、釈然としない様子で問いかけてくるローアル。


「何をしているのですか?」


「勉強です」


『ソコ違ウ』


「あ、ごめんなさい」




 この世界の言語は万国共通で、一部名の知れていない島国や辺境の地では独自の言語を使うこともあるようだが、それでも全く通じないことはないのだと言う。


 ヘルの貸してくれた本を読もうとしたのがきっかけで、文字を読めないことが判明した。


 言葉は通じていたので、文字も問題ないと思っていたのだが、そうは問屋が卸さないらしい。



 ここから出た時、最低限読み書きができた方が働く先を見つけやすいかもしれないと思い、今朝「文字を覚えたい」と言ったアキヨに、ヘルが用意してくれた教師はムゥだった。


 そうして、先生となったムゥに早速文字を教わっていたわけだが、全ては今日決まったことなのでローアルが初耳なのも無理はない。




 ムゥはかれこれ6時間ほど、ずっと付きっ切りで教えてくれている。……ありがたいが、少し集中力が途切れてきた。




「言ってくれれば教えたのに……」


「ローアルは、仕事があるから」



「あれ、まだやってたんだ」


 作業部屋から出てきたヘルが、驚いたように机の上に散らばる紙を見る。


『全部、教エタ』


「はやっ!」


『今、文法』


「それは優秀なことで……。どう、憶えられそう?」


 首を傾げるヘルに頷く。


 こちらのペースに合わせて分かりやすく教えてくれるムゥは、本当に良い先生だった。家庭教師とか向いているのではないだろうか、と鳥であることも忘れて真剣に考えてしまう。


「さて、そろそろ夕飯にしよう。机の上、片付けて」


「はい」


「ほら、アル坊も。男の嫉妬は見苦しいぞ」


「……」


 ため息混じりにヘルの言葉に従うローアル。


 アル坊とはローアルのことで、明らかに年上のローアルをそう呼ぶヘルにも、ここ数日で慣れてきた。




 これは数日前に判明したことだが、ヘルは子供の姿をした()()()()()()だったのだ。


 妙に大人びた口調や、子供にしては落ち着いた雰囲気など、確かに不思議に思う点は多くあった。


 しかし、自分よりは年下だろうと見た目で決めつけていた。そのため、ヘルの口から「100歳は過ぎてるよ」と言われた時は、さすがに目を見開いた。



「だから髪が白い、んですか?」


「ぶはっ!そこ?」


「?」


「いや、これは生まれつき。白髪(しらが)じゃないよ。あと、敬語も使わなくて良いからね」


 この世界の人は長寿なのかと思ったが、そういうわけでもなく、自分が特殊なのだとヘルは言った。


 ちなみに、この国の平均寿命は70歳前後らしい。






「アキヨちゃん、このお皿運んでくれる?」


 ヘルに呼ばれ、そう言えばご飯の支度をしていたのだったと我に返る。



 ヘルは料理を作る時、魔術を使う。指に炎を乗せたり、物を浮かせたりと、まるで手品を見ているようで面白い。


 ローアルもプロ顔負けの包丁さばきで、思わず魅入ってしまうほどだ。



 料理などしたことがないため、手伝えることと言ったら調味料を量ったり、鍋をかき回したりするくらいだが、二人を横目にキッチンに立つのは楽しい。


 今日はシチューのようだ。この世界ではミフィベと言うらしい。



 三人と一匹で囲むご飯。そこに自分がいることに、何だか不思議な気持ちになる。


 料理はどれも美味しく、そして温かい。今までご飯を美味しいと思ったことはそんなになかったのだが、この家に来てからは毎日「おいしい」と思う。


 それだけでも、アキヨにとっては大きな変化だった。






 ご飯を食べ終わったら風呂に入るのが、いつもの流れだ。



 この世界にはシャンプーリンスというものはないため、香油でケアをするらしい。


 風呂から上がると、決まってローアルが、髪を乾かすついでに香油を付けてくれる。


 自分でやると断ったのだが、途端に項垂れてしまい、「これが生きがいなんです」「どうしてもダメですか?」と上目遣いで訊ねてくるローアルに根負けして、ずっと任せてしまっていた。




「はい、できました」


「……ありがとうございます」


 髪を梳くところまでしてもらい、お礼を言うと満面の笑みが返ってくる。


 ローアルはよくこうして笑う。その度にどんな反応を返せばいいのか分からなくて、視線を逸らしてしまう。













 寝る前に、ストレッチをする。隈がなかなか消えないのを見て、ローアルが提案してくれたのだ。睡眠の質が良くなるらしい。




 ベッドは、目を覚ました時に使っていた物を、そのまま使わせてもらっている。


 ベッドの中に入ると、ローアルが椅子を枕元に持って来て座った。寝る前に二人で少し話しをするのが日課になっていた。






「……そうですか。6歳までの記憶が――」


「施設にずっといて、それから、祖父の家に引き取られて、そこで勉強を……」


「なるほど。どおりで、アキヨは頭が良いんですね」


「?」


「もうここの文字を憶えたのだから、すごいですよ」


「……ムゥが良い先生だから」


 そう言うと、なぜか複雑そうな表情をされる。


「本当は私が教えたかったんですけどね……」


「忙しそうだった、から」


「アキヨのためだったら、いくらでも時間を作りますよ」


 ローアルは、真顔でよくこういうことを言う。


 恐らく、アキヨの面倒を見ることも「仕事」の内ということなのだろうが、その真剣な瞳を向けられると、何故か居心地悪く感じてしまう。






 しばらく他愛のない話をした後、アキヨが小さく零した欠伸に気付いたローアルが微笑む。


「そろそろ寝ましょうか」


 徐に立ち上がったローアルは、するりとアキヨの髪を撫でた。


「おやすみなさい、アキヨ。良い夢を」


 部屋の明かりを消し、ローアルが名残惜しそうに部屋を出て行く。



 遠ざかる足音。それが聞こえなくなってから、アキヨは小さく息を吐き出した。




 ベッドから降り、窓の方へ近づく。


 カーテンを開くと、満月の光が木々の間から漏れて、部屋の中に差し込んだ。その光景に見入る。



「きれい」



 月の光を閉じ込めるように目を閉じ、しばらくして開く。


 月の光は曇ることなく、今日も()()()アキヨの顔を照らし続けた。













「ょ――っ!」


 ふわり、意識が浮上する。

 ローアルの声が聞こえた気がして目を開く。


 そこでふと、瞬きをした。



「アキヨ!」



 横たわっていた体を起こす。背を支えられ、ローアルが横に跪いていることに気付く。


 見上げると、焦燥した様子のローアルと目が合った。



 これは、どういう状況だろう。



「ローアル?」


 どこか痛むかのように顔を歪め、アキヨの手をぎゅっと握るローアル。


 ……なぜ彼がここにいるのだろう。


 ぼんやりローアルを見つめていると、不意に目の下をスッと撫でられた。


「……アキヨは、寝れてなかったんですね」


「!」


 はっとする。



 慌てて視線を上げると、窓からうっすら日の光が漏れていて、今が夜明けの時分なのだと分かった。


 そして自分が寝転んでいたのはその窓の真下――つまり床だった。


 そうだ、月の光に安心してそれで……。たぶんそのまま、気を失ってしまったのだ。




 何も言えずに口篭る。確かにこの5日間、不眠状態が続いていた。


 そして、寝れない理由も分かっていた。


「慣れれば、平気です」


「――こんな風に倒れて、平気なわけないでしょう」


 ローアルが、硬い表情でじっとアキヨを見つめる。


「すみません、気付くことができなくて……。アキヨは苦しんでいたのに」


「ローアルは悪くない、です」


「いいえ。アキヨを苦しませることは、私にとって大罪です」


 ……業務過失になってしまうと言う事だろうか。完全にこれは自分のせいなのに。



 謝らなければいけないのは自分の方なのだ。こうして迷惑をかけているのだから。


 ローアルの負担を減らそうと思っていたのに、結局こうして「仕事」を増やしてしまった。


「……ごめんなさい」


「なぜ謝るのですか?」


「迷惑を……」


「アキヨのことで迷惑なことなんて、あるはずないでしょう?」


「……」


 言葉が続かない。


「何か寝れない理由に心当たりはありますか?」


 心配そうに訊いてくるローアルから、視線を逸らしながら口を開く。


「――……暗闇が」



 眠れない理由は分かっていた。


 あの暗闇が押し寄せて来る気がして、目も閉じれない。


 箱の鳴る音が聞こえる気がして、何かが迫ってくる気がして怖い。



 研究所で閉じ込められた経験が、深刻なトラウマになってしまっていた。



「目を、閉じれなくて……」


 声が震えた。


 あの暗闇での記憶が蘇り、手を握りしめると、それまで黙って聞いていたローアルが、唐突に立ち上がった。その際に体を抱き上げられ、足が宙に浮く。


 呆然としている内に、ベッドへ優しく下ろされ、キルトケットを掛けられる。そしてなぜか、その隣にローアルが入り込んできた。


 何がなんだか分からないので、されるがままになっていると、腕が伸びてきて優しく抱き締められ、ローアルの温かい体温に包まれる。


「倒れているアキヨを見た時、私がどんな思いになったか分かりますか?」


 耳朶を打つ低音に顔を上げようとすると、それを阻止するようにギュッと抱き締める力が強くなる。


「頼ってください。自分を大事にしてください。慣れれば平気だ、なんて言わないで」


「た、よる?」


「はい」


「迷惑じゃ……」


「全然。むしろ嬉しいです」


 そう言って微笑むローアルを、そろりと見上げる。


「アキヨはもっと我が儘になってもいいんですよ」


「わが、まま」


「あと一人で悩まないで。一緒に私も悩みたいんです」


 真剣な表情で、ローアルがこちらを見つめる。


「アキヨに苦しんでほしくないんです。だからそうなる前に、これからは私に言ってくれますね?」


「……はい」


 素直に返事をすると、ローアルは輝くような笑顔を浮かべた。


「目を閉じて、アキヨ」


 ベッドに一緒に横たわり、言われたように目を閉じると暗闇に囲まれる。



 咄嗟に目を開けようとした時、


「大丈夫です、アキヨ。私がいます」


 温かい体温と、優しいローアルの声が響き、気持ちが驚くほど落ち着いた。


「大丈夫、大丈夫。怖くない怖くない」


 ポンポンと背中に心地好い振動が響く。そして優しく頭を撫でられる。


 段々意識が離れていくのを感じた。久し振りの感覚。眠りに落ちる前の感覚だ。


 ――ああ、安心する。


 すぐ近くにある体温にひどく安心して、無意識に擦り寄る。


 すると頭を撫でていた手が一瞬止まった気がしたが、すぐにあやすように動き出す。




 今まで無意識に肩に力が入っていたのが分かった。脱力すると今までの疲れが津波のように押し寄せる。


 意識が落ちていく。暗闇の中へ。



 不意に、遠くの方で音が鳴り響く。ガタガタ、という音。


「ローアル」


 縋るように呼んだ名前。


 目を開いた先にあるのは、輝く月。


「アキヨ、大丈夫」


 甘い声が脳に響く。

 ローアルが腕の力を強めた。


「大丈夫。何も怖くない」


 温かい体温と、子守唄のように聞こえる心地良い低音に、段々瞼が落ちてくる。


「これからは俺が守るから――、安心しておやすみ。アキヨ」


 その優しい声音に促されるように、無意識に掴んだローアルの服。


 そしてそのまま、意識を落とした。













 カーテンの隙間から漏れる光が眩しくて、目を覚ます。


「あ、おはよー」


 横から声をかけられ視線を向けると、にっこり微笑むヘルが椅子に座っていた。


「お、はよう」


「うん。あ、これカーシスだよ。血流を良くするんだ」


「……ありがとう」


 受け取ったカップからは、爽やかなベリーのような匂いがした。中身も薄い紫色だ。


 一口飲むと、甘酸っぱい味がした。



「隈が治らないなとは思ってたけど、不眠だったなんて。辛かったね」


「……ごめんなさい」


「なんで謝るの?」


 ヘルはキョトンと首を傾げる。


「何度も迷惑をかけてる」


「え、迷惑なんて思ってないよ。むしろもっと頼ってほしいくらい」


 ヘルもローアルと同じようなことを言う。本当に……、二人は優しい。



 そこでやっとローアルがいないことに気付く。


 ヘルがそれを見越して、声を上げた。


「あ、ローアルなら仕事に行った。出る直前までアキヨちゃんのこと、心配してたよ」


 その様子を思い出したのか、くすくす笑うヘルに瞬きをする。


「よく寝れた?」


 優しく訊かれ、一つ頷く。



 本当に、久し振りによく眠れた。頭がスッキリしていて、体も軽い。


 夢を見ることもなく、随分熟睡していたらしい。



「それは良かった!さて、とりあえず朝ご飯にしよう。あんまり寝すぎると、また眠れなくなっちゃうからね」


 ヘルに促されてベッドを下りる。


 朝ご飯の準備を一緒にして、二人と一匹で「いただきます」をする。ここ5日間と変わらないサイクル。



 だけどその日は一日、何かから解放されたかのように心が軽かった。



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