天使の懺悔
こちらは次回作に繋がるお話です!
『天使協会地球域日本東京C地区担当、魂回収班主任NO.01324、輝望 。前へ』
――天界、裁きの間にて。今、一人の天使が断罪されようとしていた。
『お主は、一つの魂に私情を持って干渉し、己の独断で異界へとその魂を転送した。相違あるまいな』
「はい。間違いございません」
壇上にいる大天使達に首を垂れる、一人の天使。
見た目は人間と変わらない。40代ほどの男の姿をした天使だ。彫りの深いラテン系の顔立ち。程よく焼けた肌は適度に筋肉が付いており、がっしりとした体格をしている。
『罪状は、私情による個人への干渉、独断の異界転送、異界の狭間への勝手な介入、及びそれらの罪の隠蔽工作となる。異論は』
「ありません」
従順に、淡々と即答する天使――輝望に、大天使達は微かに顔を顰めた。
『……それでは、NO.01324、輝望。お主に天界からの追放を言い渡す。今後、一切天界との繋がりを断ち、こちらへの接触を禁ずる。天使としての立場も剥奪とする。よって――』
カーンと槌が振り下ろされる。
『ウホマトンケの地で、人としてその生を閉じよ』
「……仰せのままに」
地へと堕とされた天使は、もう二度と羽ばたくことはできない。
大天使の一人が、耐えきれないと言う風に、顔を覆って震える声を漏らす。
『おお、輝望よ……。なぜ、優秀な其方がこんな事を……』
輝望は、その言葉に答えることなく、すくりと立ち上がると、踵を返して裁きの間を後にした。
今日で最後になるであろう、仕事場の廊下を歩く。
――と、後ろに気配を感じ、輝望は立ち止まった。
「先輩」
同時に声をかけられ、振り返る。
「……十字郎か」
そこに立っていたのは己の部下だった。
一見、優し気な好青年といった容貌だが、その顔に貼り付けられた笑みがどこか胡散臭くも見える男。首からかけられたネームプレートには「十字郎」と簡素に記されている。
スーツをピシリと着た我がチームのエースは、姿勢よく立ったまま、静かに口を開く。
「今日で、さよならですか」
疑問形ではなかった。語尾が上がることなく、下がる。
彼は、分かっているのだ。たった今終わったばかりの、裁きの結果を。
「――ああ。ウホマトンケへ堕とされる。お前が今日から俺の代わりに此処の主任だ。引継ぎは完璧にしたつもりだが、業務についての質問があるなら今が最後のチャンスだぞ」
「いえいえ、そんな。最後のお別れに仕事の話しをするほど、野暮ではないですよ」
「……相変わらず人間みたいなやつだな、お前は」
鼻で笑ってやれば、肩を竦められる。食えない奴だ。
「それで、業務連絡じゃなきゃあ何の用だ」
半身だけ向けていた体を、真っ直ぐ正面に向ける。そうしてしばらく見つめ合えば、十次郎はふと笑みを消した。
「貴方は、なぜ田島明夜の魂を救おうとしたのですか」
「……」
ふぅと一つ溜息を吐く。予想通りの質問だった。
天使は、神の手足として様々な職務が与えられているが、その内の一つに魂の回収がある。魂回収班に配属された天使は、担当地区で死期を迎えた魂を黄泉の国へ導く案内人を担う。
田島明夜は、魂回収班である輝望が担当していた魂の一つだった。何千何万といる、担当魂の内の一つ。ただそれだけのはず、だった――。
「お前は、人間が好きか」
「何ですか、いきなり」
片眉を上げて見せた十字郎だったが、こちらが黙っていれば一つ溜息を吐いて、軽く頷いた。
「ええ、好きですよ。嫌いな天使なんていないでしょう」
「そうだな。それでこそ天使だ。だが、俺ならその質問にはこう答える。“人による”ってな」
「はい?」
怪訝そうにこちらを見つめる十字郎に、輝望は笑う。
「だから俺は堕とされるのさ。十字郎。お前は俺みたいになるなよ」
話しは終わりだ。踵を返して、片手を振る。
「じゃあな。達者でやれよ」
歩き出した輝望の背中を、十字郎の声が追いかける。
「先輩、僕は納得していませんからね。今回の事」
その言葉が何を意味するのか、十字郎が何を思ってそう言ったのか、輝望には分からなかった。しかし、別に構いはしない。もう、彼と会うことはないのだから。
田島明夜は、輝望の事を知らない。
本来、人間は死んでから担当の天使と対面する。しかし、田島明夜は死ぬ前に体ごと異界へと転移させた。だから、彼女は輝望と対面したことはない。
しかし、輝望は田島明夜が生まれた時から、彼女の事を知っていた。
担当する魂の事は、この世に生を受けた瞬間から監視している。これも業務の一環だ。だから、彼女の事も例に漏れず、輝望はずっと見守って来た。
田島明夜の母、田島椿は、私感で言うなら陰気な女性だった。悪口ではない。人間は陽気な人間と陰気な人間の二つに分かれる。それは生まれた時から決まっているのだ。そういう性質という話しである。
とにかく、田島椿の性質は「陰」だった。良家に生まれた田島椿は、その環境を享受しながら、周りからのプレッシャーと重圧に耐えられない、脆弱な精神をしていた。
そして、それを周りのせいにすることもできず、自身を責めてしまう融通の利かない性格をしていた。そういう人間は溜め込んだものを小出しにできず、いきなり爆発させてしまう。
ある日、田島椿は家出をした。ふらりと外に出て、そこで出会った男に慰められ――世間知らずのお嬢様はコロリと、意図も簡単に騙された。
その男の言う通りに手筈を整え、田島椿は本格的に家を出た。莫大な額のお小遣いを全て男に渡して、それでも幸せだと男に依存していった。彼が、結婚詐欺師であることも知らずに。
彼女がそれを知ったのは、男が逮捕された後だった。その頃には、すでに彼女の身には命が宿っていた。
恐らく、男の方は子を作るつもりなどなかったのだろう。自身が犯罪者であると悟られないために、結婚した相手が不安がり、やがて男の事を不審に思わないように行動しつつも、細心の注意を払っていたはずだ。
しかし、子はできた。かなり低い確率だったにも拘らず。そのわずかな確率を、田島椿は引き当てたのだ。
――輝望は全て分かっていた。人間の運命はある程度決まっている。もちろん変わることもあるが、それは案外稀な事だ。
徐々に破滅していく田島椿を、輝望はただ見ていた。彼女も自身の担当する魂だったからだ。
担当している魂に天使が干渉することは禁忌とされている。その魂が、どれだけ悲惨で見るに堪えない人生を歩むことになったとしても。情だけで救うことは許されない。だから、ただ見ていた。
――否、ソレだと語弊がある。
別に、輝望は田島椿を助けたいとは思わなかった。
これまでもそうだ。どんなに自身の担当している魂が辛酸を舐めようとも、輝望にはそれをどうこうしたいと思う情は湧かなかった。
天使は人間を無条件に好ましく思う。神の手足である自分達は、そういう生き物だと教わった。
しかし、自分はどうもそこら辺の情が希薄なようだった。別に人間の事は嫌いじゃない。だからと言って好きでもない。丁重に扱いはするが、それは仕事だからであって、それ以上の感情を抱くことはない。輝望にとって、人間とはその程度の存在だった。
――――しかし、たった一つだけ。
その魂だけは、今まで何千年と見てきた魂のどれとも違っていた。だから興味を持った。最初はただそれだけだった。
田島椿の腹に宿った一つの命。その魂は、輝望の担当に割り振られた。おかしなことではない。魂の担当は通常血統ごとに割り振られることが多いからだ。
先祖代々、その一族の魂回収を一人の天使が担当する。決して、珍しい事じゃない。
田島明夜と名付けられたその魂が地上に生を受けた日。田島椿はその赤子を見て微笑んでいた。その表情は確かに、母親の顔だった。子を想う、母の顔。
しかし、人間はあっさりと変わる生き物だ。田島椿がその微笑みを田島明夜に向けなくなるのは早かった。
毎日疲れて帰って来たら、物も言えず泣き喚く子供の世話をする。そして、碌に眠れずにまた仕事へ行く。そんな日々。
元々精神面が強くない田島椿はすぐに折れた。人としての倫理観からか、最低限の世話はしていたようだが、それも死なないギリギリの範疇。そこには欠片の愛情も込められていなかった。
そうして育てられた赤子がどう育つのか、輝望はこれまでの経験からよく知っていた。
一つは、早死するタイプ。単純な外的要因で成長できずに死ぬパターン。
もう一つは、大人になって犯罪に走るタイプ。どちらにせよ、碌な成長はできない。
そして、このまま行けば田島明夜の未来はまさしくそういう道を辿る運命にあった。
しかし、驚くべきことにこの田島明夜は、その運命を悉く、何度も捻じ曲げた。
田島明夜は、選択肢を間違えない人間だった。人間としての、ではない。天使側から見ての話しだ。
人間には行動の一つ一つに選択肢が用意されている。その選択肢をどう選ぶかによって己の運命が決まるのだ。
そして多くの人間は、大多数が選ぶであろう選択肢を選ぶ。しかし、それでは運命は変えられない。
運命を変えたいのなら、誰も選びたがらない、一番選ぶ可能性の低い選択肢を選び続けなければならない。そして、それができる人間は稀だった。だから多くの者が運命を変えることはできない。
しかし、田島明夜は無意識にそれができる人間だった。
ある日のことだ。異界から干渉があった。狭間を越えて、異界の人間がこちらへ転移してしまったのだ。
イレギュラーではあるが、無い話しではない。そう言う事は、今までにも稀にあった。大した問題ではない。なぜならこちらが許可しない限り、転移してきた存在はこの世界に存在を認められないため、感度の良い人間以外には感知されないからだ。
だから大体が、幽霊だとか未確認生物だとか、そう言ったものとして地上では処理される。実体を持てないのだ。
しかし、輝望はふと思った。もし、田島明夜の前にその存在が現れたら、彼女はどんな選択肢を選び、行動するのだろうか、と。
異界からの客に干渉することは禁じられているが、そこまで咎められるほどの大罪でもない。人間でいう所の減給程度の罪だ。
単なる好奇心だった。輝望は異界から来た少年が田島明夜の元へ行くように仕向けた。
果たして、田島明夜はそこでも選択肢を間違えることはなかった。
異界の少年に「一緒に行こう」と言われた時、田島明夜に用意された選択肢はいくつかあった。その中で一番可能性が高かった選択肢は「行く」と答える事。しかし、彼女はそう答えなかった。
田島明夜は逃げ出すと言う選択肢を決して選ばなかった。現状をただ甘受し、耐えた。それは、多くの人間ができないことだ。例え、それが最善の選択だと知っていたとしても。
……別に、良い悪いと言う事はない。それが一番難しいと言う話しだ。しかし、彼女はそれを迷いなくできる人間だった。
――だから、たったの一回だけ。あの時、彼女が選択を間違えたのは。
他の誰でもない、輝望のせいなのだ。
母親から刃を向けられた時、最善の選択は「受け入れる事」だった。
逃げずに、その場に留まっていても、田島明夜は死ぬことはなかった。訪問者――田島明夜を通して、田島椿に麻薬を渡していた男だ――が玄関のドアを叩き、母親が我に返ることで、殺人は未遂に終わっていたはずだった。
しかし、田島明夜は逃げた。
あの時、彼女の深層心理には、異界の少年がいた。彼の面影を追って、田島明夜は外に出たのだ。
異界の少年に出会っていなければ、彼女は逃げると言う選択肢を取ることはなかった。
そして、その結果母親が自殺することもなかった。
田島明夜が選択肢を間違えたのは、自分のせいだ。
「そして、私が死んだのも、貴方のせいって?」
疲れ切った様子で溜息を吐いた田島椿が、輝望を暗い瞳で見つめる。
それに沈黙を返せば、彼女は力なく笑った。
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。……貴方達に見えている世界も価値観も、人間とは違うものなのでしょうね。でもね、私は誰が何と言おうと、これで良かったのだと思うわ。それは、今あなたの言葉を聞いてより確信に変わった。私はここで死んでよかった。きっとこのまま生きていたとしても、私はあの子の足枷になるだけだったのよ」
田島椿はそう言って、久し振りに見せる母親の表情で、穏やかに微笑んだ。
皮肉なことに、田島椿が母親に戻れたのは、自身が死んだ後だった。
しばらくして、再び異界から干渉があった。あの時の少年が転移してきたのだと瞬時に分かった。
しかし、今度はこちらも干渉しなかった。
こちらと異界では時間の流れる速度に波がある。すっかり成長して青年となっていた彼は、自力で田島明夜に辿り着き――――そこで、首を吊った母親を光の無い目で見つめる彼女の姿を見つけ、絶望の叫び声を上げた。
そしてその全てを、輝望は遅すぎる後悔の中、ただ見つめていた。
記憶を失くし、少年の事を忘れた田島明夜は、輝望の失態を裏付けるかのように、再び選択肢を間違えることはなかった。
ただ甘受し、抵抗することなく現状の全てを受け入れるように生き続けた。
本来、田島明夜が辿る運命は、母親と大差ないものだった。
暗く沈んだ生活に自分を責めて周りを責めて、愛を探して間違えて、罪に手を染めて寂しくその生を閉じる。そんな人生。
しかし彼女は、自身の力でその運命を変えていった。天使さえも驚かせる、純粋さと愚直さで。
だからこそ、輝望は果てしなく後悔した。もしあの時、あの一回の選択肢を彼女が間違えていなければ、彼女は考えうる限りで最高の幸せを手にできたはずだったからだ。
母親との確執を乗り越え、親子二人で支え合いながら、やがて田島家に戻り、そこで愛する者と巡り合えるはずだったのだ。
しかしその道を、輝望が閉ざした。例え、田島明夜がこの先一度も選択肢を間違えなかったとしても、もうその最高の幸せを手にすることはできない。
彼女はこの先、一生「愛」を知ることなく、ぬるま湯のような人生を閉じることになる。
――――自分で蒔いた種だ。罪は、償わなければならない。
決行は、田島明夜が婚約者と初めて会う日。輝望は、交通事故のどさくさに紛れて、彼女がケガを負う前に異界へとその身を転移させた。
天使はある程度、人間の未来が見える。故に、あの異界の少年のもとに行けば、彼女が幸せになれると輝望は確信していた。
しかし、それは本来有り得ない未来。なぜなら、禁忌とされている方法でしか、彼等は巡り合うことができないのだから。
廊下を歩く。
カツカツと鳴る己の靴音。それをぼんやりと聞きながら、輝望は奇妙な達成感を感じていた。
――なぜ、田島明夜の魂を助けたか、か。
正直、輝望もよく分からない。自分がなぜそのような行動をとったのか。
罪滅ぼしのようでもあり、同情のようでもある。しかし、そのどちらでもない気もする。
田島明夜は、輝望の期待通り、異界で幸せになった。だから、後悔はしていない。
――否、一つだけ。己を生んでくれた親を悲しませてしまったことだけが、ただ一つの悔恨だ。
もし、田島明夜をウホマトンケへ転移させた結果、数年後、または数百年後の未来に何かしらの不具合が起こったとしたら。
尻拭いは己でしよう。そのための、ウホマトンケへの追放なのだろうから。
――俺の事など理解できなくていい。十字郎。お前は間違えるなよ。
堕天使となるのは、自分が最後だ。堕天使の後輩はいらない。
置いて行く仲間達に思いを馳せながら、こうして輝望は天界を去った。
――その数百年後。
ウホマトンケへ、一つの魂が転生した。
森の木々に囲まれ、捨てられるようにひっそりと置かれた籠の中。すやすやと眠るその赤子を見下ろし、一人の男が頭を抱えて深い溜息を一つ吐いた。
「……十字郎の奴。余計な事を」
男はそう独り言を呟くと、仕方ないと言う風にその籠を抱き上げ、赤子の頬を優しく撫でた。
このお話で、本物語は完結とさせていただきます。改めて、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
次回作は、同じ世界線で描かれる、ウホマトンケの数百年後のお話、の予定です。
投稿されましたら、ぜひそちらも楽しんでいただけたら幸いです!
次回作の詳細は、活動報告をご覧ください。
それでは、またお会いしましょう!




