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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
第五章 魔法の国
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世界は今



 ――ケダトイナ王国内『禁忌の森』。



「何か騒がしいな」


 ヘルは窓の外から森を眺めながら、眉を顰めた。


 何か嫌な感じのする騒めきだ。鳥がバサバサと飛び立ち、木々も嵐のように揺れている。


 目線だけ動かして辺りを探っていたヘルだったが、窓の外から猛スピードで近付いて来る使い魔の姿が見え、目を見開く。



「ムゥ!」


『逃ゲロ!魔物ガ暴走シテル!』


 窓から飛び込んで来たムゥは、いつもと違う焦燥した様子で羽をバサバサと鳴らした。


「なっ、魔物が暴走って……」


 魔物は従来、異界に閉じ込められていてこちら側には来れないのが大前提だ。


 どういうことだ。“ハグレ”が同時に結束して街でも襲っていると言うのか。


 本来なら、あり得ない。しかし、ムゥが冗談を言うとも思えない。


「どこだ?助けに行こう!」


 急いで家を出ようとするヘルの服を、ムゥが嘴で引っ張った。


『違ウ!逃ゲロ!』


 そこでやっと違和感に気付いたヘルは行動を止める。



 何か、おかしい。いつもであれば、こう言う時、ムゥは何も言わずに案内してくれるのに。


 慌てたようにお遣いを放っぽリ出して戻って来たムゥ。魔導師であるヘルの実力は知っているはずなのに、しきりに“逃げる”ように言ってくる己の使い魔。



「一体、何が起こってるんだ……?」



 ――ギャォオオオオオオッ!!



 突然、空気を切り裂く咆哮が響き渡った。


 飛び出すように外に出たヘルは、辺りが妙に暗いことに困惑し、すぐにそれが何かの影であると気付く。


 恐る恐る上を見上げたヘルが目にしたのは、空を泳ぐ巨大な魚型の魔物だった。


 側面にギョロギョロと動く目玉が複数あり、それが地上を舐めるように眺めている。


 まるで空が海であるように、悠々と泳ぐように移動するその魔物に呆然としたヘルだったが、すぐにさらなる異変に気付いた。



 その巨大な魔物の周りに寄り添うように、複数の魔物が飛んでいるのが見えたのだ。


 しかも十とかそんなもんじゃない。千、万……。魚型の魔物が大きすぎて一つ一つが小さく見えるが、明らかに人よりは大きいそれ等が群れを成して、まるで川のように空を横断している。



 魚型魔物のギョロギョロと動く目玉の一つと、絶句するヘルの視線とがピタリと合った、気がした。


 その瞬間、複数の魔物がこちらに方向を変えてやって来た。その数、数百ほど。



 ぼんやりとまるで他人事のようにその様子を眺めながら、ヘルはポツリと呟く。


「アル坊、アキヨちゃん――、どうか無事でいてくれよ」













 ――ウユジ共和国、裏町。



「んだ、これ……」


 唖然とした様子で玄関先に突っ立つ兄に首を傾げ、ヤソンも何事かと外に出る。


 そして兄と同じように空を見上げたヤソンは、口をあんぐりと開けた。



「あ、あれって、もしかして――」


「魔物、だよな」



 信じられないという様子で兄が呟く。


 空を流れる一本の黒い線。目を凝らせば、それは夥しい数の魔物の群れだった。思わず自分の頬を抓る。痛い。夢じゃない。


「こ、これって逃げた方がいいやつ……?」


 ヤソンが震える声で、そう呟いた時だった。



「うわぁあああッ!!」


「に、逃げろっ!!」



 悲鳴と騒音と、破壊音。


 音の方向に顔を向けると、青ざめた人々が必死な形相でこちらに駆けて来るのが見えた。その中には、明らかに質の良い服を着た、表町の人たちもいた。


 表町の住人がこの裏町に踏み込むことなんて、まずない。すぐ追いはぎにあうからだ。しかし今は、表町の人も裏町の人も見分けがつかないほど、皆埃塗れになって必死に走っている。


 その後ろから、真っ黒な“何か”が彼等を追いかけるように、蠢きながら近付いて来るのが見えた。



 ヤソンは、現実味のないその光景を呆然と眺めながら、数月前に出会った世間知らずな少女のことをふと思い出す。



「――――立派な騎士に、なるんだ」



 だから、ここで死ぬわけには、いかない……!













 ――ルテニボン帝国、王宮。



「報告します!南方蒼の刻の方角に、魔物の大群目撃ッ!その距離凡そ8000。数は数十万と思われます!」


 会議中に慌ただしく駆け込んできた騎士を胡乱げに見た参席者たちが、その報告を聞いて一様に目を見開いた。



「魔物が数十万?」


「何かの見間違いではないのか」


「まあ、それが本当だとしても、我が国には『不屈の魔導師』殿と元帥殿がおられる。どうということはないだろう」


 まるで緊張感のないその言葉に、会議に出席していたシロエはギリッと歯を食いしばった。


 戦とは訳が違う。人間一人と魔物一匹の戦力差を考えれば、そんな言葉は出てこないはずだと、心の中で老害共を罵る。



「急ぎ、ジュート砦に第二・第三兵隊の大隊を向かわせろ。指揮は各大隊長に任せる。父上と魔導師殿へは私から伝達する」


「はっ」


 仕事のできる部下は、ダラダラと椅子から立ち上がりもしない彼等に見向きもせず、シロエの指示に間髪入れずに返事をすると、素早く身を翻して去って行った。



「会議は一旦中止にします。失礼」


 足早に去ろうとするシロエの背中を追うように、ボソリと聞こえたしわがれた嘲笑。


「親の七光りが偉そうに」


「大袈裟だろ。これだから、女は――」


 再度ギリリと歯を噛み締め、さらに速度を早めてシロエは会議室を後にした。




 苛立ちを発散するように全力疾走で向かったのは、魔導師の部屋。


 ノックをして扉を開ければ、いつもは寝転んだ状態で寝惚け声を返してくる魔導師が、すでに外着に着替えて待っていた。



「遅かったな、シロ坊」


 大きな窓の前で外を眺めていた魔導師が、こちらを振り返りニヤリと笑う。


「久し振りに楽しめそうじゃ」






「師匠ッ!」


 バンッと普段のお淑やかな仕草からは想像ができないほど荒々しく、魔導師の部屋の扉を開け放ったヨルシアが、シロエの姿にはっと目を見開く。



「……姫」


「シロエがここにいるということは、やはり、本当なのですか」


 蒼褪めた表情でこちらをジッと見つめるヨルシアに、シロエは肯定も否定もせず、魔導師を見遣る。


「私は父上に報告へ行かねば。魔導師殿は、いかがされますか」


「私はすぐに出るぞ」


 上機嫌で颯爽と部屋を出て行く魔導師。


 その後に続いて部屋を出ようとするシロエに、ヨルシアが慌てたように声をかける。



「わ、私、その――」


「姫はここで」


「いえ、私も何かするわ!」


 今までなら足手纏いにはなりたくないと、引き際を弁えていた彼女らしからぬその強い意志に、シロエは目を見張る。


 振り返れば、戦場に立つ兵士の如く、決意と闘志に満ちた表情で佇むヨルシアの姿があった。


 言われて引き下がるような“守られるお姫様”は、もういない。



 ……いや、違う。ここ最近の彼女は、ずっとこんな風だった。


 一体いつから――と思い返して、シロエは思わず苦笑する。



「――分かりました」



 ヨルシアにも、自分にも、そしてこの国にも大きな影響を与えた二人の旅人の姿を思い浮かべながら、シロエは表情を引き締める。



「姫は国民の避難を、警備隊と連携して進めてください。その後王都に結界を。私は出陣します」


「了解!」




 ――今度こそ、自分達の力で。


 ――この国を、守ってみせますわ。



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