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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
終章 明夜
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終焉



「うわあ、久し振りだね」



 ――始まりの地、マハリジ砂漠。


 その砂の海の真ん中に、転移陣と共に現れたのは、白髪に金色の瞳を持つ、少年の姿をした魔導師だった。



「祝福の坊主か。遅かったの」


「恭謙の爺さんが早いんだよ」


 積み上げられた魔物の残骸。その上に腰を下ろす小さい老人を見上げ、祝福の魔導師――ヘルが肩を竦める。


「ふん、こちとら一刻前から待機済みじゃわい」


「いや、早すぎ……」



「おっ、なんじゃあ?一番乗りかと思ったが」



 快活な声と共に、砂煙を上げながらすごい勢いでこちらに飛んでくる人影が一つ。


 ヘルと恭謙の魔導師の前でピタリと停止したその人物――不屈の魔導師が、ニヤリと口元を吊り上げた。



「おお爺、まだ生きてたか。祝福のも息災か?」


「お前さんこそ、相変わらず無駄に元気じゃの」


「ふんっ、有り余ってるくらいじゃ!他の奴等を待つ義理もあるまい。こちらは好きにやらせてもらうぞ」



「せめて、術式組む時までには戻ってきてくださいね~」


 その言葉が終わる前に、不屈の魔導師は上空に浮かぶ魔物の群れに突っ込んでいった。


 その後ろ姿を見送りながら、さて、と腕を組む。


「とは言っても、本来6人で展開する魔術を、どうやって5人でやればいいんだろ」


 唸るヘルの目の前に、また新たに二つの人影が現れた。



「いつも自由気ままな癖に、こういうのは割と集まるのはえーんだな。寂しがり屋か?」


 ニヤニヤとそう言い放ったのは、やけに砂漠が似合う亜人の男――久遠の魔導師だ。


 そしてその隣りには、彼とは対照的にひょろりと線の細い男が、所在なさげに立っていた。



「あっつ……。あー、もう帰りたくなってきた……」


「祝福のとは初対面か?」


 そう言って久遠の魔導師に引っ張り出されたヒョロヒョロ男は、長い前髪に隠された顔を顰めた。


「力強い。痛い」


「自己紹介くらい自分でしろ」


「自己紹介って……、言わなくても大体わかるでしょ」


 嫌そうに久遠の魔導師の手を振り払う青年に、ヘルが苦笑して頷く。



「あー、中道の魔導師殿かな?僕は祝福の魔導師。普段ケダトイナにいる」


「……」


「こら、なんか言え」


 青年――中道の魔導師の頭を軽く小突く久遠。


 まるで兄弟のようなやりとりに、仲が良いんだなと微笑ましく思っていれば、空からボタボタと魔物の死骸が振って来た。


 不屈の魔導師が倒した魔物たちだろう。



「落とす場所くらい加減できんのか」


 ブツブツと文句を言う恭謙の魔導師に苦笑し、さて、と揃ったメンバーを見回す。


「――精励の魔導師は来ないだろうから、これで全員だね」


「……なんで?」


「奴が今回の元凶じゃからじゃ」



「やはりそうか」


 久遠の魔導師は予想していたのか数度頷き、中道の魔導師は驚いたように若干目を見開いた。



「……まあ、詳しいことは後でいいや。一人足りない状態でどうやって封印魔術を発動するかの方が先決だからね」


「さあな。そういうことを考えるのはお前さんの専売特許じゃなかったかの」


「えー、他人任せ?本当、どいつもこいつもさー」


 文句を言いつつも、周りを見回して口を噤む。


 脳筋二人に爺と引きこもり。……確かにこの中じゃ自分が一番適役なんだろうけど、何だか貧乏くじを引いた気分だ。



「おい、今俺のことけなしただろ」


 亜人の勘なのか何なのか、こちらをジロリと睨んでくる久遠の魔導師に溜息をついて、思考を巡らす。



「一つ代案があるとすれば、代わりになる奴を呼ぶってことかな」


「代わりって、魔導師のか?そんな奴いねえだろ」



 代々、魔導師達が受け継いできた『魔獣の暴走』用の封印魔術を発動するのに、何か特別な属性が必要だとか、魔導師でなくてはいけないと言った縛りはない。


 ただ、魔力をとてつもなく使うため、必然的に魔導師しか適任がいないというだけだ。




「……僕は一人心当たりがある」


 ヘルの言葉に、一瞬怪訝な表情を見せた久遠の魔導師だったが、すぐに納得したように一つ頷いた。



「ああ、アル坊か」


「そういうこと」



 とりあえず、当の本人を呼び出さないことには話しが進まない。遣いに行かせるために、ムゥを召喚しようとした、その時だった。




「なんじゃ?」


 空で上機嫌に剣を振り回していた不屈の魔導師が、何かに気付いて声を上げた。


 見上げると、川を成していた魔物の群れが、端から一掃されていくのが見えた。光の閃光が走り、一気にごっそりと魔物達が消滅していく。


 その光の先を辿って、目を細めたヘルは、絶句した。



「なッ、あ、アル坊?」



 なぜこんなところに。


 ――いや、それよりも。これはどういうことだ。



 アル坊が、()()()()()なんて。


「……ちょーっと、やばいんじゃないの~」


 思わず引き攣った声が出るが、ヘルの呟きは周りには聞こえなかったようだ。




「あれって」


 ポツリと中道の魔導師が呟く。


「あの時の、アキヨの――」


「え?」


 知った名前が聞こえ、ヘルが振り返ろうとした、その時。



 急降下してきたその人影が、目の前にドスンと降り立った。


 恐る恐るそちらを見遣れば、完全に目が座ったローアルと視線が合う。



「や、やあ。奇遇だね。どうしたの?」


「探索魔術が途切れた。アキヨの首飾りが外されてる。逆探知で魔道具の場所を教えろ」


 半ば掴みかかるようにして、こちらに詰め寄るその様子は、一度目の異界転移から帰還した時の、在りし日の少年の姿を彷彿とさせた。


 その尋常ならざる雰囲気に冷や汗をかきつつ、とりあえず、言われた通りアキヨの首飾りを逆探知で探る。


 ……しかし、探知が引っ掛からない。


 範囲を広げる。しかし、見つからない。ない。世界のどこにも、ない。それって、つまり――。



 顔色を悪くするヘルに、ローアルが唇を震わせる。


「ま、さか……」




「誰か来よるな」


 恭謙の魔導師が、不意にポツリと呟いた。


 その声に、全員が何とはなしにそちらを見た。






 砂漠の地平線、その向こうから、小さな影がゆっくりこちらに近づいてくる。



 太陽に照らされて白く輝く細い手足。


 風にたなびく豊かな黒髪に、黒曜石をはめ込んだような、大きな瞳。


 ほっそりとした華奢なその身に純白のワンピースを纏う、一人の少女。



 この世界では見慣れぬ真っ黒な瞳が、こちらを真っ直ぐに捉え、桜色の唇がうっすら開く。



「もう、皆いたんだ」



 彼女は静かにそう言って、小さな微笑みを浮かべた。













 ――数刻前。



 アキヨがゆっくり目を開けると、そこは砂漠だった。ユレシオンと話していた時は夜だったのに、今は太陽が出ている。


 上を見上げれば、黒い川のようなものが一直線に空を横切っていた。




 ……長い夢を見ていた。


 失くしていた、6歳以前の記憶。――今ではしっかり思い出せる。“おかあさん”のことも、出会った少年のことも。




『気付きましたか?』


 ふと後ろを見れば、ユレシオンが一人で立っていた。隣りにいたはずの黒い魔獣――フェンの姿は見えない。



 ……そうだ。世界を救うとか何とか、そんな話しをしている途中で、急に頭が痛くなって、蹲ったのだ。


 ガンガン鳴る頭を抱え、どんどん意識が遠ざかって行く中、ユレシオンのガラス玉のように澄んだ、青銅色の瞳が見えて、それで――……。



「私に、何かしたの?」


『ええ、閉じられていた蓋を無理矢理開きました。余計なお世話でしたか?』


 コテンと首を傾げたユレシオン。よく見ると、その体は半透明で、後ろの景色を透過していた。



『ああ、そうそう。その指輪、あのイセレイの子に渡しといてくれますか?』


 そう言って、すっとアキヨの手を指さしたユレシオン。右手を見れば、中指に見たことのある指輪が嵌っていた。


 真ん中に青銅色の石が嵌めこまれた、銀色の指輪。確か『精霊の指輪』と呼ばれる、精霊士の仕事道具だったはず。


 クウマが持って行ったはずだが、なぜここに。



『貴女が記憶を思い出している間に、少し体をお借りして精励の魔導師から奪い返してきました』


「え……」


『イセレイの子が、精霊が()()()()()困っていたでしょう?その指輪が役に立つはずです』


 ルドルフの事だ。色々言いたいことはあったが、ひとまず頷く。



『さて、これから魔物の暴走を止めるために、魔導師の皆さんが此処へ集まって来るでしょう』


 地平線まで続く砂漠を見遣り、ユレシオンは目を細める。


『魔導師は代替わりの際に、ある使命について伝え聞きます。もしも世界の均衡が崩れ、滅亡の危機が訪れた際には、他の魔導師と協力して世界を救うために尽力すること――。それが、魔導師として生まれた者の責務である、と』


 髪が風に乗って踊り、視界を遮る。


 そこでやっと気付いた。自身の髪が黒色に戻っていることに。



『2000年前に“天真の魔導師”を除いた6人の魔導師が、全ての魔力を使い発動させた封印魔術。歴代の魔導師達は、万が一再び世界に危機が訪れた時のために、滅亡を食い止めるための切り札として、その魔術を今世まで継承してきました』


 はっと息を呑んだアキヨに、ユレシオンは敢えてはっきりとその事実を口にした。


『その魔術を発動すれば、魔導師は魔力を使い果たして死んでしまう。しかしその事実は、時代の流れと共に風化してしまい、正しく伝える者はいなくなった。……現代の魔導師達は、封印魔術を発動すれば己が死ぬと言う事実を知らないでしょう』


「じゃあっ……!」


『このままでは、皆知らぬまま命を落とすことになるでしょうね』


「そ、そんな……。他に、方法はないの?」


『ありますよ』


 まるで、こちらがそう言うのが分かっていたかのように、ユレシオンがあっさりと頷いた。


『簡単です。人柱を代わればいい』


 ガラス玉のような瞳が、じっと、試すようにこちらを見つめる。


『貴女が、代わりに人柱になればいいんです』













 果てない砂漠を歩きながら、考えていた。


 何で、自分はこの世界に来たのか。




 母親が死んだことで、呆気なく壊れた心。


 無意識に記憶を封印することで痛みを忘れ、それと向き合うことをずっと避けて来た。



 しかし、失くした記憶の中には、忘れていはいけない思い出もあった。


 きっと、この世界に来なければ、自分は壊れたままの心を抱えて、空虚な日常をただ消費するように生き、やがてそのまま死んでいたのだろうと思う。



 しかし、アキヨはこの世界に来た。そして、感情を思い出した。友達ができた。愛されることを、知った。


 壊れた心を少しずつ拾い集めるみたいに、ちょっとずつ“本当の自分”を形作ってくれた人がいた。




 アキヨは、この世界が好きだ。


 今まで見てきたもの、関わって来た人達、宝物のような日々。


 全部、全部、大好きだ。




 だから、そう。これは、恩返し。


 自分を救ってくれた、大好きな人たちが暮らすこの世界を、今度は自分が救う番だ。













「あ、あき……っ!!」



 最後まで言えずに喉を詰まらせながら、こちらに駆けよって来たローアルが、痛いくらいにアキヨを抱き締めてきた。


 その背中に、腕を回して目を閉じる。



「ローアル、心配かけてごめんね」


「ほ、ほんとですッ……うぅっ」


 子供みたいに号泣しているローアルを見て、内心安堵する。


 ……良かった。アキヨの想像する限り最悪な展開は免れたようだ。


 自暴自棄になって命を落とすローアルの姿を脳内から追い出したアキヨは、顔を上げる。



「久し振り、ヘル」


「うん、よく分からないけど、一件落着かな?」


 空に浮かぶ魔物の大群を背景に、そう朗らかに笑ったヘルを、久遠の魔導師が胡乱げに見遣る。


「何勝手に終わってんだ。さっさと魔物共を封印しなきゃだろ」


「あ、それ、私が天真の魔導師さんに、新しいやり方を聞いてきました」


「は?」


 久遠の魔導師がこちらをまじまじと見る。


「天真の、だと?」


「はい」



 恐怖心はなかった。


 ただあるのは、少しの罪悪感。



「これが、天真の魔導師さんから預かって来た、新しい魔術方陣?……です」


 ずっと持っていた羊皮紙を、ヘルに渡す。


「以前のやり方は魔力を使い過ぎるから、こっちの方が良いって」


「ええ、大先輩からの贈り物ってこと?」


 目を見開いて驚くヘルの横から、不屈の魔導師がヒョイッとその魔陣を覗き見る。



「何じゃ、随分旧式の魔陣じゃな」


「ん、どれどれ」



 同じく紙を覗き込んだ恭謙の魔導師が、不意に黙り込んだ。そしてこちらをチラリと見る。


 アキヨがその円らな瞳を真っ直ぐ見返すと、恭謙の魔導師は髭を揺らしてしばらく口をもごもごとさせていたが、結局何も言うことはなかった。



「すごい、さすがアキヨ」


 ラウアールドがいつの間にか隣りに来ていて、ニコリと口元に笑みを浮かべ、アキヨの頭を撫でる。



「――うん、皆で封印しよう」




 地面に広げた羊皮紙を皆で囲み、描かれた魔陣の上に手をやる。すると、段々羊皮紙に魔力が浸透し始め、やがて魔陣が光始めた。




「思ったより、吸い取られるな」


 ふっと息を吐いたヘルが汗を流す。


 他の皆も顔を顰め、苦しそうな表情になる。




 しかし、まだ、まだ足りない。


 ユレシオンは言っていた。6人全員の魔力がなくなる、その寸前で、陣は完成すると。




 皆の荒い息遣いが砂漠に落ちる。そうして時が経つこと、数刻――。



 ついに、その瞬間はやって来た。




 魔陣が急に眩く光った。それに皆が顔を上げた刹那。


 ――――今だ!


 皆の後ろから転がり出るように、羊皮紙を踏みつけながら、光る魔陣の真ん中へ飛び出すアキヨ。



 そして、その姿が眩い光の中へと掻き消える寸前。


 その腕をぐっと掴む者がいた。






「はっ!?」


 焦ったようなヘルの声が聞こえ、眉を寄せた久遠の魔導師と不屈の魔導師が同時に身を乗り出すのが見えた気がしたが、すぐに伸びてきた()に遮られて、何も見えなくなった。













『この魔陣を発動すれば、貴女は“世界樹”に取り込まれるでしょう』


 魔陣が描かれた羊皮紙をこちらに渡しながら、ユレシオンは静かにそう言った。



『しかし、それはあくまで“器”になるための儀式のようなもの。世界を救うには、その先で出会う神と対話し、自身の価値を証明しなければなりません』


「神、様?」


『ふふっ。大丈夫ですよ、貴女ならきっと』



 そう言ってユレシオンは、とても綺麗に微笑んだ。



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