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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
第五章 魔法の国
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天真の魔導師と魔獣の暴走



『物語は総じて綺麗にまとめられているものです。あの絶望と悔恨は、実際にその時を過ごした者にしか分からない……。文字では表現しきれないでしょうから』


 相変わらず淡々と過去を話すユレシオンだが、その瞳は悲しそうに揺らいでいた。



 ユレシオンの隣りに佇む黒い狼が甘えるように彼女へ頭をくっつける。それを()()で優しく撫でて、ユレシオンはゆるりと首を傾げた。



『魔獣の暴走についての説話はご存知ですか?』


 こくんと頷く。この世界の成り立ちについて書かれている、いわゆる創世神話のような御伽噺。



 ――神は、自分の代身として地上を収めるよう『7人の魔導師』に天命を下した。


 人間と魔獣と精霊が共存する世界は、そうしてしばらくは平和を享受していたが、ある日魔獣と人間がその間に子を成すと言う禁忌を犯した。


 それに神が怒り、罰として魔獣は理性を、人間は精霊を見る目を失った。


 混沌と化した世界の中、一人の魔導師と精霊たちが神へ慈悲を乞うた。


 そして、魔導師がその命と引き換えに魔物を異界の狭間へ封印し、神は魔獣の代わりに『亜人』を創り、世界の均衡を保たれた。


 魔獣が暴走し、世界が崩壊しかけたこの事件を、後世の子孫たちは“魔獣の暴走”と呼んだ。




 それが、アキヨなりに解釈した説話の粗筋だ。


 アキヨの説明に満足そうに頷いたユレシオンは、それでは、と言葉を続ける。



『この説話が、なぜここまで語り継がれているか分かりますか?』


「……二度と、同じことを繰り返さないように」


『ええ、そうです。再び、魔獣の暴走を起こさないようにするために、説話として残されました。では、なぜ魔獣の暴走は起こったと思いますか?』


「――禁忌を、犯したから?」


 人間と魔獣が子を成した。それが禁忌であったから、神様が怒って――……と、そこまで考えて、アキヨは(あれ?)と首を傾げる。



 ユレシオンが先ほど語った昔話。あれは恐らく、亜人が生まれる前の時代の話し。つまり、魔獣の暴走が起こる前の話しだ。


 そして、ユレシオンの使い魔のフェンが精霊を食べたことで起こった“魔獣の暴走”。



 子を成したから、事件が起こったわけじゃない。


 精霊を食べたから、“魔獣の暴走”は起こったのだ。



『そう、気付いたようですね。所詮は御伽噺。時と共に事実は大きく捻じ曲げられ、都合の良いように徐々に曲解されていく』


 静かに目を閉じたユレシオンは、淡々と言葉を紡ぐ。


『それと同時に人々は勘違いをしています。魔獣の暴走で多くの人間が死んで、そして“何人かが生き残った”。そう思われているようですが』


 ゆっくり開かれた瞳が、こちらを真っ直ぐ見つめる。


『それは違います。正確には、“人類は一度亡びた”。生き残りなどいません』


「!」



 ユレシオンが、空を見上げた。


 夜空に瞬く無数の星が、ガラス玉のような瞳に映ってキラキラ光る。



『ここからは、説話の内容と事実がだいぶ異なります。フェンを筆頭とする魔獣の暴走で、いよいよ人類はたった6人だけとなりました。……ええ、そうです、私を除いた魔導師6人だけが残ったのです。魔物の暴走を止めるために、6人の魔導師達は結束し、己の持つ膨大な魔力を全て消費して、大規模な魔術を発動させました。6人の魔導師は、自らの命と引き換えに、魔物たちを異界へ封印することに成功したのです』


 ローアルが言っていた。魔力が尽きれば人は死ぬ、と。


 そうして、人類は一度亡びた。


『しかし、全てが遅すぎた。結局魔物も人類もいなくなり崩壊の一途をたどる世界の狭間で、事切れたはずの私は声を聞きました。神の、声を』



 ユレシオンと一緒に空を見上げたアキヨは、いくつもの星々が流れるように空を横切っていることに気付いた。


 ――流星群だ。爆発しては落ちていく閃光の軌跡。



『神は私に問いました。――お前の残りの魔力を依り代にすれば、世界を再構築することができる。世界を取り戻すか、滅ぼすか、お前はどうしたいと』


 瞬く光を映し出すガラス玉から、不意に一筋の涙が流れた。


『私は死ぬ前にこんな世界、滅んでしまえば良いと思いました。フェンの事でさえ、怨んでいた。彼は、命を助けた私に“殺して”と言ったのです。その時の私の気持ちが分かりますか?……私は、全てに絶望していた。だから、世界が滅ぼうとも、別に構いはしなかった。――なのに、私の口から飛び出したのは、世界の再興を願う言葉でした』


 声は淡々としているのに、その瞳から流れる涙は止まらない。


『不思議ですよね。今でもよく分かりません。自分がなぜ、この世界の存続を願ったのか。……ただ一つだけ、最後に見たフェンの涙が、ずっとずっと、頭の中から消えなくて、それで気付いたら、神に願っていたのです。私の全てを捧げるから、この世界を取り戻してくれ、と』


 ふいに、ユレシオンはアキヨへ視線を向けた。


『神は再び世界を再構築しました。一度死んだはずの人間が命を吹き返し、荒れた台地には緑が戻った。しかし、禁忌に触れたものを再度世界に投じることはできません。なので、 “天真の魔導師”は輪廻から外され、魔獣は異界へ閉じ込められたままとなったのです。そして魔獣が消えた分、世界の均衡を保つためにその後釜として誕生したのが亜人です』


 と、そこで言葉を切ったユレシオンが、ふらりと首を傾げる。



『貴女はなぜ、世界を恨まなかったのですか?』


「え?」


『理不尽な事ばかりだったでしょう?生きていて、辛いことの方が多かったはずです。私もそうでした。理不尽なことだらけの世界を恨んでいました。無駄に寿命が長い魔導師なんてものに選ばれたことにも、何一つ理解していないのに分かったふりして同情する友人にも、私より早く死ぬ癖に簡単に求婚して来る男にも、力の強い魔獣を軒並み駆除対象にして見つけ次第殺すように命令する国も――。全てを、恨んでいました』


 ユレシオンの瞳が、アキヨを捉えて離さない。


『貴女も、そうでしょう?虐げられ、理不尽な目に遭い、多くの苦汁を呑んだはず。なのになぜ、貴女はそれらを恨まないのですか?』


 ふわりと、生温かい風がアキヨの頬を撫で、ユレシオンの髪を揺らした。




「同じじゃないよ」



 しばらくの沈黙の後、アキヨはゆっくりと口を開いた。


「私は、何も奪われていないから」




 大切にしていた壺を割られて怒っていた伯爵夫人も。


 母親を治すための薬が買えず、悔しがっていたヤソンも。


 友人を国に殺されたと憤っていた『トルネリア』の店主も。


 アキヨを邪険にするルドルフに怒っていたローアルも。


 差別を受けたことのない亜人などいないと、苦しそうに語ったネネリも。



 そして、大切な家族(フェン)を傷付けられて、全てを恨んだユレシオンも。




「皆、大切なものを傷付けられ、奪われて、怒ってた」


 何かを、誰かを想う故の、強い怒りの感情。それが“恨み”なのだとしたら。



「この世界に来て、ローアル達と出会うまで、私には大切なものなんてなかった」


 彼等のように、奪われて怒るような、守るべき大切なものなど、自分は持っていなかった。


「きっと、私は自分自身ですら、その対象じゃなかった」


 この体が事切れるまでと、ただ命を消費するように生きていた。


 だから、例え次の日に死ぬのだとしても、それで構わないと思っていた。



「私は貴女と同じじゃない。貴女には守るものがあって、大切なものがあって、それを傷付けられ奪われたから、この世界を恨んだ。でも、私にはそれが無かったから、怒りもしなかったし恨みもしなかった。それだけ」



 砂漠の砂が風で舞い上がり、まるで煙のようにユレシオンとアキヨの間を隔てた。


 いつの間にか、空を流れていた流星群は収まっており、夜空に浮かぶ大きな満月が、地平線まで広がる砂の海を照らしている。



 風が収まり、砂煙も落ち着いた頃、ユレシオンがややあと口を開いた。



『今は、どうなのですか』


「?」


『大切なものを、見つけられましたか』


 こちらを真っ直ぐに見つめる瞳からは、もう涙は流れていなかった。


 アキヨは、いつの頃からか自然と上がるようになった口元を緩める。


「うん。たくさん、見つけられたよ」


 微笑むアキヨに釣られるように、ユレシオンも初めてその顔に笑みを浮かべた。


『……そうですか。それは、何よりです』




 ふいに、それまで大人しくユレシオンの隣りに座っていた黒い狼――フェンが、遠吠えするように鳴いた。


 ユレシオンが静かに目を伏せる。


『――そろそろ時間ですね』


 再び笑みを消したユレシオンが、背筋を伸ばして改めてこちらに向き直る。


 アキヨもいよいよ話が大詰めに来ているのだと察し、ザリッと足を動かした。




『随分横道にそれてしまいましたね。すみません、話しを戻しましょう』


 アキヨが頷けば、ユレシオンがコホンと一つ咳払いをする。



『さて、消えた魔獣の代わりに亜人が誕生したわけですが、ここで最後の質問をしましょう。なぜ、世界は一度滅びかけたのだと思いますか?』


 アキヨはパチリと瞬きをする。それは先ほど答えた詰問だったからだ。


 魔獣の暴走が起こったから、つまりは魔獣が精霊を食べると言う禁忌を犯したから。……しかし、再び同じ質問を繰り返すと言う事は、他に原因があると言う事だろうか。



 これまでの話しを振り返る。


 理性を失い、精霊や人間を襲う魔獣。ユレシオンの元に助けを求めに来た精霊たち。バランスが崩壊し、滅ぶ寸前の世界。その均衡を保つために生まれた亜人。




 ――……バランス?




 はっとアキヨが顔を上げれば、ユレシオンが出来の良い生徒を褒めるように一つ頷く。


『気付いたようですね。答えは?』


「均衡が、崩壊したから?」



『ご名答です。補足するなら、人間と魔獣と精霊の三つ巴。この均衡が崩れたことで、世界は崩壊する。そしてその均衡を調整する役割を、魔導師が担っていました』


 ここまで良いですね?と確認するユレシオンに頷く。


『そして今世でその三つ巴を担っているのが、人間と精霊、そして亜人です。しかし、今再びその均衡が崩れようとしています。他でもない一人の魔導師によって。私とフェンが禁忌を犯し、均衡を崩して世界を滅ぼしたように、彼は知ってか知らずか、それを繰り返そうとしている』


「彼……?」


『精励の魔導師です』


「え」


 精励の魔導師――。またの名を、魔術研究所の前所長ドリミナ。


 ローアルとヘルの会話を思い出し、目を見開くアキヨに、ユレシオンは『知っているようですね』と話しを続ける。


『均衡が崩れれば、その綻びで異界の封印も解かれ、再び魔物がこの世界に溢れ出し暴走を引き起こすでしょう』


「そんなっ」


『だから、アキヨ。あなたがそれを止めてください』



 ――急に、話しの展開が読めなくなった。



 言われた言葉の意味が理解できず、固まるアキヨに、ユレシオンは構うことなく言葉を紡ぐ。


『私がこうしてあなたを呼んだのは、あなたになら世界が救えるからです』


「どう、いうこと」


『あなたはこの世界で唯一、魔力の干渉を受けない器です。正直、今回の魔獣の暴走を阻止しても、三つ巴の均衡が崩れるだけで滅亡しかねない今の世界の在り方では、またいずれ同じことが繰り返されるでしょう。だったら、三つ巴と言う縛り(システム)自体を失くしてしまえばいい。』


「えーっと……?」


 一気に難しくなった話に、コテンと首を傾げたアキヨ。それを真似るように、全く同じ動きで首を傾げたユレシオン。


 曰く――。



『つまり、三つの要素を一つにしてしまえば良いと言う事です』


「……?」


『あなたならそれが可能です 』


 ユレシオンはそう断言して、口元を緩やかに吊り上げた。



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