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薄幸少女と英雄騎士  作者: 小林あきら
第五章 魔法の国
51/66

全ての始まり



 この世界は、理を犯すと崩壊する。


 ユレシオンがその原理を知った時には、もうすでに『魔獣の暴走』は始まっていた。




 ――今から2000年前。






「ユレシオン!」


 呼ばれて、声の方を振り返ったユレシオンは、こちらに駆け寄ってくる友人を見て笑顔を浮かべる。



「アンナ」


「ちょっと聞いたよ~。あんたフェンネルと契約したんだって?」


「話しが早いね」


 肩を竦めて見せれば、こちらをジッと見つめたアンナは、呆れたように溜息を吐いた。


「まあ分かってはいたけど、破棄する気はないのね」


「うん」


 魔獣との使役契約は、一度結んでしまえばそんなあっさり破棄できるものでもない。


 しかしそれは言わず、ユレシオンはただ一つ頷いた。


「で、何でフェンネル?私はてっきり光属性の魔獣と契約するもんだと思ってたけど、フェンネルじゃ真反対だし、あんたの家業の役に立たないじゃない」


「いいの。私ずっと犬を飼いたかったから」


「フェンネルは犬じゃなくて狼よ!」


 思わずと言った風に頭を抱えて唸るアンナに笑顔を向ける。


「心配してくれてありがとう。私は大丈夫だから」


「……まあ、あんたがそう言うなら、別に良いんだけど」


 何とも言えないような顔でこちらをジトッと見るアンナから視線を反らし、目の前に広がる砂の大地を眺める。


「それで、他にも用があったんじゃない?」


「あ、そうそう。今日この後ジョアンの家で食事会(パーティー)あるんだけど、来ない?」


「行かない」


 顔をしかめて即答したユレシオンが、恨めし気にアンナを見る。


「行くわけないじゃない。ジョアンに何か言われたの?」


「あははっ、バレたか。そう、あんたを誘ってくれないかって」


「やめてよ。私本当に迷惑してるの」


 しつこく求婚してくる彼の顔を思い出し、げんなりと俯くユレシオンに多少罪悪感が湧いたのか、アンナはパンと軽快な音を立てて手を合わせる。


「ごめんごめん。分かった、はっきり断っといてあげるよ」


「頼んだわ」



「あれ、どっか行くの?」


 立ち上がったユレシオンに、アンナが首を傾げる。



「帰る」


 眼下に広がる砂漠をしばらく見つめた後、ユレシオンはくるりと踵を返すと、アンナの視線を振り切るように足早にその場を後にした。






「ただいま」


 静かな家の中に自分の声が虚しく響く。数日前までは、それが当たり前だった。


 しかし、今は違う。



『オカエリ』


 のそり、闇の中から突如現れた真っ黒な狼が、ユレシオンを出迎えた。その姿に、一気に破顔する。



「フェン~!」


 パッと全身で抱き着くと、モフモフな毛に顔を埋める。



『良イ形ハ、浮カンダノカ?』


「途中で話しかけられて、集中できなくなったから帰ってきちゃった」


 フェンネルだから、フェン。我ながら安直な名づけだ。


 真っ黒な毛皮に頬ずりするように寄り掛かりながら、作業机の上をちらりと見る。


 そこには毛糸が散らかり、縫っては途中で放置した作りかけが、山のように積み上がっていた。


「全然良い考えが浮かばないの」



 ユレシオンの家業は、精霊用の人形作りだ。


 一般的に『精霊士』と呼ばれている職業で、精霊が体を得られるように器を作るのだ。その対価として『精霊士』は“精霊の加護”を受けられる。


 しかしユレシオンは最近、その仕事に行き詰っていた。納得のいく構造(デザイン)案がなかなか浮かばないのだ。



不調(スランプ)ってやつね」


『気分転換ニ、行クカ?』


「賛成!」


 フェンと一緒に、帰って来たばかりの家から出る。



 ユレシオンの家は、人里からは相当離れているため、滅多に人と擦れ違うことはない。


 ――しかし、その日は違った。






「ユレシオン」


「っ!」



 ピタリと歩みを止め、ゆっくり振り返る。そこには見知った顔――ジョアンがいた。


 しかし、彼は食事会(パーティー)に参加しているはずでは……?なぜこんなところにいるのだろう。アンナは伝言できなかったのか。



「そいつが、噂のフェンネルか」


 フェンを見たジョアンが、微かに顔をしかめる。


「フェンネルとの契約条件を、知っていて契約したのか?」


「だったら何?」



 ユレシオンは逃げるように一歩足を引く。その分、ジョアンが一歩踏み出す。


 フェンが微かに唸った。



「ユレシオン……。悪いことは言わない。今すぐ契約を破棄するんだ」


「簡単に言ってくれるわね。契約条件を知らないのは貴方の方じゃないの?ジョアン。フェンネルと契約するということは寿命を共有すると言う事。だから、契約破棄をするのにも、寿命が必要なの。今契約破棄をすれば、寿命が足りずに私は死ぬ。ああ、もしかして私に死んでほしいと言うこと?それとも何かしら、貴方が代わりの生贄にでもなってくれるの?」



 ――――苛々する。


 断っても付き纏って、挙句の果てにやっと手に入れた家族を手放せとイラナイお節介を焼いてくる目の前に男に。


 ユレシオンの声はあくまで淡々としていたが、その音はとても冷たく響いた。



 しかしジョアンは、そんなユレシオンの態度にも怯む様子を見せず、真剣な顔で頷いた。


「いいよ。僕の命を使ってくれ。それで、君がそのフェンネルを手放すのなら」


「!」


 ヒュッと喉が鳴った。怒りでカッと顔が赤くなる。


「ふざけないで!」


 これまで生きてきて、こんなに大きな声を出したことがあるだろうか。


 ジョアンが目を見開く姿を視界の端に捉えながら、感情のままに声を張り上げる。


「どいつもこいつも、偽善者ぶって話しかけないでっ!なにそれ、同情?ええ、とっても素敵だわ!だけどね、あなたのように、あなた達のように()()()()()人には、私の気持ちなんて一生分からない。だから“あなたのためだ”とか“あなたを思って”とかやめてくれる!?虫唾が走るわ!」


 ここまで感情顕わに、口汚く誰かを罵ったことは初めてだった。まるで操られているかのように、口が勝手に動く。


 最近、感情が上手く制御できないことが増えていた。子供のように、思っていることが口からパッと飛び出てしまうのだ。



 ユレシオンは、それがフェンネルを使役している事からくる精神異常であることに気付いていなかった。




 そうして、ジョアンへ一方的に喚き散らした後、ユレシオンは逃げるように森へ駆けこんだ。その後をフェンは静かについて来ていたが、暫くして不意にピタリと立ち止まる。それに気づいて振り返れば、耳と尻尾をダラリと垂らしたフェンがその場に座り込んでいた。



『主』


「なに?」


 お互い無言で見つめ合う。


 ややあと、フェンがその大きな口を開いた。


『私ノ契約条件ハ寿命ダケデハナイ』


「……」


『主ノ幸福モ吸イ取ル。アノ男ガ言ッテイルコトハ、正シイ』


「知っているわ、そんなこと。今さら何?」


 睨むように、警戒するように、ユレシオンは目の前の愛する家族を見つめる。


「貴方も、契約自体が間違いだったって、そう言うの?」


『……』


「私達、お互いにお互いしか、いないんだよ?」


 一歩、フェンへ近付く。


 フェンの瞳は揺らぐことなく、ただ静かにユレシオンを見つめていた。



「お願いだから、私から離れて行かないで――」


 そう泣きながら縋る少女に、黒狼は何をするでもなく、ただ大人しくそこに座り続けた。






 それから数日後、事件は起こった。



「え?」


「だから、ジョアンと……他にも大柄の男達が武器持って森に入って行くのが見えたのよ!」


 興奮したようにアンナが言った内容に呆然とする。


 それからも何かアンナは騒いでいたが、ユレシオンは聞かずにすぐ家を飛び出した。






「ユレシオン……」


 森の入り口で鉢合わせたジョアンが、目を見開いてこちらを見る。


「ジョ、アン」


 気まずそうに顔を反らすジョアンに、ユレシオンが淡々と聞く。



「何、してきたの」


「――もしかして、アンナが喋ったのか」


 苦い顔をするジョアンを眺めながら、ユレシオンはどんどん心が冷たくなり、逆に頭が熱くなるような感覚に襲われた。


「あのフェンネルを仕留めてきた。正式に、討伐指示が出たから」



 彼の言っている意味が理解できなかった。


 理解できるはずもなかった。



 フラリと、よろめくように森へ入って行くユレシオンを止める者はいなかった。






 森の奥の奥。なぜか居場所は分かった。


 初めてフェンと出会った場所。きっとそこに、あの子はいる。






 ――――湖の畔。


 水の中へ半分身体を沈めるように夥しい血を流し、フェンネルが一頭、倒れ伏していた。



「――さない」


 一歩一歩、その体に近付きながら、漏れた言葉は自分の物とは思えないほど低かった。


「ゆるさない」


 フェンの体に手を伸ばす。


 その体は、まだわずかに温かかったものの、すぐにその微かな熱すら急速に失われていく。



「ゆるさないっ――!」



『いったい何を?』



 はっと顔を上げる。違う、フェンじゃない。


 聞いたことのない、男なのか女なのかも判然としない声。



 周りを見回す。


 ふと、自分の足元に、小さな鳥のぬいぐるみが落ちていることに気付いた。


 人工的に作られた円らな瞳が、こちらを見上げている。



『何がそんなに許せないんだ?』


「……何もかもよ。私から家族を奪いさろうとする奴も、私を置いて逝こうとするフェンも、皆許さない」


『ほう』


 小鳥のぬいぐるみの問いに律儀に答えたのは、ソレが自分の作った精霊の着ぐるみで、喋っているのが精霊であると分かったからだ。


 唯一、ユレシオンの日常を揺るがすことのない、害のない存在だったから――。



 精霊は器用に、首を傾げる動作をする。



『この魔獣、もうすぐ死ぬな』


「っ」


『助ける方法は、なくもない』


「え?」



 ふと、僅かに冷静さを取り戻した頭に疑問が浮かぶ。



 この精霊は、なぜこんなに意思疎通がしっかりとれるのだろう……?


 精霊は魔獣よりも遥かに、意思疎通が困難な存在であるはずなのに。




『精霊を食べさせればいい』


「は?」


 足元の小鳥――精霊を見下ろす。


「それって、自分が食べられても良いって言っているように聞こえるけど」


『まあ、他の同族を差し出す気はねえから、そうなるな』


「何でそこまでするの?」


『そりゃあんたが俺に体を与えてくれたからだ。その礼さ』


 言っている意味は全く分からなかった。


 だいたい、食べられたらその体を失うことになる。本末転倒ではないか。


 いや、そもそもこの精霊が言っていることは本当なのだろうか?しかし、だからと言って、他に方法も無いことは事実。



「精霊の、気紛れってやつ?」


『ま、そんなとこだ』


「……分かったわ。何をすればいいの」


『ああ、別にあんたが何かする必要はない』


 そう言うが早いか、するりと小鳥のぬいぐるみから青い炎のような物が飛び出した。


 足元で小鳥のぬいぐるみがコロリと転がる。


『俺が彼の体に入っちまえばいい』


 そう言って、炎がフェンの口元に吸い込まれていった。


 途端、フェンの周りをモヤリと黒い何かが覆った気がしたが、それも一瞬で、すぐにみるみると傷が塞がっていき、ピクリともしなかった体に温もりが戻る。


 そして、微かな吐息と共にその目がゆっくりと開かれた。



「フェン!」


 身を起こしたフェンを、ユレシオンは信じられない思いで見つめていたが、すぐさまギュッと抱き着き、涙を浮かべる。


『――主?』


「良かった……っ本当に!」


 そうしてしばらく、ユレシオンが泣き止むことはなかった。













 ユレシオンは森へ引っ越した。それから人との関わりを一切断った。


 そうでもしないと、フェンを傷付けた奴等を視界に入れただけで殺してしまいそうだったからだ。



 ……しかし、そうして引きこもっていたせいか、徐々に、しかし確かに浸食していた異変に、気付くのが遅れた。



 そして気付いた時には、すでに手遅れだった。






「あれ、フェン?」


 最近ふらりとどこかへ出かけたまま、数日帰って来ないと言ったことが増えたフェン。


 別に、常に一緒と言うわけでもないし、いなくなること自体は珍しくはなかったから――、だから気付かなかった。




 思い返してみれば、兆候は幾つもあった。


 徐々に出かける時間が長くなっていたことも、黒い靄のようなものがフェンの体を覆い始めていたことも、最近意思疎通が困難になっていたことも、全てが小さな小さなチリのように積み重なって――……。



 やがてそれは結実し、すぐに破裂した。






『グ、がッ』


「フェン……?」


 ヨタヨタと家に入って来た気配がして振り返れば、玄関にフェンが佇んでいた。


 しかし様子がおかしい。慌てて駆け寄って、その毛を撫でる。


「どうしたの?また誰かに何かされたの?」


 言いながら、ユレシオンは半ばそうだと決めつけていた。


 激しい怒りに襲われながら、今度こそソイツ等を許しはしないと、フェンの目を覗き込んだユレシオンは。


 綺麗な緑色だったその瞳が、真っ赤に染まっていくのを見た。




『グガァアアアアアアッ!!』




 まるで断末魔の叫び。



 喉を千切らんばかりに吠えたフェンは、その大きく開けた口をこちらへ向けて、何の躊躇いもなく、ユレシオンの右腕を食い千切った。




「ぇ……?」


『ニッ……ゴーー……ロアッ』


「あ、ああ、ああああああ」




 自分の右腕がフェンの口元から垂れていた。


 ボタボタと、夥しい量の血が床を汚す。


 真っ赤な瞳がこちらを見据える。そこから、するりと流れ落ちたのは――……。



『ア、ルジ』


「っな、あ、ふぇん、何で……!」



 全てがぐちゃぐちゃだった。


 思考も、視界も、体も――……。


 ただ、その言葉だけははっきりと聞こえた。




『コロ、セ……』




 一瞬、全ての音が消えた。



 しかし次の瞬間、ぱっと身を翻してフェンは家を出て行ってしまった。




「フェン!!」


 慌てて立ち上がろうとして、転んだ。腕が無いことでバランスを崩したのだ。


 血だまりにベシャッと倒れ伏したユレシオンは、混乱と痛みで段々朦朧としてきた意識の中、確かにその声を聞いた。






『たすけて』


 声が聞こえた。


『たすけて』


『みんなたべられちゃう』


『せかいがこわれちゃう』


『みんなおかしくなっちゃう』


『あなたにしかできない』


『たすけて』

『たすけて』

『たすけて』



 精霊の声だ。


 周りをフワフワと漂うぼんやりとした光。


 霞む視界に明かりが戻る。痛みが和らいだ。すっと思考がクリアになる。


 精霊の加護だ。周りを漂う精霊が絶えず話しかけて来る。



『あなたのけもの』


『せいれいたべた』


『たくさんたべた』


『それはだめなこと』


『だからおかしくなった』


『りせいがなくなった』


『こんどはにんげんたべる』


『たくさんたべる』


『ちからつよくなる』


『ほかのけものもおかしくなった』


『みんなおかしくなる』


『せかいがこわれちゃう』



「……」



 魔獣が精霊を食べることが禁忌だったと言うのか。他でもない、精霊自身がそうしろと言ったのに?



 ぎゅっと手を握り締める。噛み締めた唇から血が流れる。



 嫌い。嫌いだ。みんな、大嫌いだ。


 もういっそのこと、このまま全て亡びてしまえばいい。



「……」


 そう思うのに。



 フェンの赤い瞳から流れた、涙。それがずっと、頭から離れない。



 ――殺せ。


 フェンは、どんな気持ちでその言葉をユレシオンに言ったのか。




 遠退く意識の中、ユレシオンは頬を伝う冷たい感触をそのままに、ゆっくりと瞳を閉ざした。



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