守るべきもの
「次はどこへ行くのか決まっているのか」
翌朝、言われた通り早朝に起きて旅支度を整えた三人は、亜人の国をお暇しようと出口付近まで来ていた。
そこへ久遠の魔導師が姿を現し、開口一番そう聞いてきた。
実は昨夜、寝る前にそのこともローアルと相談済みだったので、一つ頷く。
「次は、ホマーノ王国に行きます」
日本で言うアメリカのような場所が、ホマーノ王国だそうだ。
流行の最先端、若者の街、夜が来ない国……。付けられる通称はどれも賛嘆から。
楽観的で陽気な国民性が特徴の、派手な国らしい。
「ホマーノ、か」
何事か考えるようにこちらを見つめていた久遠の魔導師が、読めない表情で口を開く。
「このところ、各地で亜人が行方知らずになる事件が増えている」
「え?」
突然始まった脈絡のない話しに目が点になる。
しかし、そんなこちらの様子に構うことなく、独り言のように久遠の魔導師は言葉を続けた。
「その怪しい動きの発端が、どうやらホマーノ王国にあるらしいと言う情報を掴んだ」
「……」
「何が言いたいのですか」
警戒するようにローアルが硬い声を出す。
それに、久遠の魔導師はニヤリと笑い、こちらを――正確に言えばアキヨを真っ直ぐ見つめる。
「――いや、なに。ただの独り言だ」
「随分大きな独り言ですね」
嫌味を言うローアルに肩を竦め、久遠の魔導師はチラリと後ろを見る。
「随分懐かれたみたいだな」
その視線を辿って、アキヨはハッと息を呑んだ。
そこにはネネリとロボの姿があった。
「ど、どうしたの」
「え、えーっと。お、お見送り?」
耳を忙しなくピコピコと動かし、照れたように笑うネネリと、相変わらず憮然とした表情のロボ。
明らかにロボの方はネネリに引っ張って連れて来られた様子だったが、アキヨはそれでも嬉しく感じた。
「あ、ありがとう」
感動してネネリに駆け寄り、その気持ちを伝えようと頬を紅潮させて、どもりながらもお礼を言う。
それに、ネネリも照れ臭そうに俯いた。
「初々しいな。可愛らしいもんだ」
「……あんまりジロジロ見ないでください。減ります」
「狭量な男はモテねえぞ」
後ろで何やらボソボソと話している久遠の魔導師とローアルを背に、アキヨは勇気を出して聞いてみる。
「あの、また遊びに来ても、いい?」
「もちろんっ!だって、友達、ですもん!ね、私達」
へにゃりと笑ったネネリに、熱くなる胸を抑え、アキヨはこれまでで一番の笑顔を浮かべて、元気よく頷いた。
「うん!」
そして、その笑顔を見たロボが、尻尾の毛を逆立てて呆気に取られた様子でこちらを見つめていたことに、アキヨが気付くことはなかった。
飛び跳ねながら手を振るネネリとなぜか毛を逆立てたまま動かなくなったロボに手を振り返し、ローアルの元に戻る。
そして久遠の魔導師を仰ぎ見た。
「何かわかったら、伝えます」
「ん?」
「さっきの話し、そういうことですよね?」
すっかりいつも通りの無表情に戻ったアキヨが、首を傾げながら久遠の魔導師を見上げる。
それにふっと吐息のような笑いを漏らした彼は、今までの勝気な表情を引っ込めて苦笑した。
「ああ、助かる」
まるで子を心配する親のようなその表情に、彼が心の底から同族の安否を案じているのだと分かり、飄々とした言動に上手く隠された、久遠の魔導師の本音を垣間見た気がした。
この国に住まない同族までも気に掛ける亜人の長は、この世界の誰よりも亜人の行く末を想い、守ろうとしている。
自分が死ぬまで亜人の国が亡くならないことが、己の幸せだと言った彼にとって、全ての亜人が等しく家族なのだ。
正に「亜人の王」。彼の在り方に、アキヨは尊敬の念を抱いた。
アキヨ達は一旦イセレイまで戻ることになった。ホマーノ王国へ行くための船がルテニボンまで戻らないと無いからだ。
ジアンノ・リモの海辺まで戻り、そこにあった小舟に三人乗り込む。
「ジアンノ・リモは、どうでしたか。知りたいことは知れましたか?」
舟をこぎながら、ニコニコと問いかけるローアルに、コクンと頷く。
「私、亜人の皆がもっと笑って暮らせるようにしたい」
それは、初めて具体的に持った、アキヨの「やりたいこと」だった。
「そうですか。立派な夢ですね」
嬉しそうに微笑むローアルを見つめる。
「全部、ローアルのおかげ」
「え?それは買いかぶりすぎですよ」
「ううん。私、多分一生かけてもローアルに恩を返せない気がする」
本気でそう思っていることが通じたのか、ローアルが思わずと言った風に笑った。
「では、アキヨはずっと私と一緒にいてくれてるってことですね」
「うん?もちろん」
当たり前のように頷いたアキヨに、ローアルが笑顔のままフリーズする。
「お前ら、いつもこうなのか……」
船の端で「うえっ」と舌を出すルドルフに船酔いだろうかと首を傾げつつ、ローアルが漕ぐ手を止めたことで緩やかに停止した船の上、アキヨはふと「幸せだな」と思った。
「ちょっとロボ、さっきから様子が変よ?」
先を歩くネネリが痺れを切らしたように後ろを振り返る。
そこには、アキヨ達と別れてからずっと項垂れたまま反応が鈍いロボがいた。
ネネリは呆れたように声を掛けつつも、内心ニヤニヤとそんな弟分を見つめていた。
きっと、本当は寂しかったのね。あんなにつんけんした態度取っといて、いざお別れとなればしょげ返るなんて、可愛いとこあるじゃない。
しかしこれを言えば十中八九噛みつくように否定されるだろう。それを分かっているため、ネネリは言葉は疎か表情にさえ出さずに、澄まして腰に手を当てる。
「まったく、いくら人間が嫌いだからって最後くらい愛想よくできなかったの?良い子だったじゃない、アキヨさん」
アキヨの名を出した途端、ピクリと震えた獣耳に吹き出しそうになる口を慌てて手で押さえる。
分かりやすい反応の良さに、ネネリはいつになく愉快な気分になった。
しかしまさか、あの人間とあれば誰彼構わず殴りかかっていたロボを、こんなにしちゃうなんて、アキヨちゃんって本当不思議な子。
大なり小なり程度の差こそあれ、人間に傷つけられなかった亜人などいないだろう。ネネリはそう確信していた。
そしてこの国に暮らす者ほど、その傷は根深く大きい。だから外にいる亜人のようには暮らせない。
皆、人間が憎く、恐く、そして嫌いだからだ。
ネネリとて例外ではない。
ネネリの両親は人間に殺された。それも目の前で。
あの時の光景はいつまでも忘れないだろう。
振り下ろされる斧、唾を飛ばして叫ぶ人間、必死に両親へ手を伸ばす自分にニヤケ顔で伸し掛かってくる男達。
――あれから随分経つのに、未だに記憶は鮮明で、思い出す度に虫唾が走る。
ネネリとその両親は元々、西の小国に住んでいた。
そこは亜人を受け入れ、人間と共存できる数少ない国の一つだった。
両親はその国に移住してからネネリを生んだ。しかし、物心ついてもネネリは両親以外の人と接したことが無かった。
親が頑なに街へ行くことを禁じていたからだ。
しかしそんな両親に反発して、ネネリは約束を破り街へと降りた。
初めて踏み込んだそこは、何もかもがキラキラと輝いていて、見たことないモノで溢れ返っていた。
目を輝かせて辺りを見回していたネネリは、全く気付かなかった。
そんな自分を見る人間の様々な視線に。
気付いた時には遅かった。暗がりに無理矢理引っ張り込まれそうになり、恐怖で震えながらも助けを呼んだ亜人の少女に、見て見ぬ振りをする人間たち。
誰一人として涙を流すネネリに、その手を差し出す者はいなかった。
ネネリを探しに来た両親が殺され、久遠の魔導師が現れる、その時まで。
自分のせいで親は死んだ。
あの日あの時、自分が街へ行かなければ。両親の言いつけを守っていれば、今でもずっと家族皆で幸せに暮らしていたかもしれない。
そんなことは何度も考えた。
だけど、それでもきっと……。いつかは家を飛び出していたんじゃないかと思う。
別に、街の煌めきに焦がれていたわけじゃないのだ。あの日だって、ただ、そう。
――ただ、友達が欲しかった。それだけ、だったのだ。
「入んないの」
ロボの声にハッと前を向く。いつの間にか家に着いていたらしい。
慌ててロボに続いて玄関を潜る。
「あ、ネネが帰って来た!」
「どこ行ってたんだよ!」
「起きたらいなかったから……」
中に入った途端、あっという間に元気な声に囲まれる。
それに自然と笑みが出て、ネネリは駆け寄って来た子供達の視線に合わせてしゃがみ込む。
「ごめんごめん。ちょっとお見送りしてきたの」
「おみおくりー?」
「なんだそれ。な、それよりお腹空いたー!めしにしよーぜ!」
「こら、めしじゃなくてご飯って言いなさい!」
「めしめし~!」
「ああ、もうほら。他の子が真似しちゃうでしょ!」
――ここは孤児院、のようなところだ。
西の国からネネリをジアンノ・リモに連れてきた魔導師は、飄々と言った。
『人手が足りなくてな。子供の面倒をまとめて見れる奴がいないんだ』
だから、それを君がして欲しい、と。
心身共に傷が深かったネネリにとって、子供達の元気で純粋な姿は薬となった。
徐々に前向きに物事を捉えられるようになり、塞ぎ込んでいた心も、忙しない日々の中でゆっくりと癒えていった。
それでも夜は不安と悲しみと恐怖で涙が流れるし、夢に魘される。
だけど頼れる者は誰もいない。その度に、むしろ自分がしっかりしなければと、無理矢理にでも心を奮い立たせた。
――そんな折だった。彼がここにやって来たのは。
「ロボ、裏庭から野菜とって来てくれる?」
「ああ」
子供達の包囲網を上手に避けたロボは、さっさと裏口から外へ出て行く。
その後ろ姿を見送りながら、ネネリはロボが初めてここに来た時のことを思い出していた。
ロボは生まれた時から、奴隷だった。
親の顔は見たこともない。物心付いた頃から体を酷使するように働き、生きるために残飯や、時には路上の出店から食物を盗んで食い繋ぐ。それがロボの日常だった。
使い物にならないと捨てられるまで必死に働き、次の主人が見つかるまで奴隷商の檻の中で唯一の休息期間を過ごす。その繰り返し。
主人を変えながら各地を転々としていた、そんなある日。彼は貴族に買われた。金持ちの家なら少なくとも餓死することはないだろうと思い、ロボは少なからず安心していた。
ところで、亜人は人間の奴隷より金額が格段に安い。
一介の町民には使い捨ての労働力程度の金額も、貴族に取ってみれば使い捨ての塵紙にも劣るような金額だ。
そのため、その扱いも塵紙以下となる。
「魔物と亜人を対決させてみよう」
一つの檻の中に飢えた魔物と亜人を入れ、それを外で見学する。
謂わば暇潰しの余興。
彼はその一瞬の悦楽の為だけに買われ、そして死のうとしていた。
涎を垂らしながら黒い靄を放つ魔物を前に、ロボはただ愕然とその格子の向こうで笑みを浮かべる無数の人間達を見つめていた。
恐怖と絶望が綯い交ぜになる一方で、やけに冷静な頭に浮かんだ、純粋な疑問。
なぜ自分はここにいるんだろう。
なぜ、こいつ等クズのために自分が死ななければならないのだろう。
なぜ、自分が虐げられる側なのだろう。
なぜ、人間が虐げる側なのだろう。
なぜ、なぜ、なぜ――!!
気付けば、ロボは血だまりの中に立っていた。
どこか遠くの方から、こちらに向かってくる慌ただしい足音が聞こえる。しかし動く気になれなかった。
自分の手から滴るドロドロしたものも、地面に倒れ伏したまま動かない人間達も、いつの間にかいなくなっている魔物すらも、全てがどうでも良かった。
ただ、今の自分を、誰も虐げることはできないと、彼は本能で理解していた。だから何も、恐くなかった。
どこか膜一つ隔てた向こう側のような気分。自分だけど、自分じゃない何かが体の中にいて、まるで操られているかのように手足が動く、そんな感覚。
ピチャリと真っ赤に染まった床を滑るように踏み出した足は、無意識にこちらへ近付いて来る人間達の方へと向かおうとしていた。
「まあ、待て」
ガシリと後ろから肩を掴まれ、ロボはハッと我に返った。
気配が全くなかった。慌てて腕を振り払いながら振り向けば、そこには窓から入る月明かりを背に一人の男が佇んでいた。
「これをやったのは、お前か?」
男は広がる血だまりと、事切れている人間達を見下ろしながら、世間話でもするような軽さでロボに話しかけてきた。
ロボはまたしても本能で察していた。
この目の前の男は、今の自分では、勝てない。
いや、違う。勝つ必要はない。こいつは、仲間だ。
「……亜人?」
「ああ、そうだ。で、お前がやったのか?」
「――だったら」
「なるほど。魔術が使えるのか」
「……?使えないけど」
「なるほど。今目覚めたのか」
何度か芝居がかった風に頷いた男は、脈略もなく唐突にロボへこう言った。
「丁度良い。お前、俺の国の用心棒になってくれ」
これが、ロボと久遠の魔導師の出会いだった。
それから、ロボはネネリの助手としてジアンノ・リモの孤児院に入れられた。
ネネリは、頼る者がいなかった孤児院で、幼いながらもしっかりと仕事をこなしてくれるロボに、心身共に助けられたし、ロボも何だかんだと文句を言いながらも、姉のように世話を焼いてくるネネリに、徐々に心を開いていった。
ネネリに言われて裏庭に出たロボは、畑に向かって片手を伸ばす。
『黒の手』
呪文を唱えた途端、ロボの手から無数の黒い糸が野菜へと瞬時に伸びる。
そしてそれが各野菜に結び付けられたところで、軽くその手を引くと、地中に埋まっていた野菜たちが一気に宙を舞った。
野菜をカゴにそのまま放り、魔力の流れを断てば、一瞬で収穫は完了だ。
この国に連れて来られたロボは、まず久遠の魔導師から魔術を教わった。
魔術を使える者は魔力が多い者に限られる。亜人は通常、人間よりも魔力量の平均値が高いため、魔術を使える者も少なくはなかったが、ロボはその亜人と比べてもさらに魔力量が多いらしかった。
属性は闇。闇魔術を操るものは、その特質として「嘘を見破る」ことができるのだと、久遠の魔導師は語った。
野菜で一杯になったカゴを背負い、孤児院の中へ戻ったロボは台所に入る。
「野菜」
「ああ、ありがとうロボ」
「ロボにい、芋剥き変わってー」
「あ、ずるいよ!自分だけ」
「指が痛くて」
「え、やだ。怪我でもしたの?」
ネネリが反応してこちらを振り向く。殊勝な顔をして頷きかける子供に、ロボが冷めた声をかけた。
「……嘘だな。自分でやれ」
「あ、しまった!ロボ兄には効かないんだった!」
「こ~ら~?」
「やべっ」
芋を放り投げてネネリから逃げようとするガキをひっ捕まえて、椅子にしっかり座らせる。
「終わるまで見張ってるからな」
「うっ……」
観念して大人しく芋剥きを再開した子供を見つめながら、ロボはふと、昨日この国を訪れた人間達の事を思い出す。
闇属性を持つロボは人の嘘を見破れる。
だから、亜人の国に乗り込んできた人間達の精査も、ロボの仕事だった。
本当に国の使者なのか、悪巧みをしていないか。それを見極めるのだ。
――そして、結果として9割が嘘を吐いている。
そもそも、この国と交流がある国はイセレイだけで、その使者も顔は把握している。
そのため、それ以外の人間はだいたいが悪意のある密入国者というわけだ。
しかし、昨日の二人は違かった。
珍しく長が一目で入国を許可した人間。一人は人間だが亜人の血が混じっており、長の昔馴染みとのことだったが、もう一人の人間は違う。
なのにロボの精査なく、受け入れを許可されたと言う。
正直、ロボはイセレイの使者であっても、人間がこの国に足を踏み入れるのを良しとしていなかった。
止めるネネリに耳も貸さず、件の人間達の元に行ったロボは、衝撃を受けた。
嘘じゃなかったのだ。
彼女から紡がれる全てが、紛れもない心からの言葉だとロボには分かった。
だからこそ、あり得ないと思った。
こいつ等は人間だ。虐げる側なのだ。誰でもこの世界で生きていれば亜人に対して滲み出る何らかの負の感情、それがあるはずなのに。
少女からは、それが一切感じられなかった。
亜人への謝罪も、ネネリへ抱く友情も、別れ際に残した花咲くような笑顔も――。
全て、本物だった。
「ネネリ」
「んー?」
「俺、あいつだけは、信じてみようと思う」
トントンと響く包丁の歯切れのいい音が途切れることはない。
不思議そうにこちらを見上げる子供達の瞳を見つめながらその音を聞いていれば、それにふふっと吐息のような笑い声が混じった。
「うん、私も」
「……」
「ねーえー、何の話してるの?」
カタンと、包丁を置いたネネリが振り返る。
その顔に浮かぶのは、今まで見たことのないほど晴れやかな笑顔。
「人間のお友だちができたって話し!」




