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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
終章 明夜
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記憶の蓋



 長い夢を見ていた。



 4歳の自分が見える。……そう、あれは4歳の頃。


 こんなに鮮明に思い出せるのは、やはりこれが夢だからだろうか。






 あの日、自分はいつものように公園で遊んでいた。


 ――否、ソレだと語弊がある。遊んでいたのではなく、待っていたのだ。


 時間が過ぎるのを、いつものように待っていた。




 寒い日だった。寒いという記憶は鮮明に思い出せる。常に寒かったからだ。寒くて、このまま意識が途絶えてそのまま目が開かなくなるんじゃないかと思うくらいに。


 それと、いつも眩暈がしていた。だからあまり動かないように、ゆっくり行動するのが癖になっていた。



 くたびれた毛布を持って、ブランコにじっと座り、遊びに来る子供や、それを迎えに来る大人達の様子を、ぼんやりと眺める。


 こちらを見て、ひそひそ囁き合う人はいるものの、誰も関わろうとはしてこない。“ココ”はそういう所だった。




 繁華街の一角。


 いつも空気がどこか澱んでいて、酔っ払いがフラフラと歩き、夜になると公園にも派手な音を立てたバイクがたむろする。


 だから不良が溜まり出す時刻の一歩手前まで粘って粘って、そうしてブランコから重い腰を上げる。


 毎日毎日。それが4歳の頃の、アキヨの日常だった。




 だけど、その日は少し違かった。


 相変わらず寒い日だった。毛布にくるまりながら、ぼんやりとブランコに座っていた自分の前に、一人の少年が現れた。



 淡く金色に輝く髪と、夜空のように煌めく深い蒼色の瞳。


 初めてその少年を見た時、まるで夜空に浮かぶお月様のようだと思った。



「もしかして、俺が見えるのか!?」


 目が合った少年が、驚いたように叫ぶ。それに首を傾げる。少年の言葉に答えたわけではない。自分に声をかけているのか分からなかったのだ。


 もうその時間には公園に誰もいなかったため、自分に話しかけているのは明白なのだが、あまりにそれが普段にないことで、信じられなかったのだ。


 少年は走って来たのか、随分息が上がっていた。


 荒い呼吸を落ち着けるように一度深呼吸をすると、少年は恐る恐ると言う風に口を開く。



「ここは、どこなのだろうか」


「……こうえん」


「その、地名……、街の名前を知りたいのだが」


「まいご?」


「まっ……、いや、うん。そうなる、のか」


 歯切れ悪く認めた少年は、チラリと周りを見回して眉を顰めた。


「そもそも迷子と言う次元なのか?それに……」


 ブルリと体を震わせる少年。


「寒いっ……!ケダトイナじゃ考えられない気温だっ」


 寒さにブルブル震え始めた少年に、羽織っていた毛布を差し出す。


「はい、どうぞ」


「えっ」



「……ふふっ」


 戸惑いながら毛布を受け取る少年の反応が、お気に入りの絵本に出て来る男の子とそっくりで、思わず笑ってしまう。


 満足したアキヨは、そのまま公園の出口へ向かった。



「あ、ちょっ待って!!」


 ハッと我に返った少年が、慌てたように後ろを追いかけてくるが、アキヨは振り返ることなく先を進む。


 治安の悪いこの街では、通りすがりにいちゃもんをつけられるなんてことは日常茶飯事だ。知らない人に声をかけられたら立ち止まらない。それが、この街の常識だった。


 しかし、少年は無視するアキヨの横に並んで、諦めることなくあれこれと問いかけてきた。


「この国に魔導師はいるだろうか。もし、いるなら案内――いや、どこにいるかを教えて欲しい」


「……」


「あれは何だ?馬車、ではないよな。魔道具か……?中に人が入っているように見えるが……」


「……」


「あ、そうだ。君の保護者と話しをさせてほしい。俺のことが見えれば、の話しだが……」


「……」


 ひたすら語り掛けて来る少年に始終無言のアキヨ。その攻防は、町のとある一角にある日の当たらない薄暗いアパートの一室へ辿り着くまで続いた。






 いつものように、玄関についているポストから鍵を取り出し、扉を開ける。


「ここが、君の家か?」


 困惑したように周りを窺っていた少年だったが、アキヨがドアノブを捻ると、扉を支えて開けるのを手伝ってくれた。


 それを見て、やっとこちらも口を開く。


「かえらないの?」


「え」


「あ、まいごだった」


 舌ったらずな言葉が、抑揚なく紡がれる。


 ふと少年が微かに震えているのを見て、アキヨは躊躇いなくその腕を取った。


「ちょっとなら、いていいよ」


 腕を引けば、戸惑った様子で部屋の中まで付いて来た少年が、眉を寄せて辺りを見回す。


「明かりはつけないのか?」


 目が慣れないと、部屋の中が見えないほど真っ暗だ。


 しかし、こちらは慣れたもので、さっさと部屋を進んで、窓際に辿り着くと、壁に寄り掛かかるようにその場に座りこむ。


 そうして、ヒンヤリとした壁の感触が、自分の体温で温まるのを待つ。



「その、保護者は……?もしかして孤児か?」


 手探りしながら、時に物にぶつかりながらこちらに歩み寄って来た少年を、ゆっくり見上げる。


 暗闇の中でもぼんやりと輝いて見える金色が、本当にお月様みたいで、それがひどく愉快に思えて声に出して笑う。


「えっへへ」


「ど、どうした?」


「おつきさまみたい」


 窓の外を見る。


 ここからだと高いビルに阻まれて月なんて見えない。でも、時々その隙間から、金色に輝く月がちらりと覗く。アキヨはその瞬間が好きだった。


 太陽よりも、月が好き。夜の方が静かで、安心できるから。



「君に、親はいるのか?」


 少年が辛抱強くこちらに問いかけて来る。


 アキヨは暫くぼんやりと空を見上げていたが、ややあと、こくんと一つ頷いた。



「うん」


「そ、そうか。仕事か?何で今いないんだ?」


「しごと」


「いつ帰ってくる?」


「あさ」


「朝、か」


 ブルリと少年が震える。まだ寒いようだ。


 カタカタと隣りに座り込んで震えている彼に、ふと電気ストーブの存在を思い出して、しばらく入っていなかった“おかあさん”の部屋へ向かう。


 そこから電気ストーブを引きずって来て、コンセントにさして電源を入れる。やり方は“おかあさん”の動きを見て覚えていた。


 ついでにいつも机の上に置いてある夕飯が()()()()()()確認する。すると、今日はパンが一つ置いてあった。



「魔道具か!あったかいな。君は寒さに強いのか?」


「……」


 少年の言っている意味がよく分からなくて、沈黙を返す。


 代わりにパンを差し出した。


「え、食べて良いのか」


 その言葉に頷いて、再び窓際に座る。


 少し苦戦しながら袋を開けた少年は、パンを口に運ぼうとして、ハッとしたように、慌てて半分にそれを割った。


「わ、悪い。全部食べようとしてた」


 差し出されたパンを、思わずまじまじと見る。


 半分にされたパン。初めてだった、()()()()()()()()()



「あり、がとう」


 パンを受け取り、言い慣れていないお礼を口にする。


 そうして2人並んで食べたパンの味は、何だかいつもより美味しく感じた。






 久し振りに感じる、電気ストーブのじんわりとした温かさに包まれて、コクリコクリと舟をこぐ。


 少年が隣りで身動ぎをして、アキヨにそっと毛布を掛けてくれる。それにお礼を返すこともできずに、アキヨは少年に寄り掛かるように意識を手放していた。













「何やってんの!?」


 ヒステリックな声と共に、体に大きな衝撃が走って目が覚めた。



 ぼやけた視界に映った足先に、すぐにはっと意識を取り戻す。


 しかし体を起こす前に、さらなる衝撃が腹部を襲った。



「なっ、何を――」


 聞き慣れない、まだ幼さの残る少年の声がする。


 しかしそれが誰の声か思い出す前に、怒りに震えた声がアキヨに降り注いだ。


「しんっじらんない!ストーブつけっぱで寝るなんてっ!火事になったらどうすんの!?そもそも、私の部屋に入んなって言ってあったよね?何で入ったの!?」


 呼吸も荒く捲し立てられ、今度は髪を引っ張られる。


 視界の端で何かが動いた。


「やめろっ!!」


 少年が、そう叫ぶと共に“おかあさん”の腕を掴もうと手を伸ばし――――、そして()()()()()



「――!……くそっ」


「何か言いなさいよッ!疲れて帰って来て、何でこんなっ……」


 声を詰まらせ、唇を震わせながら嗚咽を漏らす“おかあさん”。その瞳から、はらはらと涙が零れ落ちる。


 冷水を浴びせられたような気分になった。


 床にへたりこみ、自身が泣いていることにも気づかないまま、アキヨは呆然と“おかあさん”を見上げる。



「……ごめん、なさい」


条件反射のように口から飛び出した言葉が、“おかあさん”の嗚咽と混ざるように、ポツリと落ちる。



「ごめんなさい」


「っひく……なんでっ、わたしっばっか――!」


「ごめんなさい」


「もうやだっやだもうやだやだやだぁああああああ!!」



 泣きながらフラフラと自室に入って行く“おかあさん”。乱暴に扉が閉じられる。



「ごめんなさい」


 痛い痛い痛いいたいイタイ……。


「ごめん、なさ――」




 不意に温もりに包まれて、言葉が途切れた。


 ぎゅっと、少年に抱き締められたのだ。


「っごめん、俺のせいだ。だから謝らなくていい。君は、何も悪くないっ」


 その声は震えていて、微かに濡れた音をしていた。






 いつもなら、寒さで夜明けくらいに目が覚める。だけど今日は、もうすっかり外が明るくなった時間に目が覚めてしまったようだ。


 だから“おかあさん”と鉢合わせしてしまった。帰ってくる前に、家を出ていなきゃいけなかったのに。


 しかし、時間が遅くなってしまっただけで、やる事は変わらない。痛む体をゆっくり起こし、部屋に閉じこもる“おかあさん”を置いて外へ出る。



バタンと扉が閉じたところで、ふと隣りに誰かいることに気付き、アキヨは緩慢な動作でそちらを見る。


 そこには、少し目元を赤くした少年が、沈んだ表情で立っていた。


 ……そうだ、昨日公園で出会って、そのまま家に入れたんだった。



「君は、いつも母親からああして、暴行を受けているのか」


 硬い表情で聞いてくる少年に、アキヨは答えなかった。


 「ぼうこう」の意味が分からなかったのもあるし、体中が痛くて言葉を発する気力が無かったからだ。






 今日は雨が降っていた。そう言う日は、公園にある土管のトンネルの中で過ごす。


 土管の中に潜り込むアキヨを戸惑うように見ていた少年も、恐る恐る後に続く。


 アキヨより身長の高い少年には少し窮屈そうであったが、出る気はないようだ。



「君さえよければ、俺の国に来ないか?」


 少年の声が土管の中でグワングワンと響いて聞こえた。


「くに?」


「っ!ああ!俺のいる国は、ここより温かいし、王も代変わりして治世は良くなってる。それに、俺は貴族だから、孤児院にも伝手がある。少なくとも、今より良い暮らしができる。何だったら父様に言って俺の家に――――」



 少年の言っている意味はほとんどよく分からなかった。


 しかし、故郷について語るその表情はとても明るく楽しそうで、アキヨも何だか嬉しくなる。



「地図が見れれば……」


 ブツブツと何やら思案している少年の隣に、ごろりと横になる。途端に、少年の慌てた声が土管に反響する。


「どうした!?さっき蹴られたところが痛むのか?」


「……」


 それもあるが、いつも土管の中では寝て時が過ぎるのを待つのが常だった。


 それを知らない少年が、ひどく慌てた様子であれこれと話しかけて来る。それをボンヤリ聞いている内に、アキヨは本格的に眠ってしまった。






 起きた時、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。誰かに抱きしめられていて、とても温かかったからだ。


 常に無いその状況に、固まったまま息を詰めていると、その温もりが身動ぎした。



「ん、起きたか?」


 若干眠そうな、優しい声が聞こえて上を向く。


 そこには輝くお月様がいた。


「こんなとこで寝たの、初めてだ」


 そう言って子供っぽく笑うその表情が、ひどく眩しくて。こちらを真っ直ぐ見つめる蒼い瞳がとても綺麗で、アキヨは暫し見惚れた。


 始終ぼうっとしているこちらの様子に慣れてきたのか、少年は無反応なアキヨを気にすることなく外を見遣る。


「もうすっかり夜だな」


 その言葉にハッとして、アキヨも外を見る。


 随分ぐっすり寝てしまったようで、確かに外は暗かった。


 二人で土管から出て備え付けの時計を見上げれば、いつも帰る時間より少し遅い時刻を示していた。



 雨はすっかり止んでいた。


 公園には、子供の代わりにガラの悪い大人がちらほら見え始めている。


 慌てて公園を出て、二人で通りを歩く。


「なあ、さっきの話しだけど……」


 道中、少年が何か言いかけた時だった。



「あ?お前、ツバキんとこのガキか?」


 後ろから聞き慣れた声がして、思わず立ち止まる。


 振り返ると、見知った顔がこちらを見つめていた。



「なんだァ?知り合いか〜?」


「おい、早く来いよ」


「ああ、わり。先行っててくれ」


 連れの男達にそう言うと、アキヨに声をかけた男が歩み寄ってくる。


「いつものお遣い頼まれてくれねえか?駄賃やるから」


 そう言って渡されたのは銀色のパックに包まれた小さな袋。


 完全密封されていて中身は見えないが、小さな塊が数個入っているのが手触りで分かる。


 いつもの“おくすり”だ。


 そして一緒に手に握らされた飴玉。子供騙しのそのお小遣いも、別に求めたことはない。ただ黙って受け取ったその日から、何を勘違いしたのか、男は時々こうして“おくすり”と共に飴も渡してくるようになったのだ。



「いつも通りに、よろしくな」


 ニヤニヤとそう言った男は、アキヨの頭をポンポンと叩くと、さっさと離れて行ってしまった。




「それ、なんだ?」


「……おくすり」


 訝し気な少年にそう答えると、なぜか変な顔をされた。しかし、アキヨもそれ以上は何も言わず、再び帰路を歩き始めた。



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