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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
終章 明夜
58/66

二度目の

※残酷な描写が含まれます。ご注意ください。



 それからさらに2年経ったある日。その時はやって来た。



 初めて異界へ渡った日。その日は、ローアルの生誕日だった。


 ローアルは6年前から年を重ねるごとに、憂鬱な表情で生誕日を過ごすようになった。18歳を迎えたその日も、ヘルの家を訪れたローアルは、うんざりしたように溜息を吐くと机に突っ伏した。


 周りから祝われるのが嫌で逃げて来たんだろうと察しつつ、ヘルは寝不足でボンヤリする頭を抱えながら、ローアルの前に腰かけた。



「生誕日おめでとう」


 あれから一度も言っていなかった言葉を口にすると、机に顔を伏せていたローアルが唸った。


「嫌味か」


「まさか。はい、僕からの贈り物」


 訝し気に顔を上げたローアルだったが、机の上の紙きれを目にした途端、目を見開いてバッと体を起こす。


「まさか……」


「うん。よかった、生誕日に間に合って」


 隈ができているだろう目を細めて、胸を張ってみせる。


 ローアルは呆然とした様子でしばらく固まっていたが、やがてハッとしたように勢い良く立ち上がる。



「本当に、飛べるのか?」


「ひどいな。大魔導師様を疑うなんて!……って言いたいところだけど、そうだね。正直、成功するって確証はない。だけど、成功すれば確実に前と同じ座標に飛べるよ」


 ヘルは魔陣が書かれた紙の横に、水鏡を持ってきて置く。


「実を言うと、異界の様子を覗き見る方法だけは、結構前から見つけてたんだ」


「な、んだと。なぜ言わなかった!?」


「もし言ったら、君が廃人になると思って」


「……は?」


「とにかく、場所は前の座標に固定できてると思うから、転移さえできれば問題ない。でも、前回と同様、人には干渉できないかもしれない」


 注意事項を伝えた後、ヘルは真剣な表情でローアルを見上げた。



「7日経ったら、君の体をこちらに戻す」


「待て、俺は――」


「これは譲歩できない」


 きっぱり言い切る。


 ローアルは片手で顔を覆い、しばらく葛藤するように沈黙していたが、ややあと小さく頷いた。



「職場や家族には僕から伝えとくよ。7日くらいなら“いつもの旅行”でごまかせるでしょ」


「……わかった」



 こちらの話しを聞き終えたローアルは、間髪入れずに魔陣へ手を置いた。そこに躊躇いは、一切なかった。




 魔陣の光がローアルを包み込む。

 

 ――こうして、二回目の転移は果たされた。













 降り立ったのは、シンと静かな公園の真ん中。


 月明かりを浴び、照らされた遊具が記憶の頃より小さく見えた。


 それはそうだ、あれから6年。もう18歳だ。……18歳に、なってしまった。




 目の前を、昔の自分と小さな少女の幻影が通り過ぎる。その姿を追うように一歩踏み出す。


 あの時のような寒さは感じなかった。代わりに、生温かい風が頬を撫でる。


 その風に背中を押されるように、踏み出した一歩はすぐに駆け足になり、急くように、記憶の中の“帰り道”を辿っていた。






 路地を縫うように進む。ぼんやりと道を照らす光も、遠く聞こえる喧騒も、あっという間に過ぎ去っていく。



 そうやって気付けば、いつの間にか息を切らして()()に立っていた。



 記憶のまま、何も変わらない。あの7日間、毎日少女と潜った冷たい鉄の扉。それが目の前にある。


 恐る恐るドアノブに触れようとして、ハッと息を呑む。



 取っ手を掴もうとした手が、すっと擦り抜けてしまったのだ。



 以前来た時に干渉できなかったのは人間だけで、物には触れたはずだ。なのに、今回はそれすらできなくなっている。しかし、物に干渉できないのは、むしろ好都合だ。扉に鍵がかかっていたら中に入れなかったからだ。


 扉を擦り抜けるように部屋の中へ入る。自分の心臓がやけにうるさく聞こえた。



 あの少女を、一刻も早く見つけなければ。


 熱で倒れて、あの後大丈夫だっただろうか。



 少女が床に倒れ伏すあの瞬間が、何度も何度も脳裏に浮かび、その度に最悪な想像が頭を過ぎっては、それを打ち消すように、勉強に剣術に魔術に打ち込んだ。


 大丈夫だと自分に言い聞かせた。あの少女がそう言って笑っていた、あの瞬間を何度も思い出して。






 中に入り、シンと静まり返った部屋の玄関で立ち尽くす。


 内装は、記憶の中の物と何ら変わりはないように見えた。相変わらず暗いその部屋の中に、人の気配はない。


 狂ったようにドクドク鳴る心臓を押さえながら、一歩一歩部屋の中を進む。




 小さな狭い部屋だ。廊下も何もない。


 玄関を入ってすぐに広がるリビングスペース。小さな机と、窓があって、少女はいつもその窓の前に身を縮こませるようにして座っていた。


 あの日、少女が倒れたのは、この小さな机の前だった。その向かいにトイレと風呂。右手の壁にキッチン。


 こんなに小さかったのかと思うほど、その部屋は窮屈で、そして冷たかった。



 ふと、テーブルの上に置かれた一枚の紙が目に入った。それを何の気なしに覗き込んだのは、先程から発作かと思うほど鳴り響いている心臓を落ち着かせるためとか、そんな程度の理由だった。






 そこには線の細い文字が綴られていた。


 暗くてよく見えないなと思った瞬間、はかったように窓から月明かりが煌々と射した。


 照らし出された文字が目に映る。

 読めないはずの、この世界の文字。


 しかし、それを目にした瞬間、不思議なことに自身の頭は、正しくその内容を解していた。






明夜へ


だめなおかあさんで、ごめんね。

いままで、たくさんきずつけて、ごめんね。

さいしょっから、こうしとけばよかったのに、よわいおかあさんでごめんね。

ごめんね、明夜。

でも、もうだいじょうぶ。これからは明夜のすきなようにいきてね。

明夜はおかあさんみたいに、なっちゃだめよ。

ごめんね、ごめんね、明夜。

しあわせに、なってね。さようなら。


田島 椿






 ――カタン、と微かな物音が聞こえた。


 顔を上げ、ゆっくりと左を見る。




 玄関から左手側にある、いつも堅く閉ざされていた、()()()の部屋。


 その扉が、ほんの少しだけ開いていた。



 ゆっくりそちらへ歩を進める。耳元で鳴っているかのように、心臓の音が煩い。


 辿り着いた部屋の前。震える手で、そっと扉を押し開ける。




「ぁ……」




 見えた光景に、ざっと血の気が引いた。


 よろけるように、転がるように、その小さな背中に手を伸ばす。


「っ」


 しかし、その手は何に触れることもなく、するりと擦り抜けた。


 勢い余って小さな背中を通り越し、たたらを踏んでそのまま膝をつく。




 部屋の中央にへたり込むように座り込んでいた少女。這うように、その真正面に向き直り、その顔を目にした瞬間――……。



 あまりの衝撃に、呼吸の仕方が、分からなくなった。






 表情が抜け落ちた、痩せこけた顔。


 その頬には乾き切った涙の跡が、赤く、痛々しく残り、真っ赤に充血した瞳は光を失くし、ピクリとも動くことなく、瞬きすらせず、人形のように虚空を見つめている。



 ……見つめている。ただ、じっと。


 目の前の“絶望”を――――。






「ぁ、あ……っ」


 己の口から零れ落ちるのは、喘ぐような呻吟。



 少女の頬へ伸ばした手は、空を掴むだけ。


 その小さな体を抱きしめようとする度に、触れられない現実に気が狂いそうになる。




 何度も何度も何度も、少女へ手を伸ばす。その度に軋んでいく心の音を無視して、何度も何度も何度も――……。













 ――ピンポーン。



『田島さーん?いますかー?』


 形式ばったノックの音が部屋に響く。


『入りますよー』


 ガチャガチャと鍵の音が鳴り、ドタドタと複数の足音が中へ踏み込んだ。




「……無人か?」



「う、わっ」


 左側の部屋を覗き込んだ男が、引きつった声を上げた。


「こっちです、警部。その、容疑者の遺体と、子供が……」


「あ?子供?」


 ガラの悪い返事と共に、部下に呼ばれて部屋に入った男は、その惨状に無言で顔を顰めた。



 部屋の中に倒れ伏していた子供の脈を確認していた部下が、硬い声で言う。


「生きてます。かなり弱いですが脈あります」


「……下手に動かすなよ。救護班を呼んで来い」


「はい」


 玄関から素早く出て行く部下を見送り、独り言ちる。


「恐らく、田島明夜(あきよ)だな。容疑者の一人娘か。生きているとは思わなかったが……」


 ふとリビングの机に置いてある遺書に気付き、溜息を吐く。


「ったく、救われねえな」


 ポツリと呟き、男はガシガシと頭を掻いた。













 母から「あんた」と呼ばれていたから、それが自分の名前だと思っていた。



 記憶をどれだけ遡っても、名前を呼ばれた記憶はない。


 だから、あの時も、ひらがなばかりで書かれた初めての母からの手紙に、唯一書かれた漢字の二文字――それだけが読めなくて。


 それが自分の名前だと知ったのは、記憶を失くした後だった。






 その日、いつも通り公園から帰って来た自分を迎えたのは、静寂ではなく、母だった。



 ビクリと肩が揺れた。いつもであれば、母が帰ってきている時間ではなかったから。


 緊張で喉が引き攣る。


 玄関で立ち竦むアキヨに背を向けて、座り込んだままぼんやりと窓の外を眺めている母の姿。その異様な雰囲気に、緊張で喉が引き攣る。




「ねえ、私が何をしたんだろうね」


 不意に、母がポツリと、独り言のように呟いた。



「みんな、私が悪いって言うの。私が悪いんだって。望まない妊娠も、親と縁を切られたことも、こんなに頑張って働かなきゃいけないのも、好きな人と一緒になれないのも」


 首が傾いで、ゆっくり母の顔がこちらを向いた。


 笑顔だった。久し振りに見た母の笑顔。なのに、なぜか背筋が寒くなった。



「なんで?何で私が悪いの?本当に全部私が悪いの?ねえ?」


 バッと突然立ち上がった母親が足音荒く近付いて来て、ガッとアキヨの肩を掴んだ。


 様子が明らかにおかしかった。目を爛々と光らせて、口元を歪ませた母の顔に、アキヨはガクガクと震える。



「違うよね?おかしくない?全部あんたのせいじゃない。そうよ……、あんたがいる限り、私は幸せになんてなれないのよっ!!」


 叫ぶようにそう言って、母はふらりとこちらに背を向けた。


 向かったのは台所。緩慢な動作で何かを手に持つ。ブツブツと何事か呟いているが、小さな声で聞こえない。膝が震え、腰が抜けてその場に座り込む。




「ふふっ、おっかし。子供がいるんじゃ別れよだって。子供がいるってそんな駄目?ええ、駄目よね……。だってだから私こんなに苦労してるんだもの」


 独り言ちて、ふらりと、母がこっちに戻って来た。


 笑おうとして失敗したようなひどく歪な顔で、その手に持った物を振り上げて、




「お願い、死んで」




 振り下ろされる銀色の鈍い輝きと、涙を流しながらこちらを見下ろす母の姿を、アキヨはただ茫然と見つめていた。






 気付いたら、アキヨは公園のベンチに座っていた。


 随分長くそうしていたらしい。体が冷え切って感覚が無くなっていた。


 でも、それで良かったのかもしれない。頬を流れるドロドロした液体の感触を、ひどく不快に感じていたから。




 いつもなら家に戻っている時間。


 バイクのライトを光らせて公園に集まってきた男達が、訝し気にこちらを見ている。


 しかし、それでもアキヨは動く気になれなかった。




 繰り返し思い返す、母親の歪んだ笑顔と涙。



 あの時、包丁を振り下ろした母親を咄嗟に突き飛ばして、逃げてきてしまった。


 その際に包丁の刃先で頬を切られ、しばらくドロドロと血が流れていたが、今はとっくに止まっている。




 ……何で、あの時逃げてしまったのだろう。


 何で、“おかあさん”を抱きしめてあげられなかったんだろう。



 絵本の女の子と母親は笑顔で抱き締め合っていた。


 あの時、例え刺されても、大好きな“おかあさん”を抱きしめてあげればよかった。


 だって、泣いていた。理由なんて分からない。でも、自分のせいで、泣いていたのだ。



 殺されたくなかった?死にたくなかった?そんなことはない。生きたいなんて、思ったことない。


 いつだったか高熱で倒れた時も、このまま目が開かなくなったら、“おかあさん”は喜んでくれるだろうかと考えて、それでも構わないとさえ思った。幸か不幸か、なんとか体調は回復したものの、もしあの時自分がそのまま死んでいれば――……。


 “おかあさん”を泣かせるだけの自分は、いない方が良い。逃げ出さずに、“おかあさん”の「お願い」通り死んでいれば、“おかあさん”は幸せになれたのに。



 そう思うのに。母の幸せを、何よりも願っているはずなのに、なぜか、頬を流れ落ちる液体。


 それは、拭いても拭いても、止まることはなかった。






 ――帰ろう。それで、今度は受け入れよう。どんなことをされても。


 そう決意する頃には、男たちもバイクの音も消え去っていた。


 深夜の、ひどく静かな公園の中、自分の足音だけがやけに響いて聞こえた。






 ゆっくりと、いつもより時間をかけて家に帰ると、部屋の中はとても静かだった。


 リビングに母はいない。電気も点いていなかった。どこかへ出かけてしまったのだろうか。



 ふと、机の上にある一枚の紙に気付き、手に取る。それは短い手紙だった。


 何回も「ごめんね」と書いてあって、水に濡れたようにその文字が滲んでいた。



 ガタッと母の部屋から音がした。


 いつも閉じている扉が開いている。フラフラと、そこに近付いて、中を覗き込む。



「おかあさ、ん」



 小さな部屋。布団と化粧道具が転がる和室だ。入り口と向かい合わせに窓がある。その窓の前に、“おかあさん”はいた。




 部屋の前で立ち尽くす、アキヨの方に顔を向けて――――。


 “おかあさん”が、()()()()()






 ドタン、と力が抜けて座り込む。


 どこか遠くで、劈くような悲鳴が聞こえて、それが自分の口から出たものだと気付くこともなく、プツンと何かが切れる音だけが、やけにはっきりと聞こえた。



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