精霊士の末裔
物心付いた頃から、ルドルフの目に映る世界には、“黒い何か”が溢れていた。
それはルドルフ以外の人には視えておらず、自分だけがソレを認識している。
そしてその“黒い何か”が、俗に言う精霊であるとルドルフが気付いたのは、『精霊の愛し子』を初めて見た時だった。
空気中や、たまに人の周りに転々と墨を落とすように存在し、フワフワと埃の様に浮いているソレは、慣れればそこまで気になるものでもない。
そもそも、人の多い場所であるほどその数は減るため、街中で見ることはほとんどない。
しかし、『精霊の愛し子』の周りだけは違った。
「あいつ、『精霊の愛し子』なんだってよ」
「通りで、薬草採取の手際は良いし、大型魔物の討伐案件でも物怖じしないわけだ」
仕事の斡旋所で噂話をする男達。
その視線の先を何とはなしに追ったルドルフは、その目に映った光景に戦慄した。
朗らかに笑う一人の男の周りで、無数に集まった黒いソレ等が、ビュンビュンと飛び回っている光景。
周りが『精霊の愛し子』に羨望の眼差しを送る中、ルドルフだけは勢い良く彼から視線を外し、真っ青な顔でその場を後にした。
一般的に精霊は信仰の対象ともなり得るほど、その存在を尊ばれている。
人々に福を授ける、悪戯好きだが神秘的で不思議な存在。それがこの世界の、精霊に対する共通認識だ。
子供の絵本なんかには、想像で描かれた精霊の姿が随分可愛らしく描かれている。
しかし、“黒い何か”が精霊であると気付いたルドルフには、とてもじゃないがソレ等を敬う気持ちなど持てるはずもなかった。
視界による影響力は存外大きい。
ルドルフにはどう頑張って見ても、視界に映る黒いソレは、可愛らしい妖精ではなく、ブンブン煩わしく飛ぶ羽虫にしか見えなかったのだ。
ルドルフは、『精霊士』と呼ばれる民族の末裔だった。
小さな小さな集落で、親子三代ひっそりと暮らしていたルドルフが人攫いにあったのは、16歳の時。
『褐色の肌に青銅色の目。間違いなく“精霊士”の末裔だ。まさか、まだ生き残りがいたとはな。これは高く売れるぞ』
鎖に繋がれたルドルフを見下ろした奴隷商人が、下卑た笑い声をあげながら言った言葉だ。
ルドルフはそこで初めて、自身が疾うに絶滅したと言われている『精霊士』の生き残りであると知った。
その昔――創世説話にある『魔獣の暴走』が起こるより前の時代、精霊は『精霊士』が創る縫いぐるみを媒体に、人々と交流していたと言う。
精霊に体を与える仕事を担う一族。それが『精霊士』であり、ルドルフの先祖なのだと後になって知った。
褐色の肌に青銅色の目は、『精霊士』の証らしい。思えば集落の者は皆その特徴を有していたが、親も祖父母も、自分達が『精霊士』の子孫であると語った事などなかった。だから、知らなかった。
集落ではありふれていたその見た目も、外に一歩出れば稀少となる。
ちっぽけなその村を出てしまえば、褐色の肌に青銅色の目を持つ者など誰一人いないのだと、ルドルフは知らなかったのだ。
奴隷として見世物のように売られ、人々の好奇の目に晒され、『精霊士』の末裔であるなら精霊と交渉できるだろうと、買われた先で無理難題を押し付けられては、できないと分かると酷い折檻を受けた。
そしてまた奴隷商へ戻され、転売される。その繰り返し。
ルドルフは、運が悪かった。
『精霊士』の末裔として生まれ、その中でもその血を濃く受け継いだのか、父も母も祖父母ですら視えない精霊をその目に映し、それを言えば周りの大人子供に気味悪がられた。
初めて親のお遣いで街へ降りることになった日、風が強くて被っていた帽子を落とし、それをたまたま通りかかった闇商人に見られた。
そして、瞳の色からそうだとバレ、捕まったルドルフは奴隷として売られてしまった。
何もかも、運が悪かった。それだけだ。
ルドルフに非などない。だからこそ、案外早く諦めがついた。
ルドルフは、終わることの無い奴隷生活に、早々に期待を捨てていた。そんなもの、持つだけ無駄だと悟ったからだ。
だからその日、戦闘奴隷として体を酷使し、もう使い物にならないからと再びウユジで転売された時も、次の買い手がマシな人であって欲しいなどと言う希望は、一切持っていなかった。
「すみません、彼いくらですかね?」
ウユジの表町と裏町の中間、路地の片隅に建つ奴隷商館。
その入口に並ぶ様々な商品に紛れるように、ボロボロの奴隷がポツンと売れ残っていた。
その奴隷の前で立ち止まった丸眼鏡の男が、愛想笑いを浮かべて奴隷商人に訊ねる。
「10万ヘラだよ。その値段が不満なら、もうちょい落とすこともできるぜ」
売れ残りの奴隷をさっさと売り払い、店仕舞いしたい商人は、引っ掛かったカモを逃がしたくないのか、奴隷としては破格の値段をさらに下げると交渉した。
それを倒れ伏しながら聞いていたルドルフは、いよいよ運も尽きたかと自身の死地を覚悟する。
概ね、奴隷の扱いはその値段に比例する。高く買われればそれなりの待遇の中働けるが、安く買われた分だけ扱いは酷くなる。
それは奴隷生活を続ける中で、ルドルフが悟った経験則だった。
「いや、20万で買うから。彼の鎖を外して新しい衣服を用意してくれないかい?」
「まいど!」
撤回を許さないとばかりに食い気味に了承した商人によって、ルドルフは随分久し振りに首元の鎖を外され、拘束を解かれた。
そうしてやっと体を起こしたルドルフに、新しい主人が柔和な笑顔で手を差し伸べる。
「初めまして、僕はダン。君の名前を教えて欲しいな」
こうして、ルドルフはダンの用心棒として雇われることとなった。
ダンの住む国は『妖精に愛された国』として名高いイセレイ連合国だった。
初めてその国に足を踏み入れた時、ルドルフは自身の故郷を思い出していた。
精霊は、人の多い場所より自然あふれる場所に多く生息している。
緑の多いイセレイには、その代名詞の通り、多くの精霊が居着いていた。
そしてその光景は、幼い頃から森深くの集落でひっそり暮らしていたルドルフにとって、郷愁の想いを抱かせるどこか懐かしい景色だった。
もちろん人々には精霊が見えていない。ルドルフだけが見知っている光景だ。
他国より圧倒的に多い精霊の数。しかし、『精霊の愛し子』の時のように、誰かの周りを囲むように飛び回るなんてことはなく、空気中をフワフワと漂い、穏やかに流れる黒いソレ等。
そしてその間を駆け回る子供達。
ルドルフからしてみれば、決して好い景色とは言えない光景。
しかし、やけに落ち着くのは、幼い頃に育った景色と似ているからか。
「良い所だろ?」
ダンが自慢げに言うその横で、イセレイの景色から目を反らすことなく、ルドルフは静かに頷いた。
イセレイ連合国は5つの小国が合体してできた国で、その自治はそれぞれの国が独自の方法で行っている。
国全体にかかわる事由を決める時だけ、各自治体代表5人が集まり、会議をする。
しかしそれ以外は基本干渉せずにやりたいようになるのがこの国の方針の様だった。
ダンはその代表の内の一人だった。
その立場上、あちらこちらに外交に出かける機会が多かったため、ソレに同行し、道中の護衛をするのがルドルフの主な仕事だ。
そしてその日々は、当初の予想に反して、とても穏やかなものだった。
口にしたことはないが、ルドルフはダンに感謝していた。
一度は覚悟した自身の運の尽き。しかし、今のこの生活は、そんな運がなかった己の人生に降ってわいた、最大の幸運と言えた。
だが、あくまで自分たちの関係は奴隷と主人だ。
ダンがルドルフを手放すと言えば、それに逆らう手段をダンは持たない。
だから、その時が来たら、大人しくこの幸福を手放す覚悟を決めていた。
そうして、もしダンが自分を手放す時が来たら、今までの人生で一番幸運で幸福な時間だったと感謝を伝えて、これからの人生はこの日々を糧に地獄を生き抜こうと、そうルドルフは決意していた。
ダンはお喋りで、基本的にずっと喋っている。
時にそれを煩わしく感じることもあったが、彼と二人で過ごす空間は気を遣わなくて良く、居心地が良かった。
ダンは誰に対しても分け隔てなく、例え嫌われていようが気にせず関わりを持とうとする。
だからこその外交力であり、魔導師や亜人の長とも上手く縁を繋いでいるのだろうとは思う。彼の領主としての唯一であり最大の長所であると言っても良い。
ルドルフも、ダンのそういう部分を密かに評価していた。
しかし、それがまさかこのような事態を招くとは、ルドルフは想像もしていなかった。
ルテニボンでの仕事が終わり、イセレイ連合国へ帰ろうとする道中、船に同乗させて欲しいと駆け寄ってきたその人物に、ルドルフは思わず声が出そうになった。
思い出すのは、仕事でウユジへ行った時、道中すれ違った一人の子供のこと。
思わず二度見したのを覚えている。
これまで『精霊の愛し子』以上に精霊が引っ付いている人や物は見たことが無かった。
しかし、今まで見て来た『精霊の愛し子』など比較にならないほど、その子供の周りには精霊が群がっていた。
――次元が違う。周りを飛び回る、なんてものじゃない。精霊が全身に引っ付き、その姿が全く見えないのだ。
そう、飛び回っているんじゃない。張り付き、蠢いていたのだ。
その光景に、一気に鳥肌が立った。慌ててソレから視線を外し、足早にその場を去る。
それほど、その光景は異様で、そして気持ち悪かったのだ。
しかし、世界は広い。もう二度と会うことはないだろうと思っていた。が、どうだ。
今目の前に、その人物がいる。
ウユジで見た時より、至近距離で見るその光景に吐きそうになる。
子供の全身を覆いつくすように蠢く無数の黒い精霊。音は聞こえないが、ガサゴソと言う摩擦音が聞こえてくるようで、目を反らす。
衣服の端すら見えないその人物は、声からして少女のようだった。
しかも、140ほどの身長で17歳だと言う。
感情を滲ませない無機質な声に、異常なほど精霊に好かれた子供のような大人。
思わず「どんだけだよ……」と言葉が漏れたのも仕方がないと思う。
ダンの持ち前の人好きが発揮され、その二人組と行動を共にすることとなったルドルフは、一刻も早く彼等と離れたかったが、そう現実は上手くいかないようで。
やっと離れることができたと思ったら、魔物が出たと再び呼び出され、件の少女たちと早すぎる再会を果たす。
先に入ったと言う少女の連れの足跡を辿り、森を駆けていると、遠くで魔術の光が放たれたのが見えた。
その光の方へ走り、辿り着いた時には魔物はもうおらず、全身を布ですっぽり覆った少女の連れが、子供を一人抱きかかえて立っていた。
「……大丈夫だったのか」
「問題ない」
気絶しているらしい子供をこちらに見せ、淡々とそう言う男にピクリと眉が跳ねる。
少女と共にいる時とは随分雰囲気が違うように思えたのだ。
「さっきの光、お前か」
「ああ。ネビラジだった」
ネビラジとは、姿形はウサギに似ているが、その可愛らしい見た目とは裏腹に、顔が八つに分裂して口となり、獲物を獰猛に喰らう肉食魔獣である。
非常に素早く、対峙するのは決して簡単では無いはずだが、それを今の一瞬で片付けたと言うのか。
さっさとルドルフに背を向け走り始めた男について行きながら、こちらもこちらで妙に気に食わない存在だと眉を寄せる。
そんな事もあり、森から出た後、ルドルフの態度に男が苦言を呈してきた時、つい毒を吐いてしまった。
『お前も俺の立場になりゃ、そんな奴の傍にいたいとは思わなくなるさ』
全身を黒く蠢く精霊に覆われた少女に、べったり引っ付いて離れない男。
その様子に、思わず皮肉が口をついた。
穏やかな日々に投じられた彼等の存在が、無性にルドルフの神経を逆撫でる。
今まで散々な人生だった。そこから、やっと手に入れた穏やかな日々。
せめてダンが自分を手放すその時までは、運に見放されたくはない。
しかしこの二人を見ていると、嫌でも自覚させられる。どう頑張っても、穏やかには生きられない。それが『精霊士』の末裔として生まれた者の宿命だと、そう言われているような気分になる。
ルドルフ自身も分かっている。これは完全な八つ当たりだ。少女も男も、別に悪いことなどしていない。
『君がそこまで誰かに突っかかるのは珍しいね。何か理由でもあるのかい?』
ダンはルドルフが精霊を見えると知らない。
だから、普段は必要以上に他人と関わろうとしないルドルフが、特別一人の少女に反応を見せた理由を、ダンは知らない。
それで良い。
知ったところで、どうせどうにもできないのだから。
やっと手に入れた、穏やかな日々。
しかし、ルドルフはいまだに『精霊士』の血に縛られ、その呪縛からは抜け出せないでいた。




