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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
序章 旅立ち
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初めての選択



 ローアルが運んできたのは、お粥のようにドロドロとしたクリーム色の食べ物だった。




「はい、あーん」


 木のスプーンで一口掬い、ニコニコとこちらに向けるローアル。


「……一人で」


「あーん」


「……」


 小さく口を開けると、上手い具合にスプーンを入れられる。


 広がるのは、温かい味。


「……おいしい」


 思わず零れた言葉。


 食感はじゃが芋に似ている。本当においしい。こんなに美味しいもの、初めて食べた。


「……たくさん食べてくださいね」


 一瞬だけ、何か言いたそうな表情を浮かべたローアルだったが、すぐに嬉しそうな笑顔で再度スプーンをすくう。



「……あの、一人で」


「遠慮はいりませんよ」


 ――――結局、全部食べさせてもらった。今度は自分で食べよう、絶対。



 サイドテーブルに置いたままだったお茶を飲み、一息つく。



 ローアルは空になった皿を下げに行った。今この部屋にいるのは、自分とムゥだけだ。


 薄暗くなってきた外の景色を眺めながら、考えを巡らす。




 ――悩む必要もないはずなのだ。


 この世界に残ったとしても、常識も何も分からない場所で一人暮らしていくのは難しい。だったら日本に帰った方が、良いに決まってる。


 なのになぜか、その答えを口にできない。


 アキヨはそんな自分にひどく戸惑っていた。



 答えは歴然としているのに。なのに、どうして。






「アキヨ」


 ハッと我に返る。


 見れば、すぐ近くにローアルが立っていた。全然気付かなかった。


 ヘルはまだ戻ってきていないようだ。



 ローアルはベッドの端に腰掛け、こちらに体を向ける。


「ヘルから聞きました。元の世界に戻るか、迷っているって」


 まさに今考えていたことを言われ、無意識に身構えてしまう。


「私達はアキヨの答えを尊重します。ただ――」


 ローアルは逡巡するように言葉を切り、そっとアキヨの手をとる。



 夜空のような瞳が、揺れているように見えた。



「アキヨは、向こうに帰って幸せですか?」


「し、あわせ……?」



 思いもよらない問いに、思考が停止する。






 幸せだと思ったことなんてない。だけど、不幸だと思ったこともなかった。



 自分で命を絶とうとしたことはないけど、生に執着したこともない。


 ――ただ、生きてきた。命が尽きるその時まで、ただ生きようと。




「分からない。しあわせって、なに?」




 幼い頃、施設で暮らした数年間。なぜ、自分は生きているのか考えていた。


 いくら本を読んでも分からない。記憶を失くして空っぽの自分が、空っぽの日常を消費することに何の意味があるのだろう。何のために、生きているのだろう。


 だけど逆に、死ぬ理由もなかった。


 祖父の家で過ごした日々。祖父は言った。『果たすべき義務がある』と。


 初めて、生きる意味を見出せた。だから例え暴力を奮われたとしても逆らわなかったし、見知らぬ人との婚約にだって従った。それが、自分に与えられた存在意義だったから。


 この世界に来てからも、求められることを拒否することは無かった。例え鑑賞用でも奴隷でも実験体でも、必要とされているのならそれで良かった。



 どんな状況でも、そこに自分の存在意義があるのなら生きてきた。


 だけど、この場所には、この世界には、もうそれがない。だから、日本に帰る。


 そう、今までの自分の生き方に従うならばそれで良い。



 ――……なのに、なぜ、こんなにも。




「幸せを知らないのなら、これから知っていけばいい」


 優しい声に、肩が震えた。


「アキヨ」


 握られた手が熱い。熱が伝わってくる感覚に身震いする。




 ……そうか。ヘルもローアルも、優しいのだ。




 初めて、こんな優しさに触れてしまったから。だから、迷ってしまう。この優しさに、縋ってしまうのだ。


「このまま、この世界で暮らしませんか?」


 その言葉と共に、視界が暗くなった。


 突然のことに動揺するが、すぐに抱き締められているのだと気付く。


「アキヨ……」


 名前を呼ぶ声は、どこか不安げに揺れている。


 なぜローアルの方が不安そうなのか。分からない。わからないけど、こんな風に抱き締められたのは、記憶する限り初めてで。


 温かい体温が、じわりと沁みる。


「……」




 今まで、自分で何かを選択することなんて、なかった。言われた通りに従い、求められる通りに動くだけ。それが当たり前だった。


 けれど今、その当たり前が崩れようとしている。


 初めて自分の意思で、何かを選ぼうとしている。




 ……ああ、そうか。


 だから、こんなにも、「怖い」のか。




「わたし……」


 選択することって、怖い。こんなに、怖いことだったんだ。


 選んだ道が、間違っているかもしれない。いつか後悔する日が、来るかもしれない。


 そんなの、誰にも分らない。分からないけれど、それでも選択し、前に進む。



 それが、「生きる」と言うこと。



「わたしは」


 きっと、答えはもうとっくに出ていた。

 それを口に出せなかったのは、怖かったから。


 自分のこれまでの生き方に、終止符を打つ。

 その勇気が、覚悟が無かったから。



 ――ごめんなさい。

 ごめんなさい、お祖父様。



 この選択が、正しいのか間違っているのか。

 まだ、悩む気持ちは消えないけれど。


 それでも、私は――――。




「この世界に、残ってもいいですか」


 ――彼の言う「しあわせ」とは何なのか、知りたいと思ってしまいました。




「っ!もちろんです!!」


 途端、パッと顔を上げたローアルは満面の笑みを浮かべ、次の瞬間にはギューッと抱き締めてきた。


「ああっ、アキヨ!ありがとうございます!」


 なぜかまたしてもお礼を言われ、瞬きを返す。




 ―――――いや、それより。


 突き刺すような強い視線を感じて、ふと顔を上げる。



 ローアルの肩越しに目が合ったのは、こちらを半目で眺めるムゥ。




「……ローアル、さん」


「っ!」


 バッと体を離すローアル。

 と思ったら、今度はこちらを凝視したまま動かなくなってしまった。少し怖い。



「今……!」


「?」


「初めて、名前を……!!」


 言われて気付く。確かにローアルの名前を口にしたのは、これが初めてかもしれない。


 何か駄目だったのだろうか。スクリム、と家名で呼んだ方が良かったか。


 少し不安になりローアルを窺うが、その瞳はなぜか輝いている。



「もう一度、呼んでいただけませんか!?」


「え、えと、ろ、ローアルさん?」


「呼び捨てで構いません」


「……ローアル?」


「う゛っ!」


 途端、左胸を抑えて蹲るローアル。


 ……大丈夫だろうか。


 ムゥの目も心なしか、どんどん鋭くなっている気がする。




 それからも暫くローアルに名前呼びを乞うられ、痺れを切らしたムゥが甲高い鳴き声を上げるまで、それは続いたのだった。













 お茶を持ってきてくれたヘルに、この世界に残ることを伝えると、意味深な笑みを向けられた。


「まあ、アイツが逃がすはずないか」


「……?」


「何でもないよ。じゃあこれからのことは、体調が完全に戻ってから考えよっか。それまでゆっくりこの家で療養すること!」


「……ありがとう」


 もし早々に追い出されることになったらどうしよう、と考えていたためヘルの言葉に感謝する。


 ベッドの上に投げ出された、包帯だらけの自分の手を握り締めながら、今後どうしようか考えていると、食器洗いをしていたローアルが戻って来た。


「アキヨ、お風呂に入りませんか? 」


 その言葉になぜかヘルが慌てたように、こちらに駆け寄ってきた。


「練習も兼ねて、自分で入ってみたら?ね?」


「……入ってもいいなら」


 お風呂に入れるのは嬉しいことだ。


 気を失ってた間も洗ってくれてたみたいだが、この世界に来てからまともに入浴できていなかったこともあり、実感がない分、さっぱりしたい気持ちが強かった。



 ――しかし、やけに「自分で」を強調されたように感じたが、気のせいだろうか。



 ヘルがほっとしたように息を吐く後ろで、ローアルがなぜかムスッとした表情になる。


「……」


「言っとくけど、今までは治療だから仕方なく!任せてただけだからな!」


「今まで良かったんだから、変わらないだろ」


「意識戻ったら、駄目に決まってるだろ!」


「あ、あの」


 唐突に始まってしまった険悪なムードに、慌てて口を開く。


「自分で入れます」


「案内するね!」


 満面の笑みでヘルが立ち上がる。


 アキヨも、そろりとベッドの外に足を伸ばし、立ち上がろうとゆっくり力を込める。


「っ」

「アキヨ!」


 少しふらついてしまい、よろけたところをすかさずローアルが支えてくれる。


「ありがとうございます」


 お礼を言って、バランスを取り直す。


 ゆっくりでなら一人でも問題なく歩けそうだ。



 心配そうに見守るローアルに寄り添われながらリビングらしき所を横切って案内されたのは、木の匂いに囲まれた浴室だった。



「着替え、後で置いとくから。脱いだ服もこの籠の中に入れといて」


「本当に大丈夫ですか?やはり私が……」


「はいはい、過保護すぎ~。でも本当、何かあったらすぐに呼んでね」


 ローアルの背中を押して出て行くヘルに頷き、脱衣所のドアを閉める。


 そして一人になった空間で、小さく息を吐き出した。




 自分の体を見下ろす。着せられていた服を脱ぐと、痣だらけの貧相な身体に、所々包帯が巻かれていた。一つ一つ丁寧に解きながら、怪我の状態を見ていく。


 傷のほとんどは屋敷で働いていた時に作ったもので、研究所にいる間に治ったものもあったが、化膿したり再び傷口が開いてしまっているものもあった。それを治療してくれたのだろう。本当に頭が上がらない。


 研究所で怪我をすることはなかったが、注射を何回もされた記憶がある。そこにも包帯が巻かれていて、見れば思っていたより痕がしっかり残っていた。


 そして指に巻かれた包帯。解いてみて、思わず眉を顰める。恐らく、あの暗闇から抜け出そうと必死だった時、壁を引っ掻いて爪を……。復活するにはもう少しかかりそうだと、他人事のように分析する。



 一通り確認してから、浴室のドアを開けた。


 湯船が一つと、桶と椅子が一つ。 どうやらシャワーはないらしい。


 置いてあった固形石鹸で髪や体を洗っては流し――それを三回程繰り返してようやく泡立ちが良くなってきた。やはり結構汚れていたようだ。


 それでも思っていたより垢が出なかったのは、やはり気を失っている間に洗われていたからだろう。ありがたいが、申し訳ない気持ちの方が強い。


 そうして全身洗い終えて、湯船に足を入れる。ほうっと思わず吐息が零れた。モワモワと上がる湯気をぼんやり見つめる。じんわり、体が温まる感覚に力が抜ける。木の良い匂いも、リラックス効果を高めるのに一役買っていた。


 屋敷にいた頃は石鹸もなかったし、湯船もなく、井戸の横で冷水をかぶるだけだったため、久し振りのお風呂だった。


 日本にいた頃は、お風呂の時間が唯一安心できた。お風呂に入ってる間は、誰にも怒られることはない。何の音も入ってこない。誰にも侵されることのない空間だったから。



 日本に帰る方法は今のところないが、探してみるとヘルは言っていた。


 この世界に残ることを決めた今となっては、もう必要のない情報だが、もし日本に帰る方法が見つかったなら、自分はその時何を思うのだろう。



 膝を抱え、目を閉じたのは一瞬で、すぐに目を開け、風呂から出た。






 入浴する前に脱いだ服や包帯は無くなっており、代わりに綺麗に畳まれたタオルが置いてあった。ありがたく使わせてもらう。


 そして一緒に置かれていた新しい服を身につける。前をボタンで留める、ワンピース型のパジャマだ。素材がふわふわしていて気持ちいい。




 髪を拭きながら脱衣所から出ると、すぐにローアルが駆け寄ってきた。


「アキヨ!体調は?」


「大丈夫です」


「あ、おかえり~。お湯加減は良かった?」


「うん、お風呂ありがとう」


「どういたしまして」


 そう返事をした後、机の上に広げた本へ視線を戻したヘルに比べ、ローアルは心配性なのか、アキヨの周りをうろうろしながら、何かと世話を焼こうとしてくる。


「髪、拭かせてください」


 戸惑うアキヨの手を引き、ソファーに座らせると、自分はその後ろにまわり、タオルで優しくアキヨの髪を拭き始めた。


「痛いところはありませんか?」


「は、い」


「後で包帯を巻き直しますね」


「……お願いします」


 気付けば髪を梳かれ、包帯も巻いてもらって、ベッドに運ばれていた。



「子守唄を歌いましょうか?」


「……」



 窓のカーテンを閉めたローアルが、ニコニコとベッド脇の椅子に座るのを見て、やっと我に返る。



 そして思った。これは早々に何とかしなければならない、と。



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