久遠の魔導師
「待て、ラト。そいつ等は客人だ」
低い男の声が森に響いた。その瞬間、さっと武器を引いた亜人の三人がその場にパッと跪く。
それと同時に、彼らの背後からぬっとあらわれた長身の男。
真っ白な髪を後ろで一つに束ね、褐色の肌には入れ墨なのか模様が刻まれている。
金色に輝く鋭い三白眼が、ジロリとこちらを睨みつけた。
「久しいな。ルドルフ、それにアル坊か」
「ご無沙汰しております、久遠殿」
「歓迎感謝します」
ローアルがニコリと微笑み、ルドルフは皮肉ともとれる言葉を不愛想に吐く。
それに一つ頷いて答えた男――久遠の魔導師は、最後にこちらを見遣る。
「それで、ソレは?」
低い声から感情は読み取れないが、警戒されていることは確かなようだ。
睨むように見られ、頭を下げる。
「アキヨ、です」
「妙な気配だな。人間か?」
「……はい」
久遠の魔導師はアキヨをまじまじと見た後、そのすぐ上に視線を遣り、口を開く。
「お前、まさかソレが主なのか?」
「まさか、の意味がよく分かりませんが、ええ、私の主ですよ。ですのでソレ呼ばわりはやめていただけますか?」
微笑んだままそう答えるローアルに眉を寄せ、解せないとでも言いたげに口を真一文字に引き結んだ久遠の魔導師だったが、すぐに踵を返す。
「いいだろう。付いて来い」
しばらく獣道を歩き続けた一行が辿り着いたのは、森の奥の奥、深い谷間の集落だった。
巨木の幹や岩をくり抜いて作られた住居。そのドアの隙間から窺うようにこちらを見る亜人の民。
たしかに、亜人の国と言うだけあって、人間は一人もいない。
何だか居心地の悪さを感じる視線に、ふと亜人もこういう視線の中、迫害に耐えてきたのかと悟る。
ここを出れば、亜人は奇特な存在。しかし、この国では人間であるアキヨ達の方が場違いなのだ。
久遠の魔導師に案内されて着いたのは、櫓のように一段高い場所に建てられた大きな木造瓦葺だった。
中に入ると、奥座敷にクッションが置いてあって、そこに久遠の魔導師が座ると、その両隣に護衛の亜人が侍る。
その前、久遠の魔導師と対峙するように腰かけると、護衛の亜人の一人がすっと進み出て、ルドルフの前に跪いた。
「まずは、書簡を」
ルドルフが渡した書簡を亜人が受け取り、それを久遠の魔導師に渡す。
パラリと慣れた様子でそれを開いて読み始めた久遠の魔導師は、徐に頷いた。
「あの領主のお節介も健全のようだな」
ニヤリと笑いながらそう言った久遠の魔導師は、書簡を側の亜人に渡すと、頬杖をついてこちらを見遣る。
「それで?アル坊とその主殿は何の用件だ?」
「観光です」
さっきの言葉をそのまま繰り返すローアルに、慌てて補足する。
「亜人の国があると、ウユジの魔導師さんに聞いたので、気になって……」
「恭謙の、か。どいつもこいつも、年寄りは口が軽くていけねえな」
久遠の魔導師は苦々しい声音でそう言うと、ひらひらと手を振る。
「好きに見て回るといい。ただし、勝手に国を出て行くのは許さん。アル坊は承知していると思うがな」
「ええ。心得てます」
「長!いいのですか?」
会話を聞いていた側仕えらしい亜人二人が、慌てたように久遠の魔導師に声をかけた。
「いくら長殿のお知り合いとは言え、近況を鑑みるに――」
「俺が良いと言っている。不満か?」
「……い、いえ。出過ぎた真似をしました」
「申し訳ございません……」
久遠の魔導師がジロリと見上げれば、途端に静かになる護衛達。どうやら長が絶対のようだ。
「おい待て。そうなると、俺はどうなんだ」
「例外はねえ。こいつらがココに残る以上、あんたも外に出すわけにはいかねえな」
「――ちっ」
舌打ちをして顔を歪めたルドルフだったが、それ以上言い募ることはなく、壁際にドサリと座り込む。どうやらこの場に居座るつもりらしい。
久遠の魔導師は、そんなルドルフを見て肩を竦めただけで特に何も言わない。異論はないようだ。
ルドルフがこちらをじろりと睨み上げる。
「今日中には帰るからな」
「うん。ありがとう」
「……」
お礼を言えば少し罰の悪そうな表情になったルドルフは、ふて寝でもするのかそのまま目を閉じてしまった。
側仕えの刺さるような視線を背に、その場を後にしたローアルとアキヨは亜人の国を見て回ることにした。
と、言っても亜人の国――ジアンノ・リモには観光地なんてものはない。
イセレイも自然豊かな国だったが、あそこはどちらかというと平原であったし、居住区はやはりそれなりに街の雰囲気があった。
対してジアンノ・リモは、人が住むような整備は全くされておらず、ほぼ森に溶け込むように家が点在していて、人の気配もあまり感じない。
家らしきものを見つけても、人が出て来る様子は無いし、窓(ガラスではなく空洞が空いている窓だ)からチラリと見えた人影はすぐに家の中に消えてしまう。どうやら警戒されているようだ。
森をゆっくりと歩いていたアキヨ達だったが、ふと目の前に人がいるのが見えて足を止めた。
その瞬間、ひゅんと何かが飛んできて、それがアキヨに届く前に、ローアルが手で叩き落とした。
驚いて固まっているアキヨを庇うように前に立ったローアルの雰囲気がすっと冷たくなる。
「待って」
ローアルが何か行動を起こす前に、慌てて彼のマントを引っ張って止める。
見間違いでなければ、目の前に立っているその人影は――、まだ子供だった。
ローアルの背中から視線を覗かせれば、斑模様の丸耳を警戒するようにピンと立たせた少年が、威嚇するように歯をむき出して仁王立ちしていた。
まだ8歳くらいだろうか。その手に、石ころを持っている。先程投げたのも道端の石だったのだろう。
「お前ら、何で村の中歩き回ってんだ!用が済んだなら出てけよっ!!」
ガルルルと唸り声が聞こえてきそうな雰囲気で睨みつけて来る少年に、ローアルがすっと目を細める。その表情を見た少年が、ヒュッと喉を鳴らして耳をぺたんと寝かせてしまった。
ローアルの迫力に本能でか委縮してしまったらしい少年に、慌ててアキヨが声をかける。
「ご、ごめんなさい。亜人の人がどんな暮らしをしているのか、気になって」
「っバカにしてんのか!?」
なぜそうなるか分からない。戸惑うアキヨと、無言で剣に手をかけるローアルの前に、また新たに飛び込んできた人影が一つ。
「す、すみませんすみませんっ!!ちょっとロボ!あんた何考えてんの!?」
パッと飛び出してきたおかっぱの女の人が、遠慮なくパシーンと少年の頭を叩き、こちらにペコペコと頭を下げた。
年齢は20代前半ほどだろうか。女の人の頭にはウサギの長耳が付いていた。
「子供のやったことなので、どうぞ許してやってくださいっ……」
「子供のやったことでも、取り返しのつかない結果になることもあります。もし今、彼女の目が傷つけられて失明してしまったとしても、同じ言葉を言えますか?」
「っそ、それは――」
「ローアル、ありがとう。ローアルが守ってくれたから、私は大丈夫。あの、頭を上げてください」
「……」
恐る恐る頭を上げた女の人は、涙目で震えている。
よく見るとウサギ耳の片方に切り込みが入っている。昔の怪我だろうか。
「あの、なぜこのような事をしたのか、聞いても?」
女の人から少年に目線を移せば、少年はぎっとこちらを睨みつけてくる。
「人間の癖にそんなことも分かんねえのかよ。俺らに今までしてきたこと、忘れたとは言わせねえぞっ!!」
「やめなってロボ!この人達は何もしてないでしょっ!!」
「うるせぇ!今までのことは分かんねえだろ!」
ふと周りを見ると、騒ぎに気付いた亜人たちが何事かとこちらを窺っていた。
その視線は他人事のように無機質なものだったが、一気に集まった注目に居心地の悪さを感じる。
彼等が人間を目の敵にする理由は、今まで見てきた国々から、何となく察しが付く。
亜人を差別する風潮は根深い問題だ。きっと目の前の彼らも虐げられた経験があるのだろう。
だから、ロボと呼ばれた少年がこちらに敵意をむき出しにするのも、ここの住人たちがこちらを警戒するのも仕方のないことだとは思う。
アキヨが二人の前に歩みを進めると、ローアルがすぐ後ろをぴったりついてくる。
近付いたアキヨ達に、兎耳の亜人とロボが同時にびくりと肩を揺らした。
そんな二人に視線を合わせるようにしゃがみこみ、アキヨはぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
「「!?」」
驚きで固まる二人の目を、しっかり見つめる。
「私は、貴方たちが人間に何をされたのか知らない。でも、虐げられてる彼らを見てきた。でも、何もしなかった。だから、ごめんなさい」
「なっ……。そ、そんなんで許されると思ってんのかよッ」
「ロボ、もうやめなって!」
「許してほしいわけじゃない」
二人が同時にこちらを向く。アキヨは静かに言葉を続けた。
「以前、私に、同じように謝ってくれた人がいた。彼は私に何もしてないけど、でも“この世界の代表”として謝ってくれた」
魔術研究所から助け出され、目覚めたあの日。
幼い見た目だが長い年月を生きてきたと言う魔導師が、自身は何もしていないにも関わらず、ちっぽけな少女に頭を下げた。
あの時の、彼のその誠意は、その気持ちは、アキヨが生まれて初めて触れた“優しさ”だった。
今でも、その時感じた温かさは、この胸の中に残っている。
「だから私も、“人間代表”として謝りたい」
「に、人間代表……?」
ポカンと呆けた顔でこちらを見つめる二人に頷く。
そしてアキヨは深々と、もう一度頭を下げた。
「今まで、ごめんなさい。許してほしいわけじゃない。ただこれだけは、信じて欲しい。私は、あなた達を虐げたりしない。約束、する」
そんなアキヨを呆然と見つめる女の人と、うぐっと息を呑んで目を泳がせるロボ。
しかしすぐに我に返った女の人が、ガバリと少年の頭を下げさせる。
「謝るのはコッチの方です!ほら、あんたも早くごめんなさいは!?」
「なっ、なんで俺が――」
「どんな理由があろうと、人に石投げちゃダメでしょ!分かってんの?あんた今、自分が嫌ってる奴等と同じことしたんだからね」
「うっ」
女の人は明言しなかったが、つまりは人間と同類だと言いたかったのだろう。
女の人の言葉に顔を歪めたロボが、悔しそうな表情を見せながらもボソリと呟くように、「ごめん、なさい」と言ったのが聞こえた。
「本当にすみませんでした」
女の人が後に続くように深々と頭を下げるのを、慌てて止める。
切れた女の人の耳と、仇を見るような視線をこちらに向けるロボを交互に見つめたアキヨは、こくりと喉を鳴らし、ゆっくりと口を開いた。
「私、アキヨ」
「え?」
「あの……、名前を教えて、くれませんか」
女の人は驚いたように目を瞬かせたが、すぐにフワリと相好を崩した。
「私は、ネネリです。見ての通り、兎属の亜人です。こっちの子はロボ。豹族の亜人です」
「ネネリ、とロボ」
名前を教えてくれたことにジワリと嬉しさが湧く。
そして、緊張でジワリと滲む汗を握り締めながら、アキヨはついにその言葉を口にした。
「あ、あの、その……私達、友達になれない、ですか」
「え?」
今度こそキョトンとしたネネリと、グンと眉間に皺を寄せたロボを見て、やはり無理かと項垂れる。
しかし、そんなアキヨの背後を見たネネリとロボが、顔色を変えてすぐに勢い良く頷いた。
「も、もちろん!喜んで!よろしくお願いします、アキヨさん」
「うっ……。くそっ、何もんだよアイツ……」
「え、あ、ありがとう!」
落ち込んだ様子から一転、パッと表情を明るくさせたアキヨは、ローアルがネネリとロボに、無言の圧を放っていたことを知ることはなかった。
あの後、アキヨとローアルはネネリ達と一緒に、亜人の国を見て回った。
観光に訪れたのだと言えば、ネネリが快くその案内を買って出てくれたのだ。
ジアンノ・リモは、国内のほぼ9割が森らしく、その中でそれぞれの亜人が自身の特性に合った場所に住処を構え、各々が干渉しすぎることなく暮らしていると言う。
「この島の森は少し特殊で、あらゆる自然環境が混在しているんです」
ネネリの説明通り、森を歩いていると、広葉樹の密林とジャングル地帯とが隣接していたり、かと思えば背の低い草木が立ち並ぶ少し開けたエリアがあったり、そのまたすぐ隣に湿地帯が広がっていたりと、ありとあらゆる環境が一つの島に集約されていた。
そして、その様々な環境に合わせて作られた家々。工夫を凝らした亜人達の暮らし。
それらを丁寧に一つ一つ解説してくれるネネリと回る観光は、興味深く面白かった。
道中、ロボは始終むすっとした様子だったが、ネネリはこちらに気を遣うように色々と話しかけてくれた。
「アキヨさんは不思議ですね。なんか、外の人間とは違う感じがします」
「そう……?」
「はい。私、昔人間に色々と、その――。トラウマになってしまってたんですけど、アキヨさんは怖くないです」
フワリと微笑むネネリに、アキヨは今まで感じたことのない感覚を覚える。
なんだかくすぐったいような、嬉しくて走り出したいような、そんな感覚だった。
「ネネリは、何歳?」
「35歳です」
「えっ」
思わず率直に驚愕の声を上げてしまう。
見上げたネネリは、どう見ても20そこそこに見えたからだ。
「兎属は童顔なんです。……アキヨさんは何歳ですか?」
「――17歳」
「え」
「は?」
今度は二人分の驚愕の声が上がる。
今までは複雑な気持ちになっていたその驚愕の声も、今回はそんなに気にならなかった。
自分も同じように驚いたからだ。
「あの、それで彼は……?」
チラチラとネネリさんがローアルの方を窺うのを見て、はっとする。まだ彼について話していなかった。
「ローアル。一緒に旅をしてる」
「そうなんですか。その、護衛の方、ですか?」
「……」
言葉に詰まる。護衛、ではない。
しかし何と答えれば良いのか、未だにその関係性に明確な答えを出せずにいることに気付く。
一番近いのは「保護者」だが、それも何だか責任をローアルに押し付けているようで言い辛い。
困っていると、ローアルが横から口を挟んだ。
「アキヨは、私の大切な人です」
「え、それって……」
ポッと頬を染めるネネリと、つまらなそうな顔で相変わらずこちらを見ずにそっぽを向いているロボ。
そして意味ありげに微笑むローアル。
結局答えになっていないことに、ネネリは気付いているのだろうか。
「あ、えっと。ロボとネネリの関係は……?」
「私達は孤児なので、一緒に育って。家族みたいなものです」
「かぞく」
ふと二人を見る。
「二人にとって家族って、なに?」
聞けばネネリは困惑したように首を傾げたが、うーんと悩みながらも応えてくれた。
「そうですね……、無条件に守る存在、ですかねぇ?」
「無条件に、守る」
誰かを無条件に、守りたいと思う感情。
――私はまだ、ソレを知らない。
「ロボ、は?」
「家族は家族だろ。バカじゃね」
「こらっ、ロボ!!」
すかさずスパンとネネリが彼の頭を叩く。
「いってぇ!!」
「そんな強く叩いてないわよ、大げさね」
「ゴリラうさぎ!」
「何ですって!?」
言い合う二人の間に、遠慮はない。
その関係性を、アキヨはとても羨ましく感じた。




