スクリム侯爵家の家庭訪問
その日、スクリム侯爵家は朝っぱらから、かつてないほどの大混乱に陥っていた。
「父様、母様!あの甲斐性無しが結婚したと言うのは本当ですか!?」
バンッと玄関を開け放つなり、その場で大声で叫んだのは長女のフィオナだ。
数年前に他領へ嫁いだ彼女だが、両親から届いた文を読み、急ぎ駆けつけたのだ。
そして、その後ろからバタバタと騒がしい音を立てながらもう一人、家に駆けこんだ者がいた。
「父上、母上!あのバカが女性を連れて帰って来たと言うのは本当ですか!?」
息を切らせながら、フィオナと同じく玄関先で大声で叫んだのは、長男のガディウスだ。
父と共に領地の運営を手伝う彼は、ここ最近起きた『魔物の暴走』に伴う被害を直接確認するため遠征していたが、フィオナと同じく『即帰宅されたし』の文を受け取り、仕事を放っぽり出して駆けつけたのだった。
「二人とも落ち着かんか。まだローアルは帰ってきていないし、伴侶も連れてきていない。これから、という話しだ」
「貴方こそ落ち着いたらいかがです?靴が左右逆ですよ 」
「む」
2階から吹き抜けの玄関を見下ろし登場したスクリム侯爵家現当主は、気まずげに靴を履き替える。
その後ろからゆったりと現れたスクリム夫人は、にこやかに子供達へ告げる。
「少し情報に齟齬があるようですね。まだローアルは帰ってきていません。“明日の夕方頃に大切な人を連れて行く”と、昨日先触れが届きました。なので、こうして家族全員を招集したわけです」
「大切な人とは?例の魔術研究所から助け出したと言う少女ですか?ちゃんと同意の上での紹介なのでしょうね!?」
「昨日の今日だぞ!話しが急すぎる!あのバカはいつもこうだ、あいつは俺らが暇人だと勘違いしている節がある!」
「落ち着け。気持ちは分かるが、とにかくその客人に万が一にも無礼があってはいけない。総員、全力で準備に取り掛からねば」
「あなた、上着が裏表逆ですよ」
「む」
こうして、使用人含め、スクリム家の面々は急すぎる取付に右往左往しながら、屋敷中を半日かけて駆け回り、準備に勤しむこととなった。
「あいつはいつも突然すぎるんだ。昔からそうだ。突然7日ほど家を空けて帰って来なかったり、騎士団を突然やめて国外に旅に出たり、しかもその全ての報告が当日だぞ!どうかしてる!」
「兄様、喚いていても仕方ありませんわ。きっとそのお客人も、今までの私達と同じように、ローアルに散々振り回されてきたのでしょうから、私達がやる事は、彼女にローアルの非礼を詫びること。スクリム侯爵家の者が皆ローアルみたく非常識な連中であると勘違いされることだけは避けませんと。ですから、間違ってもそのお客人の前でそのようにお怒りになられるのはよしてくださいね」
「……我々は、その客人の本音を見極めねばなるまい。ローアルとの関係もな」
「皆そう力まずに。そんな固い表情をしていたら、お客様が怖がってしまいますよ?特に男性陣はただでさえ怖いお顔なのだから、まずは笑顔の練習から始めてくださいな」
使用人が迎える準備をする間、スクリム侯爵一家は家族会議にて心構えを確認する。
一番大切なことは、あの勝手気ままな問題児に付き合ってくれている、奇特な御仁の真意を見極めること。侯爵家としての尊厳を示しつつ、あくまで穏やかに、しかし確実に任務を遂行せねば。
家族全員、その方向性に同意し、まるで戦前のような面持ちで夕刻まで過ごした。
――そしてついに、その時がやって来た。
コンコンとノックされたドア。一堂に緊張が走る。
侯爵の目配せで、家令がすっとドアを開ける。
「――お帰りなさいませ。ローアル坊ちゃま」
「ああ。元気そうだな、セバスチャン」
「おかげさまで」
ローアルの声だ。皆が固唾を呑んで見守る中、家令がゆっくりとその身を引き、さり気無くローアルの隣りに佇む人影に視線を向ける。
「そちら様が坊ちゃまの仰っていたお客人ですな。ようこそ、スクリム侯爵家へ。歓迎いたします」
それを合図に、玄関わきに整列していた使用人が一斉に頭を下げる。
一歩、ゆっくりと家の中に入って来たその人物を見て、スクリム侯爵家の面々は思わずハッと息を呑んだ。
ローアルの隣りにいたのは、少女だった。12歳頃だろうか。
真っ白なワンピースに、同じく陶器のように白く滑らかな肌。小さい顔に大きな瞳。とても可愛らしい顔立ちをした上品な雰囲気の子供だ。
しかし、彼等が驚いたのはそこではなかった。目を引いたのは、彼女が持つ色合い。少女の髪は艶やかな漆黒だったのだ。この世界にそのような色を持つ者はいない。しかも、目の色も片目が黒、片目は金色と、特異な様相をしていた。
人ならざる者を思わせるその色合いと、どこか神秘的な少女の雰囲気に、一瞬反応が遅れる。
「ただいま戻りました。皆さん、お変わりないようで」
ローアルが飄々とそう言った。
それに我に返った家族全員の心が一つとなった。
(嫌味か!――と言うか、何だその丁寧な口調は!)
いつも最低限の単語でしか会話しないローアルが、敬語でわざとらしい笑顔を浮かべ、文章を喋っている。そのあまりの変わり様に、兄姉が頬を引き攣らせ、父は眉を寄せ、母は「あらまあ」と言った風に口に手を当てた。
「お帰りなさい、ローアル。貴方も元気そうね」
女性陣がいち早く我に返り、即座に表情を取り繕うと、にこやかな笑顔を浮かべて二人の元へ歩み寄る。
母が穏やかに微笑む隣りで、フィオナもローアルへ話しかける。
「久しぶりね。本当、何年振りかしら。その右目、どうしたの?」
「後で説明する」
淡々とそう答えて、ローアルは肩を竦めた。
「とりあえず座って話さないか?」
「えー、それで、そろそろ紹介してくれないかい?」
皆が席に付いた頃、痺れを切らしたガディウスがそう切り出した。
彼の一言で一気に少女へと視線が集まる。すると、ローアルがその少女の肩に手を置いて、にこやかに言った。
「彼女の名前はアキヨ。私が主と定めた方であり、私が一生の間で唯一、傍にいたいと願う存在です。ああ、それと彼女は神子で、私はその神子を守る聖騎士になりました」
「待て待て待て」
聞いた当人が待ったをかける。終いには頭を抱えてしまう。
「主、のことは、まあ聞いてる。お前から直接聞いたのは今回が初だがな!だが、神子とは何だ?聖騎士?」
「ガディウス、そう問い詰めるものではない。ローアル、最初っから順序を立てて説明しろ」
今まで黙っていた父が口を開き、静かに言う。
それに一つ頷き、ローアルが語った内容は、恐らく世間にはまだ知らされていない、驚くべき新事実だった。
「――つまり、今回起こった魔物の暴走を封印したのは“世界樹”で、今後二度と世界の崩壊が訪れないように、異界から来た彼女が神子となり、死後“世界樹”に取り込まれることを条件に、世界は救われた。そして、無事にその生を全うできるように、お前がそれを守る聖騎士に任命されたと、そう言う事でいいか?」
「はい」
……異界やら神やら世界樹やら。理解はできたが、到底信じがたい話しだ。
とんでもない内容に一同が唖然としていると、「あの」と微かに声が上がった。
鈴が鳴るようなその声に、ハッと皆の視線がそちらへ向く。
「改めまして、アキヨです。あの、挨拶が遅れてしまってすみません。今回はお時間を頂き、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた少女に、皆の表情が緩む。母が安心させるように微笑みかける。
「こちらこそ、ろくに自己紹介もできておらず申し訳ございません。私はローアルの母のカメリアです。緊張せずに、寛いでくださいね」
言いながら、隣りの父へ肘鉄を食らわせる母。
ゴホンと咳払いをし、父が口を開く。
「これは失礼した。私はスクリム侯爵家の当主、ダディ・スクリムだ。お会いできたことを嬉しく思う」
「私はローアルの兄のガディウスと言う。名乗りもせず紹介しろなどと、礼を欠いて済まない……。気持ちが急いてしまってな」
きまり悪そうに頭を掻いたガディウスが、アキヨに軽く頭を下げる。
「私はローアルの姉のフィオナです。初めまして、アキヨさん。妹ができたみたいで嬉しいわ」
最後にフィオナがにこやかにそう言うと、少女もやっと緊張が解れたのか、ホッとしたように微笑んだ。
その花開くような笑顔に、皆が一瞬目を見開いて、その無垢な表情に見惚れる。
カメリアは子を見守るような優しい瞳でアキヨを見つめて、穏やかに問いかける。
「本当に可愛らしいお嬢さんね。ローアルは迷惑をかけていないかしら?」
「え、いえ、そのどちらかと言うと、迷惑をかけているのは私の方で……」
「アキヨの事で迷惑に思う事なんて一つもないですよ」
「……」
ポカンと、ガディウスとフィオナが口を開き、カメリアとダディが目を見開く。
まさかあのローアルが、そのような台詞を吐くとは、思ってもいなかったのだ。
スクリム侯爵家はどこに出しても恥ずかしくない美形揃いではあったが、ローアルはその中でも群を抜いて容姿が整っていた。
それゆえに、今までどれだけの貴族女性が彼に秋波を送ってきたか分からない。時には相手が既にいるにも拘らず、ローアルに心を奪われて婚約破棄だ何だと騒ぎ出す者もいたほどだ。
しかしローアルは、どんな背丈恰好だろうと、どれだけの美人だろうと、全くの興味を示すことなく、彼女達をチラリと見る事さえしなかった。
会話さえ、家族と同様に単語でしか返さない始末だ。
そんな彼が。
『アキヨの事で迷惑に思う事なんて一つもないですよ』だって?
「あの、私、皆さんに説明しなきゃって思って、それで、今日は我が儘を言って、ここに連れてきてもらいました」
そう言って、深呼吸をしたアキヨに、一同の視線が再度集まる。
「長くなると思うんですけど、聞いていただけますか」
綺麗に煌めく黒と金の瞳に、4人は戸惑いながらも揃って頷いた。
彼女が語ったのは、彼女の人生だった。
その内容は、先ほどのローアルの話しに負けず劣らずの驚くべきもので、信じがたい部分もあったが、真摯に、一生懸命説明する少女の姿に嘘偽りは感じられなかった。
彼女が生まれたのはこことは違う、異界の星と言うこと。そこで昔、ローアルと会ったこと。
しかし母親が自殺し、そのショックで記憶を失ったため、そのことを最近まで忘れていたこと。
ひょんなことから何故かこの世界に転移してきてしまったこと。
奴隷として伯爵家で過ごした後、魔術研究所に入れられたこと。それをローアルが助け出してくれたこと。
それから、祝福の魔導師が旅に出ることを提案してくれたこと。それにローアルが付いてきてくれることになったこと。
旅で得たもの。出会った人たち。そして、天真の魔導師のこと――。
長い話しを終えた時、母と姉は鼻をすすりながら、目を潤ませてアキヨを見つめていた。
ガディウスは何かをこらえるように唇を噛み締め、ダディはいつもよりさらに眉を寄せいていた。
「私、ローアル、さんがいなければ、きっと“幸せ”なんて知らずに生きていました。今、笑えるのは、幸せなのは、ローアルさんのおかげです。きっと、私のせいで色んな迷惑をかけてしまったと思うから……、今日はそれを謝りたかったのと、一つお願いをしに来ました」
アキヨは深呼吸をして、向かいに座る4人を真っ直ぐ見上げた。
「今まで、ローアルさんを振り回してしまって、すみませんでした。……だけどこれからも、私には彼が必要です。どうか、彼と一緒にいさせてください。お願いします」
そう言って頭を下げたアキヨに、とうとうフィオナとカメリアが号泣し始める。
ガディウスは上を向いて涙をこらえ、ダディは一度強く目を閉じた。
最初に口を開いたのは、ダディだった。
「アキヨさん。顔を上げてくれ」
静かなその言葉に、アキヨはゆっくり顔を上げる。
目の前には一見険しい表情をしたダディがいたが、その口調はとても優しいものだった。
「スクリム家の者は、その特質上、代々王へと忠誠を誓い、その貢献を認められることで栄えてきた。しかしね、私は子供達に将来こうなれと指図したことは一度もない」
ローアルと同じ、アメジストの瞳でアキヨをじっと見つめ、ダディは口元を緩めた。
「迷惑だなんてとんでもない。まあ、ローアルの行動に振り回されてきたことは否定しないが、それも親としては何と言うか、嬉しいものでね。あれだけ他人に興味がなかったローアルに、こうして大切な人ができたのなら、それ以上に嬉しいことはないよ。……頭を下げるのはこちらの方だ」
これからも、愚息をよろしく頼む。そう言って頭を下げたダディに、アキヨは驚いて目を見開く。
その横で、ガディウスも同じように頭を下げる。
「私からも頼むよ。正直、愚弟に言いたことが山ほどあるが、奴の行動は全て自身の判断でしたことだ。……君は私と同じ被害者なのだから、謝る必要はない。むしろ愚痴の相手になろう」
そう言ってウィンクしてみせるガディウスの表情は、ローアルとよく似ていた。
「良かった……。本当によく捕まえたわねローアル……こんな良い子……。あんたのやって来たことで唯一、褒めても良い所業よ!」
感極まったように咽び泣きながら、フィオナが何度も頷く。
「まさかローアルが、ねえ。こんな素晴らしい子を連れてくるなんて。私もやっと安心できました。お願いするのはこちらの方よ、アキヨさん。家族に心配しかかけないような子だったけど、こんな子で良ければ、どうか貰ってやってください」
カメリアが目元の雫を拭きながら、優しく微笑む。
四者に散々な言われようのローアルは、少しムッとしたような表情をしたが、すぐに苦笑した。そんな彼等をそれぞれ見て、アキヨはやがて満面の笑みで頷く。
「はい……!ありがとう、ございます!」
空気を読んで引っ込んでいた使用人たちが、話しが一段落した頃を見計らって食事の準備を始める。
その頃にはすでに、6人の間に当初の張り詰めた空気は無く、家族団欒の温かい雰囲気に包まれていた。
「あれはローアルが3歳の頃だったかしら。どっかにいなくなったと思ったら、裏庭で花壇の花全部引っこ抜いていたのよ?信じられる?」
「ふふっ」
「姉さん……」
フィオナはローアルの子供時代のエピソードをたくさん話して聞かせてくれた。
「ローアルがよぉ、初めて俺の生誕日にくれた贈り物、何だったと思う?社交で出会った女に押し付けられた香水だぜ?嫌味な奴なんだよ、本当。人の心がねえんだ」
「ふっあははっ」
「兄さん……」
酒に酔ったガディウスが、愚痴をひたすらアキヨに聞かせる。
「実はアキヨさんのことは国王から聞いていてね。また会いたいと言っていたよ。折角だから、この後行ってくると良い」
「そうね。どちらにせよ、“世界樹”の件も陛下には報告しないとでしょうし、ついでに顔を見せに行ってらっしゃいな」
「……そんなお遣い感覚で行く所じゃありませんよ、王城は」
両親の言葉に、ローアルが半目になる。アキヨはそんなスクリム一家の会話を聞きながら、とても心が温かくなるのを感じた。
「それで、式はいつ挙げるんだ?」
ガディウスが不意に、そう聞いて来た。アキヨが首を傾げる。
「式?」
「まさか、もう上げたわけではないだろ?籍はどうするんだ。こっちに戻すのか?」
話しが見えなくて隣りを見上げれば、ニコリと微笑んだローアルがガディウスへ言う。
「まあ、それはおいおい。母さんも父さんも、国王に伝えるのはもう少し待って欲しい。もうすぐ、魔導師から声明が出ると思うから、その後にしよう」
「ああ、そう言えば“世界樹”を出現させたのは魔導師だという話しだったな」
ダディがあっさり頷いて、カメリアが手を打つ。
「そしたらそれまでウチに泊まりなさいな。ねえ、あなた?」
「ああ、そうだな。セバスチャン、客室の準備を」
「もう済んでおります」
腰を折るセバスチャンに満足そうに頷いたダディが、こちらに向き直る。
「これからはアキヨさんも私達の家族同然。遠慮など無用だ。スクリム侯爵家は必ず、神子の力となることを誓おう」
「……ありがとうございます」
カトラリーを置き、頭を下げたアキヨ。その姿を、スクリム侯爵家の皆が温かく見つめていた。
そしてこの滞在期間中、アキヨの「ローアルと一緒にいさせてください」発言に他意はなく、アキヨに結婚の意が無いことに気付いたスクリム一家が驚愕し、「ローアルの手綱を握れるのは彼女だけだ。こんな素晴らしい子を逃がすわけにはいかない」と、家族総出の囲い込み作戦が始まるわけだが、それをまだアキヨは知らない。




