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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
第五章 魔法の国
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世界は今 2



 ――イセレイ連合国、中道の魔導師邸。



「……」


 塔の最上階にある温室で、一人の魔導師が空を眺めていた。



 いつも暖かな光を植物に届けてくれる空が、今は真っ黒に染まっている。


 夜ではない。なんだったら真昼間だ。なのに、空は真っ黒。



「……今日久し振りに晴れたのに」


 そう呟くのと同時に、敷地内に何者かが入って来るのを感じ取る。この家全体を覆っている結界を誰かが潜ったのだ。


 まあ十中八九、あの空を埋め尽くしている魔物に関することだろうけど。中道の魔導師――ラウアールドは重い溜息を吐き出し、だらりとクッションの山へ身を沈める。




「中道君~。いるかいー?」


 緊張感のない声が遠くの方から聞こえてくるが、それに返事をすることなく、目を閉じる。



「開けるよ~?」


 扉を開ける音が聞こえる。


「あれ?いない……。ううん、温室かな?」


 こちらに近付いて来る足音に、ラウアールドは再び溜息を零すと、何で自分は魔導師なんだろうと、随分久しぶりにそんなことを思った。






「あ、いたいた。ごめんね、中道君」


「御免って思ってるなら来ないで欲しい」


「そういうわけにはいかないでしょ。今回の場合は」


 苦笑するダンを、寝転がったまま半目で見上げる。その後ろにはいつもの護衛――ルドルフが突っ立っている。


「ルテニボンから協力要請があったんだ。君に」



「行かない」


「うん、まあそうだよね……」


 眉を下げたダンが、ふと空を見上げる。



「――そう言えば僕さ、一つ久遠君からお願いされていたことがあってね」


 こちらに視線を向けることなく、いきなりそんなことを言いだしたダンに、ラウアールドは何だか嫌な予感がした。


「こういう非常事態が起こったら、魔導師にはやることがある。だから、君を連れて行くことを許してほしいって」


「はあ?」


 思わず本気で怒りを滲ませた声が出てしまった。ラウアールドは不機嫌を隠しもせずに、体を起こし、ダンを睨みつける。


「連れて行くって何、どこに」


「分からない。でも、魔導師は世界が崩壊するような事態が起こった時にやるべき使命があるんだって、そう言ってたよ」


「知らないよ、そんなの。望んで魔導師になったわけじゃないのに、何の義理があって僕がそんなことしなきゃいけないわけ?それに、僕がこの国から一歩でも外に出れば、この国を守っている結界は消える。それでも良いってこと?」



 苛々する。ギュッとクッションを抱き潰し、刺々しい声音でダンを詰る。


 しかし、そんなこちらの様子も想定済みだと言うように、ダンは穏やかな笑みを崩さない。



「うん。でも、約束だから」


「……僕の知らない所で結ばれた約束を、守る必要なんてないよね」


「久遠君に、君が勝てるならね」


 いつになく強気なダンの言葉に、眉を寄せる。


 そもそも「約束だから」と言う理由で、自国を危険にさらす領主がどこにいるのだ。


「……この国はどうするつもりなの」



 大変、非常に遺憾だが、ダンの言う通り久遠の魔導師が迎えに来ると言うのなら、ラウアールドがいくらここで駄々をこねたとしても、結局連れて行かれてしまうだろう。同じ魔導師でも、向き不向きはある。ラウアールドは戦闘には向いていない。



 しかし、ダンがそれを良しとする理由が分からない。


 正直、ラウアールドの結界がなくなれば、この国に防衛の手段は何もない。他国のようにちゃんとした軍事組織を持っていないイセレイが自衛する手段は、無いに等しい。


 それなのに、この国の事を一番に考えるべき領主が、この緊急時に、国防を一手に担う魔導師を率先して外に送り出そうとしているのだ。


 彼が何を考えているのか分からない。



「僕はさ」


 こちらの心中を察したのか、ダンが静かに口を開く。


「この国は変わるべきだと思うんだ」


「……」


「いつまでも君に凭れかかるのもどうなのかなってずっと思ってたんだよね。これは良い機会なのかもしれない」


 親離れならぬ、魔導師離れ。


 それって、つまり。


「僕のこと、もういらないってわけ」


 思った以上に低い声が出た。


 ダンが目を見開く。それを見てさらに心が冷えるような感覚になった。



 そして、なぜこんなに心がささくれ立つのかも、よく分からなかった。



「中道君、何か勘違いしてるようだけど――」


「もういい」


 無視してその横を通り過ぎようとすると、ダンがその腕を掴む。


「待って!」


 それがひどく煩わしくて、腕を振り払う。


 ダンの狼狽した雰囲気が伝わってきたが、ラウアールドは最後まで彼の方を見なかった。






 ダンが久遠の魔導師の話題を出した直後、その存在を主張するように、家の結界に触れた人物がいた。


 まるでこちらの会話を聞いていたかのようなタイミングに、舌打ちが出る。




 外に出たラウアールドは、久し振りに風というものを肌に感じて身震いした。


 目の前には、久遠の魔導師。


「よお」


 ニヤリと笑む、獰猛さを滲ませた野性味溢れるその顔をうんざりと見遣り、視線を反らす。


「行くならさっさと連れてけ」


「随分偉そうだなぁ。ママとのお別れはいいのか?」


「うざ」


 ケラケラと笑う久遠の魔導師に、早くもうんざりする。何でこう、自分の周りには鬱陶しい奴しかいないんだ。


 項垂れたラウアールドは、ふと、最近できた“友達”が言っていた言葉を思い出す。



『きっと分からないことは知ってる人から学ぶものなんだ。今の私は、愛ってどんなものか何となく分かるよ』





「……やっぱり、ちょっと待ってて」


 くるりと踵を返したラウアールドの背中を、久遠の魔導師が優しい瞳で見つめていた。













 ――ジアンノ・リモ、森の中枢。



「なんで長は外に行っちゃったんだろうね、こんな大変な時に」


 ネネリがロボの横で体育座りをしながら、ボソリと呟く。



「何だよ。長一人いないくらいで弱ってんじゃねえよ」


「べ、別に、弱ってない!」


 そう叫ぶネネリは、目に涙を張っていた。ガタガタと体が震えている。


 その理由が分かるから、ロボはそれ以上憎まれ口を叩くことなく、黙って空を睨みつけた。




 最初に異変に気付いたのは、見張りをしていた大人数人だった。


『なんだ、ありゃ』


『どうした。人間か?』


 しかし、すぐにそれが異常な数の魔物だと分かった彼らは、すぐに長へ報告した。


 そのすぐ後、長は特にこちらに何を言うでもなく、さっさと国を出て行ってしまった。




 現在、残された大人たちが集会所に集まって、今後の事を話し合っている。


「今、この世界に何が起こってるの……?」


 ネネリがぽつりと呟いた時だった。



「伝達だよ~」


 上空を舞い、フワリと木の枝に着地した鳥族の少女に、ネネリはハッと顔を上げる。


「皆もれなく集会所に集まるように~だってさ~」



 無言で立ち上がったロボ。ネネリも慌てて腰を上げる。


「……行こう」


 無意識に、二人とも手を繋いでいた。その手は、微かに震えていた。






 急ぎ足で集会所に行くと、二人が最後だった。


「――皆、集まったか」


 こちらを見てそう言ったのは、長の側近をしている女の亜人、ラトだった。


 どうやら、この場を仕切るのは彼女のようだ。



「さて、皆知っての通り、長は中道の魔導師殿と魔物討伐へ向かった」


(え、そうなの?)

(し、知らなかった!)

(そうだったんだ……)


 ――国内の情報伝達に漏れが多いのは、いつもの事である。


「魔物の暴走が起きている原因は分からない。しかし現状、上空の魔物共に目立った動きはない。目的は知らんが、奴等はどこか特定の場所に向かっているものと思われる」


「発言良いだろうか」


「構わん」


 木に凭れかかって話しを聞いていた男が挙手をし、それにラトが一つ頷く。


「理性のない魔物が、意思を持って移動しているとは思えない。誰かが魔物を誘導しているってことか?」


「――ああ、そうなるだろうな」


 ラトの返答に、ざわりと騒めきが広がる。


 カタカタと震えるネネリの手を、ロボがギュッと握る。


「その者の意図が分からん以上、我々にできることはない。恐らくそちらは魔導師殿がどうにかしてくださるだろう。我々は自国を守ることを優先する。光属性を持つ者はまず前へ」


 ビクリとネネリの腕が震えた。顔は真っ青だ。それを見かねたロボが、眉を寄せて挙手をする。ラトがこちらを見て、一つ頷く。


「発言を許す」


「ネネリは戦えねえ。代わりに俺が出る」


「はぁ!?」


 ネネリが目をカッと見開いて、ロボを睨みつける。鬼のような形相だ。


「何言ってんの、あんた!?」


「ネネリがいつまでもそんなんだからだろ。震えてるやつが魔物の前に出ても死ぬだけだ」


「そ、れは――」



「……ネネリは光属性だったな」


 ラトの静かな声に、ネネリは恐る恐る頷く。見上げた瞳は、優しく穏やかなものだった。


「私の言葉が足らず悪かった。光属性の者を前線に立たせるための招集ではない。結界を張ってもらいたいのだ」


「け、結界?私、そんな魔術使えません!」


「魔力を分けてもらえればいい。結界を張る術士に魔力を分けてほしいだけだ」


 ネネリがその言葉を聞いて、頬を赤く染めた。


 自身の勘違いに恥ずかしくなったのだ。


「す、すみません。私ったら自分の事ばっかりで……」


「いや、無理もない。安心しろ、同族を危険にさらすような真似はしない。我々は誰一人死なずに、長の帰りを迎えなければならないのだから」


「っはい!」


 ネネリがキッと前を向いて、力強く頷く。


 そして少し気恥しげにロボを振り返った。


「ロボ、ありがとね」


「……ふんっ」


 プイとそっぽを向くロボに苦笑して、前へ進み出たネネリに、ラトが囁く。



「ロボは変わったな」


「え?」


「以前であれば、誰が何と言おうと勇んで自分が出ると叫んでいただろう」


 大人しく木に寄り掛かってじっとしているロボを、ネネリも見つめる。


 確かに以前の彼であれば、皆の制止を振り切ってすでにこの島を飛び出していてもおかしくない。


「何かきっかけでもあったのか?」


「きっかけ……」




 人間が怖かったネネリと、人間をひどく怨んでいたロボ。


 そんな二人に頭を下げて謝ってくれた少女の記憶はまだ新しい。


 あの瞬間、ネネリの中にあった人間に対しての恐怖心は、少しだけだが確かに薄れた。そして初めて、人間に対して親愛の情を抱いた。



 自分がそうやって変わったように、もしかしたらあの瞬間、ロボも感じたことがあったのかもしれない。




「――ええ、ありました。大事な友人ができたんです」


 微笑んだネネリに、片眉を上げたラトがふっと笑う。


「そうか」



 これから起こることがどんな結末を迎えるか分からない。


 しかし、先程まで感じていた恐怖心は、今はもうなかった。














 ――ホマーノ王国、とあるサーカステント内。



「もう動き出したか」


 魔導師達が動き出した気配を探り当て、自然と口角が上がる。


「さて、舞台は大詰めだ」


 両手を広げ、周りを見回す。




 燃え上がる炎。動かない観客。舞台で糸が切れたように倒れ伏した演者たち。


 その中で、狂ったように笑い声を響かせながら、恍惚とした表情で、その光景を眺めるシルクハットの男。



 丸みを帯びた男のシルエットが、ゆらりと揺らめく。


 そして次の瞬間には、スラリと背の高い青年の姿へ変わっていた。


 ゆっくりとその頭からシルクハットを取った男は、貼り付けたような笑みを浮かべ、その優し気な風貌に狂気を滲ませる。



「やっとだ。やっと私の研究の全てが集結する」



 ……長かった。数百年、国を変え、顔を変え、名前を変え、方法を変えて続けてきた、魔導師という長い寿命の中でさえ完結するか分からない、世界の理に触れる研究。



 しかしそれも終焉を迎える。この瞬間が。ついに――……!




「……ん、なんだ」


 ピタリと笑い声が止む。


 きょろりと視線だけを動かし、気配を探る。


 今、張り巡らした網に歪みが生じた。


 どこだ――と探って、すっと表情を消す。



「地下牢がある方角か……」



 異界から来た少女と、その連れの男を罠に嵌め、転移陣で地下牢へ飛ばしてから、体感半刻は経っている。


 予想よりは早いが、地下牢から脱出されるのは想定内だ。……しかし、何だ。頭の端で何かが引っ掛かる。




 罠まで張って二人を地下牢へ飛ばしたのは、少女の命を代償に魔物の暴走を起こすためだった。


 魔陣には、少女が地下牢へ踏み込んだ瞬間に、彼女の命を吸い取るよう術を仕込んでいたし、実際に今から半刻前、つまり二人を地下牢へ飛ばした瞬間に、異界との空間に歪みが生じ、魔物が溢れ出すのを感じた。


 つまり、少女の命は確実に生贄となったはず。



 なのに、だ。すっきりしない。小骨が引っ掛かっているような不快感。


 何か、大事なことを見落としている気がする……。



 思案していた精励の魔導師の耳に、ドガンという爆発音が届いた。


 そちらに視線を向けると、一人の男が土煙の中から現れた。サーカステントを破って入って来たようだ。



 その人物と目が合ったと認識したのと、地面にすごい勢いで引き倒されたのは同時だった。


 早すぎて全く見えなかった。


「五秒やる。アキヨをどこにやったか答えろ」


 瞳孔が開き切った目で、そう問われる。完全に正気を失っている様子なのに、その声はひどく平坦だった。


「……そう訊くと言うことは、もしやお前と共に転移したのではないのか?」


 そう問いかけるのと、右足が無くなるのは同時だった。


 魔導師の右足を切り落とした男――ローアル・スクリムは、再び無機質な声を発する。



「次に無駄口叩けば、今度は左足を落とす」


「――アキヨとやらがどこに行ったかは知らん」


 答えた瞬間、重みが退いた。


 そして同時に膨大な、それでいて非常に雑な、しかし凶悪な魔力の塊が投げつけられた。


 それを間一髪で防いだ時には、先程までいた英雄は消えていた。



「……亜人の血を引く人間、か。魔導師と同等の魔力を有するとは、恐れ入る」


 防いだは良いがその反動で嫌な音を立てて軋んだ右腕に眉を上げる。



 ――どうやら、予想していなかった事態が起きているらしい。


 残る計画段階は後3割と言ったところだ。ここに来て頓挫させるわけにはいかない。



「しかし解せんな。魔物の暴走が起きている時点で、あの少女は確実に生贄となったはずだが」


 あの少女が魔物の暴走を引き起こす栓になっていることは、今までの研究結果から間違いないはず。


 だからこその計画であり、これまでの実験だった。そう、そこに狂いなどあるはずがない。ない、はずだ。




 先程までの笑みは鳴りを潜め、だらんと腕を垂れ下げた精励の魔導師は、しばらくその場に座り込んだまま、揺れる炎をただじっと見つめていた。



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