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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
終章 明夜
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記憶の底



 家に帰ると、明かりは消されていた。人気のない静かな部屋。この時間、“おかあさん”は仕事に行っている。



 薬を、()()()()()玄関ポストに入れ、貰った飴玉を口に放り込もうとして、ふと机を見る。


 今日は何も置いていない。つまり今日の夕飯は何もない。



「あげる」


 飴を少年に差し出す。自分より体の大きい彼の方が空腹だろうと思ったのだ。


 しかし、少年は首を横に振った。


「いや、いらない。どうやら生理現象は起こらないようになっているみたいだ。お腹は空いてないから」


 断られたことを理解して、飴を口に入れる。


 そうしていつものように窓際へ行き、部屋の隅に座ると、少年もくっついて来た。



「さっき、あの男に遮られたけどさ」


 少年がポツリと、抱えた自分の膝をジッと見つめながら口を開く。


「さっきの話し、俺のいる国に一緒に来ないか?」


 少年の方を見て、首を傾げる。


「いっしょ?」


「ああ、方法はこれから探すけど……、帰り方が分かったら一緒に行こう」


「おかあさんも?」


 少年は首を横に振る。


「いや、僕と二人でだ。母親から逃がしてやる」


「じゃあ、いかない」


 外の景色に視線を移せば、信じられないと言う風にこちらを見る少年の顔が窓に映っていた。



「なっ、なんで?こんな暮らし、嫌だろ?」


「いや、じゃない。おかあさん、いるもん」


「……そんな」


 少年が焦ったように言葉を続ける。


「その母親に殴られてるんだぞ?今朝も蹴られてたじゃないか!」


 声を荒げる少年に、ビクリと肩が震える。それに気づいた少年が慌てて「ごめん」と小さく謝り、力無く俯く。


 なぜか落ち込んでしまった少年を見て、アキヨは彼を慰めようと、カーテンの影から一冊の絵本を取り出した。


 寂しい時や悲しい時に、この本を読むと元気になれた。きっと少年も、元気になってくれるはず。


 何度も読んでクタクタになってしまった表紙を開く。




「だいすきなおかあさん」


 ぺらり、ページをめくる。



「わたしは、おかあさんがだいすき。いつもわたしをぎゅってしてくれる」


 笑顔の母親が笑顔の少女を抱き締めている挿絵。


「おたんじょうびはいつも、おへやをかざりつけて、けーきをやいてくれる」


 喜ぶ少女と嬉しそうな母親の挿絵。


「ぷれぜんとはうさぎさんのぬいぐるみ。まえはぶたさんのぬいぐるみだった。ちょっとぶさいくだけど、おかあさんがくれたものは、ぜんぶだいすき」


 ブタさんとウサギさんのぬいぐるみに囲まれて、幸せそうに微笑む少女の挿絵。


「おかあさんはわたしのために、たくさんおしごとしてたいへん。でも、わたしのえがおをみたら、げんきになれるって。だから、わたしはたくさんわらうの」


 外で仕事をする母親と家で一人で待つ少女の挿絵。


「いたずらっこのジョンにいじめられても、わたしはわらってやるの。そしたらびっくりしてた。へへっ」


 男の子が少女をポカリと叩くけど、少女が笑うと驚いた顔をする男の子の挿絵。


「ジョンのおうちみたいにおかねもちじゃないし、おとうさんもいないけど、おかあさんがいるから、わたしはしあわせ」


 パタンと、絵本を閉じる。




 アキヨが“おかあさん”から貰った唯一の贈り物。それがこの絵本だった。何にも代えがたいアキヨの宝物だ。


 この絵本を読んでいると、心がポカポカして自然と笑顔になれた。少年もそうだったら良いな、と顔を上げたアキヨは思わず目を見開いた。



 少年は泣いていた。口元をギュッと噛み締めて、はらはらと涙を流していたのだ。


 アキヨは、少年が寂しくて泣いているんだろうと思った。自分がそうだったからだ。時々、無性に寂しくなることがあった。暗い部屋の中に一人ぼっちでいることが怖くて、不安で眠れなくて、膝を抱えて泣きながら夜が明けるのを待つ日もあった。


 少年も、自分の親を思い出して寂しくなったのかもしれない。



「だいじょうぶ?」


 ぎゅっと手を握れば、ゆっくりと縋るように抱き締められる。温かい体温に包まれ、アキヨもぎゅっと抱き締め返す。


 絵本の少女と母親のように抱き締め合う二人を、夜空に浮かぶ月だけが見つめていた。






 それから一週間、少年はアキヨの傍を離れることはなかった。外に出る時も、家にいる時もずっと一緒だった。


 一緒にいて気付いたが、どうやら少年はアキヨ以外の人に触れないらしい。そして自分以外に、少年の姿は見えていないようだった。


 そのため、アキヨは幼心に少年の事を“おばけ”のようなモノだと思っていた。しかし、怖くはなかった。むしろ、隣りから伝わる温もりが心地好くて、少年がずっと迷子でいてくれたら良いのにと考えてしまうほどに、離れ難い存在となっていた。




 ――しかし、別れは突然やってきた。



 朝起きて早々に、アキヨは体の不調に気付いた。


 本格的に冬がやって来て、最近気温が急激に下がっていたことや、何も食べない日が続いていたこともあって、免疫力が下がっていたのだろう。


 体がダルい。その不調は数日前から続いていたが、その日は特に酷かった。頭痛と吐き気で嫌な汗が背中を流れる。心なしか、吐く息も熱い。




「どうした?」


 いつものように外に出ようと玄関へ向かった少年が、立ち上がったまま動こうとしないアキヨに首を傾げた。


 その姿が、斜めに傾いでいく。――いや、違う。自分が傾いているんだ。



「なっ……お、おい!!」


 バタンと体が床に叩き付けられた。遅れて、自分が倒れたことに気付く。


 息が熱い。呼吸が荒い。だるくて、気持ち悪くて、寒気がする。



 少年が必死に何か言っているが、耳が詰まってるみたいに良く聞こえない。


 霞む視界を動かし、少年を見上げる。


 顔をクシャリと歪めて、必死にアキヨを呼ぶ少年。また、泣きそうな顔をしている。だから、手を伸ばしてその頬に触る。



「なかないで」


「っ!」



 はくっと何かを言おうとして、結局言葉なく口を閉じる少年。……いや、何か言ったのかもしれない。聞こえなかっただけで。


 アキヨは彼を安心させようと、笑って見せた。


「だいじょうぶだよ。だいじょうぶ、だから」



 力が抜ける。少年へと伸ばしていた腕が、重力に従って力なく落ちていく。少年が慌ててその手を掴もうとした、次の瞬間。



 ――――少年が消えた。



 まるで、最初っから存在していなかったみたいに、煙のように跡形もなく。


 パタン、と自分の腕が床に落ちる音が、やけに響いて聞こえた。













「よ、良かった~!」


 目の前に現れた少年の姿に、ヘルは安堵の溜息を吐いた。



 人生で恐らく初めてと言うくらい、焦りに焦った。


 ちょっとした出来心で、スクリム家の子供――ローアル・スクリムを実験に巻き込んだ結果、うっかり次元を越えた別の世界に転移させてしまったのだ。


 大人びて見えるが、彼はまだ12歳だ。いきなり見知らぬ地、しかも異界へ飛ばされ、さぞかし不安と恐怖で震えている事だろうと、慌てて帰還方法を探すこと()()



 そもそも、ヘルがローアルへ渡した魔陣は、転移陣ではなく召喚魔陣だったはずだ。それなのに発動と同時に、なぜかローアルの姿が消えていた。


 一瞬呆然とした後、慌ててその魔力の残滓を追って帰還方法を突き止めたのがついさっき。方法さえ分かれば、こちらに戻すのは簡単だ。



 無事に連れ戻せたことに安堵の息を吐いて、呆然とした様子のローアルに上機嫌で話しかける。


「いやあ、びっくりしたよ。まさか、次元を越えちゃうなんて!って言うか、そもそも召喚陣なのになんで転移したの?なんか発動した時に弄ったりした?いや、してないか。僕も見てたしね――」


「っ今すぐ元に戻せ!!」


「ぐえっ!?」


 大きな安堵感に気分が高揚してはしゃいでいたのが良くなかったのか、唐突に首を絞められた。


「お、落ち着いてっ!ぐっ、ぐるじぃ……!」


「早くしろ!今すぐ俺をさっきまでいた場所に戻せ!!」




 12歳と言う年齢の割に、ひどく周りを達観している少年だった。


 いつも詰まらなそうな冷めた表情を浮かべていて、愛想笑いすらしない。ヘルがしかける悪戯にも、呆れたり冷たい視線は向けるものの、子供らしく怒ったりなんてしない奴だった。



 そんな彼が、鋭い視線でこちらを睨みつけ、声を荒げて怒鳴っている。


 いよいよ本気で息ができなくなってきて、やむを得ず軽く攻撃魔術を発動してローアルの手を離させる。


「ごほっ……ちょっ、分かったから、一旦落ち着けって!」


 嘘だ。何も分かっていないが、今にも殴りかかってきそうな彼の正気を取り戻そうと必死に叫ぶ。



「……で、何でいきなり元の場所に戻せなんて?」


「熱を出してた。助けに行く」


 単語でブチ切りに話すローアルの言葉をまとめると、飛ばされた先は、こことは全く別の技術文明を築く異界の星だったと言う。そこで出会った少女が別れ際に熱で倒れて、それを助けに行きたい、と。



「でも、話聞く限りその女の子以外の人間には認識されないどころか、こちらから触れることもできなかったんでしょ?アル坊が戻ってもできることないんじゃない?」


「じゃあ、できるようにして戻せ」


「ええ……」



 ローアルは苛々したようにヘルを睨みつけながら、無理難題を要求する。暴君の如き言い草に、思わず引いた声が出てしまう。



「そもそも、君が転移したのは事故みたいなもんだしなあ……。まあ、戻し方も今回ので分かったし、やるだけやってみるか」


 彼の怒りが爆発する前に、行動を開始する。


 とりあえず、言われた通り先ほど使った魔陣を取り出したが、何となく、無理だろうなとは思っていた。


 ローアルが、ひったくるようにその魔陣を受け取り、躊躇うこともなく魔力を込める。しかし、やはりと言うべきか、何も起こらない。


 紙に直接書かれた魔陣は、使い捨てではなく何回でも使えるものがほとんどだ。この魔陣も例外ではないが、そもそもこれは“召喚陣”だ。



「ちっ」


 盛大に舌打ちをしたローアルが、焦燥をぶつけるように、声にふんだんに怒気を込めて言い放つ。


「俺を元の場所に戻すことを、最優先事項にしろ。一刻でも早く俺を向うに飛ばせ」


「……ハイ」



 あそこで否を唱える勇気はヘルにはなかった。


 主人を守るべき使い魔のムゥが、息を殺して完全に気配を絶つくらい、あの時のローアルは、まるで手負いの獣のように殺気立っていた。






 それからヘルは、朝から晩まで異界について研究する日々を送った。



 ローアルは毎日、まるで監視するみたいにこの家を訪れた。


 騎士学校に通う彼が、そんな頻繁に寮を抜け出せるわけがないと、ある日さり気無く探りを入れてみれば、


「今まで手を抜いてただけだ」


と、よく分からない答えを返された。



 要するに、今までは時間潰しにダラダラやっていたものを、時間を空けるためにテキパキやるようになったと、そう言うことらしい。


 そう言えば、ヘルが絡みに行く度に、やれ宿題が、やれ剣の稽古がとかわされてきたが、もしかして言い訳できるように、今まではわざとダラダラやっていたと言う事だろうか。……聞かなきゃ良かった。






 ――そうして研究を続けること、早4年。



 頼まれて始めた事とは言え、元々の気質故、ヘルはそれなりの好奇心を持って研究を進めていた。


 しかし、毎日毎日朝から晩まで研究し続けて、それでも探し出すことのできない難題に、正直、何度か諦めようと思ったこともあった。


 所詮は、12歳の子供に依頼された無茶振りだ。「無理だ」と投げ出しても大半が「それはそうだろう」と納得してくれるだろう。



 それでも、ヘルは研究を止めなかった。それは偏に、ここ数年のローアルの様子をずっと見ていたからだ。


 異界からこちらへ戻って来たあの日から、ローアルは変わった。何事にも無気力だった彼が、剣術や魔術はもちろん、それ以外のありとあらゆる分野の技術を漁るように習得し始めたのだ。



 例えば今も。


「――それって、料理の本?」


「ああ」


 貴族には一生縁がないだろう料理の技術まで得ようとしているらしい。


「料理人にでもなるつもり?」


「まさか」


 そう答えながらも、本をすごい速さで捲る彼の横顔は、4年前よりシャープになり、早くも色気を感じるほどあか抜けてきていた。


 若々しさが滲む精悍な姿に、周りはより一層騒がしくなっているのに、本人はまるでそう言ったことに興味がない。


 社交界デビューしてからというもの、名が上がらない日などないローアルだが、浮ついた話一つない彼に、周りはありもしない憶測を立てている。


 しかし、その理由はひどく単純で、常人には理解できないものだと知るのは、恐らく今は自分一人だけだ。



 ――まさか、決して手に入らない『高嶺の月』と称される社交界の新星が、たった一人の異界の少女に心奪われているだなんて、誰が予想できるだろう。



 そんな姿を毎日見せつけられて、「やっぱり無理だ」と研究を投げ出すことなんて、とてもじゃないができなかった。




「アル坊がその女の子以外に干渉できなかった理由は、正直解明が難しい。干渉できない理由が分からない以上、それを解決することもできない。それに、異界とこっちじゃ時間の流れ方が違う。向こうに飛んだら、あれから百年経ってた、なんてこともありえる。……それでもなお、君が行きたいと言うなら」


「できるのか?」


 本から顔を上げたローアルと、今日初めて目が合った。



「……まだ。でも、できるかもしれない」



 彼が諦めない限り、ヘルだって諦めきれない。


 インクで真っ黒になった手をコキコキと回しながら、ヘルは再び机に向き直ったのだった。



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