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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
終章 明夜
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精励の魔導師



 炎に包まれたサーカステントの中、座ったままピクリとも動かなかった男が、不意に身動ぎをした。


 男が、ユラリと視線を向けた先。


 そこには、いつの間にか一人の少女が立っていた。



 たなびく豊かな黒髪と、黒曜石をはめ込んだような黒い大きな瞳。


 どちらもこの世界の者では持ち得ない色だ。



 数刻前に、この壇上から魔陣で地下牢へ飛ばされ、その命を落としたはずの少女が、その場に立っていた。


 少女は、片足を失い、砕けた右腕をだらりと垂れ下げたまま柱に寄りかかる精励の魔導師の前まで静かに歩み寄って来ると、その桜色の唇をゆっくり開いた。




『久し振り、ミディアム。それとも、クウマって今の名前で呼んだ方が良いかしら?』


「……」




 ミディアム。それは己の()()()()()だ。


 なぜ、彼女がその名前を――。僅かに目を見開けば、それにほくそ笑んだ少女は、仁王立ちで精励の魔導師を見下ろす。



『私はユレシオン。貴方とこうして話すのは、実に二千余年ぶりね』


「!」


 ユレシオン。それは()()()()()最初の『7人の魔導師』の内の一人で、2000年前に『魔獣の暴走』を引き起こした『天真の魔導師』の名だった。




「……なるほど。その少女の屍に乗り移って復活したのか」


『それは貴方の常套句でしょう。私はただ借りているだけ。2000年前から体を乗り換えて生き続けてるような貴方と一緒にしないでほしいわ』


 心外だと言う風に、異国の少女の顔で眉を寄せて見せるユレシオンに、精励の魔導師はふっと息を漏らすように笑う。



 そう、彼女が言う通り、精励の魔導師は2000年前の『魔獣の暴走』が起きる前から生きている、最初の魔導師の内の一人であり、魔物の封印で全ての魔力を使い果たして一度死んだはずが、なぜか滅んだはずの世界と共に生き返った、時代の遺物だった。


 魔導師は死期が近付けば、その役割を引き継ぐため、次なる魔導師となる“器”が生まれる。


 精励の魔導師は、その次代の“器”が生まれる度に、その体を乗っ取り、名前を変え、さも代替わりしたかのように見せかけて、ここまで生を繋げてきた。



「それで、君は彼女の体を借りてまで、何故ここに来たんだい?」


『私の物を返してもらおうと思って。でも、ついでだから一つ質問させて』


 ユレシオンが腕を組んで、険しい表情をこちらに向けた。



『なぜ、こんなことをしたの?』



 予想した通りの言葉だ。しかしまあ、冥途の置き土産に話してやるのも一興か。


 そう思い、精励の魔導師は大人しく口を割った。



「ただ、自分に都合のいい世界を手に入れたい、そう思っただけさ」






 ――最初の違和感は、2000年前。


 死んだはずの肉体が蘇り、荒れ果てた台地に緑が芽吹く奇跡を目にした時だった。



 人どころか、神に一番近しい魔導師ですら到底成し得ない、まさに奇跡の光景。しかし、その奇跡をもってしても蘇らなかった『天真の魔導師』の存在。


 元来の研究者気質故か、その違和感の正体がなぜだか無性に気になった。


 再び始まった、永い人生。それを終えるまでの単なる暇潰し。最初の動機は、そんなものだった。






 早速、調査を始めた精励の魔導師は、この世界の均衡が崩れたことによって『魔獣の暴走』が起き、そにれより滅亡する世界を奇跡でもって救ったのは“天真の魔導師”であるという真相に辿り着いた。



 ――あの奇跡の光景は、まさに神の所業と言えた。


 “天真の魔導師”は輪廻から外れる代わりに神となり、世界を再構築したのだ。自身の思う通りに。



 精励の魔導師はその真相に、血が沸き立つような興奮を覚えた。


 魔導師は神と成り得る。そう確信したからだ。






 それからの決断は早かった。


 『魔獣の暴走』を再度起こし、かつての“天真の魔導師”と同じ局面を再現する。そうすれば、自分も彼女のように、神の次元にまで昇れるかもしれない。そう仮説を立て、精励の魔導師は着々と準備を始めた。



 実際問題、魔物の暴走を起こすこと自体は容易だ。三つ巴の均衡を崩壊させるだけで良い。


 しかし、大雑把には行えない。他の魔導師達に、この計画を知られるわけにはいかないからだ。



 魔導師は本来、世界の均衡を保つ存在だ。それを逆に壊そうとしていると知れれば、彼等は結束して自分を排除しようとしてくるだろう。


 さすがに、魔導師が束になってかかってくれば、こちらに勝ち目はない。奴等に悟られないように、慎重に進めなければ……。






 まず手始めに、亜人の数を減らすことから始めた。


 亜人の差別思想を広めるため、創世説話を改竄し、差別思想を裏付けるようなものに捏造した。それに加えて、魔術技術が未発達な国に潜り込み、魔術研究と称して、その被験体に亜人を捕らえてきては、意味など何もない適当な実験を繰り返した。


 これが驚くほど上手くいった。


 緩やかに、しかし確実に亜人の数を減らすことに成功した精励の魔導師は、もう十分だろうと適当な者に後を任せて魔術研究所を去り、その時を待った。


 ――しかし、何時まで経っても『魔獣の暴走』は起こらなかった。




 ……足りない。


 まだ、世界の均衡は保たれている。


 足りていないのだ、生贄が。



 2000年前に『魔獣の暴走』が起こったのは、精霊の数が著しく減ったことによるものだと考えていたが、もしや他に原因があるのだろうか……?



 はるか昔の記憶を掘り起こす。……そう言えば、『魔獣の暴走』が始まる少し前、その前兆のように各地で魔物の被害が増えていた。『魔獣の暴走』に向けて徐々に、じわじわと侵食するように、魔獣達の凶暴化は始まっていた。


 ――そして、その被害により、多くの人間が命を落とした。



 そうだ、思い出した。『魔獣の暴走』が始まる前に、そうして人間の数も減っていたのだ。


 亜人の数を減らすだけでは、まだ足りない。精霊か、人間の数もまた著しく減らなければ、まだ均衡は崩せない。しかし、人間を大量虐殺するのは現実的ではない。減らすなら精霊の方だ。




 そうして始めた精霊の研究だったが、ここで初めて精励の魔導師は行き詰まった。



 2000年前まで、全ての人類は精霊をその目に映すことができた。


 しかし奇跡をもって蘇った世界で、人類は精霊を見る目を失っていた。そして、それは魔導師とて例外ではなかった。


 つまり、数を減らす云々の前に、精霊が見えなければ干渉すらできないわけだ。



 何か精霊を見えるようにする魔道具などはないものか……。


 そう考えて、目を付けたのが『精霊の指輪』と呼ばれる、精霊士が使用していた魔道具だった。



 昔、どこかで聞いた話しだ。精霊に体を与える役割を担う精霊士は、魔獣よりさらに意思疎通が困難とされる精霊との交渉を円滑にするために、とある魔道具を使用していた。精霊士でもあった“天真の魔導師”も身に着けていたとされるその魔道具。それが『精霊の指輪』だ。


 『精霊の指輪』があれば、精霊に干渉することができるかもしれない。




 各地を旅しながら、『精霊の指輪』についての情報を探る日々がしばらく続いた。


 そして、とある豪華客船にて開催される娯楽遊戯(ゲーム)に勝てば、『精霊の指輪』が手に入るらしいという情報を聞きつけた精励の魔導師は、件の船に乗り込むこととなった。






 しかし、そこで思わぬ出会いがあった。


 船の中で出会った一人の少女。精励の魔導師は彼女の存在に、大きな衝撃を受けた。



 その少女は、魔力が全く無い代わりに、“精霊の加護”を受けていた。


 『精霊の愛し子』特有の圧倒的な強運で賭勝負(ギャンブル)に勝ち、魔力を使わずに魔陣を探し当てる少女は、まさしく精励の魔導師にとって勝利の女神だった。


 世間話の流れで出身を聞けば、その隣で彼女を守るように立っていた男が「ケダトイナだ」と答えた。


 恐らく、彼はこちらの正体に勘付いていたのだろう。反応を探ろうと敢えてその国の名を出したのだろうが、こちらも伊達に長く生きていない。


 知らない風に流して話しを終わらせたが、男の勘の良さを鑑みるに、これ以上関わるのは危険だろう。確信を持たれる前に、さっさと『精霊の指輪』を手に入れてとんずらした方が良さそうだ。




 そうして無事『精霊の指輪』を手に入れた精励の魔導師は、それを己の指に嵌めて周囲を見回す。


 視界の端を、炎のように揺らめく光が通り過ぎた。2000年ぶりに見る精霊の姿だ。



 しかし、様子がおかしい。精霊達が、まるで吸い込まれるように一か所へと集まっている。その軌道を辿れば、その先にあの少女がいた。




 全身に揺らめく炎を纏う少女の姿は、思わず感嘆の溜息が出てしまうほどに神秘的で、この世のものとは思えないほどに美しく――――言葉で表現するならば、そう。


 まさに、異なる世界からやって来た女神の様であった。













 『精霊の指輪』を手に入れてすぐ、船の到着を待たずに、転移魔陣でホマーノ王国へ帰って来た精励の魔導師は、まずケダトイナにある魔術研究所の現状を探った。


 船の中でこちらの素性に気付いたらしい、あの男の様子が気になっていたからだ。




 調べてみれば、魔術研究所は騎士団にすでに押収された後だった。しかし、欲しかった情報は難なく手に入った。


 騎士団が押収した時点で、その研究所に囚われている者で生きていたのは、人間の少女一人だけだったと言う。そして、その少女を助け出したのは、とある一人の騎士。


 その騎士が誰かはすぐに分かった。有名人だったからだ。



 ケダトイナ王国騎士団、第三騎士団長、英雄騎士のローアル・スクリム。



 もうすでにその地位を下りたらしい英雄様は、どうやらその助け出した少女と今も共にいるようだ。


 精励の魔導師は、すぐに気付いた。その英雄騎士と少女と言うのは、十中八九あの船の中で出会った男と女神の事だろうと。




 そして、さらに面白い話しを耳に挟んだ。



 ――英雄騎士が連れている少女は、黒髪黒目を持つ異界の魔物である。



 馬鹿らしい、根も葉もない噂だ。


 しかし、精励の魔導師はそれを一蹴せずに記憶の片隅に留めた。






 その後、ホマーノ王国の自室の研究所で、精霊に関する実験を始めた。と言っても、被験体を丁度切らしていたため、仕方なく見世物用に集めた亜人達を使うことにした。


 資金集めの一環で始めた妙技劇(サーカス)。その演者として使っていた亜人達だ。意思を奪い傀儡のように動かしていた。生きていようが死んでいようが、大して変わりはしない。実験が失敗に終わったとしても……、まあいいだろう。



 実験体に精霊を取り込ませ、反応を検証する。かつて、精霊の数が激減したのは魔獣が喰らったため。それを再現しようと考えたのだ。


 結果として、ほぼ全員が理性を失い、獣のように暴れ、そして事切れてしまった。


 ――やはり、精霊を食べさせるのは効率が悪い。


 そう結論づけた時、ふと思い出した“女神”の存在。



 船の中で見た、少女の周りに群がる大量の精霊。


 ――そうか、『精霊の愛し子』を精霊もろとも生贄にしてしまえばいいのだ。




 そこからは、驚くほど簡単に物事が進んだ。


 各地に飛んで、『精霊の愛し子』を攫っては、特殊な結界を施した地下牢に閉じ込めて、精霊ごと処分する。そうして凡そ半月ほどで、三つ巴の均衡が崩壊する数値にまで、精霊を減らすことに成功した。




 しかし、またしても精励の魔導師は行き詰まることになる。


 均衡は間違いなく崩壊しているはずなのに、『魔獣の暴走』が起こらなかったからだ。



 おかしい、なぜだ。計算は完璧なはず。と、思考を巡らせていた時、ふとあの噂を思い出した。



 ――英雄騎士が連れている少女は、黒髪黒目を持つ異界の魔物である。



 もしも……、仮にそれが真実であるとして。


 恐らくその異界と言うのは、魔物が封印されている狭間ではなく、次元を越えたもっと別の場所のことだ。そして、そこから来た少女はこの世界にとって、明らかな異分子。


 そしてその異分子が、三つ巴とは別の第四の要素として――言うならばそこに在るだけで、世界の均衡を補ってしまうような存在なのだとしたら。


 その少女が生きている限り、『魔獣の暴走』が起こることはない。




 精励の魔導師は慌てた。


 確か、あの少女の乗る船は、今日ホマーノの港に到着するはずだ。


 何とかして、彼女を見つけ出し排除しなければと、街中に飛び出す。



 焦りが出て、うっかり昔の顔見知りに見つかり、その始末に時間を割いてしまったが、何とか、少女が泊まっている宿を見つけ出すことには成功した。


 鳥に化けて、少女たちのいる部屋の窓際に止まり、様子を窺う。そして、少女が今夜の妙技劇(サーカス)へ来ることを知った精励の魔導師は、これ幸いと、彼女の命を奪うために罠を張る事にした。




 即興で思い付いた計画だったが、結果として上手くいった。英雄騎士もろとも少女を罠に嵌め、地下牢へ飛ばすことに成功したのだ。



 今世界は、2000年前と同じく『魔獣の暴走』により、順調に崩壊へと向かっている。


 ……やはり、あの少女が鍵になっていたのだ。仮説は正しかった。



 後は、残りの6人の魔導師が死ねば、世界の崩壊を止められる者はいなくなる。しかし、こちらは放っといても問題ない。


 ――彼等は自滅する。魔獣を封印しようと、全ての魔力を注いで死んだ、かつての自分達のように。



 そして万が一、魔導師達が『魔獣の暴走』の封印に成功したとしても、世界の均衡が崩壊したままであれば、滅亡は避けられない。


 しかし、そうなる前に世界は再度構築される。2000年前のあの日、“天真の魔導師”がそうしたように、今度は“精励の魔導師”の魔力を持って、世界は奇跡に包まれる。




 私は、神になるのだ――――!













『なにそれ』


 精励の魔導師の長い独白を聞き終えたユレシオンの感想は、呆れたような一言だけだった。



『正気の沙汰じゃない』


「ああ。そうだ。正気じゃない」


 くくっと喉を鳴らして笑う精励の魔導師。片足から流れる血が、その体を濡らしていく。



『……最初っからここで死ぬ気だったのね』


「ああ。君がそうだったようにね」


『かつての惨劇を再現しようとしたと』


「なかなか傑作だろう?図らずも、かつての君と同じように、僕も荒ぶる獣に襲われてね。このざまさ」


『……』



 炎の中、倒れ伏したまま動かない観客たちをチラリと振り返るユレシオンに、精励の魔導師は肩を竦めた。


「生贄は多いに越したことはない。どうせ皆死ぬんだ。ここで死ぬか、外で魔物に食い殺されて死ぬかの違いだろ?」



 ユレシオンは大きく長い溜息を一つ吐いた。


『いいわ。これが正真正銘、最後の質問よ。――あなたは、神になったとして、その先で何を成したかったの?』


 精励の魔導師が、ふとユレシオンを見上げた。


 お互い、しばらく無言で見つめ合う。



 ややあと、精励の魔導師がゆっくり口を開いた。


「何もかもだよ。神様ってそういうもんだろう?」


 それはまるで子供のような、無邪気な問いかけだった。


 不思議そうにこちらを見上げる精励の魔導師に、ユレシオンは憐れみの瞳を向けた。



 ――彼は正気じゃない。とっくに狂ってしまっていたのだ。


 永い生は、彼の倫理観と正常な判断力をいつの間にか奪ってしまった。




『……私も冥途の土産に、一つ教えてあげる』


 ユレシオンは膝を折り、段々と虚ろになっていく精励の魔導師の目を覗き込んだ。


『神になるのは、貴方じゃない。この少女よ』


 自身の胸に手を当てて見せるユレシオンに、精励の魔導師が緩慢な動きで瞬きを返した。



「何を、言って……?」


『貴方がかつて憧れた、奇跡の御業を成すのは、貴方じゃないって言ってるの』


 険しい表情で立ち上がったユレシオンは、もうすぐ事切れようとしている精励の魔導師に届くように声を張り上げた。


『貴方は死ぬわ。そして輪廻から外されるでしょう。私と同じように。だけどそれだけよ。神は貴方の前には現れない。貴方は死んで、そして一生生まれ変わることなく存在ごといなくなるの』




 命を弄んだ代償は重い。


 炎の揺らめく壇上で、もう何も聞こえてはいないだろう精励の魔導師を見下ろし、やがてゆっくりとその身を屈めたユレシオンは、彼の指に嵌められた『精霊の指輪』を抜き取る。


 そして自身の――少女の華奢な指に嵌め直し、クルリと踵を返す。揺らめく炎が一瞬、少女の姿を覆い隠した。次の瞬間。



 その姿は煙のように掻き消えていた。



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