ローアルの日記
××××年○月△日
今日から毎日、俺は日記を書くことにした。日記なんて柄じゃないが、尊いこの日々を記録しておかずにはいられない。この時間が夢ではなかったという証拠を残しておきたかった。
今日、彼女が目を覚ました。そして、やっとその名前を聞くことができた。アキヨ、と言うらしい。なんと温かい響きなのだろう。聞き慣れない響きだが、それがとても彼女にあっていると思った。
アキヨを見つけたのは10日前だ。あの時の感動は、とてもじゃないが文字に起こせそうにない。……もちろん、後悔はキリがないほど溢れてくるが、とにかく今はこの再会を、ただ喜びたい。
名前を知った後、すぐに『騎士の誓い』をした。あれは亜人の血を引くスクリム家の者が魔力を込めて唱えれば、呪いのような効果を発揮すると聞いたことがある。初めてやってみたが、確かにアキヨと微弱ながら魔力の繋がりを感じられるようになった。
考えたくもないが、アキヨが元の世界へ急に戻ってしまう可能性も零ではない。いつそうなるかも分からない状態なのだ。しばらくは片時も傍を離れたくはなかったが、これなら少しは安心できる。今の状況で仕事を放りっぱなしにするのは、現実的ではない。歯痒いが、考えねばならないことも、やらねばならないこともたくさんある。
しかし、煩わしさはない。むしろ俺は今、かつてないほどのやる気に満ち溢れている!今ならどんなことでもやれそうだ。
××××年○月●日
今日は何て素晴らしい日だろう!アキヨが、この世界に残ると言ってくれた!しかも、初めて俺の名前を呼んでくれたのだ!!自身の名前に何か思ったことなどなかったが、アキヨに呼ばれただけで、とても特別な響きに聞こえるのだから不思議だ。
少しくらいは、俺に心を開いてくれたということだろうか……。
俺はどうやら人に威圧感を与えるらしい。今までは大して気にしたことなどなかったが、アキヨにだけは「怖い人」だなんて思われたくない。だから、母親の口調を真似て丁寧に話すようにはしていたが、それが案外功を奏したのかもしれない。
……はぁ。こうしてアキヨの事を思いながら日記を書いている時間がとても長く感じる。
本当は夜の間もアキヨの傍にずっといたいが、彼女は病み上がりだ。他人の気配が傍にあればゆっくり休めないだろう。しっかり寝て早く元気になって欲しい。隈が全く良くならないのが心配だ……。
××××年○月★日
アキヨが倒れた。――倒れたのだ。
あれだけ、再会したらもう悲しませないと豪語していた過去の自分を……、アキヨに会えて浮かれ切っていた自分を殴りたい。
夜、寝れてなかったのだ。ずっと。
暗闇に怯えて、どれだけ不安な日々を過ごしていたことだろう。
あの忌々しい研究所の奴等め……。まだこの騎士の身分がある間に、必ず報復してやる。
――そして何より、自分自身に腹が立つ。
俺は結局、自分の事しか考えられていなかった。嬉しくて嬉しくて、ただアキヨが傍にいるだけで満足してしまっていた。その慢心が招いた結果だ。
これからは遠慮なんて中途半端なことはしない。思えば、俺らしくない行動だった。これからは誰がなんて言おうと、彼女自身が拒否しようと、アキヨの傍を離れないとここに誓おう。
しかし、そのためには仕事の引継ぎを完了させなければいけないことも事実だ。非常に遺憾だが、日中はヘルにアキヨを任せるしかない。本当に不本意だが……。
とにかく早急に長引かせることなく、仕事をさっさと終わらせて、一刻も早くアキヨの傍にいられる時間を確保しなければ。
しかし、怪我の功名というか、不幸中の幸いと言うか……。いや、分かっている。不謹慎極まりない考えだが――つまり、俺はアキヨとこれから毎日寝れる特権を手に入れたのだ。
過去の自分へ教えてやりたい。彼女の天使のような寝顔が、一晩中見れる時がいつかくるから、辛くても今を生きろと。
――まだ、骨と皮だけの栄養失調が目立つ体躯だ。身長が年齢の割に随分小さいのも、幼い頃から食料を満足に与えられなかった影響だろう。
彼女が本来の姿を取り戻せるように、全力を尽くそう。
××××年○月▼日
国王に会って来た。あの狸爺、アキヨを試すような真似をしやがった。くそっ。俺が付いていながら、なんて様だ。
幸い、何もされなかったようだが、もしアキヨが泣いて出て来でもしたら、本気で王殺しの罪を背負うところだった。しかし、そうなったらアキヨの傍にいられなくなる。あの時は本気で殺意が芽生えたが、後になってみればもっと冷静に対処するべきだった。
――今回の事で俺は学んだ。例えばこの先、アキヨを傷付ける者がいたとして……、想像だけで怒りが抑えられないが、それでも相手を殺すのは得策ではない。何よりも優先するべきはアキヨの傍にいること。
行動の結果、それができなくなることだけは避けなければならない。
××××年☆月★日
今日は、記念すべき旅立ちの日だ。アキヨとの、旅が始まる。
丸め込むように一緒に行くことを承諾させてしまった。過去の事を話す勇気がなかったのだ。俺と会った頃の記憶を失くしているアキヨに、あのことを思い出させるのは酷な話しだ。忘れているのなら、そのまま忘れていたままの方が良い。
それに、結局あの時、俺は何もできなかった。俺を助けてくれたアキヨに、俺は何も返せなかった。
しかも、この世界に来たアキヨを2年も探し出せずに、酷く辛い生活を強いてしまっていた。そのことを正直に告白する勇気が、俺にはなかった。
もし、話す時が来たのなら、その時には正直に全てを話すから、今はアキヨの傍にいられるこの幸せを、ただ感じていたい……。
××××年☆月※日
ウユジへ来た。
船にいた不届き者。そいつと接触した後のアキヨの様子が、何だかいつもと違う気がしたが、考え過ぎだろうか。
アキヨの表情は、ほとんど変わらない。これまでの環境がそうさせているのだろう。
無表情で、感情が表に出ることはあまりない。しかし、その目はとても純粋で、曇りが無く、感情を如実に映し出す。
ウユジへ行く道中も、少し不安そうな、緊張の色が垣間見えていたが、ウユジへ着いた瞬間、その目を輝かせた。……とっても可愛いかった。
今までピクリとも動かなかった表情が、ほんの少しだけだが緩んで、「楽しみ」とアキヨが言った時、そう感じることができていることに感動して、思わず「良かった」と言葉が漏れていた。
これから俺が、たくさん「楽しい」思い出を作ってあげようと、改めて決意した。
それから、そう。アキヨがなんと「あーん」してくれたのだ!
いたって普通のミフィベだったが、あの一口は何にも代えがたい、幸福の味がした。……こんな詩的な表現を自分がすることになると思わなかったが、本当にそう表すのが的確なほど、美味しかったのだ。
いつか、これが当たり前に思える日々が来るのだろうか。まるで想像ができない。今は、全ての一つ一つの瞬間が奇跡のように感じられる。
例えばさっき、アキヨが寝る前に俺の服の端を掴んで安心したように眠りについたのだが、可愛すぎて思わず呻いてしまった。
これが子供や犬猫を愛でる者の感情なのだろうか。初めて感じる感情ばかりで、戸惑うばかりだ。最近心臓がずっと煩い……。
××××年☆月*日
アキヨが消えた。一瞬だった。
魔陣が見えた瞬間に手を伸ばしたが、アキヨに触れたと思った手は空を掴んでいた。
……あの、2回目に異界へ転移した時。へたりこむアキヨの背に手を伸ばし、そのまま擦り抜けたあの時の光景が一瞬にして思い起こされて、心臓が冷えた。
それからの記憶は正直曖昧だ。すぐに、首飾りの探知を使って居場所を掴み、がむしゃらにそこに向かって駆けた。
何とか無事にアキヨを見つけることができ、その後に、その、取り乱して、情けない姿をアキヨに見せてしまった訳だが……。
アキヨが笑ったのだ。ふわりと、微かにだが口角を上げて。
あの時のことを思い出すと、様々な感情が湧いて来て涙が滲む。
アキヨが突然いなくなったことへの恐怖と不安、そしてアキヨの笑顔。――今日のことを思い出すと、まだ心が乱れる。
今まで考えないようにしていたこと。突然アキヨが元の世界に帰ってしまったら……。目を背けていたその懸念に、嫌でも向かい合わなければならなくなった。
しかし、もしそんな事態が起こったら、俺はきっと、もう立ち直れない。今日、それを確信した。だから、アキヨをこの世界に縛る方法があるのだとしたら、俺はそれが禁術だったとしても、迷いなくその方法に縋ってしまうかもしれない。
俺は本当に、アキヨの幸せを願えているのだろうか……?最近、そう考えてしまう。
××××年△月$日
ルテニボンへ来た。ジアンノ・リモへ行くために寄ったのだが、丁度祭りの最中だったのが良かった。
「お祭りが初めて」だと言っていたアキヨ。アキヨの初めてを一緒に経験できるのが自分である幸福に神へ感謝する。
途中にあった夜行花をアキヨへ渡した。意味は分かっていないようだったが、これは自己満足だ。ただ綺麗な花を彼女に渡したかった。それで良い。
……しかし、俺のこの気持ちには果たして、どういう言葉が当てはまるのだろう。「愛している」ということに間違いはない。しかし、それは親愛なのか敬愛なのか、それとも――。
いや、どんな形でも構わないじゃないか。傍にいられるのなら、どんな形でも。
××××年△月△日
ラクエと決闘することになった。実を言うと、こうなることは、反乱軍と関わることになった時から予想はしていた。しかし、決闘自体はそんなに大した手間ではない。
……個人的には、ラクエのアキヨへの暴言は決して許していない。私情含め、もちろん負ける気はない。しかしそれ以上に、アキヨの前で格好悪い姿は見せられない。もちろん、アキヨはそんな事で人の良し悪しを判断しないと分かってはいるが……。まさか俺が、自身の印象を気にする日が来るとはな。
様々な感情が入り混じり、さらにアキヨがいなくなってしまった時の事を想像して、俺は無意識に情緒が乱れていた。
そんな俺に、アキヨはなんと「ローアルが必要だ」と言ってくれたのだ!その言葉を、きっと俺は一生忘れないだろう。
ずっと、必要としているのは俺だけかと思っていた。アキヨも少しは俺を頼りにしてくれていたのだ。これほど嬉しいことはない!
明日の決闘、完全なる勝利を、アキヨに捧げよう。
××××年△月&日
決闘の日だ。決闘前に祭りを見に行ったが、俺はその時、この時間が永遠に続けばいいと考えていた。決闘に出なければいけない事が憂鬱だったのではない。決闘の間、アキヨと離れていなければならない事が憂鬱だったのだ。
しかし、アキヨの願いには最大限に答えなければ。
そうして向かった闘技場だったが、そこで天地をひっくり返すような事態が起こった。
決闘前に行った、精霊とアキヨの契約儀式。そこでなんと精霊は、アキヨが永遠にこの世界に留まることを望んだのだ!
ずっと不安だった。こちらの世界に現れた時のように、突如アキヨが消えてしまう可能性もないわけではない。
しかし、その不安が、今この瞬間なくなったのだ!
精霊との繋がりができたことで、アキヨはこの世界に因縁ができた。俺の『騎士の誓い』だけでは糸のように細かった繋がりが、太く確固たるものになった。
決闘の際にアキヨと離れることが憂鬱で仕方がなかったが、この精霊との契約内容に俺は少し浮かれていた。この決闘の間だけであれば、アキヨと離れていても大丈夫だと思えるくらいに、心に余裕が生まれていたのだ。
しかし、闘技場に降りて、アキヨの方を見てみれば、隣りの男に話しかけられて楽しそうに笑っているではないか。その可憐さに思わず顔を手で覆うのと同時に、俺は思った。アキヨは、俺が隣りにいなくても笑えるようになったのだと。
それはもちろん喜ばしい事だ。それなのに、この時俺は、とても醜い感情が一瞬湧き出て来るのを感じた。
……認めたくなかった。俺は純粋に、ただ傍にいられればそれで良いと、どんな形であれ傍にいられればそれで良いと、本当にそう思っていたんだ。
しかし、その気持ちを確かめようと、再度アキヨの方を見た時。彼女が、再び花開くような微笑みを青年に向けた時。
俺は膨れ上がる焦燥感をそのままにラクエへ足を向けていた。早く、一刻も早くこの決闘を終わらせて、彼女の傍に戻らなければと言う、その焦燥感で、足が動いていた。
決着は一瞬でついた。確かに、ラクエは強かったが、ヘルの作ったこの『魔力を切る剣』がある限り、膨大な魔力も俺の前には意味がない。
決闘が終わった後、近くに来たアキヨを見て、自身の足りない何かが埋められるような安心感に包まれた。そして、その感情のままに彼女を抱き締めた。
少しの間でも、例え目に見える範囲にいたとしても、彼女が隣りにいなければこんなにも不安になる。それが今の俺の限界なのだと、嫌でも認めざるを得なかった。
××××年△月%日
アキヨが倒れた。2度目だ。あの、寝れていなかった時と同じ。俺はまた……。
医者が言うには、疲労だと言う。俺は本当にバカだ。
アキヨは今まで碌に栄養も取れずに、ギリギリの状態で生きていた。俺のように恵まれた環境で育ったものと体力が違うことくらい、分かっていたはずなのに。
もちろん、気を付けてはいた。しかし、俺の想像以上に、アキヨの疲労が溜まっていたのだ。それはそうだろう、いきなり知らない世界に来た時の不安は、俺も経験がある。しかもアキヨはその後、散々な目に遭っているのだ。
あの時、アキヨは俺を見つけてくれてずっと傍にいてくれたのに、俺は……。
目を覚ましたアキヨは、あの時と同じように、まっさきに俺の心配をした。
「大丈夫?」と震える腕を伸ばして……。変わらないのだ。彼女は何も変わっていない。記憶を失おうとも、その心根は純粋でどこまでも優しいままだ。
対する俺は、どうなのだろう。




